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No.2355 違った夏のあらしに亭主反省

2013.08.08

 先月末から1週間ほど関西にいる二男坊家族が帰ってきていた。6歳と5歳のちびっこギャングどもは、ますますやんちゃの盛り。来れば嬉しく、しばらくするとうるさく、帰ると寂しくといったところで、8月6日の二男坊の誕生日・・・というより一般的には広島原爆の日に帰ったその夜、鈴虫以外の音が耳に入らないほど一気に静かになり、二人共疲労感にどっと襲われた。家内などはその晩早速体調異変と相成った。
 翌日午後、さらに家内は繰り返し吐き気をもよおし、浦和に出かけていた私にSOS。とって返して事務所に行くと、彼女青白い表情のグッタリ状態で何度もトイレに。40年連れ添ってこんなこと始めてのこと、これはまずいとクリニックへ自前救急搬送。とくに、これという所見はなく点滴をうってひとまず帰宅し、吐き気抑止剤を飲ませる。

 昨夜、帰宅後即寝かせ、6時過ぎてまだ床についたままですが、大きな異変はない様子。これから本人に聞いてからにはなるが、お粥でも作ってやろうかと。ところが、コメと水の分量がわからず家内に聞かなければできないことが判明! 亭主とはいったいなんなのか! 洗濯してあげようと思っても、洗濯機のどこをどう押せばいいのか扱いがわからない。まったく亭主が妻にしてあげられることって、たいしたことないなあと・・・言い訳っぽいのですが、一応、昨夜は洗濯物を取り込んで、たたんで、キッチン周りを整理してといったことはしたのですが、家内がいないとなんにもできないに等しい自分に情けなさいっぱい!
 見た目以上に丈夫でいてくれるカミサンに感謝の念がふつふつと・・・えっいつまで持ち続けられるかですって。思いというか、気持ちは充分自信がありますよ! 

No.2354 申し訳ありません!

2013.08.05

 月末月初、公務も慌ただしかったのですが、孫どもが遠来してきたもので落ち着いてパソコンを開けない状況となってしまいました。
アクセスいただいている皆様には深くお詫び申し上げます。

 さて、間が空きすぎましたが、毎日のように飛び込む政治関連ニュースに前号の続きを加えて思いを書いてみたいと思います。
 とにかく、民主党の選挙敗戦後の対応は、党内真性保守系議員の怒りの声が聞こえてきそうな雰囲気です。日教組の大御所が参議院の副議長に就任するということに加え、同党参議院会長に北沢元防衛相がすんなりおさまるのかと思いきや、またまた輿石系の議員が選挙戦承知で立候補する動きとなっています。
 この動きで推薦人が確保できるとなると、民主党もかなり左傾化した党だということが再認識できるわけですが、こうした党がそもそも日本を牽引していけるはずもなかったということも再認識できるところです。
 副議長は、土台名誉職ということで、実務的には党会長のほうが発言力等々かなりのものを有しています。北沢さんの優勢は確実のようですが、万が一逆転などという事態になったら、政界再編のまえに民主党分裂が真実味を帯びてくるでしょう。
 だいたい、今の巷の声を聞く限り、民主党の前途は暗いとか無いとかいう考えが多く聞かれます。設立当初のトロイカリーダーたちを見れば、皆元自民党議員だったので、自民党に対立する別の保守政党という見方が大半でしたが、野合政党という実態が、政権奪取を画策するマニフェスト作りの中で芽を吹き始め、自然と左傾化への流れを強めていったと考えられます。
 小沢一郎さんが先の選挙戦直前にネット対談で語った次の言葉が逆に前述の実態を裏付けています。「僕は最近左よりだと言われているようだが、どうしてそう言われるのかわからないんです」

 白々しいとはこういう発言を言うのではありませんか。
 選挙の結果は、小沢さんだけでなく政治をできなかった民主党そのものに鉄槌を下したのです。自民党が大敗した時の敗戦事情とはまったく違うということを有権者が理解したということではないでしょうか。

