記事一覧

No.2910 タイムスリップした人種差別

2017.08.17

アイコン

 アメリカで白人至上主義運動が熱を上げている。人種差別を基本にするあらゆる差別行為を無くす思考が世界の流れになっている状況で何を今更の感がしてならない。
 私がアメリカの人種差別にいたく問題を感じたのは中学生になってまもなくのことである。当時のアメリカ社会には黒人より白人を優先する各種のルールが存在していた。それは日本にいて耳に入るだけでも驚くほど異常な白人優先の規律が生活の中に持ち込まれていたことを思うと、実際はよりひどい差別社会であっただろうと理解している。
 そうした事実が小さく日本でも報道され始めた頃のこと、アメリカでマーチン・ルーサー・キング牧師をリーダーとして映画俳優や歌手などの著名人が参加した大規模な人種差別撤廃運動が起こり、ワシントン大行進が行われたというニュースに接した。「I Have a Dream」の名演説が一躍世界にキング牧師の名を轟かせたアメリカの歴史に輝く20万人デモだった。
 当時、とくに南部の州では警官がたむろしている黒人に向けて警察犬を襲わせたり、引きずり回したり殴る蹴るの暴力をするといった差別行為が日常的に行われていた。大行進を伝えるテレビは、その画面と一緒に差別排他主義組織として知られたKKKの実態を伝える映像も流したのだが、それを見て中学生ながらに「なんだこれ!」という一種異様な感覚に襲われた。長い白装束に白い三角頭巾姿の人たちが燃える火を囲んで祈祷のような行為をしている異様な光景だった・・・ように記憶している。すべてが記憶にないが鳥肌が立つような身の毛もよだつ感じがしたことは忘れない。テレビは形式的な生贄の儀式を行う集団ということを言っていたように思う。とにかく、おどろおどろしい組織という思いが残っている。それから中学生なりにKKKの名前が脳裏に刻まれ、そのなんたるかに興味を持ち、なんとなくそれが今に継続しているのである。
 KKKは日本の明治維新以前に出来たとされるが、1863年にリンカーンが奴隷解放宣言をしていることから、これをきっかけに設立されたと考えるのが妥当かもしれない。
 ところで、キング牧師はワシントン大行進の翌年にノーベル平和賞を受賞している。35歳の若さであったが、受賞の数ヶ月前に公民権法が制定され、その大統領署名の場に多くの白人に伍して同席している。ちなみに大行進は1963年、ノーベル賞受賞は翌1964年、つまり東京オリンピクと同年のことだった。かなり前のことになるが、マルコムXという評判になった映画があった。マルコムはキング牧師と比較される運動家だったが、キング牧師はガンジーを師と仰ぐ非暴力運動家であり、マルコムは暴力を抵抗手段とすることをいとわない過激派運動家として対比されていた。マルコムは1965年、キング牧師は1968年に暗殺されてしまうが、ともに39歳という若さでこの世を去ることになった。

 
 時代錯誤も甚だしいと感じる白人至上主義だが、これは間違いなくトランプ大統領の誕生が起因となり、差別主義思想の気運と感情を煽っていると考えられる。大統領主席戦略官のスティーブ・バノンはあきらかにその代表的人物ではないかと思うのだが、あって欲しくない時代錯誤によってまるでタイムスリップしたかのようにアメリカの歴史的恥部を改めて考察することになったのははたして良かったのか悪かったのか・・・。
 実像か虚像であったかは別にしてアメリカが世界の警察であった時代から、国内では人種差別に拘わる悲惨な事件が後を絶たなかった。トランプが掲げるアメリカファーストは真の差別を撤廃してこそ成り立つものだという思いを世界が共有していることをトランプは理解するべきである。死者まで出る現状はアメリカファーストならぬホワイトファーストに過ぎない。そうであれば、国際外交の上でもアングロサクソン優位という思考を前提にしていると指摘されても返す言葉はないはずである。

