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No.2131 八ツ場ダム建設継続

2011.12.23

ファイル 69-1.jpg 計画以来59年の歳月を経て、というより地元住民の複雑な思いや苦難を強いながら実現に向かっていた八ツ場ダム。
 政権交代で突然中断されていたが、いよいよ建設継続が決定された。
 人にはいろいろな思いがあり、このダム工事に反対の意見も存在するのは理解しているが、どちらかに決定するというのであれば、政治的マニフェストを死守したいがための、いわゆるメンツ、プライドを重んじることで、広域の安心安全および生活再建の道を閉ざしていいとはとても思えなかった。

 昨日、本会議終了後の4時35分頃から県議会八ツ場ダム建設推進議員連盟臨時総会が開催され、そこに定例会終了に際し挨拶をされてまもない上田知事が出席した。22日は前田国土交通大臣が最終結論を出すということで大方の注目を集めていたが、本会議後、継続の判断をした旨の電話が前田大臣から上田知事宛に入ったそうだ。その内容をいち早く伝えたいということから議連が急遽開催されたと理解している。
 前田大臣もすぐその足で群馬県に向かい大澤知事に直接これを伝えた。対応としては真摯なものに感じる。党内の強力な反対を押し切って決断を下し、地元住民には60年近い年月を精神的にも生活の上でも翻弄したことをお詫びすると発言・・・これこそが政治家の姿だろうと思う。
 前原氏は中止決定に対する厳しい反対意見に配慮して再検証のスキームを設けたが、結局自らの主張に反する結論を素直に認める姿勢はなかった。それどころか、長野原町および同住民に対する生活再建策を策定すると言って置きながら、ただの一度も施策を提示することなく、地元を再訪することもなかった。私は正直この政治家に期待していたが、見込み違いを認識している。不遜かつ謙虚さと慈悲に乏しい政治家だと。

 すでに各紙一面でこれを伝えているようなので詳細は省くが、感無量といった様子でここまでの経緯を語る知事は満足そうな笑みを浮かべていた。
 4,600億円の総事業費のうち8割方進捗している同工事は、本体工事にようやく進むことができるが、なんとかこの2年以上に及ぶ遅れを取り戻して、当初計画通り平成27年度には完成するようにしたいものだ。

No.2103 9月定例議会補正予算案

2011.09.18

 県議会9月定例会に提出される補正予算案の概要が届けられました。
 その中に東日本大震災支援がどの程度組み込まれているかという点について、最大の関心が向くわけですが、結果はそれなりの額があてられたと判断できる中身でした。
 今後の5年間で必要な復興費用が19兆円とも言われてますので、それとの対比での判断は正解がないといった感じですが、一県としての対応と考えると、まずまずなのかなと思います。

 提出予算案の総括として、「東日本大震災による被災者の生活再建支援を確実なものにするための予算措置を講じるなど、当面緊急に対応すべき事業について補正予算を編成した」とされています。

 その規模は、
◆一般会計で・・・75億3,235万1千円(累計で1兆7,022億8,078万2千円)
◆主な内容は
  ・被災者生活再建支援基金・・・・・・・・・・42億2,658万5千円
  ・被災者支援実施県内市町村への経費支弁・・・3億6,216万8千円
  ・放射線測定機器の増強・・・・・・・・・・・1億2,393万
  ・緊急輸送道路の橋梁耐震化や交差点改良・・・14億1,950万円
  ・被災した社会福祉施設の復旧費用・・・・・・1億2,275万9千円
 となっており、約63億円が大震災支援関連予算となっています。
 
 また、上記予算額の財源は、
  ・国庫支出金・・・・・・・・・・・・・・・・14億2,282万1千円
  ・繰入金・・・・・・・・・・・・・・・・・・6億8,862万2千円
  ・県債・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7億2,600万 
  ・地方交付税(特別交付税)・・・・・・・・・40億9,738万6千円
 などとなっています。


当選後2度目となる県議会。会期は22日から10月18日までとなっています。

 

No.2091 南三陸町の表情

2011.08.21

 今朝は、ゲリラ豪雨とは違うおだやかな雨模様となっています。こうした雨降りにそれなりの風情を感じるのは、有り難味を感じさせてくれない降り方が日常になっているせいでしょうか。

