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No.2677 烙印議員と有権者民意

2015.11.28

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 素晴らしい晴れ間が我が家の庭から室内まで暖かい光を届けてくれている。
 テレビもラジオも関東以南の紅葉の便りで賑わいを見せているが、北ではまたまた記録破りの寒波が、大雪と突風で住民を悩ませている。
日本の四季は悲喜こもごもだとつくづく思う。この点では良くも悪くも国土の広さを感じる。
 

 話は変わって・・・実は、数号前の兵庫県議の裁判欠席関連ブログにいくつかのご意見をいただいた。あのような議員を当選に導いた結果は、有権者にも一分の責任はあるという私の主張に賛同が寄せられているのだが、中には、候補者に芝居じみた当選ありきの選挙選を展開されたら、それを見抜けという方が難しいという内容もある。
 その理由としては、すべての候補者の人間的中身を知らされないまま投票日がやってくるのだから、評価基準がどうしても上辺のみにならざるを得ないというのである。

 確かにそういうことも言えるとは思う。
 しかし、ここで別の角度から。今年の統一地方選挙での現実の我が街の選挙について考えてみたいと思う。実際に自分自身が候補者として関わった部分もあるので少し手前味噌なところはあるが、一般論としてお読みいただきたい。

 近頃いろいろな知人と会う度に、幸手市長選挙の結果が話題になる。私との会話だからそれが持ち出されることはわからないではない。また、61票差という激戦が市内のみならず各地の有権者たちにも大きな関心をもたれたことが原因とも理解している。
 そして、一様に口にするのは幸手市の民意の低さに驚くというのである。それは、現職候補の行動の責任感や財政に関しての内容が新聞などで報道されたものの、結局は現職が勝ったことに対する有権者の倫理観に言及したものと理解している。外の人間にすれば問責決議案が可決されるまでに至った事実を新聞紙上で知ることにより重く感じていたようだ。
 そうは言っても、多かれ少なかれどの地方都市にもそうした無条件の選択基準が存在しているのは間違いないし、それを理解している人も少なくはない。しかし、それでも幸手は特別だと言うのだから恐れ入る。

 県東のある街の前回首長選において、管理職会議を遠地で実行したことにより、街に責任者不在の日が生じたことが選挙選の争点になった。結果、将来を嘱望された現職が破れることになったのだが、有権者は現職にきっぱりとダメ押しをしたと理解せざるを得ない。 
 何があっても不思議ではないと言われる選挙だから、そこだけに結果分析を求めるのはいかがなものかとは思うが、影響があったことは否めないようだ。

 それとの比較で考えると、縁故、つながり、しがらみといった候補者審査をハナから必要としない無条件の投票思考が、歴史的に存在しているという幸手市の実態は、近隣自治体に比して特に強いと理解されているようだ。これを負の遺産と言うべきかどうかは難しいが、身内は可愛いという心理を選挙に限ってぬぐうことが必要だと思うが、かなり難しいことだとも理解している。
 だいたい、候補者自体がしがらみにすがり、訴える選挙選を展開しているのだから言わずもがなである。大都市選挙との決定的な違いがそこにある。

 よく聴く話に、幸手市は昔から近代化に向けた行政課題が生じる度に、既得権益に関わる一部住民によりストップがかけられた経緯があるという。一つの例として、東北線(宇都宮線)は幸手市を通過する可能性があったという。詳細は深いものがあったようだが、その時代の政治は、これにどのように関わったのだろうか?
 それにより久喜市とのその後の発展度合いに大きく差がついたことはあきらかなようだ。

 政治と選挙の関係は複雑にリンクしている。中には、今の自分が楽しく生きられる政治を望んでいるという方がいるのも事実だ。がしかし、街を長期ビジョンで成長させたいのは多くの住民の思考であり、それは政治の責任でもあるのだが、選ぶ政治家によっては、それを阻害する要因にもなるということをどれだけの有権者が真剣に理解しているだろうか。

 数万規模の地方都市政治においてイデオロギーは無用だ。地方都市単位で、そこに取り巻く政治と選挙の関係は、30年、50年、100年先の未来像に多大な影響をもたらすということを強く認識すべき時代に入っている。 
 そういう意味において、私たちの1票はとても大事な街の財産だと考えられないだろうか。

