いよいよ選挙戦も終盤戦に向かいます。ここまでの情勢は与党有利と報じるメディアが多いようですが、その真意はまさしくまちまちであると思われます。安倍倒閣支援のメディアは、いわゆる「褒め殺し」戦略に方向転換したのだろうと感じます。もっともTBSのサンモニの酷さは相変わらずといったところです。
ところで埼玉14選挙区の三ツ林ひろみ候補の街頭演説における内容の素晴らしさは輝いています。防災、農業、医療といった分野における今後の国政の取り組み方がわかりやすく、それこそ希望を感じさせる具体性にあふれています。今日は地元幸手の公民館での演説会でしたが、いつもの熱い魂の叫びにも近い話しぶりとは違う落ち着いた口調での内容の熱い近未来構想をじっくりと聴かせてくれました。
政治ばかりは当選しても野党にいては予算を動かせるわけではありませんし、地域発展に貢献することはなかなか難しいと言えます。イデオロギーは政治に関係ないと枝野氏などが発言していますが、自由社会においてあらゆる自由と安心安全に包まれる生活を堅持するためには、それを委託できないイデオロギーというのは確実にあるわけです、なぜなら国政・国会は国民の生活の安寧を考慮し、それを守る法律を構成する立法府だからです。国民の安寧は真の意味での民主主義を唱える政党でこそ実現出来ると言っても過言ではありません。
そして、そこには政党が持つイデオロギーとは別に政治家個人が持つイデオロギーに近い信念の存在が欠かせません。当選しなければ政治が出来ないという理由は私も当事者としてわからないではありませんが、当選できる可能性を吟味し、政党を渡り歩く候補者は信念も魂もかなぐり捨てるという点から信頼出来ない人物像と私は確信しています。離党には正当な理由が感じられる場合もあります。近い例で言えば、都議会都民ファーストを先日離党した二人の議員の場合です。しかも、まだ若いうちならそれも良しという面もあるでしょうが、県議を長くやり、国政に出るにあたり政党を変え、選挙のたびに所属を変える議員は本質的に前回投票してくれた有権者を裏切っていることに変わりはありません。
もっとも、地方政治にはイデオロギーは無きがごとしです。条例制定権はあっても立法府ではありません。首長選挙の立候補者の多くが無所属で名乗りを上げるのもそうしたことが原因だろうと思います。
話は変わりますが、今回の選挙戦でこんなことがありました。別に珍しいことではないと思いますが、私はこうしたことが不思議でなりません。昨日折込された選挙広報をご覧になられた方は多いと思いますが、14選挙区の希望の党候補をお願いしますとして杉戸、三郷、八潮の首長が名を連ねていました。このうちのある首長が選挙告示日に三ッ林選挙事務所を激励に訪れ一席応援演説をぶったのです。八方美人も政治の世界には付き物ですが、ここまでとなると私は空いた口がふさがらなくなるのです。
三ッ林候補の政治家としての実力は年々積み重なっていることが演説を聴くたびに理解できます。もちろん実直な人柄も身びいきが言わせるものではありません。私は希望の党の候補者も県議時代に同じ自民党議員として一緒でしたからわかっています。彼が自民党を除名になった時、その審判を下す党の党紀委員会の委員でもありました。
反体制的思考の方も、反自民、反安倍の方にもこれだけは申し上げたいのです。衆議院選挙における小選挙区は正に「人選び」なのです。
記事一覧
No.2931 埼玉第14選挙区への想い
No.2930 暗黒の政治
