今日は、通常国会が始まったばかりの中、圏央道の整備促進に関する要望のため、国交省へ出向いた。まず最初に同省の増田審議官を7名の議員で訪ね、それからしばらく待って(おそらく国会スケジュールの都合)津島恭一大臣政務官と5名の議員が面会し、要望書を手渡した後しばしの歓談をした。
政務官の対応は、低迷する日本経済の活性化には圏央道という大動脈の完成は欠かせないと、一定の理解を示し、菖蒲=桶川間の買収については、県のさらなる努力をお願いしたいと、進まない最大の要因に対する解決を求めた。
いずれにしても、埼玉県としては、今ある企業の進出意欲が冷え込まないためにも、当初予定の24年度内完成をできる限り目指して、26年度とした変更計画の前倒しを強力にお願いした。
八ツ場ダムでも思うことだが、コンクリートと人はなんでもかんでも切り離せるものではない。別次元で切り離そうとすること自体無理なので、私はこんな感じで反論したい。
「人の為になるコンクリートもある」
言葉が踊る選挙は、これがマニフェストに関わるものだったがゆえに、騙された側も問題はあるが、有権者を欺いた罪は重い。
記事一覧
No.2141 圏央道整備の促進を要望
No.2140 たのもしい青年の群像
もう昨日のことになるが、幸手市商工会青年部の新年会にお招きいただき出席した。当夜はこの会が最終だったので、中締めまでお邪魔することとなったが、大変楽しい会であっという間に時間が過ぎた。
日頃は、幸手の青年経営者と会話をする場が少ないこともあって楽しみにしていた会だったが、幸手の若者たちの素晴らしさを実感した。
部会長ごとの挨拶の中で、シンガポールに住む須藤さんという方からのお礼の手紙が披露された。この須藤さんは南三陸町がふる里だそうで、大震災以降ネットで各種情報を知るにいたっている様子らしく、青年部のブログからボランティア活動を知り、感激して礼状を・・・ということのようだ。
実は、私も昨夏南三陸町で奉仕活動をしてきたことをブログに書いているが11月頃になって須藤さんから礼状をいただいた。このことを青年部に伝えたところ、青年部として厳しいスケジュールをさいて3度も東北の被災地に行き、南三陸町では養殖イカダ用のオモリ袋作りをしたきたという。
猛暑下での同じ活動を思い出した。
私自身、会の冒頭でガレキを中心にした被災地復興の話をさせていただいたのだが、彼らはしっかり耳を傾けてくれた感じだった。その後、乾杯のあとはまた元気な若者に戻り、笑いあふれる余興アイデア等々もあったりで、彼ら自身の絆を深めていた。
若いって素晴らしいと感じるが、それ以上に羨ましくて仕方がない。礼儀正しく、気持ちの良い幸手の青年たちに感心仕切りの夜になったことは言うまでもない。
No.2139 拉致問題を考える埼玉県民の集い
昨14日のこと、拉致問題に関する集いが浦和コミュニティーセンターで開催されました。
会場内は立ち見の方も多く出るほど満杯の参加者で埋まり、まさに救出熱気といったものを感じました。「救う会埼玉」が主催で、共催が埼玉県、県議会からは「北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決を図る埼玉県議会議員連盟」と、少々長い名前の議連が後援という形で埼玉県教育委員会ともどもこの会を支援いたしました。この日は、22名の議連議員が参加し、私もメンバーとしてこの問題には深い興味がありますので参加してきました。
上田知事、鈴木議長、奥の木自民党県議団団長兼同議連会長、そして被害者家族からは飯塚繁雄さん、藤田隆司さんなどがいらっしゃいました。
ちょうど、拉致問題担当大臣が山岡氏から松原さんに交代したばかり、また当の北朝鮮もトップが交代したばかりで、これからこの問題がどのように展開していくのか、あらためて仕切り直しの必要を感じるタイミングでもあったので、会もなおさら盛り上がりを見せたといった感じでした。
金正恩はまだ国をリードするほどの状況になく、おそらく周囲の重鎮の導きがあっての指導者という立場がしばらく続くものと予測されます。17名の認定拉致被害者のうち、小泉総理による5名の救出者以外は今だに戻らぬ日本人が12名もいるのです。とくに埼玉県に多いということもあって、議会が先頭にたって、他の県議会も動かすべく努力をしている関係で、議会レベルでは全国的に意思統一が図れつつあるところです。
とにかく、この問題については他の国策と違って、意見が分かれるという対象ではないはずで、もっと国をあげて要望等の救出活動に声を揃えて訴えかけるということが必要です。皆さんの心の中に同じ日本人として一刻も早いふるさと帰還をはたさせたいという思いが絆になっていくことを願わずには居られません。けっして風化させてはならない問題のはずだから。
No.2138 新五カ年計画特別委員会
掲題の特別委員会が12、13日と開催され、集中審議いたしました。初日はテレビ埼玉の取材も入り、その日の内に放映されたそうですが、残念ながら録画も含めて見逃してしまいました。
翌朝の埼玉新聞には委員から出された意見がいくつか書かれておりましたが、私の発言した内容も見られました。
今後は17、18、20と計5日間にわたり開催されることになっておりますが、なにしろ埼玉県としての上位計画に位置づけられ、新年度予算にも大きな関わりがあるので、部別に提示されている複雑な資料チェックに余念がないといったところです。私としては、この資料自体の作成方針に問題を感じる面があるので、その点にも意見は言わせてもらってますが、まあ、おいおい改善解決されるものと思っております。
なお、同委員会の委員は20名で構成されており、自民党から12名となっています。
No.2137 政治資金規制法違反裁判
低迷日本に明るいニュース。澤、佐々木のダブルS世界一授賞、おめでとうございます! これは、まさに日本サッカー界にとって金字塔と言うべきでしょう。年明けから、スポーツの話題では事欠かない状況で、殺伐とした世の中に英気を与えてくれています。
ところが、国民の範たるはずの政界は、自己保身に懲りない人々がさらに国民の政治不信を煽るかのように活発に蠢いている。
どうしたもんでしょうかねー鈴木宗男さん。蟄居、反省、充電というタイプではないのは元々理解しているつもりだが、それでもやっぱりこの人も小沢さん言うところの天下国家を考えて行動してるのだろうか。とてもそうは感じられないほど、わかりやすいのが鈴木さんの特徴なので、かわいいところもあると言うべきか・・・いや、やはり面の皮が厚いというほうが的を得ているようで。
問題は小沢さんだ。困った人だ。そもそも、天下国家を考える立場だと言いたいのなら、その立場を手元に長く確保しておくためには金が欠かせないはずだ。しからば、天下国家と金を切り離して考えられるのか!
