小池都知事の発言が迷走している。2日前に隣県3知事がしびれを切らして五輪開催費用の割り振り、とくに東京がどこまでの費用負担をするのかを確認するため都庁を訪問した。その際、小池知事曰く「今月末までに決定する」だった。隣県知事は遅いとの不満の声を隠さなかった。
小池知事との会談後に小池知事との会談内容の報告及び五輪関連の陳情も含めて3知事は首相官邸を訪れた。これはおそらく、いきなりアポなしで訪問できるはずはないことから忙しい知事が3人揃う日に合わせた計画的な訪問設定をしていたものと思う。つまり、アポがあってのことであろう。そこでは前向きな報告が出来るものと考えていたが、前述の小池知事の発言のとおり、3知事がなんの成果も得ることができない会談だった関係で、総理への報告も小池知事への不満が出たのは大いに推測出来るところ。
安倍総理は丸川五輪担当相に調整役として具体的に動く指示を出した。
ここからはマスコミが伝える内容は各社に微妙な違いがある。たとえばテレビ朝日報道ステーションが伝えるには、小池知事は怒っている。総理の五輪関連発言が最近目立つ。共謀罪でも五輪の安全実施にかこつけている。五輪を政治利用しているのはまずい。といった例の風潮である。さすが10chといった報道内容である。
しかし、どう考えても2日前に応えられなかったことが官邸に出向いて安倍総理には伝えることが出来ているというのはどこか不自然だ。とりあえず早く決めてもらったことへの感謝の弁を3知事は口にしているが、内心はなぜ一昨日言ってくれなかったのだろうかという怒りに近い疑問は残ったはずである。
ここからは私の推測だが、小池知事は丸川担当相との交渉で事を進めて行かねばならない状況にになりそうだったことへの拒否感が強かったのではないかと感じている。丸川大臣とは器がちがうというプライドがよぎり、急遽首相との会談の場を設ける必要性を感じたのではないかと。
しかし、それでも問題は残る。
■なぜ2日前に言えなかったのか。今日、官邸訪問後のインタビューでは、精査項目が細かく、金額が大きいことを理由にしていた。それがたった2日で500億円という金額がはじき出されたということになる。しかも東京以外の五輪開催7県ごとに振分けられている。2日ではたして出来る作業だろうか。3知事もずいぶん馬鹿にされたものである。
こう考えると、関係のない共謀罪まで持ち出して安倍批判に傾倒するテレビ朝日の伝える内容が私にはよくわからない。
今日の金額500億円は仮設施設費であり、運営費がまだある。これにはセキュリティー費用、ドーピング費用なども含まれるがどういう結論になるのか興味深い。
記事一覧
No.2880 計算高い小池知事
No.2879 学校の対応がのんびり過ぎないか?
県内で気になる出来事が起こった。川口市で中学生2年生の女子が歩道橋から飛び降りて亡くなった。本人は部活の人間関係で悩んでいたということで関係教師の数人に相談していたという。部活というから自動的に体育系と思ってしまったが、吹奏楽部で打楽器を担当していたという。そして、この生徒は親にも相談していたようで母親が学校の教育相談室に「娘の人間関係の悩み」を相談していた事実もある。
市教育部長によると「相談に応じている最中だった」としているが、この生徒が部活をやめたいと先生に打ち明けていたのは1月だったという。マイナス思考の思い込みを自制心で遠ざけることが出来る子どもはそう多くはないはずである。悩み始めたら多少の説得では効き目はなく、押しつけの解決策を与えるだけでは短い期間には逆に悩みが増幅していることの方が多いことも考えられる。とくに人間関係はナイーブな問題であり、社会人でも言えることだがノイローゼの最大の原因となっていることは自身20年に及ぶ人事の担当経験からも理解できる。私の経験上は、そうした事実を確認すると即本人面談をし、上司確認をし、それとなく酒席に参加して多くの社員や対象社員と仲の良い同僚の話を聞くなどしたものだ。それにより、翌月頭には異動発令を出すこともあった。そういった手早さで対応したものだ。
この女子生徒はなんとか頑張ろうと部活を続けていたが日頃の悩みは解消することが出来ないままゴールデンウィークの集中部活に参加していてとうとう・・・いじめがあったかどうかは定かではないが自ら命を断つ道を選択してしまった。悲惨この上ない学校関係の出来事であり、親の気持ちは量り知れない。
