ロシアと中国。自由と民主主義を掲げて世界を牽引するアメリカに対抗せんと、この二大覇権国家は相次いで戦備増強の方針を打ち出した。これには、アメリカ・ファーストなどと身勝手な発言をし、自国の損得しか見えない国に成り下がりつつあるトランプアメリカの存在が軽くなっているのも一因にあるだろう。
ロシアはクリミア併合、シリア・アサド政権支援、北方四島の軍事拠点化など、ユーラシア大陸各地の海洋要衝地の軍事領土化を謀っている。おりしも、近々行われる大統領選挙で国民に人気の高いナワリヌイ氏を犯罪者扱いすることで出馬を妨げるという民主主義の破壊行為を実行している。ソ連崩壊とペレストロイカにより冷戦時代に終止符を打ったかに感じられたものの、今ではバルト三国とウクライナ、ジョージア程度がロシアに抵抗するだけで、多くの旧ソ連に属した国々のみならずポーランドなどもプーチンロシアに膝着き外交をする傾向にあるという。プーチンは、つい先日もアメリカに届く小型ミサイルの開発に成功したと発言しているし、北朝鮮周辺事情でもお得意のどさくさに乗じた領土拡大を意識しているかのようだ。
中国はと言えば、5日に始まった全人代では憲法改正が確実という。習近平の生涯主席を約束するかのような国家主席の任期廃止がそれである。毛沢東による文化大革命の反省から集団合議体制を憲法に持ち込んだのが1982年。もっとも、これをもたらしたト小平こそが天安門事件の学生大量殺戮を指示した張本人だったというのも皮肉な話である。それにしても、何をもってわずか5年程度で独裁体制を実現するだけの力が働いたのか見当がつかない。習近平という人物はそれほどの器なのだろうか。日本では言論の自由が政権転覆をはかる捏造記事を許したり、それをネタに国家の安全を無視した議論が延々と続く国会となっているが、中国ではもちろん、国家批判は許されず、ネットチェックも厳しいものがある。世界に旅する国民が多いこともあり、北朝鮮ほどではないにしても、国民には政権指導部にとって都合のよいことばかりが伝わる情報システムと言ってよいだろう。
日本の防衛費は数年減額が続き、ようやく過去最高に並ぶ4兆9千億ほどになりはしたが、中国の軍事費は日本の3.7倍である。すでに海・空に関する戦闘個体数は5年前と比べて3倍から5倍規模と飛躍的に増加しているが、今後、さらに増強する計画である。南沙・西沙は言うに及ばずパキスタンやモルジブ、ジブチなどにも貿易港の名を借りた軍港の配備を実現もしくは画策している。数日前には、尖閣の接続水域侵入に抗議した日本に対して「日本の自衛隊が接続水域に入ったからだ」と強弁している。尖閣は我が領土と主張し続ける意味を小さく考えてはならない。嘘も百回言えば真実になりかねない。
そもそも、日本には防衛の必要性があっても、中国やソ連に防衛の必要があるのだろうか。いや、あるとは思えない。この軍事費は防御用ではなく限りなく攻撃用としか考えられない。軍備増強にはいろいろな理屈があるが、ロシアにアメリカやNATOが攻撃を仕掛けるわけもなく、中国にも同様のことがいえる。いきつくところ、遠い先にはロシアと中国間の応酬はあるかもしれないが、今はとにかく対米意識で共通している。
中国が日本に攻め入る可能性は大いにあり得ると考えるべきであろう。日中平和友好40年の今年だが機を見て敏な中国である。ゆえに、野党による意識的な紛糾質疑による中断、速記停止が続く今の国会議論の的外れなのんびり感がどうにもまどろっこしい。
作り物の話で恐縮だが、英映画ジェームス・ボンド007シリーズで闇の組織スペクターを思い出す。大方のストーリーは、秘密裏に製造したプルトニウムなどから大量破壊兵器を製造し、地球戦争に持ち込み世界を手中に収めようと暗躍するスペクターという位置づけである。それに立ち向かうボンドが、その謀略を阻むという図式がシナリオの主体だったと記憶している。ドクターノオやゴールドフィンガーなどはその都度登場するスペクターの首領であった。このシリーズではスペクターがソ連や中国の共産党国とのつながりを持つ状況が作られる場面も少なくなかったが、私にはスペクターそのものが時折ロシアもしくは中国に思えるのだ。なぜなら、この2国は原子力利用を中心とする軍備増強という面から反原発、代替エネルギーという世界の流れに乗るわけもない。化石燃料で地球を大量に汚染した中国だが、軍事力アップという観点においてこれからは原発大国に向かうのは間違いない。
そんなわけで、今でも続くシリーズ映画だがルーツは古い。その、ストーリーがなぜか現代に通用しているように感じながら私はこの両国を見つめている。
今夜、8時からプライムニュースを見て、9時からの1973年「007死ぬのは奴らだ」は録画しておきたいと思う(笑)