 さて、ここにきて、民主党は社会保障制度改革についての自公民3党実務者会議から離脱することにするとか。野党の立場では主張が通らないという立場を鮮明にしたと思われますが、ならば、自公は選挙前からこの協議に応じていたことをどう理解しているのでしょうか。今の社会で大切なテーマの一つですから、離脱を選択するというのは直前与党としていかがなものかと感じる次第。
 こうした動きを見て、私が感じるのはすでに断末魔状態というのが、民主党の実態ではないかと。保守系議員をまとめるリーダーよ、出でよ!とおもわずにはいられません。小さくてもいい、主義主張を同じくする議員が自民党に取り込まれるのが嫌なら、別の党を立ち上げればいいのではないか・・・そこから新たなスタートを切って、次なる再編に向かえばいいと思うのですが、おそらく次の選挙でどういった立ち位置をとるのがいいか、後援会はどう考えるかなど、当選してなんぼの選挙事情が複雑に関係しているのでしょう。

 しかし、早けれれば早いほど長い目でみて結果オーライだと私は思うのです。

No.2353 未来に向けた選挙戦のあと

2013.08.01

 各地のゲリラ豪雨被害が広がっているようです。考えられない近頃の天候は、30度で暑い!と言っていた私たちの子ども時代と大きく様変わりしていることがわかります。そして先行きどうなるのだろうという不安感さえ感じます。
 さて、自民党員として先の参議院選はほぼ満願の結果となりましたが、いろいろと今後を考えるきっかけを与えてくれた選挙でもありました。
 有権者の投票行動が今後の日本の政治にどのような影響をもたらすのだろうか・・・。そして、なにより野党が政策論争で有権者を2分する本来の政治の仕組みを取り戻す以前の問題として、一言で言って、情けない!状況に陥っていることも気がかりです。
 とくに民主党ですが、もはや党としての体裁すら感じられない状況です。保守系政党を謳いながらもまったく方向性を違える野合集団であったことが短命政権のみならず短命政党に終わりそうな原因だと確信できるところです。申し訳ないですが、多くの国民は選挙が終わってからのこの党の実情からそう感じているのではないでしょうか。
 自ら責任をとろうとしない代表が何をかいわんやですが、幹事長に組合出身の大畠氏を据える海江田代表の思考も魑魅魍魎です。海江田氏自身がこれからの民主党を保守自民の対立政党として完全左系政党として再構築していきたいとの意思表示なのかもしれません。しかも、副議長にあの輿石氏を推す声が若手に多いというのも、あらためて「ああ、そういう党だったんだなあ」と再認識させられます。
 すみません・・・出かけなければならない時間になりました。後ほどまた!

No.2352 殉職者慰霊碑除幕式

2013.07.27

ファイル 294-2.jpg 平成22年7月25日、秩父大滝山中で遭難者救助にあたっていた埼玉県防災航空隊のジェットヘリ「あらかわ1号」が、その困難を極める作業中に墜落炎上した。人命救助完遂途中での惨禍は、全国に衝撃をもって伝えられたが、それから3年、殉職者5名の功績を伝える慰霊碑が建立されることとなり、今日その除幕式が挙行された。
 その慰霊碑は、三峰口駅をすぎ、滝沢ダムからさらに奥に入った、山梨に通じる雁坂トンネルの数キロ手前の山深い場所である。のどかな感じはするが、野生動物が多く住み、冬の雪深さを想像させるが、あの忌まわしい事故が起こったことなど感じさせない。幸手から車で片道約3時間ほどのかかる。
 慰霊碑は事故現場上空を臨む地に立っている。

 昨年の6月議会での一般質問で、いの一番に掲げた質問がこの事故に関するものだった。まだトップページから動画を見ることができますので、よろしければ・・・・。
 選挙戦が終わり、なにか書かなければと思いつつ、なかなかじっくりとした時間が持てません。近々総括話でもしたいと思っておりますので、今しばらくお待ちください。

No.2351 全国比例区も候補者名を!

2013.07.21

 暑かったり、涼しかったり、肌寒かったり・・・おかしな陽気が続いた真夏の選挙戦が終わりました。選挙に夢中でいるうちに、山形では大きな水害が発生していたり、関東地区では雨足らずでまもなく10%程度の取水制限が予定されています。
 まずは、被害に遭われた地区ならびに住民の皆様にお見舞いを申し上げたいと思います。

