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No.3163 《緊急》臨時会日程

2019.08.19

たった今、議運委で市長不信任案を付議した臨時会の開催が、市長側の通達で明日20日の午後3時に決まりました。
そもそも、今日の議運委の開催連絡が11時で1時からというのですから、来れない委員もいたくらいです。市民への告知も余裕のない決定となってしまいました。

No.3162 市長の意図と議会の問題

2019.08.19

 臨時会招集請求に微妙な内容が・・・。いくつかあるので、箇条書きでご覧ください。
◆議長は、市長が辞意の気持ちがあると言っている。
 市長の言葉として議長が確認しているのは、「自ら辞めれば暴行を認めることになるので辞表は出さないが、議会には従う」とのこと。
◆議会運営委員会の全会一致で臨時会の招集を議長名で申し入れた。
◆臨時会の招集にあたっては、案件を付議しなければならないので、市長不信任決議案を議案とした。
◆議運では出来るだけ速やかにということで一致したが、議長は21日までという期日を設けて申し入れたという。これは、議運で具体的に了承されてもいないし、話し合いもされていない期日が具体化されてしまうという点において、若干議長の勇み足と思われる。
◆議長は、賛成多数で可決となる辞職勧告決議案が提出される見通しを明らかにしている。最初から不信任決議案が否決されることを見越していると思える話ではないか。

 上記を検証すると、不信任決議案を議運の全会一致によって議長が提出した段階にもかかわらず、議長が賛成多数で可決となる辞職勧告決議案が提出されることを見通しているというのは、何故なのかという疑問がわきます。
 これは問題です。
 現段階で臨時会の目的となっている議案とは別のシナリオが出来ているということですから。これを知ったある議員が「どうしてここまで口にしてしまったんだ!」と怒ったいう話もあるようですが、これが真実ならやはり何か別の目的を持ったシナリオが画策されていることになります。
 市長が辞職すれば議会のこうした複雑な思惑も生じないはずなんですがね。

 その肝心の市長の意向がおかしいいではありませんか。暴行を認めるか否かのレベルではないのです。警察沙汰の内容にかかわらず、市長としてあるまじき行動についてが問われており、厳しい意見にさらされているという理解が無いのです。 
 いわば、自ら先んじて辞職を表明することこそが、ケジメだという理解が出来ていません。暴行が認められなかったら辞めないのかと言っているようにも感じられます。言ってる言葉の意味が分かっているのか疑問です。
 有罪かどうかが辞任の判断ではなく、すでに市長として不適切な行動を早期に反省して社会に示すべきだったのです。そうでないと、私たち幸手市民もどこへ行っても肩身の狭い思いをすることになるのです。幸手市民が可哀想という声があるのをわかっているのだろうか。

No.3161 街やSNSの声

2019.08.18

 8月のブログ数がほぼ経過日数と同じペースになっています。通常は8~多くて12といったところです。実際、かなり画面に向かっている時間が多いという実感はあります。これは「えださん日記」時代の合併問題で大揺れした頃にかぶさります。アクセス数は当時の半分程度ではありますが、幸手市以外からのメールをいただく現状を考えると、日々お伝えする意義と必要性を強く感じております。
 また、別の話として戦争を語り継ぐことに関しまして、ぜひ続けて欲しいという檄メールをいただきました。心してあたりたいと考えています。

 とにかく暑いですね。昨日は宵のイベントにお招きいただき、多くの市民と交流をする機会を得ました。どうしても話題は市長事件になるのはやむを得ません。新聞報道を読まれていても実際の具体的動向を理解出来ている方はそう多くはありません。したがって、その都度、議会の現状をお知らせすることになりますが、要するに市民の声は「辞めるべき」「辞めてもらいたい」ということに尽きます。
 幸手市長で検索しますと、ツィッターの書き込みもかなりのものがあります。記者会見でニヤニヤ笑いながら答えていた姿や、口にした言葉にあきれたというものが主論として散見されます。弁護士のふてぶてしく、都合のいい答弁拒否への批判も少なくありません。中でも、「市長の前に、人としてどうよ」という端的な論評は、正にその通りとうなずけるものです。「起訴されようが、有罪になろうが、行動自体が許されるものではないですよ」「退職金も税金なんだからまともに払うとしたらとんでもない」などなど。
 しかし、昨夕はより厳しい言葉を耳にしました。文豪太宰治の「斜陽」と並ぶ名作と言われる小説のタイトルです。さすがに、ここまで文字にするとまさに幸手市の恥をさらけだすようで気が引けます。
 この言葉を発したのは女性でしたが、今回の市長の言動に対しては、特に女性の厳しい非難が感じられます。ただ、厳しい反面「奥さんが可哀想」というの声があるのも女性らしい特徴でしょうか。
 