No.2909 熱く盛り上がったしらさぎ子ども祭り

2017.08.14

アイコン

 少々涼しめのお盆ですね。
ファイル 815-1.jpg 先週12日の土曜日、第五回目となる「香日向しらさぎ子ども祭り」が開催された。子どもがこんなにいるんだ!といった声も出るほど多くの子どもの参加があり、準備する側としては何にも増して嬉しいといったところ。子どもの無邪気な遊び声は、我々団塊の世代にとってまさに心意気が上がるよう。
 手造りの山車もすっかりなじみとなり、ツナを引いたり、中に乗って太鼓を叩いたりと屈託なくふりまかれる笑顔になんとも言えないアドレナリンがほとばしるといった感じ。
 ファイル 815-2.jpg今年から山車とともに祭りの目玉として登場した神輿は小さいながらも大人の郷愁をそそるようだ。残念ながら、大人も含めて不慣れな状況ということもあって神輿は道路を巡行せずに公園でデモンストレーションとしての登場だったが、まだ歴史の浅い祭りに花をもたらした様子だった。来年は公道巡行を山車とともに出来るかも知れない。いやそうしたいと感じるほど存在感を示した神輿ではあった。
 山車の巡行途中で増える参加者もあって、これまでで最も多くの参加者を数え、来年がさらに楽しみになったことは間違いない。
 それにしても、声を張り、身体を動かし、汗がはじけたあとに食べる冷え冷えのスイカのなんとうまいことか。
 香日向にしっかり根付かせたいイベントまでもう少し。実は、朝のスクールガードをしている顔見知りの子どもはほとんど見なかったが、お盆でふるさとにUターンした若い世代が就学前の子どもを連れていたのが印象的だった。

No.2908 学校統廃合に思う

2017.08.08

アイコン

 お隣の久喜市で学校の統廃合が予定されているという。江面第2小(久喜)、小林小(旧菖蒲)、上内小(旧鷲宮)、菖蒲南中がその対象のようだが、いずれも生徒数が30年前の5割程度に減少していることがその要因らしい。
 上内小は昭和46年に約2,700戸の規模で日本住宅公団鷲宮団地が造成されたことにより同年開校した小学校である。正確なデータはないが、平成2年に開校した幸手市香日向地区が1200戸の集合地域で最高650名ほどの子供たちで賑わったことを考えると、上内小は1,000人以上の生徒数を誇った時期があるのではないかと思われる。それが現在91名という数にまでなっている。お隣とはいえ行政の実情はあまり知るところではないが、開校して現在46年という歴史が50年にまで届かない状況にあるという現実は人口減少という国家最大の未来問題からは一行政区の問題と考えられない。
 幸手市でも東小、さかえ第1小、香日向小が閉校になって久しい。香日向小はわずか22年で閉校となったが、閉校後の生徒たちのことを第一に、跡地利用のこと等もふまえると久喜市も辛く厳しい決断をしたのだろうと推察出来る。

 幸手市でも生徒数が100名を割っている小学校は知る限り3校ある。それらすべてに近年学童保育を設け、働くお母さんたちへの応援を主体に人口減少対策に踏み込んでいることは理解出来る。だが、広報さってを見る限り、残念ながら人口が増える方向にはないことがわかる。
 学童保育の予算化はその時必要と判断し、国の交付金を運用した行政施策ゆえどうこう言うものではないが、長倉小、行幸小、上高野小、さくら小といった学校に生徒数の増加が見られるものの、農村部を中心とする残る5校の減少傾向が増加に転ずることは難しいということか。となると、幸手市でもさほど遠くない時期に学校の統廃合が再び起こりうるか?
 合併により久喜と幸手は15万人と5万人という都市間格差がついたものの、子どもの減少という厳しい社会問題においては大都市部以外全国に広がっていることがわかる学校統廃合の実態である。

