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No.3245 国会全体で新型肺炎に取り組め!

2020.02.16

 コロナウィルスに関連した当初のブログで、これは人災ではないかといったことを書きましたが、発生当初からの経緯を考えると、広い意味で人災が加わったのは間違いないと思います。
 日本政府の対応の遅さを指摘する向きもあります。国会の状況に怒りと嘆きを示す国民も多くなっています。政府批判に利用するマスコミ・メディアもあります。中国からの渡航を全面禁止すべきなのにそれを引き延ばす害務省とはいったいなんなのか!とも思います。それを指摘しない野党、とくに立憲民主党とは? 確かに中国出自の福山幹事長などは中国からの渡航禁止を主張してはいません。逆にしないよう害務省に忠告しているという話もあります。
 オリパラが延期か中止にでもなれば反日グループは態度豹変し、いきなり政権批判に結び付け、大騒動になる可能性は大です。国民もそれに相乗りしてしまう事態になりかねません。もはや良識の模範にはなり得ない国会の実態であると思わざるを得ませんね。嘆かわしい限りです。
 IR問題でも自民党議員の問題点は拭えません。秋元被疑者が憲法50条の関係で釈放される事態もあって、釈明会見した上、国会出席を唱えていますが、これで解決したと思ったら大間違いです。憲法改正はこの点にも目を向けるべきかもしれません。中国マネーに絡む大物議員の存在が見えているのはあきらかです。もぞもぞ発言するこの議員が日本の正常化を阻む一つのファクターではないかと推測しています。総理もこの議員を遠ざけることが出来ないようで、ここに国政のもどかしさがありますね。自民党の反安倍議員が野次問題でここぞとばかりに野党的批判、石破氏の発言などは嫌味たっぷりです。気持ちはわかりますが、良い感じはしないということがわかってないようです。
 政治は、もっとコロナウィルスに目を向けなさい!

No.3244 反政権ウィルスが蔓延している!

2020.02.14

 国会の今に噴飯やる方なし。追及倒閣路線一辺倒の立憲民主党に人の命に関わる思考は皆無のようだ。桜疑惑を倒閣戦略の柱にせよという大同団結は政治の仕組みとして理解はする。しかしながら、これだけパニックに近い事態となっているコロナリスクに共に対策をという精神が、この党にはまったく感じられない。あえて名をあげるが、黒岩、辻元、蓮舫、逢坂・・・出てくる議員揃いも揃って桜、桜、モリカケまで口にする始末。野党は野党なりに与党路線を批判するのは世の常、政治の常だが、今は違うだろう!
 そもそも、桜がどれほど時間とコストをかけて議論しても、国益に添う対象とは思えない。政権交代一途の材料にするにしてもいい加減にせい!ということではないかと思う。IRの議論であればまだわかる。
 国民民主党は、政策提案型に路線を変更すると代表が表明した。しかし、中には、これを代表のパフォーマンスと揶揄する議員がいるという。政権を奪いたいなら、追及路線では国民の理解は得られない。何を考え、国をどうしたいのかを議論する姿勢を示さなければ、空気や流れやスキャンダル追及だけで政権を獲ることなど出来るはずがない。民主党政権を誕生させた際の選挙戦の間違いというトラウマが強烈に残っている国民は、今の野党の姿に呆れている人が多いはずである。それが野党の支持率と安倍政権の支持率に現れているということではないだろうか。
 コロナリスクに立ち向かう姿勢を国会で示さない野党にエールなど贈れるわけがない。機を見て敏ではない野党の諸君、鯛の頭が腐っているとか、憲法の国民投票を実施したら否決は間違いないなどと、総理どころか国民主権を愚弄する推測意見など言ってる場合ではない!
 総理も総理だ。伊吹議員の言う通り、あの程度のレベルに一国の宰相が応戦するのも大人げない。確かに、意味のない質問だが、なんであれ総理の失言を引き出し謝罪させたい。応じなければ委員会に応じないというまさに国民不在、コロナウィルス無視の主張しか出来ない野党なのだ。熱くなるのはわからないではないが、わずかな言葉に針を立てるのはわかりきっているわけだから、総理もいい加減にせいである。反政権ウィルスに特効薬はない!
 反政権左派メディア曰く、ダイヤモンドプリンセス号は野戦病院の状態だとパニックを煽る物言い。かの中日新聞社員の望月記者がツイッターに書いた内容。北海道新聞なども同様のことを書いているが、テレビからはそうした光景は感じられない。日本人の理性と知性は良識ある船内生活になっていることが理解できる。なぜ、野戦病院という表現が出るのかを考えると、これも左派特有の政権批判、厚労省の責任をあげつらう目的なのかと思える。悪く悪く理論誘導するという意味では、まさにメディアウィルスだ。
 勝浦のホテル三日月に向かって、エールを贈り続けた勝浦市民の姿が、日本的精神の真髄なのだ。
 さて、16日の講演会も2日後にせまってきました。

