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No.2457 インフルエンザに負けるな!

2014.01.22

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 昨夜の雨は雪に変わる可能性もあるという予報ははずれたようだ。それはそれでよかった。雪を求めてスキーに行くとかいう気も薄れている年齢ゆえ、生活の場での雪はご遠慮したいと思うのは誰しも同じかと。

 さてさて、朝の登校パトロールでここのところ異変が。
 集団の中でいない子がいるなあと気になりはじめて、その数が複数になったところで、先週から数日にわたり姿の見えない子どもも出てきた。すると、通学の子どもが「1年生で学級閉鎖が出ています」と教えてくれた。間に土日を挟んでのことだから、「あの子」はかれこれ1週間以上は辛い思いで布団の中なんだろうと思う。可哀想に!

 市役所で確認したところ、市内二ヶ所の小学校で数クラスの閉鎖が出ているという。それも、まだ最近のことなので他に広がらないことを心配していた。もっともなことだ。自分も今ほど長い喉風邪は記憶にない。ようやく扁桃腺の痛みは無くなったが、いがらっぽくてどうにも落ち着かない。新年会に招かれる数もハンパではないので、いろいろ思案しながら、お会いする皆さんに失礼の無いようにたたずまいを整える。不思議とそういった場では咳が治まるので助かっているが、夜になると完調ではない証拠なんだろうと感じるしつこい咳が出る。
 相変わらずの睡眠不調も原因かと感じているが、かならずしも長くて深い眠りが健康に良いとは言えないと伝える内容にふれると安心感も芽生える。人間とはかくも都合良く出来ているものだ。

 うがい、手洗い、マスクの基本3原則を守って、あと1ヶ月ほど続く新年の宴会を乗り切りたいと思う。
 それにしても、子どもたちに重い症状が広がらないことを願いたい。やっぱり子どもたちは、どんな空の下でも元気でわんぱくな姿が似合うから。

No.2456 小野田さん、どうぞやすらかに!

2014.01.20

 終戦後にもかかわらず、29年もたった一人の戦時密林生活に人生を費やした小野田元少尉が91歳で、その数奇な人生の幕を閉じられた。
 
 長嶋さん引退の年・・入団ではなく引退ですよ。また、その前年には、あのハイセイコーが老若男女の話題をさらい、競馬ブームにわく社会現象が起こり、高度成長に一区切りがつき、第一次オイルショックが起こってもいた。
 ついでに言えば、我が家では前年の春に結婚、翌夏に長男が生まれた。そんな昭和49年のこと。

 そうした、戦後の高度成長による平和と安寧を謳歌できるようになっていた世情の中、真っ黒に日焼けした小野田さんがその姿を現した。小野田さん、その時51歳になっていた。テレビ画面を通じて日本中に驚きと歓喜の渦が湧き上がった。
 誇りある日本兵といった様子で、日本以外でも賞賛の声が・・・いや、そのはずだったが、その半年後には小野田さんはブラジルへ移住することとなる。お兄さんをたよってというのが当時の説明だったと思うが、実際は、小野田さんは「軍国精神を煽り、戦争を美化する亡霊のようだ」という評論批判、巷の声に厭世観を強く感じ、嫌気がさしての移住だったという。

 国や家族のために遠い外地で戦死された英霊や、この小野田さんのように、祖国を愛しつつも、戦争が終わっていることもわからないまま死の恐怖の中、食うや食わずの密林生活を強いられた人がいてこその平和ニッポンであることを、認めようとしない社会の一面が生じていた。まさに、これこそが戦争のイメージを抱いて帰国した小野田さんを忌み嫌うという意味において、平和ボケというシロものではなかったのか。
 好きで戦争意識のまま無駄な29年を過ごしたわけではない小野田さんになんと非情なことをしたのだろうか。

 
 とくに、小野田さんがその意を強くしたのは、全国から小野田さんに寄せられた寄付金を、靖國神社へ寄付したことに対する世論に対してだった。絶対世論ではなかったものの、小野田さんにとっては誠に受け入れがたいことだったと思う。今は、当時以上に靖國が謂れ無き戦争との関わりを持ち込まれ、英霊も静かな眠りを妨げられている状況だが、小野田さんは何のために、誰のために・・・の思いで29年もの孤独な生活を送っていたのかと思うと、なんと冷たい仕打ちをしたものかと思えてならない。

