中国による「台湾は中国と一つ」という行動がいよいよ現実味を増してきた。領土問題は多国間紛争の一番の原因だとは思うが、様々な経緯を経て台湾が台湾のままあり続けたいと願う地域になった以上、独立を認め、良好な経済関係を保とうという気持ちになれないのかと思うのは通用する話ではない。それが通用すれば、ロシアの軍事侵攻もなかっただろう。いつの世も人類の歴史は戦と共に形成されてきたということを改めて思い至る。
中国という共産独裁覇権主義国家(全体主義)にとって、自由民主主義国家群の一員となる台湾が目の前にあるのは許せることではないのだ。この程度は理解の範囲だが、それにしてもやることときたら蛮行レベルもいいところだ。蔡総裁がアメリカの議員と会っただけで計42機の戦闘機が、中台境界線を越えて防空識別圏に侵入したというのだ。これを、台湾包囲のリハーサルと報じたのだから普通ではない。リハーサルには本番が控えているのは言葉の接続として当たり前の話である。逆に言えば、本番なくしてリハーサル無しということだろう。もちろん、リハーサルというのは、恐喝、恫喝といった意味合いが強いのだが、いつかその時が来るという考えはあるはずだ。
中国の喧嘩を売っているのに買っているかのような狡猾さは日本の外交にはない。無いどころか甘すぎる点では世界一ではないかと思う。
思想主義があまりにも異なる状況は、一つになればウィグル・香港を見るまでもなくどうなるかは明らかだ。しかし、中国マネーに目がくらむ国があちこちにある。最近ではホンジュラスも台湾を見限る形で中国へのひざまずき外交を行っている。マレーシアは、380億ドルという巨額融資を受けたと伝えられたばかりだ。ロシア問題も根が深いが、中国の存在は世界観が変わる可能性すらある。いや、この30年程度ですでに変わったと言えるだろう。
選挙戦もまじかの中で落ち着かない日々だが、ニュース報道を見ると異様に胸が締め付けられる。原因はプーチンと習近平ということなのだろう。
記事一覧
No.3698 中間線越え軍事演習
No.3697 知能と人格は別物
今国会で、高市大臣にフォーカスして8年前の発言に関わる文書をネタに辞任だ、罷免だと恫喝発言を続けている立憲民主党の議員たち。小西洋之、杉尾秀哉、石垣のり子、塩村あやか…これらの人たちは国家予算審議をどう理解しているのだろうか。予算委員会でこの手の質問が横行することに国民の理解が得られると思っているとしたら、この政党の存在自体に疑問が及ぶ根幹的問題だと思うのだが・・・。
№3679で永田メール事件を思い起こすといった内容のブログを書いた。まるで似ているとまでは言わないが、それに近い現状となっているのは間違いない。あの時も通常国会2月の予算審議の時だった。堀江貴文氏が立候補にあたり当時の自民党武部幹事長との金銭授受があったとするメールを捏造した事件だ。結果は、捏造行為がモラルに反するところとなり、実際に授受があったか無かったかは別にして、捏造議員が辞職から自殺に至った事件である。
若い知能優秀な野党議員の功名心は、国民生活に直結する予算委員会をそっちのけで追及発言。一体この場をなんと心得ているのだろうか。杉尾議員はTBSのニュースキャスターとして著名な人だったが、議員になって人が変わったようにとげとげしさばかりが際立つ。石垣議員も元アナウンサーだったと思うが、こんな場ばかりで目立つ議員になっている。
小西議員は「毎週の憲法論議はサルがやること、蛮族だ」発言で謝罪会見を行ったが。謝罪らしきものはなく開き直りの会見だった様子。そこでまたまた物議をよんでいる。さらにこの余波が広がり、小西発言を問題指摘したマスコミに対して、自分の官僚時代の肩書を持ち出し、それに逆らうとはいい度胸だと言ったのだ。こうなると、高市大臣が特定メディアに対する圧力発言をしたのではないか!と迫った自分そのものが圧力発言をしているのはあきらかで、まさに立民得意のブーメランなのだ。立民は彼を憲法審の野党筆頭幹事から更迭したが、代わりの人事が杉尾氏というのだから、人材不足なのか、党自体に反省心が少ないのかと、またまたここでも揶揄されている。
この問題しばらくの間、収まりそうもない。
東大卒のすべてが至誠を心得た人間とは限らないが、知能豊かで知識も高度ということからキャリアという国家官僚制度があり、それを経て政治家を目指した議員であれば、敵対議員に向けた言葉と、それを報じるマスコミに対する言葉が、180度矛盾することに気がつかないというのが不思議だ。小西議員の人格を問題視する言葉が、他党議員から発せられているのも当然だろう。人を口撃した結果、自分に飛び火する実態は人間的資質の問題かもしれないが、選挙では彼を何度も選択している現実が選挙区地元にある。比例制度の問題を指摘する声が出るのも当然かと思う。
No.3696 権現堂ハッピー公園
嬉しいニュースが入りました。私が昨年の12月議会の一般質問で提案した内容が形となって実りました。それが掲題にあげたものです。
昨年の10月31日に市民祭りにぶつける形でオープンした権現堂第2公園の正式な名称が決まったのです。
権現堂ハッピー公園
シンプル・イズ・ベストではありませんか。私が提案したのは、権現堂公園は1から4まであるので、親しみやすい愛称をそれぞれにネーミングするべきではないかと本議会で発言したのです。加えて、ネーミングは小中学校の児童たちから募集すれば郷土愛の醸成につながるのではないかとも。
市が私の提案を受けて全校全児童にこの趣旨を通達したところ、1,197名から応募があったというのです。素晴らしい!
