「政治は生きている」というコラム。いやいや、今まさに政治は死んでいると思えてならない。野党の政治スタイルが、これほどまでに低次元な時代があっただろうか。
「桜を見る会」天地をひっくり返したような野党の騒ぎ方は異常を通り越している。官僚へのヒヤリングで後方の壁面に書かれている総理主催「桜を見る会」追及チームという文字が悲しく見えて仕方がない。追及チームと大きな文字で書き示すこと自体がパフォーマンスそのものに感じるからだが、見ると、殆どが1期生議員が追及役に充てられている。立民のあるベテラン議員はこの問題をとことん追求すると言う。新人議員の追求発言上達セミナーに利用しているのではないかと思える。加えて、二重国籍問題責任を棚上げした状態の蓮舫さんも例によって理解不能の批判を口にしている。けっして見本にしてはならない先輩議員だと私なら思う。
台風被害も治まらない現況にあって被害者の方々はいったいどう思っているのだろうか。こうした議論に明け暮れる国会でいいはずがない。政権打倒のためだけの存在として野党があるなら、この議員たちに年間一人当たり数千万円の国税が支払われていることに厳しい目が向けられているのもうなずける話である。政治的素質は必要としない感じである。
また、こうした問題が左派系マスコミによって疑獄事件のように報じられること自体が問題であり、責任の一端、いや二端、三端?はあるのではないだろうか。ようやく憲法審査会の議論が久しぶりに始まったと思った矢先のことで、やはり、憲法問題に逃避姿勢を持つ野党一連の揚げ足取り追及の一環なのかとも思う。
流れに恵まれて当選した新人議員が国家にとて欠かすことの出来ない議員に成長するか否かと考えると・・・あまりにも情けない議員が野党には多すぎる。もちろん自民党にいないとは言わないが、その数は総議員数からすると
野党の比率がかなり高いことは間違いないだろう。
立憲民主党の国対委員長の肩書がつく辻元清美氏の発言「こんな議員がいたのかと背筋が凍る想いがした」と。誰に対しての発言かは定かではないが、自身の秘書給与隠しや支援団体との癒着問題が表に出た過去がある人として言えることかと思う。そもそも、ボキャブラリの使い方がパフォーマンスだし、表現が下劣という独特の特徴がある。今や、野党のブーメラン発言は常態化しているが、これは3年3ヵ月に及ぶていたらくな政権運営を反省するどころかその必要はないくらいに思っているからかもしれない。ならば、尚更2度と政権を任すことなど出来ないということになるではありませんか。
今の野党に本当の政治家と感じさせてくれる議員がいないことは国家の損失かもしれないが、自民党にもそうした政治家が減ったことは否めない。大物議員とはやされる石破氏も、またまた今回の問題で安倍総理の背中から矢玉を放っている。寂しい政治の実態だ。
記事一覧
No.3204 うんざりする野党政治屋
No.3203 幼保無償化の功罪
10月から幼児教育の新制度が始まったことはすでにご承知のことと思います。収入の低い家庭を視点に、どの子どもも平均的に通園受益を受けることを目的として始まったわけですが、タイミングとして消費税引き上げを考慮したものでもありました。ところが、国の調査によると制度開始直前になって便乗値上げと思われる実態が相当数あり、関係者に戸惑いが広がっているというのです。
制度としては、無限の無償化ではなく月25,700円を上限とされていますが、わかりやすく言えば、この上限幅にまで値上げをする施設があったということでしょうか。もっとも、そこまで露骨な値上げがどれほどあったのかまでは不明ですが、無償化対象の子どもがいる世帯にだけ値上げをした例もあるようで、いささか考えさせられる状況ではあります。理由は職員の待遇改善というのが大半だそうですが、確かに経営が必ずしも順調に推移している施設ばかりではなく、これまでは、値上げすれば入園者が減る可能性もあり、少子化が進む時代にあって経営環境を変えることが出来にくかったことはあるでしょう。
特に、共働き世帯が増える傾向にある中、幼稚園より保育園を希望する家庭が増加していることから幼稚園経営が悪化している事実は全国的に広がっているといいます。職員の確保にしても、給与水準の高い大都市圏に集中する傾向もありエリア格差は広がる傾向にあるようです。
