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No.3365 必要なのは寛容と思いやり

2021.01.12

 幸手市内でPCR検査センターが運営されていることはほとんどの市民が知る事実だろうと思う。それに関連して幸手市議会議員宛てにご理解とご賛同のお願いという文章が届けられた。差出人は一般社団法人北葛北部医師会となっており、会長、副会長2名、議長の計4名の方の名前が連署されている。議長という肩書があることに少々驚いたが、昨年12月23日付けで年末に届いた。何かとせわしない日が続いていたこともあり、年明けに読み、幸手市及び幸手市民にとってどう理解し、対応するべきなのか考えあぐねていた。それは今に至っても変わりなく、ブログにあげるべきかどうかも悩んでいたが、次の視点からブログにしたためることを決めた。
◆地域医療の中心組織である北葛北部医師会及び幸手医師会と、幸手市が摩擦状態にあるのは市民にとって喜ばしいことではなく、今をときめくコロナ感染防止対策に関わる医療福祉の在り方を考えると市民不在はいかがなものか。
◆議員へのお願いではあるが、市民から負託を受けた議員という立場で市民に知らせることはコロナ問題という重要性からも必要である。
◆内容証明や親展、外部秘扱いといった取扱い範囲を定める指摘はない。
◆差出人サイドが市民に知られたくないという内容でもなく、またそのような意図があるとは考えにくい。もちろん、当方の主観ではあるが、市側も市民に知られたくない案件ではないと考える。
◆こうした摩擦は良い意味での裏交渉・根回しなどで、手を握る場面が生まれるのが理想だが、どうもそうなりにくい環境があるように思えてならない。

 時も時で、ここにきてコロナ感染者の増え方に危険な兆候を感じる状況でもあり、この文章が意味するというか意図するところは終局いかなるものを求めているのかあらためて考察することも意義あることと考えている。

 まず、その内容は大きく二つの主張が骨組みとなっている。一つは、市及び市長に対する下記の内容である。
1.市長は検査施設の設置・運営にあたって協力を求めたが冷たく拒否した。
2.その後、現時点までなんら医師会に対し具体的な協力を申し出ることもなく、関係修復の努力はまったくない。
3.市長は、十分な医師会との連携も取っていないのに市政報告で事実と異なる内容を記載し市民に配布した。これに不満を持つ幸手医師会長及び医師会員が多数いる。
4.市長や幸手市から見捨てられた状況で、10月31日まで感染への補償も無いまま土日を除く毎日検査出動し、1097人中25人の陽性者を検出するなど、感染のリスクをかえりみず日夜努力している。

 二つ目は、医師会と特定の議会会派との摩擦である。
 この議員側の文章への医師会の反論指摘文については、告訴も辞さないといった主張もみられるので、当ブログでも記載するのは適切ではないと判断し控えることとしたが、事実は闇の中である。どちらの主張にも真実だとするエビデンスはないし、今回の通信にもそのようなものは見られない。
 この医師会と特定会派のやり取りの詳細は会派側が発行した機関紙が発端となっている。そこには、特定会派が埼玉県保健医療部長宛ての出した要望書の内容が記載されていた。これに対して、11月4日付けで医師会から「ご通知」と称する文章が届けられた。内容は、要望書について重大な誤りがあり、医師会が非難される理由はないとして遺憾の旨を伝えている。更に訂正と詫び及び7日以内に書面による返信を求めている。そして、何らの対応も無い場合は法的手続きに及ぶと締めている。
 議員サイドからの返信は、11月17日付けで、この遅延返信に対しても医師会は不誠実だと怒りを隠さない。しかし、日程的には許容範囲ではないかと思う。返信の中身はこういう場合の常套でもあり、議員側が頭を下げるはずもないだろうと想像する通りであり、言葉というか文字二つ程度の違いがもたらす理解で反応したあっさりしたものである。
 ここに至り、医師側はこの特定会派を除く全議員に「ご理解とご賛同のお願い」を発信したものと思われる。