記事一覧
No.2974 新冷戦時代の幕開け
No.2973 ポリティカル・コレクトネス
社会正義・モラルというテーマに関わる前号とは異なる、政治的正義・モラルという観点において、本号のタイトルについて述べてみたい。
政治家が、不謹慎・不適切言葉で陳謝どころか役職辞任や議員辞職に至る事件は後を絶たない。しかし、そうした言葉もよくよく考えてみれば、「本来はその言葉は正しい面もあるが、一部の関係者の心を傷つけることにもなるので口にしてはならない言葉」ということもあるかと思う。そうした場合、その発言者の人柄や頭脳レベルまで問われるものではなく、あくまでも政治家としての資質に問題ありというパターンである。
ところが、最近あった政治家の発言で、心情的にどうにも許すことの出来ない暴言かつ人間性を疑う非常識発言がある。
◆西宮市長による新聞記者への「殺すぞ!」という恫喝発言
この出来事では、当初辞職の意思はないとしていたものの、議会が市長の退職金30%削減案を提案したところで、本人が突然辞任届を提出し、議会初日から姿を見せることはなかった。辞職が全会一致で可決され退職金の減額案は審議からはずれることとなった。市長本人は議会が退職金を減らす計画をしていたことを辞職の理由にしている。その上で「市政に瑕疵なく、罪を犯しているわけでもないのに、議会が退職金の議論をすることは道理がない。市長と議会は対等で議会が市長に懲罰を課す立場にはない」と、自らの発言を反省することなく公然と議会批判を綴っている。首長の退職金は1期ごとに支払われるのが通例となっている。この市長は1期目で、約2800万円の退職金が予定されていたという。2期目に当選する見込みがないことから退職金の全額受領を優先したとみられている。犯罪として立証できるかどうかは専門家ではないのでわからないが、「殺すぞ!」という発言は威嚇暴力の範疇に入る可能性はないのだろうか。辞職直後には、すでに私人ゆえマスコミには一切対応しないともしており、政治家としてのケジメも示していない。
なぜ、こうした政治的矜持も持ちえない、非礼な人間性を有する人物が人口49万人の都市の首長になったのか? なれたのか? 政治の低下はこうした例を参考に「有権者の目」にも焦点をあてるべきだと私は思う。ついでに言えば、こうした候補者には経歴詐称などの選挙犯罪などが隠れていることも考えられるのではないだろうか。
◆さいたま市の市議による「首吊って死ね!」発言
これも首を傾げる低俗な言葉だ。しかも委員会での職員答弁者に対するものであるから場も重たい。当然と言えば当然のこととして、議会から懲罰動議が上程され、同時に、自民党市議団からは辞職勧告決議案が上程された。後者は議事延期の動議に対して賛成多数で採決は行われなかった。この二つの上程案の取り扱いには議会という場における当該議員との関係にかかわる特殊な主導権争い的駆け引きが見え隠れするが、なかなか説明しにくいことなのでここまでにとどめたい。
どのレベルの懲罰になるかはわからないが、本人は「委員会中の発言なので決定に従う」とひとまず反省の姿勢は見せている。ここは西宮市長と大きく異なる。
自分は基本的に人間性善説であり、信ずることが人付き合いの根本だと思っているが、どうにもならない悪玉精神の持ち主がいるということも否定できない事実がくやしくて悲しい。
ポリティカル・コレクトネスとは・・・・・
「政治的に正しい言葉遣い」
という大義を持ち、社会に存在する問題に対して厳格な公正・公平・中立を求める用語である。
その上で、政治不信と政治家不信はしっかり区分けしないといけないと思っているが、有権者が候補者を正しく見つめ、見分ける手立ては、候補者選択条件やその心理的観点から難しいと感じている。
No.2972 朝のパトロールから
2月も今日で最後。寒かった冬もようやく終わりを迎え、春の兆しがあちこちに感じられるようになりました。我が家の小庭にも水仙の芽が10センチほどに伸びてきました。毎朝の登校時パトロールでも、今週から着衣を1枚減らしていますが、陽射しの優しさを十分感じながらの気持ち良い25分間です。
ところが、最近あまり見なかった風景に出会い、少々不機嫌になった次第。写真は香日向駐在所から鷲宮方面の歩道に棄てられたゴミです。しかも両側の歩道にあり、車道には空の紙コップも転がっていました。
常にジャンパーにはスーパーの袋を準備していますが、この日はもちろん捨ててあるもので賄えた次第です。
国道の脇や川の土手沿いなど、特定の場所や道路ではドライバーが投げ捨てるゴミによる無残な状況を目にしますが、住宅地の生活道路でとなるといったい通行人のモラルはどこに消えてしまったのか!
