ラジオを聴いていたら飛び込んできた被害者の悲痛な言葉。それがタイトルに掲げた「山がずり落ちてきた」だった。老齢の女性らしき人が語る恐怖の言葉は、テレビでも見ていた光景と同様の光景を今朝の新聞一面の写真を見て理解できた。広大な山岳地帯が凄まじいほどに全域でえぐれている。火山灰地特有の現象との分析もあるが、直前の台風による雨の影響もゼロではなかったかもしれない。
西日本豪雨は222人の犠牲者と、いまだ10名の不明者がいる。今回、北海道胆振東部地震と名付けられた地震では9名の死者と29名の不明者という段階で、人的被害は西日本豪雨災害ほどには至っていないが、見るからに倒壊家屋や道路陥没、液状化の激しさがインフラ崩壊につながる。斜めに傾いた家屋は倒壊と同じと考えるしかない。通常の生活状態に戻るのにはかなりの時間と国費の投入が必要となるだろう。
まだまだ西日本豪雨災害でも避難生活をおくっている方が1500人もいる。自然災害が連続的に多発する昨今の尋常とは思えない事態は、大災害を想定した予防的国家体制を早期に構築する必要を感じる。災害が発生するたびに厳しい生活を余儀なくされる被災者の多くは、体育館などでの仕切り間生活での長引く避難生活に心身が疲弊する。高齢者にとっては命にかかわる究極の未体験ゾーンと言ってもおかしくない。自衛隊の皆さんの奮闘無くして被災者の支援体制は考えられない。その自衛隊員は戦争につながるイメージだと評されることで憲法に身分が規定されずにいる。災害支援救助に一列歩行する自衛隊員の手に握られているのは銃ではなくスコップだ。
かように、災害が発生するたびにいろいろなことが頭を巡る。自然はあまりにも過酷な試練を人類に与えすぎではないか。
亡くなられた方には慎んでご冥福をお祈りいたしますとともに、被災者の皆さまに心からお見舞いを申し上げます。相手が自然とはいえ、これだけ日本のあちこちで発生する状況にくやしいという思いとどうしたらいいんだという思いがこみ上げてきます。
今回、亡くなられた原因の一つに、倒れて来たタンスに押しつぶされた方がいらっしゃったという。少なくとも、語られ尽くした感のあるこうした危険への対応はしておこうではありませんか。
記事一覧
No.3029 「山がずり落ちてきた」
No.3026 八ッ場ダムの現在
支援者の方々と八ッ場ダム視察を兼ねたバスの旅に出かけてから早6年。
一昨日、工事の進捗具合とその後の同地区、とくに川原湯温泉の移転状況を見てみたいとの思いで現地を再訪した。実は、川原湯温泉は家内の父が好きだったことから何度か訪れており、今でも便りをいただく。ムササビの来る宿がキャッチコピーの宿だ。
状況は写真をご覧いただければ、その概要がおわかりいただけるものと思うが、最深部に見られる車の大きさと比較するとダムの偉容さがわかる。完成時の高さ116m、ダム頂長291m、湛水面積304㌶となっており、ダム体積911,000㎥ということは、少なくともほぼ同数値の量のコンクリートが使用されるということになる。ちなみに、東京ドームの体積が124万㎥なので、その7割強の規模となる。半世紀以上も費やした大計画かつ大工事も、ようやくその形状が見える状況になり来年の完成が待たれる。
当初計画では昨年完成の予定だったが、民主党政権下の3年間でコンクリート事業に待ったがかけられたことが影響した。自民党政権に戻り、工事日程を500日強の前倒しで本年の10月完成を目指したが、最終的に来年に延びたのはやむを得ないところ。
上の右は、八ッ場大橋から移転が進む川原湯温泉を。下の右は、同じく八ッ場大橋から不動大橋と草津方面を望む。湖底に沈むJR吾妻線と日本ロマンチック街道(国道145号)がかすかに見える。
No.3018 経験と記録を上回る炎熱列島
41度超えが熊谷、名古屋、岐阜などで現実化した。40度前後の気温というだけで辟易するほどだが、もはや夢でも幻でもなく、夏の在り方は確実に変化している。
