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No.2760 深刻さを増す幸手の水飢饉

2016.06.09

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 №2749で書いた幸手市中島土地改良区の水不足が深刻化しているようだ。
 現地に赴き、2749を書いたのが5月18日だったので、かれこれ3週間が経過していることになる。よろしければ、2749を再度確認していただければよろしいかと。

 現地を確認した時は、前日の雨で圃場は水が見た目には満たされていた。しかし、その時「そんなのは気休めにしかならねえよ」という現地農家の方の言葉はまさに的を得ていたことになる。

 そして、さらに・・・今日の新聞報道では。
 利根川水系の8ヶ所のダムの貯水率が50%を切ったそうだ。これは、この8ダムの運用を開始した1992年以来最低であり、平年の6割程度でしかないというのだから、さーどうなることやら。
 当然、考えられるのは取水制限ということになるが、すでに6都県渇水対策連絡協議会では10%の制限を協議するという。
 パイプライン未整備で、河川直接取水の中島地区にとってますます厳しい状況だというのがわかる。

 5月の降水量は確かに少なかったことを身体が覚えている。梅雨入りしたということだが、降りそうで降らなかった昨8日の空を見上げて、現地の人はさぞや恨めしい想いでいることだろう。
 なにしろ、もう田んぼでは割れが出ているというのだから尋常ではない。

 3年前の時は、現地に出向いた直後に、県の関係部署から副知事にまで連絡をして相談を仰ぎ、江戸川・中川の南部下流域の水利権者の許可を取り付けていただいた上で、三ツ林代議士がイチ早く国交省から手配していただいた大型ポンプで緊急取水をして事なきを得た。

 中島土地改良区では、おそらく大騒動に近い状況になっているものと思われるが、無事に米が生育し、実りの秋につなげるために一致団結して知恵を出し合い、この非常時をなんとかしのぐものと思います。
 ただ、この状況は温暖化の影響もあると思われるので、毎年起こりうる可能性が高いと推測すべきで、来年以降の永続的対策を計画することが、次の段階で重要なことではないかと思う。

No.2759 三種の神器を発揮するステージへ、いざ!

2016.06.07

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 昨日、県議会定例会が開会した。
 冒頭、我が盟友である星野光弘県議の辞職が発表された。現自民党県議団2期生の実質的リーダーであり、精神的支柱であっただけに、寂しい思いは拭えないが、富士見市の現職市長の勇退にともない、多くの要望に応える形で出馬への強い決意を表明したものと思う。

 別の意味では、今後の埼玉県政を担う人財として大きな期待がかけられていたとも言える。しかし、それを惜しむよりは、富士見市政の舵取り役として力を発揮してくれることが、大きな意味において埼玉県の発展に寄与することになるのは間違いない。

 実は、彼との付き合いは互いに県議になってからでしかないし、今は会う機会も少なくなってはいる。しかし、人間面では懐も情も深く、バランス感覚に優れている。そしてなにより、明るさ、フットワーク、知恵というトップリーダーに欠かせない、いわゆる三種の神器を兼ね備えた人物である。
富士見市にお知り合いがいらっしゃいましたら是非‼️

 
ファイル 664-1.jpg 私の県議選において、193cmの身長を誇る?羽生の諸井県議と共に、何度か応援に訪れていただいた。今でも、この二人との交流について尋ねられることがある。なんとなく嬉しいものだ。
 写真の右が星野光弘さん。

 ガンバレー、ミッキー!♥

 

No.2758 合法とか額の問題ではない、モラルの問題だ!

2016.06.06

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 6月にしては心なしか肌寒いが梅雨入りしたようだ。とは言え、湿っぽさという点ではまだこれからといった感じだろうか。
 しかし、6日夕方に行われた舛添都知事公私混同疑惑説明会見は、どうにも湿っぽいというか煮え切らない空気に覆われスッキリしない。

 今、ネットニュースは舛添問題であふれている。この問題がここまでになるとは思ってなかった。いや、これほどまでに手の込んだ言い訳作りのシナリオが組まれるとは思っていなかったという意味であって、辞職への道筋が早期に出来上がるものと予測していた。