少々日が空いてしまいアクセスいただいた皆様には申し訳ありませんでした。けっして言い訳ではなく、前号をしっかりお読みいただきたいと考えた結果です。
実は、前号の内容は今回の選挙戦、とくに小池百合子という政治家を読み解く意味で渾身の長文と自負していたので更新せずにいたものです。
そうしたところ、元東京・中日新聞の論説委員だった長谷川幸洋氏の論説がネットで話題になっていることを知り、確認したところ正に言いえて妙、というか私の前号ブログをさらに深く解説している内容だったので感じいった次第です。タイトルは、その長谷川氏が名づけた小池百合子が志向している政治の姿を示す言葉です。
長谷川氏は、小池さんが総理指名を選挙後にするとして特定の人物指名を拒否したことを痛烈に批判しています。つまり自らが総理になれない立場でありながら選挙次第で総理を選ぶと言い切ったわけで、それは奢り以上の悪意が潜む思考を示すものだというのです。そして、政治も国民も小馬鹿にする許しがたい発言だとしています。私もそれについては読み解く角度は少々異なったにしてもまったく同感で、選挙で当事者が吐く言葉には微妙に深い意味をもたらしていることがあるものだと感じたのです。この人は何言ってるんだろう?あれー考えてみると随分おかしなことを言ってるぞーということがけっこうあるものです。小池さんは言葉に酔い、自分は優秀だと理解させたいタイプなのでしょうが、実際はかなり自分にブーメランとなる発言をけっこうしているのです。おそらく多くの人は気がつかないことかもしれません。
先日はプライムニュースで脱原発の対案について「自分の家でもつけている太陽光発電を各家庭でもつければ」と発言し、反町キャスターに300万もかかるから簡単ではないでしょうと返されて「でも今は少し安いものも出ているから」と・・どれほど安くなっているか、国民にとって安いとはどれほどのものかがわかっていない元環境大臣とは思えない安易な思考をさらけ出す始末。国家のトップなどとてもとてもといった本性を見せている。言葉が踊るだけで、今ではもりかけ問題一辺倒で安倍批判をすることにより局面打開をする選挙展開と化しているのが実態です。
反安倍マスコミや野党政治家は言葉尻をとらえ、それを批判の対象にします。いい例が安倍総理が都議選秋葉原で口にした「こんな人たちに負けるわけにはいかないんです」という言葉。これは聴衆の後方で横幕とプラカードをかざして「安倍帰れー」「安倍やめろー」と叫んでいた左派系集団数十名に向けて発言した言葉でした。気がつかれたかどうかわかりませんが、これは明らかに選挙妨害という犯罪なのです。一部の非常識集団に演説がかき消される状況を打破するために、総理は瞬間的に口に出たしまったのでしょう。しかし、総理という立場におもむきを置かれ、マスコミは「国民に向かって差別的言葉をぶつけた」となったのです。国会で民進党から指摘され総理は神妙に答弁していましたが、私は弁明する必要などないと思いながらテレビを見ていました。今回の選挙戦、柏駅前で同じようなことがありましたが、この選挙妨害に対して別の聴衆が総理にヤジっていた人たちに抗議をして静かになったということです。
長谷川さんは反自民、反安倍の代表格のマスコミ出身ですが、沖縄問題で基地建設反対の左派活動について問題点を指摘するなど真正是々非々の言論家の一人だと感じています。左派系の選挙違反もなんのそのといった卑劣な言動にメスが入ることはないのでしょうか?
