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No.3244 反政権ウィルスが蔓延している!

2020.02.14

 国会の今に噴飯やる方なし。追及倒閣路線一辺倒の立憲民主党に人の命に関わる思考は皆無のようだ。桜疑惑を倒閣戦略の柱にせよという大同団結は政治の仕組みとして理解はする。しかしながら、これだけパニックに近い事態となっているコロナリスクに共に対策をという精神が、この党にはまったく感じられない。あえて名をあげるが、黒岩、辻元、蓮舫、逢坂・・・出てくる議員揃いも揃って桜、桜、モリカケまで口にする始末。野党は野党なりに与党路線を批判するのは世の常、政治の常だが、今は違うだろう!
 そもそも、桜がどれほど時間とコストをかけて議論しても、国益に添う対象とは思えない。政権交代一途の材料にするにしてもいい加減にせい!ということではないかと思う。IRの議論であればまだわかる。
 国民民主党は、政策提案型に路線を変更すると代表が表明した。しかし、中には、これを代表のパフォーマンスと揶揄する議員がいるという。政権を奪いたいなら、追及路線では国民の理解は得られない。何を考え、国をどうしたいのかを議論する姿勢を示さなければ、空気や流れやスキャンダル追及だけで政権を獲ることなど出来るはずがない。民主党政権を誕生させた際の選挙戦の間違いというトラウマが強烈に残っている国民は、今の野党の姿に呆れている人が多いはずである。それが野党の支持率と安倍政権の支持率に現れているということではないだろうか。
 コロナリスクに立ち向かう姿勢を国会で示さない野党にエールなど贈れるわけがない。機を見て敏ではない野党の諸君、鯛の頭が腐っているとか、憲法の国民投票を実施したら否決は間違いないなどと、総理どころか国民主権を愚弄する推測意見など言ってる場合ではない!
 総理も総理だ。伊吹議員の言う通り、あの程度のレベルに一国の宰相が応戦するのも大人げない。確かに、意味のない質問だが、なんであれ総理の失言を引き出し謝罪させたい。応じなければ委員会に応じないというまさに国民不在、コロナウィルス無視の主張しか出来ない野党なのだ。熱くなるのはわからないではないが、わずかな言葉に針を立てるのはわかりきっているわけだから、総理もいい加減にせいである。反政権ウィルスに特効薬はない!
 反政権左派メディア曰く、ダイヤモンドプリンセス号は野戦病院の状態だとパニックを煽る物言い。かの中日新聞社員の望月記者がツイッターに書いた内容。北海道新聞なども同様のことを書いているが、テレビからはそうした光景は感じられない。日本人の理性と知性は良識ある船内生活になっていることが理解できる。なぜ、野戦病院という表現が出るのかを考えると、これも左派特有の政権批判、厚労省の責任をあげつらう目的なのかと思える。悪く悪く理論誘導するという意味では、まさにメディアウィルスだ。
 勝浦のホテル三日月に向かって、エールを贈り続けた勝浦市民の姿が、日本的精神の真髄なのだ。
 さて、16日の講演会も2日後にせまってきました。

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No.3236 コロナウイルス

2020.01.24

 災害にもいろいろあるが、細菌性災害となると自然災害とは違う恐怖感が走る。武漢発新型コロナウィルスは時が進むにつれて、発せられる数値が跳ね上がる。春節の連休で例年だと中国人がこぞって海外へと旅立つ時期で、日本にも40万人の訪日が予定されているとされるがインバウンド需要を喜んでばかりはいられない。フィリピンでは500人近い武漢からの旅行者を強制送還したという。とにかくネットを開くたびに跳ね上がる被害数値に驚きが隠せない。外出禁止エリアも広がる一方で、北京ではすでに現実となっているそうだが、中国全土が日本製マスク姿の人人人で埋まるのもそう遠くはないかもしれない。
 ウィルスの元が何かの報道を見て、恐怖以上の戦慄といった感覚に襲われた。大きなネズミという話があったかと思うと、コウモリが持つウィルスが科学的に近いことがわかり、そのコウモリの天敵であるヘビ、つまりコウモリを捕食したヘビが原因だとする説が報道されたのだ。そんな馬鹿な!と思うのは日本人として自然の思考だと信じたい。しかし、中国では不思議なことではない。小生がかれこれ25年ほど前に上海の路上市場でヘビをネットに入れて売っている露店商を数軒見た。買う意志を示すと何匹か長い棒で取り出し、大きさによって購入対象が決まる感じだった。実際、中国では犬、猿、爬虫類の類いは普通に食の対象だ。よくは知らないが、高級食の部類かもしれないのだ。
 今回のヘビについてはアカマダラヘビやタイワンコブラという種名まで報道され、武漢の生鮮市場で普通に取引されているという。さらに、こうした日本人の感覚でゲテモノと言われる爬虫類は「精がつく」とか「体力復元」または「病根治癒」といった目的で食すことが多いとも。スッポンのコース料理で、最初にミニグラスに入った生き血を呑む風習は日本にもあるが、スッポンまではどうにか理解するが、ヘビとなると次元が一気に変わる。