実は、最近犬の糞の放置が少なくなった(まだ時折見ます)ので、健康歩行者も多くなったことでもあるし、とくにお年寄りや子どもたちが安心して歩ける街の変化を喜んでいるわけですが、写真の他にも、空き缶が植え込みの上に棄ててあったり、美観意識欠如、モラル欠如のヤカラの存在が無くなることはないということでしょうね。
それと、写真に撮ることはできませんが、自転車利用者でイヤホンをしてスマホを操作しながらという若者も少なくありません。交通指導員ではない立場での立哨パトでは注意しないようにということですので、毎朝苦々しく見つめている状況です。つい最近もスマホ操作中の自転車利用で女子大生が主婦と衝突し、主婦が死亡した事件がありました。数年前には千葉県で同様の事故があり、1億円近い賠償金の支払いを命じた裁判例もあります。
埼玉県では4月1日より「自転車の安全な利用の促進に関する条例」の改正が施行されます。この改正条例では自転車保険に入ることが新たに条文化されていますが、保険うんぬん以前に基本的安全運転が守られていないことが問題ではないでしょうか。保険に入ったから大丈夫では危険運転が無くなる方向に向かうとも思えないのです。被害者補償という面においては契約する意義は大切だと思いますが、根本的な問題解決につながるものかどうか。
ゴミと自転車、いつも目が離せない朝パトです。
No.2971 減給条例は可決でした
あと、5分ほどで誕生日も終わりで次なる年齢に向けてスタートが切られます。こればかりはスタートしたく無くとも自動的に進み始めてしまうわけで、歳はもうこのへんで止まらないものかと思っても駄目なものは駄目なんですね。やれやれ・・・
さーてと、前号まで2度ほどテーマにした幸手市に関わる補助金過大請求および過大給付について、前号で紹介した幸手市側が示した市長・副市長の減給条例は昨21日の議会で賛成多数で可決されました。私が議員だったら?・・・他の議員の考え方も確認しての判断になると思いますが、反省とお詫びの形としてはやむを得ない判断かなと思っています。ただし実際は、賛成するにしても反対討論を申し入れ、条件提示をする場合もあるかもしれません。その内容は、副市長の減給は無くして、市長減給を10ではなく20%以上にすることでしょうか。ただ、現実にその場に居合わせませんとなんとも言えません。21日はあいにくネットライブを観ることができませんでしたのでどういった議会進行だったかが不明ですが、それなりに想像はつきます。
賛成多数ということは、反対かどちらでもないという議員が一人以上いたということですからそれが誰なのか・・・。内訳は少し気になるところですね。
No.2970 過大補助金顛末その2
幸手市の過大補助金問題が連日の新聞報道となっている。前号ブログに対していくつかのご意見が届いている。やはり「客観的にみて不正とはいえない」という幸手市の土地改良区に対する感想表現に納得できない方が多いようだ。しかし、これはあくまでも新聞報道なので一言一句を伝えているかどうかはわからないし、ニュアンスが違うという可能性も考えられる・・・が、この問題で客観的という言葉を一方の当事者である市が使うことに対して違和感を持たれるのは当然であろう。
さて、そして昨日の読売朝刊である。編集担当者が意図的にそうしたかどうかは不明だが、上尾市の収賄市長と、川越市長の浸水被害時の責任問題と幸手市の問題が隣合わせに編集されている。
上尾市の事件は、市長と議長の馴れ合いが生んだ県内では久しぶりの大型汚職事件だった。何度か交流を持ったことのある議長は、弁がたつ押しの強いタイプで上尾議会を長年牽引してきた方である。今回のいきさつについては片聞きの可能性もあるので控えるが、新市長に就任された畠山実市長は県議時代に一方のリーダーとしてお付き合いさせていただいた民進党の県議だ。国や県の交付金や補助金を得ることにどれだけの力を発揮出来るかがカギとなるだろうが、人柄は温厚温和で実直な方なのでエールを贈りたいタイプである。
