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No.3350 語るに落ちる中国

2020.11.29

 師走もまもないというのにさぶい冬を感じさせない日々です。今のところ日課として続いている早朝散歩(自転車から転じて)ですが、続く原因は、地域の先輩の歩く姿に会うことで互いに元気づけられていると勝手に感じていることと、毎日のように目に映える朝焼けと日の出を拝むことが出来るからでしょうか。ありがたや、ありがたやといった感覚で日の出にこうべを垂れ、後光を浴びながら西に向かって葛西用水路沿いを歩くといったところ。太陽神が放つ光を受けることがいかに素晴らしいことか。これは人間にとって欠かすことの出来ない大切なことであると同時に権利なのだと思う。

 時折、当ブログでテーマにする中国の粛清、弾圧、侵略、隠蔽といった国家体質も、ここ最近は中国自体の世界を見下したかのような開き直り動向を見せつけるのが当たり前になっている。かの報道官の憎々し気な顔つきと発言は国家体質にどっぷり洗脳された共産官僚そのものに感じる。
 ウィグル、内モンゴル、チベット、インド、ブータンなどでの謀略三昧の実態は、香港問題でその状況はピークに達しているように思う。国家安全維持法という自由と言論という民主主義の原点を奪う法の制定によって、まさに香港は名前以外の全てが強制的に変えられつつある。思想思考が法律違反だとして議員資格を剥奪するなど民主主義国家であれば出来るはずもない。何か時代錯誤のドラマを見せられているような感じである。
 最近の中国で、尖閣問題とは別に憤怒の念が生じることが二つある。
 一つは、香港の高校の通識科という授業科目の内容を変更するというニュースだ。現状は人権問題や民主主義・民主化といった内容にも触れ、批判的思考能力を身につけるというものだが、それは、反政府抗議活動に傾倒する要因だと決めつけたのだ。結果、中国人としての認識を養成することを重視する内容に変更するというのだ。読売新聞の表現では、「香港、高校必修科目で教養教育を縮小し、中国人意識を養成へ」とある。順法意識や愛国心を育成し、本土視察もカリキュラムに入れるそうだ。なんということはない、洗脳教育そのものであり、これを聞くだけで、本土で行われている幼少中教育の実情が計り知れる。逆らうものは容赦無しは暗黙かつ当然のルールなのだろう。
 二つ目は、コロナの感染源は中国ではなく他国の可能性を指摘していることだ。コロナが終息した暁には、莫大な訴訟が待っていると言われて久しいが、それがためかどうかは決めつけられないが、ブラジル、オーストラリア、インドネシアなどからの輸入食品をあげ、これらに厳しい検査を施しているという。わざとらしい中国の手法と感じるが、また別の話として、ヨーロッパ諸国の哺乳類がコロナウィルスの発生に関わっているとも言い出している。とんでもないことを言いだしたものだ、その邪悪な発想力には驚かされる。責任転嫁も甚だしい。中国ウィルス、武漢ウィルスという言葉を世界はあえて使わないようにしているきらいがあるが、これはまぎれもなく武漢が発生源だとWHOの緊急事態対応担当者が発言している。私は、武漢の住民も被害者と考えられることから武漢ウィルスと言うのは反対で、中国共産党の為せることゆえ中共ウィルスと呼ぶべきだと思っている。中国人のすべてが覇権主義者ではない。隠蔽社会にあって事実を知らない国民が多いと思う。とはいえ、世界の人口76憶に対し14億人の国内人口を抱え、それ以外に世界各国に中国人は存在している。その人民全てが、国家総動員法が発令されれば、一斉に共産党の指示により行動すると考えると、都合のよい法律で一党独裁国家を維持する中国共産党がいかに危険な実態かは理解に容易い。トランプが言うアメリカファーストとは比較にならないチャイナファーストを中国が意図していることは間違いないところというのは考えすぎだろうか?
 