No.2907 内部告発と内部批判

2017.08.02

アイコン

 冒頭に際しまずもってお詫びしておきます。「いつも長い文章で申し訳ありません。よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます」

 清水一行著による「内部告発」という小説がある。総合商社の取締役数十人が子会社上場のインサイダー利益を貪り、個人資産を膨らませたという組織的犯罪を中間管理職が告発したことから物語が展開する。この告発者は現役の管理職という設定である。しかし、こうした例は実際は少ないのが一般的ではなかろうか。
 つまり、現実社会では食品会社が国産と偽って外国産の原材料を使用していたとか、消費期限が過ぎているものを改ざんして再販流通させたなどといった話は枚挙に暇がない。こうした企業犯罪が表面化する原因の第一位に挙げられるのは社員による告発ではないだろうか。そして、この場合の社員とはしたくもない退職をさせられた社員の場合が多いと推測する。

 文科省の例は前川喜平氏が再就職斡旋問題で退任した後の告発であった。
 国の大事を審議する通常国会で、厳しい外交問題や経済問題の議論を差し置いて、激しい安倍政権追求の場と化した原因は「告発」であった。
 忖度で行政が歪められたと前川氏はいうが、40年近い官僚職時代でそれまで忖度とおぼしきものは一切なかったのだろうか・・・信じられない。
 獣医師会の強い要請で半世紀も新学部が設けられず、申請があっても門前払いという事態であった。これも信じられない話だ。そもそも忖度は犯罪ではない。奢った奢られたの話も友人であれば当然と考えるのが一般的だが、安倍憎しと化したマスコミは逆の思考になる。国民は許さないとか知りたがっているとか・・・いつから反日マスコミの新聞記者は国民の代表になったのか。
 岩盤規制を打ち砕くために国家戦略特区扱いにし、ワーキンググループという識者による諮問会議に委ねる安倍政権の2段階構想に対して、そもそも事務官僚トップの前川氏は冷めた感覚を持ったのではないだろうか。であればチキンハートと言わざるを得ない。
 そして、またもや反対の姿勢を鮮明にした獣医師会がしたこと・・・当時の石破地方創生大臣に規制継続に近い陳情をし、石破氏は4条件を設けることで応じた。この陳情はとりもなおさず獣医師および獣医学部を持つ大学の存亡問題につながるという意識を原点にするものである。とくに後者は強い想いだったであろう。同会は知る人ぞ知る日本医師会と並ぶ強力な政治連盟である。民主党が政権奪取した2009年の選挙の時、茨城県医師会は自民党に反旗を翻し民主党支援に回った。当時、自民党の政策に憤怒するものがあったと記憶している。しかし、民主党による失われた3年に期待はもろくも崩れ、今また自民党支援団体の代表的存在になっているようだ。あくまでも茨城県医師会の話である。

 さて、この国会の現状にあって、マスコミにゲストで招かれ政権に対して後ろから鉄砲を打つかのごとく安倍批判を続け、民進党の議員と会合を持ったりしているのが、誰あろう石破氏である。安倍総理が2校でも3校でも獣医学部を全国展開したいと発言したのは獣医師会と石破氏の癒着に対するチャレンジ的牽制の意味があったと私は感じている。時の首相を批判し、政権交代ともなると小沢氏と新進党結党に走るといった政変経歴を持つ石破さんである。内部批判がいかに人間的信頼を失うかがわからないのだろうか。総理になりたい思いはわかるが、党をまとめトップを支えてなんぼではないだろうか。前回は志を共有した同じ穴のムジナが野党に揃っていたことから党を飛び出したが・・・それにしてもよくよく懲りない方である。

