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No.2798 女性政治家の近況異変

2016.09.13

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 台風襲来とともに猛暑が去って体感的には楽になるが、被災地のことを思うと単純に喜んでなどいられない。まして、今回の被災地はすでに冬支度にも入ろうかという地域ゆえ立ち直る時期としては辛く厳しいことだろう。
 もっとも、仮設住宅住まいの東北の被災者にとって、猛暑が去って寒い季節へと繰り返すこと5年と6ヶ月。いつまで続くことやら・・・
 熊本では地震が再発している。不安な心持ちの中での生活再建に気持ちを持続することさえ大変だろうと思うが強く生きてもらいたいとしか言えない。


 強く生きると言えば、今、3人の女性政治家がニュースへの出番が多い。いずれも戦う現状にあって辛く厳しい実情にある。

◆ヒラリークリントン米民主党大統領候補
 肺炎で9.11追悼式を退席する際のよろめく姿は世界に激震を与えたようだ。
私も見たが、膝の崩れ方は尋常ではなかった。無事回復してくれることを願わずにはいられない。共和党トランプ候補が大統領になるシナリオは政治の専門家の多くが有していないようだが、それは彼の思慮不足から出てくる暴言ぶりが、世界秩序を不安定なものにしかねない可能性が高いと目しているからだろう。
 だからこそ、利権癒着が問われてはいるものの穏健派ヒラリーさんの方が世界のリーダーとして望まれるのではないかと思うのだが、健康面は国家元首という職性だからこそ占めるポイントは高い。2ヶ月後に迫った大統領選の行方は混沌としそうな状況になったようだ。

 差別発言を安易に口にする品のない元首を選択する可能性が、自由と民主主義のアメリカで実現するとは思えないが、治安維持を担う警察組織によって黒人蔑視行為が平然と行われる悲しい実態は、マイノリティーを中心に怒りの発信度は増しているので、選挙が近くづくに連れてヒートアップすることだろう。
 ヒラリーさんには完全快復を期してもらいたいが、尋常とは言えない移動距離が長期にわたるハードな米大統領選は、70歳に近い女性にとって大変なことだろうと思う。察するに余りあるが、それがアメリカ大統領に与えられた激務のスタートと思うとなんとか乗り越えてほしいものだ。

◆小池百合子東京都知事
 この方の気の強さは相当なものだと理解していたが、築地移転先の豊洲の1件ではこれが功を奏した形となった。しかも盛り土を怠った東京都のルーズぶりには私も呆れた。問題は単に延期だけではすまない根深いことになった。
 まずは現状のままでは移転など出来ようもない。ならば立ち上がった建物の下の空洞部をどのように処理すれば事は解決するのか。専門家による調査と設計にかかる時間次第では来年の1月でも移転は難しいと思われる。

 この問題の原点は、平成15年だったと思うが、土壌汚染対策法が施行されて人の健康との拘わりで土の安全性に対する基準が設けられ、さらに平成22年に厳しい改正が行われたことにある。いたる所に見られる山と見まごう堆積土はそのままでは使用出来ないものが多い。いや永遠に使用不可なものが多いと言っても過言ではない。
 ヒ素やダイオキシンに冒された土が検査もなく使用されるなどということはあってはならないが、昔はあちこちであったようだ。
 逆に、開発で掘削された土はそのまま利用することは出来ない。そうしたことから、安全な土となるとそもそも少なく、今、造成工事真っ最中の杉戸の屏風深輪産業団地でも埋める土が足らずに計画がかなり遅延したという。
 土の安全性を確証するための検査費用はかなりの額になるという。詳しくは知らないが、おそらく安全性が認められた土の値段は高いのではないだろうか。

