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No.2668 政学混同で大学の権威は守れるのか!

2015.11.07

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 平和安全法制は思わぬ波紋を呼んでいる。
 すでにご承知のことと思うが、よくよく考えるにつけ、驚愕すべき実態が京都の同志社大学で発生したことに疑問を禁じえない。

 同大学の学長選挙で、現職の村田学長が安保法制賛成論者として与党の推薦で特別公聴会に出席したことを批判材料とされ、わずか1期で新人候補の松岡氏に破れたというのだ。
 選挙は教職員約930人の投票によるものだが、私が恐ろしい事実だと感じるのは、その投票内容が公にされていないことだ。

 これは第三途上国や紛争状態の国の選挙と変わらない。選挙に秘密選挙など有り得ないし、松岡氏を担ぎ上げ村田氏を批判していた教職員は、報道によるとわずか90名なのだ。学校運営の、しかも公正さを最も重んじるべき学長選挙で不正が行われたのではないかと勘ぐりたくもなるではないか。

 村田氏はアメリか外交、安全保障政策論を専門としており、産経新聞「正論」の執筆者である。私も何回か読ませていただいたことがある。対中国外交において、日米安保強化は当然といった論説を展開している。
 イデオロギーは個人の自由である。しかし、今回の問題は大学の一部が選挙において思想的に偏向的批判を展開して、学長を更迭したも同然だ。
 まるで、同志社大学に教職員シールズが存在しているような左翼的運動を公然と行ったということである。こんなことがあっていいはずがない。

この同志社シールズが行った村田批判の内容は詳しく報道されているが、まさに左翼の論調そのものだ。
 山梨の高校で「安倍政治を許さない!」といったポスターを校内の掲示板に貼った行為に対し、校長が問題指摘したものの、逆にくってかかる女性教諭がいたという事実もある。
 教育現場の荒廃は、地域特性を有しながら徐々に進んでいるように感じるが、京都市という土地柄も、日本人なら誰もが好きな街なのだが、政治的には昔から左翼リベラルがしっかり根付いた街だと言われている。
 

 しかし、同志社大学が今回、学内選挙にイデオロギー闘争を持ち込んだ事件は、社会に与える影響は大きいはずである。より具体的には在校生や受験生に与える影響が少なくないし、同大学が偏った思想の温床大学に変質していく可能性も無きにしも非ず。
 同大学のイメージダウンはもちろん、これにより、全国の大学にもこうした風潮が増長してくる可能性は指摘するに充分な気がしてならない。
 とにかく、選挙結果は公開すべきである。

NO.2667 マイナンバー制度はこのまま進行? 

2015.11.07

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 昨日の№2666に質問メールがありました。

◆その小学生は何年生でしたか?
  昨朝、ご老人がおっしゃていたのには「君は何年生なんだ?」と聞いたということでした。6年生の男子だったそうです。聞いていたのに書き忘れて申し訳ありません。
 それにしても6年生にもなって高齢者を顎で使うなどとは・・・・・こうした場合、悪気がないとしたらそれが一番の問題かもしれませんね。

 さて、本題に入って・・・
マイナンバー制度はいったいどうなっているのやら。自治体のミスはあるは、詐欺もすでに多発。
 今日また郵便局員による不祥事が発覚。直接手渡ししてサインをもらうことになっているのに、ポストに入れて自分で勝手にサインしていたとう。理由は早く仕事を終えたかったらとか。理由が理由なので、マイナンバー制度自体に問題があるということではないかもしれないが、どうにも鳴り物入りで採用されたこの制度、どうも想定外が多すぎてスタートそのものが早計だったのではないかと感じる。

 政府肝いりの新制度であり、私も政権政党の一員ではあるが、今の状況であるならば、通知の受け取りは拒絶しないが、申し込みをしたいとは思わない。いや、とんでもない事態が発生しないとは限らないと考えると、とても実用する気にはならない。そんな気にさせる状態で見切り発車したことが問題だと感じている。