さあ、関係者はどれにしようか迷ったことでしょう。結局、1番多かったのが「権現堂ハッピー公園」だったことから単純にそれに決定したようです。こういうときは単純がいいのです。堅苦しい名前など無意味で、子どもたちが覚えやすく、大好きになるような公園になればいいわけですから。
実は、香日向小が廃校になる時、当時の校長先生に似たような提案をしたことがあります。それは大中落としに架かる橋が5本あるのですが、皆単なる道路としか感じていないようなので、最後の香日向児童たちから橋の名前を募集して、選ばれた名前のボードを作って橋に取り付けて貰えば卒業記念になりますねと提案したのです。いま、そのネーミングが橋に付いてます。残念ながら日頃その名前で呼ぶ方はいない状況でいささか寂しいのですが、子どもたちは決して忘れないはずです。
No.3695 虫が好かない!?
鳴き声というのは、聴く側のバイオリズムにもよるが、心理的に不快感を与えるものや心を静めさせてくれるものなど千差万別である。特に、夏と秋にしか聴くことの出来ない虫の音は日頃社会の喧騒にまぎれながら暮らしている私たちにとって一服の清涼剤となる場合が多い。ところが、そうした虫を食するとなると・・・はてさて巷の反応はいかがなものだろうか。
今ネットで、お笑い芸人がそれに対する忌避感をツイートしたところ、河野一郎消費者担当大臣から無言のブロックをされたというのが話題になっている。河野氏と言えば、一昨年の自民党総裁選前後からいきなりブロックという言葉で呼ばれるほど一方的にブロックする政治家として知られている。 今回の場合、虫を食すまでのことを考える前に食品ロスを少なくするなどの対応が先ではないのかといった意見だったそうだが、河野氏にすると異論は意見ではなく反論であり、それをされるのがお好きな方ではないようだ。これには、小泉進次郎議員も擁護する発言をしているが、この二人は中国製太陽光パネルの輸入でも相互理解している神奈川県選出の議員である。
それにしてもコオロギ食は既に徳島などの給食で試食するなど一般利用が試行錯誤されている。もっとも、徳島の場合はこの段階で各種クレームがあったそうだが、この場合のクレームは理解できないではない。なぜ、コオロギが食の対象になる必要があるのかというのは単純な不思議だ。しかもコオロギというのは種の総称でマツムシやケラもコオロギの仲間だ。キリギリスの仲間にはツユムシやクツワムシといった虫がいるが、その多くは鳴き色の豊さで私たちに心地良い夏と秋の夜を奉じてくれる有難い存在だ。しかし・・・それを食すとなるといささかスタートラインに近寄りがたい思いがするのはやむを得ないところだろう。スズムシ?? とてもとても。
私もイナゴの甘露煮は子どもの頃から食べてはいるが、たまーに気が向けば程度で積極的というほどではない。そもそも今は決して安価ではない。ところが、実はコオロギ食は既に私たちの食生活に入り込んでいるという。惣菜などに見られるが、クリケットパウダーという表記はコオロギの粉末だそうだ。場合によってはバッタパウダーという成分表記もある。イナゴは姿そのままだがコオロギはパウダーに変身するようだ。こうなると、前述したように、コオロギ目に属する虫ということで、いったい何という名前の虫だかはわからない。この場合栄養素としての表記ではないと思うが、河野大臣はひょっとするとタンパク源などと発言されているかもしれない。
食文化に虫が入るとなると、心構えを変えなくてはならないと今のところは抑制心が働くが、人はいつの間にか慣らされるもので、当初薬のように感じたコーラが徐々に茶の間に定着してまだ70年足らずなのだから、コオロギ食も結局は慣らされる時期が来るのかもしれない。鳴・ら・さ・れ・る、前に慣・れ・ろの精神を河野大臣は主張するだろう??? どこぞでコオオロギの養殖も進むのだろうか。調べる気持ちが湧きません。
生き物は食に欠かせないものが多々あるが、新たに導入されるとなると、やはり名前が持つイメージを払拭しないと受け入れるのはなかなか難しい。そうまでして主食材が減っていくとも思えないのだ。ナマコやサメは通常食になっているが、アジア広域で見れば、サル、ツバメ、イヌなど・・・・中国ではコロナの原因になったとされるコウモリまでが食文化かと思うとゾッとする。もう30年前ほどのことだが、上海の朝市でヘビを籠網に入れて一匹あたりを計り売りで売っている光景に出くわしたことがある。ゾッとするどころの話ではなかった。キモイ話で申し訳ありませんでした。
虫が好かないとは虫にさえ嫌われるという意味だが、その虫を食するのかー、いやいや、どうにも虫は好かないなー。
と、ここまで書いてふと横井庄一さんや小野田寛郎さんのことを思い出しました。お二人は戦争が続いていると信じ、敵兵に見つからないように密林ジャングルを彷徨しながら、食せると思うものは何でも食べたという。それだけでも尊敬に値する人なのです。トルコ大地震で100時間という限界値を超えて生存されていた人は自らの小水を飲んで救援を待ったそうです。「生きる」為には凄絶な覚悟があるということですね。
No.3694 政治の質どころではない!