 自由と人権という人間生活の光を奪われかけている香港しかり、コロナで人的及び経済的打撃ををこうむっている世界各国にも1年前の光は失いかけている。これらが中国の地球統一にかける覇権戦略だとしたら尖閣などはいとも簡単に・・・戦々恐々である。

No.3349 走攻守すべてにパワーの差 

2020.11.26

 昨夜の日本シリーズ第4戦で今年のプロ野球の幕が閉じた。この4試合を見て、セパ両リーグの差を嫌というほど見せつけられた。セリーグの各チーム120試合のペナントの戦いはいったい何だったのかとさえ感じた。セリーグ全体のイメージダウンにつながったように思えてならない。
 第4戦の1回表、1番起用の若林と2番坂本の連続2塁打であっさりと点をあげた時、おっこれはいけるかと思ったのも束の間、無死で2塁に残った坂本をクリーンアップで3塁にも進めることが出来ず、6番中島がファウルで粘ったものの地を這うボールを空振り三振。実はこの場面で、10球目のファウルを打たれたピッチャー和田が苦笑いを浮かべたシーンがあり、アナウンサーもこれを指摘していたが、私はこの時すでにいやな予感がしていた。そして、その裏柳田の逆転ホームランが出たに及び、ことしのプロ野球の終わりを感じた。もはやジャイアンツには、大相撲の貴景勝のような闘志と技術力の双方ともに底力は残っていないと結論づけざるを得なかった。第3戦でノーヒットピッチのムーアを7回でモイネロ、森と継投させた定番スタイルの工藤采配も余裕の産物ではなかったか。

 よく、セパの野球の違いというのが話題になるが、何のことはない、結局のところパワーの差という単純な理由に行き着くシリーズだった。ここ数年、BS放送の影響でパリーグも含め一夜に数球場の生中継を観ることが可能になっている。なんとなく、ジャイアンツの試合にチャンネルを合わせる習性があるが、それでも他の試合を覘きに行くと、その面白さにそのまま見続けることもちょくちょく。それが年々高まる傾向にある。たまたま話題の選手が出ているということもあったりで、関心度の高い選手は昔以上にパリーグに多いという事情もある。
 実は、江川と桑田のドラフト事件後をのぞき、長嶋ジャイアンツ一筋の私であっても、ここ数年のジャイアンツには強くなければいけない伝統の巨人軍というイメージはもはやない。いや、本来スポーツの世界にそうした自負や驕りは意味がないと感じている。ジャイアンツプライドって何だろうとも。ジャイアンツが強くなければプロ野球は面白くないと言われ続け、私もそうだと思っていたが、長い年月をかけてそういう固定概念が私自身に無くなりつつあることを実感させられた日本シリーズだった。
 工藤監督の采配を感じさせないほど選手すべてが、持てる才能を目いっぱい発揮したソフトバンク。甲斐、栗原、牧原といったプロでは小兵の部類に入る選手たちのパワフルスウィングはジャイアンツにはまったく見られなかった。裏の事情はあるのだろうが、バレンティン、内川、長谷川といった選手は登録もされず、昨年のシリーズで活躍した今宮なども出番はなかった。なのにということである。
 思えば、原監督はペナント戦線で大きなリードをしたせいか、選手をあれこれ使い過ぎてオーダーに定着した選手が少なかった。後半、吉川、松原の1.2番コンビが固まったかに見えたが、それが確実なものでは無かったことがシリーズで、しかも最終戦ではっきり示された。昨年来、選手起用法に複数のポジションを守れる選手育成法を原点にするスタイルを原監督が進め、それが現代野球であるかのように持ち上げる風潮があるが、ジャイアンツがやることだから話題性が高いだけであって、それは結果的には浮気性的起用法とも言え、結局のところ固定的にポジションを獲得する選手は出ていない。

 ソフトバンク1強時代と言ってもよい現状は、数年続く可能性もあり、モイネロのカーブ見たさ?にパリーグの試合にチャンネルを合わせる時間がますます多くなるやもしれない。いや冗談はさておき、シリーズの前段階で、ソフトバンクに立ち向かうパのチームの出現を観る楽しみが増えたというのが正直なところだ。ロッテの佐々木が160キロクラスで快投乱麻とでもなれば、野球好きの眼がパリーグに釘付けになるのは間違いない。それはファンの誰しもが期待するところではないかと思うが、それ以上にセリーグの奮起を期待して、本年の野球談議の最終稿とします。

No.3348 政治家の信頼度

2020.11.23

 雨が無い! 暖かくて過ごしやすいのはいいが・・・野菜が育ち過ぎて収穫時期を速まらせるので2月頃に野菜不足が生じ、高騰化しないかという心配をする向きがある。なんでも度を超えると問題を生じるものだ。