 それにしても、最近、組織のトップが複数並んで起立し「まことに申し訳ありませんでした」とこうべを垂れるシーンが多いとは思いませんか。社員教育の不足や倫理観の欠如が引き起こす事件がこれほど多いのも現代事情なんだろうか?
 トップによって組織は変わると言うが、幸手市はどうなんだろうか?
 どうも主権市民にとって市界不良状態が続くようで。

No.2666 頼もしい老人

2015.11.06

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 新日本風土記の音楽に魅されながらパソコンを開いた。最近のテレビは地デジに見るべき内容が少ないので、ほとんどBSに合わせることが多い。新日本風土記の他にも、ワイルドライフ、地球ゆうゆう紀行、グレートネイチャー、世界ふれあい街歩き、美の壺、空中散歩・・・・アガサ・クリスティーものや日本百名山も見逃せない。結局は録画しておく場合が少なくないのだが、それを見る時間がないので、外付けディスクがすぐにあふれてしまう。

 さて、今時の子どもたちが見る番組はやはり地デジ中心なのだろうと思う。その際、家庭内にいわゆる映倫なるものが存在しているかいないかはこどもたちの成長に大きくかかわるのではないかと思えてならない。ゲームにひたる時間も含めると、そこには私たちの時代とあきらかに異なる子どものディスプレイ世界がある。
 良くも悪くもというか、とくに悪い面についてテレビが子どもに与える影響は、その原点に、やはり家庭教育があるはずだ。そんな思いがしてならない。

 また余談が長くなった。
 今朝、登校パトロールしているところに、長年親しくさせていただいている80を過ぎたご高齢の方が話かけてきた。毎朝、あいさつだけで通り過ぎるので、どうしたんだろうと・・・ご老人は自転車を止めるなり、『枝久保さん、4丁目に公園があるでしょう。そこで昨日子どもたちが楽しそうにサッカーをしてる姿をながめていたんだけど、ある子どもがこっちに近寄ってきて「おじさん、こっちにボール来なかった?」と聞くもんだから「そっちの植え込みの中に入ってたんじゃないかな」と教えて上げたんですよ。そしたら、その子どもがなんて言ったと思いますか』と私に尋ねた。

 私は「丁寧にありがとうございましたとでも返事したんですか?」と返したら、少し顔つきが変わって「とんでもない! おじさん、あのボールとってきてと言ったんですよ。どう思いますか枝久保さん。なってないね、最近の子どもは。親の躾にも問題あるんだろうけど」とまくしたてた。

 普段は温厚で優しい礼儀正しい、私の大好きな老人が見せた怒りの表情は、とても信じられないくらいだったが、あくせくと高度成長に貢献した老人世代にとって、激減した地域の子どもたちの元気に遊ぶ姿は、残された自適余生の中で、ほのぼのとした感覚で眺める癒しの対象になっているはずなのだ。ところが、逆にストレスに結びつくという事実を知り寂寥感に襲われると同時に、なぜか申し訳ありませんという気持がわいてきた。

 さて、そのご老人、かの子どもに対してどうしたか?
「自分で取って来なさい! 自分ことは自分ですると教わってないのか!」と叱りつけてやったということだった。
 と、子どもは黙ってボールを取っていったとさ。

 「頼もしいご老人」私は、こうしたご老人も少なくなったように思えるのですが、皆さんはどのように感じられますでしょうか。

No.2665 ハロウィンと選挙権

2015.11.03

 急に12月上旬並みなどと聞かされるとやれやれの気分になるが、たしかに昨日とうって変わった陽気に身震いするほどである。 

さて、どうやらハロウィンが全国各地で定着しつつあるようだ。経済効果までが宣伝されているが、基本は若者主体の仮装イベントである。

 渋谷の駅前スクランブル交差点の光景がテレビでも見られたが、若者が意気軒昂に振舞い、それが集団化すると、よくあるパターンとして暴走、暴徒化する。
 あれだけの人数に膨れ上がると、まさに皆で騒げば怖くないといったふう。
 仮面を付けると気持ちが大きくなるのはわからないではない。しかし、いくら変装イベントだからといって、平和安全法制反対のデモ化に変身するのは考えものだし、警察官への暴力沙汰も発生したようだ。酒やドラッグもこうした騒乱に起因している可能性もある。
  

