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No.3563 惜しまれる死

2022.05.10

 このところ、深夜から朝方にかけて春をどこぞに忘れてきたかのようだ。冷え込むという表現まではいかないものの異様に寒い。7時過ぎに外出するので、アンダーシャツを長袖に、その上からシャツ、ジャージと重ね着するほど。ところが、その後時間の経過とともに徐々に変節する陽気に体調管理も容易ではない。外は暖かいが家の中はなんとなく冷えており、暖房をかけたくなるほどだ。
 体調管理には、着たり脱いだりを面倒がるのは要注意だということを、昨今の陽気は教えているよう。なかなか冬物をしまえない日が続く。

 そんな陽気のせいかどうか・・・国際政治学者の中山俊宏さんがくも膜下出血で急逝された。先月末、いわゆる数日前にプライムニュースでウクライナ有事に関連する国際情勢を語る姿に接していたのでこの訃報には正直驚いた。まだ55歳という若さで、今後の活躍が期待される方ではなかったかと確信していたので尚更である。論理思考や論調ぶりが、尊敬の念を持つほど好感度の高い方だった。冗長にあらず、わかりやすくポイントを指摘する語り口調は、切れるというかシャープな感覚を聴く者に与える論者だった。
 言わずもがなのわかりきったもしくは何を言うかが事前にわかるようなキャスターやジャーナリストが多い中、中山さんの発信する内容は常に新鮮なものだった。ワシントンポスト系の記者上がりということもあって、アメリカ政治に精通していたこともあってか、大学教授のみならず日本政府にも重用された方でもあった。
 中山さんは、私の記憶では一昨年の大統領選挙の頃からメディアに登場するようになったと思うが、新鮮で知見にあふれた方だという印象を与えてくれるのに時間はかからなかった。
 私も人前で話すことが少なくないが、語りに関する大切なこととして、内容以外にも、スピード、トーン、顔つきに至るまで参考にするべき人だと感じていた。もちろん、出来る出来ないは別の問題で、学ぶべきは学ぶという姿勢はいくつになっても必要だという意識である。世の中、反面教師も良面教師も常時学びの対象なのだ。
 謹んで氏のご冥福をお祈り申し上げます!

No.3562 国旗掲揚と憲法改正

2022.05.06

ファイル 1489-1.jpg GWも終盤。憲法記念日、みどりの日、子どもの日と続いた祝日が過ぎた。
祝日イコール旗日ということで、写真のように日の丸を掲揚しているが、4日に日帰りながら少々の遠出をしたところ、群馬県のある町では目貫通りの国道沿い数百メートルに、一定の間隔、同じ高さでズラーと日の丸が! よく見ると商店街の街路灯に国旗掲揚の為の器具が取り付けられている。これはなかなか見るものがあった。
 どういった経緯でこのような街路灯掲揚になったのかはわからないが、いずれ確認してみたいと思う。国歌国旗に反対する政党があることを考えると、この地においてもそうした思考の議員や住民もいるはずで、ましてや町がこうした動きに予算補助をしたとしたら、議会ではどんな議論があったのだろうかなどなど興味は尽きない。残念ながら、見とれるばかりでシャッターを切る間もなく通り過ぎてしまったのが悔やまれます。
 羽生や行田でも農村部では国旗を掲揚の風景を多々見る。なぜか幸手市ではそうそう見かけることがない。

 憲法記念日には全国各地で関連イベントが行われた。気になるのは、改正反対派いわゆる護憲派政党やその種の論説者たちの発言だ。
 立憲民主党などはウクライナ有事にかこつけて憲法改正を唱える状況に異論を発する始末。憲法改正は自民党の党是であり、ウクライナ有事とはまったく関係なく改正への動きを示してきた経緯がある。「我が党は護憲ではなく論憲だから議論はやぶさかではない」と言いつつ、根は反対なので憲法審査会は理屈をつけては欠席を繰り返すなど、国民目線と乖離した動きをし続けている。
 共産党は言わずもがな。自衛隊は憲法違反だが有事の場合は活用するという委員長発言は、自衛隊員のみならず家族関係者に失礼この上無い。