 ところで、昨日のブログで不信任決議案を否決して辞職勧告決議案で事を収める動きが感じられると書きましたが、これは言ってみれば「市長、お辞めになった方がよろしいと思いますよ」的意味合いで、法的拘束力もないものですから、議会対応としては踏み込みレベルの弱いお茶濁しと思われても仕方ありません。
 今回ばかりは、間違いなく毅然とした議会対応が求められています。辞職勧告では、市長が辞めずに続投ということもあるわけです。そういうニュアンス、いわゆる市長選択権を与えるような決議を思慮する裏に何があるのかという疑念もわくことになります。ですから、たとえ、これを受けて市長が辞職したとしても、議会としてはどうだったのかという指摘・評価を受けてもやむを得ません。
 もちろん、不信任決議にも市長の対応は2種類あります。10日以内に辞めなければならないが、それとともに議会を解散するという権利も市長にあります。おそらく、解散されると市政の空白が長くなり、選挙費用もかかることになるという主張が推測されます。だから辞職勧告決議なんだと。
 しかし、今回の事件性で市長が議会解散を宣したら、幸手市が全国に恥じるレベルが最高点に達することは間違いありません。したがって、ここまではしないし、出来ないという意味で市長の人としての原点まで失くしてはいないことにかける場面だと考えます。
「毅然」とはなにか! 5万市民だけでなく、全国の目が幸手市議会の倫理的自浄作用に注目しています。

No.3160 臨時議会と不信任決議

2019.08.17

 朝からいくつかの電話に対応、途中地域の会合に出て帰宅後、また電話電話。もちろん、すべて昨日の、議会と市長の実情を伝える新聞を見ての電話である。読売と埼玉がストーリ展開と経緯について市民にわかりやすい記述になっているように感じる。そこで、購読者数と1面掲載の観点から埼玉新聞の記事をと思う。
ファイル 1070-2.jpg 文中いくつかのポイントがあるので、若干の補足を。

◆「複数の議員は同法にのっとり定数4分の1以上の議員による臨時会の招集を13日に請求する予定だった」 
 この文が意味するところは、臨時会の招集は地方自治法第101条において、1.市長から、2.議運で可決することを条件に議長から、3.4分の1以上の議員によるという3通りがあり、臨時会招集が速やかに図られないならば、3つ目の方法で実行しようとの思惑だったということである。この複数の議員6名には私も含まれている。
◆「16日朝、市長と複数の議員が面会」
 ここにある複数の議員とは、臨時会の招集を思慮していた前項の議員を除く議員と思われるが、9名すべてかどうかは定かではない。いずれにしても、特定して選抜した議員だけに市長は現在の思いを、つまり自ら辞職する考えはないことを示したと理解できるのだが、これもいかがなものかである。この期に及んで何故議員を区分けするのか不思議でならない。より不信感が増すだけではないだろうか。
◆最後4行「不信任案が否決された場合は、複数議員が法的に拘束力のない辞職勧告決議案を提出する見通し」 
 これは、記者が議員への聞き取り調査で感じたことを書いているように思えるのだが、可能性はゼロではない。モラル欠如という稚拙レベルで全国に恥をさらした市長に対する議会対応が、法的拘束力のない内容であっていいのだろうか。これで議会としてのケジメと考えるならば、市民の怒りは再び高まり、議会へ、議員へ向けられることになるであろう。 

 臨時議会は20日以内に招集されることになるが、定例会の期日も近いことからより速やかな招集をすべきである。はたして市長がどういった結論をもって対応をするか。
 暑い中の貴重な時間をお願いしずらいところですが、臨時議会の傍聴をお勧めしたい。ネットよりは議場の臨場感が高揚し、なにより議員の緊張感も高まることになります。市議として復活するやいなや、こうした前代未聞の状況に直面するとは予測だにしなかった。内容が内容だけにやれやれといった思いが先に立つが、幸手市の今後を考えると誠にもって重要な局面に遭遇したものである。

