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No.2230 政権に翻弄される八ツ場ダム

2012.09.20

 昨日は、表題の八ツ場ダムの視察があり、夜は永田町で安倍晋三元首相の演説会に参加した。後者についてはまた記したいと考えています。
 
ファイル 168-1.jpg 今回の視察は、あいにくの空模様だったが昨年時に比べて大きく変わったのは、着工中の「湖面1号橋」がそびえたつ風景で、すでに工事が完了した2号橋のスケールも圧巻だが、1号橋も負けず劣らずの規模でした。今工事中の橋げたの3分の2はダム湖に沈む部分だそうで、最下部は国道145号とJRが通っているところにあたる。

ファイル 168-2.jpg 18日の読売新聞では、現政権が工事継続を決定した後も、反対派の識者を河川整備計画の委員の中に入れろということで3人が新たに加わったことから、ダム本体の工事着工の遅れは必至となっている。
 「朝のみのワイド」や「テレビタックル」によく出ている民主党の川内博史議員が反対の急先鋒で「会議を徹底的に監視し、本体着工を阻止する」とまで言っているので、民主党はいったいどうなっているのか。これで決定事項が覆されることなどあっていいのかと思います。利根川流域住民の多くはすでに怒りの心境を越えている。とくに長野原町の住民の皆さんは生活面への不安から苛立ちは隠せない。
 昨年12月に建設継続を伝えに来た当時の前田国交相を万歳三唱で迎えた地元の落胆はいかばかりか。

ファイル 168-3.jpg 3人の反対派を審議に加えたり、全員が賛成しなければ本体工事には入らないとする国交省の言い分には、かなり民主党反対派議員の圧力がかかっていると思われる。新たなダム湖を想定した橋げた工事が完了まじかであり、住民の代替地移転も行われている現状で本体工事を着工しないというのでは、これらの生活再建に必要として行われてきた工事自体が何だったのか問われることになります。意地とプライドで凝り固まる、愚かなる民主党・・・どうしたものか?

縦長の写真の左端に1号橋の橋げたが、下には国道とJRが。(川原湯入口近くでの撮影)
次の写真は、川原湯とはダム湖を挟んで反対側の川原畑地区の代替地からの撮影したものです。1号橋の橋げたの上部だけが見え、その向こうに見える宅地は川原湯地区の代替地です。すでに何件かは移り住んでいますが、さぞや不便な状態だろうと思います。
 3番目の写真は、完了済みの2号橋路面から1号橋と、さらにその先のダム本体工事予定地方面を望んだものです。クリック&スクロールで拡大できると思います。左下に現国道が、右側の鉄塔の上部に現川原湯温泉、1号橋げたの右側に川原湯代替地が望めます。ダム本体が出来なければこの橋も橋げたも今の長めのままになるということです。
 国道の付け替え、数か所のトンネル工事、JRの付け替え、そしてこれらの橋、代替地などなど、今までのすべての工事が無駄になっていいんでしょうか。

No.2226 救急の日

2012.09.10

ファイル 164-1.jpg 昨9月9日は救急の日。所用で出かけた松伏のスーパーに入ったところ、駐車場の店頭付近に救急車と消防車が待機。何があったのか!と思いつつ昼食調達のため中に入ると、そこではAEDの臨時講習会が行われている真っ最中。
 聞くと、外の消防救急の2台は、来店したファミリーを対象に運転席にこどもを載せたり、救急車の中を家族に見てもらったりして、防災体制の初歩的な部分(とは言ってもなかなか見れるものではないのですが)に親しみを感じてもらおうという試みがされていたのです。 
 大変善いことだと思いながら、今度は帰り道の杉戸アグリパークに寄ったところ、そこでも同様のイベントが行われていました。

 
ファイル 164-2.jpg 写真はどちらも松伏でのものですが、熱心に講習を受ける方に消防職員さんたちも元気に対応している姿が印象的でした。
 その夜のニュースでは、全国的に学校などいろいろな施設でそうした内容が行われていたそうで、東日本大震災の関係もあって、一般の方々への防災意識がかなり浸透しつつあることを実感した次第です。

 ほぼ全国の公共施設に配備されているAEDが、実際の緊急時に活用されやすい状況作りは必要なことですので、こうしたイベントが単発的なものに終わらないことも大切ですね。

No.2183 新型ジェットヘリ投入

2012.05.18

ファイル 121-1.jpg 危機管理行政の目玉とも思われる救助ヘリコプターの新機種導入にあたり、視察の日程が組まれた。桶川にある埼玉防災センターで見た新型ヘリは写真のとおり。「あらかわ3号」「あらかわ4号」でイタリアのアウグスタというメーカーの作成するものだ。
ファイル 121-2.jpg 秩父での悲しい事故を乗り越えて、県内各消防署から選りすぐりの隊員が365日24時間の体制で山岳、水難、火災、突発性病などの災害発生に備える。
ファイル 121-3.jpg 県庁上空まで240㌔速、400m高の試乗もあったが、埼玉スタジアム上空にさしかかった時点での無線交換を聞いていたら「ただ今から着陸体制に入ります」という声が聞こえた。それから5分後に着陸した。たしかに早い。
ファイル 121-4.jpg 県内どこでも15分程度で行けるということだ。
 隊員さんたちのきびきびした清々しい応対が印象に残った。