しかしながら、幼児教育の質を上げるための無償化目的が、単なる経営改善の補助金的性質になりはしないか。それが、職員の安定的確保や良質なモチベーションの向上につながるかどうか、経営者自体の報酬アップにはなっていないか、施設の修繕改築に充てられることはないのかなど、判定には一定の期間が必要でしょうし、なかなか難しい問題だと思います。
要するに、制度開始にタイミングを合わせての料金改定が、意図的かつ便乗的に感じられる点は拭えないとしても、経営環境の改善が真に子どものためという実態に至れば、それはそれで幼保無償化制度の効果とみなすことも可能だろうと思われます。
ともあれ、子ども及びその世帯のための無償化と思っていたものが、恩恵を受ける対象が子ども世帯だけではなく経営者側に広がっている実態。税金の使い方というのが、いかに難しいかという一つの例だと感じます。
No.3202 サルコペニア
聞き慣れないこの言葉。実は筋肉に関する医学用語です。
加齢などにより筋肉量が減少し、全身の筋力が低下した状態をサルコペニアという名で診断対象となるものだそうです。この診断をするにあたり、新たな基準が日本サルコペニアフレイル学会によって発表されたという報道がなされました。
これは、国が75歳以上の後期高齢者を対象に、要介護になる可能性を把握するための「フレイル検診」を2020年度から導入することに関連して設けられた基準ということになります。
サルコペニアになると心身全体が衰える、いわゆるフレイルという現象になると考えられており、たとえば、この状態で歩行中に転倒すると寝たきり状態になる危険性が高いと考えられています。
診断および予防の両面からサルコペニアかどうかを判定する予備テストが新たな基準として設けられました。それは次のようなものです。
■握 力・・・・・男性28㌔未満、女性18㌔未満しかない場合
■立ち上がり・・・椅子に座った状態で立って座っての動作を5回行い、12秒以上かかる場合。
このどちらかでも当てはまる場合、サルコペニアの疑いがあるとされます。
私は、今のところどちらもクリアしてることがわかり一安心といったところです。ちなみに握力は右43、左40で年齢並み以上の数値ですが、70歳を超えると身体のあちこちに不具合が生じると先輩連から言われる日々ですので、常に健康管理には気遣うように言い聞かせています。
筋肉が弱るという意味ではパーキンソン病などもありますが、専門医の先生が言う予防対策は、とにかく1日40分歩きなさいと。知人の付き添いで一緒に医師の話をちょくちょく聞く機会があるのですが、歩くことがすべてに良いということのようですね。もちろん歩き方は考えなければなりませんが。
一般論として、ペットボトルの蓋が固く感じる、プルトップ缶詰の蓋を引き上げるのに重く感じる、歩幅が狭くなった気がする、歩くスピードが遅くなったなどを実感するようになった場合も筋力低下に関連しているのでしょうか? いや、私がそうだというわけではありませんよ。
No.3201 全国都市問題会議
掲題の会議が、この7、8日の2日間鹿児島県霧島市で開催されました。毎年の秋、全国市長会が主体となって開催される会議で、全国から約2,000人の市長、市議が終結する一大イベントです。過去の市議時代にも2度参加したことがありますが、今回の問題テーマが「防災とコミュニティ」というものでしたので、夏前にあった案内時から参加を決めていたものです。
内容は、すべてが新鮮なものだったわけではなく、本年2月の防災士資格取得時の講義内容をしのぐという感じではありませんでしたが、もちろん、大いに参考になる点もあったので、近いうちにまとめてみたいと考えています。
衝撃的だったのは「日本に安全な場所はない」という言葉でした。確かに近代における過去の発生確率から言えば、若干の差はあるように思えますが、100年、200年のスパーンで考えればいつ何時何処が大災害に見舞われるかは予知できるものではありません。災害国日本は、そういう意味においては安全な場所はないと考えるべきだと実感します。だからこそ、防災対策が重要となるわけですが、実はこの対策も絶対的なものではないと。自助・共助・公助が問われる昨今、基本は他を頼る気持ちが大勢を占めていることが昨今の災害の実態でもあきらかだと言います。個人はもちろんコミュニティであっても行政依存度が高く、警報を聞いても自主防災隊が瞬時に活動する実態は少なく、住民に至っては避難準備すらしないことが昨今の大災害時にはっきり示されたそうです。この話を聞いて、私は別の言葉をふと思いつきました。「頼助」です。
