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No.2811 再発する大新聞の記事捏造

2016.10.12

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 大新聞による記事の捏造がまた発生した。企業コンプライアンスで業種を特定化するマスコミコンプライアンスという言葉はあまり聞かないが、平成時代に入ってのマスコミの読者を欺く報道志向は、国や社会の方向性を狂わせかねないと危惧している。実際に、従軍慰安婦問題では国際関係に大きなハードルが設けられたではないか。

 平成元年のサンゴ礁落書き事件や、戦後最大のメディア犯罪と評されている昭和57年以降約30年にわたり従軍慰安婦捏造報道を続けた朝日新聞しかり、平成24年には橋下大阪市長に対し、ハシシタのDNAをさかのぼり本性をあぶり出すと題して、同氏を「市議、府議を含めて人間のクズ」「部落」「ヒトラーより下劣」「ファシズム」といったワードで猛烈批判した週間朝日などは代表的な例だろうが、ついでに言えば、言葉の攻撃も朝日系10チャンネルの報道番組で見られたのはキャスター降板につながった。 

 今回の問題は、文字の暴力が今でも止まないことを愚かにも再燃した。
 新聞の過剰報道の裏事情は、中日、東京に限ったことではなく沖縄をはじめいくつかの地方新聞でも見られることで、今の政権や安倍総理個人を叩く姿勢は有権者に真実を伝える報道倫理から大きく逸脱していることが多い。

 
 ことは、中日新聞および東京新聞に掲載された貧困問題に関する記事でのことだが、要するに日本の現代社会の貧困状況はここまで広がっているという内容について、実態にない説明と演出されたカット写真で構成したのである。 
 なぜ、この問題で捏造する意図が組まれるのだろうかと考えれば、現代社会の貧富の差をデフォルメすることにより、アベノミクス停滞にイメージ付けたいのではないかと推測出来る。

 中日の編集局長は行き過ぎの報道を詫び、記者教育の徹底を約束した。社員か、契約委託記者かは別にして、報道の倫理意識と人間の心の問題に起因するものを、子どもでもない相手にそうそう教育出来るものだろうかと思うが、この事件はこれで終止符を打たれる。結局は、言い特、出し得という形に違いない。 

 こうした場面で感じることとして、詫びれば済むというものではないというのが報道の世界ではないだろうか。攻撃的、煽動的、恣意的・・・もっと言えばイデオロギー分野に乗り込んで社会の歪みを正すかのような仮面の裏に潜む、逆に歪みを増幅せんがごとくの心無い報道は許されるものではない。

 日常では、今だ最大の情報ツールとして信頼されている新聞の活字は読者の目に届いた瞬間、かなり重い位置づけを持つことになる。後から取り消そうが一度目にした文字のインパクトは、脳裏から消し去りにくいというヒトの仕組みに入り込む戦略にも感じられるが、いわゆる書いたもの勝ち、言ったもの勝ちという狡猾さが見え隠れする報道はいい加減にやめるべきである。

No.2810 市政30周年の不思議

2016.10.10

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 今号は地元幸手市に関する内容。いささか???と感じることがあってのことで、人によっては、また言いたいことを!と思われる内容かもしれないし、逆に同じ感覚を持たれる方もいるやもしれず・・・ただ、率直に感じるまでのことを書いているとご理解いただきたい。 

 広報さっての10月号が配布されて10日ほど経つ。この間、街中で多く耳に入るようになったことに、あの表彰はいったいなんだ?という声。やはり、ああして同じ市民である人々の名前が紙面に羅列されると、隅から隅まで目を通すのは人間の条理。別に羨望嫉妬の思いがそうさせるものではなく、自然と自分の知ってる人がいるかな程度のことで指差し確認的に目を通すことになる。 

 で、何が問題かというと市政30周年にあたり、市政の発展に貢献した人を表彰するという、その結果に対して、どうしてあの人がいないのという単純疑問や、この人がいてなぜあの人がいないのといった相対性疑問が誰の頭にも浮かんだということなのだろう。
 市役所にもそうした声が届いていると思われる。


 私も同様の思いは紙面を見て感じた。私もまあまあ知ってる範囲の議会関連で言えば、議長をされた方、5期以上議員をされた方でも名前のない方がけっこういたし、他の職性でもそこに記載がないがゆえに、かえって鮮明に名前が浮かんだ人が数人いる。
 そこで感じたことは・・・

1、選考委員会的なものを設置して、広い角度から検討したのだろうか?
2.毎年10月1日に行われている幸手市表彰式との兼ね合いはどう図ったか?
3.同じく消防特別点検行事での表彰とのバランスはどう図ったのか?
4.そもそも表彰対象の職性別に選考基準をどのように設けたのか?
5.同じ人の名前が複数記載されているのはなぜなのか?