 
 その内容は、
「議員の皆さまにおかれましては、市から何の協力もない状況でPCRセンターの運営を行っている北葛北部医師会の立場を是非ご理解いただき、当会に対するいわれなき誹謗中傷は的外れであることと、市長と医師会の関係悪化を招いた市長の対応を是非ご理解いただくと共に、幸手市議会にても〇〇議員や市長の問題を追及していただきたいと思います」
 となっている。いかがですか。関係悪化の原因は市長にあると、かなり一方的な内容に感じるが・・・。
 あまり、確定的に評論することは難しいのですが、市が何の協力もしていないとしたら、検査センターが出来ただろうかと思う。行政が管理する土地に設置されたのに行政が無関係とは思えないからである。
 それと、私が昨年の9月議会で行った一般質問とその答弁の要約が議会だよりに記載されているが、医師会と市のそれぞれの歩み寄り方はどういった感じだったのかが不明である。また、埼玉県の指導に基づく検査センターの増加策は1カ所1ヵ月270万円の補助金給付が為されている。それの県に対する会計を含む報告義務は、本来は共同システムでの運営を県は指導しているはずにもかかわらず、幸手市はかかわっていないと答弁している。その理由は定かではない。
 一つ思うことは、議会、議員に行政と特定議員への追及を要求する街最高の有識者組織を、どう理解したらよいものやら。大人同士の歩み寄りが出来ないはずはない。幸手市に限らず選挙のしこりが残るのは珍しいことではないが、しこりの有無は別にして、コロナ対策に関連してこうした問題が浮上するのは、市民にとって有り難くないどころか不幸なことである。
 今まさに、国が全額負担のワクチン接種の在り方が審議されていると聞くが、接種については各地の医師が行い、その施術料も国の給付対象となる。その給付の仲介役は自治体である。双方が互いを尊重し合う関係でないと割を食うのは市民となる。
 感染のリスクをいとわずと言うが、感染症はコロナに限ったことではない。医師とは多くのリスクを日頃から負っている職業ではないのか。だからこそ、感謝と敬意の念を抱く理由があるし、医師の社会的信頼性が高いことにつながっているのではないだろうか。
 まだまだ先が長いパンデミック状態は幸手市でどれほどの増加になるか不透明なのだ。関連するトップ組織の融和は不可欠だと思うがいかが。議会で揉ますことを唱えている場合ではない。大人げないと言うと、私にも批判の火の手が上がりそうだが、必要なのは寛容と思いやりであって、尖っていては解決の道を見出すのは難しいと考えるべきだ。
 幸手市は、医師会に対して連絡はとっていると聞いている。早く双方土俵に乗って、待った無しの話し合いをしてもらいたいものだ。さて・・・。

No.3364 心してかかる

2021.01.07

 とうとう2度目の緊急事態宣言が発出された。国民それぞれ異なる立場・環境からの様々な声があるのは当然のことだが、そもそも私は特措法改正までの必要はないと思っている。そういう意味でもひとくくりに結論づけられないコロナ対策だが、やはりというか、政治批判は世の常といったところ。8人での会食をしていたことが仇となって、とくに飲食業への時短要請には手厳しい菅政権批判がネットに上がっている。
 しかし、どうだろうか? 事後において正論ぶって揚げ足取りの批判を展開するのは、いっぱしの大人であれば誰でもできる。それはまた別の観点で、仲間内の場合に、後ろから鉄砲を撃つという表現がよく使われることもある。最近の例で言えば、安倍政権に対する石破さんの一連の発言だ。あれが石破さんの人間性評価として、党内はもとより自民党支持者の嫌悪感を仰いだことは否めない。
 それにしても日本のメディアはまるで壊れたスピーカーのごとく、伝えるべき真実を伝えず、偏向報道姿勢を常態化して政治をもてあそんでいる。それは間違いなく国家安定へのベクトルには逆行しているとしか思えないほど度を超している。そのメディアをバックに、営業保証が少ない、もっと増やすべきと公助ありきの国民想いの言葉を羅列する野党政党は楽だなあと思う。誰も経験したことのない、記憶のかけらもない世相でウィルスに立ち向かう精神からは遠い思考だ。一部コメンテーターや芸能人にも同じことが言える。
 今こそ国民一丸となって日本的秩序を発揮する場面ではないのか。