 度を超えるのは政治の世界でもあるようで、政治家に対する世間の信頼度は低下するばかりだ。この場合は度が下がるということになるのだろうか?
 埼玉大学社会調査研究センターが定例化している政治選挙に関する意識調査の今年度の結果が発表された。毎回さいたま市民1000人を抽出して行われているこの調査は常にレスポンス率が6割を超える。今回は8月に実施されているが、コロナ関連への質問も含まれていて、政府に求める対策は全体で健康優先が73%、経済優先が26%となっている。内容的には60代以上では健康優先が8割を超え、18歳以上40代まででは経済優先が4割を超えている。リタイヤ世代と勤労世代の違いというと言い過ぎだろうか。

 問題の、掲題にあげた政治家の信頼度では「信頼出来る」がまあまあ出来るも含めて19%、「まったく信頼できない」があまり信頼できないを含めて76%となっている。これが問題と感じるのは、そもそも高い上に前回が71%、前々回が69%ということで、政治不信が増殖進行形であるということだ。
 国政を視れば、収賄、選挙違反、虚偽報告、権威主義、選挙目当ての組織や個人のパフォーマンス、公用車等の無駄遣いといった政治を忘れた政治家の実態が与野党かかわらずの噴出状態。加えて、政策議論よりはスキャンダル追及批判や言葉狩りに時間を費やし、国民生活を二の次にする始末。
 地方では議員志望者が少ないことも社会問題化している。女性議員を増やせとか女性役職者を何割にしようとかの話もあるが、私は能力の個人差はあっても性別に個人差はないと考えているので、女性を何割にとかいう理論はさしたる意味は無いと感じている。有能な人であれば男女の比率は問題ではない。人生経験上から政治にも主婦で子育て経験のある女性が必要だという理論はわからないではないが、男性が女性の代弁をすることは可能だし、その逆もまた可能だと思う。男性の働き世代が、けっして報酬が多いとは言えない、しかも定昇の無い議員志望をしようとはしないからといって、リタイア族や女性の政治進出を理想だとか、これからの政治の在り方だと言うのはいかがなものだろうか。それは、本来の政治の質の向上とは無関係だと思う。立候補は法律に則った形で年齢の下限制限はあるが、それ以外はないのだ。誰でも我と思わん者は政治家になれる。
 それよりも、前述した通り個々の資質の問題なのだ。なんの為に議員を志望したのかという問いが常に頭をよぎる。選挙では街のため、市民の為であったものが、議員経験も深くなると自分の為といったニュアンスが多くなる人も少なくないということだろうか。多数決の世界にまみれ、政治家でいることがいつの間にか自分の為と割り切る形で、信念が移り変わるのが政治の世界ということかもしれない。
 議員である自分が言うのもおかしなものだが、人間としての資質能力に欠ける輩や、能力があってもその使い処が間違っているといったパターンもあるだろう。もちろん、当選回数とともに素質を開花させていく政治家もいる。
 議会は大小かかわらず伏魔殿的要素を持っている。それは多数決によって与党野党に区分けされることと、収入面でも差異が生じる議会役職の存在に意味がある。これらに執着するのは、政権側にいれば要望実現の可能性も高くなり、役職と共に次期選挙に影響をもたらし、かつ見栄と誇りと同時に権威までをも保持できると思考する傾向によるものだろう。しかし、それは違う。
 政治家が国家官僚もしくは自治体職員を下に見て、怒る、怒鳴る、恫喝するといったことなど日常茶飯事のようでもある。県議時代にそういう議員が何人かいたが、国会でも野党が官僚に対して行うヒアリングでは、感情むき出しで容赦なく口撃する場面が多いという。確かに公務員全てが働き者で国民市民の為に働いているとは言えない場合もあるだろう。しかし、それを言う前に自分の足元を照らすべき政治家が多いということではないだろうか。私自身、経験と視野はそれなりに深めたとの想いはあるが、いろいろなパターンの政治家によって、レスペクトしたり、反面教師にしたりで、日々是精進なのである。
 76%の政治及び政治家不信が今後ますます深まるのか、改善されるのかはわからないが、政治が無くなることはない。
「奢侈政治、みんなで渡れば怖くない」だとすれば不信レベルは高まるばかりだろう。そうならない為にも、最も見本となるべき国会議員が襟を正してくれることが、地方の若者が地方の政治にまずは関心を持ち、いずれは大志を抱くことにつながるものと思うのだが、事はそう安易ではないとも思っている。

No.3347 ISS しっかり見えた!

