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No.2177 東1〜2丁目の冠水

2012.05.04

ファイル 115-1.jpg 春の長雨というのでしょうか・・・さほどの集中豪雨ではなかったと思っていたがご覧のような状況に見舞われた地区が幸手市東丁目および2丁目。

 所用でちょうど通りかかったのだが、前方でトラックが止まったまま動かないのでおかしいと思っていたら市職員さんの姿が見えた。えっ?と思ったが、すぐに冠水したことが理解できた。トラックは切り返して道を変えたが、私はギリギリのところまで行って、職員さんに「そんなに降ったかね?」と尋ねた。その職員さんの言うことには「上流部でかなり降ったようなんです」
 なるほど! だいたい雨天冠水というのは当地区だけで降っただけより上流で大雨になった時が問題なんだということはごく当たり前のこと。
 ただ、やはりこの地がこうした状況になっていることへの実感が持てるほどの大雨とは思わなかった。

ファイル 115-2.jpg 帰り際に再度野間アスレチックさんの交差点に出向いたところ職員さんが二人・・・やはり駅方面は通行止。2丁目の各路地もかなりの冠水。少し行き過ぎて裏手の土手を上がり倉松川を見たら、やはりかなりのオーバーフローに近い。こうした場合、たとえ幸手で雨がやんでも危険が去ったわけではないとまたまた当たり前のことを自らに言い聞かせて写真を数点撮って帰路についた。

 それにしても、こうした際の市職員さんの対応は行政として当然とはいえご苦労なことだ。GWもへったくりもないのだから。お疲れ様!

No.2167 埼玉東部消防組合消防局

2012.04.07

 5日、東部地区3市3町による「消防広域化協定」の調印式が行われた。
 県内を7ブロックに区分指定し、県の主導で進められてきた消防広域化は、所沢地区が先に広域化を決定し、今回の東部地区が2番目に広域化実現地域として名乗りを上げることとなった。

◆2006.6「消防組織法の一部を改正する法律」により、消防広域化が法制化
◆2008.3 埼玉県が「埼玉県消防広域化推進計画」を7本部制として策定 
◆2008.7 県は市町村長、消防長を対象に広域化説明会を開始
◆2009.5〜消防広域化第7ブロック連絡協議会が4回にわたり開かれる
◆2011.1 消防広域化第7ブロック協議会設立

 といった経緯をふまえ、以降関係会議は20数回を数え、途中、羽生と蓮田の離脱といった出来事もあったが、地域住民の安心安全を最大の目的とした広域化がようやく協定調印というところまでたどりついた。
町田前市長が「これは将来の地域の消防だけではない救急医療体制にも関わる重要な案件だから絶対に実現しなければならない!」とよく口にしていたのを思い出す。
 上田知事、県議6名、そして各自治体の市議も多数駆けつけ、この調印式を見守った。しかし、ここで完結ではない。全自治体が6月議会で広域化議案を上程し、議会議決があった後、県知事に申請手続きをとることが残されている。
 開始時期は2013年4月1日、「埼玉東部消防組合消防局」として正式に発足する。

No.2131 八ツ場ダム建設継続

2011.12.23

ファイル 69-1.jpg 計画以来59年の歳月を経て、というより地元住民の複雑な思いや苦難を強いながら実現に向かっていた八ツ場ダム。
 政権交代で突然中断されていたが、いよいよ建設継続が決定された。
 人にはいろいろな思いがあり、このダム工事に反対の意見も存在するのは理解しているが、どちらかに決定するというのであれば、政治的マニフェストを死守したいがための、いわゆるメンツ、プライドを重んじることで、広域の安心安全および生活再建の道を閉ざしていいとはとても思えなかった。