 あの若者たちの多くが、選挙権をすでに持っているか、近々持つことになると思うが、ハロウィンで集まるように投票所に集まってくれるだろうか。そして、縁故しがらみ、見た目スタイルなどに惑わされることなく、政治家としての中身が感じられる候補者を選択出来るだろうか。
 期待と不安の入り混じる選挙制度改革をハロウィンに結びつけて考えると、なんとなくやるせない思いに駆られてくるのだ。

No.2664 《61》

2015.10.28

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 たまっていた雑務処理に追われ、一日が終わるのが早いこと早いこと。時は待たないを実感する日々だ。 

 昨日はお世話になった方のお見舞いに群馬の上牧温泉病院へ出かけ、ついでに水上まで足を延ばした。往路は高速道を利用したが、復路は県道から17号に出る一般道を利用。どうも性分で往復同じ行程をとるのが好きではない。風光明媚な土地柄を訪ねて、同じ道筋を通行するのはもったいない。だいたい一般道の方が季節的な味わいはもちろんだが、思わぬ風情に出会うことがあるのも心をくすぐられる。
 
 週が変わって心地よい秋晴れが続いている。諏訪峡からの谷川岳の眺望は素晴らしかった。水上の蕎麦も山菜天も、たよりない私の味覚を満足させてくれた。まさに舌妙?な食感であった。 

 さて、幸手市長選挙ですが・・・
 61という票差は、両者どちらにも違った意味で重くのしかかる結果だ。ことに敗者にとって胸に去来するものは少なくない。私も経験者の一人として、木村氏の心情はよーく理解できる。

 無効票が前回よりもさらに増えたそうだ。白票や所定外の内容を記入する無効票とは、どちらもその任に値しないという意思表示なのか、それとも投票率を上げる目的で為されているのか。今回のような小差決着の場合、それを大きく上回る無効票があることに虚しさを覚える。 

 そもそも、所沢市に続いて幸手市でも前回投票率を下回った。この状況に歯止めがかからないのは全国的なことであるのは理解できるが、まったくもって昨今の選挙事情には情けない思いが募る。
 そう言えば、木枯らし一番が選挙投票日に吹き荒れたが、あれはいったい投票率にどのような影響をもたらしたのか・・・風神様のみの知るところなのだろう。こうして、熾烈な選挙戦のあとは随処になぜ? なぜ?の思いがついて回る。

 
 幸手市のこれからをしっかり見つめていくことが、今後の私たちに出来ることだと腹を据えることとする。

No.2663 結局は、街の倫理レベルが問われている!

2015.10.25

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 市長選活動も終わり、翌日の日曜日は常に表向きは平穏になります。いや、裏向きがどういう形であるのかはよくわかっていないのですが・・・。

 「トップにとって必要なのは、平均を上回る知性と例外的に高い倫理観である」という論説に昨夜接した。
 いわゆる東芝やVWのトップは、平均を上回る知性はあったが、例外的に低い倫理観しか持ち合わせていなかったというのである。

1.(知性など)能力はあるが、理念や倫理観がない人
2.(知性など)能力はないが、理念や倫理観が高い人
3.双方ともに兼ね備えている人
4.双方ともに持ち合わせていない人


 もちろん、3が素晴らしいことは言うまでもないが、そうそういるものではない。4は論外である。
 そこで論説はこう締めくくる。能力は経験と啓発で備わるものだと。したがって、1より2が勝るのは当然であると。

 さて、この単純明快な論理は、行政トップに求める要件として重要な視点を示している。
 たとえて言えば、5万人規模の街の予算でも150億円以上もの税金の使い道を決める権限が市長に与えられるのだ。この力を誰に与えるかが選挙であり市民ということである。
こう考えると、結局は街の倫理レベルが問われているということであろうか。
 

 さて、幸手市長選の行方、どうなるものやら・・・

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