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No.3039 沖縄知事選は小沢氏復活の序章?

2018.09.30

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 沖縄知事選は基地問題で国政に反旗を翻す左派連合の勝利となった。
 結果的に、玉城デニー候補自身が、選挙終盤で翁長氏の後継イメージを訴える戦略を繰り広げ、翁長前知事の弔い合戦化に持ち込んだことが功を奏したと言える。翁長夫人も当初敬遠していた応援を、選挙に入るやマイクを握る回数が増えていったという。
 また、本来選挙には中立であるべきマスコミも、沖縄2大新聞は辺野古移設に疑問を投げかける反政権方針を変えることなく、玉城候補支援に徹したようだ。小生は、この選挙が翁長氏が候補者であったら佐喜眞氏の勝利の可能性が髙かったと予測していた。その最大の理由は、翁長氏の健康である。見るからに衰弱していたが2期目への挑戦を明確にしていた翁長氏だった。それも選挙が近くなって翁長氏が亡くなってからは、勝つためにはとの思いから安室奈美恵さんの名前があがるなど、オール沖縄は苦戦が予測されていた。そこへ、政権打倒に燃える剛腕小沢が選挙を陰から仕切るところとなった。

 衆議院二人、参議院4人の国会議員6人で構成する自由党。衆議院議員は小沢氏と玉城氏の二人だけ。玉城氏は名護、沖縄、うるま3市を主体とする沖縄3区を選挙区として4期当選をとげた議員である。翁長氏が那覇を強力な地盤とする政治家だったことから、玉城氏にとっては強力な支援体制が図れる状況でもあった。ここに小沢氏の選挙戦攻略の糸口が生まれたと言えよう。
 たった一人の衆議院同僚というより配下が沖縄出身というのも一つの偶然ではあるが、小沢氏にとってまたとない出番となったのは間違いない。失礼ながら、佐喜眞氏に比べて玉城氏には洗練された都会派イメージがある。それが自由党という弱小政党にありながら4期当選という実績を誇る理由のひとつと考えると、知事戦出馬を表明した時点で勝負あったと言える状況だったのかもしれない。現代選挙にはそうした面も否定できない。
 玉城氏は、報道によると「自分は保守だ」と訴えていたという。したがって、国政で野党連携を図る小沢氏としては、立民、共産、社民といった左派政党幹部の沖縄入りに配慮するところとなる。枝野、志位、といった野党幹部の応援演説には玉城候補を同席させずに、野党幹部のそろい踏みは演出するという候補者不在応援の場づくりに撤したという。現代選挙は、推薦とかは形式に過ぎず、首長選挙には政党色は影響を持たないという投票結果が少なくないことから、こうした選挙戦もありと判断したのではないだろうか。とにかく共産党とのつながりが有権者に意識されないようにとは考えたのであろう。
 もう一つ、この選挙結果に与えた影響を考察すると、佐喜眞候補の辺野古問題を避けた選挙戦を展開したことがあると分析できる。今の沖縄にあって、翁長氏は、イデオロギーや主張の好き嫌いにかかわらず辺野古移設反対に、結果として命を懸けたという評価が可能で、そこに、その弔い合戦化を目論む敵陣営の戦略が見え見えであった。ところが、佐喜眞氏のこの問題を遠ざけた選挙戦は、果たして好感を持たれたであろうか。答えはノーだ。経済、教育、福祉もしかりだが、沖縄にとって最も重要な問題に触れない知事候補に何を期待せよと言うのか!自民党の支援を最大の武器にしていたとしたら大きな間違いであり、大切なのは問題に立ち向かう自らの姿勢だったはずである。 

 小沢氏が遠くで見守る知事ではなくなり、より至近に指示指導が可能な玉城デニー氏が新たな沖縄知事になったからには、今まで以上に安倍政権の沖縄苦難は続くことが予測される。沖縄に広大な別荘を構える小沢氏にとって、小沢氏が求める沖縄の安泰が玉城デニー知事によってどのようにもたらされるのか興味はつきない。普天間をそのままにはしておけない沖縄にとって、どういった解決策があるだろうか。尽きることの無い法定闘争にエネルギー費やす沖縄。こうした状況に拍車がかかる新知事誕生に沖縄県民は何を期待したのだろうか。しかし、県内の市町首長選では保守系候補の勝利が続いていることから、玉城新知事にとっても県政運営はいばらの道と言える。

