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No.2892 マスコミの報道格差は国の不幸

2017.06.21

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 東京新聞と産経新聞の読者意識調査結果で安倍政権支持率の数値が前者が5%、後者が85%だという。ここまでくるともはや異常。どちらが異常かといえば、もちろん5%という数値が異常なのであって他の95%の東京新聞読者はいったい国政や政党に何を感じ、何を望んでいるのやらと思う。何も望んでいないということなのだろうか。
 体制批判はほとばしるエネルギーの発散対象として快感につながるというのは理解できる。昭和の時代に革新系市民活動にのめりこむ若者が少なくなかったが、そういう人たちも年齢を重ねながら徐々に安定保守の政治志向に趣が変わる例は多いという。私の知人にもそういった人は多い。しかし、日本の近海はもちろん、中近東やヨーロッパで一触即発といった世界事情が目の前にあり、すべてが日本の未来に関わっていると言っても過言ではない状況なのだ。いったいぜんたい政権批判はどこがどうなれば治まり、国民の7割、8割が支える政治が可能になるのやら。
 朝日、毎日、東京(中日)、そして沖縄タイムス、琉球新報を始め全国の地方新聞の5割以上、いやそれ以上かもしれない新聞メディアは反安倍、反自民の報道姿勢を示す。もちろん大手新聞の系列化にある地方新聞は親方の方向性に準じなければ経営が成り立たない事情もあるだろう。それにしてもひどい。
「具体性に欠ける総理の説明」「加計学園問題をうやむやのまま蓋をする」といった見出しがネットに踊る。今に始まったことではないと思いつつもここまで時の総理を重箱の隅をつつかのように批判する大新聞の存在はかつてあっただろうか。安倍総理の国会閉会後の説明は長い時間丁寧に発言していたと私は思う。批判ありきのマスコミは国のためにならず、国民の不幸を招く存在でしかない。大政翼賛ではない適度な問題指摘はマスコミの重要な役割ではあるが、今の政権批判は憎悪とか怨念といった異質な報道精神に感じられてならない。なにしろ安倍自民を称える記事に出会ったためしがない。
 

 加計問題は煮え切らない政権も問題だが、「怪文書という発言は撤回するべきではないか?」「メール文章が表に出たのを守秘義務違反と考えるか?」と菅官房長官に質疑する記者がいた。会社が会社なら記者も記者だ。印象操作もええかげんにせいではないか。他にもえー、そんなことまでチェックの対象かーと思う微細なことまで! それをご丁寧に流すテレビ局。いつから日本はこんなにもチマチマした社会になってしまったのか!
 一般社会の組織で上位の立場にある者が命令系統に基づき指示を出すのは当たり前の話であり、もとより犯罪にもならない。それは通常リーダーシップにも通じるものではないか。
 加計問題については加戸前愛媛県知事の話が正論と感じるので興味のある方はネット検索のうえご一読賜りたい。
 国政は国民の命と財産を守るというのが最大のミッション。それを忘れたかのような野党の批判ありきの姿勢は国会議員の矜持からは程遠い。

No.2891 狭山虐待死事件

2017.06.16

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 虐待が後を絶たない。とくに全国的に埼玉県での発生が多いように思えるのはなぜなのか。私が現職時代、虐待防止議連の新設を訴えたが一期生の出過ぎた行為ということだったのか、40代の先輩議員に時期尚早と断られた。
 昨年、その条例作成検討プロジェクトが立ち上がって、この6月定例議会で上程される可能性もあるように聞く。良いことだ。ただ、貧困ビジネス防止条例でもそうだったが、その後それらを防ぐ道筋に役立っているかというと、残念ながら条例は必ずしも犯罪を防ぐ壁にはなりきらないようである。と言うのは、条例は法律の手前の段階で罰則規定を設けることに対して高いハードルがある。少なくとも法律以上の規定を設けることは出来ない。
 児童虐待はとくに実際の家族単位の中で発生するものであるから、誰が犯罪と認識して児相や警察に通報するかがカギなのだが、それが難しいというのが実態である。昨日、実の母親に対する実子虐待に対する判決が言い渡された。
注目は二つあった。一つは先に判決が決定した内縁の夫に対するものとの比較であり、もう一つは裁判員裁判による判決ということであった。