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No.3236 コロナウイルス

2020.01.24

 災害にもいろいろあるが、細菌性災害となると自然災害とは違う恐怖感が走る。武漢発新型コロナウィルスは時が進むにつれて、発せられる数値が跳ね上がる。春節の連休で例年だと中国人がこぞって海外へと旅立つ時期で、日本にも40万人の訪日が予定されているとされるがインバウンド需要を喜んでばかりはいられない。フィリピンでは500人近い武漢からの旅行者を強制送還したという。とにかくネットを開くたびに跳ね上がる被害数値に驚きが隠せない。外出禁止エリアも広がる一方で、北京ではすでに現実となっているそうだが、中国全土が日本製マスク姿の人人人で埋まるのもそう遠くはないかもしれない。
 ウィルスの元が何かの報道を見て、恐怖以上の戦慄といった感覚に襲われた。大きなネズミという話があったかと思うと、コウモリが持つウィルスが科学的に近いことがわかり、そのコウモリの天敵であるヘビ、つまりコウモリを捕食したヘビが原因だとする説が報道されたのだ。そんな馬鹿な!と思うのは日本人として自然の思考だと信じたい。しかし、中国では不思議なことではない。小生がかれこれ25年ほど前に上海の路上市場でヘビをネットに入れて売っている露店商を数軒見た。買う意志を示すと何匹か長い棒で取り出し、大きさによって購入対象が決まる感じだった。実際、中国では犬、猿、爬虫類の類いは普通に食の対象だ。よくは知らないが、高級食の部類かもしれないのだ。
 今回のヘビについてはアカマダラヘビやタイワンコブラという種名まで報道され、武漢の生鮮市場で普通に取引されているという。さらに、こうした日本人の感覚でゲテモノと言われる爬虫類は「精がつく」とか「体力復元」または「病根治癒」といった目的で食すことが多いとも。スッポンのコース料理で、最初にミニグラスに入った生き血を呑む風習は日本にもあるが、スッポンまではどうにか理解するが、ヘビとなると次元が一気に変わる。

 罹患者にとどまらず死者はまだまだ膨れ上がりそうな気配で、中国全土が戒厳令状態になりそうな勢いである。日本でも対岸の火事などと暢気なことは言ってられない。そもそも情報統制国家の中国のことゆえ、地球規模の問題になりかねない病原問題を小出し状態にしていたきらいがある。現実を理解する上で、当事国の隠蔽主義や国営メディア支配統制の実態に合わせるためには現状の数倍規模をベースに対応する必要があるかもしれないのだ。逆に、情報及び医学後進国の中国がすべきことは、医療先進国の支援の手を正直に求める姿勢ではないかと思うが、はたしてどのような事態になるのか想像もつかない。日本では、インフルエンザ対策を家庭単位で、あるいは個人単位で対処しようと訴えているタイミングなので、意識としては新型コロナウィルス肺炎も頭に入れながらうがい、消毒をと思う今日この頃です。災害対策の基本的思考は「明日は我が身」ですから。