No.3038 今の日本の政治に拘わる問題点

2018.09.26

 今日の急な冷え込みはどうしたというのでしょうか。長袖を着ていても腕が冷たく痛いくらいです。
 最近いただいたメールに「えださん、政治ブログがめっきり減ってるけどどうしたんですか。自民党総裁選にもまったく触れませんでしたね」というものがあります。似たような内容がそれ以前にも2件ほどあり、意識していたわけではないのですが、振り返るとそうかもしれないとあらためて感じています。
 自民党総裁選についてはあまりの凡戦に関心が今一つだったというのが本当のところです。と言うのも、石破さんの論戦の多くはもりかけを題材にした現職批判と党の浄化を訴える綺麗事が多く、まるで野党スピリットが乗り移った感じにしか聞こえませんでした。途中で支援議員に注意され静かになりましたが、終盤戦は批判への批判もなんのその・・・安倍批判に徹していました。今回の総裁選は日本の首相を担う人を、特定の組織(自民党)の議員と党員が選ぶ選挙でした。その裁定の対象は、経済、外交、安全保障、そして憲法でしたが、本は出版したものの石破さんの経済施策は具体性に乏しく地方から地方からの言葉が踊るだけで、いかにも地方党員票の掘り起こし戦術が見え見えでした。
 選挙後、石破さんが自身で善戦したと語ったことについて、麻生大臣がどこが善戦だったと言い放ったことに対して、石破さんは次のような内容に近い発言をしました。「あの(麻生)発言は、今の政権運営に問題を感じて私に投票してくれた、国家と党の未来を純粋に案じる党員に失礼な話だ」と。
 ならば、言わせていただくが、現職に投票した7割近い党員は、国家と党の未来に何も思いを馳せないで安倍さんに投票したというのでしょうか。
 そもそも、政権党の首班選択選挙にあって現政権運営を批判して喜ぶのは野党と反日マスコミです。こうした選挙では政策論争に徹するべきで、そこを石破さんは取り違えていたように思います。
 もとより、私は党や会派の移り変わりを、その時折の力の変遷にあわせるかのように渡り歩く政治家は信念無き政治家として肌に合いませんし、反面教師としています。

 
 今回の総裁選は、強力な現職に対抗する形で石破さんのなりたい思いが再度ぶつかったもので、新鮮味が感じられませんでした。しかも安倍さんの憲法改正に向けた強い意志表示に畏怖感を持つ野党は、石破候補の勝利を期待し、反日マスコミは私が感じることとして石破候補応援歌を上手に上手に奏でていました。そういえば、投開票日の18時から安倍総理の記者インタビューを見ていましたが、最後に指名された東京新聞の記者の質問は明らかに愚問でした。それが反日マスコミの実態であるかのように。
 政治記事については、ただ棒読みではなく、記事が有する裏の狙いを読み解かないと今の日本は総じてリベラル色に塗り替えられてしまいそうです。リベラルも政治の一片化を防ぐ意味で必要だと思いますが、とくにテレビ放映される時に限って政策論争を脇に置き、政権批判、安倍批判に終始する野党の姿は昔の社会党や民社党のそれとは似もせず非なるもので残念でなりません。

No.3037 2000,1000,10 &130

2018.09.22

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 昨日もそうだったが、今日も絶好の運動日和の予報となっている。たとえ屋内競技であっても天候の良し悪しは観戦側の気持ちにも影響するから秋晴れは最高のスピリットコンディションと言える。
 昨日は、スポーツでキリの良い数字が並んだ。なかでも、ロッテ福浦選手の2000本安打達成は私も待ちのぞんでいた。掛布さんやヤクルト現監督の小川さんが先輩にいる習志野高校からドラフト下位で入団した選手。ロッテ一筋苦節四半世紀に及ぶ到達。まさに人生コツコツといったところ。今年就任した井口監督が就任時に「福浦選手の記録には全面的に応援する」と発言し、もともと派手さと渋さが同居していた選手時代から好感度の高かった井口監督にさらに注目することとなった。元巨人の村田選手との境遇の違いに複雑な思いが残る。井口監督の起用は、シーズン当初は年齢を意識しての起用だったが、ペナントの行方が見え始めた頃の、残り8本くらいになってからはスタメン起用が目立った。なかなかまとめ打ちがない中、一本づつ大記録に近づくのも福浦選手らしかった。まずはおめでとう!

