記事一覧

No.2665 ハロウィンと選挙権

2015.11.03

 急に12月上旬並みなどと聞かされるとやれやれの気分になるが、たしかに昨日とうって変わった陽気に身震いするほどである。 

さて、どうやらハロウィンが全国各地で定着しつつあるようだ。経済効果までが宣伝されているが、基本は若者主体の仮装イベントである。

 渋谷の駅前スクランブル交差点の光景がテレビでも見られたが、若者が意気軒昂に振舞い、それが集団化すると、よくあるパターンとして暴走、暴徒化する。
 あれだけの人数に膨れ上がると、まさに皆で騒げば怖くないといったふう。
 仮面を付けると気持ちが大きくなるのはわからないではない。しかし、いくら変装イベントだからといって、平和安全法制反対のデモ化に変身するのは考えものだし、警察官への暴力沙汰も発生したようだ。酒やドラッグもこうした騒乱に起因している可能性もある。
  

 あの若者たちの多くが、選挙権をすでに持っているか、近々持つことになると思うが、ハロウィンで集まるように投票所に集まってくれるだろうか。そして、縁故しがらみ、見た目スタイルなどに惑わされることなく、政治家としての中身が感じられる候補者を選択出来るだろうか。
 期待と不安の入り混じる選挙制度改革をハロウィンに結びつけて考えると、なんとなくやるせない思いに駆られてくるのだ。

No.2664 《61》

2015.10.28

アイコン

 たまっていた雑務処理に追われ、一日が終わるのが早いこと早いこと。時は待たないを実感する日々だ。 

 昨日はお世話になった方のお見舞いに群馬の上牧温泉病院へ出かけ、ついでに水上まで足を延ばした。往路は高速道を利用したが、復路は県道から17号に出る一般道を利用。どうも性分で往復同じ行程をとるのが好きではない。風光明媚な土地柄を訪ねて、同じ道筋を通行するのはもったいない。だいたい一般道の方が季節的な味わいはもちろんだが、思わぬ風情に出会うことがあるのも心をくすぐられる。
 
 週が変わって心地よい秋晴れが続いている。諏訪峡からの谷川岳の眺望は素晴らしかった。水上の蕎麦も山菜天も、たよりない私の味覚を満足させてくれた。まさに舌妙?な食感であった。 

 さて、幸手市長選挙ですが・・・
 61という票差は、両者どちらにも違った意味で重くのしかかる結果だ。ことに敗者にとって胸に去来するものは少なくない。私も経験者の一人として、木村氏の心情はよーく理解できる。

 無効票が前回よりもさらに増えたそうだ。白票や所定外の内容を記入する無効票とは、どちらもその任に値しないという意思表示なのか、それとも投票率を上げる目的で為されているのか。今回のような小差決着の場合、それを大きく上回る無効票があることに虚しさを覚える。 

 そもそも、所沢市に続いて幸手市でも前回投票率を下回った。この状況に歯止めがかからないのは全国的なことであるのは理解できるが、まったくもって昨今の選挙事情には情けない思いが募る。
 そう言えば、木枯らし一番が選挙投票日に吹き荒れたが、あれはいったい投票率にどのような影響をもたらしたのか・・・風神様のみの知るところなのだろう。こうして、熾烈な選挙戦のあとは随処になぜ? なぜ?の思いがついて回る。

 
 幸手市のこれからをしっかり見つめていくことが、今後の私たちに出来ることだと腹を据えることとする。

No.2663 結局は、街の倫理レベルが問われている!