 文科省事務次官であった前川喜平氏の内部告発や陸自によるリークが国会で論争の火種となり、まるで現時点で日本国の最大の問題であるかのような騒動に発展した理由は前号で述べた反日マスコミと野党の共闘にあることはほぼ間違いのないところか。
 陸自の日報隠蔽問題も大臣に言いた言わないレベルの話であり、都議選後に公文書と思しきものの複数が野党によって示された。こうした場合、文書の出所は不明、渡り先は野党だ。民進党や共産党はこれまでもよく公文書らしきものを証拠書類として国会に持ち込んでいる。文科省問題も民進党が提示した8枚の文書が引き金になっている。これはどう理解すればよいのだろうか。
 日報問題は結果的に防衛大臣と陸幕長の退任劇にまで発展した。この点、適材適所の配置を誤った安倍総理への指摘や、有する才能はあっても防衛相の器に結びつかなかった稲田議員自身も責められてしかるべきものはある。稲田氏は国守を思うあまりに都議選で「自衛隊としても自民党を」と演説してしまったのは致命傷だった。自衛隊員だからといって皆が保守本流とは限らない。確信はないがおそらく政治思想の観点からは野党よりの隊員もいるであろう。自衛隊員は約23万人いるのだから思想一派であるはずがない。想いはわかるが、あまりにも無用心かつ稚拙な発言であった。

 我が街でもかなり前になるが、告発を期待する声が巷に多く聞こえた時期があった。詳細は今更ということにするが、この場合の告発は正義を求める声だったと確信していた。でもその確信にはとうとう行き着かなかった。考えてみれば告発を期待するというのも情けないと同時に次元の低い話ではある。
 退職者による告発は、企業コンプライアンスの欠如を外に示すものではあるが、それは腹いせによる暴露といったイメージが強い。もしも真からおかしいと感じたならば、最初にわかった段階で告発するほうが人の道と言える。ところが、この手の事件の報道では「かなり以前から行われていたものと思われます」というフレーズがともなう。ならば、他の現役社員たちはその間ずっと口をつぐんでいたということになるのだろうか。辞めてから言うのでは消費者の味方とは言えない。いやはや深く切り込めばいろいろあるものだ。民間会社であれば死に至らない限りこれくらいですむ。
 しかし、政治の世界はそうはいかない。マスコミが思想的偏向報道で国民を煽動することを隠そうともしない社会になりつつある中、国民生活との関わりで個人の腹いせ感情が入り込む余地などない。告発内容と告発者の審理が手ぬるくあってはいけない。また、公文書の管理もデータ社会にすっかり染まった時代にあって、法整備を整えてほしいと強く思う。