「これは人の命にかかわる温度です。どうぞエアコンなどの利用で体調管理に心がけてください」というニュースキャスターの言葉に、欧米の実情もふまえると、日本だけでなく地球全体が未知の世界に突入したような気がしてならない。例えていうと、映画で観るゴジラ上陸に際し、地球の終わりがごとく叫んでいるアナウンサーにも似た感じではないか。しかしながら、人間は何千年、何万年をかけてこの気温変化に対抗しうる進化を遂げるのかもしれないが、今を生きる私たちにとって、いつまで続くやらの心境は至極自然のことである。
文科省が9、10月に入っても各地の気温は平年以上の可能性があり、とくに9月はまだ予断を許さないとして、熱中症対策で学校の夏休みの延長や臨時休暇を検討するよう全国の教育委員会に通達したという。炎熱列島は長い間の学校慣習まで変えようとしている。なんともはやである。もちろん、こうした事前の対策は事が起こる前だからこそ効果も価値もあると考えれば、文科省の措置は災害予防対策として前向きなものと理解できる。
学校教育法施行規則によると、校長は、非常時に授業を行わない臨時措置を発することが出来るそうで、文科省は熱中症を非常時と認定したということになる。100人以上もの方が亡くなられている現実は、気が重いことこの上ないが、今後の夏の過ごし方をあらゆる角度から考え直さないといけないことを示唆しているということであろう。
台風がもたらす雨で水害が発生している地区には失礼にあたるが、連日の高温に逃げ場を求める状況の中、台風の来襲が暑さ逃れに一役かっているのは、なんとも皮肉なものだ。
しかし、私は常に思うことがある。ここのところたびたび「幸手は災害が少なくていいわねー」といった言葉をよく耳にするが、その都度「神戸、輪島、東日本、熊本、茨城常総、大阪、西日本といった近年大災害を受けた地区でも、それがあるまでは災害の少ない地区だと住民は感じていたはず。記録的だとか経験のないといった言葉が躍るのはあくまでも想定外の災害を意味しているわけで、幸手に限らず、世界一の災害列島と言ってもおかしくない日本は、国土全体が明日は我が身と考えておくべきです」と申し上げることにしている。地区によって災害の種類が限定されることはある。埼玉県東部では土砂崩れや火山噴火の危険性はないが、地震と水害の可能性は常態的であると言っても過言ではない。ゆえに、行政が少ない予算ながら最も力を入れるべきは災害対策であると私は考えている。古くも新しくも、さして機能も便利度も変わりがない駅舎建築に30億円も投じる行政の在り方が良いかどうかは市民がしっかり考え、評価するべきである。機能も便利度も大きく変わるのは、東西自由通路の立ち上げで十分であり、西口の区画整理事業を駅舎の影響で遅らせる行政に大いなる疑問を感じている。もっとも駅舎は来年4月には竣工するらしいので、今更であるのは重々承知の上の話としてご理解ください。
No.3009 梅雨前線の恐るべき爪痕
6日から西日本を襲った梅雨前線による豪雨は、信じられない雨量で広い範囲に甚大な被害をもたらしました。お亡くなりになられた方々の御霊に慎んで追悼の誠を捧げ、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げる次第です。
多くは、被害者数が刻一刻と変化していく画面に見入ったことでしょう。
当初2から始まった死者数が、短い時間で増え続ける画面。最初の内は不明者が多いので、ひょっとすると死者が増えていくかもしれないと思いつつ、救助される人が増える期待と無念な思いが交錯する時間が続く。しかし、死者数が増えても不明者数が減るどころか増えるという、過去にあまり記憶がない現象に、これは未曽有の大水害になるという嫌な予感に覆われ始めた。
関東では6月30日に梅雨明け宣言が出て、これは前代未聞と御天気キャスターが口にするほどであったのに・・・。
