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No.3087 子どもへの想いと乖離する大人

2019.02.10

 一夜の雪、予報ほどには積もらなかったものの冷気の強さはかなりのものがありますね。昨日は所用で3年ぶりに渋谷に出向きましたが、気温表示の電光板は1℃を示していました。都心でこれですからまさにしばれるといった感じですが、北海道各地の-30℃という気温にはまったく実感がわいてきません。昔、凍ったバラが粉々になるというコマーシャルがありましたが、そんな感じなんでしょうね。

 さて、冷たいという表現に人の心が拘わると世の中が寒々しくなってきます。野田市の虐待事件報道がやみませんが、ことに児童相談所の役割がクローズアップされています。
 つい最近、港区南青山で児童相談所建設問題で行政と住民のやりとりがありました。また、住民間による意見の食い違いも明らかになりました。驚くべきは建設反対派住民の思考です。
◆ブランドのメッカである青山に傷がつく
◆地価が下がる
◆子供が騒ぎを起こしたら近所迷惑だ
◆事業費が高額過ぎる
 さらに酷い差別意識も・・・
◆一流ブランドのファッション店があるから万引きが発生する
◆この地の小学生は、塾やお稽古事に通っているから疎外感を抱く
◆非行少年の脱走に対処して、自警団を作って正当防衛をしなければならない
逆に、賛成派は・・・
◆昔からここに住んでいる人は、ここが高級地とは思っていない。
◆学校もとくに名門校が揃っているわけではない
◆日常品の買い物も不便
◆南青山ブランドとは、最近住み着いた人たちの独りよがり
 賛成派の意見に少し救われる思いがしますが、このように「子どもは宝」という言葉が軽く感じられてならない社会通念が存在しているのです。あえて社会通念と言うのは、同様の問題は大阪でもありましたし、幼稚園建設計画に際し、うるさくなるからと反対する住民運動も各地で発生しています。発達障害児などの面倒を見る施設でも建設地の選択では苦労するという話を聞いたことがあります。こんな世の中で少子化問題が解決するのでしょうか。子どもを産みたくないと女性が感じるようになったらどうするのか。
 指摘したいのは、政治うんぬんの前に人の心が寂し過ぎる社会を問いたいですね。政治だけで解決できるわけがありません。ゴミ処理施設や火葬場的発想を児童相談所にも芽生えることが理解できません。ましてや、児童相談所を少年院と勘違いしているような意見には耳を疑います。
 意外にと言うか、案外に表向きの正義感や綺麗事が横行している世の実態は、この冬以上に冷たいという思いがしてなりません。児童相談所の職員の能力にもかかわりますが、相手に暴力を振るわれる段階では、警察との連携を深めるために、警察出動依頼を相談所の義務行為に加えるくらいの法整備を早急に図るべきです。
 増える一方の児童虐待はとうとう8万件を超えた状況で、相談所職員の苦労は相当なものがあります。表に出た野田市の事件だけで判断するべきではないと思います。また、国連をはじめ世界から批判が集まりつつあるこの問題に対応するには、相談所に採用する非正規職員を警察退職者から採用するべきではないかと。それが暴力的親に対処する防衛策にもなるものと考えます。
 南青山住民のことばかりではなく、エキセントリックでヒステリックな冷徹身勝手論理が無くなることを願うばかりです。難しいでしょうけどね。

No.3086 悲しい虐待心理と女性の悲劇

2019.02.05

 当ブログが栗原心愛ちゃんの虐待事件を綴ったのは今月1日のことでした。その後、これまでにないほど毎日のようにメディア全体がこの事件を報道し、昨日は心愛ちゃんの母親が逮捕されました。いわゆる、夫の行為を見て見ぬふりをしていたことが傷害罪にあたるということですが、母親の供述に驚かされるものがありました。
 「心愛が暴力されているうちは、私は暴力されないと思った」
 過去の虐待事件でも、止めれば自分にふりかかるであろう母親が持つ心理的恐怖は容易に想像はつくことで、今回の事件をきっかけに、虐待暴力の実態の本質にはいろいろな意味で母親側の人間心理が渦巻いていることがわかります。
 今回の千葉県の例では、暴力亭主の職業等詳細が不明で、過去の事件と照らし合わせるには情報が不足していますが、夫婦の年齢差が10歳あり、心愛ちゃんの妹が1歳というのがなんとなく目をひきます。そうした中で実父が実の子を虐待したというのも多くある例と異なり特異な虐待事件と小生は受け止めています。