No.3233 阪神大震災25年

2020.01.17

 今朝のメディアは阪神大震災から25年が経過したことに関した鎮魂及びあらためて学ぶといった報道が大半のようです。
 1995年1月17日午前5時46分。我が家でも柱にぶら下げてあった木製の温度計がカタカタ揺れる音をたてるので、何だろう?どこかで地震だなくらいに思っていたのですが・・・それからまもなく画面に地震を伝えるテロップが。その場所を知ると同時に温度計が揺れることとの関連で、こりゃあかなり大きい地震かもしれないと。それからは、昼夜無く神戸市内をはじめとする各地の被災の実態がこれでもかというほど目に飛び込んでくる状態となっていきました。
 なにより、大都市中心地のビルや阪神高速道の倒壊に目が釘付けとなり、路面が無くなった先に車体の半分近くを出して止まっているバスに、現実とは思えない恐怖感に身震いした記憶があります。上空高く黒い煙をあげて燃え盛る長田区を中心とした火災現場では、時が経過するとともに、勢いを増す炎が漆黒の夜空に真っ赤に映る様はこの世のものとは思えませんでした。
 と、そういった状況が未だによみがえるほど唖然とさせられた記憶は四半世紀も前のこととはとても思えません。朝刊を見てさらに新たな驚きを持ったのは、命を奪われた6434人のうちの7割が圧死で、行方不明のままの方がまだ3人いるということです。25年経ても見つからない方がいる・・・家族の想いはいかばかりか。
 東日本大震災は、死者が阪神の約3倍にあたる19638人、行方不明者が2529人もいますが、負傷者は阪神が43792人、東日本が6157人となっています。
 被災面積の違いはあるにせよ、地震直後の家屋倒壊と火災が目立った阪神と、想定外の広範囲かつ強大な津波に襲われた東日本の災害状況から、いろいろな観点において防災対策への教訓が込められていることを感じます。
 また、阪神大震災時には携帯電話は普及前でした。今は、携帯電話からスマホへと進展し、さらにAI時代に向かっています。100年から50年に縮まった時代を示す格言も、今や25年ひと昔というべき時代になりつつあるということかもしれません。さすれば、首都直下型や南海トラフといった地震が遠くないと言われる中、底知れぬ自然災害という相手に対する対策もスピード感を示さないとなりません。人知にも底はないんだという無限の力を!

No.3201 全国都市問題会議

2019.11.09

 掲題の会議が、この7、8日の2日間鹿児島県霧島市で開催されました。毎年の秋、全国市長会が主体となって開催される会議で、全国から約2,000人の市長、市議が終結する一大イベントです。過去の市議時代にも2度参加したことがありますが、今回の問題テーマが「防災とコミュニティ」というものでしたので、夏前にあった案内時から参加を決めていたものです。
 内容は、すべてが新鮮なものだったわけではなく、本年2月の防災士資格取得時の講義内容をしのぐという感じではありませんでしたが、もちろん、大いに参考になる点もあったので、近いうちにまとめてみたいと考えています。
 衝撃的だったのは「日本に安全な場所はない」という言葉でした。確かに近代における過去の発生確率から言えば、若干の差はあるように思えますが、100年、200年のスパーンで考えればいつ何時何処が大災害に見舞われるかは予知できるものではありません。災害国日本は、そういう意味においては安全な場所はないと考えるべきだと実感します。だからこそ、防災対策が重要となるわけですが、実はこの対策も絶対的なものではないと。自助・共助・公助が問われる昨今、基本は他を頼る気持ちが大勢を占めていることが昨今の災害の実態でもあきらかだと言います。個人はもちろんコミュニティであっても行政依存度が高く、警報を聞いても自主防災隊が瞬時に活動する実態は少なく、住民に至っては避難準備すらしないことが昨今の大災害時にはっきり示されたそうです。この話を聞いて、私は別の言葉をふと思いつきました。「頼助」です。
 
 参考的内容を少し紹介しますと、災害対策はトップダウンでできるものでも行うものでもなく、ボトムアップで構築していくものだと。しかも、その先にこれでいいというものはないと考えるべきだと。
 コミュニティは生き物であり、社会関係、社会集団、地域的アイデンティティを有するものであって、行政が作ることはできない。
 コミュニティとは地域という意味合いだけではなく、すべての組織、集団を指す。学校も会社もコミュニティである。
 行政の災害対策向上を考えるには自治体職員の能力を上げることが求められる。実際、災害時の対応、復興対応では職員の力の差が如実に出るといいます。それには、常に災害対策を自力・独自で考える組織作りが必要なのかもしれません。 
 究極の防災力アップには、個人の防災力を高めることしかないとし、要するに自助能力をアップさせるということになります。行政に求めても自ずと限界はあるし、責任転嫁するべきものでもないということになります。頼助などとんでもないということでしょう。
なお、高齢者など避難要支援者については全く別の議論の対象とされています。これについてはまた示したいと思います。
 ちなみに、薩摩の友人に聞いた話ですが、幸手市で鍵が無く避難場所を開けることが出来なかったというニュースは、鹿児島の新聞でも記事になったそうです。講義の中に「成功も失敗も情報として横に流す」という話がありました。その点で行くと皮肉な話ですが、幸手市の失敗は全国の教訓として役にたったということになるのでしょうか。