NHK党参議院議員だったガーシー議員の除名は当然のことだろう。森羅万象、多くの物事は、賛否いずれかが100%を獲ることはまずない。この除名に際しても、選挙で選ばれたのだから投票した有権者に失礼だとか、オンライン国会を推進すれば問題ないはずなどとの理屈で除名を批判する声がある。はたしてそうだろうか。そもそも、彼の当選は有名人の実態を暴くという内容をネット掲載することで視聴者の関心を呼んだことを材料に、国政選挙特有のブームとなったことが原因ではなかったか。つまり、政治経験も何もない人物が、話題性というだけで国会議員に当選した。しかも本来あるべき選挙活動らしきものはまったくしていないという状況での話だ。とすると、有権者は彼が国にどれほど貢献するかという思考で投票したかどうかだ。如何に有権者個々の想いだとはいえ、国会議員の権利と責任という価値観に量れば、投票率が高くなればいいという感覚も考え物だ。なぜなら、今回のガーシー事件で政治や選挙に真剣な眼差しを向けなくなる人が増える方が問題だ。1票が尊いのではなく、虚しいという空虚な心が芽生える可能性が無くはない。
更に問題なのは、左派系組織政党にすればそこに付け入る隙があるということだろう。国守安倍晋三政治に想いを寄せていた若者が多くいたことが、ご本人が亡くなったことで知るところとなったが、今回の高市大臣の政治的狙い撃ちは、予算成立で与野党手打ちとなったが、相も変わらず保守打倒に加担するメディアもあるなど、その現状は民主主義を根幹から揺るがすものだ。事はいったん治まればなかったかように冷めるが、実際は今回の手打ちは高市大臣再任命はないという条件付き密約があったかもしれないと思うと、国民は常に脇に置かれている感じか。10年近い前の電話での対談内容を国会に持ち込むなど言語道断で、いったこの議員は何のために国会議員になり、1億近い歳費総額を得ているのか。国民だましもいい加減いせい!ということだ。
話を戻して・・・旧NHK党の立花党首の迷走も精神異常かと思わせるほど目まぐるしい。秩父の女性市議や、NHK党から政治家女子48党に名を変えて党首に指名した女性議員とまたまたギクシャクやり合っている。秩父市議によると、彼の真の狙いは政党交付金だと指摘している。
あらためて物申すと。政治の質の低下は政治や政治家だけの問題ではない。メディアにも有権者にもあるということではないだろうか。
No.3693 桜堤が泣いている!
前号を書いて6時間後、目覚めたら雨。まさか梅雨入りしたわけではないと思いますが、桜の満開に合わせて雨模様が続いてます。どこぞで雨乞いしてるはずもなく、ただただ空が不機嫌なのかと感じますが、なにも3年ぶりの桜祭りに合わせることもなかろうにですよね。
先日の土日は丸々雨にたたられてしまいました。それでも、雨の無かった昨日、市内道路の混雑具合は相当だったようです。
ところで、雨をモチーフにした楽曲は数多くありますが、自分はカスケーズというグループが大ヒットさせた「悲しき雨音」が真っ先に浮かぶんです。降る雨のリズムに耳を傾けると・・・というイントロから始まる歌詞は、結局は失恋に結び付く寂しい歌にもかかわらず、軽快な4拍子が心に弾む曲です。
天気に合わせて選曲してくれるラジオからはこの曲がよくかかります。60年も前の曲が聴けるのも雨がもたらす小さな喜びといったところでしょうか。
それにしても桜を青空の下で愛でたいというのは万民の想いでしょう。天候の回復を願わずにはいられません。権現堂桜堤が泣いています。
さて、今日は選挙立候補にあたっての第一次書類審査日です。候補者ごとに割り当てられた日程に合わせてのことですが、自分は本日午前9時が指定されています。すでに8時半を過ぎています。それでは!