 次に1000だが、相撲界初となる幕内通算1000勝を成し遂げた横綱白鵬。これも大記録であり、無事是名馬でなければ達成できない記録だ。在籍時にどれほどのライバルがいるかもあるが、勝利への土俵に堅実な力士であることは疑う余地もない。ただ、この横綱には品格が感じられないのが残念である。高安戦の立ち合い不十分が何度かあってのあっけない勝負もそうだったが、昨日の優勝を決めた豪栄道戦も、先に早い立ち合いで待った!となり、次に自ら仕切りを送らせてお返しの待った。横綱とはどういうものかが理解できていないのだろう。寄り切りで土俵を割った相手に対して余分なひと突きで土俵下へ落す行為もいただけない。これで相手が足首でも痛めようものなら何にもならない。力士同士は同僚と言うのがこの世界の在り方のはずである。大鵬や千代の富士にはこうした立ち合いが無く、しっかり相手の突進を受け止め、勝負がついた後は相手への気配りをする部分があった。それが最高位に位置する者の威厳というものだと思う。まだ続く土俵人生だろうが、人として、横綱としての人間精進を心がけてもらいたいものだ。さすれば記録もいっそう光り輝くことであろう。

 さて、10である。全米オープン以来負けなしの10連勝。大坂なおみ選手のプレーぶりは強烈な印象を与えている。一人のアスリートが突然のイメチェンをしたがごとく圧倒的な力を発揮するようになる例は、過去を探ればないわけではないと思うが、大坂選手のそれは並みの内容ではない。プレーにいわゆる切れを感じる。体格も充分のものがあるが、まだ20歳。過去の名選手を思い出すと、エバート、ナブラチロワ、ヒンギス、ビーナスなど全盛時には体格が安定していた。つまり太ることがなかった。ハードスポーツであるテニスはフットワークがなにより求められる。20歳の大坂選手にはまだ大好きな抹茶アイスクリームをいくら食べても太ることはないと思うので、まさしくなおみ時代が到来することも夢ではない。応援し続けたいと感じさせるチャーミングなアスリートである。

 さて、最後に・・・内輪の話で恐縮ですが、昨日の夕方家内の☎が鳴った
大きな声が私にも聞こえる。「ばばちゃん、私輪島まで走ったよ!」
 実は、昨日石川県のイベントとして定着しつつある金沢・輪島ロードレース大会が開催され、そこに二男とその6年生になる孫娘が出場したのだ。親二人も、私らも完走は難しいだろうと思っていたのですが、なんとなんとでありました。☎を変わった瞬間「でかしたぞー!プレゼント買ってあげなくちゃいけないなー」・・・返ってきたのは「ヤッター」であった。本人はヤッタ結果以上にプレゼントが嬉しいようで、子どもとはこういうものかである。しかし、距離と時間を聞いたら驚いた。130キロを9時半出発で時間切れ寸前の18時半ころトウチャコしたという。まさによくヤッタである。子どもはこういうことがきっかけで心の成長をしていくものかもしれないとほくそ笑む自分がいる。思い起こせば、埼玉県親子マラソン大会というのがあって、二男と出場したことがあった。テレビ埼玉でも放映されたビデオを探し出してみよう。

No.3036 3034の踏切はどこ?