 あくまでも推測の域を越えないが、豊洲の関係もそういった関係で盛り土を省いたのかもしれない。
 しかし、土でもないコンクリでもない砂利敷きですませた底辺部に水が上がり、その水自体に安全性が疑われる状況になるとは都庁担当者も予測出来なかったのではないか?
 都庁職員の怠慢だけではない問題が絡んでいるとしたら、それはいったい何なのか。かのドンなら知っているのかもしれない???
 ついでの話だが、この豊洲関係の巨額な事業の入札にあたり、都が予定した金額の99.9%で落札されたという驚きの事実がある。この落札は大手ゼネコン3社のそれぞれのJVで3つに区割りされたというから官製談合の疑いも出てくる可能性があるようだ。
 小池知事のメスはどこまで深く切り込むことが出来るか興味は尽きない。
 

 マスコミの一部、とくにTBSなどはこれに関わり、共産党と民進党のイメージアップと自民党のイメージダウンに結びつけたいとする思惑の報道内容だったが、大マスコミのこうした姑息な報道姿勢はこれからの日本社会の健全性に百害あって一利もない。もっとも、TBSはあの岸井成格氏を特別コメンテーターとしていることから反自民政権メディアを自認しているも同然なのだが・・・。
 確かに、自民党議員が不正受給疑惑が多いのは残念だが、自民党のていたらくぶりへのマスコミのはしゃぎっぷりも尋常ではない。
 兵庫野々村事件を明日は我が身の教訓とせずに継続不正していた富山市議の問題は全国的なチェックはもとより、政務活動費の在り方を根本的に見直す節目に来ていることは間違いない。
 

 さて、小池さんにはここまで来たら自民党都議団ととことん戦ってもらいたい。全国から注目を浴びる東京だからこそ、今や国民を味方にしたも同然の小池都知事は思い切って断行出来る状況にある。そして、ゆるみたるんだ都庁を改革し、職務姿勢と財政管理の健全性を高めていただきたい。

◆民主党代表候補の蓮舫氏
 政治家特有の二枚舌をこの人も使ってしまった。二重国籍を当初否定していながら、今調査中と中途半端なことを口にするどっちともつかない対応がまずかった。過去の談話との整合性に齟齬が生じたこともある。やんわりシラを切る対応でやり過ごせると思ったかどうか・・・逆に彼女は、家族に対する中傷があることは悲しいと人道博愛問題へ方向転換を図ろうとする姿勢がうかがえた。
 どれほどの家族への批難があったかは分からないが、回転の速さにうなった。要するに、疑惑を追求されると瞬間「やばい」と感じ、焦りの中から言い訳にならない理屈を発してしまう典型だ。その意味では、蓮舫さんも今回のことで品格の高い政治家のイメージは外してしまったようだ。回転の早い蓮舫さんだが、最初の対応をはずすと結局は迷走することになるという見本のような例で、蓮舫さん、自らの能力に溺れてしまったということのようだ。

 言葉は重い。
 某若手俳優容疑者の突然の示談・不起訴には驚いたが、母親のお詫び会見の中にも首を傾げる表現がいくつもあった。それは結局、巷間伝わる高額な示談金になった親子愛と無関係ではないと思われても仕方ない。
 最後は合意の可能性もあるとする弁護士の強気な説明があったが、語るに落ちるとはこういうことだと思う。かの母親は記者会見時に、時間には関係なくどんな質問にも応じると言っていたのに、釈放後は無言を通しているのもどこか不整合な感じである。
 本人が女性を見て欲望が抑えられず、逮捕後は自殺しようと思ったと発言しているわけだから、こんな大逆転劇を誰が予想しただろうか。

 
 話がそれ過ぎたようで恐縮です。そのせいか、原稿用紙10枚近い量になってしまい、お付き合いくださってありがとうございます。いずれにしても、常に我が身を諌める反面教師として題材にさせてもらった次第です。
 それにしてもヒラリーさん、大丈夫だろうか。

No.2797 教科書謝礼

2016.09.11

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 教育の世界では、こと教科書選定という部分においては企業論理が横行し、そこに小さな権益?が生まれるという暗部が長年にわたり常態化していたようだ。 

