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No.2181 国会の中の懲りない面々

2012.05.11

 今年は街で多く見かけるオオムラサキの花付きが芳しくない。寒さの影響かとも思うが、我が家の植え込みのオオムラサキは例年満開をはずしたことがないのに極端にさびしい。

 さて、昨日のブログで小沢氏支持グループが一連で行ってきた卑劣な手法を指摘したが、またまた約100人がまとまって、今度は控訴に対する抗議文を提出するとかしないとか。
 政治の世界では劣勢をそのままにはしておかない!という暗黙の行為戦略があるのはわかっているが、その精神構造たるや違う特定世界のようでもあり、空恐ろしいくらいだ。
 そういえば、田代検事が石川議員に対する捜査内容で虚偽の調書を作成した一件は、たしかにあってはならない悪質なものだが、現状では、それが故意かどうかが焦点になっている状態。実は、この件について田代氏当人と検察相手に訴訟を起こした市民団体があったことを覚えておいでだろうか? これもいったいどういったウラがあるのか何やらキナ臭いと感じたものだった。当然、小沢氏の無実、復権を望んでいる市民団体ということなわけで、とにかく反応、対応が先鋭的であることは間違いない。

 しかし、これほど長い期間国民に明るい話題を提供してくれない国会もひどいものだが、今の国会には今年のそれのように開花を忘れたオオムラサキが沢山いるということなのだろう。出来得るなら、国民がほほ笑む明るい話題を提供してパッと花を咲かせてもらいたいものだが、冷え切った国会に国民から出るのは冷笑ばかり・・・いつまで居座る国会の懲りない面々よ!

No.2180 あきらめ感の強かった控訴

2012.05.10

 ある意味、大逆転の控訴ともいえる結果が期限日前にくだされた。多くの国民はこの裁判の判決に対して、政治資金に関わる政治家の犯罪確定の難しさへの厭世観を感じていたことと推測する。なぜなら、報道からの予測では控訴もないだろうという見方が大勢だったからだ。
 ところが、あにはからんや・・・である。指定弁護士の3人は意地を見せてくれた。もはや控訴後の結果は望まない。「有罪であるが無罪」といった中身判決趣意では到底納得できないのは当然のことだ。

 私は民主党および小沢氏グループのここまでとってきた手法に大きな問題があると感じている。
◆秘書たちの一連の捜査や小沢氏からの事情聴取などに対して、民主党内弁護士議員を中心に検察手法への可視化法案が取りざたされた。人権をタテにしたことも民主党らしさだった。当時、検察の不始末がいくつか発露したことも原因だったとは思う。冤罪の文字が新聞や画面におどったのもこの頃だったと思う。司法に関する出来事がこの時期集中した。菅原さんの冤罪などもまったく事情が異なるにもかかわらず、裁判の在り方や検察捜査の在り方の観点から政治裁判に、民主党対応に加勢したように思う。
◆判決日の3日前だったと思うが、小沢グループは突然、検察審査会の逆審査を秘密会で行いたいとの申請をした。この結果がどうなったかは不明だが、これもタイミングを意識した、いわゆる卑怯なやり方だ。裁判への影響を目論んだのかどうか・・・。こんなことが秘密会で行われる時代であるはずがないと感じたものだ。いよいよ小沢氏救済のためにトチ狂ったチュルドレンたちよ!親子の絆はどこまでいっても何にも勝るのかといった姿だった。
◆そして、今回の控訴期限日到来前の党員復権騒動だ。これには反小沢グループも抵抗力が一気に弱まったことを証明した。これには、日本の政治の今後がどうなってしまうのかという考えが頭の中で渦巻いていた。鳴門のそれどころではなかった。
 これも民主党の指定弁護士に対する「もう控訴するな!」というおごった狙いが見え隠れした。そうであったと確信している。

 まさに常軌を逸した民主党、ちぐはぐな民主党なのだが、志の異なる、もしくは厳しいようだが志があるのかどうかも見えない議員が結集した野合の政党だということを再認識した次第。民主党どうこうより自民党嫌いの方には批判をいただきそうな内容だが、あくまでも民主党という党だけを直視した場合、ここに至ってはそれをかばう材料は希薄になったとしか言いようがないのではないだろうか。

