前号及び前々号にご賛同いただいたいた方が多くいたことに感謝申し上げます。
ところが、かの宇宙人鳩山元首相が、なんとなんと次のような発言をして当たり前のように大ブーメランに遭っている。
「沢尻エリカの逮捕は、政治スキャンダル隠しだ」と。
空いた口がふさがらないが、案の定こっぴどい反応がSNS上で活発化しているのだ。
この人、もはや宇宙人とかではなく、国益を阻害する狂気の存在という実態ではないだろうか。中韓朝3国の側に立っての発言にも憤りが隠せないが、ここまで低次元の政権批判をする現実は、愛国心のかけらもない人物という評価しか持ち得ないし、元首相として敬意を表する必要もないと思わざるを得ない。
首相経験者には、生涯にわたり護衛SPが就くというが、これも税金の無駄遣いとしか感じられない。もはやこの御仁にその必要があるとは思えない。この発言が元首相のものとして世界にも打電されていると思うと、事の脈絡も含めて物事に分別がついていないという意味において国際的にも恥ずかしいことである。マスコミも元首相の発言の取り扱いには慎重に対応すべきだと思うが、いかがなものだろうか。
記事一覧
No.3206 懲りない元首相
No.3205 懲りない芸能界。必ずまた起こる!
沢尻エリカの逮捕には驚きもあったが、それ以上に納得する感覚が残るのはなぜだろうか。薬に関する問題児は問題児の域を抜けることが出来ない一面を田代まさしに感じるが、沢尻エリカにはなんとなく薬に結びつく感じがあったのは事実だ。美貌という最大の利点を芸能界で活かせるのは、持って生まれた天賦のものであり、それゆえに恵まれた境遇にあるはずなのに、性格破綻に近い人間性が素直に生きる人生を選択させないのだろうか。破格の収入と贅沢な生活に若くしてまみれると一般人としての感覚から離れていくことは理解できる。
しかし、今回の逮捕劇に対しておかしな発言をする芸能人がいる。ラサール石井や東ちづるといったタレントさんが、政治の世界で何らかの問題が発生すると、芸能人が逮捕されるという主張。政治から目を離させる対象に芸能人が祭り上げられるといったことなのだろう。万が一、自らがこうした逮捕劇の主役になったとすると、間違いなくこのような主張を検察に向けるのだろう。つい最近、田代まさしの懲りない逮捕劇があったばかりだというのに。
麻薬で逮捕される芸能人は枚挙にいとまがない。名を上げたらきりがない。しかも、それを何度も繰り返す人間が少なくない。真面目に生きる芸能人もいると理解はするが、このような事件の折に、政治とからめる発言で芸能界がいじめられているかのような思考があること自体々芸能人としてどうだろうか。
一つの組織で犯罪者や容疑者が出れば、組織のゆるみ、たるみを指摘されるのは当たりまえのことであり、そこに綱紀粛正という状況が生まれるのである。芸能界は個人経営なのか、いや所得的には個人経営のスポーツ界で犯罪を起こした人間は永久追放になる場合もあることを思うと、芸能界にもそうした厳格さがあってしかるべきである。後輩いじめが時折問題になる相撲界でも、付け人への暴力で引退という最高の罰則を受けた力士がいた。まだ20代前半の人生における挫折である。持てるタレント才能を駆使して、見るものを癒し、元気にしてくれるという点ではスポーツも芸能も同じだ。チュートリアルの徳井氏の税逃れ問題はどう感じているのだろうか。ラサールさんに問いたい。
No.3204 うんざりする野党政治屋
「政治は生きている」というコラム。いやいや、今まさに政治は死んでいると思えてならない。野党の政治スタイルが、これほどまでに低次元な時代があっただろうか。
「桜を見る会」天地をひっくり返したような野党の騒ぎ方は異常を通り越している。官僚へのヒヤリングで後方の壁面に書かれている総理主催「桜を見る会」追及チームという文字が悲しく見えて仕方がない。追及チームと大きな文字で書き示すこと自体がパフォーマンスそのものに感じるからだが、見ると、殆どが1期生議員が追及役に充てられている。立民のあるベテラン議員はこの問題をとことん追求すると言う。新人議員の追求発言上達セミナーに利用しているのではないかと思える。加えて、二重国籍問題責任を棚上げした状態の蓮舫さんも例によって理解不能の批判を口にしている。けっして見本にしてはならない先輩議員だと私なら思う。
台風被害も治まらない現況にあって被害者の方々はいったいどう思っているのだろうか。こうした議論に明け暮れる国会でいいはずがない。政権打倒のためだけの存在として野党があるなら、この議員たちに年間一人当たり数千万円の国税が支払われていることに厳しい目が向けられているのもうなずける話である。政治的素質は必要としない感じである。