 母親が虐待の主になる事件もないではありませんが、仮に、継父を含む父親の非道なふるまいを前提に母親の交錯する心理を描写してみると、止めれば火に油をそそぐことになるとか、止めれば自分に火の粉がふりかかるという空気は感じて当然だろうと思われます。日常的な我が子への虐待に、離婚を考えたにしても、子どもをおいて分かれるわけにはいかないし、暴力的な亭主が許すはずもなく、家出すれば追いかけてる可能性もある、生活維持の面で現実的ではないなど、出口のない現状に苛まれる日々なのではないかと思います。
 DV家庭における女性の立場とはこれほどまでに弱く、追い込まれた状況にあるわけで、外では勤労者としてかしこまった夫のジキルとハイドの実態に苦しんでいる女性はまだまだ多く存在しているのではないでしょうか。ましてや、働かず亭主であればなおさらです。実際、こうした状況にいたたまれず親子心中した例も少なくないのではないかと思えるほどです。
 現代社会は、ことさらに女性の社会進出を叫び、尊ぶ声が強くなっていますが、女性が子供を産み育てる過程で人間らしい暮らしが出来ない実態があることに早急な社会施策を考慮すべきだと強く感じます。
 麻生副総理の発言は、産めないとか産みたくないといった理由には、その女性の人生にかかわる深い事情があることへの配慮が足りないと思いますが、少子化は現実の問題でもあるので、社会進出という意味も大切ですが、その前に女性の母親がゆえの社会的地位に配慮した世の中になってほしいと思います。そういう意味で、心愛ちゃんの母親は逮捕されてもやむを得ないとは感じるものの、被害者としての一面もあると思えて仕方ありません。各方面の報道から感じる話とご理解ください。

No.3085 進まぬ虐待防止

2019.02.01

「ひみつはまもりますから、しょうじきにかいてください」 
 これは、千葉県野田市で発生した栗原心愛ちゃんが通っていた学校が行ったいじめに関するアンケートに記載されていた一文です。これを信じ、辛い毎日に明るい陽射しを見出そうと心愛ちゃんが書いたのは、学校内のいじめではなく、父親からの虐待を訴えるものでした。
「お父さんからぼう力をうけています。・・・。先生なんとかなりませんか」
 これを読むだけでも胸がつまってしまいます。この訴えがまさか父親の更なる逆鱗にふれることになるとは心愛ちゃんは知る由も無かったでしょう。
 この事件の経緯の詳細はメディアが伝えていますし、昨夜はNHKのクローズアップ現代でも取り上げていました。

 
 1ケ月間の一時保護をした児相が、その後の家庭訪問を一切しなかったことも問題ですし、アンケートを親に渡した教育委員会の安易な対応はさらに問われます。子どもにも個人情報に拘わる事案があるということを示すもので、特に、親に知らせてはならない子どもの個人情報という点が特異な事件と言えます。「ひみつはまもる」という認識は誰を対象にしたものなのか? いじめのアンケートに家庭内虐待のことが書かれるとは思っていなかったのでしょうが、いじめも虐待も現代社会に根付いてしまった広義のいじめであることは間違いないのです。教育者たるもの、その理解ができていないことがそもそもの問題です。
 教育委員会の苦しい答弁状況を見る限り、副市長も教育長も毅然とした感じではなく、詫びる言葉に文章を読んでいる教育長にはがっかりさせられました。文章を読むことでは心からの詫びとは言えません。まして教育者ですからなんともお粗末としか言いようがありません。
 また、指導課長の説明には憤りを感じますが、厳しい親との対応に苦慮した際の心情を吐露する姿に複雑な思いもした次第です。通常、教育委員会と現場教育者は人事異動がつきもので、おそらくこの課長は校長職を経験者している方だろうと思いますが、まじめさが垣間見える人柄ではあっても最終判断が恐怖感にもとづく方向に向かってしまったことが悔やまれます。人が恐怖に襲われた時にとる対応によってどんな影響が周囲に起こるか・・・恐怖の種類にもよりますが難しい問題です。