 また、ある報道記者は「ウクライナ問題をきっかけにアメリカの言うことに従って我が国は戦える国になろうとしている」と反対集会で発言している。アメリカとの安全保障は重要であり、それ以上に重要なのは自らが国防力を強化することだ。欧州列国を見ても当たり前のことだ。今更地勢的見地を言うまでもない。少なくとも、専守防衛力も現状ではそれを確実に支えるだけのものはない。海中から核ミサイルを撃ち込まれた場合の防衛力などほとんど無いのが現実だ。戦える国にならずして戦えない国のままでいいのか!である。
 こうした考え方をすぐに右翼と評する向きがあるが、左翼思想の反対がすべて右翼思想であるかのような風潮はいかがなものかである。天皇制及び国歌国旗を敬い、国を愛するがゆえに国を守るという単純明快な考え方は、愛郷心、愛国心そのものである。先進国の多くに社会主義政党は存在するが、日本と異なり、自国を守るという論点にはほとんどズレはない。西側のヨーロッパ諸国でNATOに加盟せずとも反対する国も政党も無いというが、これは日本との決定的な違いである。
 国を愛するということは、国を守ることにも結び付くことで、ロシアのような国、プーチンのような国家指導者がいるという事実があるからこそ、防衛力を高めるのは必然的な思考となる。
 憲法9条が国を守る? 強権侵略国が他国の憲法を守ると考えることは危険思想ではないかと思うが。

No.3561 ナンジャモンジャの木

2022.05.02

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 気温差大、天候の移り変わりなど、気が滅入り、体調管理にも気を遣う陽気が続いています。そんな状況に元気を貰うのは、やはり街風景に彩りをつけている花々ですね。
ファイル 1488-1.jpg 写真は、毎年のようにメディアに取り上げられている元幸手市長の町田英夫さん宅に咲くナンジャモンジャの木です。数本のナンジャモンジャが各々雰囲気の異なる開花状態で見る者の目を楽しませてくれますが、正面から全景を楽しめるこの木が訪れる人々の目に留まるようです。
 ヒトツバタゴという名称がいつのまにかナンジャモンジャとして呼ばわれるようになったそうですが、枝が見えなくなるほど雪の花がまとう姿は、桜の終わった後の四季の彩りとして目に鮮やかです。
 ゴールデンウイークの間はこの姿に触れることができるそうです。町田夫妻が来観者に丁寧に応対されることもナンジャモンジャと共に評判となっているようで、毎年のように訪れる人がいらっしゃるということです。

No.3560 知床遊覧観光船事故

2022.04.27

 23日に発生した知床遊覧観光船「カズワン」の事故は、情報が深まるほどに人災の領域を色濃くしている。それは以下の報道からもそれを如実に示している。
■運行会社社屋の無線アンテナが破損していた。
■船の洋上位置を確認するためのGPSが取り外されていた。これに対し海保は21日の点検時に取り付けの指導をしていた。
■そもそも、同船は昨年の6月に座礁事故を起こしていた。
■船長、甲板員などの乗組員がほぼ素人に近い経験未熟な船員だった。

 以上を鑑みると、オホーツクは天候急変が珍しくなく急な高波が発生するなどといった自然の驚異を事故原因にすることとは無関係に思えてくる。むしろ、そうした天変に対応するというか立ち向かう姿勢・・・それは旅客船事業者としての経営理念とも言うべき安全管理精神が欠如していた事実に驚く。
 詳細はわからないが、海上運送業には安全管理規定が定められているはずで、たとえば、GPS搭載が法的に義務付けられていないというのも事の重大さに一役かっているということではないだろうか。事故の2日前にチェックしたのであれば、取り付けを確認するまで運行することが出来ないようにするべきだろうし、GPS搭載認定標記マークを発行して船に張り付けるなどの規定があってもしかるべきではないかと思う。まずは、最低限取り付けを義務付ける必要があるだろう。走行領海次第ではロシアに拿捕される海域でもあるのだから、法改正及びその強化がなされるべきである。
 関係者の人知経験といった観点では、どういった内情と経緯がこの会社にあったのか具体的にされていないが、採用自体にも不明瞭な点があるようだ。

