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No.2721 日米政治に想う

2016.03.03

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 梅や河津桜の情報が頻度を増しているが、今日から春の兆しが強まるという。今朝起きたら室内温度は8度だった。まだ昼夜の寒暖差に身体は敏感だ。

 敏感と言えば、アメリカ大統領選に誰しも注目していることと思うが、これほど極端な大統領選があっただろうか。2大政党制ではイギリスとともに代表的な国であるアメリカで、それぞれの政党内にイデオロギーを違えていると感じる候補者によって熾烈な選挙選を展開している。
 極右、極左と表現することが適切かどうかわからないが、共和党トランプ氏と民主党サンダース氏の登場は、まさにそうした感覚を世界に発信しているのではないだろうか。そういう意味において、自由主義国アメリカにおいて政治の根本に変化が生じているように感じる。

 これまでは、どちらかというと両党ともに保守系で、ハトかタカかの感覚に若干の違いがあると思われていたが、トランプ氏の発言は自国の尊大さを誇るためのアメリカプライドに訴える発言が多過ぎる。
 つまり、この時点でトランプ氏は世界を相手に選挙活動をしているとも言えるわけで、たとえが適切かどうかとは思うが、007のシリーズに出てくる世界制覇を目的とする悪の権化にイメージがかぶさるのだ。

 このトランプ氏の支持に名高い人種差別集団が加わったというニュースは世界に打電されているが、取り扱いは小さい。KKK、俗にスリーKと呼ばれるクー・クラックス・クランである。私は中学生の頃、靴まで隠す白装束マントに三角頭巾をかぶった集団が黒人蔑視思想のもとに、奇抜な儀式を行っていることに衝撃を受けたものだ。こんなおぞましい組織が日本に無くて良かったと子供心に思った。
 最近の報道では、トランプ氏が意識して大袈裟な発言をしているだけで、実は大統領になれば、経済人として成功した手腕を見せるだろうという擁護論が出て来ている。しかし、目には目を、歯には歯をのKKK的人種であることは間違いないようだ。

 かたや、サンダース氏は貧困家庭や学生などの若者たちに訴える弱者救済を前面に支持を広げている。考えると、日本の共産党とシールズの関係にも似た状況がアメリカで発生していると言える。シールズの活動に日本共産党が街宣車を繰り出すなどの手厚いの支援をしており、しきりに新選挙民の確保戦術に出ていることはあきらかなわけだが、サンダース氏の活動に同じような意向が働いていると思われる。なにしろ、大学までも学費無料にするなどと訴えているのだから、こうした理想主義を支持する層が生まれるのも道理ではある。要するに財政との擦り合せが不可能に近い考え方は、日本でも特定の政党イズムに見られるが、出来ないことを公約に政治音痴に輪を広げる手法と言える。

 今回、サンダース氏が敗れても、こうした弱者救済理想掲げ、そこを刺激することによって、徐々にアメリカ的リベラル思想集団が頭角を現してくるのではないかと私は推測している。日本のバブルにも言えることだが、どうあがいてもアメリカンドリームの再現は困難な経済環境を考えれば、逆にこうした思想が台頭してくるのはわかりやすい話だ。

 さあ、日本の政治の現状だが、人によって想うことは千差万別であることを前置きして、野党結集の話はある意味わかるが、呆れてもいる。
 民主党と共産党の選挙協力にまず驚いた。共産党の連合政府構想は実現不可能だと思ってはいたが、共産党が自ら育てた候補者を降ろしてまで候補者を民主党候補に譲って一本化するなど誰が想像できただろうか。
 実際に、岡田、志位、小沢といった野党首脳陣が手を組んで万歳をしている図は、こうも政治家とは理念なき人種なのだろうかとの思いを有権者に感じさせたのではないだろうか。

 その最たるものは、民主と維新の合流である。維新21人のうち半分は元民主党の所属議員で、松野代表をはじめ除名された人や、離党にあたって口汚く民主党を論じていた人が多勢なのだ。それが、選挙選目当てで元の鞘に納まるだけのものが何故新党と言えるのか。
 解党した人間が、また集合するだけの話に新鮮味を感じる有権者がどれだけいるだろうか。まして政権運営能力が欠如したうえで、互いを罵り合って袂を別れた政党が戻るというのが今回の野合と呼ばれる合流なのだ。

