記事一覧

No.2118 閑話休題「サッカーと野球」

2011.11.16

 沢山のメールをいただいております。状況が状況ですので感謝の気持ちしかありません。月はじめの1件のメールに複雑な思いをさせられたまま、なかなか吹っ切れない状態が続きましたが、ブログへの反応から心温まるメールが届くようになり休まっております。もっと言いたいこと、思うままを書けばいいのに!というメールが多いのですが、おいおいということでご理解いただければと・・・・ありがとうございます。
 厳しいというか心無いメールは先のメール1件だけですが、世の中いろいろな人がいることを改めて感じています。

 さて、昨夜のサッカーと今夜の野球。スポーツが素晴らしいとの思いは変わらねど、政治的観念がああも入り込んだスポーツの場面はすっきりしないものです。たとえ勝利していたとしても晴れ晴れとした感覚は得られなかったと思います。報道にあったように、外交交渉の手段にされていたなら、北朝鮮の選手たちでさえ同情すべき被害者なのかもしれないのです。国歌の時にブーイングとは・・・
 
 それに比して、今夜の日本シリーズ第4戦の見応えといったらなかったですね。実施国数は圧倒的にサッカーに叶わない野球ですが、複雑なルールと選手起用の妙という点で、こうも見る側を「静かに興奮させる」スポーツはありません。ノーアウト満塁の場面で見事な火消しをやってのけた小さなサウスポーは、知名度の有る無しにかかわらず強烈な映像を残してくれました。
 結局、4試合中2対1の試合が3度。点のとりにくい投手戦は現場以上にテレビ観戦がおもしろいというのが私の持論ですが、正に画面からめいっぱい臨場感があふれるシリーズとなっています。

 決定的場面で思わず声を出してしまうサッカーも大好きですが、この2晩においては、野球に軍配をあげたい心境です。昨夜のようなサッカー戦だと知らぬうちに憎悪の念が応援精神に入り込んでしまうのが、我ながら情けないところであり、自戒するところです。
 ともあれ、スポーツ万歳!!!

No.2117 論語と算盤

2011.11.12

 前号の関連ですが、私が最も言いたかったことは、街のトップを決める選挙で半分以上の人が「結果無関心」という事実に、これでいいのだろうかという問題提起です。どのような基準で投票しているのかという選択事由については、問うてもなかなか解決することではないのでしょうが、少なくとも投票行動は根本的な住民責任もしくは将来構築責任という感覚を重んじるならば、避けてはいけないと思うわけです。
 理想論にすぎるのは分かっているつもりでの話です。

 政治不信は国政がかなり影響していると思いますが、政治がすべての生活者に大きな影響を与えるということは、今話題のTPPからも明らかではないですか! 無関心でいられるはずがないと思うのですが・・・。

 さてさて、前段が長い私の癖が復活したようで申し訳ありません。
 表題について入りましょう。ここ数日、マスコミ掲載度が高いのが、渋沢栄一翁です。私も尊敬する埼玉の偉人で、過去ブログでも数回取り上げておりますが、この偉人は少年期から論語に親しんでいたことで有名な方です。そして、維新後の日本の繁栄の基礎を築き、それは現代にも影響をもたらしているということは今更語ることなかれです。
 その翁の著書に「論語と算盤」があって、その中の一節として最近さきたま抄に紹介された名言が次のものです。

 「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではない」

 まさに名言。昭和末期のバブルや3年前のリーマンショックは、モラル欠如の経済活動に人知が狂った結果だと考えるならば、受けた罰は大きすぎたと言えます。
 仁義道徳という言葉には、深い意味合いを感じますが、この名言中にある「利殖」という文言を、「政治」もしくは「自治」という言葉に置き換えるとどうでしょうか。これも妙に納得させられるフレーズになります。というか当然のこととも理解できます。

 新市長には幸手市の発展のためへのご尽力を心からご期待するものですが、私も幸手市のための県議会議員としてしっかり努めてまいりたいと思います。前市政との実体はけっこう喧々諤々の場面もあり、持論はしっかり主張するという、是々非々対応で臨んできましたので、今後も同様の姿勢で対応させていただこうと思っております。
 ともに幸手のために・・・これしかありませんからね。

 なお、渋沢翁に関し大好きな書として城山三郎の「雄気堂々」があります。上下巻もので文庫通販でそれぞれ660円だったかと思います。11月11日が翁の命日で、死去80年だということですが、この機にぜひ読まれて見てはいかがでしょうか。私は27歳の時に出会い、間違い無く勇気と雄気をもらいました。

No.2116 投票感覚に将来を憂う

2011.11.09

 かなり冷え込みが厳しくなりました。昨日は、東秩父村を中心に地すべり崩落とその修復現場、それと県と県内企業が進める森づくり事業の実体を視察する業務で出かけてまいりました。同じ埼玉県なのに同村を訪れた記憶がなかったのですが、定峰峠がある地といえば、皆さんも察しがつくのではないでしょうか。峠の向こうは秩父市というひっそりとしたたたずまいの県内唯一の村です。
 冬の訪れを感じさせる山里風景には、気持ちがなごませられました。県産木材のぬくもりに包まれながら、和らいだ雰囲気で学校生活をおくっている東秩父村立東小学校で、活発に挨拶してくれる児童たちに元気をもらいました。 
 さて、表題ですが、戦後65年の時の流れは、日本人の日本人たる根本を徐々に侵食し、生活意識も人間の価値観も、そして政治の本質、道義もすべて形を変えつつあるように思えてなりません。大袈裟に思えるかもしれませんが、こうした国家観、日本人観を問う論説は最近少なくありません。そのどれもが、概ね日本と云う国の将来を憂う内容ですが、いずれにしても世代交代が繰り返されるうちに倫理、道徳、常識、伝統、慣わし、文化といったあらゆる事象で間違いなく日本は変化しています。
 変えてはならないものが変わる状況に日本があるとしたら、それはいったい何が原因なのでしょうか。教育でしょうか・・・では教育の原点が家庭環境もしくは家族感にあるとしたら、一部新世代のそれはいったいどのように評価したらよいのでしょうか。考えても考えても日本の未来が心配? 国政だけの責任には出来ないものが沢山あると思えてならない今日この頃です。