眠気に襲われてとりとめのないブログになってしまいました。
No.2929 危険信号の相関関係
今日は肉の日! いやいや小生のこのブログが2929号になったというだけの話で、巷が肉の日ということではありませんので悪しからず。それにしてもあと71回書くと3000号に達するわけで、平成15年から続けてきたブログ更新もそれに達したら終了していいものかどうか・・・あらためてその時考えたいと思います。29たらしいから終わりにしろ!という方がいるかもしれませんが、そう思うとリファイト精神が持ち上がるかも。
前号の幸手の希望の★岡崎大輔くんが初ヒットを打ちました。この先、数年後には良きライバルとして幾多の名勝負を繰り広げるかもしれない藤平投手から最初の対戦でセンター前ヒットを打ちました。おめでとう!!とにかく来季が楽しみになってきたことは間違いありませんね。
さて、明日告示を迎える衆議院選挙、党首討論も連日行われ、昨日はNHK討論をご覧になった方も多かったのではないでしょうか。安倍総理の落ち着きが際立っていたと思うのは身びいきがゆえのことでしょうか。
今朝の5並びに6チャンネル、とくにテレビ朝日はもりかけ問題特集の感じで反安倍の印象操作を相変わらずといったところでした。テレビの影響が強いことは間違いないのでそれに煽られる有権者は少なくないでしょう。だからメディアの偏向報道が止まらないということです。
ところで私は小池代表が繰り出す言動と希望の党が示す「希望の道」しるべなる選挙公約を見て、首を傾げることしきりなのです。それも45度程度ではなく90度くらいまで曲がりそうな感覚と言うとわかりやすいでしょうか。もとより安全法制に反対したのに賛成すると約束した旧民進党議員が110人もいる政党に信頼感が持てないのは「失われた3年」の過ちを繰り返さないという意味において当然のことと思います。小池さん一人のブームで政権を変えようとはとても思えません。そのためにも、小池さんのこれまでの言動に感じる問題をまとめてみたのが下記のようになるのですが、それらの相関関係には希望の党のあるイメージが浮かんできます。
◆党名2月商標登録
8月頃は、党名は今検討中と答えていた小池さんだったが、すでに半年前に決めていて、細野、若狭、玄葉氏にそれを受け入れさせたことで、小池さんが国政復帰と総理奪取にしたたかな計画を有していたことが判明しましたね。
◆排除と選別発言
民進党議員に公認申請を出すに当たり排除と選別という高飛車な言葉で安全法制に対する踏み絵を実施しました。一部議員の憤りと拒否につながったわけです。
◆ユリノミクス発言
都知事候補をある国会議員に打診したが断られて暗礁に乗り上げ、都民の批判も高まったことで国政復帰をあきらめたのですが、政策説明の段階で経済政策に自らの名前を配したのには驚きました。なぜなら、首班指名することになれば新総理が外交防衛経済の指針を表明するのが当たり前で、これでは裏で総理を操るフィクサーを意識していると思われてもやむを得ないでしょう。
◆村山政権誕生のいきさつに言及
保革大連立の可能性を示唆したこの発言は、北朝鮮有事が国難および国際的な問題になっている今、あってはならない政権志向です。小沢一郎が仕掛けた9党連立の細川大連立政権は小選挙区比例制度を法制化したに過ぎず、わずか1年足らずの短命政権でした。当時、小池氏は日本新党の一員としてこれに関わっています。今や小選挙区制度も政治改革ならぬ政治低下の一因と言われる状況です。また、自民、社会、さきがけの3党連立村山内閣も1年足らずの短命に終わり、残したのは村山総理による従軍慰安婦問題への贖罪発言により日韓関係の混迷を深める痛手を負うことになったのです。
◆音喜多、上田両都議の離党
この二人が会見ではっきり言っていたことに、言論統制をして議員活動を制限する独裁志向について行けなくなったことがあります。二元制の地方自治にあって首長が議会を統制しようとするのは議会制民主主義にあらず。時に首長は自らがコントロール出来る議員で過半数をと考えるのだろうが、言論統制までするのは行き過ぎた権力志向でしかないのです。
◆ポスター写真で3万円徴収
金額の大小ではなく、こうした例は私自身聞いたことがありません。ブームと知名度に乗った手法は小池さんのナルシズムを彷彿とさせ、政治の場にふさわしいやり方とは思えませんね。
◆選挙資金は自己資金600万を徴収および別途党費として100万円を徴収