 新鮮な味わいを持つ品種をかけ合わせて、新しい品種を作ったらとても味わい深い品種が誕生した。だから新しい品種にふさわしい名前をつけよう!・・というのならわかるが、腐った品種が再びかけ合わさって、名前を変えたところでどれほどの値打ちがあるのかと感じる。
 昨日の参議院予算委員会での蓮舫議員の質疑。名が売れていて、発言力があることから党上層部の存在にもなっている議員なのだろうが、相変わらず謙虚さに欠ける上から目線の発言。自民党の女性議員でここまでエキセントリックに対峙論戦する人は思い出しても出てこない。まったく反省が出来ていない証拠なのだろう。まだまだ、民主党の蘇生には時間がかかると思えてならない。

 また長くなりました。ご容赦のほど願います。

No.2720 久喜総合病院は地域住民の関心事

2016.03.01

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 久喜総合病院の身売りは、九州のカマチグループが名乗りをあげた。医療グループは安定的な医師の確保が売りだそうで、この点は評価に値するし、期待できるところかと思う。ただ、このグループは介護・リハビリを重点にした運営に力を入れているという話もある。 

 このカマチグループのトップは蒲池真澄氏といい、九州大学医学部卒の75歳で、今や九州医療界の怪物だという。東京進出を数年前から計画し、東京一のファッションタウン原宿にリハビリテーション病院をオープンして時の人にもなっている。
 そして余談に近いが、政治家になった子供がいるようだ。今は故人となったが、堀江メール事件で勇み足をし、議員辞職から自殺へと数奇な運命を背負った、あの永田議員である。ただし、実子かどうかは不明だ。
 医師と政治の結びつきは医師会政治連盟が強力な政治団体でもあるところから、その絆は深いものがある。この蒲池氏もそういう意味では、身内が政治家になるにあたり、資金的な援助を当然していると考えられるので、政界との関係は知る人ぞ知るといった面があるやもしれぬ。

 それはそれとして、要するに、私たち地域住民にとって何が大切かというと、新しく生まれ変わる病院がいろいろな意味でリフレッシュし、明るい開かれた病院経営に励んでくれるかどうかなのだ。

 JA厚生連は、久喜だけでなく熊谷厚生連病院も北海道の医療法人に身売りした。北と南に振り分けた格好だが、どうしてこういう結果になったのかも、街での会話によく出る話だ。
 
ファイル 625-1.jpg さて、写真は№2703で書いた仮称「白崎ハートクリニック」を写したものだ。撮影場所は「アリオ」の屋上。後方に見えるグレーの建物が久喜総合病院である。個人クリニックとは思えないほどの規模であることがお分かりいただけると思うが、この白崎クリニックを開院する白崎泰隆院長は昨年3月まで久喜総合病院の第一診療部長という要職にあり、昨年4月からは東埼玉総合病院に勤務された先生だ。まさに久喜総合病院からすれば足元も足元ということになる。

 聞くところでは、当該地域で診療をされた先生が、自らが新病院を立ち上げる場合、そのエリア内での開院はしないという不文律があるというが、この場合、久喜総合病院が白崎氏とは縁のない経営に代替わりするのだから、不文律は不問ということになるのだろうか。もっとも、たとえ不文律があろうが、やはり近い所に心臓循環器系の専門病院ができるというのは、私たちにとって期待以外に何を感じようか。

No.2719 高齢化時代の対応の難しさ

2016.02.29

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 インフルエンザが猛威をふるっている。聞けば県庁内でもそのレベルは相当なもののようだが、地元の小学校の学級閉鎖があって久しいことから、期間的にもかなり長期にわたっていることがわかる。
 テレビでは、3月に入ると花粉症やPM2.5が蔓延してくるので、症状が似ていることもあって個人判断は危険だとしていた。我が家は、今のところ花粉症に侵されていない家系だが、インフルエンザの辛さはすでに経験済み。最近、鼻の大切さをあちこちから聞かされるので、しっかり予防に取り組みたいと考えている。

