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No.3027 望まぬ雨

2018.09.02

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 8月の陽気がウソだったかのように感じる悪天候。数日前から夕方になると雷鳴を轟かせての集中豪雨。それも近年特徴的なピンポイント攻撃であることが雲の様子ではっきりわかる。
 今日は待ち望んだ稲刈りのための大切なピンポイント休日のはずであったが、予定が狂った農家が多かったことと思う。そう思いつつ、籾摺りでも手伝おうとある農家を訪ねたが、案の定稲刈りは出来ず購入した機械を動かすことが出来ず残念がっていた。ただ、数日前にいち早く2反ぶりの収穫はしていたそうで、その分の籾摺りはとりあえず出来たことで少々の安堵感は感じていた。話を聞く側としても「良かったですねー」と慰めるのが精々だった。ただ、暑さのせいか、今年は例年より粒が小さいと話していた。

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ここ数日、近隣を走りながら広大な黄金の大地にポツポツと切株だけが残った稲刈り後の土地が目に付き始めていた。カラスが群れて餌を探す様もお決まりの光景だ。
 話はそれるが、稲刈り中の田圃を目ざとく狙って、そこに潜んでいたカエルや昆虫をあさるのはシラサギだ。稲刈り機の後を追うシラサギに普段のイメージはない。その後で残り物のあずかろうとやって来るのがカラスのようで、田園の中にも生態系の順列のようなものがある。この鳥たちもすっかり日本の農業風景の一員なんだと考え、自然の仕組みとは面白く出来ているものだと感じる。なんとなくNHKの番組を見ている気分になるから不思議だ。

 さて、台風21号が速度を速めて日本を縦断する可能性が出ている。4、5日あたりがそれにあたるという予報だが、毎年、稲刈り時期になるとこうした天候が多いそうで、写真のように穂が垂れ始めるとなかなか戻らず、更に雨に見舞われるとお辞儀の角度も深くなって稲刈りもスムーズにはいかなくなる。そうした状態で刈られた米は3等米の判定になる可能性もあり、天候を考慮した稲刈りのスケジュール設定は農業にとって影響が大きい。とくに、サラリーマン農家は休日が活動の中心なので、結局は会社を休む日を増やさざるを得なくなる。「果物にも言えることだと思うが、米作もギャンブルみたいなもんですよ」という言葉が、返る途中こだまのような残音感として響き続けた。

No.3026-2

2018.08.31

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八ッ場ダムの動画ですが、申し訳ありませんが開始に時間がかかかもしれません。

No.3026 八ッ場ダムの現在

2018.08.30

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 支援者の方々と八ッ場ダム視察を兼ねたバスの旅に出かけてから早6年。
一昨日、工事の進捗具合とその後の同地区、とくに川原湯温泉の移転状況を見てみたいとの思いで現地を再訪した。実は、川原湯温泉は家内の父が好きだったことから何度か訪れており、今でも便りをいただく。ムササビの来る宿がキャッチコピーの宿だ。
 状況は写真をご覧いただければ、その概要がおわかりいただけるものと思うが、最深部に見られる車の大きさと比較するとダムの偉容さがわかる。完成時の高さ116m、ダム頂長291m、湛水面積304㌶となっており、ダム体積911,000㎥ということは、少なくともほぼ同数値の量のコンクリートが使用されるということになる。ちなみに、東京ドームの体積が124万㎥なので、その7割強の規模となる。半世紀以上も費やした大計画かつ大工事も、ようやくその形状が見える状況になり来年の完成が待たれる。
 当初計画では昨年完成の予定だったが、民主党政権下の3年間でコンクリート事業に待ったがかけられたことが影響した。自民党政権に戻り、工事日程を500日強の前倒しで本年の10月完成を目指したが、最終的に来年に延びたのはやむを得ないところ。
 上の右は、八ッ場大橋から移転が進む川原湯温泉を。下の右は、同じく八ッ場大橋から不動大橋と草津方面を望む。湖底に沈むJR吾妻線と日本ロマンチック街道(国道145号)がかすかに見える。
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No.3025 女子高生コンクリート詰め殺人のその後

