今日、幸手地区地域安全大会と同暴力排除推進大会が幸手市北公民館で開催された。前者は24回、後者は20回目となる恒例のイベントとして統括合同形式で行われている。
最近のことでは、幸手市で殺人事件が発生するなど住民不安が増す実情にあるが、より身近な話として常に気持ちが向くのはお年寄りや子どもの安全である。今号は、今日のイベントとの関係で子どもたちの安全について書くこととした。
子どもに向けられる現代社会のリスクは年々増加しており、加害の対象は親まで含むと広範囲である。子どもたちにはおおらかでゆったり育ってもらいたいと誰でも考えるところかと思う・・・がしかし、そうした子どもたちのおおらかさや純粋さにつけ込む大人はいつの世でも存在する。
今日の大会で配布されたパンフレットには、子どもたちを守るために私たちが出来る日常的な対応が書かれている。日頃心がけているつもりではいるものの、改めて自らに自覚を促す内容である。出会いの瞬間、お互い笑顔で挨拶するのが日常になっている地域には犯罪が少ないという。
記事一覧
No.3045 子どもの安全
No.3044 議員定数にまつわる話
沖縄県与那国町で議長が決まらない状態が1ヵ月近く続いているという。議員数が10名で、町長与党と野党が5名づつに分かれていることから採決権のない議長職をどちらも拒否しているというのだ。投票で決まるたびに辞退するという状況が続いている異常事態。これでは議会が機能しないのは当然である。他の近隣自治体との連合協議の場に出ることも出来ない。議会も議員も何のためにあるかという嘆くべき事態だ。議員定数削減も功罪いろいろあって、市民感覚では減らせの意見が多いのだろうが、減らしすぎにも問題はある。それは別にして減らす場合にも奇数の定数にしておく方が与那国町のような問題にはならないし、それが一般的ではないかと思う。西のはての小さな町のことではあるが、どこに限らず、議会とは言うのは優位性にこだわってあれこれ揉めるところである。
さて、埼玉県議会でも議員定数をめぐって綱引きが続く状態となっている。自民党県議団と上田知事執行部との前回選挙戦から続く因縁も気になるところだが、自民党県議団と野党会派との意見対立が続く議員定数削減及び選挙区削減の攻防も選挙の前哨戦的な位置づけとしてお定まりとなっている。知事と自民党の軋轢はいつかは落ち着くであろうし、また、そうあってほしい問題である。いろいろな人から「いったいどうなっているんだい?こんなのいつまでも続けていていいとは思わないけどな」「自民党県議団はどこまでやれば収まるのかね」といったことをちょくちょく言われる。議会運営上、知事と最大会派の泥沼状態が長く続くと、こういう考え方が主流になってくるようで、これが県民の一般論になりつつあるように思う。上田知事もかなり強気な方のようで受けて立つからややこしくなる。自ら制定した条例破りを認め、了解を得る行動をすべきだったのだが、もはやそれで収まる話ではないようだ。
議員定数の削減については、野党が提案する内容には自らを利する思考が見え隠れする。野党は「コスト削減と身を切る改革」を前面に押し立て、県民の気持ちをそそる戦略を前面に押し出す。いわゆる建前である。しかし、その狙いは別のところにあるのははっきりしている。たとえば、東3区の定数を2から1にというが、ここは自民党県議団の領袖とも言うべき重鎮がいる選挙区である。上田知事に対する県議団のスピリットの権化とも言うべき大物議員に引退を示唆する目的が垣間見られる。実際、それが真意と考えられる。
また東1区と2区を合区にし、定数を2にするというのは、現在どちらも自民党議員が長期に独占している議席なので、複数区にすることによって1議席を確保しようと画策しているのは間違いない。そして、この1区行田にも自民党県議団で議長・団長の経験者かつ県連の幹事長という要職にある議員の存在に的を絞っていると推測する。
これと同じく、さいたま市に10区ある選挙区を一気に5区に絞り、それぞれ定数を3にするというのも、定数に変化はないが複数区を増やすというのが野党にとって有利に働くことを意味している。つまり、小選挙区を中選挙区にすることによって野党議席を増やせるとの狙いである。これらを称して「民意を広く反映させるため」と理屈付けているが、要するに、自民党県議団の過半数獲得を阻止するための議会改革なのだ。