 さて、№2712で川崎老健施設の入居者投げ落とし事件について書いた際、後述すると明記して締めた。それは、容疑者が聴取の際に「手のかかる人だった」と漏らしたことに感じるところがあったからだ。

 今、まもなく90になる義理の父が数年前から施設に入っている。歯に衣を着せぬ性分は歳をとっても一向に変わらない。真っ直ぐで真面目な人柄だが、世の不正や身近で起こる不条理を自らの価値観、評価基準に照らして忠実に言葉を発する性格である。
 予科練経験も多分に影響しているのかもしれないが、頑固、武骨その他古いイメージをそのまま変えることが出来ずに今を生きている感じだ。

 「何もなかったでしょうか? 口うるさいので迷惑をかけているんじゃないかと」と介護の皆さんへのねぎらいとお礼の言葉が、時折の訪問時の常套句になっている。いつものこととして、相手の言葉と表情で暗黙の共通理解がそこに生じる。
 私や家内にはそうでもなくなったが、上から目線で威張る言い回しなので、おそらく我慢も最高潮に達する場面があるだろうにと思うのだが、有難いことに、おおむね中年以上の域にある介護の皆さんは人扱いに慣れているようで助かる。

 私も、母にボケが出始めたころ、怒るとか叱る対応は禁じ手だとわかっていながら、つい場面場面で出てしまうことが少なくなかった。申し訳ないことをしたという思いに今でも駆られるが、それほどボケや認知症は身内ですら我慢の限界を超えかねない対応の難しさがあるということではないだろうか。老老介護の悲惨な結末は後を絶たない。
 であれば、人生経験の少ない若い介護者では簡単に「切れる」場面があっても不思議ではない。高齢者の身勝手、我が儘に抑制力が働かないのであれば、この介護者の資質が高齢者福祉の最大の問題になってしまうことになりはしないか。

 だからと言って、川崎事件の容疑者を擁護するつもりは毛頭無いのだが、介護者を採用する基準は、この点をより高い基準にしないと今後も同様の事件は起こることは否定できない。ましてや、若者の正規雇用が厳しい時代にあって、身の置き所としてこの職を選択するというレベルでは、そのギャップは計り知れないものがある。
 川崎事件の容疑者も23歳で、経済的にも苦難な状況であったと伝えられている。こうした施設では、入居者や同僚の財布に目をつけることも実態として少なくないのではないだろうか。

 高齢化時代にあって、高齢者福祉への予算が多く計上される傾向にあるが、実は、もっと若者世代に向けた活性化施策を盛り込んで、若者活力を国も高齢者も享受出来る社会づくりが必要なのだ。
 市議時代、「20年、30年先なんて我々には関係ない。政治家には、今の我々の生活を向上させてほしい」と月に数回もゴルフに出かけるような方にハッパをかけられることがよくあった。これは希望でも要望でもない。欲望だ。

 しっかり働き、しっかり蓄え、生活に困らない年金を受給している高齢者たちにも、前述の社会の因果関係とシステムをしっかり理解してもらえるようにしなければいけない。次世代や次々世代の活力があってこその老後の生活だと。

 世にはびこるモンスター群像がいくつかあるが、最近、リタイアモンスターと称する人たちが生まれいでてるらしい。身近な地域の世直しに立ち上がる「三匹のおっさん」は、あくまでもドラマの世界だが、このモンスターは地域社会で嫌悪感を持たれるおっさんたちのことを言うらしい。
 よくある会話に「口うるさくて煙たがられる年寄りより、親しまれ、愛される年寄りのほうがいいよね」というのがある。「まだ、そんなこと考えるの早いさ」と思いつつ、「そうかもしれないなあ」と近未来の自分の姿を鏡に写し出そうとする自分がいる。

 高齢者が幸せな老後を暮せるために、若い人たちが安定的に社会活動に寄与できるような国造りが、世界一の高齢国家である日本に必要ではないか。
 そして、そのためにも教育というものが国造りの長期展望として、最も大切な行政課題だと私は提唱してきている。
 それと同時に、老健施設の適切な運営管理にも、短期、中期、長期と区分した深い考察が必要であると思う。