 罹患者にとどまらず死者はまだまだ膨れ上がりそうな気配で、中国全土が戒厳令状態になりそうな勢いである。日本でも対岸の火事などと暢気なことは言ってられない。そもそも情報統制国家の中国のことゆえ、地球規模の問題になりかねない病原問題を小出し状態にしていたきらいがある。現実を理解する上で、当事国の隠蔽主義や国営メディア支配統制の実態に合わせるためには現状の数倍規模をベースに対応する必要があるかもしれないのだ。逆に、情報及び医学後進国の中国がすべきことは、医療先進国の支援の手を正直に求める姿勢ではないかと思うが、はたしてどのような事態になるのか想像もつかない。日本では、インフルエンザ対策を家庭単位で、あるいは個人単位で対処しようと訴えているタイミングなので、意識としては新型コロナウィルス肺炎も頭に入れながらうがい、消毒をと思う今日この頃です。災害対策の基本的思考は「明日は我が身」ですから。

No.3233 阪神大震災25年

2020.01.17

 今朝のメディアは阪神大震災から25年が経過したことに関した鎮魂及びあらためて学ぶといった報道が大半のようです。
 1995年1月17日午前5時46分。我が家でも柱にぶら下げてあった木製の温度計がカタカタ揺れる音をたてるので、何だろう?どこかで地震だなくらいに思っていたのですが・・・それからまもなく画面に地震を伝えるテロップが。その場所を知ると同時に温度計が揺れることとの関連で、こりゃあかなり大きい地震かもしれないと。それからは、昼夜無く神戸市内をはじめとする各地の被災の実態がこれでもかというほど目に飛び込んでくる状態となっていきました。
 なにより、大都市中心地のビルや阪神高速道の倒壊に目が釘付けとなり、路面が無くなった先に車体の半分近くを出して止まっているバスに、現実とは思えない恐怖感に身震いした記憶があります。上空高く黒い煙をあげて燃え盛る長田区を中心とした火災現場では、時が経過するとともに、勢いを増す炎が漆黒の夜空に真っ赤に映る様はこの世のものとは思えませんでした。
 と、そういった状況が未だによみがえるほど唖然とさせられた記憶は四半世紀も前のこととはとても思えません。朝刊を見てさらに新たな驚きを持ったのは、命を奪われた6434人のうちの7割が圧死で、行方不明のままの方がまだ3人いるということです。25年経ても見つからない方がいる・・・家族の想いはいかばかりか。
 東日本大震災は、死者が阪神の約3倍にあたる19638人、行方不明者が2529人もいますが、負傷者は阪神が43792人、東日本が6157人となっています。
 被災面積の違いはあるにせよ、地震直後の家屋倒壊と火災が目立った阪神と、想定外の広範囲かつ強大な津波に襲われた東日本の災害状況から、いろいろな観点において防災対策への教訓が込められていることを感じます。
 また、阪神大震災時には携帯電話は普及前でした。今は、携帯電話からスマホへと進展し、さらにAI時代に向かっています。100年から50年に縮まった時代を示す格言も、今や25年ひと昔というべき時代になりつつあるということかもしれません。さすれば、首都直下型や南海トラフといった地震が遠くないと言われる中、底知れぬ自然災害という相手に対する対策もスピード感を示さないとなりません。人知にも底はないんだという無限の力を!

