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No.2691 合併への勧め

2016.01.09

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 当ブログも年が明けて13年目に入ったわけですが、近頃では100のアクセスを超える日すら少なくなりましたが、それでも忘れることなくアクセスしてくれる読者がいればこそ続けようという気概につながっているわけですので有難く感じているところです。
 そうした読者の方から時折いただくメールの中に、最近合併に関するものがあったので、これに関して今感じていることも含めて少し回顧してみようかと思った次第です。

 思い起こせば2003年、平成15年4月の市議選が、合併相手をめぐる在り方を争点とし、私は久喜・鷲宮との合併推進候補として初当選させていただきました。
 その後の議会は常にそれを主体に喧々諤々の議論していたことから、同年6月から始めた私のブログも、当時は合併に関わる内容がほとんどでした。

 初めて議員を経験する者としては、熾烈な議会運営と論戦の渦中にもまれながらも、今感じることは厳しかったけれど素晴らしい経験をしたという感慨が強く残っています。議会論戦も市民には見えないところも含めて感情あらわに罵るといった場面までありましたからねー。

 そうした状況において、現職市長のリコール運動が市民感情の結露として燃え上がり、幸手市の名がワイドニュースなどでも報じられることとなり、全国に知られるところとなっていったのです。
 このブログも当時は一日のアクセス数が1,000を超える日がけっこうありましたが、いろいろな意味で、当時のことのすべてがなつかしい思いとして残っています。
 
 
 今、政治的には地方創世が注目を浴び、人口問題研究所による消滅可能性都市が話題に取り上げられることが少なくありません。地方頑張れ!のエールと理解できなくもありませんが、そこには、どちらも合併を推進する論調は見られません。
 社会全般でどんな論説評論があろうがなかろうが、現在でも私は、街の状況によって合併は積極的に進めるべきとの考え方です。いただいたメールには杉戸、宮代との合併をすべきとの考え方も散見しますが、具体的な相手先を私が語るのは適切ではないと思っています。とは言いながらも、それほど合併候補が多いわけでもありません。
 

 平成12年頃から持ち上がった自治体合併は、徐々に国をあげての騒動と化し、どこの自治体と結ばれるべきか否かで、全国津々浦々で火花を散らしたものでした。その理由は、ひとつの街の東西南北の地域性が災いして合併希望相手先が複数化するということに加え、どちらが主権を握るのかという、言わば主導権争いが大きかったと思います。それは、議会のみならず住民感情にもかなり根強くありました。具体的には、財政状況や地域発展性や、さらには市政運営とは無縁と考えるべき新市名が合併成就を困難にするといった状況でした。

 合併の成立に対して、国が合併特例債という莫大な交付金を給付するにんじんぶらさげ制度も、かえって合併問題を難しくしていた部分があると感じているのですが、これは意見の分かれるところかもしれません。にんじんが合併意欲を増進させたことは間違いないのですから。
 かくして、その特例債に期限が設けられたこともあって、12~13年前は日本中が合併、合併で明け暮れていたのです。いわゆる、これが平成の大合併の所以でした。

 幸手市ではさらに複雑な事情があって、当時の首長が主張した相手候補が隣県の五霞町だったという特殊な状況にありました。その理由は生活圏が同じだということが最大だったわけです。それはその通りだと私も認識していましたが、合併成就には政治が大きな関わりを持っています。当時者自治体の議会の賛同に加え、住民の賛否を問う住民投票というハードルが待ち受けていました。その上で、隣県の自治体の場合は、さらにその県議会の決議も必要となります。
 私自身は、そのハードルを乗り越えるのは至難だと考えていました。その流れにおいて、合併市議選後の平成15年6月、9月議会では激しい論戦が繰り広げられる中、前述のように五霞との合併を進める市長のリコール運動が市民に広がっていくという他に例をみない事態にまで発展していったのです。
 9月議会の終わり間際には市長の辞職という事態にまでなったのでした。そして合併先をめぐる出直し市長選があり、久喜市・鷲宮町との合併推進市長の当選後も、久喜・鷲宮派と五霞派に分かれた議会論争は激しさを増し、それは市民間にも広がって行きました。