参考的内容を少し紹介しますと、災害対策はトップダウンでできるものでも行うものでもなく、ボトムアップで構築していくものだと。しかも、その先にこれでいいというものはないと考えるべきだと。
コミュニティは生き物であり、社会関係、社会集団、地域的アイデンティティを有するものであって、行政が作ることはできない。
コミュニティとは地域という意味合いだけではなく、すべての組織、集団を指す。学校も会社もコミュニティである。
行政の災害対策向上を考えるには自治体職員の能力を上げることが求められる。実際、災害時の対応、復興対応では職員の力の差が如実に出るといいます。それには、常に災害対策を自力・独自で考える組織作りが必要なのかもしれません。
究極の防災力アップには、個人の防災力を高めることしかないとし、要するに自助能力をアップさせるということになります。行政に求めても自ずと限界はあるし、責任転嫁するべきものでもないということになります。頼助などとんでもないということでしょう。
なお、高齢者など避難要支援者については全く別の議論の対象とされています。これについてはまた示したいと思います。
ちなみに、薩摩の友人に聞いた話ですが、幸手市で鍵が無く避難場所を開けることが出来なかったというニュースは、鹿児島の新聞でも記事になったそうです。講義の中に「成功も失敗も情報として横に流す」という話がありました。その点で行くと皮肉な話ですが、幸手市の失敗は全国の教訓として役にたったということになるのでしょうか。
No.3200 晩秋に入り
今朝はかなり冷え込みました。台風災害に多くの人々が生きる糧を奪われながらも、復興活動に興じる日々ですが、作業も厳しさを増していくことになります。各地に集結したボランティアは延で8万人を超えているそうですが、それでも足りないとのことで、災害ゴミの山やあちこちに覆いかぶさる土砂を見る限り、水害の恐怖は東日本大震災に匹敵するものがあるようです。考えてみれば、大震災も揺れが元とは言え、津波水害とも言えるものでした。
沖縄のランドマーク的存在の首里城全焼にも驚愕させられました。人の命に関わることは無くとも、世界遺産の消失に多くの国民が悲しみに涙しています。こちらの復元も簡単ではなさそうです。コスト面というよりは、技術確保と材料調達が困難だというのですから、さすがに世界遺産だけのことはあると感じる話です。
そうした中、11月に入るやいなや市の行事も目白押しで、消防特別点検、健康福祉まつり、文化祭と続き、どれも盛会のうちに終了しました。2日の文化祭開会式の後、客席からしばしステージを拝見させていただきましたが、老後を楽しく過ごすすべを楽器演奏に見い出したかのような姿に思わず笑みがこぼれます。続いて数組のコーラスプログラム。コーラスのライブ鑑賞は久しぶりのことですが、「見上げてごらん夜の星を」のアンサンブルハーモニーを聴いていた時、なんとも言えぬ心境に陥り、不覚にも涙が頬を伝ってしまったのです。坂本九ちゃんを思い出したことよりも、綺麗なハーモニーと歌詞に聞きほれた結果としか言いようがありません。年々涙腺が緩んでいることは確かなのですが、信じられないほどのソプラノボイスが心に沁みてしまったとしか考えられません。
その後、展示会場でじっくり出品作品をに堪能しました。出会った数人の方から市長選の慰労言葉をいただきつつ、書の出展について問われる状況もありました。出したかったのですがねー、時間より精神にまったく余裕がなかったということでご理解ください。
当日午後から翌3日の福祉まつりの焼きそば出店準備に追われ、明けて3日は早朝から準備にあわただしく動き、その後、市役所駐車場での消防特別点検を拝見。いつもの通り、きびきびとした団員の皆さんに頼もしい想いと感謝の気持ちとともに永年精勤やご家族支援で表彰された皆さんに敬意を表するものであります。終了後、すぐにウェルスに立ち戻り、毎年恒例となっている焼きそばを焼く作業に! 香日向ボランティアクラブとして長いこと協力しているものですが、美味しかったです!という一言に癒されるところが頑張れる要因でしょうかね。
今朝は、これも恒例となった肩から二の腕にかけての疲労感が、今年は下半身全体にも感じるところとなり、疲労感にどっぷり見舞われた次第です。
4日は少々おろそかになっていた家事にいそしむ?といった連休と相成った次第です。
No.3199 選挙の未来
