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No.2280 新春賀詞交歓会

2013.01.11

 すでに新年も10日目に入っておりますが、7日の仕事始め早々、いわゆる新年会行事が矢継ぎ早といったところ。とりあえず?1月だけで35団体からお招きをいただいております。2月も現状ポツポツとありますが、心がけなければならないのは1に酒量、2に酒量かもしれません。いろいろな方からもそのようなアドバイスをいただくことが多く、それだけご心配いただいているということは有難いことです。
 今は、ノンアルコールもありますし、運転手不在の身においては、車での移動がついて回った場合は、おちょこ一杯のお付き合いもできないわけでして、そうした点では出席させていただくことに意義があるといった思いを大切にしております。

 年末の選挙結果もあってか、どの新年会も明るい雰囲気を醸し出しており、会の華にもなっている点で心がなごみます。
 まずは29日まで昼夜続く宴席でも、冒頭おそらく選挙戦の喜びを分かち合う場が繰り広げられるものと思いますが、何回あってもいいいものです。

 話変わって、今、多くの県議会議員は12月議会の報告を兼ねて、県政報告新春号を鋭意作成中のはずです。私も同様ではあるのですが、それに集中できる時間がまとまって取りにくい状況ですので、少々焦りのようなものを感じる最近です。もっとも、こうしたストレスなど、この寒さと必至に闘っている被災地の方々の生活を考えたら比べものになりません。
 県政報告、近々お届けいたします!
 

No.2279 新春事始め=顔合わせ

2013.01.07

 前号での早大柳くんの反響が少なからずあったようです。というのも、画面が伝えるだけでは彼が幸手市民だとはわからないことが最大の要因のようです。しかも、ちょうど柳くんの出番の時、彼は3位と5位の間で単独走だったので、これが、順位を争うデッドヒート状況だったなら様子は変わっていたかもしれません。残念ながらおそらく、局で用意していた彼のキャプションはすべて読まれないままだったかもしれません。

 さて、今日7日は多くの方にとって仕事始めのことと思います。長い年末年始でした。我が家でも年末29日から昨日まで孫二人がちびっ子ギャングがごとくエネルギーを発散してましたので疲れたのなんの・・・家内も少しやつれたような? でも可愛さは何物にも勝るといったところ。
 私はと言えば、自民党県議団の顔合わせ後、知事公館での新年賀詞交歓会がまもなく始まります。

 本日のトピックス! 都合3回目の一番登庁を新年初日に達成いたしました。まだ暗い登庁電子掲示板に真っ先に我が氏名の電光が灯るというのは気持がいいものです。とりわけ、それが新年仕事始めの日というのは、それがなんだ!といった程度のものかもしれないのですが、自らを鼓舞する事象としては幾分の意義はあるのかなと思いたい!・・・のです。

No.2278 寒い、寒い日本列島、でもスポーツは!

2013.01.06

 今年は寒い!と会う人ほとんどが口にするこの冬。それを実感した昨日のこと・・・孫たちと香日向に隣接する田園で凧揚げをしようと出かけたのですが、幅2mほどの用水路が全面氷結していました。この時期さしたる流れがないので、こうした現象も起こるのだとは思いますが、実際に目にしたのは何年ぶりのことか、記憶にありません。
 ところが、朝、夜の気温低下は厳しいのですが、昼間は風もない日が続いている関係で以外と寒さが抑えられているようです。太陽の恵に感謝するのもこの季節特有のことなんだとあらためて思います。前号で書いた感動ものの星空の見事さも年々のことと思うと、強烈な寒さも多少和らぐ気持になれます。

 さて、新年恒例の箱根駅伝が史上3位の視聴率をはじき出したそうです。
 私も3日は午前中ずっと画面に見入ってました。7区からタスキを受け継いだ早稲田の8区の選手の走り出しを見ていて「どこかで見たことあるなあ」と思い、「あれ、柳くんだぞー!」と叫んだもので周りがビックリ!
 いや、間違いなく我が家からわずか50メートル程度離れたお宅の息子さんじゃないですか! アナウンサーの解説とテロップが示す名前と出身高校名を見て間違いなし!

