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No.2647 大雨特別警報発令

2015.09.10

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 18号が日本海に去った後で、ここまでの大雨になろうとは思わなかった。
ファイル 551-3.jpg 今、茨城県常総市の空撮映像が生中継されているが、昨今の自然災害は桁違いの規模で、既存のイメージを切り捨ててかからなければならないということを痛切に感じる。河川決壊は津波の現象を伴うことをまざまざと見せ付けられている。あちこちの家屋から住民が助けを求めている。掲題の発令も間に合わない甚大な災害が目の前で起こっている。昨夜から避難指示が各地で出ていたようだが、こうした堤防流域の住民たちの避難は何故遅れてしまったのだろうか。
ファイル 551-4.jpg 救助ヘリのレスキュー隊による活動も一回に一人。しかし、水上を進んでの救助は不可能な感じだ。外の電柱の脇で佇んだまま手を振っている人もいる。屋根の上で助けを待っているご夫婦らしき二人が見える。決壊した土手の際まで来ている人がいる。防災関係者かどうか。いずれにしてもとても危険だ。

 栃木茨城特別警報の発令は、数十年に一度あるかないかの大雨災害だとテレビの音声がけたたましい。驚くのは、千葉、埼玉以北の北関東から東北にかけての広範囲で、雨雲がほぼ同一ルートを北上していることだ。したがって、常に特定領域が固定的に雨雲に覆われている。こういった天気図もあまり記憶にない。

ファイル 551-1.jpg  埼玉県でも越谷、春日部地区の氾濫が酷いという。幸手では床上浸水が9件あるとテレビで報じている。我が地では、いつものように朝7時に登校パトロールに出かけたが、当地区の子供たちは通学休止となっていた。鷲宮方向を見ると車がはねる水の量が尋常ではない。駅よりの信号地点まで行ってみると信号直前で車が立ち往生していた。付近の方の話では、昨夜11時頃から停められたままだという。10センチほど水位は下がったということだが、今日の予報は一日中雨。手押しででも車をどかさないと考えるも、鍵がないとどうにもならない。
ファイル 551-2.jpg 警察と市役所に連絡するが、市内各所が冠水状態ということで多くは求められる状況ではないと判断せざるを得なかった。管理センターに連絡を入れて車の所有者への連絡を依頼。一定のところで、雨が止んでいたのが幸いしたようで、その後車はレッカー車によって運ばれていったが、車が通ると両脇の家が水をかぶる状態なので、通行止めの立て看板を設置する。

 9時過ぎに帰宅して市のホームページを見ると、この通りを含み8箇所で通行止めとなっているのだが、鷲宮との双方向を行き交う車はいつもと同様かなりの数だった。
 写真は幸手と鷲宮を結ぶメイン通りの午前7時10分頃。12時半に再度確認すると10時50分にこの道路の通行止めは解除されていた。いったい、いつ通行止めの指定があったのだろうか? 9時まではその雰囲気は一切なかったのだ。

 テレビ画面では次々と救助活動が行われている鬼怒川堤防域常総市三坂地区。決壊した水の流れはますます恐怖感を募らせる急な濁流と化している。
 画像に映る家屋全部に人がいたならば、とてもじゃないが空中救助だけでは追いつかないだろう。家の中で恐怖にすくんで助けを求めることも出来ない高齢者がいはしないか?
 電柱1本の元で立っている孤立した住民の周囲はもう湖だ。早くなんとかしないと! その傍の家の2階ベランダにはまだ人がいる!
 幸い、誰もいない家屋は早くから避難をしていたと思われるが、家にいた人たちは避難しなくても大丈夫だと考えていたのだろうか? こうした場面を見るに付け思うことは、災害を軽く見てはいけないという教訓である。そして、自衛隊員の命をかけた活動に深い畏敬の念を持つ次第。
 自衛隊を違憲だとする憲法学者や、暴力装置だと国会発言した仙谷某は、どんな想いでこの場面を見ているだろうか。人命救助と国防活動とは別だなどと都合の良い考え方は通じない。国防活動こそ国と国民を守る最大の人命尊重活動ではないか。

No.2646 信頼損なうパフォーマンス

2015.09.09

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 大型台風18号の到来。今が旬の稲刈り作業が中途な状態で、晴れ間を期待している農家の皆様には、辛い日々が続いている。このままだと実った稲穂から新芽が出て、商品価値が無くなる可能性もあるようだが、18号が去るまでじっと我慢を強いられることになる。
 TPPもニュージーランドの譲らぬ主張なので頓挫したまま。米作や畜産の未来も明るさが見えてこない現状だ。農業頑張れ!