公認料という名目の選挙資金が配給出来る状況に無いのがあきらかで、それがために民進党の合流を持ちかけたという裏事情は噂の域を越えるものと考えられます。
◆ゼロ推進の庶民受けスローガン
「希望の道」しるべ12のゼロを見ると同時になんだこれ!まるで民主党が307議席を獲得したマスコミによる風選挙の時の民主党のマニフェストの再現のようではないか。いや、それよりひどい! 庶民が持つ時世の悩みをすべて無くすとぶち上げた内容ですが、非現実的なものまで含まれているのは滑稽以上のものがあります。たしかにゼロにできたらいいと思うものばかりだが、その手立てはどう考えているのかを示さなければ納得できる人は少ないでしょう。選挙に勝ちたいという意識を強烈に示しているが、まさに大衆迎合ポピュリズムの極地です。
・隠ぺいゼロ・・・自衛隊の日報問題をあてこすることでの安倍批判のゼロ。
・受動喫煙ゼロ・・都議会で可決した議員提案条例を自賛すると同時に都議会公明党さんへの配慮がにじむゼロ。
・満員電車ゼロ・・地獄の通勤ラッシュに不満なサラリーマン向けのゼロ。
・ペット殺処分ゼロ・・・世のペット大好きな方々へのリップサービス的ゼロ
・フードロスゼロ・・・・たとえ法律を作っても難しい話ではないかと思う。罰則でも設けるつもりか。気持ちはわかるとしてもわけのわからないゼロ。
・ブラック企業ゼロ・・・学生や働く人全般に向けたものと思うが、これも法律で制御していくつもりなのだろうか。
・花粉症ゼロ・・・もっとも意味不明なゼロ。花粉症の原因となる木を軒並み伐採しようとでも言うのだろうか。それとも医療進展を意味するのか?
・移動困難者ゼロ・・・理想もここまでくると滑稽だ。
・電柱ゼロ・・・地方都市はいいにしても大都市圏でこれがどこまで可能か。
すべてのゼロを実現するための工程、期間、予算、法改正等々、お示しいただきたいと思うのは私だけではないと思います。政治は20年、30年先を見越して未来を構築することが求められると私も思っていますが、それでも一般的には「言うは易し」の域を出ない場合が多い。それが、ここまでとなると政治公約というよりは無責任な個人的スローガンとしか思えません。まさに自分ファーストの希望の党であると言わざるを得ません。。
記載した各項目はそれぞれが人間性の点で危険なシグナルを暗示しているようでもあり、これらの相関関係から導かれる小池百合子総括は・・・
「独裁先制志向かつナルシズムな夢見る女帝タイプ」 最後に、夢が夢過ぎては希望にもならないということを戒めていただきたいと指摘してこの号を終わります。
No.2927 とどのつまりは選挙資金
希望?の党の1次公認が192人になったという。人数揃えて政権交代の資格が出来たとする若狭氏の言葉に違和感を感じざるを得ない。たしかに議会制民主主義の根幹は選挙と議会の多数派論理という数値原理に根差しているが、思想・心情・人柄といった議員の基本資質を個人的にも、チームワーク的にも問われる内容であれば政権ダッシュどころか政党自体の命すら永らえないのは明白だ。そのいい例が民進党であり、細川大連立政権であったということを残念ながら年配の有権者は記憶から遠のき、新しく資格を得た若き有権者は知る由もない。
民進党出身者が110名いるという。表向きは改憲、安全保障法賛成の踏み絵を経由しての公認だとするが、解体政党にあって何が何でも当選したいという自分ファーストの欲望に渦巻く寄合世帯にまともな合意や理解があろうと考えるのはかなり疑問だ。たとえば、立憲民主党に入った辻元清美曰く「選挙後は希望との連携も視野に入れたい」と。これは110名の中に辻元氏に近い議員が相当数いることを示すからにほかならない。結局は公認欲しさによる場しのぎの理念転換に過ぎないのだ。
小池氏にしても肝心のお膝元の都議から政治理念を問われ離党者が出る始末。誰もが言う、都知事としての実績はかき回しただけだと。行事・イベントには出席しパフォーマンスはしっかりやるというのは彼女のメディアを意識した戦略的匠みさがさせるのだろう。昨日の鹿児島での五輪旗の旗振りもそうだった。
そのマスコミだが、最近は小池旋風という言葉でしきりにはやす。しかし、どうだろうか? 街で会ういろいろな人と現状を語る機会に、小池氏に好感を持つ人はあまりいないのが実態だ。私の支援者でもなく、政治的お付き合いのない人でも小池氏に批判的な声が多いように感じる。東京のみならず各地でパフォーマンスを展開する小池氏だが、若狭、細野、玄葉氏たちに電話等々で細かい指示を発信しているのは理解の範囲だ。玄葉氏が辛い作業だったと漏らしたのは小池氏と旧同士との狭間での苦労があったからに違いない。