 結果は、求刑どおり懲役13年の判決となったが、懲役12年が言い渡された内縁の夫より重い刑となった。ろくな食事も与えない、暴力を振るう、細った身体に冷水をかけるなど我が子によくもそんな仕打ちが出来るものだ!と普通の感覚で思うことが、見えない社会の暗部でまかり通っている現実に深いため息とともに重い何かがのしかかる。弁護士の言葉が虚しく響く。 
 虐待は貧困が問題だとか、はては政治の責任だなどと軽々しく吠えるヤカラがいるが、人の心の奥底に秘めるハイド性は原因と責任を分析するまでもない。戒めることが出来てもそれはあくまでも犠牲者が出てからのこととなるのは必然的な流れである。自分流に言えば、陰湿・隠蔽的事件の代表とも思われる虐待事件は今様の自分ファーストの社会が優先することと無関係ではない。 若い親にあっては自ら閉鎖的にならない努力をしなければ子どもに良い影響を与えない。小さな地域コミュニティーでは若いお母さんが閉鎖性の強い地元社会になかなか溶け込めないという実態もあるのかもしれない。社会は常に成長を追い求めるが、それにモチベーションをともなってついて行こうとする若者は素晴らしいが、自らを高めることが出来なくなった時、心が折れてしまったかのようにフラストレーションとなって他にぶつけるようになることが恐ろしいのだ。
 狭山虐待死事件の母親は暮らしのみならず本能であるべき子育てへのモチベーションすら失ってしまったのだろうか。
 高齢者の世界でももっともっとボランティアの範疇に損得抜きで入り込んで人との触れ合いを多く持つことは有意義なことだと思うし、多くの人とにこやかに接することが出来るかどうかは人生の晩年を左右するはずだと思うのだが・・・。

 さて、もうひとつの注目点である裁判員裁判。今回の裁判員の判決後のコメントにはより厳しい内容を求める声もあったが、だいたい裁判員は犯罪に対する処罰意識が強い傾向にあるようだ。判決後に裁判員裁判がコメントを発することはあまりないし、そもそも守秘義務的な一面もあるのだが、とくに注目度の高い公判だったせいかマスコミも裁判員の感性を確認したかったように感じる。実は私も一昨年の夏に裁判員裁判の補充裁判員に選ばれたことがある。補充裁判員とは公判での発言資格はないが求刑を決める協議の場では発言が出来る。たまたま同時に選ばれた裁判員の年齢や性格から発言量に違いが出るのはやむを得ず、私はけっこう発言したと記憶している。ただ、発言の量にかかわりなく、事件経過を把握し、公判で被告と対面するにあたって裁判員の目がほぼ一様に厳しい方向に流れていくように思えた。写真は参加証のピンバッジである。
ファイル 797-1.jpg 私的には、日本の刑法犯に対する量刑は軽すぎるという思いがあるので違和感はなかったが、本来は更生への道を探ることも裁判員制度の目的とするならば、まだまだ考慮すべき点があるように思う。裁判長と二人の裁判官がその辺を優しく説明してくれたのが、今でも心に残る。
 藤本彩香被告、24歳。37歳で刑期を終えて社会復帰した時、どんな人間に変わっているだろうか。13年の刑期をどう過ごすか次第だが、羽月ちゃんへの懺悔の精神はひと時たりとも忘れることがあってはならない。こんなに可愛らしい素敵な名前をつけてあげたのに・・・。

No.2890 ホタル鑑賞会

2017.06.13

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 1日の中での寒暖差が激しいせいか風邪を引いたという知人が増えている。
今日は梅雨らしい一日だったが、過度の乾燥は風邪に限らず現状の自分には大敵ゆえに40%を下らないようにしている。
 そんな折、気分の盛り上がるイベントのご案内をいただいた。今夕7時からおこなわれたホタル鑑賞会がそれ。3年前のことになるが、知人に「ホタルおじさん」として知られる方がおり、小学校でホタルを見る会をやってもらえないかと持ちかけたところ二つ返事で了解。
 早いもので、今年で4回目になるが、その縁あってお声をかけていただくのだが今夕楽しみに出かけた。網の張られた60センチ四方ほどのケースを教室に持ち込み、カーテンを閉め、明りを消しての鑑賞。年々親子参加者も増えており、約350匹の平家ボタルの優雅な光の舞にため息と歓声が飛び交っていた。