 さて、自民党総裁選が実行された結果、無投票ということになった。なんで野田聖子さんが?と感じる向きは少なくなかったと思う。私は、日本の代表として野田さんが世界の舞台に躍り出る姿を、どうしても思い浮かべることができないでいた。なぜなら、根本的にそれだけの政治的実績が見当たらないことと、信義に劣る人間性を感じるからである。

 後者の理由として思うところは、第一次安倍政権は郵政民営化劇場をもたらした小泉政権から禅譲される形で誕生した。ところが、この小泉民営化劇場に反対して自民党を離れたのは誰あろう野田さん自身である。その後、安倍政権は年金問題などで選挙で大敗し、総理辞任に至る。
 そして、第二次安倍政権誕生とともに、復党していた野田さんは党総務会長の大役を任される。エポックメイキングな政治改革場面で離党の経験を持つ議員が、その後の国政で力を発揮する場などなかなか与えられないのは、政治に限らず組織の掟といったところかと思う・・が、民主党政権時の艱難辛苦を乗り越え、ひたすら充電を続けてきた安倍さんが見事復活し、小泉さんに反旗を翻した野田さんを起用した。これには多方が驚いた。後に触れるが、この点において安倍総理は小泉さんからうとまれる一因を作ったのかもしれない。
 1993年7月初当選組の8期生同期で、女性活用を謳っている安倍さんだからこそ有り得た野田起用だったと思う。

 
 考えてみれば、野田さんは小泉内閣時の1998年7月に郵政大臣を拝命している。それから約15ヶ月その職にあるうち、全国特定郵便局長組織との関係が深くなり、郵政民営化に賛成しにくい立場になっていったことは理解できる。だからといってやっていいことだったかどうか・・・野田さんはこの民営化劇場に離党という形で反旗を翻し小泉さんの憤怒を誘引した。
 もうひとつ、野田さんは小泉政策を痛烈に批判している。当時掲げた少子化対策に対して「100点満点で10点」と公的発言。小泉さんにしてみれば「38歳で大臣に抜擢したのに何をほざくか!」といった怒りのほどがわかる。
 安倍さんと小泉さんの原発をめぐる関係悪化は、この経緯を当時官房長官として見届けていた安倍さんが、あえて野田さんを大臣に起用したことも理由のひとつにあったことは想像に固くない。どこかで安倍さんを懲らしめてやらなければ腹の虫が収まらないと。しかし、それを実行するには世論に支持される材料が必要となる。そこに大震災から派生した原発問題が浮上した。以来、以前の蜜月ぶりが信じられない小泉主導による原発反対言動となっていく。
 今回、安保法案が民営化とは異質の大型劇場化している。その国会審議の真っ最中にたまたま総裁任期の時期が来たわけだが、この場面でまたまた野田さんは総務会長に起用してくれた安倍さんに対抗心を燃やした・・・安倍、小泉、野田の三角関係はそうした位置づけにあるのだ。政治家が成り上がる通り道だとしても、野田さんが、いかに恩義を重んじない人間性であるかがわかる。

 今の国政の悪しき部分は、権力への執着が未だに捨てきれずにいる旧態然の自民党元老による国政攪乱言動が行われていることも一因にある。自民党結党に至る経緯から郵政民営化による党崩壊に至るまでの旧来の自民党政治では、派閥の親分を盛り立てるために、常に若頭格として先頭にたって内紛内戦に大きな役割を持っていた政治家が、今、その出身母体を揺るがしている。
 元自民党籍も含めれば、現実に国の方向性を狂わせたいがごとくの、大物と言われた元老や、居場所に窮して信念なき野性化(野党化)に変節した人物が多い。それらは、現職・元職上げればキリがない。
 野中、古賀、山崎、加藤、亀井、小沢、鳩山、菅、岡田、部分的には小泉、細川もそうした部類に入ることになる。これらに共通するのは安倍憎悪だ。