 昨日、本会議終了後の4時35分頃から県議会八ツ場ダム建設推進議員連盟臨時総会が開催され、そこに定例会終了に際し挨拶をされてまもない上田知事が出席した。22日は前田国土交通大臣が最終結論を出すということで大方の注目を集めていたが、本会議後、継続の判断をした旨の電話が前田大臣から上田知事宛に入ったそうだ。その内容をいち早く伝えたいということから議連が急遽開催されたと理解している。
 前田大臣もすぐその足で群馬県に向かい大澤知事に直接これを伝えた。対応としては真摯なものに感じる。党内の強力な反対を押し切って決断を下し、地元住民には60年近い年月を精神的にも生活の上でも翻弄したことをお詫びすると発言・・・これこそが政治家の姿だろうと思う。
 前原氏は中止決定に対する厳しい反対意見に配慮して再検証のスキームを設けたが、結局自らの主張に反する結論を素直に認める姿勢はなかった。それどころか、長野原町および同住民に対する生活再建策を策定すると言って置きながら、ただの一度も施策を提示することなく、地元を再訪することもなかった。私は正直この政治家に期待していたが、見込み違いを認識している。不遜かつ謙虚さと慈悲に乏しい政治家だと。

 すでに各紙一面でこれを伝えているようなので詳細は省くが、感無量といった様子でここまでの経緯を語る知事は満足そうな笑みを浮かべていた。
 4,600億円の総事業費のうち8割方進捗している同工事は、本体工事にようやく進むことができるが、なんとかこの2年以上に及ぶ遅れを取り戻して、当初計画通り平成27年度には完成するようにしたいものだ。

No.2103 9月定例議会補正予算案

2011.09.18

 県議会9月定例会に提出される補正予算案の概要が届けられました。
 その中に東日本大震災支援がどの程度組み込まれているかという点について、最大の関心が向くわけですが、結果はそれなりの額があてられたと判断できる中身でした。
 今後の5年間で必要な復興費用が19兆円とも言われてますので、それとの対比での判断は正解がないといった感じですが、一県としての対応と考えると、まずまずなのかなと思います。

 提出予算案の総括として、「東日本大震災による被災者の生活再建支援を確実なものにするための予算措置を講じるなど、当面緊急に対応すべき事業について補正予算を編成した」とされています。

 その規模は、
◆一般会計で・・・75億3,235万1千円(累計で1兆7,022億8,078万2千円)
◆主な内容は
  ・被災者生活再建支援基金・・・・・・・・・・42億2,658万5千円
  ・被災者支援実施県内市町村への経費支弁・・・3億6,216万8千円
  ・放射線測定機器の増強・・・・・・・・・・・1億2,393万
  ・緊急輸送道路の橋梁耐震化や交差点改良・・・14億1,950万円
  ・被災した社会福祉施設の復旧費用・・・・・・1億2,275万9千円
 となっており、約63億円が大震災支援関連予算となっています。
 
 また、上記予算額の財源は、
  ・国庫支出金・・・・・・・・・・・・・・・・14億2,282万1千円
  ・繰入金・・・・・・・・・・・・・・・・・・6億8,862万2千円
  ・県債・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7億2,600万 
  ・地方交付税(特別交付税)・・・・・・・・・40億9,738万6千円
 などとなっています。


当選後2度目となる県議会。会期は22日から10月18日までとなっています。

 

No.2091 南三陸町の表情

2011.08.21

 今朝は、ゲリラ豪雨とは違うおだやかな雨模様となっています。こうした雨降りにそれなりの風情を感じるのは、有り難味を感じさせてくれない降り方が日常になっているせいでしょうか。

 さて、前号に続いて南三陸町の現況をお伝えしようかと思います。
 気持ち良く笑顔で迎えてくれた事務局長さん、副局長さん、そして副町長さんに、まずは御礼申し上げておきたいと思います。

 まだ、この時お聞きした内容のまとめができていませんので、今号ではいくつかの写真で、同町の現状をご理解いただきたいと思います。ここ数日、ニュースで南三陸町がかなり取り上げられているようです。

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 写真左上:写ってはいませんが、右側トンネルを出た直後の山側の崩落で、今だに手が入らない気仙沼線と津波による塩害を受けた杉の植林。
 写真右上:警察官舎の上に持ち上げられたままの車。ここは海から500mほどある場所です。
 写真中左:志津川商工会の門が見えますが建物は跡形もなく、奥に見えるのは道路と川を挟んだかなり向こう側にある防災庁舎センターの鉄骨3階の残骸。このセンターは、女子職員が避難誘導を叫び続けて自ら津波にのまれた建物です。この建物前には、献花と焼香台が設置されていました。