 この場合、既得権益は主に教師、しかもベテラン教師が対象となっている場合が多いようだ。
 理由は、教科書の改訂にあたって現場の声を反映させる目的でヒヤリングを実施することへの謝礼ということだが、それは表向きの理由であって内実は出版社側による継続的取引と新規売り込みのせめぎ合いというのが本当のところではないだろうか。
 察するところ謝礼の形態は、金銭、物品、接待ということになろうが、慣習的な面が実態としてあるやに思う。

 複数ある教科書取り扱い業者は一定のルートをもっているか否かでほぼランク付けされるということだが、未来永劫安定が約束されているわけではないのは当然で、ライバル会社も新規採用に向けて黙ってはいない。
 また一方で、教師も黙ってはいない。基本的にあれこれ注文をつけることが謝礼の源であるし、とくに学習指導要領が新たに実施される年度などは、会社側の営業も激しくなることもあり、営業担当にあれこれ講釈を並べて継続的な人間関係を築こうと努力するのである。うるさ型の教師は営業サイドにとってスミにおけない存在になることもあるだろう。
 しかしながら、対象となる教師が多いとは思えない。倫理観の高い教師は少なくないと確信しているので、多くは真面目に教科書改訂を思慮して提言しているものと思う。
 要するに、どの世界にも硬軟織り交ぜて様々な人材がいるということではないだろうか。

 また見方を変えれば、公立か私立かでも内容は異なる。公立は行政による日常管理機能が働く面もあるという点で、私立とはまったく異なる面がある。そもそも教師にとって働く現場が私立か公立かは人生を左右するほど違うものらしい。
 事業者側は、交渉を有利に進めるために学校側が持つしがらみをとことん追いかけることもあるだろう。選挙もしがらみだよりという一面があるが、この点、営業も選挙戦術と似たところがあるということか。
 その結果として、政治家にたどりつくことがあるかもしれないが、はたして推測の域は出ない。あくまでも可能性の話である。また、仮にあったにしても平議員ではない大物ということになるのだろう。

 以下は新聞報道によるものだが、教科書協会が、このたび謝礼の全面禁止を打ち出した。謝礼のみならず教科書無償提供といった資金力の差が影響する実態も堂々と行われていたということであれば、それは競争原理に縁遠い話であることは間違いない。
 ちなみに高校の教科書を発行している事業者は39社あり、無償提供していたのは5社で金額にして約2,000万円。
 そのうち、1,800万円が1社でまかなわれていたというのだから、この業界の古臭い体質を示しているものと思われる。

 こうした状況において、今回の全面禁止を受けても、その目をくぐり抜けてあいも変わらずという実態が発覚した場合、つまり新たに裏金という感覚で金銭物品が動いた場合、協会はどのような対処をすることになるのか。教育の世界だからこそ、この機会に全面浄化を期してもらいたいものです。

 

No.2796 幼稚な征服観が手にした高度なオモチャ

2016.09.07

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 8月3日ノドン、8月24日SLBM、9月6日ノドン3発連続発射と暑さで狂ったかのように弾道ミサイル実験を繰り返す北朝鮮。いや、狂ってるわけではないから始末に悪い。
 今年に入って21発ものミサイル実験をたった一人の邪悪な指示命令でやりきる状況に世界が驚愕する現実。ことにSLBMの成功は、幼稚な征服観しか有しない人間が手にしたことにおいて空恐ろしい。
 狙った国の近海から突然発射可能な弾道ミサイル。それがSLBM。

 最悪のシナリオを考えた場合、韓国、日本には性能を上げたノドンを、グァム、ハワイのみならず米本土まで太平洋近海からSLBMを同時発射・・・ということも有り得るのだ。
 ただ、現状は発射システムを持つ潜水艦の数も一隻というし、また航行性能も太平洋を自由自在にといったところまでは進んでないということで、早急な憂慮には当たらないようだが、今後、海中発射実験が多くなると危険領域に入ってくるのではないだろうか。
 対抗策として、上空や海底からの哨戒能力の向上対策を早い段階で構築する必要がある

 この発射現場で嬉々とした笑顔を世界に発信するという歪んだ思考回路を持つ金正恩を見て、個人権力による恐怖統制国家で民主主義のかけらもないこの国の国民の憐れさを感じる。
 オリンピックで金メダルを獲得した選手へのインタビュー「この喜びを誰に伝えたいですか?」「元帥様に真っ先に金メダルをお見せし喜んで頂きたい」
 おかしなやりとり?