 そして、古賀氏などは元領袖の肩書きをちらつかせて、野田さんの推薦人確保に暗躍する。双方ともに何を考えているのかだ。活気ある自民党とか、開かれた議論をする自民党だとか理由は綺麗だが、綺麗ではなく綺麗事にしか聞こえない。野田さんが総裁選に出たいのなら、もっと国民に日本の未来を語ればよかった。真摯に自民党総裁になったらこうしたいという夢を具体的に語ることはできたはずである。総裁選に進む前でもそうした自己主張はできないわけではない。安倍総理に対抗する政策論を訴えることは出来たし、安倍憎しのマスコミはひょっとすると、中身論は別にして野田さんの訴えを快く取り上げたかもしれない。しかし、最後までそうした具体論は表に出ることなく、形だけの理由で出馬ありきの姿しか見えてこなかった。

 野田さん出馬にはいろいろな憶測がかまびすかしいが、考えるに、さほど難しいことではなく、野田さんは総裁選に出る資格を得ることで、党内存在感に重みをもたらしたかったのだろうと推測している。その際、ひとつだけ欠けていたことは、自らの過去を振り返らなかったことである。誰かにそそのかされたのかということよりも、野田さん自身に野心と焦りがあったことは否めない。
 自民党には、現在衆参合わせて42名の女性議員がいる。見渡しただけでも閣僚経験者は多いし、知名度、人気で野田さんの上と思われる人も数多い。
 衆議院で言えば、小池、稲田、高市、参議院では丸川、橋本、有村、森、片山、山谷、佐藤、三原といった古参、若手含めてなかなかの布陣となっている。野党とは比較にならない、さすが自民党と感じる切れ者が揃っている。
 野田総務会長と高市政調会長の女性の戦いがマスコミを賑わしたのも、それほど古いことではない。こうした状況に対して、脳裏をよぎる中身が野田さんの場合通常とは異なり、戦闘的な方向性に舵を切るのかもしれない。

 実は、前述の女性議員の多くは政治的に七光りを持たない人たちである。これに比して野田さんは、祖父が元建設省の野田卯一という政治的系譜を有し、あの明治維新の立役者の一人である大村益次郎の縁戚にあたるという。大村益次郎・・・そう、靖国神社参道に巨大な像が立つ、あの大村益次郎である。それにしては、高市さんは閣僚参拝にも堂々と出向くが、野田さんの参拝は聞いた覚えがない。
 ただ、そうした系譜は野田さんのプライドをくすぐると同時に、人一倍上昇志向を強くさせる原因になっているのかもしれない。

 本来であれば、野田さんは勝てぬ挑戦をすることなく、大抜擢してくれた安倍総理をしっかり支える立場を貫けばよかったと思うのだが、基本的に目立ちたがり屋で野心家ということと、先を読む力と良きアドバイザーがいないというのが、今回の総裁選騒動の結論か。
 ちなみに、野田さんが国会議員としてどういった活動方針を示しているか、そのいくつかを上げておくこととする。
■選択性夫婦別姓制度導入・・・賛成
■青少年健全育成基本法案・・・推進
■TPP参加・・・反対
■カジノ法案・・・推進(カジノ推進議員連盟初代会長)
■日韓議員連盟、日華議員懇談会会員
■パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザー
■自民党遊技業振興議員連盟会員
■時代に適した風営法を求める議員連盟会員
■骨髄バンク議員連盟会長
 

No.2645 学童保育で政治ビラ

2015.09.05

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 堺市の小学校の学童保育で、50歳の主任男性指導員が「アベ政治を許さない」と書かれたビラを掲示したことがニュースになっている。

 それに関して、市教委が「政治的中立性を損なう行為」として運営委託会社に対応を求めていたが、本人に対する口頭注意で事は収められたようである。
私は大いに疑問が残る対応だと感じているが、いかがなものだろうか。