No.2179 原発問題ここまでこじれたのは

2012.05.06

 泊原発が今日止まった。この夏、本当に大丈夫なのだろうか?
 一般家庭レベルでは節約に努めようという意識も意義があるし、尊い姿だと思う。我が家もすべての照明の代用にはなっていないが、一部で夜間ソーラーランタンを使用している。通常照明はかなり低めにしている。
 しかし、電力が社会全般にもたらす必要度というのをしっかりと認識把握した上で原発不要論につながっているのだろうかという論理も一方では無視できない。
 原発供給量が全体の30%に達しており、代替エネルギーはわずか3%程度にしか満たない現実。これをどれほどの期間およびコスト計画で脱原発をめざし、経済破綻しない電力体制に移行するのか。東海村が初めて稼働したのが1964年。それから約50年・・・国のエネルギー政策をしっかりと方向づけても代替エネルギーにとって変わるのには少なくとも同等の年月はかかるかもしれない。その最大のポイントは高度成長もバブルも二度とないという推測の中での財政問題だろうと思うのだが・・。
 原発再稼働をすべきかすべきでないかの思考は様々だ。
◆脱原発派
◆政府および関係者の対応次第派(今はまったく受け付けられない)
◆100%の安全性が説明されなければならない派
◆次第に上がっていった再稼働のハードルは少し下げてもいいと思う派
◆脱原発で先行きを案じる派
 いろいろだ。

 脱原発論は人命に関わる主張ゆえ、それが正論であるかのように中心的存在になっている。いや、徐々になっていったとも言える。知名度のある有名人のプロパガンダ的言動もそれなりに助長している感じだ。異なる角度の見方として歪んだ思想集団がこの正論に乗って組織拡大を図っているという情報もある。
 そもそも、時の社会を揺るがす事件や問題が発生したり、経済停滞が長引き貧困度が増す傾向になると、思想社会の転換を図る動きが地下運動的に広がる傾向は歴史的にも世界各地に見られたし、現実に今も変わらないそれがある。
 たとえば、今ドイツでは極右のネオナチが議席を獲得する勢いだという。フランスでも保守に見切りをつけ社会党政権が誕生しようとしている。
 ミニマムな政治世界で考えれば、思いやりが欠如しつつある現代で、人の心に入り込むためにいろいろな便宜をはかる姿もなくはないだろう。もちろん集票を最大の目的としてだ。
 日本の政治は国政からしてその傾向にまっしぐらだ。マニフェストは選挙戦のプロローグであってエピローグには決して結びつかない・・程度に私は感じている。有権者を欺くマニフェスト選挙に有権者が勝つか負けるか、つまり嘘を見抜けるかどうかが現代選挙の在り方として姿を変えているのは間違いない。人物本位は本来のあるべき姿とはいえ、それがなかなか判定しにくい傾向にあっては有権者ができる防御方法はマニフェストに騙されないこと・・・それしかない。

 話を原発に戻すが、日本の場合は無能な政府が、政局的意図から繰り返した2転3転の発言によって国民をたぶらかすかのように、迷える子羊劇をもたらしてしまったことは否めない。
 

No.2178 竜巻惨事は珍しくなくなった

2012.05.06

 前号で書いた幸手市内の道路冠水被害は、2日未明に降った雨量により関東の広範囲で大きな被害を発生させていた。GWイベントも春日部では庄和宝珠花の大凧揚げ祭りが、大人の胸ほどまでの増水により中止になるなど、各地で中止が相次いだ。
 
 昨日はほぼ一日五月晴れだったが、今日はまた大荒れ。それも降ったり止んだり程度のものではなく、強烈な悪天異変が各地を襲った。つくばの竜巻被害では死者もでたが、竜巻と言えば北海道での数年前の大災害が記憶にある。
 とはいえ、もともと竜巻はアメリカ大陸特有の気象現象という認識が深く、砂塵を上げて猛スピードで木々をなぎ倒し、家屋、車、牛馬家畜を巻き上げる光景は、カリブ海のハリケーンと並び、アメリカの災害は規模が違うなあと子供ながらに見入っていたものだ。それがなんのなんの・・・。
 画面で見るつくばの竜巻はそれ自体が高さも幅も驚異だが、その後の被害状況はまさに惨事だ。数階建ての集合住宅が見える限りすべてのガラスが破壊され、ベランダの格子なども原型をとどめていない。
 落雷感電死も年々増えている気がするが、晴れから突然雷雨へと変わる最近の急変気象では、公園や広場で遊んでいた家族が、まずは雨をしのぐ意識から大木の下に一時避難してしまうのは十分理解できることだ。そこにドーンとくるのだからたまらない。