 こうした状況下で、私のブログは注目を受けることとなっていましたが、2チャンネルでは悪魔扱いの上、それはそれは低俗な表現で揶揄されたものです。
 また、ブログにご意見をいただくコーナーを作り、当初は賛成反対かかわらず紳士的な論調が多く、できる限り返信ブログを書くように心がけていましたが、段々と批判的内容が増え、もうそれは2チャンネルのような言葉の暴力コーナーと化し、公開出来る状況ではなくなり、やむ無くコーナー閉鎖に至ったのです。いわゆる炎上というものでした。
 

 とまあ、ここまで書きましたがはたして新たな合併があるや否や。巷に合併容認論はけっこうありますが、推進論までとなると、それを声高に発する人はほとんどいなくなりました。 

No.2690 年始年末の投げ込み異変

2016.01.05

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 元日から過ごしやすい陽気が続いている。はたしてこれでいいんだろうか?という気がしないではない暖冬異変だが、農業経営者の中には今後の天候になんとなく怖さを感じている方もいる。
 私も、四季折々が一定期間単位で区分されており、それによる北から南それぞれの地域ごとに日本独特の風土風景が構築されていることが、日本の素晴らしさだと思う。しかし、昨今の天候は人命も生活も一呑みにしてしまうほどの破壊力を見せつける。

 それとは無縁の異変ではあるものの、年末から年始にかけて我が家に小さな出来事が発生している。
 それは、幸手市のかなり以前の政治的疑惑を列挙したパソコン文字の紙切れやそれに関係する市議会の議事録の紙片がポスティングされたり、玄関前に置かれているのである。
 どんな意味をもっての行為なのか、私としても考えさせられるわけだが、私に何かを訴えたいのか、それとも、私が知らないだろうとの推測の上で教えたいという主旨なのか・・・。

 
 今になってこうした内容に目を通すと、一昔前の幸手市政の黒い部分の多さに辟易する。投げ込み当事者の思いを推測すると、今の市政との関連において注意を喚起する意味合いがあるやもしれぬというところに落ち着くのだが、いかがなものだろうか。
 先の市長選でも現市政の問題点が浮き彫りになったこともあり、実際、決算不認定というテイタラクな事態に特別委員会が設置されたことなどを考えると、濁りのない市政が進められているとは思えない状況にある。
 完成後は東武鉄道という民間会社の財産になる駅舎新築に、15億円以上の税金を配置することへの問題意識も市民の中にはかなり根強くあるのだ。

 話は変わるが、ここ数日耳にちょくちょく入る話として、昨秋叙勲を受けたある市民の方が、祝賀会を開く予定だとのこと。それはそれで祝い事であるからどうこう言うことはないのだが、場所が帝国ホテルで、発起人が市長だと言うのだ。少なくとも公人である市長が発起人というのが事実であるなら、個人的人間関係に過ぎないとは言い切れないだろうし、政治的配慮が為されていると理解すべきだろう。
 そもそも叙勲自体は市長推薦という中身を骨格として決定に至る制度であるから、推薦者が発起人という直接的関係は避けるほうが・・・とは思うが、余計なお世話でしかない。
 こうした話を私にする方々は、一様に驚きの感を示しながら話すのだが、さて皆さんはどうお感じになられるか。私は、別世界のことと考えるだけ、部外者の対応としてはそれが一番だろうと。
 ただ、私の身近な方の中にも叙勲者はけっこういらっしゃるが、大方は記念品を作るなど地味で落ち着いた祝いに修めているのがほとんどのようで、比較論からすると今時豪勢なことだとは感じるのはたしかだ。

 さて、今日5日の天候はまたまた晴朗のようだが、徐々に下り坂になるようだ。
 五穀豊穣、自然保護、生態系維持が良好な日差しと時折の雨水をなによりの恵みとしていることを思うと、天候というものは、よどみや濁りをもたらすドン天が巡り来ないと、地球も世の中も狂いかねない。
 そう考えたところで、我が家への紙片投げ込みは、金と人事に関わる政治は常に晴朗でなければならないということを、指摘したいのだろうかと思えてきた。
 

No.2689 心新たに

2016.01.03

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 明けましておめでとうございます!

