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No.2724 震災5年、観光のススメ!

2016.03.11

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 気温20度の5月陽気が15度前後下がってしまう真冬に逆戻りした昨日・今日。
 昨日は東京大空襲から71年、そして今日3月11日は、あの東日本大震災から早いものでちょうど5年にあたる。
 石巻市の3,545人をトップに死者19,335人、行方不明4,467人、避難生活者は約174,000人という現実は、災害対策上深い教訓をもたらしはしたが、なにより現地の復興状況がまだまだという実態に、5年が経った今にあっても現地では深いもどかしさから解放されてはいない。

 私にしても、発生当時の現地状況とその時自分がどこにいてどういうことをしていたかを生涯忘れることはない。それほど未曾有の災害だったということである。
 その後に起こったありとあらゆるインフラ問題や被災地の現状、そして政治と復興の関連に私たちは複雑な思いから解き離れてはいないし、無関心ではいられない。

 発生当時、復興に最低10年はかかるという推測が多かったのは確かだが、こうしてその半分の5年に到達してみると、あと5年でどこまで現地の元気度を取り戻すことが出来るだろうかと思えてならない。

 被災地復興のために観光活性化が大きな役割を持つとして、本年度は150万人の外国人を被災地に観光招致するとした「復興元年」宣言を安部総理が昨日口にした。
 確かに、被災各都市では被害にあった観光施設もぼちぼち再び建ち始めているという。しかし、若い人が離れ、高齢化率が上がり、後継者にも不足する現地状況にあって、今一番の問題は風化・風評に悩まされ続け、観光客が減少傾向にあることだという。

 宮城岩手の三陸は日本に名立たる観光地なのは間違いないが、この5年の実情は観光で訪れる意欲を駆り立てる状況にはない。これはある意味やむを得ないことかもしれない。行きたいとは思うものの、野次馬的であってはいけないという自制心が働く部分もあるし、復興に汗水している現地で観光などいかがなものかという想いもないではない。でも、もうそうした思いは捨てるべきなのかもしれない。
 震災後、ボランティア活動などで4度現地を訪問したが、あらためて近いうちに訪れてみたいと考えている。総理の言う外国人観光客150万人もいいとは思うが、まずは同胞日本人による被災地への旅が多く実行されてしかるべきだと思うから・・・。そして、被災者の皆さんと接し、三陸の美味を存分に堪能してみたい。

No.2723 都知事の海外出張費が・・・

2016.03.08

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 議員、政治家が一般市民から好ましく思われない見方をされる対象のトップは活動の対費用効果だと、私自身の経験値で感じている。なにより、基本的に議員報酬が多いと感じている有権者が圧倒的に多いだろう。

 身近なところでは、しっかり頑張って活動してくれる人なら報酬を高くしてもいいとは想うけど・・・と言う人もいる。たしかに、市町村によっては議員報酬だけでは生活出来ないのは確かなところなので、若い人の政治参加には有難い考え方だが、なにしろ地方財政はそれを許せる実態にない。 

 私は、今思えば政治に無意識ながらも関心はあった。しかし、13年前までは自分が議員になど考えもしなかった。だからというのもおかしな話だが、県や市町村の議員の報酬には関心もなかったし、国会議員についても、幾ら貰っていて、どういった報酬システムになっているのかなど興味もなかった。だから、今たびたび問題になる政務活動費なる項目についても、それがあること自体知らなかった。

 バブルがはじけて、政治が経済復興に力を発揮できなくなった状況が続く中、国民生活が我慢を強いられる状況となり、政治家個々の言動がマスコミを通じてスキャンダル的対象となる確率が高くなっていった。
 また、リタイア組が増えて年金が話題に多くあがるようになり、それとの比較と資質不足の議員が目立つようになってきて、議員報酬が槍玉にあがることが多くなった。
 とにかく、様々なことがリンクして、議員報酬が批判の対象になっていったことは間違いない。

 それにより、お粗末な政治家がこうもいるのかといった感じで政治家の実像が浮き彫りになり、いまの政治不信が日常的に広がっていったと、私は感じている。不安定な政治の長期化にあって、政党間、議員間の言葉の揚げ足取りも国民のため息を誘う三文芝居的場面を多くしつらえた。

 さて、東京都知事の舛添さんの海外主張費が話題に挙がっている。
 昨年の10月27日から5泊7日で出かけたロンドン・パリ出張に要した費用が、5,042万円だったというのだ。随行職員含めて総勢20名ということなので、1人あたり252万円という計算になる。
 私が知る範囲で、こうまでかかるのにはいろいろなことが考えられるが、それにしてもなかなかここまでは届くものではない。
 舛添さんは2020年に向けて都市外交が必要だとして、来年度予算に3億3500万円の海外出張費を予算化しているという。海外視察とは言いながら実態は旅行ではないのかということのないように願うが・・・。