 表彰を受けた方々は、確かに功績を認められる方なのだから私に何の思いがあるわけではない。あるのはただ、おめでとうございます! のみである。

 だが別の観点から感じるのは、例年恒例となっている表彰式と、たまたま同じ10月1日に市政のアニバーサリーイベントを企画して、その中に表彰を組み込んだ今回の手法は、はたして適切だったかどうか。中には、過去の表彰式ですでに表彰を受けた人たちが、再度選考されているが、今後も10年きざみで表彰するのだろうか?
 時の首長の判断次第ということになるのだろうが、こんな小さな街にもポピュリズムの風潮が意図されているとしたら問題を感じないではない。
 さて、幸手市民の皆さんの感覚はどういったものだろうか?
 

No.2809 見事なまでの開き直り発言

2016.10.08

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 民進党代表 蓮舫氏の二重国籍問題に関する無責任かつ白々しい発言を、今行われている国会での発言とリンクして考えると、その人間性に特有なものを感じざるを得ない。

 実は、性格は元々良くないとの評判も聞くが、瞬時の言葉のキレ、切り返しの能力が有権者の眼差しを惹きつけるのだろう。党にあってもそうしたディベート能力、演説力を認められてのことで、人間としての魅力が今につながっているとは思えない。
 口撃的に過ぎるため、過去の発言との間に矛盾を生じたり、相手を攻めている中で、いつのまにか自らへのブーメランにつながっていることが多い。
 口は禍の元の典型のようだ。

 過去と現在の発言の整合性を材料に相手を攻めるパターンは、自らのことにはおかまいなしの身勝手さを今の臨時国会で多々感じる。知力、弁力に長けているとの自信があってのことなのだろうが・・・。
 ところが、「見事なまでの変節ですね」「逃げないでください」といった言葉は、正に自分を戒めなければならない言葉だということに気がつかないようだ。
 

 つまり、国籍問題で二転三転の嘘の上塗りをし、パスポートその他で真実の盲点をつかれると記憶の曖昧さを持ち出す。さらにそれについて、維新の会に説明責任を問われると「極めて個人的な問題なので、これ以上の説明をするつもりはありませんと見事なまでの開きなおり反論。
 ならば、ここまで苦し紛れの説明を繰り返してきたのはなぜ? 最初から極めて個人的な問題として相手にしなければよかったではないか。
 

 これこそ「見事なまでの変節」であり「逃げさせていただきます」ではないか! 我田引水という四文字熟語そのものだ。
 国会、県会の議員は資産状況さえ公に示さなければならない立場にあり、極めて個人的という表現は、疑惑を突きつけられている現実に通用しない言葉である。あれだけの騒動があの一言で終止符を打つのであれば、なんのための騒動だったのか。
 こういうことを平気で実行してしまう人が、野党第一党の代表であり、総理になれる資格を有する人なのだ。
 こんなことがわからず国会発言をしているようでは、知力にも疑問を持たなくてならないし、国会議員としての資質に関わる問題だ。
 

 数号前に書いたが、富山県議会民進党の政党交付金不正受給が明るみになったときのインタビューで「政党交付金は国民の信頼の元に支給されている・・・」の発言があった。国民に配慮した物言いのつもりだったろうが、政党交付金しかり政治家の報酬についても(私もいただいていた立場ではあったが)国民の信任をはたして得ているのだろうか? 常にポピュリズム意識があるがゆえの言葉選びのミスで、オンブズマン関係者などからは眉をしかめられる発言である。
 どうもこのご仁は自信過剰ゆえか言葉に酔いすぎ、上滑りすることが多いという特徴がある。