企業組織の場合、適材適所という人事配置を理想としてその実現を徹底することが前提にある。ところが、個々の能力の関係もあって全てそうさせることの難しさが常にある。ある課の空気も生産性にも欠かせない存在と認められる社員はそこから異動させることの逆効果もある。ところがそれは人事の硬直化をもたらす。そこで能力のある社員はどこの所属にしてもしっかりやってくれるだろうとの思いで、硬直化防止と新鮮さをもたらすために異動をしてみるとそこで仕事内容もしくは人間関係で息詰まる場合がある。多方は人間関係の場合がほとんである。大人ゆえ忍耐するだろうと決めつけて問題発覚後もたもたしてると退職届けが出されることになる。申し訳なく可哀想な流れである。さりとてこうした事を皆無にさせる人事技術はないに等しい。人間関係の問題を生じる可能性の高い人間もしくはナイーブで精神的にか細い人間を採用しないことが肝要なのだろうが、これがどうしてなかなか。
学校は企業と異なり異動がないが、真剣に考えた結果必要と認められれば学校替えがあってもいいだろう。子ども、とくに思春期の女子のナイーブさは際立って重く、深い。いや、そう考えて問題発覚後は素早い対応をしなければならない。もちろん、男子が対象でも同じことは言えるのだが、今回の川口市の場合はたしてどうだったのか。担任や部活顧問の人間資質もこうした場合に大きな力を持っていると私は思う。しかし、母親までが相談に乗り出していた事実を考えると、学校全体に子どもの悩みを軽く見ていたフシはなかっただろうか。子どもの自殺の原因は「いじめ」が多いとしてもこれまで発生した同様のことに強く感じるのはやはり学校対応の遅さであり役所的、官僚的という点である。教育相談室とはいったいどういう理念の元に設置され、どういった経験者が配置されているのかはわからない。実のある相談対応があったならばと思えてならない。
No.2878 安倍首相の存在が憲法違反・・・何?
冒頭の言葉は自由党の森裕子参議院議員の発言。これはあまりにも醜悪な表現であり、誹謗中傷という形容詞をはるかに超えているし、発言者の人間性がそこに表れている。憲法改正に賛成であろうが、反対であろうが、それはそれとしてまずは思考と言論の自由は互いに認めなければ議論も何もあったものではない。こういう発言から政治家の人格や質を見抜くべきなのだが・・・逆にこの人が復活当選するのだから選挙はわからない??
3日の憲法記念日に護憲派(憲法改正反対派)野党連合が集会を開いた際、党首クラス4名が参加した場でのこの森氏の発言。この発言によると改憲論者はすべて憲法違反であるかのように理解も出来よう。報道データによれば国民の間での憲法論は6:4の割合で改憲論が多いようだ。しかし、実態は賛成論はあえて表立って声をあげない特性があり、反対派は同士増強のために派手なプロパガンダを示すので、いざ国民投票となると実態はさらに変わる可能性もある。また、国政にあっては3分の2以上の議員が改正支持者でもある。
新憲法施行70年の節目にあって、他国でも行われている時代に即した憲法改正を議論することは国の未来に必要なことだろうと思う。
GHQによりわずか10日前後で創られた現憲法は、戦争勝利国が敗戦国に対して、これからはお前たちの国は素手で国を守りなさいという方針を押し付けたのだ。その代わりにアメリカは日本国内各地に軍基地を作り日本を守っててあげると主張したのだろう。それをひたすら平和憲法として崇めてきた70年だったのではないだろうか。他にも教育に関する条文など現代社会になじまない部分や実態にそぐわない一面があるが、改憲か護憲かの対象はほぼ9条であって、護憲派はこれを変えると平和でなくなるかのようにアジテートをする。それよりなにより、安保法に強く反対し、日米同盟にも好意的な目で見ない護憲派の多くは、米軍基地の撤退という主張にも繋げているので、いったいぜんたい国守論の基礎原点が欠如しており、これこそが平和ボケというのではないかと思っている。9条2項は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めることによって自衛隊の存在を認めていないが、この条文を永久に維持し、一方では米軍は日本から出て行けではB29に竹槍よりといった感覚よりも酷い「ニッポン素手論」とも言えるのではないかと思う。
