予報ほどには重くなさそうな雪でほっとされた方が多いのではないだろうか。寝起きでまず雪かきをしてから朝食をとり、その後1時間遅れの登校児童を見送り一息ついたところで朝刊を開き埼玉欄の幸手市関連記事に見入った。
通称、中島土地改良区と呼んでいる惣新田吉田地区に304ヘクタールが広がる田園地帯。ここは昭和40年代に大規模灌漑事業として市東部地区を中心に実施されたパイプライン事業を拒否した地区として知られている。当時の地元国会議員だった三ツ林弥太郎議員のお力で国費240億円ほどが交付された事業と聞いており、これは私の選挙時にも幾度となく農村地区の集会で耳にし、私自身も語り続けた話である。この事業によって幸手の米作農業の安定化が実現したということで弥太郎氏に感謝している農家がいかに多いかは私自身が実際に受ける話である。
当時の拒否の理由はこの地区が江戸川に隣接するので灌漑用水に事欠かないというように伝え聞いてはいるが事実はそんな簡単なことではないはずだと感じている。政治がからむ話には幾重にも裏事情が重なるのが常である。
新聞が伝える話は記事にもあるように9月の議会一般質問でもあったわけで、そこから市が調査を開始したとある。私がこの情報に接したのもほぼ同時期である。今になってこれほどの大紙面記事になるとは思わなかったが、市への申請書から国・県の補助金が含まれているかどうかわからなかったというのは申請書の不備を感じる話でしかない。灌漑排水事業であろうがなかろうが、タイトルの如何に関わらず、国や県から受ける補助予定額を記載する様式になっていればよかった話ではないか。ましてや、それを口頭で確認するだけとも書かれているが、口頭で聞いた話を最低限当該書類にメモ記載していたのかどうかも疑わしい。これが単純作業・職務として引き継がれていたとすれば改善見直しの対象に上がることも難しいところである。どちらが主たるリードマンかは別にして馴れ合いという実態を指摘されても反論の余地はないと思うがいかがなものだろうか。
最大の問題は、契約書の原本と市への提出種類のタイトルが異なる例が複数あったということである。意図的作為としか感じられない。1,600万円の過大交付については利息換算もした上で返還を求めるべきかもしれないがはたして市はどういった解決策を改良区に対して示すのだろうか。
この地では数年前のゴールデンウィークに江戸川の水位低下による異常渇水という事態が発生し、三ツ林裕巳議員が国交省に掛け合い大型ポンプを4機、私が当時の県副知事に掛け合い江戸川南部流域の土地改良区や工業地区に対して上流域である中島地区で水を取水することへの同意書を取り付け幸手放水路から一気に水を引き込んだことがあった。シロカキが終わった後の水不足という非常事態をしのいだことで、地域の方々に感謝されたことを今でも印象深い新鮮な記憶として残っている。
そうは言っても、今更パイプライン事業でもないし、それはもはや難しいことであろう。こうして考えると、古き時代の新規行政施策を地元が拒んだという話は幸手市に関するだけでもいくつかあるようで、あの時受け入れていれば幸手も変わっていたという話をよく聞く。時の先人が先進事業を断るにはそれ相応の理由があったことと思うが、政治行政の先取り、新取りへの住民理解が街の未来を左右することをあらためて肝に銘じたいと思う。
記事一覧
No.2962 土地改良区の運営実態
No.2961 経済に変化はあるか?