 全国各地に遊覧船を売りにした観光地は多々ある。そもそも水上にいるというのは爽快な気分になるもので、それが湖上遊覧と違って外洋遊覧はスリルと迫力といった面では観光のハイライトに近い。知床遊覧は、一般的になかなかいくことの出来ない北海道観光の華とも言える。船の安全管理状況を確認する余裕などワクワク感でいっぱいの観光客にはないはずだ。その観光客が知床を満喫するどころか命を奪われてしまった。これが人災だったとすれば 亡くなられた方も、遺族の方々も無念な思いが募ることだろう。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

No.3559 目には春爛漫でも・・・

2022.04.23

 気温の上下差は身体にこたえるが、日々目に入る街風景は春の情景を増している。
 家々の植栽のツツジがそれぞれ色合いを整えながら面積を増やす変化を見て、命の不思議を再認識したり、知人に教わった小さな鉢に観賞用菊の挿し木作業をし、その10㎝ほどの姿が元気にしているかどうかを朝な夕なに気にしたりと、時間の合間をぬって春を楽しんでいいる。
 とは言いつつも、なぜか心が晴れない。コロナのせいもあるのだろうが、やはりウクライナのことが思考の多くを占めているからだと思う。頭に破片を受けて命を取り留めた13歳の少女をみたが、これが氷山の一角かと思うといたたまれない気持ちになる。マリウポリの製鉄所地下に閉じこもった民間人は、ここをハエ一匹通れないように封鎖しろというプーチンの命令通りになったとすると、今や閉じ込められているということになるが・・・。

 ウクライナの春は遠い! いや、夏さえも。 このままいけばイタリア映画「ひまわり」で観た画面いっぱいにひまわりが咲き誇った風景は白昼夢で終わるやもしれない。この映画自体は、戦争が生む悲恋をウクライナの情景に結びつけ、ヘンリーマンシーニの音楽と相まって叙情的に観る者を魅了した映画だった。「昨日・今日・明日」の風刺コメディでコンビを組んだソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの名演は若かった私にも記憶に残る映画だった。余談だが、この頃は仏伊の映画や音楽が世界中でヒットして、それはマカロニウエスタンという異質の西部劇を生むに至った。英米主体の映画史と競うように流行したものだった。
 私は、ヘップバーンと並んでクラウディア・カルディナーレという女優が大好きだった。私事ですみません!

 ロシアの侵攻当初は零下の日々が多かったが、これからは真夏の陽気へと変わりゆく。気温的には季節を巡るものの、ウクライナの風景はしばらくは季節を感じさせる事の無い暗い状況が続くのだろうか。ひまわりどころか、小麦をはじめとする穀物も、今の光景からはどれほど作れるものやら。返す返すもプーチン許すまじの思いが募る。

No.3558 妄想プーチンの実体は?

2022.04.19

 プーチンが大義・正義の特別軍事行動と称するウクライナ侵略は、泥沼化の様相となってきた。どこに大義と正義があると言うのだろうか。近隣諸国の元首クラスによる停戦を勧める外交にも応じる気配を見せないプーチン。彼らのプーチンに対する評価も停戦平和実現への姿勢を示さないことに諦めの発言が相次ぐ状況となっている。
 なぜ、こうもかたくなにウクライナ人がロシア人を虐待しているといったフエイクを理由に侵略を続けるのだろうか。正に人の道ではない。