 5泊7日の視察や外交内容がどういうものかはわからないが、これまで、多くは議員が対象となってマスコミに取り上げられた海外出張費や政務活動費問題との比較において、マスコミも都民も黙っているとしたら、今後、この種の多くは許されることになるだろう。知事だからいいというわけではないと思う。

No.2722 障がい者施設の整備事業

2016.03.07

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 月替わりとともに一気に春めいて、ここ数日の20%台という身体に良くない湿度指数もあってか、火災も全国的に多発していたが、今日の雨で90%にまで上昇したらしい。顔で感じるバリバリ感も治まったような気がする。

 私が埼玉県議会五ヵ年計画特別委員会のメンバーに選任され、県とのすり合せを経て確定した埼玉県五ヵ年計画は、本年2016年度が最終年となっている。
 障がい者福祉の分野でどれほどの実績があるかは関心の深いところだが、今年度末までの目標として、これまでのものも含めて3,800人分のグループホームの定員確保が示されている。当然のこととして補助金交付も目標達成に対して重点的に向けられることとなっている。現時点で、592ヶ所、3,653人分の整備が出来ているということだが、実態はまだまだ遅れているというのが実感である。

 問題は、自治体別に抱えている面が多く、土地の確保問題、整備事業者の不足といったものが考えられる。
 県では、自治体別に公有地の貸与などでの整備協力をお願いしたり、既事業者に対して、整備が遅れている自治体での事業検討を働きかけるなどしている。最も、この分野での参入業者が少ないことは否めないし、肝心な部分は自治体そのものの考え方に関わってくる。つまり、自治体の意欲ということになる。
 そうは言っても、簡単なことでないのは理解するところだが、総合振興計画にあるかないか、また掲げられていたとしても具体的な計画性がなければ事は進まないわけで、県は県営住宅の空き住戸などの再利用なども視野に入れて調整を進めていくとしている。
ただ、私はこうした福祉施設運営に民間の株式法人などが参入するのはいかがなものかと感じている。

No.2721 日米政治に想う

2016.03.03

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 梅や河津桜の情報が頻度を増しているが、今日から春の兆しが強まるという。今朝起きたら室内温度は8度だった。まだ昼夜の寒暖差に身体は敏感だ。

 敏感と言えば、アメリカ大統領選に誰しも注目していることと思うが、これほど極端な大統領選があっただろうか。2大政党制ではイギリスとともに代表的な国であるアメリカで、それぞれの政党内にイデオロギーを違えていると感じる候補者によって熾烈な選挙選を展開している。
 極右、極左と表現することが適切かどうかわからないが、共和党トランプ氏と民主党サンダース氏の登場は、まさにそうした感覚を世界に発信しているのではないだろうか。そういう意味において、自由主義国アメリカにおいて政治の根本に変化が生じているように感じる。

 これまでは、どちらかというと両党ともに保守系で、ハトかタカかの感覚に若干の違いがあると思われていたが、トランプ氏の発言は自国の尊大さを誇るためのアメリカプライドに訴える発言が多過ぎる。
 つまり、この時点でトランプ氏は世界を相手に選挙活動をしているとも言えるわけで、たとえが適切かどうかとは思うが、007のシリーズに出てくる世界制覇を目的とする悪の権化にイメージがかぶさるのだ。

 このトランプ氏の支持に名高い人種差別集団が加わったというニュースは世界に打電されているが、取り扱いは小さい。KKK、俗にスリーKと呼ばれるクー・クラックス・クランである。私は中学生の頃、靴まで隠す白装束マントに三角頭巾をかぶった集団が黒人蔑視思想のもとに、奇抜な儀式を行っていることに衝撃を受けたものだ。こんなおぞましい組織が日本に無くて良かったと子供心に思った。
 最近の報道では、トランプ氏が意識して大袈裟な発言をしているだけで、実は大統領になれば、経済人として成功した手腕を見せるだろうという擁護論が出て来ている。しかし、目には目を、歯には歯をのKKK的人種であることは間違いないようだ。

 かたや、サンダース氏は貧困家庭や学生などの若者たちに訴える弱者救済を前面に支持を広げている。考えると、日本の共産党とシールズの関係にも似た状況がアメリカで発生していると言える。シールズの活動に日本共産党が街宣車を繰り出すなどの手厚いの支援をしており、しきりに新選挙民の確保戦術に出ていることはあきらかなわけだが、サンダース氏の活動に同じような意向が働いていると思われる。なにしろ、大学までも学費無料にするなどと訴えているのだから、こうした理想主義を支持する層が生まれるのも道理ではある。要するに財政との擦り合せが不可能に近い考え方は、日本でも特定の政党イズムに見られるが、出来ないことを公約に政治音痴に輪を広げる手法と言える。