No.2906 二つのそばが伸びる安倍倒閣反日報道

2017.08.01

アイコン

 今のマスコミと野党議員とかけて何と解く? 
 庶民の代表的食べ物であるそばが嫌いと解く。
 その心は・・・森と加計が食べきれずにただただ延ばすだけ!
 メガマスコミと野党による安倍倒閣報道のなんと凄まじいことであろうか。
二つのそば問題はやたら後味の悪い状況になっている。この大はしゃぎは一体全体国益に穴をあけることはないのだろうかと思えてならない。なにしろ国会がそれありきのオンリー状態なのは間違いない。そういう意味ではある種の政治空白とは言えないだろうか。なぜ、それほどまでに安倍倒閣を志向するのか?・・・確かなこととして、その理由は間違いなくあるのだろう。
 まず平成25年12月の国会を紛糾させた特定秘密保護法だ。当時マスコミはこぞって反対を訴えた。田原、大谷、岸井、鳥越といった反日局のワイド番組でキャスターとして著名な人たちが猛烈に反対の論陣を張った。良かれ悪しかれ個人の情報発信を業とする人々にとって歓迎すべきものでないのはわからないではない。もちろん、マスコミ以外の識者と目される方々の間でも賛否両論が真っ二つに割れる一大騒動になった。
 つぎに、平成27年9月の集団的自衛権の行使を含む平和安全法制整備法である。第9条に関連して長谷川、藤田といった憲法学者に牙をむかれるという想定外の大論戦になったが、これも結果的に自公、維新、こころといった議員の賛成で可決した。
 特定秘密保護法においても、また平和安全法制においても委員会採決の際、民進党と自由党の議員が委員席に突撃ダイブした光景は今でも目に焼き付いている。そして今国会のテロ等共謀罪関連法でももりかけ問題ばかりに焦点が絞られ、まともな審議から野党自体が避けていたように思う。
 かくして、国会はまともな議論の場から遠ざかるスキャンダル探し国会と化し、国民生活も国家の安心安全も忘れてしまったかのように政権批判が羅列する国会といった様相を施している。マスコミの囃し立てに乗る一部国民にも問題はあるが、マスコミの責任はかように重い。
 本年初頭からは同じ学園ではあるもののまったく問題の本質が異なる森友学園、加計学園という2問題で本質をはずした議論に終始している由々しき事態である。
 政府はその間においても昨年4月の熊本大地震、そして今回の北九州大災害といった緊急事態への対応や、従軍慰安婦合意や沖縄問題、米英首脳交代後の対応など内外の諸問題に対応している。ところが、そうした状況下での5月3日のことである。安倍総理は「2020年を新しい憲法が施行される年にしたいと思っている」と表明した。私自身は正直なところ新鮮な感覚を覚えたが、衆議院憲法審査会で協議しているのに勝手な発言をしたとか、読売新聞を読んでほしいと答弁したことなどが反日マスコミ群によってさんざん叩かれた。実際、憲法審査会は総理のリーダーシップに添って審議していたかどうかは不明だ。それにシビレを切らしたかのように憲法記念日という節目に日本の総理大臣として目指す最大の目的について表明したとも理解できる。改正に消極的な群像を意識しての安倍発言だったのかもしれないが、少々強気に過ぎたと言える。結局これが安倍倒閣の反日マスコミの偏向報道団結力を高めることになったと考えると、その後の3ヶ月の反日動向のすべてが理解出来る感じではないだろうか。その報道はレベルとか質とかいうものなど論外の言葉刈り、揚げ足取りのオンパレードとなっている。そして、国民に安倍政権の問題点をデフォルメ報道し、支持率低下に向けてタクトを振る指揮者のように。
 たしかに、なぜ安倍総理は読売新聞に大々的に憲法改正への意思を示したのだろうか。朝日や毎日が掲載を受けるわけはないのだが、自民党としてテレビの枠を使って国民に向けたメッセージを表明したほうが良かったとも感じるのだが、いずれにしても反日マスコミが一斉に改正阻止に向けるための戦略を企てたことは容易に想像出来る。それは野党も共闘路線にあるような現状ではないだろうか。改正阻止には安倍倒閣しかないという理論に基づく印象操作戦略が本格的に始まったのだ。
 特定秘密保護法、平和安全法制でさえ苦々しく成り行きを見つめるしかなかったマスコミが、憲法改正までさせてなるものか!とばかりにいきり立った。そこには連立を組む公明党がいま一つ乗り切らない上に、安倍案に難色を示す状況があることも護憲の主たちの尻を叩く結果となったやもしれぬ。
かくして、安倍政権のイメージダウンにつながるものなら何でも来たれの状態と化している実情ではないか。印象操作とはとても微妙なもので、言い方、書き方次第で説得力が増したりするものだ。それはペンの暴力と言われる状況につながっているようで攻める側と受ける側の違いはかえって恐怖社会を示唆するようで怖い。

 それにしても朝日、毎日、東京、遠くは沖縄2紙などの表現、言い回しはことごとく読む人に一方的な思考を植え付け、書く側と同じ批判思考に導く狙いがあるのは疑いようもない。キーテレビ局では、TBS、テレビ朝日、最近は籾井会長退任後のNHKもそれに近いものがある。安倍政権に聞こえの悪い部分の切り張り編集が多い。そう言えば、籾井会長時は定例会見の度に報道対象となり、言葉刈りの攻撃にあっていたが、会長が変わってからはまったく会長発言が話題になることはない。会長はさて誰だったかといった感じである。
 救われるのはSNSにおいてはそれを異常に感じ、理解している方が多いことである。今の国会でいいはずがないという常識的な判断が多く見られる。
 反日メディアは日本をどこに導きたいと思っているのだろうか。