2018.08.29

 この号、少々重いテーマを取り上げた。まさにいろいろなご意見があろうかと思いつつ書き留めてみたが、本意は司法の在り方に対する問題提起とご理解いただきたい。
 事件の詳細まではともかく「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を覚えておいでかと思う。
 1988年11月三郷市で拉致、足立区で40日間に及ぶ監禁輪姦暴行、翌年1月に江東区でドラム缶にコンクリート詰めの状態で遺棄された悲惨な女子高校生の最後に涙した国民が多かった事件である。この事件は、4人の被告人すべてが15歳から18歳の少年だったが、筆舌に尽くし難い40日間に及ぶ残忍な鬼畜行為に少年法の在り方が問われ、また、週刊文春が実名報道をしたことへの是非ををめぐって世論がざわめいた事件でもあった。
 実は、あまり語られていないが、このうちの一人(少年Aとする)は出所後の2004年に監禁暴行事件の罪で懲役4年の実刑を受けている。彼は凄惨を極めた事件の判決による収監での出所後、反社会勢力に身を置いていた状況で先の事件を引き起こした。注目すべきは、この再犯時に自らが女子高生殺人事件の犯人だと名乗り被害者を脅していたことである。相手の恐怖心を煽る材料にかの事件を持ち出していたのである。反省の心など持ち合わせていないと感じさせられる話である。
 そして・・・忌まわしい事件から30年経った今月19日に2件目の再犯事件が発生した。川口市内の駐車場での揉め事がきっかけで相手の首を刺した元少年Bによる殺人未遂事件。すでに46歳になっている被疑者の30年間の私生活がどうだったかは分からないが、刃物を保持していた事実と、女子高校生被害者の遺族補償への対応に自宅を売却した両親の想い、さらには更生に努めた保護観察官の存在をないがしろにする行為等々深く考えさせられるものがある。なにより命の尊厳に対する精神構造が根底から変わっていないことを示している。

 近年、少年法の在り方や少年が犯した罪に対する報道の在り方、さらには死刑に対する賛否入り乱れた議論があるのは承知している。とくに死刑については世界的テーマでもあり、廃止、復活の歴史を繰り返すフィリピンでは、今年になってドゥテルテ大統領が復活法案を提出し、議会は賛成多数の現状にある。死刑存廃と少年法はもとより、安楽死など広く永遠のテーマとして問われるものは少なくないが、ことに、オウム事件の場合もそうであったように、凶悪犯罪における被害者遺族の想いに寄り添うことを大前提にするならば、死刑の存続と少年法のより厳格な法改正はあってしかるべきと考える。もちろん、少年にまで死刑を適用することに同意するものではない。
 いつ何時、我が身内が悲惨な被害者になるやもしれぬと考えると、犯人の年齢を問わず実際の事件の遺族の立場に思いを寄せるのは普通の人情である。殺傷事件や性犯罪は再犯の可能性が多いというのは定説に近い。犯罪の種類や中味内容といった度合いを再犯の可能性に結び付けた裁きがなされないと、30年経過しても次なる被害者が生まれることを今回の事件は立証している。

 イギリスで1993年に同国史上最も凶悪な少年犯罪と言われる事件が発生した。2歳の男子を連れ出し、鉄棒やレンガで殴り殺した上、事故死にみせかけようとして線路上に置いたというものである。二人の少年によるこの事件がイギリス社会を震撼させた最大の理由は、年齢がともに10歳だったということにある。
 無期懲役という裁定も、少年ということが考慮されて8年後に釈放となるが、釈放にあたり、改名させていたり、メディアによる報道の緘口令を求めるなど、彼らの過去を隠蔽することに神経をめぐらした法制の在り方が問われることとなった。なぜなら、二人とも薬物、万引き、ポルノといった犯罪に手を染めて再収監されている。つまり、残忍な初犯事件の悪夢の繰り返しが思い起こされることとなり、基本的に別名で人生をやり直すことは、当人への社会的制裁という観点において甘すぎる結果となったという見方がイギリスメディアに広がったのである。
 命の尊厳は被害者のみならず犯罪者にもあるのはわかるが、罪に対する代償はどこまで、どういった形で求められるものか・・・。たしかに難しい。
 このテーマを取り上げた小生の考えとしては、死刑賛成とか死刑推進という極論ではないが死刑の存続はやむを得ないと考えるののであり、少年法の改定を早急にすべきと思っている。
 若干、話は広がるが今の社会は、過敏過剰なほどに特定部分を見つめる方向にあり、それは息苦しいほどである。たとえば、ストーカー、パワハラ、セクハラ、電車内痴漢という犯罪の類いは、その実態を検証する前の段階で当事者の名が出るなどし、ある職業などでは抹殺に近い形で瞬時に手厳しい世論が待ち受ける。人として最も低俗な犯罪の種類ゆえ致し方ない面は認めるが、訴える側が無条件に真実であるとするならば、そこに問題はないのだろうか。人権に配慮することで人権を損なっていることはないのだろうか。私の知人に、混雑時の電車利用時には両手を胸にあてるか、つり革を掴むようにしているという人がいる。ある意味、怖くて面倒な世の中になったものだと言う。
 また別の部分では1億総幼稚化と言われるほど心の貧しさが問われる状況にあり、昔ながらの日本人気質の良さが失われつつある。

 
 すでに先月のことになるが、オウム真理教サリン事件にかかわる死刑執行があった。上川法相の判断に対しいろいろな角度からの評論があったが、宗教・思想という観点とは別に、事件の重大性と被害者遺族の心に寄り添う心情が普通であると理解された部分が多かったように思う。だからこそ、死刑廃止論が根強くあるのは重々承知しているものの、今回、この論議は短期間で終息しているように感じる。
 コンクリート事件から30年後に殺人未遂事件という重罪を再発したことに社会がどう応じるべきか悩みつつこの重いテーマを考察した。

