2011.06.11
「平成の国難」
たしかにそう感じます。言い得て妙にうなずかせられる表現です。しかしながら、これはけっして、東日本大震災だけがこの言葉の原点ではないと感じる昨今です。
放射能には人類は極力猛烈に反応するものです。これは当然と言えば当然なのでしょうが、この今の国情において、あまりにもこの反応が日々トップ見出しになることに・・・私は違和感を覚えています。
今まだ、瓦礫の下もしくは海中で行方不明の方々がいらっしゃる。そのご家族の心中はいかがなものでしょうか。津波と瓦礫で死んだ魚が多く、その腐乱がハエを発生させ、新たな感染症が問題になっていると伝えるテレビ。まてよ、まだ見ぬ身内を思う方にとって、この報道はいかがなものだろうか、と私は思うのです。現地の対策として大切かもしれないが、全国放送で伝える内容なのだろうか? 気配りもやさしさもない報道姿勢が最近多い!
体育館の堅い床で2カ月以上も生活されている方々もいる。しかも大半は高齢者だということです。避難生活とはいえ、食事、風呂、トイレ等々あらゆる面で一般的普通生活さえできない辛さが生むいらだち、ストレスはいかなるものか。
遠い、慣れない疎開地生活で忍耐を強いられ、先行きの不安に襲われる毎日の避難民状態の皆さんは、どんな気持か・・・こうした心中は、どれもが簡単に想像できる範囲をはるかに超えていることは間違いありません。
しかも、全国民のささやかな気持さえ、まだ3割しか届けられていない義援金状況も「何やってるんだ!」という思いに近いこの頃です。ささやかな気持ちではありますが、それが1600億円(2000億円説も)という未渡金として集約された額があるわけですから、全体的にはまだまだわずかという表現に近いのかもしれませんが、被災者の皆さんからすれば、けっしてスズメの涙ではないと思います。それにより、どれほど気持ちが落ち着くかはわかりませんが、原資の無い不安を早く解消するのは大切なことです。
以上のような現実に対して、国政が新たなに関連立法を発して、即刻対応すべきだったところが、もはや緊急対応という言葉が不適切なほど時間が経過してしまいました。
そして最近は、マスコミの目も、また被災地外の国民の目も、この放射能の話題に騒乱を超える狂乱にも近い状態です。こうした部分では、被災者の心理とかなり乖離しているように感じるのですが、どんなものなのでしょうか。若年層や子どもたちの食生活を未来に置き換えて考えると、確かに憂うべきですし、気がかりな状態ですが、私はあえて心の内に閉じ込めて、自分の判断で購買消費行動をするしかないと決めています。基本的にスーパーで販売されているものから取捨選択するしかないと考えるようにしています。それしかないとも思っています。自家製野菜に満足されている方はどうしたら良いか?
最近のメディアで、東京都にある自治体で放射能を独自測定している街はいくつのうちいくつだけです!といったようなワイドショーがありましたが、おかしな話です。やるのであれば、東京だけを対象にすることではありませんし、実践してない街がまるで悪者のような伝え方です。雨風の自然によっても変化するからやらないよりはやったほうが良いとは思いますが、それで万全ではないことにまで一喜一憂したくはないというのが私の思いです。
いまの日本の社会風土は、みんなで騒げば怖くないといったマスコミ主導型の煽動社会、元来生きる中で自然と身に着く公平性や平等が、その質を違えて求められるような風潮、自己欲求の行き過ぎで犯罪にまで手を染める度合いを増し、かつ精神不安が他人をもあやめるストレス社会、満足に子育てができない父親・母親がふえている社会。
これらが、政治の貧困さや、バブル崩壊後の経済停滞の責任にばかり置き換える思考も顕在している・・・・・このように考えていくと、今回の大震災は、いつのまにか人災が上乗せになっていると思えてならない。まったく困ったものです。はてさて、日本という国は衰退している?
たしかに、急速に世界での存在感が薄くなり、軽々しくみられる日本になってしまった、この責任は政治にもあります。それは自民党政治にあると現政権は自己責任の回避に躍起ですがとんでもない話です。
史上最低の首相と史上最悪の首相と評する有識者さえいますが、2年続いたこの政治状況は、世界から置き去りにされ、国民から愛想を尽かされるのも当然のことかもしれません。内外の有事対応があまりにも意思決定不足。外交問題では自らが事を大きくしてしまったのですから。
先進国、途上国という言葉がありますが、衰退国という言葉は遠慮したいものです。まだまだ捨てたもんじゃない!という状況も、日本には多々あるわけですから、心だけはみすぼらしくならないようにしようではありませんか。
「平成の国難」はかなり前から、きざしがあったのではないか・・・日本人気質、日本人的生き方を忘れかけていた私たちに、天が鉄槌を与えたようにも感じる面があるけれど、それにしては、あまりにもその対象が偏りすぎてしまった。本当に一日も早いやすらぎが被災地に訪れますように願わずにはいられません。
一気にたまっていたものを噴き出した感じですが、まだまだ出しきれません。久しぶりなので、まとまりに欠けたかもしれませんが、お読みいただきありがとうございました。
政治の世界に身を置く一員として、何ができるのか、何をすべきか、これからしばらくは自問自答しながら努力していこうと思っています。
私の座右の銘「日々是精進」を肝に銘じて!