雨から雪に。大地に潜む体動をキャッチする噴火予知、地震予知と違い、気象予報は適格だ。明日は通勤時間帯まで降り続くということで、見た目には美麗で風情を感じさせる雪だが不慣れな関東人には厄介な相手だ。
今日、29年度補正予算が可決した。2兆7073億円という額で「人づくり&生産性革命」「働き方改革」「災害復興」などに対応した内容となっている。参議院予算委員会は立民に移籍した蓮舫前民進党代表が質疑に立っていたが、今一つ低調な指摘が多く自らの政治スタイルを変えようという姿勢は見られなかった。それよりも「借金が増える赤字国債の垂れ流しはやめてもらいたい」と総理に攻め入るも、「前政権時代の発行額より少ないということをご確認いただければと思う」といった答弁でまたもやブーメラン現象を受ける始末。野党の茂木大臣の線香問題もジャーナリストからの反政権スキャンダルの提供とおぼしきもので、質疑項目として適切かどうか。一昨日の質疑で「米軍基地を日本の管理権にしてはどうか」という質疑に対して河野大臣が「実現に向けて努力する」と答弁したのが印象深い。提案型の質疑は納得感を増長させる。社交辞令で終わらないようにと心で叫んだ。頼みますよ、河野大臣。
ところで、製造業の基幹産業である鉄鋼業界が好調な決算状況を相次いで発表し大手三社は新日鉄と住金は1千億円超、昨年不正が発覚した神鋼は450億という黒字幅となった。同業界は中国をのぞき世界的に好況だということだが、中国景気の今後の動向が気になるところ。習近平の元「躍進」を掲げる中国だが、チャイナファーストに対する世界の目はアフリカを除き徐々に厳しさを増しているようにも思える。
毎年2月は各企業による経営数値が発表されるがどんな内容となるのだろうか。為替変動の影響という本質的な経営と異なる面は別にして、デフレ脱却と賃金上昇、さらには中小企業の安定という政権の経済構想がどれほど実現するかはここにかかっている。好調な経済はトップダウン的流れで大企業から中小企業へと段階的に浸みてくる。逆に不況は中小の倒産を発生させる傾向にある。そういう意味では中小が内部留保をしっかり確保できるくらいの状況になるのが理想であり、今こそその足掛かりへのきっかけと期待する。ただ、大企業の内部留保が高額かつ優先という経済システムはいかんともし難い。
安倍総理が要求した賃金3%アップに対応しようと名乗りを上げる企業が現状複数あるのは明かるい。これこそ大企業から率先して実現してもらいたいものだ。メディアによる経済アンケートで「景気が良くなった実感がない」と答える人がまだまだ多数派という事実は、ここに起因している。物価が着実に上昇傾向にあるというのを買い物に同行するたびに感じるが、物価上昇が先行し賃金上昇追従型という日本経済の現実は国民の不況感を持続させるマイナス要因でしかない。タンス預金は膨らんでいるというが、先が見通せない超高齢化による人生100年健康寿命社会を見越してのものだとすればそうそう簡単に消費に向けられるとも思えない。GDPや有効求人倍率の上昇は間接的には高齢者に影響があるのだが関心度から言えばけっして高いとは言えない。若者はどうかと言えば車離れ、酒離れで将来に備えて消費を手控え財テクに走る傾向が見える。話題になったコインチェックの実態はインターネット内で動くマネーゲームであって売買行為の対象となる通貨ではない。27歳の若者が巨額を管理する時代を理解するには我々昭和の頭の固い人間には難しい。
雪で葉物野菜を中心とした相場価格は異常だ。2度目の雪でさらに高くなる可能性もある。前段で示した雪の厄介度は物価という点でも我々を苦しめる。
国民が受ける景況感と政治動向は密接な関係あることを考えると企業責任もコンプライアンスだけではなく社員一体の家族観を強く示すべきだと思うのだがいかがなものだろうか。
とりとめのない話で恐縮です。
No.2960 ロウバイ咲き、ナマズが守る雷電神社