 29日に、いじめ防止ネットワーク会議という集会に出席しました。前号でブログを書いた後のことでしたが、今回の虐待事件も含めていくつかの質問を投げかけましたが、言葉を発してもどこかむなしさが残るのは、子どもを護る社会のシステムが遅々として進まないという忸怩たる思いが根底にあるからです。これまでは、とくに警察と児相の関係に焦点が当てられていましたが、教育現場と事務派までが子どもの命にかかわったことは、より虐待防止のネットを網羅する必要があることを示唆しています。
ファイル 994-2.jpg 平成24年県議会6月定例会における一般質問で、添付のような質問をしました。30分の中でいくつかの質問をする関係でだいたい1000文字前後でまとめざるを得ません。したがって、深堀した内容にはなっていないと自覚していますが、今でもこのまま質問しても通用する内容とも思います。その後、29年に第26号県条例として埼玉県虐待防止条例がようやく施行されました。しかしながら、なんら世の中の子ども虐待は好転していないのです。この時、事例にあげた春日部市の例も今回の心愛ちゃん虐待死に重なって感じられてなりません。

 今回のように、親が暴力団的資質とは異なる、理論理屈に長け、法を持ち出す言葉の脅しを駆使する人物ですと、児相も教育委員会も対応に苦慮することはわかります。しかし、個人の対応判断にまかせるのではなく、組織として一丸となって対応することで心愛ちゃんの命を護ることは出来なかったものか。行政は市民から訴訟を起こすと騒がれると弱い一面があります。
 シルバーデモクラシーと言えば聞こえはいいのですが、いわゆるクレイマー族は社会に広がりつつあります。他罰的自己顕示欲旺盛なおっさんが子ども対してまで幅をきかせるいびつな世の中は、今後ますます芽を吹いていくものと思います。子どもへの接し方が異常な親のチェック機能をたくましくすることが求められているとつくづく感じる事件です。
 心愛ちゃんの無念な死を無駄にすることなく、全国の自治体が虐待対応の在り方に進歩を見せてほしいものです。
 心愛ちゃんのわずか10年の短い命に対し心から哀悼の意を捧げます!

No.3084 いじめは社会に広く根付く

2019.01.28

 昨27日、読売新聞では1,3面にわたって「いじめ問題」を取り上げていました。これは公立小中学校において重大いじめ事件が発生した自治体で、その公表をした実態が3割でしかなかったことから、自治体別に意識の差異があることを指摘したものです。
 調査の対象となった105自治体のうち、47自治体で重大事案とするべき143件ものいじめが発生しており、45自治体ではゼロ報告、13自治体は無回答という結果になっています。この47自治体のうち、事態を非公表とした街が26自治体に及んでおり、学校側のいじめに対する思考の原点がわかります。しかも、この調査に無回答とした自治体が13もあったというのも、この問題がなかなか表面化しない現状を示しています。ゼロ報告をした自治体にあっても必ずしも真実を回答しているかどうかは疑わしいと言えます。平成13年に施行された「いじめ防止対策推進法」が本当の防止につながっていないことを物語るこうした現実は、やはり個人情報や対象の生徒の将来などを理由にした学校側の隠蔽思考に歯止めをかけるところまで規定しないと形式的な法律でしかないということです。なんといっても、いじめを受ける子どもの自殺が多発しているところに、この問題の焦点を集約すべきではないでしょうか。