確かに、上田知事に対する執拗な議会対策は、そのたびに新聞報道となり、小生の周りでも「自民党はいい加減にした方がいいよ」とか「嫌がらせもここまでやると逆に良くは思われないと思うがな」といった考え方が広まっていることは無視すべきではない。なにより、知事選への対抗馬を出せない状況は自民党も県民に対して訴えかけが弱いのであって、抗争をよく思わない声には耳を傾けるべきだろう。小生の所属政党であったことから常に動向が気になる自民党県議団ではあるが、なにより県民の立場にかえって思うのは議会の正常化である。過半数の論理を駆使しすぎるのは果してどうだろうかと思わずにはいられない。過半数とは重要ポストを確保するということがまずはあるのだから、あとは大人の対応として議会運営をリードすることが県民が求める議会ではないだろうか。
半面、上田知事に対しても根強い批判はある。4期目は結果的に許されたが、5期目は県民の支持が強いとか首長たちの支援もあるといった4期目と同じ理由は通じないという声が少なくない。だからこそ、自民党県議団はルールに則って上田知事に対峙を続けているのだろう。
それにしても実現性のない野党の定数削減案もいただけない。話は繰り返し前後したが、議会の正常な運営と機能は永遠の課題にしてはいけないと考えるが、いかがなものだろうか。。
No.3043 マスコミ報道を深く読み解くと
ようやく秋らしさを感じる陽気となり、赤とんぼの浮遊とともに木々も華やかに色ずく頃と相成り・・・いやいや、台風の影響で千葉や神奈川では木々の色ずきに変化があるという。潮風による塩害で銀杏などの街路樹が紅葉を魅せることなく枯れているらしい。鎌倉など観光地ではそれが顕著な状態だとか。自然災害とは人の生活だけではなく、季節の楽しみまで奪い、おそらく経済的にもそれなりの損失を生じることになるのだろう。
さて、しばらく前の新聞記事だが、まずはお読みいただき何を感じられるだろうか。今や、告発リークはもとよりメディア自体によるフェイクニュースが溢れる時代。ことに週刊誌のスキャンダルもどきの編集方針に違和感を持つ方は少なくないと思われる。
添付の記事は埼玉県内の、いわば地方版記事だが担当する記者により、もしくは取捨選択するキャップのセンスで当事者の取り扱いはいかようにでもなるという分かりやすい見本ではないかと思う。
川越市議の発言はかなり具体的な形で掲載されている。この記事内容ではセクハラは疑う余地もない。議員の矜持や倫理観のかけらも感じない人間性が浮き彫りの記事内容である。問題はそれ以外にもいくつかの問題を投げかけている。
ひとつは、市議らの懇親会で参加者がこの市議の隣に座るよう女性に進言したとする部分。市議の多くがセクハラ市議にヨイショしている図が見える。しかも立場を利用した女性蔑視かつパワハラでもある。議会内の上下関係も感じさせるが、実際、規模が大きい議会で大人数を要する会派ではそうした傾向が無くはない。議会とは一種独特の世界であり、その空気がよめないと長生きは出来ない。私はそういう部分にどうもなじめないというかスジの通らないことへの許容性が足りないと自覚している。
次に、このセクハラ問題は女性側が市議会に厳重処分を求めたのであって法的措置に訴えてはいない。逆に言えば、議会の清新さと浄化を求めているように感じられる。法に訴えれば市職員として居ずらくなることへの思慮が働いたのだろう。かくいう議会とはそうしたものと思われても仕方がない面がある。
県議と県職員の兼ね合いは、身障者水増しで大きな汚点・失態を見せた教育委員会に対して、いわば場外で厳しい追及とお咎めをしたものと推測している。教育部門の実態としては全国的に特に埼玉県が目立つところとなったのでやむを得ないとも言える。がしかし、この議員をよく知る小生としては、熱血漢がゆえの行き過ぎ、またはパフォーマンスが過ぎた結果と感じないではない。
配慮を欠く発言と記事にはあるが、いったいどんな言葉を職員に発したのだろうか。思うに、より配慮すべきは職員の日常の生活への気配りであるべきなのだ。深夜まで7時間にわたる追及など絶対にあってはならない。彼は少々血気にはやる面があるタイプなのだが、これが記事になったこと自体に若干の驚きを感じる。職員もよほど腹に据えかねたのだろう。
その後、この県議は知事に面談し詫びを入れたのだが、そもそも「無所属改革の会」は上田知事側に位置する会派で、この県議自体も知事支持派の議員であることから、心底から教育委員会の失態に我慢ならず強気な対応に出てしまったものと思う。議員は行政の怠慢や汚点に憤怒する場面があるにせよ、職員との接し方には大人の配慮が出来るようになってもらいたいものだ。
正智深谷高教諭 部員に体罰・・・女子バレーボール部員が至近距離からボールを投げつけられた。「出ていけ」とか「何やってんだ」などの言葉を浴びせられた。さて、どうだろう。これが体罰と認定されて減給3ヵ月の処分になったという。小生の想い出の中には、これと同じことはいくらでもある。我が子のスポーツ少年団でもこれ以上の罵声を浴びている現場にいくらでも出くわした。今でもこれは変わりないと思うがどうなのだろうか?