 私は、小野田さんに「帰国後の40年間の人生は幸せだったですか」と聞いてみたかった。愚問かな?
 そしてもう一つ「小野田さん、あなたはどこに眠りたいですか?」と問うたなら、「ええ、できれば多くの仲間が眠る靖國に共に眠りたい」という答えが返ってくるような気がするのですが・・・。
 私は今後、靖國に奉じる際には小野田さんにも思いを馳せて奉じたいと感じるのですが、小野田さんは靖國には祀られることはありません。
 でも、まさに小野田さんこそ最後の英霊ではないのかと思います。
 マスコミ各紙が伝える小野田さんの近影は、とても穏やかな優しい笑みを浮かべています。この小野田さんの顔がなんとも言えず素晴らしく感じられてなりません。こんな笑顔が浮かべられる老人になりたい。

 小野田さん、ようやくあなたは壮絶な人生の戦いから解き放たれましたね。どうぞ安らかに。合掌

No.2455 三ッ林裕巳議員賀詞交歓会

2014.01.19

 新年会華盛りだが、今日開催された三ッ林裕巳衆議院議員の賀詞交歓会は素晴らしい会だった。昨年は、あの熱い選挙戦の1ヶ月後だったこともあり、人数的には多かったが、なんとなく会自体にバラツキといったようなものがあった。今年はそれを参考にしたようで、人の集まりをじっくり待って、ほぼ定刻に始まり、早いうちに本人の挨拶を用意し、一気に盛り上がった感じだった。
 もちろん、代議士の挨拶がいつもながら熱の入ったわかりやすいものだったので、参加者も心地よい感覚を持ったと思う。

 乾杯の後は、例によって来場した政治家たちの挨拶と紹介が長く続くパターンで式次第が組まれたが、とくに長話をする人もなく、淡々と会の余興のような感じで、それはそれで良かったと感じた。

 代議士本人は来場者たちとの触れ合いのため、会場内を丁寧に歩いていたが、この日の午前中は第81回自民党大会が東京であったので、さぞや疲れたことと思う。しかし、そこでの話題も挨拶の中にあったので、タイムリーな状況ではあったようだ。力がみなぎる三ッ林裕巳議員に自分も気合を入れられた気分だ。

No.2454 殿、ご乱心召されるな!

2014.01.15

 東京都知事選がにぎやかになってきた。私にも、どうなの?という声がかかるのは、政治家のはしくれだからか。そのはしくれとしていくつか感じることはある。
 そもそも、細川さんは小沢さんにかつがれてセンセーショナルに首相に駆け上った人だ。しかし、その地位をわずか8ヶ月で放り投げた経緯を持つ。その辞任表明で語ったことは「私の個人的資金を流用して秘書が蓄財増財したことで職責を全うすることは不適切だと判断した」というものだ。いわゆる、自らの資金疑惑が政治空白を作り始めたところで、責任を他になすりつけて首相の座を降りた御仁だ。

 具体的には、東京佐川急便からの1億円献金問題が世間を騒がし、逃げ隠れ出来なくなり、出した結論が総理辞職だったということだ。その辞任表明で語った内容も嘘で固められていると、当時の評論家をはじめとする有識者たちは言っている。
 小泉さんにもがっかりした。これに、宇宙人元総理や、本質の低さと軽さが露呈した空き菅さんが相乗りといったことにでもなったら、日本の政治とはいったいなんなんだ?という思いしか浮かばなくなる。それほどひどい!という感覚に今襲われている。

 さりとて、舛添さんにも一抹の不安は拭えないし、宇都宮さんはまったく・・・。
田母神さんは今の日本に必要な感性を持っているとは思うが、人の意見に耳を傾ける度量が不明(舛添さんなどこの点乏しい人間だと思う)ということと、その傾ける対象、つまり取り巻きが不明という点が今ひとつ押しきれないところだ。ただし、元航空幕僚長というだけで右翼だとか危険だとかとは私は思わない。数万人いる航空自衛隊員を束ねてきた人であることは間違いない。講演も何回か聞いたし、本も読んだが、的確な外交防衛論を基礎とするしっかりとっした国家観を有している人だと感じる。そういう意味では未知への期待は感じさせてくれる。

 だいたい、今の安倍政権政治を暴走とか戦争に突き進むとかの、かなりヒステリックな物言いで批判するマスコミがあるが、けっして有権者はそれを鵜呑みにしない感覚を持ち出している。あまりにも安倍批判が下劣過ぎるので、なんとなくおかしいぞ!と目を覚ましつつあるのが実情だろうと思う。
 都知事選でも、マスコミに踊らされないよう有権者には頑張ってもらいたいと思う・・・が、東京の新しく成人した若者へのアンケート結果では、1位が東国原さんで、その後が舛添、マツコDX、有吉だというので、なんとなく悲しい思いにさせられた。