 弾道ミサイル開発へのコストは膨大なものであるのは間違いないわけで、まともな食にもありつけない貧困層が多い現実との大矛盾。
 ここに至る開発への高度な知識はいったいどこから仕入れたのだろうか。

 SLBMを成功と見なした直後に、この開発者たちを5泊6日の平壌旅行に招いたという。平壌の目抜き通り約10㌔にわたり、正装チョゴリをまとった市民が旗を振って出迎えた異様なシーンを見た。
 野望に病んだ金正恩の異常さを示しているとしか思えないが、国威発揚と国民の上昇思考と忠誠心の発揚が狙いだという専門家の解説に納得するしかなかった。

 世界が稀有していることだと思うが、北朝鮮に対する中国の対応の生ぬるさは限度を越えている。この中国の態度は、国連の意義を形骸化しつつあることに近未来の危うさを感じる。
 前述の「最悪のシナリオ」は中国にとって自ら手を出さずに世界の覇権を握る可能性を高めることになるではないか。
 もっとも、中国そのものが国際司法裁判所の裁定を「紙くず」と称する姿は、常任理事国としての資格を問われる問題なのだが、今や中国資本に目がくらんだ国の物言えぬ存在が国連形骸化に加担しているとも言えなくはない。
 つくづく安倍総理の物言う精力的外交はリスペクトに値する。

 
 しかし、話は飛ぶが尖閣問題は、早急に何らかの実効支配を実現しないと、竹島や南沙諸島のような状況にならないとも限らない。言葉に加えて世界が容認する行動を示すには今が絶好の機会ではないかと思う。
 嘘も100ぺん言えば本当になるという中韓流手法に、日本独特の正義倫理は通じないことを肝に銘じて!

No.2795 幸手市人事と駅舎の過剰予算

2016.09.06

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 1日に幸手市議会9月定例会が開会した。
 初日にいきなり副市長人事が上程され、藤倉副市長の辞職と成田副市長の就任が決まった。新人事に対してはどうこう言える立場にないが、藤倉氏については本人からの辞意表明によって退任となったということのようで、個人的にはこの報に接して驚きを感じた次第。
 私自身、氏とは旧知の間でもあり、機微に卓越した人物として市長を支えるに最適な人だと思っていたからである。市長の2期目に合わせる形でまだ市政に尽くしてもらえるとふんでいただけに残念な思いが残る。

 ひとつ考えていたこととしては、首長を支える副の立場には、埼玉県からの出向人事を受ける方法もあり、これは多くの自治体で実行していることでもある。事業の詳細に熟知し、職能レベルも高く、なにより県とのパイプが醸成されるという利点がある。
 実は、県議選の結果で上田知事との強い絆が出来た市長と新県議によって、この人事がいつか実現することを私は密かに願っていたのだが、その絆も今や水泡に帰している状況ということであるから無理であろうか。

 幸手市の副市長人事では、遠く増田実市長の時代に楢原副市長を県から迎えて以来実現していない。この時は、次期市長選に増田氏に対抗して楢原氏が出馬するという市民も驚くトップ二人の人間関係に発展していた。全国レベルでは稀にあることだとしても、こういったことは極力ないほうが望ましいと想うことが現実にあったのだ。この過去がトラウマということもあるまいに・・。

 ともあれ、成田新副市長には、幸手市発展のために頑張っていただきたいと想う次第です。

 さて、くどいようだが幸手駅舎の話を再び。
 理由は、越谷市が9月議会直前になって、本庁舎建設基本計画の見直しを発表したことによる。それも大幅な見直しが為されているようなのだ。
 この見直しの内容は主に3点で、建物規模の縮小、事業費削減、スケジュール変更となっている。
 床面積の算出にあたり、当初職員一人あたりの執務面積を4.5㎡としていたが、一般的かつ現状レベルの3.6㎡に変更することとした。その他諸々含めて2800㎡ほどの縮小が可能だという。
 これにより、事業費は約102億円から23億円近い減額になるというのだから経費削減はやれば出来るということを実態化する話なのだ。