 およそこんな内容「4位でタスキをつないだ早稲田8区は1年生の柳俊幸。中学時代はサッカー選手で、高校でも2年まではサッカー部に所属。素材の素晴らしさを認められて長距離の道を目指すことになった早稲田の1年生」
 解説の瀬古さんは「そうですね、1年生ながらいいものを持っている選手です。早稲田の今後を背負う選手になると感じさせる素材です」

 柳 俊幸・・・幸手西中、早大本庄高校出身、早稲田大学1年生
 平成25年1月3日、箱根駅伝復路8区 1時間7分49秒 区間14位

 先が大変楽しみな逸材、幸手市香日向出身のこの若者に今後ともご注目ください。

No.2277 快晴で幕を開けた平成25年

2013.01.01

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 新年あけましておめでとうございます!
 復興回復への希望と期待の年、平成25年(2013年)のオープニング。まさに光輝く青空で、新しい年が幕を開けました。早いもので、平成元号も四半世紀となったんですねー。 

 昨夜は夜10時30分に家を出て、幸宮、浅間、天神、上高野の市内4つの神社をめぐってまいりました。訪れてみて、それぞれの風情で年越しを迎えている姿に、テレビが伝える「ゆく年来る年」の現場にいるような気分になりました。最近、とくに想うこととして夜空が綺麗で、星座がくっきり見えるようになった感が強いです。明日は晴れ!はやはり当たりました。
 実は、大晦日の深夜に外出するという経験が、ほとんどない我が家では、寒さに気持がついていかない感じでしたが、事前にお声をおかけいただいたこともあって家内ともどもいざ出発・・・いや、お神酒を勧められることを考え、家内が運転手を引き受けてくれたのです。

 3時になろうかといった頃合いの帰宅でしたから、冷えた体を湯船で温め即就寝。寝不足続きですので少々ゆっくりと思いきや、目覚めは7時。家内はすでにキッチンに。洗濯機も動いている様子で、年末年始の主婦の忙しさを実感。
 日頃は、私の秘書代わりといった一面もあるので、新年にちなみあらためて感謝! いえ、直接口にするのは気恥ずかしくて出来ないのですが・・・。
 

 今、関西から来ている孫二人が降りてきて、「明けましてあめでとう!」
「よく言えましたね」と、これもよくある風景か。気持が前向きに思えるのは、やはり素晴らしい快晴のせいか? 太陽の恵にもあらためて感謝!
 とは言え、被災地はじめ、北国、北陸、西日本一帯までが厳しい寒波に襲われている様子。元気にここまで頑張ってきた人たちが、流行りの病などにかからぬことを願わずにはいられません。
 日本の回復元年の幕開けに際し、本年もよろしくお願い申し上げます。
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No.2276 巳年で景気回復年に!

2012.12.31

 言いたい放題と思われてもいい、信念にもとづいて書き連ねているブログも、今年は№2134〜2276まで計143回になりました。まあ、自分でもよく続くものだと思いますが、昨年の11月末から始めたフェイスブックもありますので、この両方でかなりの時間が費やされているのが現状です。
 ちなみにFBは、今話題の安倍首相より開始は早いはずですが、友達の数もいいネ回数も大きな差がついています。こういうのを、まさに格の違いというのでしょうね。もっとも、私にとっては嬉しいことではあるのです。

 先日、市内のある方から国政についてのブログは迫力があって勉強になるといったメールをいただきました。とくに国政に感じる義憤を素直に書かせていただいているだけですので、お褒めいただくほどのことではないと恐縮しております。ただ、更新意欲が継続するという意味において背中を叩かれている思いです。

 さて、来る年は巳年。まさに景気回復年にふさわしい干支で、自民党安倍新政権によって、日本丸が新しい航海に出帆します。
 被災地も、経済も、教育も、安全保障も、回復実現に向けた本当の意味での復興元年になることを期待し、また地方における小さくてもその一員になれるよう頑張ります。
 そのきっかけとして、幸手市の今後において、素晴らしい年の瀬の選挙結果となったわけですので、まずはなによりの締めくくりでした。
 来年もなにとそよろしくお願いいたします。
 皆様、良いお年を!