 そして、長い選挙戦を戦い終えたすべての関係者の皆様、たいへんお疲れ様でした。いろいろな感想が残りましたが、私がもっとも嬉しかったのは、いつもの選挙より、熱心に候補者の話に耳を傾ける若い人たちが多かったと感じられた点です。反面、選挙を毛嫌いするような方が相変わらずいらっしゃることは残念でもありました。
 ところで、我が家では過去一度も投票しなかったことはありませんが、投票率低下の問題は、新たな国会で真剣に議論するべき問題かと思います。
 新時代、新世代に向けた政治教育は、その中身をいかに構築するかという難しさはありますが、高等教育のあり方として欠かせないと思っています。
 選挙への関心は、押し付けるものではありませんが、政治に目を向ける姿勢を養うことは国の存亡に関わると言っても過言ではないと思っています。

 さて、投票システムで再度申し上げておきたいこととして・・・全国比例区の書き方についてですが、過去の流れから政党名を記入するというイメージで固まっている有権者がかなり多いようです。しかし、全国比例区も候補者の名前を書くことができますし、その方がより候補者そのものを応援することになるということをご理解いただきたいと思います。
 それでは皆さん、いざ投票に!

No.2350 アメリカンドリームの崩壊

2013.07.19

1900年 285,704
1910年 465,766
1920年 993,078 
1930年 1,568,662
1940年 1,623,452
1950年 1,849,568
1960年 1,670,144
1970年 1,511,482
1980年 1,203,339
1990年 1,027,974
2000年 951,270
2012年 701,475

100年以上の歳月の間に劇的な人口の増減が見られたある街・・・掲題からすでにどこの街のデータかお察しかと思いますが、今日、驚きの財政破綻申請をしたアメリカのデトロイト市の人口の移り変わりです。
 私の生年と同じ1950年がピークで、この時全米第4位を誇っていた。それから62年経過してなんと115万人、62%もの人口が減少することとなった。今や全米18位の人口規模。

 このデトロイトという街、私世代にとってはかなり記憶に残る街のはずだ。なぜなら、中学1年で習った地理で、当時憧れのアメ車を作る自動車生産世界一の街という印象で、ただただそれだけの内容で後世にまで記憶に残っている街だからだ。
 中1と言うと1962年頃のことだから、その頃すでに人口が減少し始めていたことになる。ここが大きな驚きと言える点だ。
 たまたま、タイガースという日本になじみの深い名のメジャーチームがあったことや、タイ・カッブという名選手も日本では知名度3本の指に入る大選手だったこともある。野球大好き少年にとって、ヤンキース、ドジャース、ジャイアンツ、そしてタイガースは大リーグを知る最初のとっかかりだった。日本のプロ球団で大リーグチームと同じ名を持つチームはGIANTSとTIGERSという人気球団だけだったのも特徴的だった。
 私自身は、デトロイトという語感が好きだった。なぜか行ってみたいと感じる街でもあった。残念ながら、今だに北米大陸は未知の土地なのだが。

 前述のように、地理で学んだ時には、人口の減少傾向が始まっていたわけで、10年刻みだとそれがよくわかる。そこが最大の驚きなのだ。60年の時を経ると、栄華を誇った一大産業都市でもこんなことになる!アメリカンドリームの最大の見本かもしれない。
 185万人というと、日本ではちょうど1970年の101万人から今191万人の大都市になった札幌が同規模だ。大体、日本の政令都市は人口の増加している街が多いが、鉄鋼の街北九州市がこの30年で約10万人減っている。以外にも大阪市が1970年からの30年間で298から260と40万人近く減ったが、その後の10年で6万人ほどだが幾分挽回している。

 こうしてみると、北九州の例でも若干理解できるが、当然のことながら、ひとつの産業に頼る街はその産業の衰退とともに街も衰える傾向は理解できる。しかし、それ以上に人口減少による税収減、高齢化による福祉費増大といった歳入歳出のバランスが年ごとにイビツになってはいないかといった観点が大切だと思う。そうそう、人口の年齢分布もかなり重要な都市財政の長期スパーンファクターだろう。
 何号か前に、週刊ダイアモンドの2040年の貧乏度ランクの件についてふれたが、全国第2位と予測された幸手市でも、現状認識と最悪と最善の比較未来予測を構築して今後の行政運営に取り組む姿勢が求められるということか。わずか人口5万なにがしの地方都市の疲弊から破綻への道は、デトロイトほどの時を要しないと考えるべきだろうと思う。
 そんな思いに駆られたデトロイト財政破綻のサプライズニュースだった。

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