ニチボー貝塚で鬼の大松と言われた大松監督は、どんな思いで天国からこの事件を見つめているだろうか。
これでは、部活の監督やコーチなどやりたくなくなるのではないだろうか。
この記事を読んで気になることは、部員以外の生徒から学校側に相談があったという点である。それに対する学校側の対応もおどおどしている風がうかがえる。つまり、学校運営者の立場にある者にとって不祥事は真っ平御免なのだ。したがって、訴えがあった時点で保護者父兄が騒ぐ前に穏便に早期解決を図りたいとの思いが働き、メディアの問いにも撲滅といった表現まで出てくる。記事にはしてもらいたくないところが記事になってしまったのだろう。
私立高校の運動部はまず県のレベルでしのぎを削るものだ。ライバル校を意識して、追い越せ追い抜けで監督コーチは厳しく指導にあたるものだが、そこから出てくる前述の発言がダメだと言われたら、さて?
ここまで書いてアーティスティックスイミングと呼称を変えたシンクロナイズドスイミングの井村監督を思い出した。言いたい放題で選手を指導している方だが、最近変わったのだろうか?
いずれにしても、アマチュアスポーツ界のパワハラ・セクハラが問題になっているが、マスコミの報道の在り方が世間の過剰・過敏さに拍車をかけているように感じられてならない。政治に対するマスコミの対応も含めて、記事に踊らされないようにしたいものだ。
No.3042 消えた由伸スマイル
昨今、日々の気候に関して恨めしく感ずる言葉が口をついて出る。10月に入って30度超えどころか34度だなどと聞かされると、その瞬間にどっと疲れが出る。今日は全国的に運動会や地区民祭が開催されることと思うが、熱中症対策が問われる事態である。やれやれと感じるのは誰しもに共通する思いかもしれない。
さて、巨人の由伸監督が辞任した。当初、オーナーの続投発言もあったが、裏では由伸監督の辞任決意を待っていたという話もある。傷をつけないためということのようだが、巨人の体質はそういったものだろうと思っているから、取り立てて驚くこともなかった。そもそも、巨人大好きとは言え、フロントの運営方針については昔から好感度は低い。
勝手な推測でしかないが、選手起用を中心とした試合の采配は監督に委ねていたとしても、トレードや外国人選手の獲得など、チーム力の根幹となる方針についてオーナーが相談するのは、香取GMではなかったかと思う。それに対して、監督は自らの考えを主張するだけの権限を与えられていなかったのではないだろうか。一例として、昨年のホームラン王ゲレーロの獲得、不振を原因とする監督との対話不足が話題になったが、由伸監督がゲレーロを欲しがったのではないことがうかがえる。ひょっとすると、村田の放出も監督の方針ではなかった可能性もある。自由契約扱いにしたことも、今思えば・・・である。
3年間の監督時代、心底からの由伸スマイルは影を潜め続けた。インタビューしかり、ベンチ内での表情も由伸自身が楽しそうに見えないのだから、見る側が野球は楽しいという思いになるわけがない。由伸の選手時代は、プレーはもとより表情一つにしても私たちを高揚させたものだ。徹底した初球打ち、綺麗なほどのレベルスイング、果敢なダイビングキャッチ、そして由伸スマイルは巨人の顔そのものだった。
選手時代の最後5・6年間は原監督の起用も安定的ではなく、劇的守備がもたらすケガが多かったせいもあり、全盛期に程遠い年月が続いた。得点圏打率の高かった由伸を一番に起用したことも批判の対象になった。これについては、由伸の坂本一番起用も小生は感心しなかった。2000本に247本足りなかったが、ケガが無ければ2500本くらいに積みあがっていただろうし、1000打点にはわずか14足りない結果に終わったことも心残りだったことだろう。選手続行を決めたいたところをフロントの要請で監督に就任した。
堀内氏に続く優勝経験のない監督になったが、残念ながら、これは2度と監督として招請されない可能性を思わせる結果である。
ところで、ホームラン王になり損ねた因縁めいた過去を覚えておいでだろうか。2007年のシーズンのこと、由伸は35本打って当時横浜の村田と並んでおり、両者ともにホームラン王と予測されていたが、横浜の最終戦となった広島の佐々岡信二投手の引退試合の9回に村田が36本目のホームランを打って由伸はホームラン王という栄誉を生涯獲得することは出来なかった。人生とはそんなものかもしれない。
原監督の復活・・・小生は原さんの采配にさほどの期待感はない。なぜなら、どちらかというと広岡、森系統に通じる采配に醍醐味を感じないからである。勝てば官軍なのだが、プロ野球の面白さとは堅実な采配以外にもあると感ずるからである。