 まず、学童保育というのは本年4月施行の法律改正で小学生の全学年が放課後保育の対象となったので、社会状況や大人の論理にある程度は咀嚼能力を備えている学年も含まれている。
 まあ、そうであるかないかに拘らず、学校内にこうしたビラが貼られる現象は異常としか言いようがない。政治状況は、時代時代で異なる。官庁勤めの人たちは、思想イデオロギーに関連した言動は厳に慎むこととなっているが、とくに教育者については、そうあるべきだろうと大方の人は考えているのではないだろうか。
人間が自らの成長過程でどのような志向に傾注するようになるかは、まさに自由であり、それそのものが人の歴史なのだ。少々ダジャレっぽいことになるが、志向だけでなく、思考も嗜好も指向も同様に、誰からも指図されるものではない。
 しかし、その道をこれからたどる子供に純粋な教育が求められる公立校内で、政権批判、首相批判を意味する恣意的行為がまかり通ることには、驚きを隠せない。
 実はこの問題、もっと根の深い部分にも憂慮すべきことがある。それは指定管理者制度である。たとえば、埼玉県の学童保育連絡協議会では、指定管理者制度に問題ありとして反対の意思をあきらかにしている。
 理由は単純明快である。教育現場に利潤優先の企業論理をかざした運営が適切かどうかという問題指摘である。しかし、まさかその関係者でも政治的プロパガンダビラが堂々行われるとまでは考えていなかったはずである。
 場を脇まえることもなく、個人的政治思想・信条をこうした教育職場にエキセントリックに持ち込むことを是とする困った輩の存在は、今後学童保育の指定管理者制度に新たな問題を生む可能性もある。とは言うものの、口頭注意で大団円では、なんとも首を傾げざるを得ない。

 実は、2週間ほど前のことになるが、家内がある市内の方と話した内容を耳にし驚いた。中身は聞きずてならないものだった。それは、幸手市内の小学校に通っているお孫さんの話として、ある先生が安倍総理を批判する話を授業の中でしたというのである。それを聞いてお爺ちゃんは驚いたそうだが、孫の今後を含み、政治がらみのことゆえ学校まで出向き、抗議をすることは差し控えたというのである。言ってみれば、公立小学校という教育現場で特定政治思想の煽動行為がやりたい放題ということになる。純粋な子供たちに対する卑劣なマインドコントロールが実態としてあるということだ。
 注意されないとわかるや、堰を切ったように図々しくなるのがこの手の思想集団の常である。過去にあまり記憶のないこうした事件から、教育現場の今後が懸念される。

 全国津々浦々、こうした状況が蔓延している可能性もある。はたして口頭注意だけでいいのだろうか。こうした点をマスコミが指摘することは、今のところ感じられない。危険この上ない。
 この4月から、教育システム全体における首長の権限が法的に強化されたが、新たな問題を派生しないとは言えない。指定管理者制度ひとつとっても、行政と業者の癒着の可能性がないと、誰が言い切れるだろうか。

No.2644 酒、たばこの規制緩和だ!

2015.09.02

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 このタイトル、何も私は喜んでいるわけではない。喜ぶどころかどうにも納得がいかないといった感覚なのだ。
 選挙権の年齢引き下げにも時期尚早の感がぬぐいきれない現状にあって、それに合わせるかのような今回の指針はいかがなものかといったところ。

 このような内容を検討するための特命委員会というのがあるのも知らなかった。どちらかと言えば、選挙年齢引き下げが決まった時点で、次に考慮すべき対象は、少年犯罪に関わる刑罰のあり方ではなかっただろうか。
 ことに、数十年前と違って未成年による凶悪犯罪が引きを切らない現代にあって、被害者への対応策が心もとないのに反して、未成年犯罪に対する過剰保護は、常に議論の対象に上がっている。
 