No.3198 垂直避難の重要性

2019.10.27

 千葉県では、またまた豪雨災害で大きな被害が出てしまいました。お亡くなりになられた方には慎んで哀悼の意を表しますと同時に、被災者の皆さまには心よりお見舞い申し上げます。
  
 それにしても、予報でたびたび大量の雨予報が出ているにもかかわらず、なぜ大きな被害が生じるのか! 災害の詳細から国民一人一人がしっかり災害対策を考慮する必要を教えられます。まずは、地震と豪雨対策は、まったく異なるということを自覚しなければいけません。理解はしているつもりでも、実際避難の必要性が生じるほどになると人間心理は落ち着いた判断を妨げる可能性が高いことも理解しておくべきでしょう。より具体的には、自助・共助・公助の在り方からです。命・財産を護る最大かつ最善、最速のポイントは自助にあるということを!

 千葉には数軒の親類、知人がおりますが聞くところでは、豪雨洪水被害は地形がかなり高い確率で要因になっていると言っても過言ではないようです。木更津の親類の家は、小櫃川が目の前30mほどに位置しています。つい10日ほど前に15号の見舞いで訪れた時の話はブログで紹介しましたが、今回は、一時緊急放流が報じられた亀山ダムの放流が中止になっていなかったらどうなっていたかわからなかったということです。実際に上流の小櫃川は氾濫していたのですから心理的には不安な状態が続いていたということです。道路から少し下がった地点に立つ家は、玄関前に1段しか階段のない建屋ですが、米などが入る倉庫は古い納屋で水をさえぎる状態にはありません。いうなれば、1センチたりとも高床の状態にはなっていません。女性二人の住人の安否を心配するのは当然のこととして、納屋にも影響はなかったというので一安心しました。ところが、これまでにも水に襲われたことはないというのです。科学的根拠はわからないが地形と立地という面によるとしか考えつかないと言います。
 15号の時の停電災害は予想外のことで、考えてみればこれは自助という観点からはずれる災害と考えてもいいでしょうね。いざという時のために発電機をすべての家庭に備えるべきとはとても言えません。強風が、人間社会の生活の高度化を破壊した災害は、まさに電気ショック社会を見せつけらました。

 私が先の19号でとった災害対策としては、雨戸のないガラスを養生テープで補完し、大切と思うものをわずかですが2階に運びました。地震対応においては、2階を重い状態にしておくのは良くないということは頭においています。そして車をいつもと前後逆に駐車し、エグゾーストパイプの口を厳重にカバーをしました。ガレージの地形は奥が高くなっているので、エンジンとマフラーに水が入るのを防ぐためでした。 そして、ハザードマップを確認。私が住む地域の道路標高は8mです。そこから家屋の1階天井までは約3.2m。ということは、万が一のことはあったにせよ、2階にいれば命にかかわる危険は免れるという理解でいいだろうと判断しています。これが、洪水に対する避難の基本だと思います。事実、19号時でも2階にいて難を逃れたという話は数多くありました。
 今回、死者の多くは戸外で亡くなっています。避難中の車の中、家の周りを片付ける作業中に土砂に襲われた例、畑が心配で確認に出た際、濁流に足をすくわれた例等々。実は、豪雨災害で命を奪われる例は、毎回といっていいほどこうしたパターンであり、加えて、裏山から押し流された土砂に家ごと埋まるといった例も多く見られます。
 避難指示が出たからといって、暗い中を10分も20分もかけて避難所に向かうというのは、水があふれ流れる速度を考えると危険度の高いことで、この理解をどれほどの国民がしているでしょうか。
 防災専門用語に垂直避難という言葉があります。2階が水中に沈む地形かどうかはハザードマップから判断し、平屋家屋は勿論、地すべりの可能性もある程度は事前判断が可能ですから、そういった条件下にある家ではより自主判断のタイミングを速めて、より遠くへ避難するのが適切な避難行動と言えます。その際、車を使用すべきかどうかも重要な判断材料となるでしょう。

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