 こんなシナリオを考えつく人なんだと思っただけで、すでに1億2700万人都民の頂点に立って、13兆円強という巨大規模の予算をリードアップする人物にふさわしくないという思いが確信に近づいた。
 ちなみに、この予算は世界の国家予算17位のスウェーデンに匹敵するのだとか。

 要するに、446万円は疑惑の対象だから返金するとか、中国服を着ると筆がスムーズに動く?? 墨の汚れも付いているから理屈はたつ? クレヨンしんちゃんの漫画は政治活動費に当たらないといったひとつひとつの弁明に近い調査結果などこの期に及んで問題外ではないかと思う。
 今更、返金すれば疑惑の解消につながるとも思えない。失った信頼が回復するとは思えない。反省とお詫びと返金で済むほどやわな職席ではない。聞いていてうんざりといったところ。
 神妙な面持ちの舛添さん、そもそもみっともないし、恥ずかしいくはないのだろうか。

 政治家であり知事であり、過去には大臣でもあった舛添さん、問われる“人間モラル”が高いのは当たり前ということを理解出来ていないようだ。

 ここに至っては、個々の金銭用途の適切性以上に、バレなければいいと思ってやったことかどうか、つまり確信的行為かどうかも問われることであろうし、知事として適切か不適切かが問われているはずなのに・・・その認識はないようだ。
 湯河原の別荘を売るというのが問題の解決になると思っているのなら、現状把握との関連において感覚がマヒしているか、鉄面皮の図々しさとしか言いようがない。その認識の甘さ自体にモラルの欠如が現れているとは言えないだろうか。

 不適切な額がいくらあったとか、違法ではないという第三者調査結果は、結局は舛添さんの続投発言をもたらす材料になっただけで、利用されたのかという疑問に行き着く。であれば、調査団ではなく弁護団の意味合いが強く、実際、記者とのやり取りを聴く限り弁護団のようであった。
 都民を裏切った人が、都民のために働きたいと言っても信じることはできなのが都民の心情であろう。都民の信を問うべきところまで来ているという声がせめて舛添さんに許される対応ではないだろうか。

 なにより、忘れてならないのは都心1等地の韓国への貸与問題だと私は思っている。新宿区から保育施設建設用として使用希望が出ていたにもかかわらず、それに応えることなく強引な判断を変えることはなかった。都知事としての采配に現状認識が無く、偏向性があるのだ。

 議会の追及は免れない。自分が思うに、百条委員会が設置されても仕方のないところまで来てしまったと感じている。

No.2757 非を理解し、詫びる父親に安堵

2016.06.05

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 前々号で我が子置き去り事件について書いた。厳しいことを書いたが、結果として、大和くんが元気で発見されたことから国をあげて、いや世界をあげてほっと安堵したのは間違いない。

 とにかく、父親のインタビューに注目したが、素直に反省の弁を語る純朴な人間性は理解できた。今後の大和くんへの対応に「やりすぎ」はないことを信じて、これにも安堵した次第。ただし、大和くんに詫びることがなにより先決だ。
 今回の出来事、万が一でも大和くんが無事に見つからなかったら(その可能性は大だった)この父親は、まさに世界世論からどれほど叩かれたことだろうか。
 虐待とは言えない結果になって良かったことには違いないが、結果を喜ぶだけでいいというものではない。なぜなら、虐待の種類にはいろいろあって、放棄、怠慢が身体や精神に必要以上の衝撃をもたらすという意味において、取り返しのつかない結果を子どもに与えることを指す。

 置き去りにされた小学2年生の大和くんが、発見されるまでの1週間、人と会うこともない孤独な状態で、夜の10㌔彷徨のはてに、偶然にもねぐらに行きあたった。
 その子どもが自衛隊員に出会った際に泣くこともなかったというのは、逆に私たちの涙を誘う。まさに、今回のことはネグレクト虐待のひとつである精神的虐待と判断されてもしかるべきなのだ。
 ネグレクト虐待とは、無視、放棄という心に与える虐待を指すのだから。

 自衛隊駐屯地の訓練施設に行き当たり、締まっているはずの鍵が開いていて、マットレスがあり、水道の水が出て、といった偶然の重なりの中で、大和くんが類まれな生き延びる知恵と勇気を発揮したからこそ、事件が最悪の結果にならず大団円になった。
 親が熟慮足らずの感情的誘発で、子を命にもかかわる最悪の状況に放った事実は、やはり世の批判を浴びてもやむを得ない。