 とにかく、一にも二にも「ガレキ撤去」 これが最優先課題ですと一様に口にされる役所関係者の話が写真からもおわかりいただけるかと思います。
 南三陸町の年間ゴミ排出量は約5000トンですが、災害で排出した処理すべきガレキは700,000トンだそうです。単純計算で140年分に相当する量です。復興費用の見積もりは4,000億円ですと。さらっと言われても、えっと驚くほどいずれも膨大な数値・・・それを証明するかのような被災現地の風景・・・まさに荒野化状態です。
 南三陸町が他の被災地と異なる点は、海岸沿いにあらゆる行政機関が集中していために、それらがすべて破壊の対象になっているということだそうです。

No.2090 南三陸町で 

2011.08.17

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 お知らせの通り、13日から南三陸町でのボランティア活動を行い、昨16日に帰宅しました。内容も豊富なので、数回にわたっての書き込みになると思いますが、まずは、整理がなかなかつかないところで、行程にもとづき箇条書きでの行動報告からしたいと思います。内情に関してはまたの機会ということで。

◆往路状況
 13日当日の朝、白河から矢板を中心に70㌔の渋滞というニュースを見て、この時期の選択はまずかったという思いが走った。しかし、考えて見ればここしかスケジュールはとれなかったのだからやむを得ないと理解するしかない。
 ところが、実際は進むほどに渋滞も解消する流れの良さで、5時半に出て、途中2度の休憩を挟んで23時に到着した。道も2度迷ってしまったのに・・。

◆初日の活動
ファイル 27-5.jpg 電話で聞いていた通り、朝8時半にボランティアセンターに出向く。
 受付で新規と継続の区別がされており、新規は150人まで当日は受け付けると言われ、列に並んだ。なんと自分が最後の150番目だった。
 同町新田(にいだ)地区までバスで送られてのガレキ撤去作業。猛暑の中での作業は、1時間継続もままならないほどきついものだったが、適度な休憩と水分補給でなんとかついて行くことができた。

ファイル 27-2.jpg9時半から3時半まで、昼食の購入もままならず(店もない)、水分だけで最後まですます。しかし、食欲もなく、じつは2日目も昼食をとる気持ちにならなかた。水分の提供が不足するということはなかった。

◆2日目の活動
 前日終了時に、継続手続きをしていたので、作業にあぶれる心配はなかったことと、たった1日で気持ちに余裕ができていたのは不思議な感じだった。これは同行の2人、須賀議員と新井議員も同様だった。 
 この日は、センターのある地区とは湾の反対側にあたる津宮漁港での土嚢作りがメーンだった。朝礼説明で、最もきつい作業とニヤッと微笑む社協のリーダーの思わせぶりで、場が緊張となごみに包まれる。このリーダー、聞くところによると、この活動のために職を捨てて現地で奉職した人物だとか。まだ30歳前後と思われる好青年だった。

 バスで30分ほどはあっただろうか。着いたところは、小さな港だった。グーグルの地図にも載っている港そばの民宿は跡形もなかった。そこでの土嚢作りは、まさに予告通り暑さ、重さ、単純さの3重苦でのきつい作業だった。30分やっては10分休むといったものだが、それ以上求められたら、強制労働に感じたかもしれない?? いや、それほどのものでしたよ、ほんと。

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1袋60㌔程度の砂利をスコップで入れ、口を締めて定位置に運ぶものだが、40人ほどのメンバーがせっせと作業に励んだ。この土嚢は、同町の主力産業である銀ジャケ、カキ、ホタテ、ワカメ、ホヤといった養殖イカダのオモシに使われるそうで、多くのイカダは流されてしまったという。一からの出直しということだが、銀ジャケは10月には戻って来るそうだから大急ぎの作業なのだ。
3時頃には、埠頭に満潮の海水が溢れてくるので、作業終了。これは地震の影響で、湾を取り巻く南三陸町全体が70センチ以上沈下したことが原因だそうだ。 
 いろいろな形で震災・津波の残した傷跡は甚大なものだということは、現地に行って理解できることが多かった。

 センターの戻って、息と気持ちを整え、すぐ脇の仮庁舎に出向いた。議会事務局で副課長さんと面談することができた。ここでの話はまた。

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