 さて、前号に続いて南三陸町の現況をお伝えしようかと思います。
 気持ち良く笑顔で迎えてくれた事務局長さん、副局長さん、そして副町長さんに、まずは御礼申し上げておきたいと思います。

 まだ、この時お聞きした内容のまとめができていませんので、今号ではいくつかの写真で、同町の現状をご理解いただきたいと思います。ここ数日、ニュースで南三陸町がかなり取り上げられているようです。

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 写真左上:写ってはいませんが、右側トンネルを出た直後の山側の崩落で、今だに手が入らない気仙沼線と津波による塩害を受けた杉の植林。
 写真右上:警察官舎の上に持ち上げられたままの車。ここは海から500mほどある場所です。
 写真中左:志津川商工会の門が見えますが建物は跡形もなく、奥に見えるのは道路と川を挟んだかなり向こう側にある防災庁舎センターの鉄骨3階の残骸。このセンターは、女子職員が避難誘導を叫び続けて自ら津波にのまれた建物です。この建物前には、献花と焼香台が設置されていました。

 とにかく、一にも二にも「ガレキ撤去」 これが最優先課題ですと一様に口にされる役所関係者の話が写真からもおわかりいただけるかと思います。
 南三陸町の年間ゴミ排出量は約5000トンですが、災害で排出した処理すべきガレキは700,000トンだそうです。単純計算で140年分に相当する量です。復興費用の見積もりは4,000億円ですと。さらっと言われても、えっと驚くほどいずれも膨大な数値・・・それを証明するかのような被災現地の風景・・・まさに荒野化状態です。
 南三陸町が他の被災地と異なる点は、海岸沿いにあらゆる行政機関が集中していために、それらがすべて破壊の対象になっているということだそうです。

No.2090 南三陸町で 

2011.08.17

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 お知らせの通り、13日から南三陸町でのボランティア活動を行い、昨16日に帰宅しました。内容も豊富なので、数回にわたっての書き込みになると思いますが、まずは、整理がなかなかつかないところで、行程にもとづき箇条書きでの行動報告からしたいと思います。内情に関してはまたの機会ということで。

◆往路状況
 13日当日の朝、白河から矢板を中心に70㌔の渋滞というニュースを見て、この時期の選択はまずかったという思いが走った。しかし、考えて見ればここしかスケジュールはとれなかったのだからやむを得ないと理解するしかない。
 ところが、実際は進むほどに渋滞も解消する流れの良さで、5時半に出て、途中2度の休憩を挟んで23時に到着した。道も2度迷ってしまったのに・・。

◆初日の活動
ファイル 27-5.jpg 電話で聞いていた通り、朝8時半にボランティアセンターに出向く。
 受付で新規と継続の区別がされており、新規は150人まで当日は受け付けると言われ、列に並んだ。なんと自分が最後の150番目だった。
 同町新田(にいだ)地区までバスで送られてのガレキ撤去作業。猛暑の中での作業は、1時間継続もままならないほどきついものだったが、適度な休憩と水分補給でなんとかついて行くことができた。

ファイル 27-2.jpg9時半から3時半まで、昼食の購入もままならず(店もない)、水分だけで最後まですます。しかし、食欲もなく、じつは2日目も昼食をとる気持ちにならなかた。水分の提供が不足するということはなかった。

◆2日目の活動
 前日終了時に、継続手続きをしていたので、作業にあぶれる心配はなかったことと、たった1日で気持ちに余裕ができていたのは不思議な感じだった。これは同行の2人、須賀議員と新井議員も同様だった。 
 この日は、センターのある地区とは湾の反対側にあたる津宮漁港での土嚢作りがメーンだった。朝礼説明で、最もきつい作業とニヤッと微笑む社協のリーダーの思わせぶりで、場が緊張となごみに包まれる。このリーダー、聞くところによると、この活動のために職を捨てて現地で奉職した人物だとか。まだ30歳前後と思われる好青年だった。

 バスで30分ほどはあっただろうか。着いたところは、小さな港だった。グーグルの地図にも載っている港そばの民宿は跡形もなかった。そこでの土嚢作りは、まさに予告通り暑さ、重さ、単純さの3重苦でのきつい作業だった。30分やっては10分休むといったものだが、それ以上求められたら、強制労働に感じたかもしれない?? いや、それほどのものでしたよ、ほんと。