 そうした観点から、野々村県議の当選に寄与することとなった投票心理は、選んだ側にも問題があるという意味で、全国の有権者の反面教師になるはずだと指摘したのである。
 選挙制度改革というのは1票の格差を問題視する以上に、社会変化に伴い、低落する投票率と民意レベルの引き上げ対策、並びに議会制度改革を研究すべき時に来ていると感じている。
 ただ、選挙権の18歳引き下げは、時期尚早という意味で私は今だに賛成はしていない。現在のままでは、この法改正が投票率のアップと民意の向上に結びつくとは思えないからだ。
 

No.2676 小学校の一つのスタイル

2015.11.26

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 行政課題も各種あるが、国の未来を支えるという観点においては「教育」が最大のポイントであろうと、私は考えている。そしてまた、こうした考え方に意を同じくする方と、これまでの政治活動を通じて懇意にさせていただけるようになった。ひたすら子どもたちの健全なる成長と学力の向上に向けて、教壇に立たれてきた方々である。

 そうしたことが原点となって、一昨日のことになるが埼玉県議会の文教常任委員会の委員長を含む3名の議員がさいたま市のある私立小学校を視察訪問した。私が紹介する形だったことから私も同行することとなった。
 校長先生と教頭先生による親切丁寧な説明を受けた後、校内施設と放課後カリキュラムの見学もさせていただいた。

 一言で言えば、公立小学校とは全てにおいて違うということになる。視察の目は、どうしても行き届いた施設に向くが、授業のあり方にも独創性豊かなシステムが仕込まれている。また、教諭の数の多さとそこから生まれる余裕等々、言い尽くせないほど異なる姿があることに驚かされる。
 確かに、データ的にも学力の高さがはっきりと示されている。

 私立であるからエリア限定通学制度でないのは当たり前なのだが、通学範囲は群馬県や栃木県にまで広がっており、それを苦にする子どもたちは皆無だという。それどころか友達に早く会いたいという気持ちから登校時間は早いという。夏休みなどでも喜ぶどころか友だちに会えなくなることがつまらないといった様子だという。したがって不登校も限りなくゼロに近い。

 もっとも、こうした高質高度なシステムは授業料の高さによって維持されているとも言える。だいたい親の年収が700万円程度は必要のようだ。そうした無粋な話とは別に明るく元気に学校生活をおくっている子どもたちの姿は純粋この上ない。
 カリキュラムで目に止まったのは、右脳開発のため実践しているピコ算盤なる授業があり、英語では、卒業までに大半の児童が読む、書く、話すことについては一定のレベルに到達するそうだ。したがって、公立の中学校に進学する子がどうしても少なくなるという。
 英語はセカンドランゲージとしてではなく文化として教えるという。つまり多言語ではなく多文化のひとつと認識させて授業に当たる。3人いるALTも固定化されており、リーダー格の人は日本人と結婚し、ローンを組んで家を購入しているそうである。授業のあり方について積極的にアイデアを提示してくるという。

 私がもっとも関心をもっているのは、自然や土と親しむ教育を心がけている点だ。ミニではあるものの水族館があることにびっくりしたが、それはそれとして、課外におけるネイチャーカリキュラムの実践は、教頭先生の考え方が生かされているものと思う。
 この教頭先生は、県東部の自治体の教育長を務められた方で、この先生を慕い、尊敬している現役の校長先生も数多くいる。そうした方々の話を伺う機会を持たせていただく中で、教諭たちとの接し方に独特かつ素晴らしいものがあることが理解出来た。

 番外の私にも質問する時間をいただいたので、校長先生に教頭先生のリクルートについて聞いてみた。曰く、人事異動が無いに等しい私立において、新鮮な息吹を取り込むには、常に圏内広くアンテナを張り巡らしているという。
だからといって、引き抜きをするわけではなく、この教頭先生も教育長から引いた時点でのトレードだったそうだ。
 数日前に、どこぞの小学校でイヤナヤツ+イヤナヤツ=ミナゴロシなどと掛け合わせで教えるとんでもない教諭がいた。反日プロパガンダを実践する教諭がいるのも現代学校現場の実態である。
 有能な教育者はそうそういるものではないが、確かな経験に裏打ちされた理想の教育現場づくりを実践されてきた、この教頭先生に私は注目している。まだまだお元気な方なので、本来は地域から手放してはいけない方だったのではないかとさえ感じている。