❖ソビエト連邦の復活、すなわち1991年にゴルバチョフが崩壊宣言したソビエト共産党の復活を意図しているのは確かなことであろう。つまり、プーチン自体が潜在的にこの崩壊を今に至っても容認することが出来ずにいる革命思想家で、レーニン思想に基づく非民主主義の共産主義者と理解するとわかりやすい。何のことはない、毛沢東を敬い、彼以上の指導者になるべく中国拡大を目論む習近平と同じ気質の人物だということではないか。そうした独裁専制主義者が西側への対抗心をあからさまに領土拡張を視野に入れているということだ。
 そして、今まさにプーチンが指示している軍事侵攻における民間人暴行殺戮や強制移送といった手口は戦争犯罪であり、スターリンが行った粛清統治と第二次大戦時の不可侵条約を破壊した日本侵略、強制捕虜収容といった蛮行を彷彿とさせる。
 西側への脅威感が拭えず、地中海への拠点としてクリミアを欲したプーチンの深謀遠慮は、ウクライナ全土を狙い、はてはモルドバなど旧ソ連邦の国々、いわば昔はロシアの支配下にあった民族国家を取り戻したいとまで考えているのではないだろうか。その手始めがウクライナだったと考えるわかりやすく、これこそがソビエト連邦復活であり、自由主義国家群に対抗するプーチンの精神構造ではないかと思えるのだ。
 左派共産思想の危険性や怖さは№3557でも書いたように、こうしたプーチンのような人物が具体的な思想行動を起こした時にわかるわけで、ユダヤ民族虐殺弾圧と領土拡大戦略で稀代の悪魔的思想政治家と称されるヒトラーの再来を感じさせるものだ。いわば彼は21世紀のヒトラーになりかねない。
 そういえば、ロシアにとって5月9日は対ドイツ戦勝利記念日である。ここで、どんな国家行事を企画し、ウクライナをネオナチとかナチズムの根城だと国内向けに発信しているプーチンが、何を口にするのか興味深いものがある。

 現代社会は経済戦争のみならず武器侵攻といった暴挙においても、SNSまでをも駆使した情報戦が優劣に作用し、ヒトラー、スターリン時代とは著しく異なる。しかし、それは独裁者が意図する言論や報道の管理統制が徹底しにくい状況も意味している。ロシア制裁の観点からスポーツの世界でもロシア選手を締め出す傾向にあるが、これには異論がある。スポーツそのものは広く参加の権利をもたらすものと考えるが、現実問題として、著名な選手が海外の大会に出場することで、自国ロシアがウクライナで行っている現実を知ることになるのではないかと思うがいかがなものだろうか。アイススケートのレジェンドであるプルシェンコは、自らが主催する国内大会で会場の至る所や入場券にまでZマークを示し親プーチンを掲げているそうだ。独裁左派思想国の報道規制はさほどに国民を欺くのだ。中国も北朝鮮もそこは変わりがない。民主自由主義との違いはため息が出るほど大きなものがある。
 左派思想には「解決するには、軍事同盟の対決ではなく国連が正当防衛権を発揮することが大事だ」と主張する向きがあるが、今の国連に何が望めるというのか。元より当事国のロシアが拒否権を有し、中国、インド、ベラルーシ、北朝鮮、南アフリカ、エジプト、エリトリアといった「ロシア寄り」か「はっきりしない国」も少なくない状況の国連は機能不全に陥りつつある。遺憾と抗議の発言をする事務総長がプーチンと会談してもおそらく情勢が変わることはないだろうし、その意欲も見え無い。民間人殺戮に麻痺状態で、自国の欲求を譲ることはないプーチンを国連が説得できるとは思えない。国連がプーチンの首に鈴をつけることが出来ると思っていること自体が、ナンセンスであり、夢見心地の絵空事も言えばいいというものではない。しまいには綺麗事としか聞こえない。事の次第は、プーチンがクリミア侵攻を実行した2014年に始まっていたと考えるべきで、その行為自体に国連は何も出来なかったのだから。

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