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No.2842 市長の品格

2017.01.15

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 寒い! 寒暖の差が激しい冬ですが総じて暖かいと思っていたらなんのその。
昨日の午前中、心地良い晴れ間が続いていたと思ったのも束の間、昼過ぎから一気に気温が低下。明日は零下も記録されそうな真冬日だとか。
 ただ、いいこともあるのです。こういう日は見事な夜空が映し出されるのです。しばし、うっとりと首が痛くなるほど見上げてごらん夜の星を!
 でも、風邪引きにはご注意あれ。
 

 さーて、福岡県飯塚市の市長がようやく辞意を表明した。ようやくというのは、この報を聴いた瞬間、辞めるしかないだろうと感じたからであります。年末20日に発覚した賭けマージャンは市民の信頼を裏切った点で首長として最悪の行為であることに疑いの余地がありません。
 にもかかわらず、この市長は「マージャンを賭けずにやる人がどれほどいるだろうか」といった開き直りそのものの言葉を発したのです。これは市民の怒りに輪をかけたことは間違いないでしょう。「任期までは務める」と責任感を発するつもりの発言も逆に居直り的に理解されて当然で、空気をよめない人物評価につながったようです。いわゆる火に油といったところで、年明け仕事始めから市民の怒りに遭遇して仕事始めにならなかったのも当然の成り行きだったと思います。
 おそらく、このまま図々しく居座ろうとしても「リコール」の声が日増しに増えていった可能性もありましたね。
 市長としての理性と品格が無さ過ぎたということに尽きます。

 この市長の行為には「賭博」とは別の観点から弁解の余地がない状況がいくつかありますね。
1.副市長が一緒だった・・誘われた側に抑制心があれば未然に済んだかもしれませんが、こうなると上役の責任がより重大。しかし街のトップ2というのはどうにも始末に悪い。
2.公務時間中だったこと・・・いくら市内にいるといってもこれはない!
3.市内の有料業者が賭け相手だった・・政治倫理に限りなく抵触する。

 以上を省みて、発覚時にいさぎよくとなればまだよかったのですが、自ら晩節を汚すことに・・・いや、政治の世界は通常の考えが時に通用しないことがままありまして、この市長が辞任後の出直し選挙に再出馬したとすると、案外に当選してしまう場合も考えられます。有権者の意図は図り知れないものが選挙に出ます。道徳的発想を豊かにして選挙や投票行為を伺っていると予測の逆が結果に出るというのは珍しいことではないのです。

No.2841 政務活動費ならぬ正無活動費

2017.01.12

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 県議、市議の政務活動費の不正使用が引きも切らない。まだまだ氷山の一角が表に出たに過ぎないというご意見に、議員経験のある私とて反論の術はない。
まったく困ったものだが、ニュースに取り上げられるたびに我が身を振り返ろうとしない無自覚議員がいるから次から次ということになるのであって、これでは政務活動費ならぬ正無活動費と文字を入れ替えられても仕方がない。
 
 ただ、あえて申し上げたいのは、47都道府県1740自治体に約3万人前後はいると思われる議員の中で、犯罪に等しい不正をしている議員は比率的に高くはないと信じている。ところが、マスコミも大なり小なり議員の動きにはチェック機能を高めに働かせる傾向にあり、それにもかかわらず資質を疑う議員の存在が無くならないことが輪廻の世界のように繰り返され、結果として、従来持たれていた議員先生と崇められたイメージが、もはや過去の遺物になりつつあるということを示している。
 議員など偉くもなんともないというのが自論だが、どうやら時論になってきたようだ。辛いのは、それにより政治不信が広がることだ。政治不信の長期化は国益に良いことはない。

 選挙は厳しいし、当選のために本人はあらん限りの努力をする(しているつもり?)なかには法を犯すヤカラまでいる。負ければすべて自分の不徳のいたすところとなる。しかし、考えるまでもなくここまでは自らの思いに忠実に挑戦しただけのことであって、当選したからといって人間性が高まるわけでもないし、急に人格が上がるわけでもない。またその逆もしかりである。そこに勘違いが生じる。
 偉くもなんともない議員を、有権者や役所の職員が先生先生と奉ってしまうから自分は偉いと勘違いする議員がなくならないということもあるだろう。