No.3201 全国都市問題会議

2019.11.09

 掲題の会議が、この7、8日の2日間鹿児島県霧島市で開催されました。毎年の秋、全国市長会が主体となって開催される会議で、全国から約2,000人の市長、市議が終結する一大イベントです。過去の市議時代にも2度参加したことがありますが、今回の問題テーマが「防災とコミュニティ」というものでしたので、夏前にあった案内時から参加を決めていたものです。
 内容は、すべてが新鮮なものだったわけではなく、本年2月の防災士資格取得時の講義内容をしのぐという感じではありませんでしたが、もちろん、大いに参考になる点もあったので、近いうちにまとめてみたいと考えています。
 衝撃的だったのは「日本に安全な場所はない」という言葉でした。確かに近代における過去の発生確率から言えば、若干の差はあるように思えますが、100年、200年のスパーンで考えればいつ何時何処が大災害に見舞われるかは予知できるものではありません。災害国日本は、そういう意味においては安全な場所はないと考えるべきだと実感します。だからこそ、防災対策が重要となるわけですが、実はこの対策も絶対的なものではないと。自助・共助・公助が問われる昨今、基本は他を頼る気持ちが大勢を占めていることが昨今の災害の実態でもあきらかだと言います。個人はもちろんコミュニティであっても行政依存度が高く、警報を聞いても自主防災隊が瞬時に活動する実態は少なく、住民に至っては避難準備すらしないことが昨今の大災害時にはっきり示されたそうです。この話を聞いて、私は別の言葉をふと思いつきました。「頼助」です。
 
 参考的内容を少し紹介しますと、災害対策はトップダウンでできるものでも行うものでもなく、ボトムアップで構築していくものだと。しかも、その先にこれでいいというものはないと考えるべきだと。
 コミュニティは生き物であり、社会関係、社会集団、地域的アイデンティティを有するものであって、行政が作ることはできない。
 コミュニティとは地域という意味合いだけではなく、すべての組織、集団を指す。学校も会社もコミュニティである。
 行政の災害対策向上を考えるには自治体職員の能力を上げることが求められる。実際、災害時の対応、復興対応では職員の力の差が如実に出るといいます。それには、常に災害対策を自力・独自で考える組織作りが必要なのかもしれません。 
 究極の防災力アップには、個人の防災力を高めることしかないとし、要するに自助能力をアップさせるということになります。行政に求めても自ずと限界はあるし、責任転嫁するべきものでもないということになります。頼助などとんでもないということでしょう。
なお、高齢者など避難要支援者については全く別の議論の対象とされています。これについてはまた示したいと思います。
 ちなみに、薩摩の友人に聞いた話ですが、幸手市で鍵が無く避難場所を開けることが出来なかったというニュースは、鹿児島の新聞でも記事になったそうです。講義の中に「成功も失敗も情報として横に流す」という話がありました。その点で行くと皮肉な話ですが、幸手市の失敗は全国の教訓として役にたったということになるのでしょうか。

No.3198 垂直避難の重要性

2019.10.27

 千葉県では、またまた豪雨災害で大きな被害が出てしまいました。お亡くなりになられた方には慎んで哀悼の意を表しますと同時に、被災者の皆さまには心よりお見舞い申し上げます。
  
 それにしても、予報でたびたび大量の雨予報が出ているにもかかわらず、なぜ大きな被害が生じるのか! 災害の詳細から国民一人一人がしっかり災害対策を考慮する必要を教えられます。まずは、地震と豪雨対策は、まったく異なるということを自覚しなければいけません。理解はしているつもりでも、実際避難の必要性が生じるほどになると人間心理は落ち着いた判断を妨げる可能性が高いことも理解しておくべきでしょう。より具体的には、自助・共助・公助の在り方からです。命・財産を護る最大かつ最善、最速のポイントは自助にあるということを!