 しかし、最後の見事なまでの開き直り発言に、マスコミはさしたる問題にはせず、自民党も追求しない様子はなぜなのか?
 国籍と議員資格の問題は、人道博愛、差別、ヘイトなどとは次元の異なる話なのだが、それに配慮したのか、それとも自民にも小野田議員が登場したことによるものなのかは不明だが、国益のための国会の在り方が、未来の日本にも関わるという観点からしっかり対処しておくべき事案であることは間違いない。
 

No.2808 オートファジーの父はずぼら

2016.10.04

 今年のノーベル賞は大隅良典東工大栄誉教授の受賞で幕を開けた。固いイメージのあるノーベル賞だが、大隅教授の話を聴いていて気さくでほのぼのとした人間味豊かな人柄に国全体が明るくなったような感じである。
 昨年の大村、梶田両教授もそうした雰囲気を持っていたが、大隅教授の場合、奥様ともどもユーモアあふれる家庭を築かれている様子である。

 タイトルは共同研究者の微生物化学研究所の野田展生主席研究員のネーミングに奥様の評価をつなげたものである。

 教授曰く「私は家内と学生結婚しまして、子どもが早くにできてしまったんですよ。子育ては家内にまかせっきりでした。とりわけ家内に感謝したい」「お酒が好きで、とくに日本酒では随分我を失いましたので、最近は蒸留酒をたしなんでいます」
 奥様曰く「主人はいい加減で不思議な人。ずぼらで適当なんですよ。顕微鏡を覗くのが趣味みたいな人で、家では庭の草取りなどしてます。いたずら好きな面があって、私がボケ役で夫婦で漫才してるしてるみたいです」
 ということは、教授が突っ込み役として家庭内での自由気ままな存在なのかもしれない。まさにオートファジーといったところ???
 ちなみに、この場合のファジーは曖昧という意味ではなく細胞が細胞を食べるという意味だそうな。フムフム?

 「福岡での学生時代は常にナンバー1か2。しかし、勉強してる感じは受けなかった。話好きで人の輪には必ず彼がいた」と語る旧友は、驚き以上に納得の受賞といった様子。

 難しい理論はわかるはずもないが、教授の話では広く生活習慣病、アルツハイマー対応といった老化抑制への役割が期待出来るという。創薬につながれば良いのではないかとおっしゃってられる。つまり、人類夢の研究と言えるかもしれない。 
 御年71歳になられて世の中に夢を与えてくれるのだから、とてつもない学者なのだが、案外にノーベル賞を獲得されるような人は気取りのない普通人というのが一般的なのではないかと思えてきた。
 そう言えば、2002年に43歳で化学賞に輝いた現東北大学名誉教授の田中耕一教授もそんな雰囲気を持つ化学者だった。今も島津製作所で働いているという。

 大隅教授、そして奥様 おめでとうございます!

No.2807 目頭が熱くなる場面

2016.10.01

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 まずは「とと姉ちゃん」。 最後の2日放送分にとりわけ涙した方が多かったことと思う。私もその一人だが、来週から見られなくなるかと思うとなんとなく寂しい。「べっぴんさん」ははたしてどうか? 

 さて、オリパラのメダルラッシュ、豪栄道の全勝優勝、広島、日ハムとペナントレースを制し・・・スポーツの盛り上がりに我を忘れさせられる日が多い。すでにウィンタースポーツのホットな結果も報じられている。
 スポーツ界も今年のはじめは巨人選手の賭博事件で暗く覆われたものの、やはりスポーツがなければ世の中暗いことばかりで気が滅入ることは間違いない。少々野球を中心にこの話題を。


◆フェルナンデス投手
 マイアミマーリンズ フェルナンデス投手急死に対するチームの対応の素晴らしさに感動。1試合中止しての全員同じ背番号による追悼試合、永久欠番・・・、なんだかんだアメリカを批判する声もあるが、こうした際にアメリカが一般的にとる対応は優しさにあふれている。そしてなにより早い。
 人道とかそういう難しい言葉を使う必要のない純粋さに満ちている。休日のバカンスでの出来事であれば、日本だとこれほど迅速な対応はしないであろう。死因はなんだとか確認し、万が一泥酔状態だったとかいえば逆に厳しい批判さえ出かねない。フリー、ダイナミック、ジェントリー・・・アメリカらしさに万歳。