 物事にはなんでも専門的な内容があるようで、ホタルは唯一カワニナを餌にしていると思っていたら、それは源氏ボタルで、平家ボタルはタニシも食べるそうだ。他にも大きさや光り方の違い、成虫の寿命は1週間などなどいろいろである。間違いなく子供たちにとってレベルの高い自然科学の補修授業になっている。
 ゆっくり舞うホタルを手に取り、しばし見つめる子どもの姿はまさに興味しんしんといったところ。私たちの時代と違い、確実に自然との触れ合いが少なくなっているんだなあと、同行の保護者たちの姿からも感じた。
 7時という開始時間は光のイベントとしては仕方がないが、校長や教頭先生の生徒にホタルを見せて上げたいという純粋な教育者としての思いが感じられ、それ自体が私の感動の一つでもあった。トップが変わろうがいつまでも続いて欲しいものだ。
 ただし・・・ホタル風情は少し汗ばむ程度の陽気がマッチしているようで、それは光のイベントの持つ特徴と言えるが、子どもたちが満足すればそれで良しか。

No.2889 政治の安定の踏み違え

2017.06.10

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 地球を俯瞰するとかつての東西冷戦時代は消滅しているものの、西側自由諸国の代表的国々の政治が不安定な状態である。
 イギリスがまさかの総選挙結果であった。氷の女と呼ばれるメイ首相の総選挙前倒し作戦が裏目に出たことになる。これはなんとなくキャメロン前首相のEU離脱か否かをの国民投票実施作戦が想定外の離脱という結果を迎えたことと通じるものがある。これによりキャメロン氏は辞任せざるを得なくなった。
 フランスは30代の若いマクロン大統領が誕生し、保護主義、移民排斥を訴えた極右のルペン氏でなく一息ついたが、ドイツの政治情勢も長期にわたりEU全体を牽引するメルケル首相の絶対的信頼度に揺るぎが生じている。
 アメリカでは「アメリカファースト」を唱えるトランプによってリーダー的立場に陰りが生じており、トランプ自身が弾劾の対象になりかねない状態にある。中露に対する姿勢も一貫性がない。アサドという殺戮の支配者への見せしめ的なシリア攻撃に世界の警察を標榜したかと思ったが、あの勢いも現在尻すぼみである。気分屋という人柄が世界のリーダーにふさわしいとは感じられない最近である。だいたいアメリカという国の重要人事をツィッターで発表するること自体異常だ。
 日本でも安倍自民党の肝いりかどうかを問う加計学園問題が政治の中心にあるが、反自民マスコミ総出で国を揺るがす問題であるかのような事態に発展していることが不思議でならない。官僚役人の内部告発という善悪に関わる社会問題が根底にあるが、そもそも政治家とは地域のために要望し、国費を地元に持ち帰ることは重要な仕事である。しかし、この獣医学部に関しては地方創世の特区に関わるテーマとして諮問会議に委ねているのは重んじるべきであろう。
 この問題、たしかに政府首脳の歯切れが悪いが野党、とくに民進党や自由党の戦略手法は苦々しく感じる。一役人の告発的腹いせ発言に政治全体が翻弄される状況も同じだ。
 前述したようにどの社会にも多種多様な政治観念を抱いた人物がいる。日本を守るという信念から遠い政治家さえいるように感じるくらいだから、役人の世界にも当然右だ左だの人物がおり、それも少なくない。そして、そうした人物の中でも極端な人は自らが支援する政党や政治家に役所の情報を流すこともあるだろうし、今回のように更迭されたことに対する意趣返しのような頭のいい?人物もいるということであろう。それをいちいち国会で取り上げていたら政治の質自体が低下することはあきらかだ。本当に今の反日マスコミは国のためになっていない。

 さて、こうしてかつての西側諸国はどこも皆不安定要素をはらみ、ヨーロッパなどは一枚岩でがっちりスクラムを組むといった状況には程遠い。
ところが、あくまでも政治的な観点での話だが、中国、ロシア、そして北朝鮮といった国々は西側諸国からみたら問題は山積みなのだが、国内の政治は安定的に推移しているように感じられる。なぜか不思議でならない。専門家によれば中国では貧富の差が顕著でいずれ暴動が起きると言われて久しいが、その兆候はわずかでしかない。ところが、この国々に共通するのは他国・他地域に対する威嚇を続けているということだ。こうした疑問は私だけが持っているわけではないと思うが、どうにもならない世界の動向に歯がゆい思いが抜け切らない。
 