No.3024 太陽を騙した行政

2018.08.24

 一昨日22日の晩、ドラマを観て久しぶりに涙が出た。「太陽を愛したひと」1964パラリンピック伝説医師の感動秘話というタイトルのドラマ。前宣伝をかなりしていたこともあって、ご覧になられた方も多かったことと思うが、実話に基づくこうした秘話は感動と共に説得力を持っているということを再認識した。障害者福祉にひたむきに尽くした人中村裕医師は数々の難局を乗り越えて東京五輪の前に7日間のパラリンピック開催を実現する。中でも、障害者自身の抵抗と家族の反対は心がくじけるほどだったと思うが、どんな場合にも、事を生む際には反対の壁に突き当たるものなんだなあと我ながら実感した。
「うちの子は見世物ではありません!」と、ビラ配りまでして訴える母親の言葉に、当時は押しつぶされそうになるくらいの切迫感を感じたはずだが中村医師は果敢に立ち向かった。かくいう小生も地域の先行きを考えて何かを!と思ってはみたものの、予想だにしないビラ配りなどの反対行動に遭遇した。結果、その気力を継続するにも期限が限られた状況では、事を控えざるを得ないことを今まさに体験している。しかし、その方向性には間違いはなかったと行動は別にして信念は持ち続けている。
 今でこそ、障害者スポーツは市民権を得て、企業広告にも彼らの頑張る姿が起用されるほどになっている。中村医師の「失ったものを数えるな!」という言葉は耳に残る印象深い名言であり、50代の若さで肝炎で亡くなった中村医師は、間違いなく社会を変えた偉人に違いない。
 信念とか尽くす行為とはこういう人のことを言うのだろう。

 ところで、残念かつ非常に腹立たしいことがある。この番組が載る22日新聞の最終面をめくり社会面に目を向けると、そこには地方行政による障害者雇用の水増しニュースなのだ。前日にも栃木県のことがあったが、この日は埼玉、長崎、佐賀、静岡、島根と松山市の5県1市が報道されていた。中でも、埼玉では教育委員会が教員として採用している492人に障害者手帳などの確認作業が必要だとされている。これでは国はもちろん、47都道府県1720余市町村の再調査をするべきだと思わざるを得ない。地方を指導する国でも文科省や経産省などの不正が相次ぐ状況だ。昨今、強く思うのだが日本全体に倫理観や道徳精神が希薄化していると感じるのは過ぎた考えだろうか。
 即刻、国会に特別委員会等を置き、こうした不正の防止法なども含めて検討議論をすべきであろう。まったく障害者を愚弄する話であり、福祉の実態に不正の疑惑がついて回る世の中では何をか言わんやである。それこそ太陽を騙した行政に他ならない。
 中村医師が草葉の陰で泣いている、いや憤怒していることだろう。

No.3023 熱かった甲子園、ありがとう!!

2018.08.22

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 炎暑灼熱のグランドで5日から繰り広げられた全国高校野球選手権大会。選手審判に大過なく無事17日間、数々の精魂ドラマを描いて完結した。
 昨日のブログには多くのご意見をいただきありがとうございました。概ね、ご賛同いただけたようですが、時代の変遷とともに変わりゆく部分もある程度認めざるを得ないのではないでしょうかというご意見に深く考えさえられました。
 さて、決勝戦・・・ただただ満腹の感動をもらったことと、今後の成長を楽しみにさせてくれたことに感謝と期待あるのみ。強いて言うなら、休養日に宛てられた準決勝戦前日までの3日間はとても過ごしやすい陽気だったが、準決勝戦と昨日の決勝戦は35度を超える炎暑に戻った。ここに、吉田君一人にマウンドを託す金足農業と、誰が1番を背番号にしてもおかしくない3人の投手を擁し、投手ローテーションを確立している大阪桐蔭の地力の差が出たのかもしれない。確かに桐蔭の打撃力も強力ではあったが、野球はピッチャー次第とよく言われる。160球目に150キロを超える球速を具現する吉田君をそうそう打てるものではない。ところが、桐蔭は連打連打で吉田君を攻略したが、吉田君の球はそれまでのバッターをえぐる球筋とはあきらかに違っていた。決勝戦の前日も休養日にすることは出来ないものかと感じた次第。
 数年ぶりの公立高校決勝戦進出に、秋田を中心にそれを応援する空気が全国に広まり、地元とはいえ桐蔭も戦いにくい甲子園の雰囲気だったと思う。しかし、桐蔭の選手たちはその強さが本物だったことを自ら示し、2度目の春夏連覇という史上初の偉業とともに再び頂点に立った。
 熱い甲子園も終わりを告げた。優勝校には申し訳ないが、準優勝校を秋田県民が迎える際の感動を少々お裾分けさせてもらうことにしよう。

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