また、こうした問題が左派系マスコミによって疑獄事件のように報じられること自体が問題であり、責任の一端、いや二端、三端?はあるのではないだろうか。ようやく憲法審査会の議論が久しぶりに始まったと思った矢先のことで、やはり、憲法問題に逃避姿勢を持つ野党一連の揚げ足取り追及の一環なのかとも思う。
流れに恵まれて当選した新人議員が国家にとて欠かすことの出来ない議員に成長するか否かと考えると・・・あまりにも情けない議員が野党には多すぎる。もちろん自民党にいないとは言わないが、その数は総議員数からすると
野党の比率がかなり高いことは間違いないだろう。
立憲民主党の国対委員長の肩書がつく辻元清美氏の発言「こんな議員がいたのかと背筋が凍る想いがした」と。誰に対しての発言かは定かではないが、自身の秘書給与隠しや支援団体との癒着問題が表に出た過去がある人として言えることかと思う。そもそも、ボキャブラリの使い方がパフォーマンスだし、表現が下劣という独特の特徴がある。今や、野党のブーメラン発言は常態化しているが、これは3年3ヵ月に及ぶていたらくな政権運営を反省するどころかその必要はないくらいに思っているからかもしれない。ならば、尚更2度と政権を任すことなど出来ないということになるではありませんか。
今の野党に本当の政治家と感じさせてくれる議員がいないことは国家の損失かもしれないが、自民党にもそうした政治家が減ったことは否めない。大物議員とはやされる石破氏も、またまた今回の問題で安倍総理の背中から矢玉を放っている。寂しい政治の実態だ。
No.3203 幼保無償化の功罪
10月から幼児教育の新制度が始まったことはすでにご承知のことと思います。収入の低い家庭を視点に、どの子どもも平均的に通園受益を受けることを目的として始まったわけですが、タイミングとして消費税引き上げを考慮したものでもありました。ところが、国の調査によると制度開始直前になって便乗値上げと思われる実態が相当数あり、関係者に戸惑いが広がっているというのです。
制度としては、無限の無償化ではなく月25,700円を上限とされていますが、わかりやすく言えば、この上限幅にまで値上げをする施設があったということでしょうか。もっとも、そこまで露骨な値上げがどれほどあったのかまでは不明ですが、無償化対象の子どもがいる世帯にだけ値上げをした例もあるようで、いささか考えさせられる状況ではあります。理由は職員の待遇改善というのが大半だそうですが、確かに経営が必ずしも順調に推移している施設ばかりではなく、これまでは、値上げすれば入園者が減る可能性もあり、少子化が進む時代にあって経営環境を変えることが出来にくかったことはあるでしょう。
特に、共働き世帯が増える傾向にある中、幼稚園より保育園を希望する家庭が増加していることから幼稚園経営が悪化している事実は全国的に広がっているといいます。職員の確保にしても、給与水準の高い大都市圏に集中する傾向もありエリア格差は広がる傾向にあるようです。
しかしながら、幼児教育の質を上げるための無償化目的が、単なる経営改善の補助金的性質になりはしないか。それが、職員の安定的確保や良質なモチベーションの向上につながるかどうか、経営者自体の報酬アップにはなっていないか、施設の修繕改築に充てられることはないのかなど、判定には一定の期間が必要でしょうし、なかなか難しい問題だと思います。
要するに、制度開始にタイミングを合わせての料金改定が、意図的かつ便乗的に感じられる点は拭えないとしても、経営環境の改善が真に子どものためという実態に至れば、それはそれで幼保無償化制度の効果とみなすことも可能だろうと思われます。
ともあれ、子ども及びその世帯のための無償化と思っていたものが、恩恵を受ける対象が子ども世帯だけではなく経営者側に広がっている実態。税金の使い方というのが、いかに難しいかという一つの例だと感じます。
No.3202 サルコペニア
聞き慣れないこの言葉。実は筋肉に関する医学用語です。
加齢などにより筋肉量が減少し、全身の筋力が低下した状態をサルコペニアという名で診断対象となるものだそうです。この診断をするにあたり、新たな基準が日本サルコペニアフレイル学会によって発表されたという報道がなされました。
これは、国が75歳以上の後期高齢者を対象に、要介護になる可能性を把握するための「フレイル検診」を2020年度から導入することに関連して設けられた基準ということになります。
