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No.2641 静かなる幸手市長選

2015.08.27

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 サニブラウン君、残念!しかし、誰も予想のつかない未知の伸びしろを有していることは間違いないと感じさせてくれたし、まだリレーも残っているので、テレビに釘付けの状態はまだまだ続く?

 さて、幸手市長選の10月29日投票日も2か月後となっている。それにしては、なにやら静かな雲行きではある。今年は4月の統一地方選で県議、市議、そして真夏の県知事選に続いて、幸手市有権者は4度目の投票ということで、選挙疲れというわけでもあるまい。ただ、1年間にこれだけ集中することが良いのかどうかは思案するところで、どうせ集中するなら選挙コストがかからない方法論が検討されてもいいのではないかと感じる次第。 

 新人候補、木村純夫氏の集会案内がなされている。香日向小学校や幸手駅舎問題、さらには新人市議が選挙公報で唱えた行政と一部民間組織の癒着問題、そして人事に関する問題も新たなニュースとして問われているようでもあるので、今回の市長選は現市政の財政のやりくりと正義性を争点に火ぶたが切られそうである。
 とくに現市政の各種問題は、私も過去ブログで何度も指摘しているので、木村純夫氏の印刷物に書かれている内容に共感を覚えている。

 公正な行政運営は、財政が厳しい状況が続く自治体にとって最も求められるところであり、それを街の未来志向に関連して選択する選挙、これが新時代の選挙のあるべき姿だと確信してやまない。幸手市に限ることではないとは思うが、しがらみに縛られた投票行為は街のためにはならないということを広く有権者が思考してほしいと思わずにはいられない。

No.2640 16歳

2015.08.25

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 開催中の世界陸上選手権大会で、日本の選手が躍動している。
 夏の甲子園で早実の清宮幸太郎選手が1年生のスラッガーとして、一躍ヒーローになってからまだ数日しか経過していないが、スポーツの世界で、中学を卒業したばかりの少年が“魅せるプレー”を存分に表現してくれることは、この上なく嬉しく感じる。

 サニブラウン・ハキーム選手。200m予選第2組であのガトリン選手と同組で出場。ガトリン選手は余裕を見せた1位だったが、驚くことにサニブラウン選手は他の選手すべてを後ろに置いて2位という快挙を達成した。これで準決勝進出の権利を得たのだが、決勝戦進出も夢ではないのである。
 16歳・・・やはり、数字からうけるイメージは“子ども”だ。しかし、有する能力は大人顔負けというか同等以上のものがあるのだから恐れ入る。
 彼らには、人としてアスリートとしての大いなる飛躍を期待したい。

 こうした明るい話題がなによりだが、少年少女に関するものでは、どちらかというと暗いニュースが気になる昨今である。
 中一少年少女残虐殺人。そして今日、青梅で中学生の飛び降り死亡事件が発生したが、またまた“いじめ”によるものかと気が重くなる。教育現場でいったい何があったのだろうかと。いや、まだいじめかどうかは確定していないのだが・・・。
 猟奇的殺人事件などは、ニュースワイド番組で、あれこれサスペンス推理まがいのコメントが好き勝手に語られるが、虐待やいじめ問題は軽々とは語れない性質の事件として取り扱ってほしいものだ。
 私は、現在でも継続している研究テーマとして、虐待、いじめを重視していることもあって、学校側は真実を明らかにする姿勢に欠け、報道からはすべてが明らかになることはないこの手のニュースを知ると睡眠不足になるのが常だ。
 今晩もそうなりそうか・・・おやすみなさい。

No.2639 高校野球に魅せられて

2015.08.20

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 全国高校野球選手権と言うより夏の甲子園という呼称の方が、心地よい響きとなって耳に届く。中等野球大会から数えて記念すべき100回目の大会は、今月6日から熱戦を続け、下馬評の高かった東海大相模が真紅の優勝旗を45年ぶりに獲得した。 
 毎年、注目して見てはいるのだが、実態は新聞やテレビの事後報道が主体であったせいか、数試合をゆっくりテレビ観戦することが出来た今年は、あらためて高校野球に魅了されることとなった。
 例年以上に注目選手が多くいたこともあるが、試合自体に確かな見ごたえがあった。大差で決した試合もあるにはあったが、多くは両チームともに取りも取ったりの試合か、緊迫した投手戦が多かったように感じる。つまり、双方ともに点を取り合っても最後はきわどい接戦で終わるという試合も含めてである。そこで、全48試合を確認してみたところ、次のような点差で勝敗が別れていた。