No.2718 諸事象雑感・・・いろいろありすぎです

2016.02.26

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 昨日は幸手市議会をネット視聴した。
 前日の中村、松田の両盟友議員の街づくりへの情熱が感じられる質問も良かったが、この日の巻島議員の切実かつ純粋に訴える発言もハートに響くものがあった。
 また、武藤議員の特別委員会に関わる指定管理者問題への質問も、なかなか興味を駆り立てられる内容であった。ベテラン議員らしい十分練られた質問に、執行部が答弁につまる場面もあって、議会のチェック機能と緊張感が伝わってきた。
 やはり、一問一答形式は議会の理にかなっていると思う。県議会でも関連質問として何が飛び出すかわからない質疑応答形式を、時間制限を設けて実行するとより緊張感が出ること間違いないと思う。現状は正直言って形式的な一面は拭えないが、この形式だと議員も職員も能力と啓発が求められることになる。
 今は、どの議会も録画が数日後にリリースされるので、お聞きになられてはどうでしょうか。

 さて、世間では本当に日々何かが起こっている。そこに新鮮さを感じるか、辟易とするかは個々に違うとは思うが、暗いニュースは御免被るという点においては共通だろうと思う。梅田の暴走自動車にはぞっとなった。しかしそこに病気が・・となると、また違った意味で空恐ろしいのだが。
 ざっと思いつくままランダムに・・・

◆日本の超一流企業「シャープ」が台湾の企業に身売り
 これは、今でこそほぼ対等な経済環境が構築されているようではあるが、まさかそこまでという感覚で捉えている方が一般的ではなかろうか。対中韓台との比較において30~40年前には考えられなかった出来事というのが正直な感想である。
 これらの近隣諸国は、日本の製品を分解解体して模造品を造るなど、日本に追いつけ追い越せ!の時代を長く経過してきたのだ。隔世の感がある。

◆米大統領選で政治素人のトランプ氏が3連続勝利。
 共和党の若手二人は、どちらも退散する気配はない。世界はアメリカで成り立っていると言いそうなトランプが勝つと世界の破壊政治が実現してしまうのか?
 かたや民主党は超リベラル、日本で言えば社民党的なサンダース氏が躍進。トランプ、サンダース・・・どちらが大統領になっても、世界及び日本にとって功罪どちらが多いかを考えると、罪のほが多いように思えてならない。
 アメリカの有権者構図も変わりつつあるし、サンダース氏への隠れたロビー活動を中国が支援画策しているという話もあって、これからの半年というものまだまだ予断を許さない状況が続く。

◆中国がスプラトリー諸島を軍事拠点化で緊張走る
 中国がレーダー施設を設営したことで、米国防総省にもにわかに緊張感が走っている。平気で首脳会談での約束事を違える中国ならでは。北朝鮮への弱腰とも感じる対応も、いざという時、北朝鮮は中国にとって統一行動をとる国としての関係を構築しておきたいとの見方が最有力。その「いざという時」とはいったいいかなる時を指すのか。

 
◆民主・維新新党名で合流
 中国が尖閣への突然の上陸作戦を描いていると囁かれる中、野党5党は「安全法制廃止法案」を共同で提出した。政権奪取のための選挙対策で国防路線を踏み外す方向に舵を切った。共同通信の最新アンケートで平和安全法制の必要性を指摘する声48%強、反対する声37%強となっており、タイミングの悪さと未熟さをまたも露見。だいたい、維新の松野代表は民主党から除名された議員である。それが新党結束後は、また役員待遇を得るることになる。どこかおかしい。

◆21日に行われた高校生たちによる反安倍政権デモで、随行していた街宣車の所有者が日本共産党だったことが判明。車の周囲をいかにそれらしく仕立てても、ナンバーだけは隠しようがなかったというわけ。このデモに対して共産党が街宣車以外にも側面援助していたのではないかと巷間推測されている。
 主権者教育ならぬイデオロギー偏向教育が、すでに特定的に深く潜行実施されているからこそ、この高校生デモが発生しているということかもしれない。