 今回、サンダース氏が敗れても、こうした弱者救済理想掲げ、そこを刺激することによって、徐々にアメリカ的リベラル思想集団が頭角を現してくるのではないかと私は推測している。日本のバブルにも言えることだが、どうあがいてもアメリカンドリームの再現は困難な経済環境を考えれば、逆にこうした思想が台頭してくるのはわかりやすい話だ。

 さあ、日本の政治の現状だが、人によって想うことは千差万別であることを前置きして、野党結集の話はある意味わかるが、呆れてもいる。
 民主党と共産党の選挙協力にまず驚いた。共産党の連合政府構想は実現不可能だと思ってはいたが、共産党が自ら育てた候補者を降ろしてまで候補者を民主党候補に譲って一本化するなど誰が想像できただろうか。
 実際に、岡田、志位、小沢といった野党首脳陣が手を組んで万歳をしている図は、こうも政治家とは理念なき人種なのだろうかとの思いを有権者に感じさせたのではないだろうか。

 その最たるものは、民主と維新の合流である。維新21人のうち半分は元民主党の所属議員で、松野代表をはじめ除名された人や、離党にあたって口汚く民主党を論じていた人が多勢なのだ。それが、選挙選目当てで元の鞘に納まるだけのものが何故新党と言えるのか。
 解党した人間が、また集合するだけの話に新鮮味を感じる有権者がどれだけいるだろうか。まして政権運営能力が欠如したうえで、互いを罵り合って袂を別れた政党が戻るというのが今回の野合と呼ばれる合流なのだ。

 新鮮な味わいを持つ品種をかけ合わせて、新しい品種を作ったらとても味わい深い品種が誕生した。だから新しい品種にふさわしい名前をつけよう!・・というのならわかるが、腐った品種が再びかけ合わさって、名前を変えたところでどれほどの値打ちがあるのかと感じる。
 昨日の参議院予算委員会での蓮舫議員の質疑。名が売れていて、発言力があることから党上層部の存在にもなっている議員なのだろうが、相変わらず謙虚さに欠ける上から目線の発言。自民党の女性議員でここまでエキセントリックに対峙論戦する人は思い出しても出てこない。まったく反省が出来ていない証拠なのだろう。まだまだ、民主党の蘇生には時間がかかると思えてならない。

 また長くなりました。ご容赦のほど願います。

No.2720 久喜総合病院は地域住民の関心事

2016.03.01

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 久喜総合病院の身売りは、九州のカマチグループが名乗りをあげた。医療グループは安定的な医師の確保が売りだそうで、この点は評価に値するし、期待できるところかと思う。ただ、このグループは介護・リハビリを重点にした運営に力を入れているという話もある。 

 このカマチグループのトップは蒲池真澄氏といい、九州大学医学部卒の75歳で、今や九州医療界の怪物だという。東京進出を数年前から計画し、東京一のファッションタウン原宿にリハビリテーション病院をオープンして時の人にもなっている。
 そして余談に近いが、政治家になった子供がいるようだ。今は故人となったが、堀江メール事件で勇み足をし、議員辞職から自殺へと数奇な運命を背負った、あの永田議員である。ただし、実子かどうかは不明だ。
 医師と政治の結びつきは医師会政治連盟が強力な政治団体でもあるところから、その絆は深いものがある。この蒲池氏もそういう意味では、身内が政治家になるにあたり、資金的な援助を当然していると考えられるので、政界との関係は知る人ぞ知るといった面があるやもしれぬ。

 それはそれとして、要するに、私たち地域住民にとって何が大切かというと、新しく生まれ変わる病院がいろいろな意味でリフレッシュし、明るい開かれた病院経営に励んでくれるかどうかなのだ。

 JA厚生連は、久喜だけでなく熊谷厚生連病院も北海道の医療法人に身売りした。北と南に振り分けた格好だが、どうしてこういう結果になったのかも、街での会話によく出る話だ。
 
ファイル 625-1.jpg さて、写真は№2703で書いた仮称「白崎ハートクリニック」を写したものだ。撮影場所は「アリオ」の屋上。後方に見えるグレーの建物が久喜総合病院である。個人クリニックとは思えないほどの規模であることがお分かりいただけると思うが、この白崎クリニックを開院する白崎泰隆院長は昨年3月まで久喜総合病院の第一診療部長という要職にあり、昨年4月からは東埼玉総合病院に勤務された先生だ。まさに久喜総合病院からすれば足元も足元ということになる。

 聞くところでは、当該地域で診療をされた先生が、自らが新病院を立ち上げる場合、そのエリア内での開院はしないという不文律があるというが、この場合、久喜総合病院が白崎氏とは縁のない経営に代替わりするのだから、不文律は不問ということになるのだろうか。もっとも、たとえ不文律があろうが、やはり近い所に心臓循環器系の専門病院ができるというのは、私たちにとって期待以外に何を感じようか。