 私は、このウィルスが引き起こした世界パンデミックで、まともに対応できている国はないと思っている。アメリカ、インド、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アフリカ・南米諸国・・・わずかに近隣地域として台湾が当初からの水際対策の効果を続けているのではないだろうか。つまり、どこにいるかもわからない見えない敵に対し、万民が納得できる対策を誰が可能に出来るというのだろうか。国家単位で防疫体制を構築する前に、まずあるべきは個々に思考と行動面での防疫意識を高めなければ収束は程遠いのだ。とくに最近思うことに、外出後に手を洗う習慣がおろそかになっていないだろうかなど、自らの意識と具体的対応に疑問を投げかけてみてはどうだろうか。品川駅の朝の通勤ラッシュ風景をネットで見た。画面にはざっと500人ほどの通勤者が映っていたが、マスクをしてない人がけっこういることに驚いた。迷惑人間そのものだが、何を考えているのかと思う。これが現実なのだ。

 飲食業、観光業、旅行業向けのGoToEat対策は確かな効果の兆しを見せていた。それでもやれば批判、やめれば批判。あくまでも一部経済効果を考えてのものだったはずが、いつの間にか生活行動全般に気が緩み、マスクさえしていれば大丈夫といった感覚が優先したのではないか。長きに渡った自粛生活への解放感で浮かれ気分になったのは事実ではないかと思う。
 Go To対策は、あくまでも一部対応であったものが、通常の日常が戻ったと勘違いした国民がかなりいたはずだ。そういう意味においては、功罪残した政策となってしまったのは残念だ。
 比率的に若い世代を多く抱え、勤労者が集中する東京中心の首都圏が異常な状況となっているのは、人口の多さだけが理由ではないと思う。
 人がうごめく大都会で、一度緩んだ自制心はまさに津波のようにウィルスを迎え入れたのかもしれない。
 政治に批判の目を向けるのはメディアに任せておけばいい。どうしてもしたいなら後にすればいい。今、国民に求められているのは、自らの命を守ることが他者の命を守ることにもつながるという思考だ。それこそが同じ国に生まれ住んだ絆の精神というものではないだろうか。間違わないでもらいたいのは、私は巣ごもりに撤することを求めているわけではない。そこは個々の知恵の発揮しどころであり、その前提は掲題の心してかかるということだと思っているだけなのだ。

No.3363 気持ゆったりで過ごしましょう!

2021.01.04

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 きずな№8を年始にお届けしたところ、多くの声をいただいております。有り難いことと先ずもって感謝申し上げます。今回の場合、いつもとは異なる声が多いようです。と言うのは、コロナを意識されているせいか今号の掲題がそれらを集約したものとなっているからです。
「あまり議員だと意識せず、のんびりやるのもいいと思います」
「議員という信念を持つのはいいが、身を削るほどの必要はありません」
「責任感を強くして身体を酷使することはありませんよ」
「コロナ禍の中で無理することはありません」
といった内容なのですが、私は日頃からそれほど気張ってるつもりはないのですが、真面目に真っすぐに信念揺るぐことなく程度の思考は持って議員活動しているつもりです。それは少なくとも投票してくださった方々への最低限の責任だと思ってのことです。ただ、それとは別に議員の金銭感覚、批判だらけの野党の実態、中国・ロシア・韓国・北朝鮮による唯我独尊外交術には常に腹を立てている日々だということはご承知おきください。
 ただ、そうは言いながらもこのコロナ禍の中で蜜を避けた自粛生活中心にあって、マスクをつけて活動して回るのもいかがなものかと、ついつい消極的になっていたのも事実です。
 そうしたところに、前述の声をいただいたことで、かなり気が楽になりました。そして、次のような川柳を届けてくれた方がいらっしゃって、気持がゆったり、ほっこりしたところです。いくつか紹介したいと思いますが、閑話休題のユーモア感覚でお読みいただければ幸いです。

「日帰りで 行ってみたいな 天国へ」
「延命は 不要と書いて 医者通い」
「3時間 待って病名 加齢です」
「起きたけど 寝るまでとくに 用は無し」
「誕生日 ロウソク吹いて 立ち眩み」
「留守電に ゆっくりしゃべれと 怒鳴る父」
「名前出ず あれこれそれで 用を足す」
「探し物 やっと見つけて また忘れ」

 いかがですか、顔が緩む感じの川柳ではありませんか。次のようなものも今回いただきました。「笑って免疫力アップ・・・18歳と81歳の違い」というもので、これは私も以前どこかで見たか、聴いたかした記憶があります。
「道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳」
「恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳」
「自分探しをするのが18歳、みんなが探すのが81歳」
「心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳」
「まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えてないのが81歳」
「偏差値が気になる18歳、血糖値が気になる81歳」