あれだけ降り積もった雪も低気温のせいで融雪速度が遅いのか屋根から落下するのを我慢してくれている。いつもならあちこちの家でドッスンと大きな音を立てて落下する。数年前のことになるが、我が家では最上部の屋根から落下した雪がガレージの屋根のアクリルを割り、骨組みまでもグンニャリと曲げてしまった。明日あたりはその現象がありそうだが、落ちる量はかなり少なくなっているようで心なしか安堵感がある。あとは人間が直撃を受けないように用心しよう。
今日はまだ知らぬ地の群馬県板倉へ小旅行としゃれこんだ。とくに目的があったわけではないが、なんとなくといった感じのノリだった。ところが、板倉町はいくつかの顔を持つ訪れがいのある町だった。
谷田川沿いにゴルフ場と水郷公園が広がり、のどかな風景を見せてくれる。水郷公園には常連さんとおぼしき太公望が竿を垂れ、すぐ傍にはカイツブリ、カルガモ、オナガガモ、バンなどの水鳥が群れる。この時期、白羽根に黒い目とトンガリ頭の姿が愛らしいミコアイサという水鳥が飛来するのだが、こちらは渡良瀬遊水地のほうが出合う可能性が高いかもしれない。
次に看板に従って雷電神社に向かった。旧市街を通過していく経路だったが途中木造の町役場を右に見ながら1分程度の距離にある。隣の板倉中央公園に車を停め参拝に。50メートルあるかないかの寂しい参道の先の門前両脇に2軒のお店。林屋さんと小林屋さん。小がつくものの別に小林屋さんが小さいというわけではない。しかし風情ある佇まいは小林屋さんに1票。ともにウナギののぼりが立っているが、店の前に行くとナマズのメニューポップが目に入った。気になったが参拝優先で石段を上がる。地図にも書かれている呼称の雷電神社総本宮で賽銭と小さなお願いをし、そこから裏に回る。 ここで思わず声があがる。家内だ。なぜかというと、蠟梅の黄色い花に出会ったからで、私もそれにつられて秩父に行かなくてもここで見れるなんてと言葉が出た。蠟梅というと秩父の宝登山がなんといっても名が売れている。しかし、本宮社殿の美の造りと蠟梅のコントラストはなかなかのもので、本数は多くないが5分咲きと思われるので次週の日曜日頃には満開を迎えるのではないだろうか。
蠟梅の先に奥宮と神馬殿が並んであるが全体的には小さな境内である。神馬はロバくらいの大きさの木彫りのものだった。右手の階段を降りると駐車場があり、社務所が控える。社務所の前には赤いのぼりが見え、近寄るとなまずさんとひらがなで書かれている。古民家のような社務所だが門を抜けると入口に小さな賽銭箱と1メートルはあろうかという金属製のナマズ像が置かれている。ナマズの上部は参拝者に撫でられてピカピカだ。キャッチを読むと撫でると地震除けになり自信がつくという。せっかくだからと二人で撫でた。いつ自信がつくのだろうかと思いあぐねて心の持ちようだと納得した。
総本宮に戻り、階段を降り小林屋さんの前に立つ。店頭にある立看板には「ナマズのてんぷら」「ナマズのたたきあげ」とある。620円と250円。安い! カツ丼550円、玉子丼400円も安い。入るかどうか一瞬考えたそれより早く「せっかくだからこの地の名物食べていかない?」と家内。「よーし」しかない。ナマズ料理を一人前づつ注文。たたきあげとはナマズと豆腐、ニンジン、しその実、つなぎ粉を練って揚げたもので大きさはスコッチエッグくらいある。雰囲気は行田のフライに似ているが食感はまったく異なる。1個50円。テンプラ好きの家内はたたきあげが気に入ったようだ。他の二組の客はこれをおみやげに注文していた。お店の人の話では養殖ではなく川で取り上げた自然物をもって来るおじさんがいるのだとか。
次に東洋大学方向に車を向け、いずみの公園という大きな公園に着いた。開発中の広大な産業団地にある公園で整備が行き届いているとは言い難いが、暖かくなるとヤングファミリーで賑わうのではないかと感じる公園だ。ここから板倉東洋大前駅までの街並みは区画整理の成せるまちづくりが存分に発揮された都市型開発住宅地でその中心に東洋大学がある。雷電神社や水郷公園とは違う町の顔であるのは間違いない。近くには渡良瀬遊水地もあり、自然に事欠かない土地柄だ。
写真は蠟梅とナマズを意識したもの以外取り忘れて紹介出来ないのが残念だが興味のある方は板倉町を訪れてみることをお奨めします。
No.2959 今の時代、聖職などない!