川越市と幸手市については、編集の関係からかついつい比較してしまう。前述のように記事の配置もそういう感覚で並べられているし、なにより責任の取り方に相違が見られる内容となっている。
川越市は、昨年10月の台風21号による大雨時の不適切対応に対して組織長としての責任を示したもの。内容は市長給与を2か月間30%減額するというもの。
幸手市は、1982万円の過大補助に対して職員に対する管理監督責任から市長給与を2か月間10%減額し、さらに副市長は2か月間5%を減額するという内容である。
さて、いかがなものか・・・私は「職員に対する管理」というのは余計なフレーズだと思う。トップが責任を取る時はえてして職員(社員)の不始末による場合が多く、原因がトップ自身に起因している場合、多くは犯罪に近い内容でトップの交代劇につながる場合も少なくない。幸手市の内容は、事はあくまでも職員のやったことだと言ってるようなものですっきりしない。副市長の減額も意味を感じない。監督責任は市長一人で負うべきで、通常の一般社会感覚で言うなら、副市長まで責任をとらせるなら部長までの責任を明確にさせるべきである。なぜなら、私の経験と感覚から言えば部長クラスは民間の取締役クラスに近く、日々職員の身近にいて仕事を指示し、報告を受ける立場だからである。さりとて、部長の責任を明確にせよというのではない。あくまでもトップ一人が責任を取れば済む話であり、トップの責任の取り方として甘い!と言わざるを得ない。
金額面であえて言えば、反省とお詫びを示す額とは思えない。見せかけとまでは言わないが、痛くも痒くもない額のはずだ。川越市との違いをここにも感じる。
今回の出来事から感じるのは、金額はさておき、職員責任を盾にして、副市長を共連れにする責任の取り方はいかがなものかという点を指摘しておきたい。/span>
No.2969 幸手市の過大補助金の顛末
幸手市の中島土地改良区過大補助金受領問題のその後を読売埼玉版で見た。調査終了後の市の対応がかなり具体的に書かれている。私が見ている読売以外でも、おそらく取り扱われていると思うので、明日、確認してみようと思うが、ともかく一言で「杜撰」ということに尽きる。何が杜撰で、どこが杜撰かということだが、改良区は補助金を受けるにあたって補助の詳細を知らなかったと言い、市は担当者の口頭による確認だけで書類審査を行わなかったとある。つまり、すべてに杜撰ということになるのではないだろうか。
補助金申請回数は10年間で70件に及び、国・県の補助金対象となる事業名が記された不自然なケースは2012年から8件あったとされる。しかし、これはあくまでも市の発表である。もちろん、県からもしっかり調査するよう求められていると思うのだが、改良区の回答も「補助金目当てで偽造しようとしたのではなく、わかりやすい表示にした」という。少し子供じみた言い訳に感じないではない。かたや、市は「不適正な申請だと客観的に示すのは困難」として改良区側の説明を受け入れたようだ。この市の判断もわかりにくい。おそらく市民の中には不適正どころか不正だと感じている割合が多いと思われ、それこそが客観的ということではないのか。市民目線はこうした場合、有って無きがごとくということか。
過大金も当初の1600万円から1980万円と増えた。これを返金するにしても改良区にそれほどのキャシュフローが可能かどうか、また、この過大金の使途はどうなっているのか、住民監査請求も出されている折から、まさか返金無用ともなると県も黙ってはいないかもしれず、改良区にとって水不足事件以上の難しい局面になったことは間違いないようだ。
私が最も恐れるのは。、県による幸手市へのイメージかつ対応が厳しいものになることだ。それでなくとも、すでに幸手市は県の印象はよろしくないものがある。市長や副市長の減給だけで事足りるとは思えないのだがさてさて。