 
 厳しく長い冬を越えて、恋しかった緑が芽吹く季節になり、まさに行楽日和の週末に、今まで記憶に少ない異常気象で大災害に見舞われるなど、少なくとも私の想像の範囲外だった。もはや異常気象は常に起こるものだという認識を叩き込み、いらぬ先入観は捨てなければいけない。
 頭上で何が起こってもそれは地球環境が変わったことによる新しい時代の気象現象であり、しかもそれは人類の欲望が原因なのだと・・・そうでも考えないと、それを防ぐ方法など身につかないということを。 

No.2177 東1〜2丁目の冠水

2012.05.04

ファイル 115-1.jpg 春の長雨というのでしょうか・・・さほどの集中豪雨ではなかったと思っていたがご覧のような状況に見舞われた地区が幸手市東丁目および2丁目。

 所用でちょうど通りかかったのだが、前方でトラックが止まったまま動かないのでおかしいと思っていたら市職員さんの姿が見えた。えっ?と思ったが、すぐに冠水したことが理解できた。トラックは切り返して道を変えたが、私はギリギリのところまで行って、職員さんに「そんなに降ったかね?」と尋ねた。その職員さんの言うことには「上流部でかなり降ったようなんです」
 なるほど! だいたい雨天冠水というのは当地区だけで降っただけより上流で大雨になった時が問題なんだということはごく当たり前のこと。
 ただ、やはりこの地がこうした状況になっていることへの実感が持てるほどの大雨とは思わなかった。

ファイル 115-2.jpg 帰り際に再度野間アスレチックさんの交差点に出向いたところ職員さんが二人・・・やはり駅方面は通行止。2丁目の各路地もかなりの冠水。少し行き過ぎて裏手の土手を上がり倉松川を見たら、やはりかなりのオーバーフローに近い。こうした場合、たとえ幸手で雨がやんでも危険が去ったわけではないとまたまた当たり前のことを自らに言い聞かせて写真を数点撮って帰路についた。

 それにしても、こうした際の市職員さんの対応は行政として当然とはいえご苦労なことだ。GWもへったくりもないのだから。お疲れ様!

No.2176 連合も愛想をつかす?

2012.04.30

 連合の古賀会長がとうとう民主党政治に愛想をつかした。
 しかし、これには裏があるように思えてならない。主旨はこうだ。
「新しい政治の幕開けに期待した熱い思いは残念ながら冷め、失望や落胆に変わった」
 こう古賀会長は語った。時は4月28日のメーデーという労組系の大イベントでのことだが、2日前の26日には小沢氏無罪の判決が出たタイミングでもある。小沢氏と古賀さんの蜜月ぶりは有名な話であるから、いくらメーデーの場だと言っても、なにやらきな臭いと感じるのは私だけではないはずだ。このタイミングであれば、判決のことに触れる言葉が出ても不思議ではない。失望はすでに多くの国民が感じていることであるとすれば、失望とはむしろ判決に対して向ける言葉だと感じられるのだが古賀さんはそうではない。
 しかし、民主党政権誕生に一役かったのは誰あろう古賀さん率いる連合という大組織だ。そういう意味では責任の一端を持つ連合会長が公に発言する言葉として適切なのかどうか。これはあくまでも現野田内閣に対する痛烈なアジテートを小沢判決直後にあてつけたと考えられなくはない。

 前述の発言に続いてこうも語っている。
「威勢の良い主張を掲げて、敵を作って民意をあおる政治手法は長続きしない」これは何を指すか微妙な感じがするところだが、新聞も伝えているとおり、橋下維新の会や石原新党の動きを対象としていることと理解できる。

 つまり冒頭の言葉で野田さんに冷水を浴びせ、後談で次期選挙の台風の目となる一連の動きに警鐘を鳴らし、連合の姿勢と一致団結を何かを対象にあおっているように思えないだろうか。何かとは・・・もちろん小沢氏への後方支援に聞こえてならないのだ。私の早とちりであればいいのだが。
 ただ、私の推測があたっているとすれば、古賀会長も相当なしたたかさをもった方だ。もっともそういった方が連合のリーダーに選ばれるのは至極自然のことであり、政治家以上の力を持ち、政治に影響力を持つ民間人の一人と言える。

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