◆田菊丸
 言わずと知れた広島カープのトップ3トリオの田中、菊池、丸。合わせて497本の安打と46本のホームラン、さらに盗塁64と他チームの投手を初回から翻弄しまくった3人。私はこの攻走守に秀でた3人をひとまとめでMVP表彰してもいいのではないかとさえ思っている。
 1985年横浜の高木、加藤、屋敷のスーパーカートリオは合わせて146盗塁の驚異的数字を残したが、優勝はバース、掛布、岡田の3人で129本塁打、343打点と、これまた驚きのトリオのいた阪神に凱歌があがった。
 昨今、ボールや球場の関係で本塁打が激減している中、相手投手に与える精神的負担を考えると、今年の広島のトップ3の壁はカープ躍進の原動力そのものだった。巨人に17.5ゲーム差をつけての4半世紀ぶりの優勝もこの3人の存在があればこそと言えよう。そして、黒田、新井が目立ちはしたが、今年の躍進広島を象徴する3人だった。

◆栗山英樹日ハム監督と二刀流大谷
 長島さんの名言、メークドラマを実現した今年の日ハム。
 栗山監督はもはや名伯楽の域に達しつつあると思う。大谷だけに限らず選手起用法に栗山魔術がふんだんに息づいている。結果としてバランス感覚に富んでいたことから夏場の15連勝も実現したものと思う。

 
 投手は11勝の有原以外に10勝投手が3人。そしてなにより、西川、中田、レアード、中島の2、4、7、9番はほぼ固定、他は選手の状況を見ての起用と、広島とは正反対の監督術を見せてくれた。3割バッターは西川の一人だけ、メジャー帰りの田中は本塁打2本と少なかったが、他の数値は安定した成績を残している。4番中田、7番レアードはそれぞれ打点と本塁打のタイトルを得たが、打率は2割5分、6分といった程度である。

 そこで、誰しもが思うのは、大谷の存在ということになる。
 10勝、防御率1.86、奪三振174、打率322、本塁打22、打点54、いやはや、どれをとっても歴史に残る超二刀流、大谷なしでは日ハムはAクラスも難しかったであろう。その切れ味は宮本武蔵を彷彿させるものであった???
 栗山監督は大谷が9勝目の後マメが出来た夏場、彼を3番に固定しローテーションからはずした。そこからの怒涛の逆転劇は栗山采配の真骨頂だった。
 そして優勝を決めた試合で大谷を先発させ1安打完封しかも1対0の試合を制すると同時に、最後の最後で大谷を二桁勝利に導いた。監督快心の采配はまさに大谷の今後を暗示しているかのようだ。
 今後?・・・メジャーの扱いはドライなので日本にとどまってできる限り栗山魔術のもとで二刀流への挑戦を続けてもらいたいが、メジャーでの彼も・・・栗山監督の人柄は、彼を心良く送り出してあげるだろうと思う。若者の夢と挑戦心を奪う権利は誰にもないと。

◆三浦大輔
 結局、最終年ひとつの勝ち星もないまま引退となったが、あの引退劇はハマの番長として愛され続けていた現れそのもの。横浜の街が大騒動、マスコミもこの引退を大々的に伝えていた。
 これで思うのは、ひとつのチームに最後まで貢献した選手に温かい最後が待ち受けているという事実で、FAで移籍した人気選手が華やかな引退を迎えることの難しさは非情でさえある。とくにFAの多い巨人はその傾向が強く、最近で見ると、小笠原しかり、おそらく杉内、片岡などもそういった形で終わるのではないだろうか。
 自らの商品価値を確認したいからとか、一度は巨人でなどという思考でFAに応じるのは、日本の風土になじまない面が強く、引退後も含めたトータルの野球人生において恵まれた例はひと握りではないだろうか。

◆畑岡奈紗
 実は、彼女がこの号のハイライトである。
 女子ゴルフ界で初となる記録が生まれた。日本女子プロトーナメントで、なんと17歳の高校生が並みいるプロを打ち破り優勝した。お母さんがキャディーを務めていたが、18番下り5mバーディーパットを沈め、親子で勝利を、それもビッグタイトルを掴んだ。親子のハグもお母さんの遠慮気味な感じがかえって周囲を感動に導いた。
 名前は、宇宙にはばたけということかどうか米ナサにちなんで付けたそうだ。宮里藍以上のスーパー高校生の誕生となった。

 スター選手が生まれるとファンの注目度が高まるのはどのスポーツも同じこと。
 スポーツの秋、まだまだ心打つシーンが続々といったところで、観る側もゾクゾクすることだろう。失礼いたしました!