 大消費地ではあれど大生産地ではない東京では、TPPは無関係ではないが、さしたる争点にはならない。原発も無関係ではないが、東京に原発があるわけではないので都知事の職性には入らない分野と考えると選挙の争点にするのはいかがなものか。反原発の信念を都政に活かす方法論があるのだろうか?
 はたまたオリンピックのプロデュースだけが都知事の仕事でもない。ただし、国政との関係が強いことは間違いない。
 47都道府県知事中の知事であるから国政に影響力は持つのはわかるが・・・こうして考えてみると東京が他の都道府県とかけ離れているとの想いが出てくるのは私だけか・・いったい東京ってなんなの?
 実は、私とっては川口市長選挙のほうが重たいテーマなのです。すみません!

No.2453 友、遠方より来たる!

2014.01.15

 寒くて忙しい! 短的に言って、こんな新年の感想か。なにせ、晴天は続くものの気温が低い。太陽の恵みを再確認する毎日だ。

 そんな中、私にとって欠かせない友が九州からやってきた。共通の友の還暦祝いに出席するためだ。私は当日参加できなかったが、翌日、会うことができた。文章では人間関係の説明が難しいが、かなり歳の差がある女子が常に幹事調整役をかってくれるお陰で、総勢6名が久しぶりに顔を合わせた。かの還暦も来たので、まるで2日続けて彼の祝いをやった感じだが、こうした場合、理由や目的などどうでもいい。会って、呑んで、話すことがなによりだ。

 昔は、最終電車など意識せず、めちゃくちゃ呑んで言いたい放題の夜がよくあった。それでふと思い出したことに、その九州の友とはよく政治の話もした。なかなかの風流人で好みも独特だったが、新聞の政治欄によく目を通している男でもあった。男の付き合いにどこがどうだという細かい理由などないのだが、とにかく私に対して大きな包容力を持ってくれていた。
 今の私の姿が適任だと決め込んでいる。それは、彼にとって嬉しく喜ばしいことであるかのようにだ。

 複数でいると、私が他と会話するのをじっくり聞いているタイプで、自らの意見の多くは語らずポツポツと静かに口にする。その多くは、私の意向思考への賛同者であったが、時折、譲らない頑固さも持ち合わせている薩摩っぽだった。私は彼に包まれていたような・・・そんな感覚があらためてしたものだ。
 「どうしてるんだか?」とちょくちょく思うが、さりとて☎をするでもなし、メールも滅多にせず、頭によぎることだけで充分のような感覚のもてる不思議な友。そうそう、私の付き合いの中でも、彼ほど家内が全幅の信頼を置いている人間はいない。嬉しいことなのだが、これは私が持っている家内の七不思議の一つだ。

 一番感じることは、この友と知り合えたことが、我が人生をすごく満足感で覆っているということか。静かな激励をまだまだもらいたい友。いや、言わずともしてくれるはずだ。周りが言う。「理解できないおかしな信頼感でつながっている」と。そうかもしれないと一人ほくそ笑む自分がいる。

No.2452 新年早々嬉しいことが・・

2014.01.09

 7日に知事公館での恒例の賀詞交歓会があり、新年の仕事明けとなったわけですが、私にとっては小さいながらもとても嬉しい出来事が、この会場であったんです。いや、小さいと言っては当の相手に失礼にあたるやもしれません。
 なにが!ということなんですが、実は他の会派の同期議員が、新年の挨拶で私に近寄るなり、昨年の12月議会での私の一般質問が素晴らしかったと感想を述べてくれたんです。さらに加えて、「最後の質問に入るまでの論理の展開がすごいなあと思ったんですが、隣の席の○○くんも同じこと言ってました」ときました。本来、議員間の会話での褒め言葉は、鵜呑みにできないのが常識のようなものですので、当然の流れとして謙遜はしたものの、よくぞ言ってくれましたの心境になれたんです。

 この議員は、年齢は私の息子よりも若いくらいですが、常日頃から真実一路なタイプで委員会質疑でも議案の題目だけでなく、しっかり内容を把握して質疑をぶつけるので、執行部もたじたじといった場面があります。こういったタイプの人、とくに若者はなかなかおいそれとはお世辞は言わないもので、本音を(私にはそう感じられた)吐露してくれたんではないかと素直に思えました。同じ会派であっても、ライバル心が芽生えると、そうは本音で褒めはしない世界ですが、今回の場合は「信ずる者は救われる」の心境といったところ。
 ○○くん、ありがとう! 次なる機会への励みになりましたよ!
 そして、君の次回を大いに楽しみにしています。
 

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