No.3159 「戦時中の私」

2019.08.15

 昭和20年8月15日、玉音放送に膝まづき、こうべを垂れて耳を澄ませた慟哭の日から74年が過ぎた。私は、昭和25年に生を受けたので戦争の悲惨さを体感してはいない。
 平成22年に88歳で亡くなった母は生きていれば97歳ということになるが、昭和19年に姉を産んでから終戦までの1年半、いや、その後私が生まれて以降も尋常な日常ではなっかたと想う。想うというのは、戦争にかかわる話を聞こうとしても、母は一切語ってくれることはなかったからである。父と早くに死別した母は、気丈ではあったが、対人的に温和で爭い事を嫌う人だったので、戦争の記憶を早く捨て去りたかったのかもしれない。
 しかし、現代社会は世界各地で紛争と称する戦争や特定地域における虐待が繰り返される状況にあり、その悲惨さが情報システムの進歩もあって世界に数分数秒で打電される。一瞬にして多くの命を奪う核の開発に明け暮れる国も、減るどころか増える傾向にある。だからこそ、戦争が人にもたらす結末を実体験に基づいて伝えていこうとする風潮が年々高まりつつあるのだろうと思う。それは、実際の体験者が限りなく減っていくことにもかかわっている。

 今号のタイトルは、見ただけだと私が戦時中にいるはずがないのにと首を傾げた方もいたと思う。実は、大正14年8月30日生まれ、御年94歳になられようとしている地域にお住まいの方からいただいた戦争手記のタイトルなのだ。個人的には今もたいへんお世話になっている方で、戦争の悲惨さを後世に伝えなければとの想いを託したいと付記されている。手記はA5版26頁に及び、読むほどに戦争のむごさに引き込まれる。ゆえに伝える意義は間違いなく深いと実感する。戦争を思想や外交ひいては謝罪賠償といったことに特化したような社会動向とはまったく次元を異にする純粋無垢な実体験は、なにより説得力がある。
 これをおいおいシリーズ化してお伝えしていこうと考えているが、今日は終戦記念日ということでそのスタートとして一部お伝えすることとする。
 文章のつながりを考えて、抜粋省略することをご理解ください。
 サブタイトルは「戦争を知らない世代の方のために」である。