2020.11.21

 今夕、午後5時40分頃のこと、タウンパトロールと称して行っている地域内防犯パトロールの実行中、話題の国際宇宙ステーション(ISS)を見ることができた。いや、この情報知ってはいましたが、この時点ですっかり忘れていたのです。幸いにもと言うべきか、パトロール中に通り沿いのお宅から男性がやおら走り出て、直後に女性が慌てた様子で男性を追いかけたので、いったい何があったのかとパトロール感覚でその先を追ったわけです。すると、男性が指を空に向け「あれだ!」と大きめの声を発するではありませんか。その瞬間、あっISSだとわかりました。皆で一斉にはるか上空を見上げると・・・いたのです。明るく光り、かすかにあの形だとわかるような物体が少し北、わかりやすく言いますと幸手から利根川の上空を見る感じと言ったらいいでしょうか。全体の大きさがサッカー場1面くらいだそうですが、かなりくっきりと電球色というか金色の光を発しながらけっこうな速さで北東に向かっていました。残念なことにスマホを持参してなかったので撮影できなかったのが悔やまれます。
地球から350キロほど離れた特殊な軌道を90分程度で一周するとのことですが、時速換算するととんでもないスピードになります。あの中に野口さんがいると思うと不思議な感覚になりますが、同時に野口さんが夢を運んでくれているとも感じます。
 明日は夕刻6時台になるようですが、見ることができるということです。それと、今は木星と土星が月の近くで仲良くしています。ISSを見た時間ですと南西の方向に見ることが出来ます。そこから左に転じると火星も。
 双眼鏡でも持って行ったら、土星の例の帯が見えると同時に国際宇宙ステーションの羽の形状までくっきりと視認できるかもわかりませんよ。私もわすれさえしなければ撮影目的で出かけてみようかと思います。

No.3346 コロナ恐るべし!

2020.11.19

 昨18日、全国で2000人超え、東京の493人の陽性者報道に驚いた方がほとんどだったのではないでしょうか。私もドキッと感に襲われましたが、と同時になぜ?という疑問が直ぐに頭をよぎりました。過去最多という文字はここのところ聞き慣れていたつもりですが、いきなりのハイジャンプ数値はどう理解したらよいのかという感じではないかと思います。
 今の報道状況は、個人情報及び人権問題を優先することで、詳細な感染場所や感染経路は知らされないシステムです。それはそれで理由がはっきりしていますし、その心配は現実にも見られるようですのでやむを得ないと理解しています・・・がしかし、単にPCR検査受診者が増えたことに比例した数値ではないような気がしてなりません。もちろん、その影響もあるとは思いますが、東京都の年齢別陽性者からは若い世代に増加傾向が顕著にみられるということで、11日のブログにも書きましたが、Go Toシリーズの解禁によって、人の気持ちが一気に解放感に覆われたということではないかと思えてならないのです。それが証拠に、週末の食事処やホームセンターでは駐車場が満杯の状態です。我が家ではしばらく外食はしていないものの、スーパーやホームセンターには買い物に行きますが、土日に行くのは控えようということにしました。
ファイル 1263-1.jpg 東京の夜の飲食業の風景をテレビで見る限り、立派な賑わいを見せています。会話も笑いも通常と変わりない感じです。
 自粛生活から生じる閉塞感(飽きたとかつまらない感)は私たちの年齢でもありますが、とくに一人住まいの若い世代では、その閉塞感に耐えられない人がいてもおかしなことではないと思います。そういう意味では、必ずしもGo To Travelは利用していなくともGo To Eatは若い人中心に利用されているのではないかと。もちろん、北海道を始めとした全国的な増加傾向は旅の影響もあるとは思いますが、東京や大阪の数値には何か違うものを感じます。観光業や飲食業支援の国の施策も国民それぞれのモラルやマナーをベースに講じられるものと考えると、その信頼性を確保する難しさを痛感する次第です。
 すでに北海道では夜10時までの営業という従前の状況に戻る依頼が発せられたようですし、緊急事態宣言の再発令がないとは言えません。
 ファイザーやモデルナのワクチンに期待が集まって、株式は上昇を続けているようですが、実態経済は各種業界の大手チェーンが閉店数を増やしたり、多くの部品メーカーを傘下に抱える国産ジェット飛行機の開発が中止に追い込まれるなどといった情況です。また、学生の内定率が60%台に落ち込むなど、コロナによる就職氷河期が本格化しないとは限りません。
 今は、ひたすらワクチンと治療薬の完成が待たれます。