2015.10.25

アイコン

 市長選活動も終わり、翌日の日曜日は常に表向きは平穏になります。いや、裏向きがどういう形であるのかはよくわかっていないのですが・・・。

 「トップにとって必要なのは、平均を上回る知性と例外的に高い倫理観である」という論説に昨夜接した。
 いわゆる東芝やVWのトップは、平均を上回る知性はあったが、例外的に低い倫理観しか持ち合わせていなかったというのである。

1.(知性など)能力はあるが、理念や倫理観がない人
2.(知性など)能力はないが、理念や倫理観が高い人
3.双方ともに兼ね備えている人
4.双方ともに持ち合わせていない人


 もちろん、3が素晴らしいことは言うまでもないが、そうそういるものではない。4は論外である。
 そこで論説はこう締めくくる。能力は経験と啓発で備わるものだと。したがって、1より2が勝るのは当然であると。

 さて、この単純明快な論理は、行政トップに求める要件として重要な視点を示している。
 たとえて言えば、5万人規模の街の予算でも150億円以上もの税金の使い道を決める権限が市長に与えられるのだ。この力を誰に与えるかが選挙であり市民ということである。
こう考えると、結局は街の倫理レベルが問われているということであろうか。
 

 さて、幸手市長選の行方、どうなるものやら・・・

No.2662 市長選はやはり地方都市の選挙の華

2015.10.22

アイコン

 盛り上がりがないねー!と会う人、会う人が口にしていた今回の幸手市長選。この終盤戦に入って盛り上がってきた感がしている。そういう意味では、首長選挙は住民の関心は知事選や県議選とは比べ物にならない。県議選などは圏内全域で選挙が行われるためマスコミの対応も選挙区単位の取材度合いが少ないが、首長選挙はマスコミの関心も高くなる。首長選挙は選挙の華なのだ。
 パソコンが不調でしばらく書き込みが出来なかったが、盛り上がりを感じる理由を検証する。いや、検証という言葉を使うほど難しいことではないのだが・・・

 選挙、とくに首長選挙は財政的な観点に趣きが置かれてしかるべしとは思うが、今回の選挙、どうも財政とか予算とかの数字的観点に関心が向けられているのではないようだ。
 もとより地方都市の選挙では、まずは盲目的にしがらみ、つながりを優先するきらいがある。実際、幸手52,000人市民の中で、親戚姻戚血筋のつながりが聞いても覚えきれないほど複雑な状況にあるのには驚かされる。
 しかし、そうした人間関係にさほど左右されない層からすると、興味の的は難しい論点よりはわかりやすい部分に選挙戦の興味を感じやすいというのは理解できるところだ。

 
 そうした考えを柱に置いて、そのわかりやすいところを分析すると何と言うことはない。人格、人間性、資質に関わる「振る舞い」という部分がクローズアップされてくるということである。

◆現職候補が時期的に大切な公務に出席せず、ゴルフ大会に参加していた。

◆それを議会で問われた時に、即座に否定し、発言の取り消しを求める強気な態度を見せたものの、翌日には問われたことが事実であることを認める発言。

◆ならば、なぜ問われて瞬時に嘘をついたのか。自分自身に関わる数ヶ月前の行動であるから忘れるはずはないし、すぐにバレル話ではないか。これは市長の資質として、人間の器として、どうなのか? 
 疑問に感じている市民が以外と多いことがわかった。

◆香日向小学校廃校後の利用についての住民説明会における対応は、質問にまともに答えられない、答えない状態で、あげくに中途で退席してしまうという不誠実さが表面化した。住民と感情的にやり合う場面もあった。私もビデオを見て驚いた。
 
 こうした人間性に関わる点には住民は敏感だし、個人に関わる部分では一事が万事という考え方に帰結することが多い。首長の矜持とはいかに!といったところか。
 政界に限らず芸能界、スポーツ界さらには経済分野でも不祥事件に対する住民の目は厳しい。最近のジャイアンツ選手の賭博事件、旭化成グループのマンション詐欺事件などは、そうした典型的な例ではないだろうか。

 この選挙、幸手の真実を問い、明日を占う大切な選挙戦だということが、有権者に理解され始めている。もっと早ければ良かったとは思うが、遅いとは思わない。終盤戦、これからが本当の選挙戦だ。

No.2661 市民を欺く発言に真実なし!