 千葉には数軒の親類、知人がおりますが聞くところでは、豪雨洪水被害は地形がかなり高い確率で要因になっていると言っても過言ではないようです。木更津の親類の家は、小櫃川が目の前30mほどに位置しています。つい10日ほど前に15号の見舞いで訪れた時の話はブログで紹介しましたが、今回は、一時緊急放流が報じられた亀山ダムの放流が中止になっていなかったらどうなっていたかわからなかったということです。実際に上流の小櫃川は氾濫していたのですから心理的には不安な状態が続いていたということです。道路から少し下がった地点に立つ家は、玄関前に1段しか階段のない建屋ですが、米などが入る倉庫は古い納屋で水をさえぎる状態にはありません。いうなれば、1センチたりとも高床の状態にはなっていません。女性二人の住人の安否を心配するのは当然のこととして、納屋にも影響はなかったというので一安心しました。ところが、これまでにも水に襲われたことはないというのです。科学的根拠はわからないが地形と立地という面によるとしか考えつかないと言います。
 15号の時の停電災害は予想外のことで、考えてみればこれは自助という観点からはずれる災害と考えてもいいでしょうね。いざという時のために発電機をすべての家庭に備えるべきとはとても言えません。強風が、人間社会の生活の高度化を破壊した災害は、まさに電気ショック社会を見せつけらました。

 私が先の19号でとった災害対策としては、雨戸のないガラスを養生テープで補完し、大切と思うものをわずかですが2階に運びました。地震対応においては、2階を重い状態にしておくのは良くないということは頭においています。そして車をいつもと前後逆に駐車し、エグゾーストパイプの口を厳重にカバーをしました。ガレージの地形は奥が高くなっているので、エンジンとマフラーに水が入るのを防ぐためでした。 そして、ハザードマップを確認。私が住む地域の道路標高は8mです。そこから家屋の1階天井までは約3.2m。ということは、万が一のことはあったにせよ、2階にいれば命にかかわる危険は免れるという理解でいいだろうと判断しています。これが、洪水に対する避難の基本だと思います。事実、19号時でも2階にいて難を逃れたという話は数多くありました。
 今回、死者の多くは戸外で亡くなっています。避難中の車の中、家の周りを片付ける作業中に土砂に襲われた例、畑が心配で確認に出た際、濁流に足をすくわれた例等々。実は、豪雨災害で命を奪われる例は、毎回といっていいほどこうしたパターンであり、加えて、裏山から押し流された土砂に家ごと埋まるといった例も多く見られます。
 避難指示が出たからといって、暗い中を10分も20分もかけて避難所に向かうというのは、水があふれ流れる速度を考えると危険度の高いことで、この理解をどれほどの国民がしているでしょうか。
 防災専門用語に垂直避難という言葉があります。2階が水中に沈む地形かどうかはハザードマップから判断し、平屋家屋は勿論、地すべりの可能性もある程度は事前判断が可能ですから、そういった条件下にある家ではより自主判断のタイミングを速めて、より遠くへ避難するのが適切な避難行動と言えます。その際、車を使用すべきかどうかも重要な判断材料となるでしょう。

No.3195 防災対策の総括を

2019.10.19

 台風15、19号がもたらした広範囲に及ぶ国家的災害と、停電など多岐にわたる災害の実態は、住民個々の防災意識を高めることになった。いや、そうあって当然のことと思うのだが、住民の対応だけで足りるはずもないことから、ハード・ソフト両面での行政予算と防災意識の在り方を改めて考えさせられることとなった。とにかく、幸手市に限らず緊急災害時対策の準備対応が不足していた自治体が多かったことがわかった。過去の災害の教訓どころの話でなかったということである。
 そういえば、幸手市の避難場所の一つである市役所でのことだが、「市長を出せ!」とすごんだ市民がいたという。市長に会ってどうするというのだろう。こうした認識の市民がいることも理解の上で、災害対策を練らなければならないわけで、なんとなく複雑な想いだ。人命は皆平等なのだ。