党首クラスが集まった大集会といっても、蓮舫、志位、森、吉田の4人の顔合わせである。自由党と社民党は議員が数えるほどの党なので森氏クラスが党首クラスになるのもやむを得ないが、吠えるだけの野党では寂しいものがある。
民進蓮舫代表は「総理の総理による総理のための憲法改正は改悪だ」と批判した。改憲議論に応じると言っていたのはまやかしか幻か。ほとほと言葉のお遊びがお好きな方である。
共産志位氏は昨日の米艦防護を戦争法の発動だと相変わらずの志位節。この人実は戦争が好きなのかと疑いたくなる。
沖縄辺野古移設反対で傷害事件などを起こした山城博治氏は「この国は安倍のものではない!」と訴えたそうだが、そんな当たり前のことをわざわざシュプレヒコールに使うことはないだろうにと思う。
とにかく揃って言いたい放題の安倍口撃はヒートアップもし放題なのだ。
さらに、よりによって韓国から市民運動の達人を呼び寄せたというではないか。朴大統領の罷免運動のリーダー的存在の人物らしいのだが、長引く慰安婦像問題などでこじれにこじれた韓国の手を借りて改憲反対などと・・・何を考えているのやら。憤怒に加えて驚愕も入り混じるといった感じである。
No.2877 腰軽と口軽な政治家が多すぎる!
ストレートなタイトルで恐縮だが率直な私の思いである。同じ思いを共有する国民が多いのではないだろうか。これほど政治家不信が続くと18歳にまで投票権を下げた意味があるのだろうかと感じる。昨年の参議院選挙から施行されたこの新制度は、施行前から主権者教育の必要性が話題となったが、あまりの政治家の劣化がその方向性とかなり矛盾する状況になっているのは否めない。主権者教育には政治が国民に夢を与え、夢を現実にしてくれる政治家の姿が前提にあってこそなのだが今の政治は公約では立派なことを言うがその後に問題がある。自民中川、民進後藤、民進辻元・・・いやいや
どこぞで見た額縁に書かれていた格言。
「その一言が心を傷つける、ほんの一言が心を暖ためる」だったかと記憶しているが、まさに辞任した今村復興大臣はこの格言を戒めることが求められる。言った主旨が違うとかはこうした場合理由にはならない。つまり言葉の選択を間違えたわけで被災者の心に寄り添う大臣の立場にあらずの事態をもたらしたのだ。
FBでも書いたことだが、現代政治家は国語力、言葉力の緻密さに欠ける人では向かない。今の報道体質や記者気質は政治、芸能、スポーツなんであれマイナスイメージにつながる言葉にはめっぽう鋭いチェック力がある。というかそれを競っている感じすらある。ここ数十年というもの政治家の失言・暴言がどれほど世間を騒がせたことか。政治の劣化が先か報道の言葉狩りが先かはわからないが、私はどちらも劣化しているとの思いが強い。
民主党政権時の震災直後の某大臣の言動の方が今村氏よりひどいとかいう書き込みもあるが、そもそもその程度のレベルでの比較論がむなしいではないか。今村氏は最高学府卒で佐賀県ではかなりの実力政治家との誉れが高いらしいが、それはそれで言葉力の欠如は複数重ねては許されるものではない。記者による感情論への誘導にも負けたという結果でしかない。
変わって小池都知事、私には理解できないのだがこの方には恋は盲目的な都民人気があり、これを後押しする報道支援も見られる。ただ、以前から指摘しているが何事にもはっきりしない、決断しない政治スタイルはいったいどうしたものだろうか。この点での疑問が都民以上に国民に広がりつつあるようだ。五輪会場問題では就任早々予算の観点から疑義を質し、悪評イメージの大物を悪者に仕立て上げるや割安な予算での実現を訴えて他県に話を持ちかけたところまでは大いに受けた。しかし結果は新たなものは生れず、最近ではコストの負担割でまたもや周囲3県の怒りをかっている。
築地豊洲問題でも結論を長引かせ、補償問題で必要以上に都税を繰り出す状況に都税のムダを省くと訴えた選挙戦との矛盾が問われている。