 総理や大臣、委員長は役職であるからその呼称で呼ぶのがふさわしいが、国会中継を見ていると質疑の当事者同士で先生と呼び合う光景が多い。これを見て私はいつも違和感を感じている。〇〇議員もしくは委員と呼べばいいではないか!と。
 まあ、良かれ悪しかれ長年培われてきた風土風潮を変えることは優しいことではないが、変えるべくは変えたほうがいいはずである。
 ところで、埼玉県の職員さんの県議に対する腰の低さは徹底している。もちろんそんな職員になめられてはならじと頭ごなしの対応をする県議もいる。筋が通らないことであっても頭ごなしは私には出来ないし、その必要もないと思っている。
 自分はやってないと信念をもって言えても、これだけ全国で同じ議員社会の仲間が税金の不正使用をしている現実に対して、全国の議員が襟を正す動きがどれほどあるだろうか。もうこの手のニュースにはうんざりである。
 

No.2840 中国式内政干渉スタイル

2017.01.11

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 中国の「身勝手」「横暴」度合いが加速してきた。
 43000トン級低能航空母艦「遼寧」を威猛々に東南シナ海を航行させ、途中艦上発着陸訓練をし、その後は対馬海峡を空海双方で威圧進行するという騒々しさ。さらに今話題の台湾海峡を通過するというふてぶてしさも。こうした他国に対するあてつけ的示威活動は中国のお手の物とはいえ、常軌を逸したものである。
 アメリカ軍太平洋艦隊は10万1千トン級の原子力空母カール・ビンソンを送り込む予定としているが、中国の激情が爆発するかどうか、するとしたらどういった爆発かこの先いったいどういった展開が待ち受けているのだろうか。

 トランプ氏の「一つの中国にこだわらない」という発言に異常反応したかと思うと、台湾の蔡総統の中南米訪問外交にあたりアメリカに「会うな、会えば報復措置も辞さない」という指示脅迫的発言まで。これは、蔡英文総統が予定するその後の中南米諸国に対する圧力も兼ねたもので、中国マネーをアテにする国々にはある意味驚異に感じられるものかもしれない。それにしても報復とはどういったものやら、アメリカに対して喧嘩カードを切るとどうなるのか、今の日本に対する韓国と似た状況になりはしないか。アメリカは日本ほどにはお人好しではありませんぞ。

 今更言うのもなんだが中国という国気質は、自国の都合のみを平準の価値基準とし、他者への対応には平然と脅迫、恐喝、開き直り、といったマイナーな激烈姿勢をむき出しにする。これは韓国にも通じるところがあり、国家間合意すら守らない国という、とてもまともに付き合うことが出来ないとの判断も止むを得ない昨今である。

 民主化と人権問題をクリアしようとしない中国は、文革、天安門といった弾圧の歴史をひた隠し、恥じることなく軍事力高揚、ニンジン外交といういずれも中国マネーの力を駆使することによって肩で風切る暴力国家に変貌する日々だ。

 
 自国への評論については内政干渉するなと厚い防波堤で鋭い反応をするが、他国の言動についてはあれこれ異常なまでの反発対抗姿勢を見せる。まさに内政干渉が世界一得意な国である。中国には古来より人の教えを説く名言が数多くあるが、それらは全くと言ってよいほど国の姿となって生かされている感はしない。
 あと1週間ほどで世界のトップがその座に立つ。少ない文字数のトランプツィートから20日以降のトランプカードを予測するマスコミを翻弄するかのようにアメリカファーストをツィートし続けるトランプ。米中冷戦という新たな世界構図が立ち上がるのかどうか、日本にとって外交と安全保障の正念場がきたことは間違いない。
 

No.2839 ギャンブル増加容認法

2017.01.06

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 暖かい正月もそうそう長く続くものではないと思ってはいるものの、冷たい北風が頬を切る寒さは辛いものがありますね。
 さて・・・今号のタイトルを語ればとても短くは終われない。どうしたものかと思案しつつ、とにかく書き始めてみることに。
 

 昨年の臨時国会で可決したカジノ法案について、経済活性化の目玉政策として捉える向きがある。本当にそれでいいのだろうか? 自民党員である私だが諸手を挙げて賛意を表すことは出来ない。なぜなら、具体的な法律を今後検討し煮詰めていく過程が大切だなどと、いかにも数ある問題はクリアできるかのような発言は信じられない上に、逆に日本の未来が社会構造の土台から崩れて行くような可能性を案じている。
 その理由は簡単に言えば、国内の政治家、マスコミ、広告会社、更には韓国民団、朝鮮総連といった在日団体などによるギャンブル、特にパチンコに対する癒着的関係が切っても切り離せない状況にあるからだ。つまり、時折の法改正に見られるように行き過ぎた場合にはチェック機能が多少働く面はあるが、日本のパチンコ社会は自殺者が出ようが生活破綻者が出ようが幼な子に死者が出ようが、結局のところ概ねイケイケドンドンの雰囲気で包み込まれている現状がる。
 業界から献金を受けている超党派議員たちによる業界発展を推進する議連もある。民進党が拙速な議会運営を批判しているが、実態は自民党も民進党も遊技場進行推進議員連盟に参加している議員が40名前後に及んでいる。またパチンコ関連会社の顧問になっている議員もいる。つまり国会は基本的にカジノ解禁に前向きな実情にあると言ってよい。
 それにより最大の問題点の一つである北朝鮮や韓国に数千億円規模の巨額が送り込まれても、厳格なチェックを要求する動きが鈍くなるのは自明の理ではないか。ちなみに、パチンコ業界の経営は5割は韓国、1割は中国台湾、2割は北朝鮮、2割が日本となっているという。説により多少の差違はあるが、多くの人はこの話を耳にしたことがあるのではないだろうか。
 あーー日本人が働いて得た金銭が流れ流れて北朝鮮の核開発に使われているかもしれないと考えると憂鬱になる現実がここにある。