No.2719 高齢化時代の対応の難しさ

2016.02.29

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 インフルエンザが猛威をふるっている。聞けば県庁内でもそのレベルは相当なもののようだが、地元の小学校の学級閉鎖があって久しいことから、期間的にもかなり長期にわたっていることがわかる。
 テレビでは、3月に入ると花粉症やPM2.5が蔓延してくるので、症状が似ていることもあって個人判断は危険だとしていた。我が家は、今のところ花粉症に侵されていない家系だが、インフルエンザの辛さはすでに経験済み。最近、鼻の大切さをあちこちから聞かされるので、しっかり予防に取り組みたいと考えている。

 さて、№2712で川崎老健施設の入居者投げ落とし事件について書いた際、後述すると明記して締めた。それは、容疑者が聴取の際に「手のかかる人だった」と漏らしたことに感じるところがあったからだ。

 今、まもなく90になる義理の父が数年前から施設に入っている。歯に衣を着せぬ性分は歳をとっても一向に変わらない。真っ直ぐで真面目な人柄だが、世の不正や身近で起こる不条理を自らの価値観、評価基準に照らして忠実に言葉を発する性格である。
 予科練経験も多分に影響しているのかもしれないが、頑固、武骨その他古いイメージをそのまま変えることが出来ずに今を生きている感じだ。

 「何もなかったでしょうか? 口うるさいので迷惑をかけているんじゃないかと」と介護の皆さんへのねぎらいとお礼の言葉が、時折の訪問時の常套句になっている。いつものこととして、相手の言葉と表情で暗黙の共通理解がそこに生じる。
 私や家内にはそうでもなくなったが、上から目線で威張る言い回しなので、おそらく我慢も最高潮に達する場面があるだろうにと思うのだが、有難いことに、おおむね中年以上の域にある介護の皆さんは人扱いに慣れているようで助かる。

 私も、母にボケが出始めたころ、怒るとか叱る対応は禁じ手だとわかっていながら、つい場面場面で出てしまうことが少なくなかった。申し訳ないことをしたという思いに今でも駆られるが、それほどボケや認知症は身内ですら我慢の限界を超えかねない対応の難しさがあるということではないだろうか。老老介護の悲惨な結末は後を絶たない。
 であれば、人生経験の少ない若い介護者では簡単に「切れる」場面があっても不思議ではない。高齢者の身勝手、我が儘に抑制力が働かないのであれば、この介護者の資質が高齢者福祉の最大の問題になってしまうことになりはしないか。

 だからと言って、川崎事件の容疑者を擁護するつもりは毛頭無いのだが、介護者を採用する基準は、この点をより高い基準にしないと今後も同様の事件は起こることは否定できない。ましてや、若者の正規雇用が厳しい時代にあって、身の置き所としてこの職を選択するというレベルでは、そのギャップは計り知れないものがある。
 川崎事件の容疑者も23歳で、経済的にも苦難な状況であったと伝えられている。こうした施設では、入居者や同僚の財布に目をつけることも実態として少なくないのではないだろうか。

 高齢化時代にあって、高齢者福祉への予算が多く計上される傾向にあるが、実は、もっと若者世代に向けた活性化施策を盛り込んで、若者活力を国も高齢者も享受出来る社会づくりが必要なのだ。
 市議時代、「20年、30年先なんて我々には関係ない。政治家には、今の我々の生活を向上させてほしい」と月に数回もゴルフに出かけるような方にハッパをかけられることがよくあった。これは希望でも要望でもない。欲望だ。

 しっかり働き、しっかり蓄え、生活に困らない年金を受給している高齢者たちにも、前述の社会の因果関係とシステムをしっかり理解してもらえるようにしなければいけない。次世代や次々世代の活力があってこその老後の生活だと。

 世にはびこるモンスター群像がいくつかあるが、最近、リタイアモンスターと称する人たちが生まれいでてるらしい。身近な地域の世直しに立ち上がる「三匹のおっさん」は、あくまでもドラマの世界だが、このモンスターは地域社会で嫌悪感を持たれるおっさんたちのことを言うらしい。
 よくある会話に「口うるさくて煙たがられる年寄りより、親しまれ、愛される年寄りのほうがいいよね」というのがある。「まだ、そんなこと考えるの早いさ」と思いつつ、「そうかもしれないなあ」と近未来の自分の姿を鏡に写し出そうとする自分がいる。

 高齢者が幸せな老後を暮せるために、若い人たちが安定的に社会活動に寄与できるような国造りが、世界一の高齢国家である日本に必要ではないか。
 そして、そのためにも教育というものが国造りの長期展望として、最も大切な行政課題だと私は提唱してきている。
 それと同時に、老健施設の適切な運営管理にも、短期、中期、長期と区分した深い考察が必要であると思う。

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