 見直しをすることとした要因に挙げられているのが、8月30日まで実施したパブリックコメントの結果を反映させたということだが、結論の早さからして無駄を指摘するコメントが圧倒的に多かったものと推測できる。

 以上、すなわち幸手駅舎事業の在り方が今のままでいいかどうかの問題指摘がある現状にあって、市民の集約された意見に沿って見直すことが必要だと強く思う。
 さて、今幸手市議会は一般質問のまっ最中だが、渡辺市長どういった対応をするのやら。

No.2794 東北・北海道の台風惨事に想う

2016.09.02

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 東北、北海道の台風被害は甚大化しそうです。ことに北海道には台風というイメージが無かっただけに驚きと同時に今後の気象動向への不安が募ります。
 亡くなられた方に慎んで哀悼の意を表し、被災者の皆様に心からお見舞いを申し上げます。
 先号にも書きましたが、大規模単一農家の存在は日本の食を支える規模ですので、早期復興を願うばかりです。

 思えば、台風では強風によるものと大雨によるものとに被害が区分されますが、人の命を奪い、家屋などの財産、大切なメモリーが失われるのは洪水による場合が多いと感じます。
 風も、屋根や果実、稲穂などをなぎ倒す場合もありますが、過去の大型台風による被害は圧倒的に水のよるものが記録的にも示されています。

 昨年の茨城県常総市の洪水被害とほとんど似たような洪水が、今回の空知川や石狩川で発生したのを見て、川の堤防氾濫対策がいかに大切なことかを実感します。 

 そこでですが、幸手市の浸水被害も日常的に、同じ地区が対象となっており、それが幾年にもわたり解消されることのないままになっている常態です。コスト的に困難な行政課題であるにしても、30億円近い予算をかけて駅舎を造るのであれば、その半分でも洪水対策に向けて知恵をひねり出してもらいたい。基本的には東西をつなぐことが重要であって、そんな豪華な駅舎は必要ないはずです。
 そして国や県に対し先行的に実行する意志と意欲を示し、補助金を求めるくらいの強い姿勢を打ち出せないものかと思うのです。
 補助金が見込めないから出来ないというのであるならば、それは住民の生活の安心安全をないがしろにしていることにもなるでしょう。

 行政課題の優先順位は、あくまでも防災対策とくに当地区では洪水対策であると私は確信しています。
 そして、その意図計画を議会と住民にしっかりと説明していく姿勢を表せば、他の課題が遅延することとなっても理解はいただけるものと思いますがいかがなものでしょうか。

No.2793 繰り返す驚愕の未成年事件

2016.08.29

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 どうしてこうなってしまったのだろうか???
 現行、社会を揺るがす事件が起こるたびに政治の責任のように口角泡を飛ばす輩もなくはないが、それは解決への道を探るものではなく政争に近いものを感じてならない。
 まあ、それはさておき今の未成年者が加害、被害両面で悲惨な事件に拘わることが多すぎるとは思われませんか?

 児童虐待、いじめ、猥褻といった類で、時には命まで奪われる陰湿な事件が後を絶たない。
 こうなった原因を大きなくくりで考えれば、「社会の変化」ということになるのだろうが、戦後の復興期を「我慢」という意味を至極単純に受け入れていた子ども時代を経て(いわゆる私たち団塊の世代もギリギリそれに当てはまるわけだが)知性と理性を土台にして勤勉な日本社会に揉まれた世代が、世界に冠たる見事な成熟社会を技術イノベーションとともに築き上げた。