この市場問題は都議選に向けて1月の時点では「争点になる」と言い、3月には「他にも重要な問題がある」と変化したものの昨日の新聞では「争点にする」と断言した。迷った結果なのか計算だったのかは不明だが、ここに至るまで結局は都民もマスコミもケムに巻かれ、その最大の被害者は市場関係者とは言えないだろうか。まさか今夏の選挙選の争点の対象にまでなるとは。
昨日の報道ではこの発言の他に都民ファーストの最高顧問に就任したとあった。どこぞで聞いた肩書きだなあと考えてみたら橋下徹氏にもその肩書きを付けた大阪維新の会があったが、そうした肩書きを受けた以上自民党に籍を置いている小池都知事は自ら自民党離党を言葉にすべきである。自らの進退はお預けしているという主張は除名されることによりマスコミが自民党批判を強め、小池氏への同情論が生まれることを希望的に観測しているのだろうか。こうした演出には長けたところのある方だとつくづく思うが、私は彼女の過去の一連の言動経緯は都知事選以上に投票の参考に活かすべきだと思っている。
民進党都議の離党も雪崩のようだ。長島、細野両議員の行動からは民進党の瓦解もあながち遠いものではないと感じるが、それにしても当選するための自己本位な腰の軽さは政治の信念と乖離しすぎている。身近なところにも似たようなことがあるという意味では今の若い政治家たちの節操の無さを嘆かわしく感じている。長島、細野氏たちの行動から読み取るべきは民進党が保守系にあらず旧社会党と化している現実はある。政治理念が変化した党にはいられないという長島議員の思いは理解できるが、それに追随して離党するなり都民ファーストへの鞍替えをする都議に都民はどのような評価を与えるのだろうか。
こうしたことが余りにも多すぎて主権者教育のあり方を思うと行き着く答えはなく無常観に襲われる。
No.2876 中露は地政学的上からの国益を狙う
あっと言う間に日が過ぎていく・・・思わぬ体調異変を味わった身ゆえかそんな感じがしてならないが、花木の芽吹きが体調の戻りの背中を押してくれるかのような心地よい日々が続いている。
朝鮮半島の有事が今にもといった様子だが、どこまでそれを意識しているかわからないようなムードもないではない。主要地同時着弾も有り得る我が国にあって今の国会はのんきなものだ。今回、それは置いておくとして・・・
国際上では朝鮮半島危機に対する中国、ロシアの我が身を省みない対話重視論もそれだ。北朝鮮が持つ世界に向けた核軍拡をどれほど真剣に考えているかどうか。中国は東南シナ海で、ロシアはクリミアやシリアでどういった行動を起こしているか考えれば、対話重視論がアメリカ牽制の意図を隠す綺麗事でしかないのはあきらかで、平和解決を真から望んでいるものとは思えない。もちろん私とて平和的解決がいいとは思うが果たしてそれが可能かどうかはこれまでの経緯からして疑わしい。現実的に野放しにしておけばおくほど北朝鮮の核ミサイル性能が向上することは必至の状況ではないか。
まず、中国の北朝鮮制裁がどれほどのものかは信頼性に乏しい。あるいは、なぜ空母が必要なのかを問えば国防のためとは言えないはずである。海洋軍事力の向上が中國にとって不可欠なものであるのはあきらかではないか。また、アメリカによる弾道弾迎撃ミサイルTHAADの韓国配備に強い拒否感を示し、北朝鮮制裁よりも韓国制裁に意欲を見せる状況も異様ではないか。
ロシアに至っては北朝鮮国境付近に軍備を移動させている。戦車を乗せた貨車が何台も連なって動く様は異様だ。昭和20年8月のように有事の折に領土分捕りの再現でも狙っているのだろうか。つまり、対話を言いながらアメリカによる北朝鮮攻撃を意識しているのはあきらなのだ。そういう意味では国柄は相変わらずと思えてならない。クリミアを視野に入れたのも黒海に海軍拠点を設け、地中海に抜ける海洋権を強化することでの対NATOを意識したものだろう。地図をみればクリミアは間違いなくそうした重要地点に位置しているし、シリアの独裁者アサドの支援に回っているのも地中海とインド洋を結ぶスエズの存在も念頭にあるのではないだろうか。エジプトに力が無くなり、反米のリーダーであったリビアもしかりの今、過去にこれほど中近東支配に戦略展開するチャンスはアフガニスタン侵攻以来無かったことである。
このように、この身勝手な両大国の底意にある狙いは世界地図をながめるとわかりやすい。