No.2888 天皇陛下の思いにどう応えるか

2017.06.04

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  天皇陛下の退位を定める皇室典範特例法案が2日、衆議院で可決した。天皇陛下のご希望を叶えることにもなる法案に誰しもが思うのは全会一致および速やかな可決だったのではないだろうか。ところが、一部無所属議員に反対がありその思いは届かなかった。反対の無所属議員には亀井静香氏、上西小百合氏などがいた。上西小百合さんは言うまでもなく元日本維新の会で浪速のえりか様と言われるお騒がせ議員だ。
 また、自民党では農水副大臣の斎藤建議員が採決を棄権した。斎藤氏は埼玉県の副知事の経験がある方で、今は千葉県選出の代議士である。棄権の理由は語っていない。
 さらに民進党もいつものようにすんなりとはいかず、女性宮家創設を協議検討することを付帯決議としなければ採決に応じないと駄々をこね、全会一致を目指した与党がそれを受ける形で新たに妥協の産物が生じた。私は女性宮家には基本的に反対である。この問題は女性の活用とか女性の時代とかいう社会論とは根本的に異なる次元だと思う。女性がどうこうではなく天皇家としての血筋、血統に関わるという点につきる。。

 さて、党全体として棄権したのが自由党である。とは言え、代議士わずか二人で玉城デニー氏ともう一人が小沢一郎氏だ。ある意味、この小沢氏ほど政治姿勢が変節した人はいないかもしれない。そういう点においての特質は際立つものがある。しかし、どんなに変節しても、また大災害に遭った地元を1年近く訪れなくとも当選するという現実がある。わかりやすい例だが、これこそが政治腐敗の根本的問題の一つであり、有権者に問われる問題と言えるのではないだろうか。
 反対の理由の如何にかかわらず、陛下の思いを陛下自らのお言葉で聞いた一国民としては、陛下に寄り添う姿勢で法案可決に対応できないものかという思いがあふれてならない。

No.2887 現職をなにがなんでも引きずり下ろす

2017.06.03

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 今日、不定期でおこなわれている政治集会があり、そこである政治家が近く行われる近隣首長選挙で新人候補をサポートすることになったとの報告があった。所属政党からすれば至極妥当な話なのだが、その当事者が挨拶で冒頭の言葉を発した。しかも、その言葉は前日にその街のある会合で発したそうで、同席していた発せられた現職側の関係者から「ダブルスコアで負かしてやる」と言われたそうだ。
 その反応に感じたのが「(こう言い返されたから)この選挙はたいへん厳しい選挙戦です」ということらしい。ゆえに、これが冒頭の言葉にリンクすることになるようだ。
 さて、私はそこでふと考えた。「昨日の友は今日の敵」という格言は政治の世界ではそのものズバリ、珍しくもなんとも無いがこの冒頭の言葉を発した彼は、自らの選挙において、なにがなんでも引きずり下ろしたい現職候補の方から熱い応援を仰いだ経緯がある。しかも、それからさほど期間は経過していない。その恩義ある相手にいくら自分の立ち位置が変わったからといって、引きずり下ろすという表現はいかがなものだろうかと思えてならない。選挙とはそういうものだとの考えは私にはない。

 政治というか・・・選挙は、全国どこでもいろいろな確執を派生する特質がある。とくに最近の選挙はそれが特徴的で、昨年の東京都知事選の流れが都議会、区議会の各議員の離党や会派替えを多くし、都民ファーストならぬ自分ファーストと評することとなった。ここに来て、「とことん都民ファーストを応援する」と発言した若狭議員、その都民ファーストの最高顧問から代表に役職を移した小池都知事本人が自民党に離党届けを出した。お二人とも進退伺いを出しているので煮るなり焼くなりお好きなようにという作戦だったのだが、いよいよ離党せざるを得なくなったようだ。何度か書いたことだが、自民党を悪役にしたてようという意味合いの進退伺いというのは見え透いていた。除名か離党かはそれほどに有権者への響きが変わると考えていたはずである。
 いずれにしても確執以上の遺恨に発展してしまった東京都議選である。/span> 

 話はずれたが、前述の若い政治家の発言は、自らがお世話になった方に対して「何がなんでも引きずり下ろしてやる」と言ったのがかえって自分の応援する候補者にマイナスにならなければいいがという思いが脳裏をよぎった。
 選挙は確かに戦いだ。だが、だからといって余計な遺恨の感情をもたらすことはないし、いくらなんでも恩義を忘れることが人の道としてどうかと私には思えるのだ。会派を渡り歩く際、別の大きな恩義を裏切った過去と今回の言葉が彼の人柄に結び付けられても仕方がない。政治はそんな甘いことを言っているようではダメだと言われても私はそう感じる。甘いのかもしれないが、やはりどんなシチュエーションであっても醜悪な攻撃言葉は慎む大人であるべきだしそうあってほしい。 「ほんの一言が相手の心を温め、たった一言が相手を傷つける」といった格言があったように記憶している。
 

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