◆1点差 15試合
◆2点差  7試合
◆3点差 4試合
◆4点差 5試合
◆5点差 4試合
◆6点以上 13試合

 やはり、1~2点の差で決した試合がほぼ半分あった。これでは、観戦する方も自然と手に汗を握るわけだ。
 早実の清宮くんを筆頭にバッターに注目が集まりやすいのはやむを得ないところだが、投手にも素晴らしい素材の選手が多くいた。16日日曜日の3回戦第2試合で、9回裏関東第一の6番バーッターにサヨナラ本塁打を打たれて涙を流した中京の上野投手のお尻と腿は見事なまでに鍛え上げられていた。互いにゼロが続くシーソーゲームであったが、関東第一は点が取れるようには感じられなかった。ちなみに、わずか2試合しかなかった1対0の試合の一つが、この試合であった。上野くんの今後に注目してみたいと想う。
 仙台育英の佐藤くん、優勝投手の小笠原くんにも日頃の練習の成果が、その肉体からもわかるほどであった。その小笠原くんが、自らのバットで決勝点を叩き出し、それも本塁打というのだから恐れ入った。
 今年の見ごたえは、劇的な場面が多かったことも一因にある。ホームランはやはり野球の華である。今大会ではたしか32本出たのではないだろうか。

 私は、また別の角度からプロとの比較で高校野球の魅力を感じている。
■まずは、ユニホームの着こなしである。
 今の高校球児は筋トレをしっかりこなしているせいで、下半身が鍛えられた選手が多い。ただ、これには別の理由もあるようだ。ストッキングをしっかり出すというユニホームの着こなしのために、膝から上の部分もきっちり採寸をしてダブダブにならないような配慮をしているようだ。だから、腰、太もものあたりがパンパンに張った状態になる。
 しかし、このスタイルは、プロのそれよりは間違いなくいい。プロの選手たちは、なぜパンツの下部をダブつかせ、グランドをひきずるようにして履くのだろうか。スネのケガを防ぐため? 足を長く見せるため? 土で汚れた裾を見るたび、私は画面に向かって怒っている。

■スピーディーで展開が早い。
 これは、スポーツが大衆受けするための必須項目だと確信している。今のプロ野球はのろくてたまらんのです。ひと時も目が離せない息詰まる展開も、投手がインターバルを少なく投げこんで来るからではないだろうか。監督の伝令を伝える選手の足の速いこと。イニング交代の足もしかりである。プロはやたらと間が空く感じで、高校野球との一番の違いはここにあるとさえ思う。

 大記録達成間近のイチローやノーヒットノーランの岩隈、小さな身体で頑張っている青木など、日本人選手たちの活躍には常に心躍らせてはいるものの、今年はメジャーリーグにチャンネルを切る回数が激減した。今のメジャーではあごヒゲをまるで鍾馗様のようにモジャモジャにさせている選手が多い。レッドソックスなどはスタメンの選手がほぼ全員あごヒゲをたくわえている。私は、どうもあれが苦手だ。タトゥー、ピアスの類いも、ベースボールには不釣り合いだと感じるが、あごヒゲはユニホーム姿に似合わないこと甚だしい。見ているだけでも暑苦しい。ゆえに今年のメジャーは、ダイジェスト版専門だ。阪神タイガースのゴメス、楽天のペーニャなどなど日本でもそれなりにあごヒゲ選手はいるが、日本人選手に見られないのが救いではある 
 メジャーには髪の毛が肩まである選手もいる。まさに、アメリカ的自由とはこういうことも含まれるのだろう。パンツのダボダボも日本以上かもしれない。


 そういったことで、高校野球はそのひたむきなプレーと球場全体の雰囲気が見事にマッチングして、純粋なアマチュアスポーツの原点を感じさせてくれる。これからは、地方大会などでもより実戦を観る機会を増やせればいいのだが・・・ともあれ、決勝戦2校をはじめ、すべての出場校の健闘にエールを送り、最後に、埼玉県代表、花咲徳栄高校のベスト8に敬意を表して終わります。感動をありがとう!

No.2638 戦後70年安倍首相談話に想う

2015.08.19

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 安倍総理による戦後70年談話は、戦争が生んだ悲惨な実態に真摯に想いを馳せ、今後の日本の歩む未来について、見事なまでに世界に貢献する国家の姿を示したという点において素晴らしいものであった。4月28日の米議会での演説と合わせ、安倍晋三という政治家が、世界に誇れる政治家であることを確信できた。
 なにより、静かな面持ちで原稿に頼る姿勢少なく、長めではあったものの、説得力のある談話を発する総理の姿に清々しさを感じた。