 ところが、それを勤勉を保ちつつ謳歌する期間を通じていくうちに、いつしか豊満社会を迎え、その飽食にどれほど親が身を委ねたかにもより、子どもの幸せはいかにあるべきかという子どもの成長に対する価値観に違いが生じていった。資本主義経済の波に乗り遅れたり、無縁だった人たちは、また別の観点から子育て教育の壁にぶつかったやもしれぬ。
 ともあれ、価値観の違いは、健全な大人へと形成されていく我が子の育て方に若干の差異を生じ、良からぬ軌道へとにはまっていく流れがあったように思えてならない。戦後71年、すでに5世代を有する家系もあるのだ。
 我慢が出来ず、思いやりも持たない自己優先人間が、ことに平成に入ってから増えている?・・・はたして考えすぎだろうか。

 断っておくが、これはあくまでも推測の上での一般論である。世の中千差万別、子どもの世界はひとくくりの論理では語れないことは重々承知している。たとえば、昔はじじばばとの同居で、そのじじばばが準教育者的役割を担ってくれた家庭が多かった。今ではそれも少なくなっている。これも核家族化という社会の変化のひとつとしてあげられる。ネット社会が子どもに与える影響などその最たるものではないか。

 現代の学校は人間性を養える場ではあるが、養う場ではない。言いたいのは、昔は人間教育の領域まで介入してくれた教師もいたが、今はどうだろうかということである。
 小学校までで考えると、大半の子どもは親の背中を見て育つ段階でもあるから、基本は家庭教育が「我慢」と「思い遣り」を中心とした人間教育の主たる戦場であり、幼稚園、小学校は基礎学力プラス集団生活での規律心や社会順応性を身につける場とわりきって考えてもいいのかもしれないと思う。
 もちろん、この二つは並行的に必要なものとは思うが、今の親たちは学校教育に人間教育を委ねることが多いのではないだろうか。お母さんも働きに出ると疲れも積み重なるだろうし・・・子どもと向き合える時間が勉強を求めること以外にどれほど持てているのだろうか。ゲーム社会の進展も子育て受難時代に一役かっている部分もあろうかと思う。

 父親は原則土日以外は子供と接する機会は少ない。職種によってはほとんどない場合もあるだろう。お母さんの存在は重いのだ。我が家も振り返ればそういった家庭のひとつであった。
任せっぱなしとまではいかないが、学校との連絡事はすべて家内が担当し、私は授業参観に出た試しがなかった。出られなかったのだ。

 中学生になると家庭以外に興味が深まる。受験という試練も生じる環境が激変する時代だが、それを乗り切ることへの自覚の有無もしくはレベルによって、努力や精進という人間としての付加価値が本格的につく大人社会への参画準備時代。高校、大学と進むうちにその付加価値の差が就職という段階で人生全般に関わる形に特化する。
ただし、そこですべてが決するのではなく強い意志を発露として、やり直し、再チャレンジへの可能性が日本社会にはある。

 
 親に与えられた豊満生活が身についた子供たちは、当初世代は理性を働かせる力を有していたものの、そこから数世代進む中で、ごくわずかな確率であるとは思いたいが、「我慢」が出来ないどころか価値を共有出来ない対象に対して「キレる」という単純感情動物へと後退している。その身勝手ぶりは、ほどほどを身につけていないことから、陰惨な事件をいとも簡単に現実のものにする。
 最近、未成年同士での殺人事件やいじめによる自殺といった悲劇がたびたび発生する都度、今と異質の昔をアウトプットする人が多いのではないだろうか。

 
 残念なのは、オリンピックの場での選手たちの躍動ぶりと鍛錬の結果のパフォーマンスに感謝と感動をもらったばかりで、青少年にとってのスポーツの位置づけが高まったかのような風潮もあるのに、深夜に遊び呆ける子どもたちによってたかってのリンチを受け、命を落とす子がまたまた・・・。
 怒りと悲しさで身震いがしてならない。

 この号の私見はほんの断片に過ぎない。子育て教育論の本来は、より深い考察が必要であることは言うまでもない。語れば本のひとつやふたつにはなるやもしれないことをご理解の上ご一読いただければと思います。 

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