5.終戦
 昭和20年8月15日、遂に、降伏、敗戦となりました。恰好つけて終戦と言いますが、敗戦です。最初に書きましたが、簡単に勝てるとは思っていませんでしたが、まさか負けるとは全く思っていませんでした。昭和20年に入り、戦況はいよいよ厳しく、大変なことになるとは思いましたが、8月は兵隊と一緒に働いたせいか、負けたという実感はありませんでした。数日後、家に戻り、灯火管制の黒幕を取り除いて明るくなったのを見て、やっと戦争は終わったのだという実感がわきました。しかし、世の中は大混乱で、何をどうしたのか、虚脱状態で全く覚えていません。記憶喪失というのでしょうか。人間は、大変異常な事態に会うと、このようになることが」あるそうなので、そうかもしれません。
6.終戦後の生活・・・省略
7.終わりに
 戦争は絶対にやってはいけません。戦争は悲惨です。大勢の人間が死に、親兄弟を亡くした不幸な人が沢山できます。。生き残ったとしても大変つらい思いをします。特に負けた側は、言いたいことも言えず、勝った側の言いなりにならざるを得ません。アメリカとの戦争でも、阿波丸事件や戦争犯罪事件など多くの問題があり、ソ連とは中立条約違反、満州での残虐行為があり、領土問題は未だに解決していません。
 戦後生まれた世代から、なぜ戦争に反対しなかったのかと言われますが、当時は皆まじめで日本国民の99%は国を信じ、それぞれ自分の持ち場を必死になって守っていました。軍によって発表される戦果に誇張があっても、誰にでも、どこの国にでもあることと、気にしていませんでした。もし、疑問を持ったとしても、当時の情報源は、勝った勝ったという、或いは我が軍の損害は軽微なりという軍の発表しかありませんし、少しでも疑問を持ったり、批判的なことを言えば直ちに憲兵に逮捕される状況では反対することも出来ません。
 では、戦争にならないためには、どうすればいいんでしょうか。自分が主張するだけではなく、相手への思いやりを忘れないこと、忍耐強く話し合いをすること、暴力では解決しないし、一時的に解決したように見えても、再び紛争になることを忘れないことだと思います。
 暴力・戦争は絶対だめです。戦争は悲惨です。不幸な人を大勢つくります。
追記
 次の新聞記事をご覧ください。平成20年8月12日の読売新聞に掲載された記事の抜粋です。
【終戦直前の東条手記発見・・・東条英機元首相が終戦直前の8月10日から14日に書いた手記が国立公文書館に所蔵されていることがわかった。この手記には終戦に反発する元首相の本音が散見される。中に、「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だにせざりしところ、・・・」と当時の鈴木貫太郎内閣や国民を批判している】
 敗戦の原因は、徹底抗戦によって勝利することを盲信しない指導者と無気力でだらしない国民のせいだとしているように思う。
 戦場では兵隊が必死になって戦い、膨大な戦死者を生じており、銃後では、少年少女までが必死に兵器を作り、空襲で焼け出されたり焼死された多くの人々がいる時、東条元首相は、これらの犠牲者を何とも思わず、逆に、殆どの日本人がだらしないから戦争に負けたのだと思っていたとは、驚きを通り越して怒りを覚えました。
 このような人を戦争指導者にしたのは誰なのだろうか。8月14日、陛下にお詫びして自決された阿南陸軍大臣、特攻隊で散華した勇士の後を追った大西海軍中将の最期とは余りにも違い過ぎる。
 戦争が始まってしまったのは、当時の状況からやむを得なかったと思う。しかし戦争終結(後の在り方)については大変残念に思う。8月に入らず、7月27日のポツダム宣言を受け入れていれば、原爆も、在満日本人の悲劇も、シベリア抑留も、北方四島問題もなかった。アメリカもソ連参戦は避けようとしたのに、返すがえすも遺憾に思う。更に言えば、沖縄戦の前に終結していればと思う。歴史に「若しも」はないと言うが、当時の戦争指導者、特に軍部の大きな過ちであったと思う。
 東京大空襲の事は今更言うまでもないが、日本国民の戦意を喪失させるためと称して、一般市民を殺戮(虐殺)する無差別攻撃を実施した、米国空軍司令官ルメイに、日本は昭和39年勲一等旭日賞を授与したことを御存じだろうか。

 ほんの一部のご紹介だが、これでもかなりの長文である。あれから74年・・・終戦記念日にあたってご一読いただければ幸いです。
 なお、文中の阿波丸事件とは、昭和20年4月1日にシンガポールから日本に向かう途中の台湾海峡を航行中だった貨物客船の阿波丸が、米海軍の潜水艦クィーンフィッシュの魚雷攻撃で轟沈し、約2300人の乗船者のほとんどが亡くなった事件である。軍艦に間違われないよう緑十字を船体に描いていたにもかかわらずの雷撃だったという。20日前の東京をはじめとする大空襲に日本中が騒然としているさなかの出来事であった。潜水艦長は単なる戒告、賠償は戦後の経済支援への謝意と引き換えに吉田茂日本政府が行い、その額一人当たり7万円だった。これは当時の新人官僚のわずか1年分の年収相当というものだった。戦争の悲惨さは至るところにあることがわかる。

No.3158 市長への怒り鎮まらず

2019.08.14

 幸手市長飲酒暴行容疑事件の余波は収まる気配がない。いや、収まるようではいけないというのが、今でもひっきりなしに届くメールから読み取れるし、市民の総意と感じている。小生は、あえてこれを材料に市民感情を煽るつもりは毛頭ない。しかし、この1週間若干減りつつあるものの、日々アクセスをいただくブログ購読者の皆さまに、常時、事の委細をお伝えすることを義務=是と考えているので、この件についてお伝えすべきことがあれば書きとめようと考えている。
 街を、市政を正しい方向に舵取りするためにとの一念である。

 ただ、議会及び議員の考え方や方向性もしくは現状進めていることを書くと、物議の元となったり、うがった詮索を生みかねないなど、かえって問題発生源との指摘にもつながるので、キータッチも慎重になる。なにとぞご理解いただきたくよろしくお願いいたします。

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