No.2905 八ッ場ダムの現在

2017.07.25

アイコン

 福岡、大分、秋田、新潟と全国至る地で記録的豪雨による過去に記憶のない大水害が発生している。過去に記憶がないというのは被害に遭われた住民の方々が口にしていることで、想像を絶する大量の雨が集中的に降ったことを示している。床上浸水も結果的には浸水ではなく浸泥という状態で泥を掻き出す住民の姿には疲労感以上に悲壮感があふれている。発する言葉も失うほどだが、心よりお見舞い申し上げる次第です。

臨時国会(閉会中審査)を眺めていて、登場議員はおしなべてこの見舞いの言葉を前口上にするが、質疑でこの点に触れたのは自民党の青山繁晴議員と公明党の河野義博議員だけだったと思う。さらには北朝鮮問題や尖閣への中国問題等々防衛上の危機管理という最上級の課題もあるというのに、忖度問題にいつまでかまけているのか・・・・マスコミ操作に国民が感情的にのせられているのは仙台市長選や首相期待論で石破氏が安倍総理をわずかに抜いたという毎日系の報道から見てとれる。まあ、アンケートの取り方もどこまで信憑性があるのかと思えてならないのだが、この問題については今夜の各局の報道を見て、次のテーマにしようと思っている。

ファイル 811-1.jpg 前段に戻ろう。八ッ場ダムは昭和22年9月のカスリーン台風を原点に起案されたものの反対運動もあって実施計画に着手したのは昭和42年のことであった。しかし、その後も吾妻川の上流域からの流水質が強酸性であるとか、温泉街の生活問題等々が全国に知れ渡る社会問題となり、紆余曲折を繰り返すこととなった。最近では投資額をめぐって国政選挙の争点にまでなり「コンクリートより人」という迷言まで生んだのはご記憶の通りである。ダムというコンクリートが人の命と財産のみならず生活を守るのは言うまでもない。八ッ場ダムの建設目的にも3つの大義がある。群馬県および下流域への潤沢な利水機能、利根川流域の洪水調節という治水機能、最大11,700キロワットの電力供給である。
ファイル 811-2.jpg ファイル 811-3.jpg
左左岸 右右岸
 左岸から始まった発破掘削工事は約1年半で完了し、昨年の6月からはいよいよコンクリートの打設工事が進められている。最近ではコンジットと呼ばれる常流送水管の形成工事と埋め立て工事がおこなわれているようだ。この常流送水管というのは内径たしか8mもある巨大なコンクリート性のものである。何度か視察に行ってこの管の実物を目にしたが、ダムというものは目に見える堤防部だけではない部分に人知の粋が施されているんだなあと感じながらため息をついたことを覚えている。
ファイル 811-4.jpg 堤防高116m、幅290m、堤防の天端高586mという巨大な重力ダムは70年という途方もない年月を経て平成31年の竣工を迎えるところとなった。
 数年前にバス7台をチャーターして見学ツァーを実施したが、行くたびに様変わりする現地には目を見張ったものだ。近々再訪したいと考えている。そう言えば、今月に入って八ッ場ダム工事事務所所長に異動があった。前任の矢崎剛吉所長が国土保全局治水課流域減災推進室長に栄転され、代わって近畿整備局姫路河川国道事務所長の朝田将さんが転任されることになった。国の転勤も大移動で引き継ぎも大変なことだろうと推察するが、新任の朝田所長が竣工に立ち合う最高責任者ということになるのだろう。しっかりと工事の采配をふっていただけるものと期待したい。
 残すところ約2年、ここまでの関係者もさぞかし感無量のことだろう。

ページ移動