 日本は先進諸国の中でも唯一といってよいがカジノを容認していない。がしかし、もとより日本固有のギャンブルとして競輪、競艇、オートレースがあり、これに競馬と世界にも珍しいパチンコを加えるとまぎれもないギャンブル国家なのだ。今やサッカーくじまである。
 前3者はだいたい戦後復興期に主に官公管理の下で始まり、沈みきった戦後日本に勤勉労働精神の癒し対価と確かな復興および高度成長の原資として力を与えたことは間違いない。しかし、どれも全盛期をとうに過ぎ、斜陽化して久しい。一日の入場者が300人前後といった場もある。ここにも時代の移り変わりが見て取れる。
 ここで考えるポイントはこうしたギャンブルは常に政治と密接にかかわり合ってきたことであり、政治がギャンブルを容認するどころか管理下に置き、揚がりをアテにする関係が構築されてきたことではないだろうか。それは、間違いなく今回のカジノ解禁法案にもリンクしていると考えられる。

 パチンコも例外ではない。広告や番組スポンサーなどへの倫理基準も綺麗事ではすまなくなり、大手広告代理店の働きもあって新聞雑誌テレビにまでSANKYO、セガサミー、平和といった製造メーカーのコマーシャルが登場するようになった。業界広告を進めたのは今話題の電通だというが実態はおそらく・・・まあそんなことは瑣末なことだが、かの長時間労働問題もあって世界最大の広告会社電通のイメージが一気に変わったのは間違いない。まだまだ一般人には知られない闇が社会のあちこちに存在しているということを示すひとつの例でもあろう。
 パチンコ店業界№1のマルハンの売上は2009年に2兆円を超えたという。上場倫理の観点から非上場会社であるから、こうした数値はあまり表面化しない現実がある。機械メーカーのセガサミーの広告費は同年200億を突破したという。あれから7年、最近ではゴールデンタイムに有名女優やタレントによるCFを見るようになった。
 余談だが、セガサミーの里美治CEO兼COOは昨年の菊花賞と有馬記念の優勝馬の馬主だそうである。

 
 パチンコは1930年に名古屋で日本一号店がオープンし、途中大戦で全面禁止となったものの1946年終戦の翌年に復活し、身近な娯楽として全国に広がっていった。一時は40万店に及ぶほどの成長産業となった。もっとも愛好家が注ぎ込む金は今と比べれば可愛いものだったかもしれない。その後、業界再編や繁華街型から郊外型への業態変化などで店舗数は淘汰されていく。
 過去20年のデータだが、
 最高利用人数は1995年の2900万人(売上31兆円)
 店舗数は同じく1995年の17600店
 売上は2005年の34兆8千億円
となっているが、この2005年の利用者数は1700万人なので、一人あたりの利用単価は1995年と比較すると2倍近くに膨れ上がっているのがわかる。これは新規に開発された台により射幸心が煽られたことによるものと思われる。そこから公安の規制が入るなどで2015年では店舗数10300店、利用者数1070万、売上23兆2千億円と毎年減少傾向にあるが、依存症が減少しているという話は聞かない。

ファイル 744-2.jpg ギャンブルの問題点は射幸心に誘されする高い依存性にある。それは家計のみならず時には我が子を死に至らしめるほど夢中になる際限の無い状況に陥る人を生む。生活保護手当がパチンコに当てられるとか、民主党政権奪取時の目玉政策だった子ども手当が家庭によってはパチンコ代に変わるという疑惑で世間が喧騒となったことは今でも忘れない。生活保護との関連は今だに社会問題として取り上げられる実態がある。
 依存性は現在約100万人以上、家族をいれると相当数の国民がミゼラブルな状態と言える。写真の折込チラシだが、業界が注意書きしても気休めにもならない。警察がここに加わるチラシも見た。どこかおかしい。