 冬を感じさせない新年を迎えておりますが、あらためまして本年もどうぞよろしくお付き合い賜りますようお願い申し上げます。
 県議になって以降の書き込みが593回となり、平成16年6月から開始した分を合わせますと、計2689回目の書き込みが今回ということになります。
 どちらかというと、長文のものが多いので文字数にすると何冊かの本が出来る量になっているはずですが、なによりアクセスくださる皆様があって気持ちが萎えることなく継続出来ているものと感じております。
 あらためて深く感謝したいと思います。ありがとうございます!

 

No.2688 ゆく年くる年 感謝で未来へ

2015.12.31

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 久しぶりにのんびりと紅白歌合戦を見ています。これほどゆったりチャンネルを変えることなく観ているのが不思議なくらいです。一生懸命総合司会に頑張っている黒柳徹子さんに応援しながらの観覧。
今、「あさ」びっくりポンの出演者たちが登場‼️
 最近のヒット曲はイマイチついていけない感がありますが、この主題歌は大好きです。それと島津亜矢さんの「帰らんちゃよか」もよかったー!
歌詞が素晴らしいですね。

さて、目くるめくいろんなことがあった2015年でしたが、感謝と共に新年そしてさらなる未来に夢と希望を繋ぎ育みつつ除夜の鐘を迎えたいと思います。

皆さんへ・・・日々是精進変わることなく、あくせくせず、面白楽しく頑張って参りますので、くる年も、どうぞよろしくお願いいたします。
これをもって2015年羊年の締めくくりといたします。
沢山のアクセス、本当にありがとうございました‼️

No.2687 権現堂公園に新事務所

2015.12.28

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 県立権現堂公園に、かねがね検討中であった新しい施設がお目見えする。

 同公園は、第一から第四までの構成となっていることが広く周知されていない面がある。それは、桜をはじめとする四季折々の花見処として、今や幸手市というよりは埼玉県の観光名所としての位置づけにある第四公園が、抜きんでて公園全体のイメージを構成しているからだと思われる。
 これは、ひとえに保存会の皆さんの管理育成への心ある姿勢の賜でもある。

 
 この第四公園には、多くの人が訪れるにもかかわらず管理事務所がないというのが長年の課題であった。県立公園であるのに管理事務所がないというのもおかしなものであると口を酸っぱく提言してきたが、予定通りまもなく工事が始まることとなった。
 事業は1,328万円という入札結果による予算が投入され、来年3月25日を工期期限として行われる。もちろん、桜まつりに合わせての事業とされているわけで、駐車場整備や川向うの第三公園の整備事業の時と同様の計画で組まれているものである。

 こうして、かなりの部分権現堂公園は変貌してきているが、細かな部分は除いて、大きな課題として残っているのが第二公園である。これについては、現職時に図案まで含めた詳細な提案をしたものだが、その中身は、ファミリーパークとして子供連れの若い世代が集い楽しむ公園というものである。

 桜堤との一体化と少ない予算を考慮し、第三公園整備を優先することを要望したのが23年9月議会のことだったが、その後は第二公園に取り組んでもらうよう積極的に進めてきた経緯がある。
 子ども噴水広場、ファミリーBQ広場、野外ステージ、アニマル広場等々、11.4ヘクタールという広大な広さを持つ公園が完成すると、栗橋地区にまたがる第一公園からの連続性ももたらされ、名実ともに埼玉県のランドマークパークとなり、幸手および近隣住民の憩いの場としても意義深い公園施設となることは間違いないものと思う。
 立場は当時とは変わったとはいえ、早い時期での公園全体の完成を望まずにはいられない。
 

No.2686 日本共産党の大変換と改革の主張は・・・

2015.12.25

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 日本共産党が新年明けて4日の通常国会開会式に出席することを表明した。奇しくも、天皇陛下のお誕生日の翌日に志位委員長が大森衆議院議長に伝えたようである。
 
 さて、この志位委員長の語る内容は次のような内容なのだが・・・
「我が党は、これまで日本国憲法の主権在民の原則に逸脱する国会開会式のやり方に2つの問題提起をしてきた。