◆大阪市で生活保護費の不正受給が発覚
 風俗営業の実質的オーナーである韓国籍の女性「白順子」43歳が、生活保護費数百万円の不正受給で再逮捕。こうした事件が起こるたびに感じることだが、これは「氷山の一角」でしかないことは論を待たない。
 片山さつき議員が、この問題を国会で常に指摘し改善を求めているが、各自治体が強い姿勢を見せない限りなかなか解決し得ない問題である。

◆大田市でまた我が子虐待
 先日は、3歳の男の子にガン付けられたと言って死に至る暴行を繰り返した20歳の若者がいた。こ・い・つは人生悔いはないとうそぶいたという。
 昨日は、群馬県大田市で5歳の我が子に「なめた口をきかれた」と言って刃物で傷つけたという。一体全体、世の中はどうなってしまったのやら。
 ごく一部のことと思いたいが、それにしても人間として、親として感覚が劣悪すぎはしないか! この手のニュースが無くなってほしいと切に願うが、逆に多発しすぎる感がして、たまらなく心が痛む。

◆朝鮮学校が補助金ピンハネ
 神奈川県が朝鮮学校に通う児童に支給した補助金を、学校自体が保護者に寄付として納付するよう求めていた事件。断ると執拗に要求し、場合によっては「子どもが村八分になるかもしれない」との理論で納付をせまったという。
裏に朝鮮総連があると言われる朝鮮学校、こうして日本の税金が核をちらつかせる北朝鮮にロンダリングされている可能性を思うと、日本的人道・博愛・福祉の精神が仇になっていると感じられてならない。
 各県議会でも、常にこの補助金問題が話題となる。確かに、子どものことを考えるとだが・・・・日本人のお人好しの最たる面がここに見られるのかもしれない。

◆昨年10月1日実施の国勢調査速報
 大正9年の初調査以来初の人口減少となった。1億2711万人で前回より947,000人減った。減少率は0.7%で、死亡という自然減が最大の要因と分析されている。世界比較でみると、人口上位20ヵ国で減少したのは日本だけという。さて、どうしたものか。この項、埼玉県の詳細に関連して後日また。
 

No.2717 幸手市議会を傍聴して

2016.02.25

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 昨日、幸手市議会に出かけた。
 平成15年に市議になる直前の議会を2度ほど傍聴したのと、昨秋の市長選後に1度。それと、過去に鷲宮、久喜、杉戸の各議会を1度づつ傍聴したことがあるが、回数としてはその程度である。
 先日の書き込みで「傍聴のススメ」を説いた手前、まずは自らがという思いが議会に足を向けさせた。
 10時開始早々の傍聴者は男性4、女性6の計10名。以後、増えてはきたものの20名までは届かなかった。

 本議会は一般質問の二日目。中村孝子議員から始まり、小林順一議員、松田雅代議員の質問を拝聴し、執行部の答弁を確認した。基本的に感じることとして、内容そのものはネット中継で見聞きするのと変わりはない。これはライブであろうが、録画であろうが同じはずである。当たり前か!

 議会傍聴の☆メリットとは? また★デメリットはあるのだろうか?
 これは「傍聴市民」「議員」「市長はじめ執行部」の三者三様だが、ここでは傍聴市民にとってどうかというものである。それに、おそらく執行部は傍聴を喜ぶことはないはずなので。

☆1.傍聴者が多ければ、それだけ執行部も議員もプレッシャーを受けることになるので、緊張感が増すことは間違いない。それが議会に臨むにあたっての自己研鑽につながればベストということになるのであろう。

☆2.幸手市の現状、つまり街が活性化してるかどうか、その可能性が感じられるかどうかといったようなことが、市長や執行部の発言だけではない表情仕草、その他ありとあらゆる事象を通して垣間見ることが出来る。
 これはネットではわからない。なぜなら、ネット中継は発言者がズームアップされる関係で、それ以外の人物の動態はほとんどわからない。質問者がいかに厳しい質問をしていても執行部の反応を見ることはできない。