今、6時のニュースで奈良県で時間雨量100ミリを超す雨が降ったと伝えている。ちなみに埼玉、東京を襲った昭和22年のカスリン台風では時間雨量がたしか62ミリだった。現代の豪雨は想像を絶するという表現が適切になっているが、想像を絶するといつまでも言っていては災害対策上は好ましくないと言える。想定の範囲内において対策を練る必要があるということである。避難に対する認識も人によて様々だということが今回わかった。
だいたい、1000ミリを超える雨量とは、時間100ミリが10時間続くと考えられるわけで、これでは山間部とくに地質が柔らかく、勾配のある山間部地域では土砂災害につながることは容易に理解できるし、河川の氾濫もしかりである。広島市の惨状では直径3~4mもある岩がいくつも住宅地に転がり落ちている。
広島市内に住む会社時代の後輩に☎をした。地図で確認したら被害を伝える地区と隣合わせなのだが、なんともないという返事が返ってきた。
自治体間支援の輪も広がっている。埼玉県やさいたま市、また本庄市などでは親交のある首長同士の連絡で水が不足しているとの現場の声に、さっそく水を送ったという。交通事情が悪化しているが、手を加えて見ているだけでは能がない。出来ることから始めることだ。
ところで、今朝のニュースにあきれる表現があった。安倍政権は災害対策本部を立ち上げ、支援対策の協議を続けまずは20億円の支出を決定している。ところが、時事通信社は「安倍総理は世論を意識して外遊予定を中止して災害対策を優先した」と報道している。世論を意識したは余分なキャッチコピーであり、不謹慎この上ない。米朝会談でもワールドカップサッカーでもそうだが、安倍批判にすべて結び付ける報道は国として恥ずかしい限りだ。そんな記事を書く記者など記者とは言えない。具体的な政策論で異論を唱えることは、まさに言論の自由だが、前述のような表現は異論でもなければ対案でもない。未曽有の被害にからめて国のトップの人間批判につなげる見識の低さにマスコミの倫理観は地に堕ちたと嘆くのは私だけではないだろう。
No.2905 八ッ場ダムの現在
福岡、大分、秋田、新潟と全国至る地で記録的豪雨による過去に記憶のない大水害が発生している。過去に記憶がないというのは被害に遭われた住民の方々が口にしていることで、想像を絶する大量の雨が集中的に降ったことを示している。床上浸水も結果的には浸水ではなく浸泥という状態で泥を掻き出す住民の姿には疲労感以上に悲壮感があふれている。発する言葉も失うほどだが、心よりお見舞い申し上げる次第です。
臨時国会(閉会中審査)を眺めていて、登場議員はおしなべてこの見舞いの言葉を前口上にするが、質疑でこの点に触れたのは自民党の青山繁晴議員と公明党の河野義博議員だけだったと思う。さらには北朝鮮問題や尖閣への中国問題等々防衛上の危機管理という最上級の課題もあるというのに、忖度問題にいつまでかまけているのか・・・・マスコミ操作に国民が感情的にのせられているのは仙台市長選や首相期待論で石破氏が安倍総理をわずかに抜いたという毎日系の報道から見てとれる。まあ、アンケートの取り方もどこまで信憑性があるのかと思えてならないのだが、この問題については今夜の各局の報道を見て、次のテーマにしようと思っている。
前段に戻ろう。八ッ場ダムは昭和22年9月のカスリーン台風を原点に起案されたものの反対運動もあって実施計画に着手したのは昭和42年のことであった。しかし、その後も吾妻川の上流域からの流水質が強酸性であるとか、温泉街の生活問題等々が全国に知れ渡る社会問題となり、紆余曲折を繰り返すこととなった。最近では投資額をめぐって国政選挙の争点にまでなり「コンクリートより人」という迷言まで生んだのはご記憶の通りである。ダムというコンクリートが人の命と財産のみならず生活を守るのは言うまでもない。八ッ場ダムの建設目的にも3つの大義がある。群馬県および下流域への潤沢な利水機能、利根川流域の洪水調節という治水機能、最大11,700キロワットの電力供給である。