 

No.2675 H2Aの将来性

2015.11.25

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 師走も近くなると陰湿かつ悲惨な事件が多くなる傾向にあるが、今年もそうした報道を見るにつけ心が締め付けられる。
 「こうなる前になんとかできなかったものか」という思いを強くする家族間殺人事件がとくに今年は多いように感じる。明るい話題が少なく感じるのはそうしたことにもよるのだろう。

 そうした中、昨日のH2A打ち上げ成功は沈みがちの心を弾ませる効果があったのではないだろうか。カナダの衛星を載せるという日本初の商業ロケットは、見事に3万6千キロ先の宇宙に向けて飛び立った。97%の成功率を誇るという日本の通信衛星打ち上げ技術は、三菱重工業が開発責任を有しているものの、個々には中小企業の繊細な技術の粋が生かされている。いわゆる、下町ロケットそのものだ。

 コストについては諸説いろいろあるが、100から120億円かかると言われており、欧州アリアン、露プロトン、中国長征といった海外ロケットが80億円程度にまでコストダウンしているというから、まだまだ衛星ロケット競争力において、日本は遅れをとっている状況だ。

 個人的には、宇宙工学や通信機能の進歩には関心があるものの、およそ無知なもので、今現在の通信機能の向上には単なる使用者として一定の満足感を持っているにすぎないが、下町ロケットというドラマと今回の成功のタイミングを通じて、宇宙を対象とした人類の知恵の競争に夢を感じ、中小企業の存在があればこそと畏敬の念を表したいと思う。 

No.2674 号泣県議に同情論あるはずもなし

2015.11.25

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 寒い! 気温の変化に体調を崩す方が多いようだ。くれぐれもご注意を。

 さて、寒いと言えばこの人物はどこまで有権者を小馬鹿にすれば気が済むのかと思う。そもそもこの人間こそ心が冷え切っているとしか思えない。
 元兵庫県議の野々村竜太郎被告。言わずと知れた政務調査費の架空報告問題で弁明の際に、わけのわからないことを叫びながら号泣したその人である。議員辞職にとどまらず被告人という立場に落ち込んだのも当然と言えば当然。同じ県議の立場だった私としても、虚偽のまた虚偽、詐欺的報告には唖然としたが、それ以上に何を目的に政治家を志したのかという点において憤りを感じたものだ。
 昨日はその初公判の日だったが、突然精神不安定を理由に欠席し、訪れた傍聴希望者たちを憤慨させた。

 この事件は政治家の活動の実態や、政治活動コストの関わりに対して有権者の怒りを呼び、全国の地方議会に影響を及ぼした。メディアにも大きく取り上げられ、長年続く政治不信の根をさらに深くした。
 今、彼の心に去来しているものは何か知るよしもないが、厳しいことを言えば、反省の少ない後悔の念が彼の思考の多くを占めているのではないかと思えてならない。西宮の市長選に挑戦するなど数度の敗戦を経て、兵庫県議に当選した辛抱と忍耐の人間が、そうそう精神不安定になるとは思えない。
 政治家になりたい一心で心強く頑張った精神は、その目的を達成するまでの見せかけの時限精神だったということか。
 ともあれ、すべての議員に謙虚で真摯な思考が求められる事件であった。

 反面、今の政治不信を生む原因は長い間の選挙事情に関わる有権者の投票心理にも問題はあると思う。 
 昨今の選挙選、どこでも軒並み投票率が低落傾向にあり、その少ない投票率にあって、駅立ちや辻立ちが有権者の目には根性人間として映り、投票の視点をそれだけで判断に結びつけると、思わぬ裏切りに合うという例は少なくない。選挙年齢が下がるといったいどうなるものやら。

 縁故、つながり、しがらみはもちろん、選挙目当ての見た目の根性を投票選択の意思決定に結びつけてきた「つけ」が、今政治の膿となってあぶり出されていると言えなくもない。その結果、さらなる政治不信を生む。
 言わば、国にとっても国民にとっても有り難くもない政治輪廻が長い間渦巻いているのが政治と選挙の関係とも言える。
難しいことではあるが、野々村県議の人間実態を見抜けなかった有権者にも反省すべき点はあるし、そういう意味において、この事件自体は全国の有権者の反面教師としても活きる話ではないだろうか。