2018.09.21

 前々号で紹介した昭和26年ごろの幸手市内のある踏切地点。何人かの方が回答のみならず古き幸手への思いをお寄せくだいました。ありがとうございます。
ファイル 945-1.jpg 幸手を走る鉄道は東武線一本です。踏切は幾つもありますが、ポイントは深い森と丁字路だと、察しの早い方はお分かりになるのでしょう。
 今現在の写真を掲載しました。権現堂西のはずれ行幸橋南地点の国道4号信号から高須賀池方面に進むと、現在は東武線が高架化されており、道路はアンダーパスになっている場所。行幸地区高須賀が古き幸手との合致地点です。
ファイル 945-2.jpg №3034でも書いたことですが、私はなにより踏切の表示板と歩いている人の着ているものに関心を持ちました。「戦中は外国語表記や呼称がこととごく廃止されていましたが、戦後、GHQの占領下でこうした地方にも英語表記の表示板が使われたんでしょうかね?」と貴重な写真を提供してくれた方に伺ったところ、近未来の幸手に不安を隠さないものの幸手を愛してやまないこのご老人曰く「断定は出来ないけどおそらくそうでしょうね。検閲の厳しい戦中にこの表記があったというのは・・・ちょっとそれは考えにくいでしょ」と。確かに! 
 会うたびに「枝久保さん、私はもう長くないから色んなことを整理しておきたいんだけどなかなか出来ないでいるんですよ」と言うのが口癖。偉ぶらないほっこりとした語り口や物腰は、老いた人の在り方として尊敬しており、町田市政時に金婚を迎えた奥様とのやりとりもほのぼのとしていて、時折訪ねて共に過ごすのが最高に楽しい時間です。
ファイル 945-3.jpg 話を戻してと・・・歩く人のファッションはどう見ても和装に見えます。そこから勝手に推測してしまうのは、この人は農業に従事する方ではないかと思うのですが、当時は地域によってまだ洋装より和装の方が多かった時代だったと思うので確かなことは言えません。はたして誰なのか・・・それはわかるはずもないことですが、古い写真は見る者の心を当時へ限りなく誘うものです。ファイル 945-4.jpg
 
 

No.3035 校庭貯留システムの功罪

2018.09.19

 昨夜の豪雨、間違いなくゲリラといった様相で特定の地域を襲った。今朝、近くの西中、長倉小、行幸小の3つの学校を見てきた。たしか、西中と行幸小は雨水貯留浸透対応の校庭(校庭貯留システム)に小生の市議時代に変わっていると記憶している。今朝の行幸小は半面以上が池のようで、もしも今度の日曜日にイベントでもあろうものなら縮小化もしくは体育館を使用しないと不可能と思われる状況であった。西中は校庭北部が泥水化しており野球部の部活が数日は不可能な状態か。今日以降の天候にもよるが、生徒たちの活動がままならないことは容易に理解できる。それに比べ長倉小は小さな水溜まりが数カ所あるだけで使用に関しては今日でも問題ない。この雨水貯留浸透システムは条例を設けて導入する自治体が全国的に増え、豪雨対策として脚光を浴びた時代があったが、実は、いまでも賛否両論あるようだ。

 行政の豪雨対策を考えるならば、人口が減る傾向に歯止めがかからない状態で新築家屋は増え続けている。新築家屋の増加は市全体の雨水浸透対策を低減化させていることは間違いないが、法の範囲において住宅業者へのミニ開発許可はほぼ通過となる。ミニ開発には調整池造成の義務付けもない。土地を手放したい地権者が多いこともあるだろう。
 校庭の豪雨対策利用で子どもたちが校庭を使えなくなる学校行政との対比ではどこか矛盾があるように感じられてならない。教育行政の観点からすればいかがなものか。学校によって差があるというのも考えさせられる。
 新築と変わらぬ率で増えているのが空き家であり、使用に供することのない空き家を解体すれば雨水浸透力は増すが、解体費用や税金対策など各種問題もあってか空き家の解体はほとんど進まない現状にある。行政の強制代執行も空き家対策法によって認められてはいるが、これにもいろいろあって思うようには進まない歯がゆい現状にある。
 こうした観点から、幸手市のみならず人口減少化が進む地域の豪雨洪水対策はほとんど進んでいないというのが実態ではないかと感じている。

No.3034 あれから70年の幸手

2018.09.17

ファイル 943-1.jpg 足掛け15年、3000回を超えた小生のブログですが、「えださんのブログは長文で読むのに一苦労だよ」と言われることがあります。たしかに気合が入るうちにそうなる面があるのは自分でも認めます。
 そこで、おそらく過去最低の文字数のブログになると思われる今号を!
 さて、掲載の写真は昭和26年ごろの幸手のある場所を写したものです。特徴的なのは、英文の踏切表示でしょうか。なつかしい方もいらっしゃるのでは。
 読者の皆さん、どこだかわかりますか?

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