 コメンテーターの木村太郎氏をはじめ、あえて談話を出すことがあるのだろうか?という談話そのものの必要性に疑問を呈する声も少なくない。私もどちらかというと、その声に同調する一員である。
 その夜、たまたま安倍批判チャンネルを観ていたら、招いたゲストが「河野さんや村山さんの時に、あまり関心をもっていなかったが、今回は世論もかなり話題に取り上げているようです。私も過去の談話がどういったものか真剣に考えたことはありませんでした」といったコメントを出す始末。過去の談話に対してこの程度なんです。私たち国民の関心度が低い状況で、贖罪の談話を繰り返し発表した事実があったということです。
 戦後談話は詫びることが目的であるがごとくに、キーワードをあらかじめ要求するマスコミや野党の主張には、やはり自虐的な思想を感じ得ないし、未来永劫10年きざみでお詫び談話を発する責任があるはずもない。
 毎年、戦争を回顧するイベントが各地で開催され、メディアでも特集番組が引きを切らない。単に戦争の実態を伝えるという意味であるならば、それは意義深く、尊いものなのだが、常に日本が侵略戦争を強いたという自虐的な意味合いをクローズアップする目的があるとすれば、それは日本の未来のためにどれほどの意味があるのだろうかと思えてならない。
 靖国神社の参拝でも言えることだが、純粋に我が国のために戦い、命をおとした英霊に感謝と安らぎをの想いで手を合わせることでいいのではないか。戦争が好きな人などいないし、戦争をしようと思っている人などいないという性善説を持てない人こそ、より好戦的な人なのではないか。それは、ある種の人たちに伝統的に血の粛清といった形で示されるのと同じように思えてならない。主義主張を貫くためには、本質的に人の命をなんとも思わない思想は世界平和の敵でしかない。

 今回の安倍談話は、日本の未来への方向性を示し、世界平和に貢献する姿を訴えた点において、批判自体を短時間で収めてしまうほど国民に合意と納得を浸透させてくれた。世界でもそうした評価が多かったようだ。その点では、70年談話を出す意義は、今回に限ってあったと考えているし、ひょっとすると、総理は今回で談話を打ち切りたい、いつまでもお詫びの表明を続けることはないという想いで、あえて今回の談話に踏み切ったのかもしれない。
 お詫びのキーワードについて連日のように報道していた朝日をはじめとする反自民新聞各紙も、声を潜めたしまった感がある。朝日などは、あろうことか談話は出さないほうがよかったなどと書いてもいる。国民が認め、5%も支持率が上昇したことなどから、攻める手だてを逸したということかもしれないが、誉めることもできずで迷走しているように感じられてならない。挙げたこぶしを戻すにも戻せない姿は滑稽でもある。 
 特に、20~30代の若者に、談話支持者が多かったという事実は、頼もしい限りではないか。自国を悪い国だと思い続けることになんの意味があるというのか。反省も賠償もするべきことはしっかりした。それを安倍総理は今回の談話で訴えたかったはずである。

 
 もとより、知識・技術優先国、武器先進国、企図力優先国が、古くから新たな経済効果を求めて未開地への植民地化侵略を続けた歴史的経緯が、最後の最後に大東亜戦争のきっかけになった。ソ連の不可侵条約破りで多くの虐待を受けた日本人がシベリア、樺太にいた。通州事件など中国各地でも虐殺された多くの日本人がいた。そして、沖縄、広島、長崎は言うに及ばず本土大空襲で命を落とした日本人も。
 当時の陸軍の交戦決定は歴史の流れの中でやむを得なかった部分もわからないではないが、戦争終結を闇雲に伸ばした無駄な心意気・・いや暴走ぶりには、同じ国民として、どうして素直にもっと早く降伏宣言できなかったのだろうかと、悔やまれてならない。少なくとも、終戦5ヶ月前の東京大空襲の前に降伏していたら・・・

 しかし、この戦争の結果、核の使用は最初で最後の歯止めとなり、独立自尊を果たした国家が多く生まれ、先進国が加わる国際間経済的侵略行為はほぼ姿を消すこととなった。ほぼと言うのは、ロシアのアフガン侵攻やクリミア制圧、中国のウィグル、チベットや南沙、西沙に醜悪な姿が残されたり、見られることによる。 
 このように、今、行われている紛争および起こしうる可能性を秘める国家がどこかを考えてみれば、平和安全法制の必要性にたどりつくと私は考えている。若者の間にも徐々にこの考え方が理解されつつあるように感じている。

 戦争回顧のあり方には、日本が世界の中で最悪の枢軸国であったがごときを蔓延させる風潮があり、蔓延させようとする動きが中韓に限らず、国内にあるというのが、他国と比較して日本の特質となってはいないだろうか。そう思うのは私だけではないはずである。自分の国が、そんなに他国から批判され、信用されなくなることを望む国民が多いという意味では、日本は世界一かもしれない。大いなる皮肉だ。

 過去の談話を否定せず、継承するとし、反省の姿勢を示しつつ、安倍総理はつぎのような文言を配した。
政治的、外交的に、歴史を歪めることがあってはならない」
「私たちの子や孫、先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」

