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No.2305 幸手商業高校から幸手桜高校に

2013.03.17

 昨16日、幸手商業高校の第65回卒業証書授与式がありました。厳かに始まった式は最後の卒業生退場の際に、クラスごとに担当教師への感謝の言葉が場内に響く場面で、多くの出席者がハンカチを目に当てていたのが印象的でした。
 最近涙もろくなった自分ですが、こうした場面では実は全く違うことを頭に描くようにして感情を抑え、涙を見せない努力をするのですが、今回はそれもできませんでした。卒業生たちの姿が好感度満点だったせいでしょうか。
 涙は素直に自然にまかせたほうがいいですね。ハンカチ忘れると大変ですが・・・。いや、私が忘れたということではありませんので悪しからず。

 134人が巣立った卒業式も、幸手商業高校としては最後のものになりました。昭和16年という激動時に開校した歴史と伝統を誇る同校でしたが、県立高校再編という埼玉県の方向付けもあってその歴史に幕を閉じ、4月からは幸手桜高校として総合学科の高校に生まれ変わります。すでに新年度200人を超える新入生が決定しているということで、伝統を守りつつ新しい学校像を構築していってくれればいいなあと思っています。

 それにしても素晴らしい卒業式でした。

No.2304 第2次安倍政権3ヶ月経過して

2013.03.17

 日銀人事、TPPなど国政は大きな問題を抱えながらも、アベノミクスは好感度を維持してひた走っている昨今です。
 安倍総理の印象は、しっかり検討協議をした上で真摯なマスコミ対応をしているといったところで、発言内容に確固たる裏付けが感じられ、爽やかさも相まって自身の1次政権時とは違いますし、ここ3年半の民主党の歴代総理との違いもあきらかです。
 それでも、一部マスコミには「反安倍が社是」と明言する大手新聞社などもあって、安倍政権の足元を救おうとするかのような表現も見られなくもありません。それでも安倍さんは信念の強さを垣間見せながら、大方の国民の期待を背負いながら、その背負う重みを支持率上昇といった形で示し続けています。

 第一次政権の時も、わずか1年の間に議決させた法案は教育基本法の改正や防衛庁の省昇格など含め、100本ほどのものをこなしたわけですから、精力的に動く総理ではあったわけです。日銀とアフガン給油等々でねじれ国会の厳しさに直面もしましたが、それらも結果的に良好な肥やしにした姿が今なんだろうと思えてなりません。

 日本の国益という観点からも、欧米、アセアンなどの信頼度が高い安倍政権のこれからにますます期待したいというのが私の現状認識かつ感想であります。嫌自民党、反自民党の方でも、そういった方が最近多くなっていることを私の近辺でも実感しています。民主党の3年は日本にとって良好な肥やしになったと思えるようにさらに邁進してほしい安倍政権です。

No.2303 ふるさと(鎮魂の三回忌)

2013.03.11

 今、年は違えど午後2時46分です。2年前のこの時間にここ関東の地でも思わず悲鳴をあげ、身を小さくするような大地震が発生し、その数分後にあの大津波が東北3県、関東2県を襲ったのです。
 この5県では多くの方がお亡くなりになり、多くの財産が失われました。この2年間、遅々として進まなかった復興作業も、ようやくガレキの整理がつき、各地で真の復幸に向けた再スタートが切られていくものと思います。とは言っても、ガレキは整理はついたものの処理量でいけばまだ46%に過ぎず、自治体間では差も見られるということですからふるさとの完全復興はいつのことやら・・・とくに原発周辺の福島の地ではふるさと回帰を諦めた人も多いとか。
 昨日から被災地の三回忌特集の番組が多くなりましたが、風化させてなならないという一途の思いで、私はあの2年前どこで何をしていたかを時折思い出すようにしています。2年間で4度しか被災地を訪ねていない私ですが、現地で触れ合った人たちとのやりとりも同様です。
 これから数年の間、最低でも年に一度はボランティア活動で現地に赴きたいと考えていますが、個人の非力さを痛切に感じる災害の規模ですので、復興に何年かかるのか見当もつきません。現実には早く大手の組織的活動が順調になっていけばいいと思っています。しかし、何をするにも行政と住民との間に異論軋轢が生じることも壁の一つになっているようで、遠い地にいる私たちは、それではいけないと思いながらも根本的には部外者ということなのでしょう。