公認問題は言うに及ばず、小池氏は民進党の重鎮だった選挙区には候補者を立てず、また自民党の石破、鴨下、野田聖子といった特定のお仲間の選挙区にも同様の配慮をしている。政権を奪取した時にまで思いを張り巡らせているということか。その折にはベテランの力が必要だということと理解出来る。当たっていれば、深謀遠慮の行き届いたことと驚く限り。
反面、立憲民主党に合流した人たちには落下傘部隊を送り込むという。もっとも、共産党は早くも枝野氏の埼玉5区で予定していた候補者を取り下げると発表した。組織によっていろいろあるのだろうが、立候補を準備していた人はガキの扱われ方に近い。この点は小池手法も同じ体質を持っているが、組織とは異なり個人的な思考がそこには強く出ている。前述の3人もおそらく小池氏の言いなりといった感じなのだろう。小泉進次郎氏が「出ても出なくても無責任。ならば選挙に出て下さい」と語る姿がテレビで流されると「進次郎さんがキャンキャンはやしたてますが、お父さんには約束し理解してくれています」と進次郎氏をまるで犬のような比喩で子供扱いした。前号でも書いたが、彼女の発するボキャブラリーはよくよく聞くと小さなトゲがある。そういう表現が咄嗟に思い浮かび、悪びれることもなく口にするタイプか。それがまたメディアが面白おかしく取り上げる。小池流選挙術の真骨頂ということなのかもしれない。言葉は自らを高めることもあり、貶めることもある。私は小池氏の発信する言葉は彼女の人間性を理解する上で関心を持って聞くようにしている。もっとも、人間性という部分では2月の時点で希望の党を商標登録していながらそれを隠して最近考えたと発言、事実がバレて追求されるとさらーと受け答えするしたたかさは、計算づくしの思考とも合わせてとてもわかりやすい人だと感じている。マスコミがこれをさして報じないところが安倍より小池ということらしいかなとも思うが、この時期から政権奪取を思慮していたということの証だから驚く。希望が失望に変質したらマスコミの責任も問わなければならない。
さて、本号のタイトルについてだが、大きな疑問を感じている。
民進党には140とも150とも言われる億単位の資金があるそうだ。それはいったいどれほどのものが希望の党に流れるのかということである。希望の党の結党メンバーには民進党離党者が今回の候補者中8名いる。いわゆる意味のない代表選の前後に離党した議員たちである。その8名中細野氏を除く7名は除名になった方々である。もしも民進党から資金が流入すると、いや入るのは間違いないと思うが、この除名議員たちはなんのことはない民進党の資金を選挙戦に使用できることになる。結党ンメンバーとして非除名合流者たちより新党での格付けは上で、なおかつともに民進党の資金を使えるとは・・・これって頭の硬い私にはどうにも理解出来ない話なのだが・・・。
枝野新党も割り当てを要求しているようだがどうなるかは前原氏の腹次第。
万が一、枝野党に割り当てがなければ裁判沙汰にしてもいいくらいの不公平な仕打ちと言えるだろう。
小池氏が国政政党を立ち上げる意欲で2月に政党名を登録していたのは前述の通りだが、その最大の狙いは民進党の資金にあったというのもすでにメディアが伝えていることだ。6月の時点である人物を通して民進党に持ちかけていたということで、この人物には小泉、細川、小沢といった名が上がっている。脱原発という選挙用公約を通じて小泉氏とは間違いなく周到に打ち合わせをしていたのかもしれない。そして、壊し屋小沢一郎はまたしても自由党を捨てた。選挙後の小池氏への配慮からだろうが、政治理念お何も感じられないただただ睨みとつぶしのきく政治家だったと解釈している。メディアが取り上げるのが不思議でならない。
はてさて、まさしく政治の五分先は闇ですね。
No.2926 大義どころか矛盾だらけの結党騒動
民進党解体! あの代表選はなんだったのか。岡田、野田、菅、安住、江田といった代表・副代表経験者たちは枝野氏と組む菅をのぞき無所属で選挙に臨むという。こうして要職にあった議員の名は頻繁に報じられるが前代表の蓮舫はまったく聞かれない。重鎮扱いされていないことが今回の騒動で判明した?