 他のフレーズからも、戦後談話はこれで打ち切りにしたいという総理の想いを感じたが、皆さんはどのように受け止めたでしょうか?
 国際的には、次の80年談話の必要性が問われることはないだろうし、(実際、今でも要求されているわけではないのだが、)マスコミやレッドレフティーの思惑次第、すなわち自虐史観をいつまで引っ張るのかということに尽きるのかもしれない。
 最後の戦後談話。これでいいではないか。

No.2637 香日向しらさぎ子供祭り

2015.08.16

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 安倍総理の戦後70年談話に注目が集まっています。つぎのブログで私の想いを書いてみたいと考えています。
 今年の甲子園は、殊のほか面白いと感じています。
 中国天津の大爆破事故は連続性になっているようです。問題は、まったく詳細を隠蔽していることでしょうか。まさに中国です。

 といくつか興味深いことを書き連ね、本題に!

 今日のことになりますが、添付チラシのような内容で幸手市香日向地区の夏のお祭りが開催されます。今年が第三回目となります。
 一昨年に、この「香日向しらさぎ子供祭り」が始まった理由は、いくつかありますが、最も大きな理由は20年続いた「香日向祭り」が廃止されたことがあげられます。また、3年前に香日向小学校が廃校となり、学校の存在を主体に行われていた運動会が無くなったこともあります。
 そして、単なる地域の一イベントであった「香日向ソフトボール大会」が年々参加者が減少していく中で、見直しを図る必要にせまられ、その運営方式の流れを踏襲しつつ、変形版として新たな祭りをはじめようということになったわけです。

ファイル 541-1.jpg さらには、地域のボランティアクラブが子供たちのためにと総力をかけて製造した山車が、たった一度の利用で眠ったままになっていたこともあって、この山車を利用すれば、子供たちに喜んでもらえる新しい祭りが出来るのではないかという発想につながったのです。
 山車を造りたいという思いは、それを実現してくれる人たちがいるという確信のもとに、私がある日のボラ会議で古い廃材を持ち込んで、「こういった物を利用してでも、金をかけずに山車をつくることが出来ないでしょうか?と」持ちかけたことがきっかけになりました。その場で早速、白板に図を書いたりして前向きな協議がはじまったのでした。
 それから数ヵ月、多くのメンバーが猛暑の中、クーラーもない学校の倉庫の中で汗だくになって造ってくれた手作り山車が完成したのは、平成23年9月のことでした。

 実は、その製造の中心メンバーであった方が、2か月前に他界されたばかりです。まさに、送り盆の本日、しっかり見届けていただきたいという想いで、例年同様、今日も世話役の一端を担うつもりでいます。
 お盆ですから、帰省予定をぎりぎりにして参加していただける地域の二世、三世をはじめ、多くの参加者が訪れてくれることを願っています。
  

No.2636 あきれた岡鳩

2015.08.14

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 民主党さんは、我が国が国際的に威信を失くし、ひいては中国の属国になることを願っているのだろうか。
 岡田、鳩山の二人の御仁がすることといったら・・・・
 さん付けで呼びたくもないが、国会議員としての最低限の敬意は持ち得ておくべきかと思うので、以下さん付けで。
 

 岡田さんの対韓国膝まづき外交はなんたること。はっきり言って「失態」外交であり、何の権利があって、国の代表的顔で訪問しているのだろうか。同行議員が辻本清美さんなので、さもありなんとは思うが、見苦しいことこの上なし。

 宇宙人鳩山さん、これこそまさに膝まづきそのものであった。白い手袋をして三つ指ついて謝意を示す姿に、なにあれ?と唖然とした方は多いと思う。
 これって、どこかで見たなあと考えてみたら、ありました・・・安倍総理が硫黄島を訪ねて、滑走路をさすりながら、その下に眠っている英霊を称える姿に似ているではありませんか。
 まったく真逆の思考で行っている行為であることは言うまでもありません。

 この二つの出来事、いや事件ですかね。犯罪ものの・・・これは、戦後70年談話を出す安倍総理への足かせが目的で行っている恣意的な行為と感ずる。まして、相手が韓国であっても中国との関係に大きく影響することは間違いないのだ。
 それにしてもひどい政党があったものだ。所属議員が全員こうした志向ではないと思うが、野党第一党のあり方としては最悪だ。こんなことでは2大政党制などと期待した国民がいい面の皮ではないか。
 ただ、あまりもうこうしたことを追求しないほうがよいと感じた次第。
 いわゆる無視が一番かと。沖縄基地問題にしてもそうだが、現状を考えるにあきれた政治家を総理にした責任は重いということだが、今更言ってもせんないこと。無視できずに書いてしまったが無視しましょう。

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