No.2275 松井選手引退に想う 

2012.12.29

 なんともはやである・・・やはり、年の瀬に選挙があったお陰でせわしない年末となっている。いまの私には「しわす」ではなく「せわす」に思えてならない人生で最もハードな師走だ。それでも家庭の年末行事にまったく不参加というわけにもいかず、苦しく辛いといった感覚も多少ついて回る。

 さて、少し大袈裟に書き始まった更新も、実は、未来の党のあまりにも予測が当たりすぎたあっけない幕切れを書くつもりだった。しかし、あえてこれを題材にするのも馬鹿らしくなった。9ヶ月もの長い間、故郷被災地を訪れることなく、選挙のことだけが優先する政治家が悠々当選してしまう。
 政治を一定期間で見直す意義を持つはずの選挙とは、いったいその意義を発信してくれているのだろうか? 滋賀県知事も軽さの上に不見識というのが私の評価だが、同情の目もある? ない? まっいいか、もう私自身の判断を信じよう!

 松井秀喜・・・5打席連続四球で敗戦となった甲子園の試合直後、マイクの前で憮然として言葉が出なかった松井少年。年を経てもどちらかというと寡黙さを感じさせる松井青年は、プロ意識を表現するために、マイクを向けられると無理無理発言していたように見えた。そしてあれから20年・・・やはりインタビューが苦手なのだろうか?・・・人生の区切りのインタビューでも、有名人は辛いなあと感じさせるものがあった。
 長島人間の私が、この引退という厳しい現実にあって、師と弟子が、共に一緒に素振りをしたことが最高の思い出と語る。真の4番バッターへの道を切り開いたこの楽屋裏の場面があったからこそ、世界の松井が生まれたのであって、そうでなければ平凡な4番打者だったかもしれない。いや、それに違いない。鳴り物入りが鳴りもせず響きもせずに淘汰されていった例がどれほどあっただろうか。

 実は、私が政治の道に入った年が2003年・・・松井ヤンキース移籍の年である。この年の幸手市議選は4月27日だったが、そのほぼ1ヶ月前の3月31日に、松井は初打席で初安打、初打点というデビューをはたした。まさに順風満帆な船出から、4月8日初ホームランが満塁本塁打、4月12日は初のサヨナラヒットと続き、7月17日にはサヨナラホームランを見せてくれた。

 その年の1月17日に友人の言葉から市議選への挑戦を決意し、その後の3ヶ月間、ほぼ誰もが初体験という素人集団による選挙戦の真っ最中に、松井は私の疲れを癒すだけでなく、発奮させてもくれたのだ。
 そして、その後の私にもけっこう厳しい現実が待ち受けていたのだが、松井の活躍は、いつも私の背中を叩いてくれた。もちろん、メジャーリーグの試合結果を見るのが最大の楽しみになっていた。

 その大好きだった松井がバットを置いた。あの左手首骨折がすべてだった。あれがなければ両膝を手術することもなかったかもしれない。果敢なスライディングキャッチの後も、彼はさして痛がる素振りを見せなかった。左打ちのホームランバッターが左手首を骨折したのだから、後がどうかは想像以上のものがあったことと想う。それを差し引いても彼の記録は偉大さを感じさせる。
 引退試合で松井はどんな言葉を発するのだろうか。ヤンキースは永遠に不滅です!とでも言ったら、ヤンキースタジアムは拍手喝采となることだろう。

 
 これからの松井に・・・師が無念な解雇を告げられた1次監督終了後に充電期間を設けたように、彼にもゆっくり休み、じっくり充電してもらいたい。かまびすかしい周囲の雑音に神経を使うことなく、である。
 ともあれ、ありがとう松井だけは言っておかなくては!

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