 第1に、議会は立法権を握る天皇の協賛機関に過ぎなかった戦前の大日本帝国憲法下の開会式の形式をそのまま踏襲していること。

 第2に、以前の開会式での天皇のお言葉には、米国政府や自民党政府の内外政策を賛美あるいは肯定する内容が含まれており、日本国憲法に定める「天皇は国政に関する機能を有しない」に明らかに違反していた。
 しかしその後、開会式での発言には憲法からの逸脱は見られなくなり、儀礼的、形式的な発言が慣例として定着してきた。ただし、まだ開会式の形式が戦前のままを踏襲していることは問題点として指摘しなければならない。
 以上から、ここ三十数年来の発言に憲法上の問題がなくなっていることをふまえ、今後の開会式には出席をすることとするが、形式的な部分について現行憲法の主権在民の原則と精神にふさわしいものとなるよう抜本的改革を強く求めていく。この抜本的改革を実現する上で、開会式に出席することが積極的な対応になると判断した」

 以下インタビューへの志位委員長の発言
ーー開会式に出席した上での改革とは?
「先ほど述べたような状況のもとで欠席姿勢を続けた場合、我が党が天皇制に反対するという立場で欠席するという、いらぬ誤解を招き、憲法の原則と厳格な順守のために提起しているという真意が伝わりにくい。そこで、出席することが改革提起に対する真意だということがよりストレートに伝わるものと考えた」

ーー形式的な改革とは何か?
天皇のために特別に高い玉座が設けられ、そこでお言葉を賜るという形式は、現憲法の主権在民の原則と精神に反するものであって、抜本的改革が必要だということだ」

 そうだったのか! これが国民から負託された国会議員を党議イデオロギーでひとくくりにまとめ、開会式という言わばけじめの儀式を欠席していた理由だったのか。
 うーーん、私にはやはり理解し難い!

 日本共産党は昭和22年以来、68年間もの長きにわたり通常国会開会式を欠席しているということを考えると、なぜ今ここで出席することにしたのか?
 逆に言えば、68年も守り貫いて来た方針を変えるのであるから、まさに天地がひっくり返るほどの大転換のようにも感じる。
 

 今、平和安全法制や原発、沖縄基地問題等々が左翼リベラス思想に付け入る隙を与え、マスコミもそれを後押しするかのような政治情勢の中で、政党選択に行きづまった有権者が共産党の美的主張に賛同する傾向が垣間見える。来年夏の参議院選挙から選挙権が18歳にまで引き下げられることになった。しかも今や衆議院との同時選挙という声もかまびすかしい。その機を逃さんとする方針大転換に感じられなくもないが、そこにはポピュリズム的発想が原点にあるように思えてならない。
 つまり、委員長発言にあるように、共産党は天皇制に反対だと理解している国民が多いのは確かなことだと思うが、そうではないと訴えることは、確かにアピール性が高く、わかりやすい。しかし、どうだろうか・・・真実は選挙戦ありきの路線変更とは言えないだろうか。

 国会議員全員が通常国会開会式に揃うということは、単純に良いことと思いたいが、玉座のこととなるとさすが共産党的だと言わざるを得ない。
 天皇と言う陛下を付けない呼び捨て呼称も相変わらずだが、天皇家は平民にあらず、国の象徴であるからして、高い位置での玉座は当然のこと。
 あらぬ思想に犯されたヤカラから御身を守るためにもそうした扱いは必要だと理解する。
 平和安全法制の委員会審議時を思い出す・・・反対議員の愚行蛮行の暴力現場は、青少年の政治に対する関心を遮断させるほど異常なものであり、本会議場とて何をするか全幅の信頼などおけない議員がいないとは言えない状況なのです。
 考えれば、陛下はたびたび被災地を訪れ、被災者が避難している体育館などで激励のお言葉をかけられます。床に膝まづき、時には正座され、目線を同じくして暖かい笑みを投げかけられているではありませんか。まさに受ける側がそのお姿に神々しさを感じ、元気をいただく瞬間だと思います。
 国会は、国の方向性を議論する神聖かつ公的な場所ですが、反面、政治イデオロギーが渦巻く場所でもあります。その開会式のあり方としての現状に何ら問題があるとは思いません。

 陛下お誕生日に、一般参賀に出向き寒い外気にさらされながら天皇家の安泰を一心に日の丸を振る参賀者に対し、ご一家が手を振られる光景がなによりであります。本会議場とて同様のこととして髙い席で玉座に座られる陛下に疑問を持つことなどないのが、“大方の”かつ“ごく普通の”一般国民であると思う次第です。 

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