左左岸 右右岸
左岸から始まった発破掘削工事は約1年半で完了し、昨年の6月からはいよいよコンクリートの打設工事が進められている。最近ではコンジットと呼ばれる常流送水管の形成工事と埋め立て工事がおこなわれているようだ。この常流送水管というのは内径たしか8mもある巨大なコンクリート性のものである。何度か視察に行ってこの管の実物を目にしたが、ダムというものは目に見える堤防部だけではない部分に人知の粋が施されているんだなあと感じながらため息をついたことを覚えている。
堤防高116m、幅290m、堤防の天端高586mという巨大な重力ダムは70年という途方もない年月を経て平成31年の竣工を迎えるところとなった。
数年前にバス7台をチャーターして見学ツァーを実施したが、行くたびに様変わりする現地には目を見張ったものだ。近々再訪したいと考えている。そう言えば、今月に入って八ッ場ダム工事事務所所長に異動があった。前任の矢崎剛吉所長が国土保全局治水課流域減災推進室長に栄転され、代わって近畿整備局姫路河川国道事務所長の朝田将さんが転任されることになった。国の転勤も大移動で引き継ぎも大変なことだろうと推察するが、新任の朝田所長が竣工に立ち合う最高責任者ということになるのだろう。しっかりと工事の采配をふっていただけるものと期待したい。
残すところ約2年、ここまでの関係者もさぞかし感無量のことだろう。
No.2897 繰り返される豪雨被害
まだ茨城県常総市の鬼怒川決壊による豪雨被害が目に焼き付いて離れない中、九州北部でまたまた地域の惨状が映し出されている。今回の被害も甚大な状況で15名もの死者が出ており不明者もそれ以上の数にのぼっている。
亡くなられた方々には慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
土砂崩れによる倒木・流木・家屋破壊は住民を恐怖に陥れ、目を見張る暴れ川の濁流は橋脚や鉄道を流失させ、毎度のように道路を削り、家屋を襲う。こうした光景は古い時代は毎年の出来事ではなかったと思うが、近年は毎年のように発生している。しかも、この実情は日本に限らず世界中どこでも見る始末なのだが、地球全体を取り巻く環境が異常な量の雨をもたらしているのは間違いない。
雲ひとつない澄んだ青空も、スーパームーンや煌く星空にうっとりし、しばしのやすらぎを感じさせてくれる夜空も、時に恐ろしいほどの雨水をとどめ、一気に地上を叩く。それも信じられないほどの雨量になるのが昨今の当たり前のような天候。また、竜巻警報など昔はなかったはずだが今ではこれも当たり前になりつつある。
地球をまるごと俯瞰する天空はいろいろな顔を持つが、大地に与える影響は気まぐれそのものだ。用心するにもしようがないともいえる。とくに水の恐怖は津波を例に出すまでもなく人知を越えて人地を容赦なく奪う。
地球温暖化・・・エルニーニョ現象という言葉も聞き慣れた感があるが、パリ協定を存外にし、アメリカファーストを決め込んだトランプアメリカを世界は厳しく諌めるべきだと強く感じる。暴れる天空との因果関係ははっきりしている温暖化を、未来のためにとかの抽象的な話ではなく人命第一はもとより世界の農業が一時的にせよ沈没し行き詰まることを憂慮し、防ぐ手立てを講じなければならない。アメリカがこの分野でリーダーシップをとらなければ、空気汚染№1大国の中国の姿勢を改めさせることなど不可能だ。
地球のどこかで起きている天候異変による悲惨な光景をただ見つめなければならない実情から早期に脱皮し、本格的なプロジェクト対策をと、災害の現実を目の当たりにするたびに想う。もちろん、地域単位で命を守る災害対策が必要なのは理解するが、太古の昔に形造られた地形や標高差がもたらす自然災害に打ち勝つ対策が簡単に見いだせるはずもない。となると、明日は我が身という意識を持ち、個々に出来るところから地道な対策をという・・・結局原点に戻ることしかないのかもしれない。