2015.10.16

アイコン

 秋晴れの空にイワシ雲が映え、心地よい風が頬をくすぐる。北海道の吹雪や富士の冠雪が別の世界のように感じられるが、日光では今年初の氷点下になったそうな。冬は目の前だ。

 寒いと言えば、数日前に行われた現職候補の総決起大会で発せられた言葉のお寒い内容に驚かされた。

◆「私たちは、相手の誹謗中傷もしない。私は事実しか言わない」

 と、冒頭で語る人物がいたが、その方が更にこうも言う。

◆「(前市長時代に)東小学校に5億円も補助金を出したが、あれは幸手市民のために役立っていない。100人以上いた卒業生のうち幸手市に就職したのはたった3人だ」

◆「市長に問責決議案が出された。市長は何も悪くないし、詫びる必要などない。安倍総理だってゴルフをしている」

◆「消滅可能都市と言われているが、幸手市の財政は悪くない。近隣の中でも真ん中くらいだ」

さらに別の人の発言では・・・
◆「前市長は、久喜市との合併を目指すとして五霞との合併を蹴り、20万都市を目指して合併を考えていた久喜市の思いを蹴った」

 こうした発言を聞くと、誹謗中傷はするは、事実と異なる内容はあるはで、過去のことゆえ記憶のないという市民が疑問に思わないから、何を言ってもかまわないといった感するある。

 日本保健医療大学は幸手市のみならず、幸手市が加入する利根医療圏という大きな範疇において、大いに貢献しているという結果は卒業生たちの就職先に現れている。
 幸手市民は、何も幸手市だけの病院やクリニックにかかるわけではない。隣町にまで足を運び診察を受けている市民も多くいる。
 了見の狭いことを言ってもらっては困る。

 卒業生たちからすれば、研修を積むという観点からも総合病院に勤務したいのは当然である。これは医師の世界でも同じだ。そうした新人を受け入れるだけの医療機関が幸手市にどれだけあるというのだ。
 よしんば、毎年100人以上輩出される看護師卒業生の多くの新人を、幸手市にある医療機関が毎年どれだけ受け入れられるというのだろうか。単次元で都合の良い話をもっともらしく言うのは見え透いた選挙発言としか感じられない。分析不足も甚だしい。
 過去に遡った誹謗中傷は醜いだけだ。

 問責決議案を出された市長に、反省を促すのが、後援会長をはじめとする支援者方の取るべき行動ではないだろうか。それを自らが開き直って、総理と同じだというのでは、街の浄化など有り得ないではないか。
 圏央道の地権者協議が揉めている現状もある中で行われた建設促進期成同盟総会を欠席してゴルフに参加した。しかも自らの経営する店の名がついたゴルフコンペなのだから、行政、市民無視も甚だしいではないか。
 どこが安倍総理と同じだと言えるのだろう。

 分析が出来ていないというよりは、選挙はなんでもあり!という意図的なものが感じられるが、皆さんは如何様に思われるか?

 財政は言うほど悪くないという言葉も無責任極まりない。これはデータが示すものであるから、確認すれば幸手市の財政の現状は自明の理である。

 久喜市からの合併申し入れがあり、それを前市長は断ったという発言に至っては、真実から乖離したまったくの「嘘」である。

 元政治家がこうした嘘を公言する。悲しいことだ。

 詳しい事情は次号以下に示したいと思うが、4年前の選挙では、「幸手駅東口の整備は○○と○○がやったことだ」と、町田前市長の苦労と努力をないがしろにする発言が飛び回っていた。
 選挙とは真実を押し曲げて正直レベルを捨てされる人間性が勝利を得るということなのだろうか。

 情けない!
 こうした人たちには、冬の寒気も暖かく感じられるのだろうか。
  

No.2660 区長の倫理観なき選挙活動

2015.10.12

アイコン

 №2658で、実物を添付資料で紹介までしたある代表区長の選挙活動は、ブレーキがかかるどころか更に拍車がかかっているらしい。

 実際、区長に限らず、およそ公務員と称される人々が、そうした活動をしているという話は少なくないが、静かに、おとなしく、わからないようにやる分には・・・わからないのだからどうしようもない。
 その場合、政治的信念の度合いや、人物感を優先して応援することにしたと言うならまだいいが、候補者本人の資質と関係のないところで、盲目的な状態になる応援の姿は関心できない。
 

