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No.3509 自民党市議団の要望活動

2021.12.16

 16日9時、自民党市議団では木村市長と和栗副市長に以下の要望をいたしましたので報告いたします。
ファイル 1430-1.jpg 経済への即波及という意味でクーポン案が出たといういきさつもありますが、時間がかかることや事務コストが嵩むことへの問題指摘を受け、政府は現金給付も良しという結論をくだしました。
 年内も残すところ2週間たらずという段階で年内一括現金給付がシステム的に可能かどうかということもありますが、民意がそれを希望するなら、まずはそれに添うことが可能かどうか、職員の皆さんの繁忙度は大変だろうとは思いますが、市民のために飽くなきチャレンジをしてもらいたいと考えての要望行動です。そこのところは、年内5万円支給後の年明けにクーポン券5万円分を配布する準備が無くなるわけですから比重を何処に置くかという考え方次第ではないかと思います。

 

No.3508 宣誓書議案に修正案

2021.12.15

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 №3505でお知らせした件に以下のような動きがありました。
 幸手市議会12月定例会議案第77号は、職員の採用時に書面をもって提出する宣誓書への署名押印を無用とする条例改正です。それについて、9日に行われた本議会での議案質疑でこの案件について質疑をしたのは私だけでした。
 お伝えしたように、民間で20年人事を担当した私としては、宣誓書の文言様式からしても民間で言うところの誓約書以上の意味を持つ宣誓書に押印のみならず署名まで無くしていいのだろうかという疑問が拭えませんでした。中途採用でも心新たにという意義があるでしょうし、基本的には学生から社会人になる節目の時の決意を自らの署名によって相手に示し、自らを鼓舞するという目的や意義があるのではないかと思う次第です。
 国の指導も署名まで無くす対象には含んでいないということのようで、他の街では、私の考え方に通じた内容に議案を修正した自治体もあるというのです。
 13日に行われた総務常任委員会に付託されたこの改正案に、数人の議員が質疑する中、署名だけは残すという修正案を議会提案してはどうかということになり、修正案を取り纏めた後の翌15日に再度委員会を開催し、全会一致で可決されました。私は総務委員会のメンバーではないので、本議会で質疑通告したわけですが、会派同僚の木村、坂本両議員もこの条例改正に対する疑問から委員会で質疑してくれたそうです。
 私は9日の質疑の最後に、すべからく国に右へならいではなく、内容によっては幸手としての独自性やアイデンティティーを打ち出しても良いのではないかと市長に質しましたが、市長も今後はそのような姿勢で臨むと答弁されたところでしたが、早くも当該案件で議会側からそうした結果が生まれることとなった次第です。
 いきさつがどうあれ、公務員として採用される際のたった一度の宣誓書の氏名がパソコン文字にならずに良かったと思います。本人が自署するということがどれほどの意味を持つかということについては人それぞれの考え方があるとは思いますが、ハンコは無くともサインは残そう!という単純明快さでの一件落着となりそうです。というのは、まだ委員会での可決段階であって、21日の最終日本会議で可決されるかどうかです。ただ、10人構成の委員会で全会一致したわけですから本議会でも可決は問題ないものと思われます。

No.3507 差別と好き嫌いは別 

2021.12.15

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 差別を声高に批判する人に差別を助長する言動が少なくない世の中。この前号の内容に多数の反応をいただきました。組織も個人も、それぞれが生きていく上で信念を隠して世の趨勢に合わせる社会構造。その都度、協調や寛容という言葉が都合よく飛び交うことが許されるご都合主義の社会。そして、気が付いたらジェンダーという言葉が慣用語になりつつある。日本語で絶対的な言葉が見つからない感じですが、いろいろ調べると男女の性差ということになるらしい。
 今日のNHK朝いちでは、職業別に男女比率がどうなっているかなど性差関連の内容を取り上げていました。思うに、女性の社会進出というテーマに限るならば、慣例的なものや印象的なものがあるにせよ、ダメだというものはごくごく限られています。例えば、高校野球全国大会のベンチ入り、大相撲の土俵に上がることなど伝統的なものを除くと、女性進出を阻むものがそうそうあるわけではありません。そもそも、女性の社会進出と前述の2例は同等に論じられるものではないでしょう。要するに性差に関係なく、どの職業世界を希望するか否か、その意思があるか否かが問われるのだろうと思います。
 そうした社会動向は、ジェンダーが慣用語化するかなり前から変化していたことだと理解しています。
 女性の役職者や経営者が少ないというのも、たまたま全体比率の中で出世する率が関わることであって、女性では能力が劣るといった男高女低の思考は体力的なものを除けば現世から消滅しつつあると思います。「いにしえの男尊女卑」を否定するものではありませんが、この50年で世の中は様変わりしたと感じています。女性起業家、老舗の後継者等々、上げたらキリがないほど立派な女性がたくさんいます。
 政治に関わる人は男女の別なく多くは高身を目指しますが、行政職となると高い立場を望まない傾向があると言います。それはわかりやすく言えば、地方議会では課長になると委員会答弁を求められます。部長になると本議会答弁となります。国政では厳しい野党のヒヤリング攻勢に深夜まで対処することもあります。モリトモ問題での自殺者もそれが原因だとの話も出ています。求めに応じて資料作成もしなければなりません。
 幸手市議会はそんなことはありませんが、県議会も国会も議員には平身低頭の姿が普通です。私の経験上も議員様様先生でした。私は議員は先生ではないと言いつづけていますが先生だとばかりに胸を張る議員もいるのです。
 余談が過ぎましたが、そういうことで上級職になりたがらない女性が多いという現実があり、男性にも少なからずいるというのですから世の中変わったものです。