 えっ? 今回のブログは何が言いたいのかよくわからないですって? そうなんです、自分でも言いたいことが上手に書けないんです。これまではあまりなかったことです。
 すみません。

No.2115 慢心というエアポケット

2011.11.07

 しばらく間が空きました。この間アクセスくださいました皆様には御礼並びにお詫びを申し上げます。

 前回の市長選では、終了後10日間ほど寝込んだ記憶があります。勝利を得たのにです。ところが、今回は慢性寝不足という実感は別にして、えも云われぬ疲労感に長く襲われてしまいました。どんよりした感じというのでしょうか。
 しかしながら、よくよくこの差を分析してみると、寝込まなかっただけまだ体力的には余裕があったということになるのではないか・・・。つまりは、それ自体に慢心という魔物が潜んでいたのではないかと自戒しております。

 まずは順調な過程をふんでいたと思っていた選挙戦でしたが、慢心という大きなエアポケットにはまった結果、ここまでじっくり煮詰めてきた西口開発方式も道連れにしてしまいました。本当に深くお詫び申し上げます。
 選挙総括については、あれこれ頭をめぐっておりますが、読者の皆様にもいろいろなご意見があるものと思います。大変恐れ入りますが、メールでけっこうですのでお寄せいただければ幸いです。

No.2114 自らの力不足を知る

2011.10.31

 少し前に帰宅しました。なんとはなしにパソコンを開いたものの、疲れているというよりは、頭の整理がついていないので、書き込みが思うにまかせないというのが正直なところです。
 昨日のアクセスが急増しているので驚きましたが、日が変わってもその傾向があるようです。いつもながらありがとうございます。

 私が何を思い、どんなことを書くか・・・ただ今は、表題の通りです。頭の整理をしっかりつけてから今回のことを振り返ってみたいと思います。

No.2113 幸手駅西口開発の真実を語ります

2011.10.22

アイコン

 幸手駅西口土地区画整理事業は、昨年の幸手市議会6月定例会で、同事業の施行規程が議案可決されました。その結果、埼玉県の事業認可を受けるための申請が可能となり、翌年、つまり今年の3月にめでたく事業認可が降りたのです。事業計画は図面的観点と資金的観点の両面から審査されるのはあたり前のことであり、それ自体が認可されたということなのです。

西口開発とは・・・
◆事業資金総額の約60%は県負担です。幸手市負担は事業計画の事業進行状況を5年ごとに見直しながら実施していくことになります。幸手市負担額はおよそ40億円から45億円程度が予定されていますが、それは事業計画期間の中で、年度年度の事業内容に応じて配分されていくのです。若干の上下変更はあるかもしれませんが、今、この事業をスタートしておかなければ、幸手市はどうなるか…東上線の坂戸駅が30年の悲願を橋上駅舎に結びつけたことはこれから幸手市が見本にすべきことだと確信しています。

◆南3丁目の久喜新道までが面整備され、3m歩道が付き、久喜側から一体化の道路形状になりますが、北側の中5丁目側については、区画整理の後に、同様の歩道を県負担で実施するということになっています。ですから、この点においても区画整理は絶対に欠かせないということがおわかりいただけると思います。

◆東西を結ぶ自由通路は、今のままの西口に設置することはできないのは、通常の感覚で考えれば、当然のことと理解できることです。なぜなら、現状の空き地状態のところに通路階段を設置してしまいますと、その後の整備が難しくなってしまうからです。現地をご覧いただければ直ぐにわかることです。市議会でもそういった双方向のやりとりは何回もありましたが、その度、市長は丁寧に答弁していたのを思い出します。でも、わかろうとしない人はいるものですね。 
 たしかに、自由通路と橋上駅を先にやるというのは、利用者にとっては聞こえはいいのですが、西口駅前を空き地ではなく広場として整備し、車両の出入りを可能にしてからでなくては無理な話なのです。
県も東武鉄道もそう理解しているということを幸手市側が理解しなくてはならないのですが・・・。市長の説明をどうしても理解しようとしない人がいるんですね。

◆過去、共産党市議が主張した駅前広場とそこから1本の街路を整備する事業方式は街路事業と言います。この方式では、県の認可もおりませんから、補助金を受けることもできない、市単独の事業となります。また、面的整備はできませんから、安心安全な地域に生まれ変わることができないということになります。共産党が奥底で考えていることはいったい何なのでしょうか?

◆区画整理という整備方式が、認可と補助金を可能にした対象ですから、幸手の共産党が主張する他の方式に無理やり変更させようとするものなら、この計画は振り出しに戻り、重要なのは、県との信頼関係が崩れ、この地の開発はまた先の先ということになってしまいます。これでいいとはとても思えないのです。

ページ移動