 ここまでは学校を舞台とするいじめですが、学校ではなくとも各種ハラスメントが社会に横行している現実にも目を向けなければいけません。
 ちょっとその前に、同じ学校を舞台として発生した事案にふれたいと思います。先日、東京町田市の公立高校で起きた教師による暴行事件です。生活指導も担当していたこの教師が、注意に耳を貸さず、逆に食ってかかり挑発する生徒にやむなく手を出すに至った経緯は物議を生むことになりました。教師が生徒に暴行すれば、それ自体で教師の人生にもかかわる事案になります。
最初からスマホでの撮影を計画し、その動画のネット拡散を友人と画策した悪意は、堪忍袋の緒を切って計画的挑発に乗ってしまったこの50歳の教師の人生にかかわるかもしれないのです。たとえて言えば、刃傷松の廊下の浅野内匠頭のようではありませんか。
 生活指導の先生は生徒から最も敬遠される立場です。50年以上前の体験を思い出してみても登校時に正門をくぐる際、ピリピリしたものです。けっして好感の持てる教師イメージでは無かったことは確かですが、さりとて悪意を持ってこの教師を評価することはありませんでした。
 散々、注意される状況にあって、いわゆる「うざく」なって計画した今回の生徒の行為は、生徒としての自覚も資格もありません。高校生と言えば、年齢によっては選挙参加の資格が与えられています。社会から大人の資格を与えられても、内面的な精神構造が年齢にも満たない状況は生徒にあらず悪ガキとしか言いようがありません。この悪ガキを仕事の相手とする教師の立場を理解する世の中にならないと、益々ガキはのさばることになります。悪ガキに教師が人生を台無しにされるなどあってはなりません。とは言え、未来のある若者にも人間として変化成長をする機会がもたらされる社会であってほしいと思います。なにより育つ過程で心のバランスが悪くなった原因を家庭に求めることが先決かもしれません。思い出すのは「積み木くずし」です。類は類を呼ぶとか悪貨は良貨を駆逐するといった格言も一考です。
 何らかの処罰を受けるであろうこの教師こそ「いじめ」を受けた被害者だと感じますが、生徒をかばう論理を優先するコメンテーターには違和感が残ります。そうした優しさは綺麗事でしかありませんし、何も解決しないということを認識すべきです。この事件の「悪ガキ」がそのまま歳を重ねれば、例えばあおり運転で殺人をするようなヤカラになるやもしれないのです。
 ともかく、今回の事件は生徒に向き合う教師の姿勢を一層委縮させる可能性があります。それは教師の立場を弱めるだけでなく学校崩壊にもつながりかねないのです。オーバーな話だとは思えません。

 学校以外にも、各種ハラスメントがあらゆる組織内に存在しています。その形式はいろいろで、する側、される側ともに男女かかわりなくいるようです。行政でもつい最近、嵐山町で課長職によるパワハラで3人の部下が3カ月の自宅療養を要すると診断され、この課長は停職3カ月の懲戒処分を受けたのです。暴言を吐き、にらみつけ、挙句は無視をする。もっと悲しいことに、この部署はこの課長一人になったそうですが、それが停職となっては市民サービスにまともに影響が出ることでしょう。
 実際、こうした例は氷山の一角ではないかと思います。幸手市にもあるようですし、埼玉県庁にあっても職員間の「いじめ」の例は少なくありません。優しさや思いやりは持って生まれた資質かもしれませんが、人の心に起因するいじめを社会から抹殺することは不可能なのかもしれません。ならば、陰湿かつ計画的ないじめを許さない厳しさを法制化できないものかとこうした事件が発生するたびに感じます。法律でも条令でも作っただけの満足感で終わり過ぎてはいないかと。いずれにしても生易しい問題ではないことは確かですね。

No.3083 埼玉県立近代美術館

2019.01.26

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 雨が降らない。ないどころか雲さえ無い快晴の日が多いですね。庭木が心配ですが水やりの時間を間違えるとかえって良くないといいます。いろいろな意味で、この時期、太平洋側と日本海側の違いをとくに感じます。政治外交的にも日本海側は目が離せない状況ですしね。
ファイル 992-1.jpgファイル 992-2.jpg さて、昨日、所用でさいたま市に出かけた折、北浦和駅東口からほど近い北浦和公園内にある埼玉県立近代美術館を訪れました。公園ではちょうど近くの保育園児たちが追いかけっこに興じているところでした。そんな楽しそうな遊びの場に微笑みながら、噴水公園の脇を進むと、緑豊かな閑静な環境の中に落ち着いたデザインの佇まいが見えてきます。とても駅近とは思えない雰囲気なので、注意して見ないと外からは目に入らない感じです。
ファイル 992-3.jpgファイル 992-4.jpg 展示は地下の一般展示室、1階常設展示室、そして2階の企画展示室に分かれています。入館無料ですが常設展は200円となっています。地下には写真のような海外から取り寄せた大型彫刻が見学できます。なかでも、ハワイでハンセン病患者のケアに努め、自らハンセン病で亡くなったベルギー出身のダミアン神父像は目を引きます。顔や手が同病の特徴的な症状を示す像は、不治の伝染病とされたハンセン病の凄惨さを理解させます。どれも2メートル近いもので傍で見ると圧倒的な迫力があります。
ファイル 992-5.jpg また、1階フロアではアイデアチェアが廊下を飾るように配置されていましたが、靴音が響くほどの館内の静かさに身が引き締まるほどで、こうした体験は年に何回かありますが、どちらかというと動的な小生にとっては貴重な時間と言えるものになっています。
 北浦和駅から徒歩5分、お勧めの見学施設です。