 
 男女に限らず森羅万象に対して、人は好き嫌いという感情を持つ生き物であり、それが無い人はいないでしょう。それを口にする程度にもよりますが、それを差別だという風潮があることがいささか差別理論の行き過ぎかなと感じる昨今です。
 また、ジェンダーフリーをいいことに女装をしてトイレや風呂に入り、盗撮や接触の類の犯罪が増えています。それどころか、ある自治体ではカミングアウトを宣言した元男性?が女性トイレを利用していいかどうかで揉めた事実もあります。裁判沙汰にあるようで、まさに世の中変わったなあということですね。実は、ジェンダー理論に納得しない女性もかなりいるようで、声を上げないだけという話もよく耳にします。
 女性が入ると会議が長くなると発言した途端、それ行けとばかりに東京五輪組織委員長の森喜朗氏批判が高まり、時を置かずして辞任に至りました。言葉だけ考えると、差別ではなく森さんの個人的考えと感じていたら、メディアの猛攻撃は一大事件の扱いになってしまいました。おそらく「だから女性はいない方がいい」という思考が奥底にある発言と見なされたのかもしれません。しかし、あの時の一部メディによる政権批判に結び付ける偏向報道ぶりはかなりのものでした。今でもそうしたメディア自体が発する差別報道は止むことがありませんが、日頃、差別を声高に叫ぶ人たちがそうしたメディアを批判することはほとんどないのです。

No.3506 差別批判に差別あり

2021.12.13

 日増しに気温が低下し、体調管理に気を遣う時期になってオミクロン株の濃厚接触者の不明度増加という事態が加わり気の抜けない師走となっています。
 世界を見ると、良くも悪くも、悪くも中国が話題の中心にいる昨今です。北京五輪への各国の対応が微妙な時期に差し掛かっていますが、日本の方針はどうも煮え切らない見解でここまで来ています。総合的に判断するという林外務大臣の発言は作日のことです。五輪となると問題は選手のことになるわけですが、考えるべきは五輪は平和の祭典だということかと思います。だから、政治問題や思想イデオロギーを持ち込むべきではないというのはあるにせよ、開会国にその平和をナイガシロにしている現実がある場合どうなのかと考えることも間違いではない。そもそも世界平和論を語るならば、国家間の軋轢や特定国の領土拡張覇権主義が紛争のマグマとなって戦争を引き起こすと考えれば、政治問題も思想イデオロギーも平和に関わるものであって五輪にも無関係ではない、いやむしろ大いに関係があると考えられます。
 そこで、思い出すことは4カ月前の東京五輪です。選手の感情を考えることなくコロナを盾に反対運動を続け、開会式会場でも大規模な反対プロパガンダを繰り広げていた思想イデオロギー運動を特定の反日メディアは当然のことのように伝聞しつづけました。それは、まさに政権批判ありきそのものであったと思います。まだ数カ月前のことですが、野党議員の国民の命を無視していいのかといった類の発言が新聞の一面に掲載されることも少なくありませんでした。ちょうどコロナ感染がワクチンのおかげで沈静化しはじめた頃のことです。
 結果として、五輪は成功だったと感じている国民が約7割にのぼったことが示され、政府判断は間違ってはいなかったわけです。
 そこで最近感じることは、開会式が始まっても現地で五輪反対運動を行っていた左派系思想家たちから、中国のジェノサイドに対して大きな問題提起が為されることはなく、静かになっていることが不思議に感じられてならないのです。
 この問題は、確かに五輪とは関係の無いところで中国の持つ民族差別運動にどう海外が反応するかということですが、結局、中国に反省も生まれない状況で平和の祭典を開催する資格があるのかという点を指摘されており、これもまた当然のことでしょう。日本では昨今、いろいろな事象を差別問題化して政治的プロパガンダに利用する風潮が高まっているわけですが、ならば、全体主義の中国やロシア、ベラルーシなどで行われている「命を軽んる統制国家」に対しても声を上げるべきではないかと思うのです。国際社会は情報のスピード感によって正に世界は一つと考えるべき時代でもあろうと。
 このように思うと、日本の差別批判思想は状況と相手次第で使い分けるご都合主義の身勝手なものだと言わざるを得ず、こうした差別イデオロギーの実態こそが中国的体質を持っていると感じる次第です。
 いま、テレビは高市早苗政調会長の予算委員会質疑がされているところです。経済問題に続いて中国問題を指摘した質疑をされています。ジェノサイドに限らず香港しかり、中国・台湾問題も対岸の火事ではなく、日本として中国に自由と人権の観点からはっきりとした意志を示す時ではないかと思います。中国に綺麗事は通用しない。そう感じるこの頃です。