 競馬は先進国共通の社交場としての存在感を有し、賭博イメージとは一線を画しているが、先に述べたギャンブルの斜陽化の原因には若者離れがある。競馬にはそれがないと感じているがはたしてどうか。つまり、若者はギャンブルが嫌いではないのだ。国営競馬が持つ雰囲気は受け入れるが、他のギャンブル場が持つ環境や雰囲気にはひたりたくない、参加したくないという感覚ではないのかと感じている。
 ここで私が言いたいのは、外国映画に出てくるようなアーバンアミューズメントタイプのスマートでお洒落なイメージのカジノがあちこちに出来ていくと若者の興味をそそるのではないかという点にある。パチンコでは3~4割を占めるという主婦やOLにもパチンコ依存性は広がっているが、独身女性などはファッショナブルなカジノに興味をそそられる人もいるのではないだろうか。 ラスベガス、マカオ、モナコ、シンガポールといった旅先でカジノにうつつをぬかす日本人は枚挙にいとまがない。政治家しかり、一昨年だったか、埼玉県の私立学園の女性経営者が賭博にはまりすぎた例もあった。心配はつきない。どれほど綺麗なドレスに身をまとっても、スーツに蝶ネクタイで身を包んでも、一獲千金を夢見て大枚をつぎこむことには変わりがないのだ。

 そうした新たな不安とは別に既存の海外送金が強化される可能性や犯罪の多発といった問題は、現状を考える限り法でしばれるものではない。おそらく何の解決にも寄与しないだろう。なぜなら、カジノが売上の停滞するパチンコ業界にとって新たな産業として成長していく過程には、国民の好奇心とフトコロがアテにされているのはあきらかであり、最終的には自己管理、自己責任といった言葉がまかり通るような気がしてならない。
 まだまだ言いたいことは沢山あるのですが今日はここまでとします。みなさんのご意見お待ちしております。

No.2838 新たな年の幕開けに

2017.01.02

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 皆様、開けてはや二日目となりましたが、新年あけましておめでとうございます。年末からの孫どもとの嬉しい喧騒にひたりすぎ、パソコンに向かうこと叶わずが続いてしまい、28日の「和解の力」が2016年度最後のブログになってしまいました。

 あらためまして2017年の年明けにあたりご挨拶申し上げます。
 いつも我がブログにアクセスくださり心から御礼申し上げます。
 3,000回までは絶対に続けてくださいよ!と3年前に亡くなられた支援者の方との約束を守り、ここまでなんとかやってきました。通常の書き込みペースにプラス若干の努力如何でこの2017年内に達成することが可能なところまできました。あくせくせず、淡々と自論持論をしたためてまいりますので今後共よろしくお付き合い賜りますようお願い申し上げます。

 昨年後半から・・・伊勢志摩サミットの後といった感じで私は捉えておりますが、世界異変と言ってもよいほどのことが連鎖的に発生しています。この流れが本年にとってどういった影響をもたらすかは神のみぞ知るところでしょうが、まずは今月20日にせまったトランプ新大統領就任が世界変動の幕開けになるのでしょう。とにかく、興味は尽きないわけですが、日本は世界での立ち位置をしっかり存在付ける政治を期待したいものです。国を守る憲法になっていない与えられた憲法改正に向けて何らかのうねりが起こることを個人的には期待しております。

 さて、昨年書き込みましたブログに私の勝手に呼称している「ギャンブル増加容認法」を、今年のブログ第一声にしたいと考えておりますので、次回ブログにもアクセスくださいますようお願いいたします。
 それでは本年も皆様にとって光り輝く一年になりますことをご祈念いたしまして№2838といたします。
 

No.2837 和解の力

2016.12.28

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 安倍晋三首相の真珠湾訪問が実現した。「和解の力」を訴える総理の姿は米議会の演説にも劣らない世界平和に向けた力強いものだ。
 添付した記事からは、いかに日本人に誤解と偏見に満ちた安倍晋三という政治家への見方が多いかと感じる。
 悲しいほどに自虐的なこの日本人気質は国益になんの足しにもならないどころか世界益に対しても大きな損失であると思う。
 さらに悲しいのは、彼への見方が海外によって見直されつつあるということだ。日本の政治の現状がていたらくなのは野党の責任も大きいが、なぜ安倍自民一強なのかが世界によって証明されつつあるというのは考えさせられる。
 安倍晋三という日本のトップが世界に求められる政治家であることを日本人はもっと理解すべきである。これほどまでの総理大臣が過去にどれほどいただろうか。少なくとも鳩山、菅、野田といった民主党政権では感じられなかったことだし、あれが続いていたらと思うと空恐ろしいことではなかったか。
 そうした意味において、和解の力とは日本人自体がより発揮すべきではないだろうか。

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