ファイル 121-5.jpg

No.2178 竜巻惨事は珍しくなくなった

2012.05.06

 前号で書いた幸手市内の道路冠水被害は、2日未明に降った雨量により関東の広範囲で大きな被害を発生させていた。GWイベントも春日部では庄和宝珠花の大凧揚げ祭りが、大人の胸ほどまでの増水により中止になるなど、各地で中止が相次いだ。
 
 昨日はほぼ一日五月晴れだったが、今日はまた大荒れ。それも降ったり止んだり程度のものではなく、強烈な悪天異変が各地を襲った。つくばの竜巻被害では死者もでたが、竜巻と言えば北海道での数年前の大災害が記憶にある。
 とはいえ、もともと竜巻はアメリカ大陸特有の気象現象という認識が深く、砂塵を上げて猛スピードで木々をなぎ倒し、家屋、車、牛馬家畜を巻き上げる光景は、カリブ海のハリケーンと並び、アメリカの災害は規模が違うなあと子供ながらに見入っていたものだ。それがなんのなんの・・・。
 画面で見るつくばの竜巻はそれ自体が高さも幅も驚異だが、その後の被害状況はまさに惨事だ。数階建ての集合住宅が見える限りすべてのガラスが破壊され、ベランダの格子なども原型をとどめていない。
 落雷感電死も年々増えている気がするが、晴れから突然雷雨へと変わる最近の急変気象では、公園や広場で遊んでいた家族が、まずは雨をしのぐ意識から大木の下に一時避難してしまうのは十分理解できることだ。そこにドーンとくるのだからたまらない。

 
 厳しく長い冬を越えて、恋しかった緑が芽吹く季節になり、まさに行楽日和の週末に、今まで記憶に少ない異常気象で大災害に見舞われるなど、少なくとも私の想像の範囲外だった。もはや異常気象は常に起こるものだという認識を叩き込み、いらぬ先入観は捨てなければいけない。
 頭上で何が起こってもそれは地球環境が変わったことによる新しい時代の気象現象であり、しかもそれは人類の欲望が原因なのだと・・・そうでも考えないと、それを防ぐ方法など身につかないということを。 

No.2177 東1〜2丁目の冠水

2012.05.04

ファイル 115-1.jpg 春の長雨というのでしょうか・・・さほどの集中豪雨ではなかったと思っていたがご覧のような状況に見舞われた地区が幸手市東丁目および2丁目。

 所用でちょうど通りかかったのだが、前方でトラックが止まったまま動かないのでおかしいと思っていたら市職員さんの姿が見えた。えっ?と思ったが、すぐに冠水したことが理解できた。トラックは切り返して道を変えたが、私はギリギリのところまで行って、職員さんに「そんなに降ったかね?」と尋ねた。その職員さんの言うことには「上流部でかなり降ったようなんです」
 なるほど! だいたい雨天冠水というのは当地区だけで降っただけより上流で大雨になった時が問題なんだということはごく当たり前のこと。
 ただ、やはりこの地がこうした状況になっていることへの実感が持てるほどの大雨とは思わなかった。

ファイル 115-2.jpg 帰り際に再度野間アスレチックさんの交差点に出向いたところ職員さんが二人・・・やはり駅方面は通行止。2丁目の各路地もかなりの冠水。少し行き過ぎて裏手の土手を上がり倉松川を見たら、やはりかなりのオーバーフローに近い。こうした場合、たとえ幸手で雨がやんでも危険が去ったわけではないとまたまた当たり前のことを自らに言い聞かせて写真を数点撮って帰路についた。

 それにしても、こうした際の市職員さんの対応は行政として当然とはいえご苦労なことだ。GWもへったくりもないのだから。お疲れ様!

No.2167 埼玉東部消防組合消防局

2012.04.07

 5日、東部地区3市3町による「消防広域化協定」の調印式が行われた。
 県内を7ブロックに区分指定し、県の主導で進められてきた消防広域化は、所沢地区が先に広域化を決定し、今回の東部地区が2番目に広域化実現地域として名乗りを上げることとなった。

◆2006.6「消防組織法の一部を改正する法律」により、消防広域化が法制化
◆2008.3 埼玉県が「埼玉県消防広域化推進計画」を7本部制として策定 
◆2008.7 県は市町村長、消防長を対象に広域化説明会を開始
◆2009.5〜消防広域化第7ブロック連絡協議会が4回にわたり開かれる
◆2011.1 消防広域化第7ブロック協議会設立

 といった経緯をふまえ、以降関係会議は20数回を数え、途中、羽生と蓮田の離脱といった出来事もあったが、地域住民の安心安全を最大の目的とした広域化がようやく協定調印というところまでたどりついた。
町田前市長が「これは将来の地域の消防だけではない救急医療体制にも関わる重要な案件だから絶対に実現しなければならない!」とよく口にしていたのを思い出す。
 上田知事、県議6名、そして各自治体の市議も多数駆けつけ、この調印式を見守った。しかし、ここで完結ではない。全自治体が6月議会で広域化議案を上程し、議会議決があった後、県知事に申請手続きをとることが残されている。
 開始時期は2013年4月1日、「埼玉東部消防組合消防局」として正式に発足する。

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