No.3345 これほど嬉しいことは・・・

2020.11.16

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 スカッとした好天が続き爽やかな秋。行楽といった気持ちは幾分引き気味ではありますが、太陽がもたらしてくれる恩恵をありがたく感じる日々です。
1度くらいは、どこぞでもいいから紅葉を拝みたいと思うのですがさてさて。

 一昨日の土曜日、庭でメダカに餌をあげていたらインターホンの音が。家内が○○さんよーと言うので、急いで玄関に回ると嬉しい来客が立っていました。訪れてくれたのは、近くに住む長倉小低学年の女の子で、おばあちゃんと一緒でした。そして、写真の絵を!!!
 なんでも優秀作品に選ばれて、今話題の幸手駅ギャラリーに展示されていたそうなんです。それは知らなかったので、残念ながら見逃しましたが、私の心が小躍りするほど弾んだのが絵の構図です。
ファイル 1262-1.jpg 子どもたちの朝の登校をテーマにした絵ですが、構図の中心にいる大きな人物がなんと私だというのです。私を書いてくれたこと自体嬉しいことですが、子どもたちの後ろにパトロールの私が描かれているのが子どもの感覚ではないかと思うのですが、この子は私を中心に書いたと言ってくれたのです。感激もひとしお、おばあちゃんと一緒に「いつもありがとうございます」という言葉までいただいて、ここまでのことを思い出しました。
 平成元年8月に大宮から幸手に越してきた我が家。当時香日向小は建設中で5年生の次男は長倉小へ。約半年ほどの期限付きでしたので若干遠いと感じる通学には何の問題も感じませんでした。ランドセルが小さく見える5年生ということもあったのでしょう。翌2年の4月に開校した香日向小に6年時から転校、いわゆる香日向小第一回卒業生となりました。
 それから丸22年を経て、児童数が最盛期650人ほどだったのが50人を割るほどに激減し、平成24年3月香日向小は閉校になりました。閉校にあたり、ボランティアクラブの方々に山車の作成を提案依頼し、山車にぶらさがる提灯に最期の6年生に言葉を書いてもらいました。それと、香日向を流れる大中落としには5つの橋があるのですが、これに閉校記念として子どもたちに名前を付けてもらうと言うのはどうかと教育委員会と校長先生に提案しました。どちらも実現の運びとなりましたが、あまりにも早すぎる閉校と地域から子供の声が聞こえなくなることに対して少しでも想い出を残せたらという単純な想いでした。

 その後、同年4月8日のこと、新しく長倉小に通う子どもたちを毎週火曜日から金曜日まで登校パトロールするようになりました。県議当時のことでしたが、視察出張等の所用が無い限り議会当日も20分ほどの立哨をやるのが日課になりましたが、その時間の関係で本来の立哨地点はコミセン前ですが立哨地点が多いことはいいことだと考え、家に近い香日向駐在所前でやるようになりました。かれこれ9年近く、今も続けていますが、始めたころの6年生はもう立派な成人になりました。その子たちが会えば挨拶してくれるのがまたなによりの喜びです。
 後ろから見るとランドセルが歩いているような1年生が、35分程度の道のりをかけて登校する姿に、今日も頑張って!という気持ちです。辺境の地の子どもたちとは比較にならないかもしれませんが、車も多く、おかしな人もちょくちょくといった情況から子どもたちを見守る目的もあります。
 ところが、初めてまもなくのことです。子どもたちとの毎朝の逢瀬で元気をもらっているのが私だということに気づいたのは。

  届けてもらった絵を写真に収めさせていただいたのは当然で宝物をいただいた気分になったのは言うまでもありません。
 実は今、このスクールガードのメンバーに不足が生じています。皆、頑張って続けてくれているのですが、高齢化の波は全国的にこうした活動組織にも顕著になっており、香日向ボランティアクラブも同様の傾向は否めません。クラブメンバーではなくスク-ルガード専任のメンバーということでもけっこうですので子どもたちを優しく見守る活動に我こそはと思わん地域の方をお待ちしております。担当は週に一度です。もしもの場合、私まで連絡いただければと思います。

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