No.2673 プレミア12 劇的敗戦に想う

2015.11.19

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 久しぶりにスポーツで一席・・・あまりにも悔しすぎる。小久保監督は今日寝付けないかもしれない。

 いや本題に入る前に一言。
 けじめの意味で書いた前号のブログに対して温かいメールをいただいています。そのすべてが励ましの内容で、いろいろな意味で「冥利に尽きる」と感じ入っております。個々に返信もしておりますが、この場であらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。

 さあさあ、今、プレミア12準決勝の日韓戦が終わった。勝負の怖さはどんなスポーツにもあるが、選手交代の妙がこれほどはっきり出るのは野球の他にあるだろうかと思わせる結果ではなかったか。

 食い入るように大谷翔平のピッチングを見ていた100%の人にとって予想だにしない展開が9回表に目の前で繰り広げられた。その裏、2アウトから中田翔が中前に打ち、代打おかわりくん中村卓也。劇的な逆転サヨナラホームランを祈りながら見ていた人のすべてがため息に変わった。日本が負けた瞬間だ。

 7回85球、ヒット1本、三振11という韓国ベンチもあきらめムードの中で、大谷はベンチに引いた。
 草野球や市民ソフトボールのレベルではあるものの、自分も45年近い4ベーススポーツの経験の中で監督を何度かやったりもしたので、一番難しいのが投手交代であるとの実感はある。
 展開をにらみながら、精神的にかなりエネルギーを使うのが投手交代だ。
 だから、小久保監督の今の思いがそれなりに理解できる。一番悔しい思いをしているのは彼のはずだから。

 
 テレビでは7回の無死1・2塁で点が取れていればと解説していたが、この試合はひとえに大谷を代えたことに尽きる試合ではなかったかと思う。打線にもう1点という思いはわからないではないが、負ければ敗退のサドンデス準決勝で2回を残して3点リードというのは、けっしてセーフティーリードではない。
 投球数も多くはなかった大谷は決勝戦で投げることがない状況にあって、完投可能な、またそれを見たいと思わせる内容だった。先発、セットアッパー、クローザーという役割分担が昨今の投手起用のセオリーのようになっているが「時と場合による」という言葉は、この試合にこそ生きるものではなかったか。監督には思い起こして欲しかったところだ。そういう意味では、余裕を残して負けたとも言えなくはないが、余裕を見せるべき試合ではなかったのだ。

 なんとしても負けたくない韓国に負けた。逆に勝ちたくてしょうがない日本に韓国は勝った。どちらも決勝戦のことは頭になかったほど、この試合に全身全霊を注いでいたものと思う。とくに韓国は・・・。
 その点取りの流れはあまりにも非情なものだったから辛い。
 画面に映る大谷選手の明るさが救いだったが、今年のプロ野球の最終がこうして終了したのはなんとも悔しくてならない。

 
 しかし、ここまでよく頑張り、楽しませてくれた選手、監督、コーチの皆さんにはご苦労様でしたと、ねぎらいの言葉で締めくくることにしよう! 
 小久保監督にはこの結果を引きずり過ぎず、これから先まだまだ代表チームを牽引していっていただきたい。なにしろ、選手選抜の素晴らしさは多くが認めていることだし、この経験が絶対に活きるはずだから。

 ありがとう! 野球バンザイ!

No.2672 信念変えることなく進みます!

2015.11.15

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 幸手市長選が終わって早いもので3週間が経過しました。これで4年に一度の統一地方選挙が終わりを告げたことになります。
 自らの選挙からはすでに7ヶ月が経ってはいますが、直後の市議選、真夏の知事選を経て市長選が終わるまで今後の身の振り方をはっきり明言しませんでした。いや出来なかったという方が正しいと思います。しかし、支援者の多くはいったいどうするんだろうと心配してくれた方が多かったように感じています。
 ご心配をおかけしたことに深くお詫びしますとともにご心配をいただいていることに深く感謝するものです。

 まだまだ私のできる限り、地域発展と地方自治の進展のために頑張って行きたい。これが私自身の今後の方向性についての信念であり結論です。
 なにとぞよろしくお願いいたします。

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