 北上川の河口付近のある街は、川と海に挟まれる地形に街が形成されていたことから、北上川を遡上した津波が、海側からの津波よりも早く街の後ろ側から襲い、砂地の土壌を深くえぐった結果、街が消滅してしまったということです。もちろん海側からの津波も強烈だったはずですから、街の中で渦を巻いたかのような惨状になったのではないかと思います。110名ほどの行方不明者が出たものの、その捜索活動は1年以上たった昨年の秋から始まったというのです。なにもかも想像を絶する津波だったのでしょう。津波は当初のうちは静かに忍び寄るのだそうですね。

 この消滅した街を久しぶりに訪れた元漁師だった住民が、吹きすさぶ風を受けながら「あのふるさとって童謡があるけど、オレはこの歌聞くと辛くなっから聞きたくない。家族も財産も街も無くなって、ふるさと自体がなくなってしまったんだからな」と悲しげに語る画面に目がうるみました。

 あらためて、三回忌にあたり謹んでご冥福をお祈りいたします!

No.2302 ふるさと(遠い地で)

2013.03.11

 北朝鮮拉致被害者救出の厳しさが日に日に増しています。先日も埼玉大会が開催され、飯塚会長によって状況が刻々と瀬戸際近くになっていることが訴えかけられました。
 金正恩に国のトップが移ってから、外交的には温和な方向になるかもしれぬという予測もありましたが、結果は希望的観測でしかありませんでした。現実は真逆の国家体制になりつつあるようで、トップの意志か、それとも操り人形化しているのか定かではありませんが、より危険度を高めているのが北朝鮮の現状です。
 国連の制裁決議に中国も応じたことから、北朝鮮のやぶれかぶれの対応が無きにしも非ずという、いわゆる追い詰められた極限の状態にあるとの見方が大方です。私自身は、それでも裏での秘密情報交換が中国と北朝鮮の間にあるという可能性を打ち消すことができません。信用ならないのはどちらも同じレベルだと感じているものですから。ただ、暴発という懸念は北朝鮮のほうが高いことは間違いありません。ましてや、暴発の種類が核弾道ミサイルかもしれないわけでして、中国はそこまではないと思えますものね。

 拉致被害者救出運動の集いに行きますと、最後のフィナーレは童謡「ふるさと」の合唱になります。参加者の多くは、かなりの発声量でこれを真剣に歌唱しますが、まさに被害者が遠い外地でこの童謡を口ずさんでいるかもしれないとの思いを乗せて、日本海を挟んで見えない合唱をするんだといった精神が感じられてなりません。
 北朝鮮の総人口は約2,000万人です。その半分ほどにあたる1,000万人の署名を集めて、北朝鮮はもとより世界に訴えようと、救出の会と議員連盟の連係で始まった全国1,000万人署名運動は、あと残すところ20万人弱というところにたどりつきました。それも今月いっぱいでという状況が作られております。
 限りなく同じ署名がないようにという前提にたって、私も出来る限り署名を集めたいと思っています。街頭で見かけましたらいつでも署名簿を持っておりますのでご協力のほどお願いいたします。また、私の事務所でも受け付けておりますので、どうぞ署名ご協力ということでお立ち寄りいただければ幸いです。

 

No.2301 一消懸命でした!

2013.03.09

 昨夕、5時半頃のこと、浦和から帰宅後、私服に着替えて事務所で雑務をしようと出かけたところヤケにサイレンの音がけたたましい街中。
 そんなところに、ちょうど知人から幸手市内で大きな火災が起きているらしいという電話がありました。いったんは御成街道駅入口近くの火災現場に行ったものの、燃え盛る炎と煙、そして出動車両と近くの商店の方々、通勤帰りの市民等々集まった人たちでごった返していました。
 数人の知人に会ったものの、自分はただただやじ馬の一人になっていいわけではないと思い、悲しいかな職務的習性で我が家に引き返し着替え直してとってかえすことに。