 
☆3.これは議場傍聴でもネット傍聴でも同じだと思うが、議員個々の性格、人柄、資質能力など、すべてとは言わないが、その実態が測り知れる。これは、あくまでも議員本人が発言する姿を見せてのことであるのは言うまでもない。
 一般質問は通告制であるが、質問しない議員もいるし、たまたま傍聴した時に登壇のタイミングでないこともある。

☆4.議会傍聴は一般質問の日に限られたわけではない。「議案に関する質疑日」も定例議会中設けられている。実は、これも通告制なのだが、議案に対するという条件があるので、通告者が少なく1日で終わってしまうことがほとんである。
 また、常任委員会、そして今設置されている特別委員会なども傍聴は可能となっている。部屋が議場と異なる関係で数に限りはあるが、議員は挙手によって何度も質疑できることになっているので、身近に生々しさを感じることはできる。

★1.傍聴には、基本的に静粛性を求める規則がある。撮影・録音といったことも禁止されている。情けない状況があれば、つい声を発したくなる場面も出てくると思うが、それらはもちろん退場対象となる。
 しかし、静かに見聞きしているつもりでも我慢ならない場面が無きにしも非ずなのだ。昨日も執行部の答弁に私自身かなり感じたし、議員への応援言葉も発したくなる。また、その逆で議員に問題を感じることもある。
 こうしたことを理性で抑えるもので、結局はイライラ感やストレスがたまり、人によっては「ひどいなー」とか「ふざけるな!」といったセリフを小さく吐いて議場から去るといった状況も生まれることになる。傍聴後の疲労感がけっこう残るのである。
 いまの幸手市議会は、健康管理上デメリットがあると言えるかもしれない。

★2.1日傍聴するとなると時間の無駄がかなり生じる。休憩時間は昼休憩も含めてほぼ4回。場合によっては暫時休憩などが断続的にあるので、裏で開催されている議会運営委員会などの状況次第で数10分、ひどい時には数時間待たされることもある。もっとも、これは議会がひとつのテーマで紛糾した場合等に限られる。いずれにしても焦燥感や疲労感に襲われる議会が起こりうるということだ。
 ネット視聴であれば、休憩時間などは自分の用事ができる。

 それで、昨日の傍聴の結論は、少し・・いやかなりがっかりさせられた。
自分の市議8年間で、副市長があれほど部長に代わって答弁するという場面はなかった。当時の町田市長はことごとく自らが答弁するという責任を果たしていたし、担当部長もしっかり答弁していた。副市長の発言はほとんど記憶にないくらいである。考えてみれば、今の副市長が総務部長として部長職の皆さんを引っ張っていたのだ。

 ところが、見ているとその副市長は、市長が答弁する際にもほとんどなにがしかのアドバイスを市長に発している。また、部長にもよるが積極的に部長に代わって答弁する姿が目立つ。
 あまり多いので、私なら「副市長に質問しているんじゃない。部長の認識をお聞きしたいので部長答弁してください!」とやるかもしれない。部長職が質問に的確に答えられないようでは、かりにも5万人の市として心もとない。通告質問に答弁書は用意できても、再質問に対する答弁はまさに資質と能力が関わってくるのだ。それは、街の力そのものを意味している。
 執行部が緊張感をもって自己研鑽し、議会準備をした上で議会に臨む必要性は、そういった場面からも感じることなのである。

 市長の答弁場面・・・中村議員に幸手市としての教育方針を質問されて「ここに書かれている通りでございます」と机上の共通資料を指して答弁するにとどまり、次に、教育長に「教育理念」を問うた際、教育長がわかりやすいたとえを含めて自説を披露した。これと同様の質問を中村議員は「市長はこの点についていかがですか?」といった感じで尋ねたのだが、市長曰く「今、教育長が話された内容と同じです」
 顔は見えないが、議員の中にも笑いがあったようだし、傍聴者はため息。
 書かれていることや、他人が発言したものが街のトップの答弁に多いのでは、議会は何のためにあるのかという疑問がわくのは当然であろう。