 さて、議員のくせに不謹慎だなどと思わないでください。人間は好奇心が旺盛の方が長生きすると言われます。しかし、このコロナ禍で行動力は発揮しずらく、家にいてテレビ、読書、音楽鑑賞といった日常的なものに加えて脳が活性化するためにもユーモアへの好奇心は欠かせません。私は基本的にユーモア大好き人間です。現実の社会にあって、笑いを友に気持ゆったり過ごすことは健康維持の面からも良好な影響をもたらすと確信しますがいかがなものでしょうか。
 最後に、肝心の「きずな№8」に関してご意見等いただければと思います。よろしくお願いいたします。

 

No.3362 令和3年は正常な社会に!

2021.01.01

ファイル 1280-1.jpg いよいよ令和3年の幕が開きました。おめでとうございますという言葉を発しにくい世情です。新年の空気はやたらと重い雰囲気を前年からひきづった状態で、それは大晦日の東京の感染者数を判断するならば更に悪化していることは間違いのないところです。
 コロナ発生時には4月ころには収まるだろう。オリンピックは大丈夫だろうと大方が考えていたにもかかわらず・・・アメリカ大統領選の混迷、安倍総理辞任といった日米政変に乗じて、中国の共産覇権主義が勢いを増しています。他にも中近東、欧州、アフリカ、南米といった世界各地のほとんどで落ち着きのない政変劇が常態化しています。この関係で詳細を語るのは又にしますが、とくに中国の香港対応や尖閣諸島への活動は異常性を増しているのが気がかりです。香港社会の自由と人権を抹殺した国家安全法こそは悪魔の法律と解釈している。それは正に民主社会への挑戦でしかない!

 今朝早朝の気温はマイナス6度でした。庭にある11のメダカ鉢すべてに厚さ5ミリほどの氷が張ったのも当然と言えば当然で、中には数匹動き回っているのもいますが、基本はエネルギーを消耗しないように最深部でじっとしています。ヒグマやシロクマに代表されるように厳冬期の哺乳類の多くは餌の確保がままならない越冬作戦として、動かないというのを生きる作戦にするようです。見ている限りメダカも同じかなと思います。
 今の人の生活も自粛という動かない日常で中共コロナに感染しないことが求められています。ところが、それはエネルギーを消耗しないためではなく、逆に疲れと老いが加速するような感覚に陥るほど、精神的には苦痛なことだと理解するに至りました。したがって、忍耐力の無い人は自粛の程度も感染への注意力も緩慢になりがちになるのは仕方のないことでしょう。とくに、有り余るエネルギーを発揮しようにも出来ない若い皆さんにとって、これほど生きずらい世情は無いだろうなと思います。令和3年が一刻も早く明るい正常な社会に戻ることを願ってやみません。

No.3361 自粛の理性が働かない原因

2020.12.29

 大晦日まで数日というのに報道される感染者は増加の一途にある。東京では1,000人を超えるのもそう遠くないのかもしれない。
 幸手市でもしばらくは20人程度で止まっていたが、ここのところ感染者情報の間隔が短くなり、まもなく50人に届かんとしている。
 国の対策も経済還流を重視する方向性が強く、Go toトラベルも28日から中止になったものの、ここまで有耶無耶な感じで続けられ、入国管理もようやく1月末まで制限された。いずれも甘い感じは否めずといったところ。もっとも、野党はその時々で主張を変え、基本は常に揚げ足取りのスタンス取りに撤している。民主主義の短所である意思決定に時間がかかるのは仕方が無いが、少数意見に耳を傾けるよと一部世間やマスコミも主張し、野党はそれに甘えるといった図式で進む。
今日の段階で立憲民主党の支持率は3%になったようで、揚げ足取り国会にスキャンダル好きの国民も辟易してきたことがうかがえる。やはり、国会議論は建設的な議論の場でなくては国民のための議会だ、議員だと言ってもその主張は見せかけに過ぎないだろう。