No.2806 ダブルTで話題持ち切り

2016.09.30

 空模様がなかなかすっきりしないが、世の中はもっとすっきりしないことだらけだ。横浜の大口病院大量死亡事件も恐ろしい事件だが、今回は政治に関わるジメジメした話題を取り上げる。

 掲題のダブルTとは東京都と富山県のことを私が勝手に指している。
 小池都知事の話題が多いこともあるが、豊洲問題はパラリンピックの注目度をかすめてしまった感がある。相変わらずのマスコミの偏重報道も影響している。しかし、この問題はいったいどこに落としどころがあるのかと感じる。
 日本一の食の台所の環境汚染問題である以上、解決策は日に日に困難をきたしつつあるように思えてならない。都議会の政党会派による我こそが正義と言わんばかりの調査活動にマスコミも対応していたが、もはやそんな領域を通り越している。自民党都議団の静寂ぶりも異様で、逆にここに至るまで大いに関係しているのではないかと勘ぐりたくなる。いや、ないはずはない!

 昨日、2020オリンピック問題で小池知事と森喜朗組織委員会会長が対峙した。知事は森氏の言葉に直接反応することはなかったが、森氏は「1兆、2兆、3兆と豆腐ではあるまいし・・・」という知事の言葉に「ああいう立場の人が(そういうことを)言うべきではない」と早速牽制した。言って欲しくないことを言われたということなのだろう。

 調査委員会のオリンピック準備委員会に対する指摘は「社長も財務管理者もいない組織」という言葉にはさもありなんとも思いながら、実は驚いている。
 いい加減な積算により、当初7340億円台で計画されていた予算が、今や2億円にのぼり、最終的には3億円にまで膨らむと予測されている。
 税金が湯水のごとく湧き出るとでも思っているのだろうか。
 税金を対象にした「壮大などんぶり勘定」が許されるはずもない。

 富山市議大量不正問題では昨日11人目の辞職議員が出た。芋づるのように出るわ出るわ!
政務活動費不正の対象は市政報告会関連のものが多かったが、架空出張というのも表面化した。つまり、多くの議員は各種のごまかしを総合的にしていたのではないかとの推測も成り立つ。自民党系議員が多いのも特徴的であり、同じ党員として残念に思う。

 富山県議会でも民進党による政党交付金1,400万円の不正受給が公になった。これに対するレンホー代表の発言がまたまた不自然だ。というのは、その出だしで「政党交付金は国民の信頼の元に支給されているもので・・・」ときた。
 揚げ足を取るつもりはないが、レンホーさんはボキャブラリー能力によほど自信があるようだが、言わなくてもいいことを言ってしまうタイプでもあるようだ。
 一般人とは違うのだから、もっとひとつひとつの言葉をじっくり吟味して口にすべきだ。過去に何度もそうした実績があるのはマスコミも報道しているのだから。

 政党交付金は国民の信頼を伴っているだろうか。その額を政治活動に必要だと理解して許容しているだろうか。そうではない。これはあくまでも制度的に国会で決められているのであって、国民が認めている実態はない。
 国民の政治不信は、政党交付金や政務活動費のあり方をはじめ、税金に対する議員の認識に源を発しているのではないか!
 このことに政党代表たる政治家が思いを馳せることがないのは驚き以外の何ものでもない。

 いずれにしても、不正発覚にあたり辞職すれば問題解決ではないし、追求の手が緩むことがあってはならない。刑事事件として取り扱うくらいでないとこの問題は無くならないだろう。
 野々村兵庫県議事件は全国の議員にとって反面教師となるだろうし、そうすべきだと過去ブログで書いたものだが、それも出来ずに「せこい議員」で有り続ける場合、鉄槌を加えるしかないではないか!

 

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