No.3505 議案質疑から

2021.12.10

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 昨9日は執行部提出議案に質疑日。この議案質疑も3日前の12:00期限で通行をしておく制度となっており、一般質問と違って毎回5人程度しか通告する議員はいません。というのも、その後に常任委員会が控えているので、そこで一問一答形式で質疑出来るというのが理由となっています。ただし、3つある委員会のうち所属するのは2委員会ですので、残りの一つに付託された議案は本会議で質疑しなければならないということになるわけです。

 私も毎回するわけではありませんが、今議会では所属外の総務常任委員会に付託された議案に質疑通告をしたものです。その通告内容は・・・
議案第77号 宣誓書への署名押印を廃止する条例改正の根拠と是非について
 でした。この宣誓書というのは昭和29年11月29日に施行されたものを、国の指導によって改正するというものですが、押印はまだしも署名まで不要とする宣誓に意味があるのかということに疑問を感じての質疑通告です。これでは、宣誓の形骸化もしくは骨抜きではないかと!
 宣誓書には次のような目的及び意味があります。
①憲法の尊重と擁護
②忠実と誠実の義務
③職務上と身分上の義務
 参考までに③の身分上の義務は地方公務員法に次のような定めがあります。
★信用失墜行為の禁止(第33条)
★秘密を守る義務  (第34条)
★政治的行為の制限 (第36条)
★争議行為等の禁止
★営利企業等の従事制限

 
 公務員の宣誓書の内容は、職種別に宣誓書文の様式が異なります。たとえば、人事院、裁判所関係、警察、消防、教員等々、自衛隊などは身分別に9種類もあります。目立つ点として、どの宣誓書にも日本国憲法に対して服従、従う、遵守、尊重、擁護などのワードが見られます。
 民間企業が採用時に書かせる誓約書は、この憲法に関する部分を除けばほぼ類似した内容と言えます。職務遂行にあたり会社に信用及び経済的な損害を与えることのない点に主眼を置いた内容です。
 しかも、普通に考えれば社会人になる人生の節目に採用された団体に提出する宣誓書に署名もしないというのはいかがなものかと思わずにいられません。

 条例に記されている宣誓書文は次の内容です。
 私はここに主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、かつ、擁護することを固く誓います。㊞
 私は、地方自治の本旨を対するとともに、公務を民主的かつ能率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として誠実かつ公正に職務を執行することを固く誓います。氏名○○○○ ㊞

 この最後の署名押印を不要とする議案なのです。今日の総務常任委員会で、押印のみはずし、署名は残すという修正案を委員会として提出するという案が出たとの連絡が入りました。さて、皆さんはどう思われますか。

No.3504 一般質問から

2021.12.06

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 3日に終了した一般質問。既報の通り、私は3点の通告に基づき質問しましたが、小学生14人が7人づつ30分交代で、たまたま私の質問時に傍聴してくれました。多くの傍聴者を後ろにいただき、適度な緊張感を持って質問するのはなかなかいいものだと久しぶりに実感しました。9月議会では傍聴を控えていただいたり、この2年間はコロナの影響で3密回避など議会運営も苦心苦労の中での運営となっています。
 さて、香日向中央通りの騒音・震動問題では当日朝のパトロール時に、ちょうど通過した轟音車両をビデオ撮影できたこともあって少々力が入りました。というか他の二つ以上に時間をかけることになりました。もちろん、現在はスマホ利用が許可にはなっていないので、議場内で披露するわけにはいかないのですが、その轟音だけでも聞いてもらいたかったという思いでした。
 安心安眠の影響を受けている住民の事を考えるとそのままにはしておけないと思います。しかし、結局のところ県が管轄する警察が通行規制に動くかどうかということになるわけです。県議時代から要望している国道4号の右折解除もさんざん市議会でも論議されているのに実現しないということを考えると簡単なことではありません。
 久喜市側のさいくり線からこの通りに入る際、右折する車両が長い列になる危険性も合わせて訴えましたが、市町行政ではどうにも動かしがたい壁があるということです。
写真の車両は、まるで戦車のような迫力で信号ストップ時と発信時にとてつもない轟音を発していました。なぜ2車線の県道を通らないのか、皆さんそう思いませんか。
ファイル 1425-3.jpg

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