まずは香取GMとの関係が問われる。年齢からいって由伸監督よりはモノ言える立場には違いないが、権限の強弱がもたらす不協和音が生じれば、選手補強でももめることになる。ゲレーロはどうするのだろうかなどなど。
高橋由伸前巨人監督・・・心身ともに疲弊したことでしょう。3年間の疲れを癒して由伸スマイルを復活させてください。
No.3041 幸手市公民館設置及び管理条例
さて、掲題の条例は昭和39年に発布された幸手市条例第24号です。なぜ、これをブログの対象にしたかということなのですが、今、この中に示されている内容と実態の乖離に関係して、多くの市民から怒りの声が出ているということです。
どうしてか? それは、次のような条文が原因の元になっているようです。
第4条(開館時間)
(1)月曜日から土曜日 午前9時から午後9時30分
(2)日曜日・祝日 午前9時から午後5時
この(2)について、通常、こうした施設の利用に関しては、各種事情をふまえれば、日曜日の利用が利用効果もしくは利用価値からして最大であるのは自明の理です。にもかかわらず、閉館時間が夕方5時という、夏ならまだまだ明るい時間帯に閉館時間が設けられているのです。
しかしながら、これまでの使用の実態は、小生にも覚えがありますが、7時程度まではなんだかんだ使用出来ていたと思います。後片付けなど考えれば、実際はそれでも足りないというか慌ただしいというのが使用する市民の感覚だろうと思うのです。
ところが、この期に及んで行政からはこの閉館時間を守るように、しかも後片付けの時間を含むとのお達しが為されたというではありませんか。
こうなると、公民館とはいったい誰のために、何の目的で存在しているかということになるのは当然で、市民が怒るのもわかる話です。
お隣、久喜市では同様の条例ですべての公民館は曜日に拘わらず午後10時まで使用可となっています。ただし、午後5時半以降の使用料金を割増制度にしています。これも行政としての工夫と理解できます。
また杉戸町ではやはりすべての公民館は午後9時半まで利用できます。
つまり、公民館は誰の為でもない!「市民の為」にあるわけですから、肝心の日曜日の利用が午後5時で終わりですよというのは、本末転倒も甚だしいということではありませんか。たとえば、北公民館はせり上がりの客席が450席分ほどある立派な公演会場の体裁を有しています。宣伝をして客を呼び込んでイベントを企画しようにも夜の使用が出来ない公演会場ということでいいのでしょうか。
こうした施設は稼働率をあげてなんぼという考え方が世の主流です。ゆえに市民が主役で稼働率を上げてもらおうという主旨ならまだしも、実態はその逆というのでは、行政自体が何のために存在しているのかというレベルにまで騒動は発展しかねないでしょう。なぜ、後片付け時間迄入れて午後5時で使用を打ち切るというのか・・・どう考えてもその理由が見当たらないのです。そこで働く職員のため? 管理部門は教育部局だと思いますが、ここは徹底して協議検討の上、市民本位の形に条例改正も含めて検討していただきたいと思います。
実は昨日、11名中10名が参加して第3回幸手市代表区長会が開催されました。市民協働課が主催ですが、発言内容にしばりがあるわけではないので、この公民館問題を事前に知っていれば問題提起も出来たのにと少々残念な思いがしています。この問題を聞かされたのは夜になってからでしたので。
ともあれ、全国津々浦々日曜日の公民館が午後5時で閉館という自治体があるとは思えません。
No.3040 記憶にないような強風が
前夜23時頃から2時間近くかかった前号を投稿する10数分前から猛烈な風が吹き始めた。この風音はこれまで生きてきて記憶にないほどの威力である。無音の状態が数秒続くものの、この静かさが長く続いてくれ!と思たのもつかの間、木々をなぎ倒してもおかしくないような強風が家々にぶつかっている。明日は我が身を災害の対処精神に掲げる小生としては、対処のすべがない我が家の屋根や窓ガラスの無事を祈る感覚になっている。
地域全体では大雨が心配されるが、昨日は、幸手市役所でも当番制のような形で職員が休日出勤をしていたという。今この時間はどういった対応を図っているのだろうか。
市長はどのような状況にあるのだろうか? 基本的に役所だろうが自宅だろうが、行政職員は市長を頭として緊急事態に向けて対処の構えでなければならないはずだが・・・。
すでに日付は10月に変わっている。今日は大安、大きな被害がないことを願う外の状況にいつのまにか眠気が覚め、今や寝るに寝れない。今テレビでは茨城に竜巻情報が・・・安全確認をのテロップが流れるがこの時間、この風ではどうすることも出来ないし、身の安全の確保と言われても、家の中にいるしかなく、外にいる人が心配ではある。関東各県の被害や停電現況とともに、風速が50メートルの可能性をアナウンサーが伝えている。いやー、この風の強さは心臓に悪い。