最も好きな女優さんは? と聞かれて、子どもの時から「八千草薫」と答えていた、その愛すべき女優さんが亡くなられました。享年88歳。これは私事で恐縮ですが、平成22年に亡くなった母の享年と同じです。著名人の死が続きますが、驚きと同時に無念という想いでは、八千草さんに勝る記憶がみつかりません。
慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
今年の埼玉県は随分と投票に出かけた印象がありますね。その選挙年が参議院議員補選でほぼ終了しましたが、最大のポイントは、誰が当選したとかという以前の問題として投票率の一層の低下傾向がはっきり示されたということでしょうか。
27日の参議院議員補選は、上田前知事の圧勝が予測されたこともあって、県選管の最終発表では県内全体で20.81%と、かろうじて20%台を保つ低さでした。30%を超えたのは、県内唯一の村である東秩父村の37.25%。しかし、同村の投票者数は936人です。ちなみに、幸手市は23.38%、お隣久喜市は22.68%、杉戸町は20.82%という結果でした。この結果は、昨今の傾向に加えて、この選挙に対する関心度そのものが低かったことがあったと思います。そういう意味においては、選挙をすることにどこまで意義があるのかということを考えさせられました。
なにしろ、この選挙にかかった費用が22億円というのですから、当初無投票とまで言われた経緯からかなり高額な税金が使われたわけです。突然、立候補を表明したN国党の候補者の思考には、いったい埼玉県をどう導きたいのかがわかりにくかったこともありますが、NHKの受信料ほどには選挙コストに頭は巡っていなかったようです。参議院選挙の時も国政とNHKを結び付けて国民生活をどう変えたいのかまでは理解できませんでした。問題を起こすことで知名度が上がり、そこに少なからず賛同者が増えていったといった感が拭えません。
参議院選挙で当選してまもない状況で辞職し、比例で同党の次点者が繰り上げ当選するという、有権者無視かつ身勝手な選挙行動。この後は、神奈川県海老名市、奈良県桜井市、東京都八王子市か府中市、神奈川県藤沢市、大阪府大東市、さらには来夏の東京都知事選まで、自らの立候補を視野に入れているというのです。次期衆院選には比例北関東ブロックで15人の女性を含む30人を立て、比例での当選を1~2名見込んでいるとか。
選挙制度の範囲とは言え、理解に苦しむ政治思考であると思えてなりません。もっとも、選挙のバラエティー化や劇場型選挙というのは、けっして新鮮なワードではありません。話題性が高いだけで総理候補とまでもてはやされるのですから。
こういった政治・選挙の在り方は、時代の流れの中でとくに若者の思考変化をリードする形で、山本太郎、立花孝志といった今までにない政治屋を生んでいるものと思います。SNSでは、これらをカルト的集団と呼ぶ一面もありますが、日頃の政治不信が社会に対する不満となって、選挙で爆発することを目論んでいるというのは、あながち当たらずとも遠からじなのかもしれません。
今、好評を博している映画に「ジョーカー」という米映画があります。女性や貧困者といった存在を無意識のうちに差別している現代社会の闇の中で、地下鉄の中で自らにふりかかる危機に堪忍袋を切らし、怒りの引き金を引くことで殺人スイッチが入ってしまう売れない道化師。自らの生い立ちに関係する虐待を知ることで実母の命に手をかけ、世の不条理に対してプライオリティーの命を奪うことをためらわないジョーカーへと変身していくストーリー。映画ではゴッサムシテイーと称するニューヨークの現代事情がいやというほどスクリーンに広がるのです。アメリカの裏事情は実際にこういう一面を持っているのではないかと感じさせる重い内容です。
そこまでは考えられないにしても、奇をてらうという意味ではれいわやN国という政党は若者の心をひきつける点があるのかもしれません。
選挙運動も資金があってのことですが、N国党の場合は、立花党首のユーチューバーとしてのスポンサー料が月額1,000万円から1,500万円に及ぶという説もあります。これも、スマホ社会がもたらした政治・選挙の新しい姿と言えるのでしょうか。
選挙の結果に基づく政治活動なんだという点からは、深い観点から公職選挙法のみならず選挙制度の在り方を考え直す時期に来ているのかもしれません。ついつい溜息をついてしまいそうな昨今の選挙実態を見るにつけ、そんな思いにふける日々です。それは低投票率だけの問題ではないようです。