 議会発言には、アドリブ能力というものも求められる場面が多々ある。それはまったく違う世界のことを問われているのではないのだから、首長としての責任を議会に果たすという指標で考えれば、幾段も物足りない現実として認識せざるを得ない。
 議員と市長の丁々発止の熱い議論を期待はしたいが、「のれんに腕押し」「糠に釘」状態ではなかなか難しいようだ。

 市の執行部に活力を感じない議会を見て、このままではこの街は衰退しかねないと思うと、精神衛生上傍聴もなかなか続くものではない。 

No.2716 凍れる朝・・・子供たちと組体操

2016.02.24

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 今朝はシバレた! 風もないのに膝周辺や手足の先に感じる冷たさはここ数日はなかったような・・・。

 でも子供たちはどうかと言うと、私の近くで信号待ちしてる時、手袋を取る子どもがいて「せっかくしてるのにとったら寒いぞ」と言うと「そうでもないよ」と屈託ない。そこで少々ハッとなる。なぜなら、またおせっかいな心配性が口に出る自分に気がついてだ。
 基本的に公的ルールに反しない限り、子どもたちのやることには目を細めるくらいでいいし、なるべく好きなようにさせればいいというのが子どもの成長を期待する大人の在り方ではないかと思っている。なのに、ひとつひとつの子どもの仕草につい評論してしまう。いかんいかん!

 そこで思う。流山市で組体操禁止を小中学校校長会で決めたという。全国初の自治体だとメディアは言うが、これには賛否様々あることと思う。

 基本的に私は反対である。なぜなら、まず議論が足りないと感じるし、世論の動向も調査されているとは思えず、肝心の保護者や子どもたちの考えも聞いてみたのかどうか?
 校長や教頭といった学校運営のトップ層は、安心安全を尊ぶ傾向があって、とくに自らの立場の安心安全への配慮に赴きが置かれているのではないのかと、申し訳ないがそんな状況が目に浮かぶ。
 確かに、モンスターペアレントが根付いて久しい。テレビでも、子どもに何かあったら責任をどこに持っていっていいかわからないから組体操禁止は賛成という意見もある。
 

 ならば、危険度を回避するための方策は考えられたのだろうか?
 ピラミッドやタワーが危険だというのは理解できる。しかし、組体操はそれだけではない。このふたつにしても、安全なやり方は工夫できるはずだと思う。また、全国で8,500件、うち骨折が25%も発生しているということもマイナス思考に傾く原因だとは思うが、その原因はどこにあるのかと不思議でならない。たとえば・・・
◆食文化の変化で子どもたちの身体が骨折しやすくなっていることはないのか?
◆祭り事イベントになると、理性が希薄化し、基本的な規則順守意識が無くなる現代子ども事情があるとは言えないか?
◆ピラミッドの階層をより高くするなど、年々派手な演出を求める傾向はなかったか。

 つまり、教育者側に来場者に魅せるための競技にという意識が強く、子どもたちのための教育プログラムという考え方が遠のいていた可能性もあるのではないか。
 とにかく、まだまだいろいろあるはずの原因分析がなされたとは、とても思えない。
 なにより、組体操は日本的運動会の歴史文化の中心にある伝統的競技であり、運動会の華ではないか。
 そして、こうした団結力や協調性を原点に達成感を得ることが出来るプログラムは、子どもたちの成長過程に欠かせない意味を持っていると思う。振り返れば、運動会の記憶の多くは、応援、徒競走、リレー、棒倒し、騎馬戦、そして組体操(失礼!男性中心かもしれません)そして母の作ってくれたお弁当というのが大方の共通項目ではないだろうか。

 しかし、リレーは全員参加の競技ではない。棒倒し、騎馬戦は勝ち負けを争う競技で体力も影響することから、危険性に歯止がかかりにくい競技である。そう考えると、組体操は勝負性もなく、全員で力を合わせる競技という意味で素晴らしい教育プログラムだと言えるのではないだろうか。 

 なんとか残せるように苦心惨憺するべきところが、あっさり廃止ではちょっとした危険性でなんでも禁止・廃止になりかねない。
 私は逆に、「教育者のおおらかさが欠如しつつある社会」にこそ危険性を感じる。

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