 再び現場に着いた時は、鎮火したとの話でしたが、なんのなんのその30分後にはまたもや消化の放水が・・・かなりの燃え方だったようで、くすぶり続ける状況は、また息を吹き返すかのように突然火の手をあげるのだとか。まさにそういった感じ。
 消防団活動している人もほぼ見知った顔ばかりですが、中に市議がいて、いろいろ話を聞くことができました。これからの事後処理が大変だということですが、凍えるような寒さが引いていたので、身体的にはさほどでもなかったということです。しかしながら、夕方になって強くなっていた西風に煽られた強烈な炎が吐き出す煙に、風下で活動している隊員、団員たちは目が痛くてしかたなかったようです。
 市内の全分団に召集がかかり、合わせて久喜市からも数両きていたようです。現場地区は第七分団の担当範囲だということですが、他の分団からも相応の団員が駆けつけ、消防署隊員、警察署員などもかなり駆けつけていました。

 私も、着替え直して行ったものの、これといって役立つこともなく警察官に状況を確認する程度でしたが、その私に公明党の市議さんが近寄ってきて「県議!バスがあそこで2時間半立ち往生したままなんですって! なんとかなりませんかー」と。
 私はしばし考えて、バスまで確認しに行き、即付近にいた警察官に「もう乗客は全員降りてはいるけど、駅で待っている人がいるかもしれない。勤労福祉センターの信号までバックさせて日光街道から回してやることはできない? もし、できるなら後ろ見て上げてもらえたら助かるんだけど」と言ったものの、気になることがあって、バスの運転手さんに「路線運行ルールで路線以外の道路を走ってはいけないということがあるんでしょうかね? そんな悠長なことは言ってられないと思うけど、心配だったら本社に電話して確認とったらどうかな」運転手さんはすぐに電話。
 「緊急時は仕方ないということです」 そりゃーそうですよ。整理にまだどのくらいかかるかわからないと言ってる状態で、さらに何時間も立ち往生するわけにはいかないでしょうから。それで、無事バスは100メートル以上をバックして4号経由で駅にたどりついたということです。

 今号の掲題は、消防服を脱いだ団員さんの中に、あの文字が背中に書かれたシャツを着ている人がいて、なるほどと思ったものでタイトルに使ったのですが、現場で撮影する不謹慎さを重んじ、写真は撮りませんでした。
 日本語と漢字の素晴らしさを、幸手の消防の素晴らしさに合わせて感じた次第です。
 それにしても久しぶりに出会った大火災、火災家屋の家主の方に慎んでお見舞い申し上げますと同時に、消化隊はじめ関係各位にご苦労さまでしたと申し上げたいと思います。

No.2300 中央特殊武器防護隊

2013.03.07

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 昨日のことですが、前々から構想を練っていた自衛隊大宮駐屯地の視察をようやく実現することができました。ファイル 239-3.jpg
 これは自民党一期生14名による新彩会の会長を拝命している立場として、ほぼ1年前から企画をあたためていたのですが、相手側が日程上、視察に応じにくい状況が続いていたことから延び延びになっていたものです。
 目的は施設内にある「化学学校」と「中央特殊武器防護隊(化学防護隊)」を訪ねるものでしたが、考えていた以上に素晴らしい視察になりました。

ファイル 239-1.jpg まずは、化学学校の岩隈一佐教育部長の講話を拝聴し、その後防護隊のNBC偵察車や特殊防護マスク、放射線探知機等々、実際に福島などで活躍した近代装備の実物を拝見し、特殊車両による除染訓練を見学しました。
 野次馬的興味は少なからずありましたが、今回の視察は防衛面の観点からというよりは、国民の安心安全を守り、緊急時にはその命を救けるという自衛隊の持つ大きな意義を改めて実感させてくれた次第です。

ファイル 239-2.jpg 視察を思いついたきっかけは、昨年初頭に県議会で「日本を守る」といった趣旨のセミナーを開催した際、岩隈一佐が講師としてお越しいただいたことによります。海外から最高峰の勲章を授与された岩隈氏は、よくよく話してみると、なんと私と高校が同窓ということでした。そんな出会いが今回の視察に結びついたということです。どちらかというと、まだ若い方なのですが、講話を聴く限り、日本の安全を背負う一人であることは間違いありません。
 最後のお礼の挨拶で、自衛隊は暴力装置だと言った政治家が最近までいましたが、国と国民を守るということがどれほど大変なことか、その一部が理解できたといったフレーズを含めて感謝と激励の言葉を投げかけました。

 

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