 少し話がそれたが、18歳で酒やタバコを購入できる有資格者がどれほどいるだろうか。高3は一般的には受験の真っ最中であって、大学1・2年生はカリキュラムが多いので本格的なアルバイトは出来ない。大学生の中には奨学金を受給している者も多い。また、その年代には予備校生もかなりの割合を占めるだろう。そう考えると、わずかな労働の対価は状況にあった他の有効な使い道もあるだろうし、親からの仕送りや奨学金が嗜好代金に化けるのはいかがなものか。問題は社会人の場合をどうするかだが、健康の面からはとても賛同は出来ない。
 高校3年になったばかりの4月に18歳になるパターンもある。まさか校内で喫煙出来るとは思わないが、いったん学校を出れば吸えることになる。そして、少なくとも同級生で吸える学生と吸えない学生が存在することにもなる。勘違いされては困ります。平等を問うているのではなく、違反者が増えることにはならないだろうかと危惧しているのだ。酒税やタバコ税を収入のない高校生が支払う社会制度にも違和感はぬぐえない。
 何も、そうした層にまで酒・タバコを解禁する必要があるだろうか。

 特命という事の重さを感じさせる組織には、選挙権という社会的責任の重さを与えることに比して、まずは少年犯罪法の改定に取り組んでもらいたいと思うがいかがなものだろうか。

No.2643 疑わしきは使わず!

2015.09.02

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 2020東京五輪エンブレムデザインが使用されないこととなった!

 当たり前じゃないか! なぜ、もっと早く決断できなかったのか!  といった思いでこの問題の結論に注目していた方が多かったのではないだろうか。
1.当初のベルギーのみならず、複数の模倣指摘者が現れる状況となり、素人目にもその可能性を感じるものがほとんどという状況であった。
2.遅くなればなるほど、新デザインが間に合わない可能性と予定進行分の経費が嵩むという時と金の問題があった。
3.国際的批判を受ける中、似非模倣の代表的国家である中国を批判するどころか、また反日活動の材料を与えかねない状況が生まれかけている。
4.落選を経験しての悲願の国家的行事であったにもかかわらず、すでに国立競技場建設予算過剰問題が起きていた。

 やはり、3、4の項目に関連した国家の威信・信頼に関わる重大な問題であることは間違いのないところだ。世界の嘲笑が脳裏をよぎる。
 中国も韓国も日本を批判できる事態が発生すると、またそれを種に日本バッシングの材料にするだろうし、なにより日本のマスコミが政治がらみの報道ネタにするのは間違いないところだ。
 と、その想定通り、テレビ朝日では17時のニュースで「政権への影響が懸念されます」とのたもうた。
 舛添知事は「裏切られた思いだ」と何に向かってのことだか意味深な皮肉を語っていた。
 当初、佐野氏が言い訳めいた発言をしていたが、28日には類似を認める内容を口にしていたのだ。この時点でも遅いくらいではなかったか。最も、昨日の会見では盗作の意図は一切ないと発言している。

 「疑わしきは罰せず」という格言もあるが、罪と罰を問うのは後でもいい。まずは「疑わしきは使わず」は当然の成り行きであると誰しもが感じる情勢にあって、ここまでもめた原因はいったいなんだったのか? 

 これほどの大イベントであれば、中学生や高校生にまで広く一般参加を求めるような公募方式を採用することは考えられなかったのか。その方がコスト的にも国民の理解は深まったと思われるし、なにより国を挙げてのイベントとして愛されることとなったのではないだろうか。
 しかし、こうした模倣は文学、音楽など知的財産権に絡むいろいろな分野で行われているのではないかと疑心暗鬼になるのも嫌なものだ。昨年、大きな問題となったスタップ細胞事件を思い出した。

No.2642 恩人の死と街への思い

2015.08.31

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 末日とはいえ、まだ8月だというのに朝夕の気温と虫の声はすでに秋。しっとりと路面や庭を濡らす雨も冷たく感じるほど。2週間前とのあまりの違いに、身体がしっくりしないのは自分だけ?

 私には、私が勝手に思っている政治的な意味での恩人ならびに師が数人いる。つまり、幸手に移り住んでからの我が人生後半における方々である。そのうちのお一人が28日に亡くなられた。昨夜の通夜と今日の告別式、ともに参列させていただいた。プライベートなことで恐縮ではありますが、我がメモリアルの位置づけとして少し書き記すこととします。手前ミソな点もあると思いますがご容赦願います。