 そして、これを反面教師として世間の親が認識してもらうことが大切ではないかと老婆心的な発想が浮かぶが、余計なお世話か?? 
 ただ、今ネットにおいて、しつけと称して行われた親のいくつかの行為があらためて問われている現状があることは、ひとつの戒めに近いものがある。

 ところで、尾木ママが教育者の目で、今回の事件を父親に的をあてて書いたブログが炎上に近い状態になっているという。
 大和くんの発見が難しいという想定において、親の逮捕がある!といった内容については、テレビでも語っていたと思うが、それ以外にどれほどまでのことを書いたのかは知らない。おそらく父親の行為に対してバッサリ切る内容だったのだろうと思う。
 基本的には私も尾木ママの考え方に大きな差はないが、最悪の想定を唯一に近い大前提に、父親への司法対応まで論ずることは躊躇する。
 しかし、結果がハッピーだったからといって、こうした論説にヘイト的批判をぶつけるのはいかがなものだろうか。
 

 デパートの中で置き去りにしたのとはわけが違う。大和くんにとってみたら極限に近い状態に置かれた事実は、親をかばうことにはつながらない。
 ただただ、真底からの鬼親ではなかったことが大和くんにとって良かったネと感じた事件だった。
 大和くん、父親に思い切り甘えればいい!

No.2756 大和くん、見つかる!!!!!

2016.06.03

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 緊急速報!

 北海道山林で行方不明になっていた田野岡大和くんが発見された!!!

 さぞや恐ろしい日々だったであろう。良かった、良かった!

 大和くんの第一声は?

 父親の反応・感想は?

No.2755 しつけを虐待の言い訳語にしてはいけない!

2016.06.02

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 北海道の子供置き去り事件には驚いた。
 
 私は、「現代子育て考」がたとえ一部であったにしても、かくも親の自己満足という価値観が優先されていいのだろうかと思う。今回の事件には身震いするほど驚愕している。
 事もあろうに、これから暗くなるという時間に子供を人気のない山中に置き、車で去るという行為はしようと思ってもできるものではない。時を同じくして秋田県鹿角市で熊に遭遇した3人が命を落としているというニュースが続いていた頃だ。

 子どもが置き去りにされた場所も、北海道ならではの大自然が広がる園地。昼間は観光スポットにも入るような場所かもしれないが、夜ともなるとまったく姿を変えて野生が行き交う場所だというのは、ニュース画面からもわかる。
 大人でも恐怖感しか感じないそんな場所で、小学校2年生に肝だめしでもあるまいし・・・案の定というか、実父は躾のためにやったと説明した。
 
 親は責められない、という親擁護論があることに驚いた。しかし、比率は歪んだ親心に怒りを覚える声が圧倒的に多い感じだ。当然のことだろうと思う。
 
 この親のしたことは、断じて子育てでも躾でもない! 
 子どもが味わった恐怖を思うとまぎれもない新種の虐待である! 
 虐待は子どもや高齢者が対象となるが、高齢者の場合と異なり、子どもは親に対して物言えず、逆らうことなど出来ないのだ。こうした虐待に近い日常がある子どもの場合は、概ね親の顔をうかがう傾向にある。
 無事に発見されることを願うが、発見されたとしても田野岡大和くんは今まで以上に親に従順な子どもになるのではないかと危惧する。そこが、また不憫でもあるが、逆に元気で見つからということは、彼の生命力と根性の為せることだろうから、それはそれで彼の成長が楽しみにもなる。だからと言って、親のしたことが正当化されることがあってはならない。/span>

 親による対子供犯罪が、しつけと称する言葉で片付けられたら子はうかばれない。今後、同様の事件があった場合の悪しき先例としてしつけが虐待の言い訳語として定着しないことを願うばかりだ。 

  本来は、こうした親に対して社会がしつけをするような制度が構築されなくてはならない。しつけされるべきはこの親の方ではないか!
 それほどまでに虐待の実態は増加し、悲惨な子供の姿があるのだ。

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