昨年5月、児童ポルノ販売サイトからの摘発情報として、約7200人の購入者リストが押収されていたというニュースが元日の新聞で伝えられた。
そこには、検事、警察官、医師、県会議員、僧侶、自衛官、漫画家、大企業社員、都職員などの名前があり、200人が書類送検され、今後もその対象は増えるそうだ。DVDの映像には小学生に対する強制わいせつという犯罪もあり、売る側の問題とは別の観点から購入する側の下劣な品性やコンプライアンス意識が問われる事態となっている。
もとより、どの生き物にも異性への関心は等しくあり、人間も例外ではない。そうでなければ子孫繁栄は叶わないことになるわけだが、人には本能とは別の心が多くの場合男性に宿る傾向は間違いない。しかし、それがいたいけな子供に対してとなると、これはもう品性・品格どころの話ではない。そんなDVDを法の番人や知性豊かな社会のリーダーたる人が一人こっそりと鑑賞する姿を想像するだけで気持ちが悪くなる。もちろん人は誰しも異性への興味をある段階で抑制できる理性を持ち得ているし、それは人間だけが持つ特性と言える。ところが、社会的に地位が確立され聖職とも最高表現を受ける職業人の実態が悲しい状況にあるのだ。知性に理性が同居していないのは今更感じることではないが、そういう意味では世の中が確実に変化し、それは下方ベクトルに向かっているとは言えないだろうか。
聖職という言葉も文字も最近とんと見かけなくなった。年初報道には教師や弁護士という職業の記載はなかったが、その後、そういった社会人が男の子へのいたずらで検挙されている事件も複数発生している。いずれにしても聖職などというのはそもそも無いがごときで、前号でグローバル人間とはに触れたが、その資格・称号は共にそうそう簡単に与えられるものではない。
No.2958 グローバル人間とは?
降りましたねー! 毎度のことながら積雪10cmにもなると大騒動となる関東地区。予報の精度も高まって1週間近く前から今日の雪は予告されていたのだが・・・電車は平常通りに動かすことは出来ないのだろうか。車で出かける人がいかに多いことか。人間社会はつくづく自然に脆いと思うが、浅はかな人が少なく無いというのもつくづくわかる。
今朝の朝刊にある大企業の一面広告がカラーで掲載された。そのキャッチは次のようなものだった。
会社説明会で、どの企業も「グローバル」って言いますが、結局「グローバル」って何ですか?
そして、その下段に
「英語を話す」「海外で働く」だけでないのは確かです
と注釈がつき、さらに下に数行の小さな文字の企業アピールをグローバルにからめて示している。
最下段に、人を、想う力。街を、想う力。○○○○
この会社は特定の地区における大手不動産企業として知られるが、その伝統ある地区をさらに日本への進出を図る海外企業や、海外展開を目指す日本のベンチャーへの事業開発支援をし、さらにグローバルな活気にあふれたビジネスと文化交流の世界的拠点エリアに進化させる我こそがグローバル企業であると言いたいようなイメージ広告と見受ける。ゆえに開かれた心と発想力を持つグローバルな人材を求めるというのが副次的狙いとしてあるのだろう。
これを読んでふと常日頃から考えている疑問をあらためて考えさせられた。疑問とは正にこの広告にあるグローバルって何だ?ということであり、グローバル人間とはなんだ?なのである。英語を話せる人とか海外で活躍する人と理解している人が多いのではないかと思う。この広告ではそれだけではないのは確かと語るが、かといって、世界的ビジネス拠点がグローバルとも理解できないし、それを手がける企業がグローバルとも思えない。そういう意味では、すでに世界の大都市は皆グローバルエリアでありグローバル都市と定義付けることは出来る。グローバル=地球全体と言うのは辞書的理解でしかない。
英語が話せればグローバルなのか、いや、英語の話せる人でも昨今の品の無い日本語を語り、敬語や謙譲語といった正しい日本語を理解していない人は、日本という原点から考えて本質的にはグローバルとは言えない。
つまり、日本人として、まずは国内にあって他の見本足りうる高潔な品性と品格を備えずして世界に伍して活躍するグローバル人間とは言わないというのが私の理解である。日本人としての矜持やアイデンティティーを有した上で人や国あるいは動物なども対象にした「相手を思う心」を持たずにグローバルだなどとはとんでもないことであり、留学とか、海外出張だけでグローバル人間と思うのは大きな誤解である。また、語学に長けていればグローバルといった考え方があるようだが、それは錯覚か勘違いというものだ。
広告にある「人を想う力」 この言葉を深く理解し、実践できている人が次のグローバルステージに上がる資格を有しているものと思うがいかがなものだろうか。
さて、ここまで口うるさ型と思われる内容を書いてきてふと思った。少し前まで「マルチ人間」という言葉をよく耳にしたが「グローバル人間」との違いを自分なりに解釈するとグローバルの理解がしやすい感じがする。さて?