  
 享年88歳というのは、平成22年7月7日に亡くなった我が母と奇しくも同じである。
 合併論争という街を2分した政治騒乱から始まった私の言動を、常に認めていただいた方だった。
 はじめて訪問した時、「俺はあんたの演説が気に入った。まあ、男が男に惚れるってやつかな」と受ける身にとって最大の賛辞をもらった記憶が熱い。以来、訪れるたびに「あんたと話してると俺も元気をもらったみたいになるよ。俺も歳とったってことかな。まあ男同士の会話ってえのはこうでなくちゃな」といったような気の利いた励ましをいただいたものだ。それからというもの、仕事上で落ち込むと、この師の言葉を聞きたくて訪れた。
 

 脇で背中を丸めて座っている奥様も、笑顔でうなづきながらこの男同士の会話に聞き入っていた。間が空くと「いつも先生のことを話しているんですよ」と癒される言葉を静かに口にし、心をほぐしてくれた。
 その奥様に先立たれてまだまもないのだが、独り身でどうしてるかと思って訪ねると、部屋の中から「おう、先生か。まあ上がんなさい」と。部屋に入ると、座椅子にもたれるでもなく背筋を立てて、満面の笑みで歓迎してくれた。
 知り合って12年ほどだから、付き合いとして長い方ではないが、本音の付き合いに時の長さは無用だと思える師だった。
 聞けば、地元でも若い人たちを集めて地域はもとより幸手市の発展に尽力された方だったのだ。いわば、地域の顔として慕われていた方であった。
 
 4年前の選挙で結果報告に行った時はことのほか嬉しかった様子で、我が事のように喜んでくれた。そして、今回の選挙でも事前事後にわたって家内共々ご意見を聞きに訪れた。家内にもいつも疲れを癒すアドバイスをくれた。そんな人だった。
 私が作る活動報告は欠かさず読んでくれていたようで、「いい処に目をつけてるよ」とか「なんとか頼むよ」といった言葉を時折時折で口にした。私としては読んでくれていること自体が嬉しかったが、それにとどまらなかった。

 今回の県議選でも、私が要望し、間違いなく県が手をつけてくれる予定の事業について、チラシやブログでしっかりと訴えたつもりだが、師は大変納得してくれていた。とくに権現堂整備事業で残っている最大の面積を誇る第二公園の整備計画や商店街通り整備については、「早く実現できるといいなあ」という言葉と一緒に、温かい眼差しが私に向けられた。
 それらの事業は現実にすでに始まっている。また、通常幸手五霞線と呼ばれている幸手境線もいよいよ工事用の取り付け道路の工事が始まりかけていると聞く。昨年から今年にかけて近隣住民や地権者に呼びかけて、説明会を催した道路である。長年停滞していたことを師は把握していた。それもそのはず・・・定年後は北公民館の館長を長くされるなど、幸手をこよなく愛していた人だったのだ。その方が、街の未来を憂いつつ、変貌する部分については、大いに納得することで私の肩を叩いてくれていた。

 「先生よ。あんたは在の人間じゃあないから、古くからのつながりがないのは選挙で厳しいだろうな。でも、真実一路、真っ直ぐ前を向いてぶれずにやってればわかってもらえる時は来る。俺もぶれるこたあないよ」
 先生とあんたを使い分ける話法は独特だったが、なんの違和感も感じなかった。
 香日向から最も遠い農村育ちの師にこうして励まされたのだ。考えてみれば、不器用ゆえにぶれることができない政治家としての才の無さを、まるでわかっていたような言葉だった。
 「ご期待に添えず申し訳ありませんでした」
 「勝負は時の運。選挙ってえのはそういうもんなんだからさ。まだ若いんだから終わったことよりこれからのことを考えればいいんだよ。幸手のためにまだまだ頑張ってくんなきゃ困るしな。奥さんも大変だったね。うんまいもんでも食べさせてもらいなさい(笑)」
 「少し痩せられたんじゃないですか。しっかり食べないとダメですよ」   「いや、隣がちゃんと考えて持ってきてくれるから大丈夫なんだよ」
 入れ歯をカチャカチャさせながら話す笑顔が印象的だった。最後にお会いした時に交わした会話はこんな感じだった。あれから3ヶ月。せっかく猛暑を乗り切ったのに・・・

 「勤修院秋覚暉道居士」
 ありがとうございました。やすらかな旅立ちを願うとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌

 

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