希望の党の「この指とまれ」も言葉の端々に排除の論理を見せる小池独裁の影が色濃く感じられ思うに任せない。
「申し入れがあった後に選別させていただく」
「全員受け入れはさらさらない」
「他の言葉でなく私の言葉がすべてだ」
政権政党であり、かつての総理や代表に対して礼を失する上から目線である。言葉ひとつで人のイメージが変わることは意に介さないようだ。若狭氏と細野氏という資格認定調整コンビも国を担うという観点からはたよりないが、小池氏は本心から彼らにお任せという認識ではなく強力なトップダウン思考を発揮している。姉御肌の権力思考が人柄の根本にある女性という人物評価をかなり前から(小沢氏との関係を深めた頃から)感じていたが、確かだったと今思う。歪んだ独裁にならなければいいが・・・。
そもそも民進党にしても党議拘束があったとはいえ安全法制に全員が反対している。それどころか、委員長席になだれ込んでの子供に見せたくない政治家の姿を散々テレビで見せてくれた。福山、小西、柚木、玉木、女性議員までダイブしての大騒動だった。国会の外でシールズたちがふりかざしていたプラカードを委員会に持ち込んでの抗議も共産党や社民党と一緒になってしていた民進党。これだけでも全員踏み絵を踏む資格すらないことになるはずだが議員継続のためには安全法制賛成に変質するのも恥ずかしくはないようだ。やはりどう考えても完全一致は考えにくい。野合の性質は相当分残すと見るのが正解だろう。憲法改正についても、小池氏、細野氏ともども9条改正には触れず地方分権などを対象にして憲法改正論を主張する。つまりはお茶を濁した憲法改正論でしかない。ここに自主憲法制定を理念としている中山恭子氏がなぜ合流したのかが私の最大の不思議感覚として残るのだが、これが政治の闇の部分で真相はやがて明らかになるだろう。北朝鮮有事という最大の危機国難において自衛隊と憲法の関わりの議論は避けて通れない。
立憲民主党を枝野氏が立ち上げた。この新党の「この指とまれ」はどうだろう。立憲ならぬ護憲のほうが主義主張が伝わりやすいと思うのだが、どうもリベラルと言われる人たちは立憲という言葉がお好きなようだ。長妻、赤松、辻元といった方々・・・理念としては社民党に合流すればいいだけではないかと思うのだがどこか違いがあるのだろうか。
1993年の細川大連立政権、2009年の308議席を獲得しての民主党政権と過去2回の自民党大敗の後の政権がたどった運命はいずれも失政の結果、国力をそぐこととなった。前者は8党による非自民大連立だったが新生党小沢とさきがけ武村の軋轢を産み、内紛、、権力闘争が治まらなかったことでわずか8か月の短命だった。やったことと言えば当時政治改革を掲げた細川小沢による小選挙区制度の法制化くらいだったがこの実現には野党自民党総裁河野洋平も合意したという経緯がある。そもそも現在に至り小選挙区制度に対する問題点を語る識者がかなり多い。後者は「失われた3年」という言葉に象徴される。ともに小沢一郎が仕掛けた政治のうねりであった。実は、1993年の時小沢の側近として小池氏は暗躍した。 はそして今回2度目の自民対抗勢力としての選挙戦であり、またまた小沢氏と共闘があるやなしは別にして今回は新党の旗頭としての選挙となる。この人の人柄や思考のベクトルがこうしたことをくり返す原点なのかもしれない。