No.3082 韓国との友好継続の難しさ

2019.01.24

 韓国による対日戦略が中国化している。日本海や東シナ海でのこうした国が日本に仕掛ける内容は、国際的に日本を貶める目的だと断定してかからなければならない状況に来ている。海外諸国における在外中国人、韓国人によるロビー活動も一向に止む気配がない。
 防衛相が韓国の知性、理性、倫理に欠けた嘘出鱈目に業を煮やし「客観的中立的に協議することが不可能」との判断で昨年12月20日に発生した能登沖問題の終結宣言を発表した・・・その途端、つぎのような対応を韓国は示している。異常な国家性を感じざるを得ない。
1.日中韓の防空識別圏が重なる地点で、日本のP3C哨戒機が低空飛行で韓国船を威嚇したことは、明白な挑発行為だと非難した。その高さは50~60mと強調していることに対し、日本の見解はあり得ないことだとしている。そして、能登沖事件では韓国国防相側の人間が登場することなく、あの眼鏡をかけた報道官が常に事実を隔離した言いがかり的発言をしていたが、今回はいきなり国防省の人物が制服を着たまま登場してきたのはどうしてだろうか。
2.12月20日の問題発生後に、韓国は徴用工問題で2度目の賠償判決を下し、今回の発表直後に、なんと3度目となる賠償を日本企業に求める判決を下した。なりふりかまわない対日抗争を展開しているのだ。
3.そして今日のこととして、徴用工訴訟の判決を不当に遅らせたとして、韓国検察は最高裁前長官を逮捕したという。最高裁長官の逮捕は初めてのことだという。もとより烈情国家と感じてはいたのですが・・・

 矢継ぎ早のこうした韓国の対応は、日本側が能登沖問題でしらを切る、嘘を並べる韓国にしびれを切らして打ち切り宣言を発表した直後から、逆に韓国は攻勢に出て来ていると判断できる。やはり、自民党議員の多くから、徹底して能登沖事件を追及するべきだとの意見が出されていたにもかかわらず、防衛相の下した判断が更なる韓国側の国際世論に訴える戦略をもたらしたものと考えるべきである。ほくそ笑んでいるのは習近平であり、金正恩であることは間違いない。
 今回の低空飛行による威嚇行為だとの言い分に対して、一部メディアなどでは「そうした行為があったとしたら問題である」と報道する新聞もある。どうして日本のメディアは相手国の指摘もさもありなん的報道をするのだろうか。これではますます相手を図に乗せるだけのことである。有名人の中にも自国を戒めるかのような言葉を発する人がいる。こうした思考は少数であり、どこまで知っての発言かと思うこともしばしばなのだが著名なだけに影響も少なくないようだ。
 かつてない最高裁長官の逮捕まで実行する韓国との対応は、もはや紳士的、親和的な対応だけでは日本が国際的な評価を下げるだけではないかと思うがいかがなものだろうか。
 最近、日本人が嫌いな国はどこかという調査結果があるが、北朝鮮、中国、韓国の順となっている。大方の推測とさして変わりはないと思うが、北朝鮮と中国は全体主義国家であって指導者に多くの問題があるわけだが、本来この2国とは政治経済等々根本的に異なる国情を有する韓国の現実は、友好関係を継続することの難しさを示唆していると思われる。政府はこの点を重く考慮すべき状況にあると言える。小生の友人には素晴らしい韓国の方がいらっしゃることも考えると、もとより、これは人の問題ではなく国家体質の違いと考えるべきなのでしょう。

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