「集金おたくの政治屋」という評判も間違いなかったと感じるような法廷発言で、結局、この大物国会議員は部下の後始末、面倒を見ることなく、部下に責任を転嫁して逃げまくる腹づもりなのだろうか。これぞ「天下国家」ならぬ部下への「転嫁黒化」に法廷作戦をねっていたとは言えないだろうか。
最も、裁判中のことゆえ、犯罪人と決めつけるわけにもいかないが、国民が納得できる発言はほとんど聞かれない。それどころか、一部発言が変化してもいる。
一番おかしく感じるのは、これほどの問題になっているにもかかわらず、今だに政治資金収支報告書は見ていないというくだりだ。これはまったく考えられないことだ。まさしく責任感も何もないということを示している。私たちのように万単位ではなく億単位の報告書だ。選挙のために金が必要で、前党時代の残金も懐中にしたとも言われているくらいなのだ。
小沢さんの特徴は、はぐらかし、開き直り、だと思っていたが、やはりライアーという意味合いもあるかな?
幾多の書類の記名押印も自からのものではないと言う。秘書が小沢一郎とサインしたと言うのであれば、、何から何まで秘書を信じ、任せていたことになる。証拠はと言われると難しい面があるが、有り得ないこととしか思えない。
細かなことは新聞が記しているのでやめるが、実は、今頃になって地元被災地を訪れるという感覚が理解不能だという声を多く聞く。ませにその通りで、なぜ、今まで行かなかったのかは国民が感じる単純な疑問だろう。
真摯な対応にはほど遠い姿人柄は、華やかで羽振りの良い環境には適しているのかもしれないが、今の日本を任せられる政治家とは思えない。
20年ほど前のことだが、宮沢、渡辺、海部各氏を面接した若き幹事長時代に、自らが総理職を確保してしまえばよかったのかもしれない。当時の日本であれば小沢総理として適任の時代背景だったようにも思えるのだが、さてどうだっただろうか。
No.2136 悲しくてやりきれない愚行
この稿、意識して健康思考を選択した。
なぜなら、心の健康に問題あり!を提起したいからだ。
とは言え、この種の愚行は今更といった感じがしないでもないが、状況設定をふまえると、あまりにも心の病が重すぎるのではないだろうか。
少年たちによるホームレス殴打事件が年末にあったばかりだが、新年早々耳を疑う愚行が発生した。
◆広島市の原爆慰霊碑にゴールド塗料が吹き付けられた。
◆今朝のニュースでは、動物園の猿山に数発の花火が投げ込まれた。
一体全体、どういう心持ちになったらこうした行為ができるのだろうか。悲しくて悲しくてやりきれないというひと昔前の歌詞がうかぶ。
車の窓から吸殻や空き缶を投げ捨てる、とか・・・法律はおろか社会規範、マナーを守らないやからは枚挙にいとまがないが、これらのマナー違反とはあきらかに異質な精神が為す蛮行としか感じられない。
人の命を奪っているわけではないところに救いはあるものの、病んだ精神は殺人事件をもいとわない可能性を感じる。
前号で優しさや思いやりが失われつつあると成人式の場で直言したのは、実はそうした社会への提唱もしたかったのだ。
児童虐待、動物虐待が頻繁に起こる世の中でもあるが、東北の被災地に思いを馳せるだけでも、生き物や鎮魂を汚す行為はできないし、してはならないと思えないものだろうか。
ところで、私は今後の活動のテーマのひとつに「児童虐待」をとりあげていこうと考えている。県議会が掲げた5ヵ年計画の中にもこの項目は挙げられている。ご賛同いただける読者がいらっしゃいましたらご連絡くをお待ちします。