No.2957 2大政党制は実現遠し
野党の統一会派を進める話が五里霧中の状態だ。民進希望両党の執行部協議でいったんまとまったかに報道されたが、民進の今日17日の両院総会で「見直す」という方向になった。それを受けて希望は今後民進との会派調整には応じないことを決断した。なんともていたらくな執行部協議であったわけだが、協議の以前に党内調整をきっちりしていないことが露呈したということだろう。
希望の玉木代表もしかりだが、民進の大塚耕平代表も前代表の前原氏同様大変な時に代表になったものだ。まとめる力を持たないのか発揮できないのかは不明だが、議員個々のメンツやプライドが交錯しているのは間違いない。もっとも、政治理念、公約の面で異業種交流のような流れ・・・つまり異思想統一の野合会派を拒否する議員はまだましか。
民進に属する14人の無所属議員の多くも岡田リーダーの思いとは別に立憲民主におもねる議員が多くまとまりを欠いた状態にある。もとより排除の対象にされたという怨念が残ったまま統一会派に向けた協議を進めたことに無理があったのだろうが、政治の世界とはこのように心根がさっぱりしない面が多分にある。それがために自民1強にくさびを打つという大前提が崩れてしまうのだから。低次元な縄張り意識とも感じられ、国民どころか支援者の思いすら共有できない姿と言われてもやむを得ない。
高みの見物を決め込んでいる立民は、排除のいきさつでやむなく出来た政党で、そこに判官びいきなる特有の有権者意識が働き、実績皆無の新党にもかかわらず数的に躍進した。それにより他ニ党よりは思想主義的にまとまった状態にある。とはいえ保守などと意味不明なことを国民向けに枝野代表は口にするが、その実態は安保反対、改憲反対の完全左派思想の集団である。考えれば東日本大震災発生時の菅政権の集約型かつ旧民主党を引き継ぐ政党と言え、新党ではないという見方も出来る。
前述の排除の関係から希望との会派は考えていないとし、現状は民進離党組からの復員確保を前向きに受けるといった状況であろう。
野党のこうした状態は自民1強に拍車をかけることになる。嫌自民、嫌安倍の考え方の方は眉をしかめることだろうが、私は最近、政権交代は自民政権内で総裁選挙による総理交代が政権交代という実態でいいのではないかと感じている。総理総裁候補に多種多彩な人物が名乗りをあげるのであれば、それはすなわち政権交代と同様という見方である。安倍さんが石破さんに代わったら立派な政権交代ではないか。自民支持者にも安倍さんは嫌いだが石破さんまたは岸田さんならいいとか、兎に角安倍さんは飽きたという人がいるかもしれない。まさに政権交代を意味しているとかんじるのです。基本は保守本流である自民党政権を維持しながら短くて3年の首相任期をもって、時の首相の舵取りによる国政運営を担ってもらうのが日本の政権交代という政治の姿でもいいのではないかと・・・今の野党の姿を見るとそう思えてきた新年早々の国政への思いである。