 現職候補者のミニ集会の案内チラシに、差出人として堂々と印刷されているというのは、いかにも行き過ぎた準公務員行動に当たるはずであり、公選法に理解が及ばないのか、わかっていて図々しいのかのどちらかということである。

 ところが、更なるエスカレート行動は、あろうことか候補者カラーであるジャンパーを着用した人たち(つまり複数で)が候補者を連れて戸別訪問しているという。そして、その中の一人が上記の代表区長その人だというのだから、もはや確信犯的公選法違反行為ということになる。いやはや恐れ入る。
 この場合、候補者が現職であると、市税で報酬を受けている人に対する強要という理解も可能なところとなり、区長のみならず候補者にも問題は生じることになる。「市長に頼まれたから連れて歩いた」という立派な違反行為になる。これは現職と新人が異なる点である。
 上記情報は、訪問を受けた人からの通報だから間違いないものと思う。私宛に連絡を入れるというのは、「このままほっといて、やり得を許しておいていいのか!なんとかしないと」という思いからのようだ。


 私が、街の政治家に名乗りをあげてから、小さな街の選挙の実態というものを、いやというほど思い知らされた。いやというほど耳にした。
「あのうちの奥さんは○○の身内だからな」
「あそこは子供が就職で世話になっているから」
「仕事で付き合いがあるから」など、まるで投票するのが当たり前くらいの「しがらみ感覚」が優先されるている。挙句に、移り住んだ者に街のことがわかるわけがない!という。何年経ってもよそ者はよそ者だと、よそ者の先輩がさとしてくれる。新しい血は必要ないという哀しい話らしい。
親戚感覚や同級同窓感覚が選挙に生きる内向き思考は、しがらみ感覚の双璧だろうと思う。この感覚を捨て去ることが不可能なことだとは理解している。
 私の選挙の時では、いろいろな有権者との会話の中で、「うちの子供は、あの親の教え子なんだよ。そんなわけで悪いけど・・・」という場に何度も直面した。候補者に基準が向いてない典型ではないだろうか。現職だった私には、まったく批評の目さえ皆無なのだから、どうすることもできない。
 こうした傾向には、都会型と地方型との違いが如実にあるし、地方型にも各地それぞれに独特なものがあると思われる。

 こんなことで、街が良くなり、発展するはずがない!

 私自身は、投票は必ず行い、その投票指針は政党8割、政策2割というのが権利取得後45年間の基本的考え方であった。政策はマニフェストという横文字になってから、その信頼性を大きく失った。嘘や無理なことが平気で示されるから2割の位置づけでいいというのが私の考え。これは今のところ死ぬまで変わることはないだろう。
 子どもたちにも投票のススメは説いてきた。考え方のアドバイスはすれど、よほどのことがない限り投票対象を指示したことはない。かなり昔の話だが、家内でも迷いが生じた時は私に聞いて来ることがあった。

 18歳選挙権・・・文科省では指導書原案が出来たと聴く。国内でも過激ぶりはトップクラスの埼玉県弁護士会が出張指導に出向くという?な話もある。
 世界の中で20歳で仕切っているのは日本くらいだという話もある。
 だから世界に合わせるというのは、こうした場合意味があるのだろうかと思えてならない。それぞれ、国家には伝統的に築いてきた風土というものが、ありとあらゆる事象にある。単なるパーセンテージ重視の横並び思考を優先させることが、日本の未来に良いのか悪いのか大いに疑問のあるところだ。
 だいぶ話がそれたようだ。

 今一度言うが、しがらみだらけの選挙のあり方は、けっして街のためにならない!
 
 そして、選挙コンプライアンスが著しく欠如している実態には、市民が問題提起を声高にするべきである。冒頭の違反区長は若い人にどういった教育ができるのだろうか。こう考えると街の今後が悩ましくなるばかりだ。

ページ移動