ファイル 1106-1.jpg 一昨日、木更津の親類宅に出かけた。15号の被害を、特に停電という結果で受けた家族で、9月に尋ねる予定がここまで延びた。しかも目的に見舞いという内容が伴った。途中、災害派遣という文字を張った第一空挺団習志野駐屯地からの車両を何台も見かけ、市原SAではかなりの車両がレストタイムをとっていた。
 親類は5日近くの停電で終わったそうだが、生活の不便さは進むに連れて恐怖感に近くなっていったという。事実、今も寝込んだ状態の者がいたくらいだ。一種のPTSDに近い状態になってしまうようで災害も広範囲だ。
 ついでに鋸南、君津といった地区を2時間ほど走ってみたが、ブルーシートに覆われた家屋を多く見た。大木の無残な姿や竹林が長い距離に渡って横倒しになっている光景にも出会った。写真は、南房地区の集落だがこの中にも20軒ほどのブルーシート屋根が見られるのです。

 ある学識者が「復興予算の前に防災予算を増額することを考える必要がありますね」という発言を聞いて、正にその通りだと感じた。復興予算は言ってみれば事後予算であり、そこには被災者支援予算も含まれる。今回、安倍総理が長野のホテルの借上げや公務員施設の提供を表明したことなどがそれに当たると思うが、かの学識者の論は、限りなく災害を未然に防ぐハード面での対応を説くものであった。
 近年の雨の降り様は、わずか数年前とはまったく異なるということを世界各地の実態からもあきらかであり、根本的に河川氾濫対策を講じる必要性を示唆している。例えば、今回大河川に設置してあるライブカメラの存在意義が高まった。避難すべきかどうかの判断を行政に委ねる前に自己判断できるほどであった。それが早ければより遠方に車での避難も可能ということになる。また、家屋内では1階にある大切なものを2階に移動する余裕も持てるし、避難に対する基本的準備も出来る。まさに自助である。
 ところが、このライブカメラは大河川のみの状況なので、中小河川への設置は無いのが現状だ。国と自治体の共同で暴れ川と化す中小河川のライブカメラの設置を急ぐ必要があると感ずる。そして、それ以前の問題として、堤防強化事業を速める必要もあるだろう。千曲川、阿武隈川、那珂川といった大河川は通常、観光資源としても活かされているが、人命を奪う激流に変貌しないためにも、支流との係わりをもう一度調査研究し、防災機能の向上を構築していかなければならない。大河川自体の決壊はもとより、中小支流河川の実態把握と決壊防止策はもはや時を待たない。復興予算の緊急出動が少なくなるということは、すなわち防災対策の進展を意味するものと考えれば、徹底的に事前予算を振り向けるべきである。

 国政では、与野党無く災害対策を政治的に構築するべきであるのに、大臣の発言を即批判に結び付ける立憲民主党の幹部議員や、災害混乱時に一般質問の通告を深夜まで引き延ばす議員の存在など、災害に立ち向かう精神に程遠い実態を嘆かわしく感じる。
 是非論いろいろとは思うが、八ッ場ダムは間違いなく利根川流域を守った。1,240,000㎥の東京ドームに対して107,500,000㎥の八ッ場ダム。なんとドーム86倍分の総貯水量を誇るこのダムが、12日、13日の2夜でほぼ満杯になったのだ。しかも、来年3月の竣工を目指し試験貯水を3カ月ほどかけて行う矢先のことであった。これだけの水が利根川に流れていたら、千曲川氾濫以上の規模の流域水害をもたらしていたかもしれないのだ。
 スーパー堤防の貢献度も高かった。越水近くまで水位が上がった加須栗橋地区を思うと、これがカスリン台風の再現を未然に防いだ一因だと確信出来る。
 遠く下って、首都圏外郭放水路もしかりだ。幸手以南の水引は圧倒的に早まっている。約2,500億円という事業規模のこの放水路には海外からの視察も多いという。
 こうして考えると、「コンクリートから人へ」というキャッチは、実は「コンクリートが人の命を守る」のが真実であることを悟った台風だったとは言えないだろうか。
 激流に呑み込まれる家屋や、土砂につぶされる家屋が多いことを考えると、家屋建設の建築及び立地条件を高める必要があるかもしれない。被災者の今日を生き抜く心構えに加え、先行き不安な精神状態を画面から感じるにつけ、自殺者が出ても不思議ではないと思えてならない。そんなこともふまえて、そうした法整備も迅速に進めることが求められる。それと同時に、国家予算に対する防災予算の比率を上げ、防災計画をランクアップして早めることを与野党共通認識の中で進めて欲しいと思うがいかがなものだろうか。

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