サルコペニアになると心身全体が衰える、いわゆるフレイルという現象になると考えられており、たとえば、この状態で歩行中に転倒すると寝たきり状態になる危険性が高いと考えられています。
診断および予防の両面からサルコペニアかどうかを判定する予備テストが新たな基準として設けられました。それは次のようなものです。
■握 力・・・・・男性28㌔未満、女性18㌔未満しかない場合
■立ち上がり・・・椅子に座った状態で立って座っての動作を5回行い、12秒以上かかる場合。
このどちらかでも当てはまる場合、サルコペニアの疑いがあるとされます。
私は、今のところどちらもクリアしてることがわかり一安心といったところです。ちなみに握力は右43、左40で年齢並み以上の数値ですが、70歳を超えると身体のあちこちに不具合が生じると先輩連から言われる日々ですので、常に健康管理には気遣うように言い聞かせています。
筋肉が弱るという意味ではパーキンソン病などもありますが、専門医の先生が言う予防対策は、とにかく1日40分歩きなさいと。知人の付き添いで一緒に医師の話をちょくちょく聞く機会があるのですが、歩くことがすべてに良いということのようですね。もちろん歩き方は考えなければなりませんが。
一般論として、ペットボトルの蓋が固く感じる、プルトップ缶詰の蓋を引き上げるのに重く感じる、歩幅が狭くなった気がする、歩くスピードが遅くなったなどを実感するようになった場合も筋力低下に関連しているのでしょうか? いや、私がそうだというわけではありませんよ。
No.3201 全国都市問題会議
掲題の会議が、この7、8日の2日間鹿児島県霧島市で開催されました。毎年の秋、全国市長会が主体となって開催される会議で、全国から約2,000人の市長、市議が終結する一大イベントです。過去の市議時代にも2度参加したことがありますが、今回の問題テーマが「防災とコミュニティ」というものでしたので、夏前にあった案内時から参加を決めていたものです。
内容は、すべてが新鮮なものだったわけではなく、本年2月の防災士資格取得時の講義内容をしのぐという感じではありませんでしたが、もちろん、大いに参考になる点もあったので、近いうちにまとめてみたいと考えています。
衝撃的だったのは「日本に安全な場所はない」という言葉でした。確かに近代における過去の発生確率から言えば、若干の差はあるように思えますが、100年、200年のスパーンで考えればいつ何時何処が大災害に見舞われるかは予知できるものではありません。災害国日本は、そういう意味においては安全な場所はないと考えるべきだと実感します。だからこそ、防災対策が重要となるわけですが、実はこの対策も絶対的なものではないと。自助・共助・公助が問われる昨今、基本は他を頼る気持ちが大勢を占めていることが昨今の災害の実態でもあきらかだと言います。個人はもちろんコミュニティであっても行政依存度が高く、警報を聞いても自主防災隊が瞬時に活動する実態は少なく、住民に至っては避難準備すらしないことが昨今の大災害時にはっきり示されたそうです。この話を聞いて、私は別の言葉をふと思いつきました。「頼助」です。
参考的内容を少し紹介しますと、災害対策はトップダウンでできるものでも行うものでもなく、ボトムアップで構築していくものだと。しかも、その先にこれでいいというものはないと考えるべきだと。
コミュニティは生き物であり、社会関係、社会集団、地域的アイデンティティを有するものであって、行政が作ることはできない。
コミュニティとは地域という意味合いだけではなく、すべての組織、集団を指す。学校も会社もコミュニティである。
行政の災害対策向上を考えるには自治体職員の能力を上げることが求められる。実際、災害時の対応、復興対応では職員の力の差が如実に出るといいます。それには、常に災害対策を自力・独自で考える組織作りが必要なのかもしれません。
究極の防災力アップには、個人の防災力を高めることしかないとし、要するに自助能力をアップさせるということになります。行政に求めても自ずと限界はあるし、責任転嫁するべきものでもないということになります。頼助などとんでもないということでしょう。
なお、高齢者など避難要支援者については全く別の議論の対象とされています。これについてはまた示したいと思います。
ちなみに、薩摩の友人に聞いた話ですが、幸手市で鍵が無く避難場所を開けることが出来なかったというニュースは、鹿児島の新聞でも記事になったそうです。講義の中に「成功も失敗も情報として横に流す」という話がありました。その点で行くと皮肉な話ですが、幸手市の失敗は全国の教訓として役にたったということになるのでしょうか。