ファイル 27-3.jpg ファイル 27-4.jpg

1袋60㌔程度の砂利をスコップで入れ、口を締めて定位置に運ぶものだが、40人ほどのメンバーがせっせと作業に励んだ。この土嚢は、同町の主力産業である銀ジャケ、カキ、ホタテ、ワカメ、ホヤといった養殖イカダのオモシに使われるそうで、多くのイカダは流されてしまったという。一からの出直しということだが、銀ジャケは10月には戻って来るそうだから大急ぎの作業なのだ。
3時頃には、埠頭に満潮の海水が溢れてくるので、作業終了。これは地震の影響で、湾を取り巻く南三陸町全体が70センチ以上沈下したことが原因だそうだ。 
 いろいろな形で震災・津波の残した傷跡は甚大なものだということは、現地に行って理解できることが多かった。

 センターの戻って、息と気持ちを整え、すぐ脇の仮庁舎に出向いた。議会事務局で副課長さんと面談することができた。ここでの話はまた。

No.2089 新盆のスタイルにも・・・

2011.08.13

 私事で恐縮だが、この夏の盆は我が家でも新盆となる。昨年の7月7日に亡くなった母のほぼ1年遅れの新盆だ。今日の4時からだが、それも早々に6時出発を目途に東北に出かける。他の議員仲間2人とボランティアのために南三陸町へと向かう予定だ。
 前々から考えていた活動計画なのだが、互いにどうにもならないスケジュールが続いていた関係もあったのだが、なんとか実現できる運びとなった。

 しかしながら、実は、お盆の時期とボランティア活動との関連で、被災地がどういう状況であるかの読みが甘い点は否めなかった。と言うのは、新聞にも書かれてはいたのだが、盆時期にボラ活動を受け入れている自治体が少なかったのだ。
 確認の意味も込めて、電話をしまくったが、やはり報道そのままで、なんとか南三陸町が受け入れてくれることとなった。

 なぜ、この時期の支援者活動を休みにしているかの最大の理由は、16,000人もの方が亡くなっている関係で、被災地域全体が新盆ということなのだ。ゆえにボランティアに対する指示はもとより、業務依頼もなにも出来にくい状況ということらしい。それはそうだ。さもありなん。そんな中、受け入れてくれた南三陸町には、逆に感謝しなければならない。

 わが母の新盆が、幸せなものだとすれば、いまだ5,000人ほどの行方不明者がいる状況下での新盆とは、一体全体どのようなものなのか・・・想定外、常軌を逸する災害にあって、新盆のスタイルも一般とは異なるはずだ。

 9日から11日までは山形県内4か所の視察出張(後日書き込み予定)から戻ったばかり。強行軍とぶりかえした暑さもあって、家内は熱中症を心配するが、事に熱中しやすい性格から、重々注意して活動にあたろうとと自ら思う??? 
 まあ、どうなりますか。東北道の渋滞が最大の気がかりだ。

No.2087 哀愁と癒やしの夏まつり

2011.08.08

暑い夏が戻ってきた。そうこなくちゃ!と喜んでいるのが、祭り好きの好漢たち。幸手市でもこの土日には、市内各地で夏祭りが開催され、私も味わい深い地域祭りを拝見、体験した。

ファイル 24-1.jpg 写真は幸手榮団地のそれだが、なかなかの迫力で合奏される和太鼓をはじめ、伝統ある神輿、そしておなじみの夜店など、見どころ、遊びどころ満載だった。
 この神輿と山車の関係は、我が地香日向地区には縁がない。それが祭り好きの私にとってはいかにも残念でならない。引越し族、転勤族が集約される新興住宅地は、それが20年以上経過しても変わることがないことに何とかしたいと思うのだが、時は容赦なく過ぎて行く。何年も前から試行錯誤しているのだが、どうにも具体化という点では思うに任せない。

 それはさておいて、ニュースで陸前高田の山車まつりを見た方は多いと思う。関係者の言葉には、一様に復興への足がかりといったような期待と希望の内容が多かった。
 周囲は今だにガレキの市街地、いや市街地だったところを3基の勇壮絢爛な山車がゆっくり練り歩く姿には、哀愁もただよい、被災生活に疲れた人たちの思いはどれほどのものかと感じた。復興へのあしがかりに異論はないが、この被災者の皆さんにとって限りない癒やしになればと感じた次第。

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