民主主義の最大のイベントである選挙は、マスコミのブーム起こしとそれに乗る国民の新しもの好きによって政治の低迷すなわち国民生活の低下を招いたと言っても過言ではない。風に乗った新党政権は限りないリスクをはらんでいることは歴史が語っている。結局は理念心情を選挙上のご都合主義でその都度置き忘れる政治家たちの矛盾に翻弄される国民にも責任はあるのだろう。
No.2924 野望、欲望、失望、絶望、待望、羨望
いやいや日々蠢く政治の世界。大志を抱いて政治家になったひとたちの矜持はいったいどのように理解したらいいのか有権者のほうが戸惑うばかり。
タイトルは望という文字がかなり意味合いの異なる熟語として存在しているので取り上げてみた。どの望をどの政治家が強く感じるもしくは持っているのか一人一人当てはめて見ると面白い。
さて、私はこれからまだまだサプライズがいくつか起こると予測しているが、そのうちの二つを示してみたい。
◆小池氏は周囲からの多くの出馬要請を受けるという流れで国政への腰を上げるというシナリオを公示直前に発表する可能性が充分ある。目的は総理になるチャンスがこうした形で巡ってくるとは少なくとも国会を辞し都知事選に出る1年前までは予測していなかったはずだ。しかし、その後の経緯から半年前くらいから周到に新党設立の道を計算していたと思われる。2月20日に都民ファーストと同時に希望の党を商標登録していたことがなによりではないか。会見では数日前に思いついたと言っていたが、まったくの詭弁だったことが明らかになった。
しかし、これは都民不在、都政放棄という批判を受けることになる。都知事としての実績はただただ問題提起をしてかき回し、自ら掲げた問題の解決に道筋をつけたということで納得出来るものはひとつもなかった。逆に移転遅延保証金など予定外の予算が発生した。その上で国政に出るとは・・・・都知事選挙が100億近くかかることを思うとこれほど無責任なことはない。1年前に都知事になるためにやめた国政に復帰することに政治家としての矜持が感じられない。
◆小沢一郎氏が新党合流を表明した。これは周到な戦略と予測するほうがこの際適切ではないか。というのは、小沢氏に対する嫌悪感は国民の多くが共有していることであるから合流して良いことはない。新党結党に参加した長島さんや中山さんなどとのすり合わせもおよそ不可能に近い。そこで、小池氏は小沢氏の合流を拒否することで国民受けを狙う・・・そのために小沢氏があえて合流を表明するという裏で仕組まれたシナリオかつイメージ戦略ではないかと。これこそある意味サプライズそのものではないか。政治の世界はいろいろである。小沢氏と小池氏ならこのくらいのことは有り得る。小沢氏自体全国的人気は無いと自覚していることと、安倍政権倒閣を最も望む政治家である。安倍でなければ誰でもいいくらいの思いの持ち主である。
合流か吸収合併かは別にして、実際は今回の状況は小池氏と民進党の一部と7月ころから画策されていたという。その話は代表の蓮舫氏はまったく聞かされていなかったというから驚く。野田幹事長はそれをやむ無しと了解したというから、幹事長の再任に応じるはずもなかったわけだ。群馬の民進党議員の石関氏が後援会の集まりで発言した話だから信ぴょう性は高い。
まだまだいろいろあるが、今回はここまでということで。とにかく小池氏の国政復帰宣言は来月9日までが期限だ。これをトップニュースに話題を誘引し選挙戦に突入するくらいのことはやる・・そういう人だ。さて、この予測当たるかどうか。