中国はシナ海のみならず太平洋権益を得るためには日米同盟が重い存在だ。だからこそ、台湾が一つの中国で有り続けなければならないし、尖閣では飽き足らず沖縄諸島にまで覇権の目を広げているのだ。これらを手中に治めれば太平洋が有する大資源に向けて我が物顔で動き回ることが可能になるだろうし、日本列島さえも視野に入ってくるのである。沖縄の知事が売国知事と言われる所以はそうした中国に加担しているかの言動が多いからである。ついでに言えば日本列島はロシアにとっても貴重な地理的位置づけにあるのだ。
ロシアはと言えば、まずは前述のクリミア、シリアへの軍事進出は北大西洋条約機構(NATO)を強烈に意識した地政学的戦略行動をとっているのは間違いない。冷戦時代の同胞東ドイツ、ルーマニア、チェコ、ハンガリー、ユーゴ構成諸国群などがソ連邦崩壊後次々と同条約に加盟したことによる孤立感が対米意識を再燃させているのかもしれぬ。冷戦時代の再現とか第三次世界大戦というフレーズが政治専門誌に見られるのもそうした理由からであろう。
北方領土問題も、昨年12月の安倍プーチン会談で2島変換への可能性を指摘したが、地図をみればそれが甘い指摘であったことを認めざるを得ない。なぜなら、歯舞色丹の2島は国後島から見ると太平洋の前に大きく立ちはだかっているのだ。国後に軍備補強をしているロシアからしたら歯舞色丹を日本に変換するということは対米関係上やっかいな存在になるのは地政学上はっきりわかる。もちろん漁業権の意味からも歯舞色丹の面積が小さいとかではなく領海上大きな権益を失うことへの懸念もあるのではないだろうか。
中国にしてもロシアにしても地図を見る際、この国側から太平洋をのぞむ角度で見るとなるほどと思えてくる。ぜひそういった見方をしてみてください。
地図は政治的にもいろいろなことを教えてくれる。そうした観点で地図をながめると、日本はある意味なんと素晴らしい、また別の意味ではなんと厳しい地理環境に置かれているのかと思う。地図は面白い!
No.2875 ふるさと納税の実情
すでにしばらく前に高市総務大臣から発表のあったふるさと納税に関わる話だが、行き過ぎたふるさと納税のあり方が埼玉県でも具体的な形で報道された。総務省は今後返礼の割合を30%以内にすることを示唆しているが、一昨日の読売新聞によると県内17市町が現時点で3割を超えていることがわかった。40%を超えるのは6市町で、うち羽生、幸手、白岡は人口が5万人台で県内人口最少ベスト3の市である。なにか共通する意向でもあるのだろうか。
幸手市は47.2%で第3位にランクインしている。この事実は市民感情からすると素直に喜べない。ご承知のように幸手市は人口減少率や高齢化率で県内トップクラスで消滅可能性都市№1である。また、財政力指数を始めとする財政数値でもワーストランクにあり、ついでに言うと学力指数も同様でその実数値を公表しない数少ない自治体である。ついでの話は主役として今後登場願うことにするとして、返礼比率を高く設定することで寄付数が多くなれば、絶対寄付金額は増加することになるのは理解出来る。しかし、それにも限界があるだろうしデメリットもある。これはまさに自治体間競争を煽ることになり、本来の郷土愛の寄付とは言えない悪循環が増幅するだけだ。だからこそ、今回の総務省のお達しということになったものと思われる。
この制度のポイントである返礼品の選定と量および金額については、自治体トップの考え方が色濃く反映していると思われるが、寄付金の半分近くを特定の返礼品の購入にあて、それを継続することで寄付数と寄付金額が増加するのであれば、それはすなわち特定事業者との癒着や既得権益につながりかねない。善意の寄付金が首長のポピュリズム政治に変質する特質が問題視されることになるだろう。
私の周辺で時折この話題が出るが、人によってはふるさとではない街に寄付することで個人的価値観の高い返礼品を求める現実まである。つまり、100%善意の寄付とは言えない実態は、ふるさと納税の主旨からかなり乖離している現実がある。総務省はそうした状況を見かねたのかもしれないが、さて、県内17市町は今後どういった対処をするのやら。しかし、結局こうした制度限界による要求を国が発するこは始まってまもなく予測していたことではある。