 それにしても、ある意味華々しく登場した菅政権だが、最近は学術会議問題、安倍前総理関係、さらに年末年始に向けたコロナ対策で混迷している感じは否めない。そこに外交問題が常態化していることも菅総理としては気もそぞろといったところなのだろうか。また、コロナ対策では国と医師会と国民の意識にギャップが深まるばかりで、自己防衛への不安とは別の不安がつきまとう。
 ところが、国会は安倍さん追及目的の取調室化している。どれだけの時間をこの問題に継続させる気なのだろうか。あきもせずという状況が立憲民主党の支持率3%の原因だと思うのだが・・・なぜ立民上層部はそれに気が付かないのだろうか。それでもなお安倍さん叩きなのだろうか。立民の安住議員も都内の一流ホテルで会費2000円の支援者パーティーを開催していたという事実は忘れてしまったようで見苦しい。
 マスコミは新聞やワイドショーで政権叩きに終始し、とくに安倍さんを政界から追放するチャンスと言わんばかりに、手を変え品を変えの様相を示している。5人以上での会食で大きな騒ぎもいかがなものだろうか。芸能ワイドショーでは、我慢している我々はどうしたらいいのかって思うとコメントするが、本当にあなた達我慢しているのかと問いたくなる。
 とりあえず、28日からトラベル禁止、来月いっぱい全世界からの入国禁止という指示が出たことには遅いと感じながらも安堵した。ただ、数日前に5か国で発見とされた変異性ウィルスがもう20ヵ国近くになってしまった事実には恐怖感が募る。土日のレストランやパチンコ店は駐車場がいっぱいだし、渋谷をはじめ繁華街の人出は一向に減る様子が無い。今、再度自分の身は自分で守るしかないことを言い聞かせることが求めらているのではないだろうか。

No.3360 議員とは?考えさせられる・・・

2020.12.24

 各地で議員の懇親会が問題視されている。愛知県西尾市では議会閉会後に定例的に行っている懇親会を14名で実施したという。3密、ソーシャルディスタンスを実践したかどうかは不明だが、今、この時期になぜ?という問題もあるが、最大の問題はコンパニオンさんがいたということではないだろうか。これも懇親会の定例であるとしたら、議員という職制に住民が大きな違和感を持ったとしてもやむを得ない。しかも弁明発言では、互いに酒を注ぐことを避けるためにコンパニオンさんを入れたという次元の低い言い訳を口にしている。これを聞いて、そんなことはない、毎回のことではないのかと思ったものだ。
 これについては、わずか5、6名で懇親会を実施した奈良県山添村でも同様で、いったい何を考えているのかだ。

 綺麗事を言うわけではないが、セッティングされているものを拒むことは出来ない状況で私もそういう場面に参加した経験は何度かある。その場を受け入れざるを得ない状況において、根本的に心から宴を楽しむということにはならないという心理が、疲労感につながるのが常だ。理由はいろいろ複雑なものがあるが、中には異常というくらい上から目線でコンパニオンさんに接するパターンあり、男の本能をむき出しにするパターンありで、そういう映像が目に入ることが不愉快で仕方がない。

 幸手市議会では以前、定例会ごとに懇親会が催されていた。この場には執行部も加わり、二元性議会の終了を互いに慰労する目的だった。過去にコンパニオンさんがいた記憶はない。その後、現在では毎回必要かどうかという見直しの観点にたって、6月と12月の定例会後に行われるようになったという。
 もちろん、今回は早くから中止が決まっていた。
 選挙で市民から負託を受け、税金で報酬を受けている議員は偉くもなんともない。先生などと言う呼称はおこがましいというのが私の持論である。いや、議員は街の発展と住民生活の向上及び安心安全のために働くものだが、はたしてそういう感覚ですべての議員がいるかどうかさえ何とも言い難い。

 わかりやすい例に国政があるが、委員会質疑などで互いに先生と呼び合っている。おかしなものだといつも思う。
 確かに、議員任期は参議院を除き4年保証、次なる保証を獲得するために結構な選挙費用を捻出しなければならない。好きで挑戦しているのだから当たり前だろうと言われるかもしれないが、厳しい選挙戦をくぐり抜けるのはなかなかなのだ。落ちればただの人。これも経験したことなので間違いない。
 ただ、だからと言って議員が特権意識を持つような行動は厳に慎まなければいけないというのも当たり前のことだ。出来うるなら、市民とも、職員とも対等の姿勢で臨み、議員として実質的な功績を積み上げられるように邁進するのが務めだと。邁進を慢心に置き換えてしまう議員であってはならないと改めて感じる議員懇親会報道であった。反面教師にしなければならないが、政治の世界には反面教師の材料が転がり過ぎているのも事実である。

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