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No.3345 これほど嬉しいことは・・・

2020.11.16

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 スカッとした好天が続き爽やかな秋。行楽といった気持ちは幾分引き気味ではありますが、太陽がもたらしてくれる恩恵をありがたく感じる日々です。
1度くらいは、どこぞでもいいから紅葉を拝みたいと思うのですがさてさて。

 一昨日の土曜日、庭でメダカに餌をあげていたらインターホンの音が。家内が○○さんよーと言うので、急いで玄関に回ると嬉しい来客が立っていました。訪れてくれたのは、近くに住む長倉小低学年の女の子で、おばあちゃんと一緒でした。そして、写真の絵を!!!
 なんでも優秀作品に選ばれて、今話題の幸手駅ギャラリーに展示されていたそうなんです。それは知らなかったので、残念ながら見逃しましたが、私の心が小躍りするほど弾んだのが絵の構図です。
ファイル 1262-1.jpg 子どもたちの朝の登校をテーマにした絵ですが、構図の中心にいる大きな人物がなんと私だというのです。私を書いてくれたこと自体嬉しいことですが、子どもたちの後ろにパトロールの私が描かれているのが子どもの感覚ではないかと思うのですが、この子は私を中心に書いたと言ってくれたのです。感激もひとしお、おばあちゃんと一緒に「いつもありがとうございます」という言葉までいただいて、ここまでのことを思い出しました。
 平成元年8月に大宮から幸手に越してきた我が家。当時香日向小は建設中で5年生の次男は長倉小へ。約半年ほどの期限付きでしたので若干遠いと感じる通学には何の問題も感じませんでした。ランドセルが小さく見える5年生ということもあったのでしょう。翌2年の4月に開校した香日向小に6年時から転校、いわゆる香日向小第一回卒業生となりました。
 それから丸22年を経て、児童数が最盛期650人ほどだったのが50人を割るほどに激減し、平成24年3月香日向小は閉校になりました。閉校にあたり、ボランティアクラブの方々に山車の作成を提案依頼し、山車にぶらさがる提灯に最期の6年生に言葉を書いてもらいました。それと、香日向を流れる大中落としには5つの橋があるのですが、これに閉校記念として子どもたちに名前を付けてもらうと言うのはどうかと教育委員会と校長先生に提案しました。どちらも実現の運びとなりましたが、あまりにも早すぎる閉校と地域から子供の声が聞こえなくなることに対して少しでも想い出を残せたらという単純な想いでした。

 その後、同年4月8日のこと、新しく長倉小に通う子どもたちを毎週火曜日から金曜日まで登校パトロールするようになりました。県議当時のことでしたが、視察出張等の所用が無い限り議会当日も20分ほどの立哨をやるのが日課になりましたが、その時間の関係で本来の立哨地点はコミセン前ですが立哨地点が多いことはいいことだと考え、家に近い香日向駐在所前でやるようになりました。かれこれ9年近く、今も続けていますが、始めたころの6年生はもう立派な成人になりました。その子たちが会えば挨拶してくれるのがまたなによりの喜びです。
 後ろから見るとランドセルが歩いているような1年生が、35分程度の道のりをかけて登校する姿に、今日も頑張って!という気持ちです。辺境の地の子どもたちとは比較にならないかもしれませんが、車も多く、おかしな人もちょくちょくといった情況から子どもたちを見守る目的もあります。
 ところが、初めてまもなくのことです。子どもたちとの毎朝の逢瀬で元気をもらっているのが私だということに気づいたのは。

  届けてもらった絵を写真に収めさせていただいたのは当然で宝物をいただいた気分になったのは言うまでもありません。
 実は今、このスクールガードのメンバーに不足が生じています。皆、頑張って続けてくれているのですが、高齢化の波は全国的にこうした活動組織にも顕著になっており、香日向ボランティアクラブも同様の傾向は否めません。クラブメンバーではなくスク-ルガード専任のメンバーということでもけっこうですので子どもたちを優しく見守る活動に我こそはと思わん地域の方をお待ちしております。担当は週に一度です。もしもの場合、私まで連絡いただければと思います。

No.3208 活力受ける写真展

2019.11.22

 前号に続く文化ギャラリーコラムです。今、市役所で行われている写真展が結構な迫力と感動を伝えてくれる内容なのでご紹介したいと思います。
 幸手写友会の皆さんが、この夏の青森に出向いて撮られた「ねぶた祭り」の目に映える色鮮やかなパネル展示です。実は、青森ねぶたは県内各地で行われているのですが、今回は青森市のねぶたと五所川原市の立佞武多が主体です。ファイル 1119-1.jpg ファイル 1119-2.jpg
 日本の祭りの中でも、海外にまで知られるほどの伝統的祭りとされる青森ねぶたですが、私的感想としては、正直なところ青森に出かけたくなりました。
 夫婦還暦祝いの旅にこの青森ねぶたを選んでかなり経ちますが、今度は古希のケジメに訪れてみたいという気持ちが沸々と湧いてきました。当時、県内4つの市町のねぶた祭を見て、その翌年、弘前ねぶたの系図を引く群馬県尾島のねぶたも見に出かけたほど感動が消えることはなかったのですが、今回の写真展で呼び起こされたようです。知人に、毎年東北の夏祭りを訪ねている人がいるのですが、私がねぶたを観たくなったのはこの知人の影響でした。今や、毎年出かけるこの人自体が感動の対象だとさえ想えるほどです。
ファイル 1119-3.jpg いや、それほど祭りの感動が伝わってくる写真ばかりでして、特に参加者の嬉々とした表情がうかがえるショットが、そぞろ青森にいざなうように感じるということは、この祭りの素晴らしさが見学だけでなく参加することにも喜びと感動があることを伝えているように思えてくるのです。
 是非、市役所へ! 展示は29日までです。ねぶたパッションで活力をもらえると思いますよ。まずは、その一端を添付紹介の素人フォトから味わっていただけたらなによりです。
ファイル 1119-4.jpg ファイル 1119-5.jpg

No.3207 伝統工芸品

2019.11.21

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 今号のタイトルですが、皆さん伝統工芸品に指定されている品が全国にどれくらいあるかご存知ですか? 実は、235品目あるんだそうです。その最も新しい235番目に「行田足袋」が指定を受けたことが昨日発表されました。小中の頃から社会科授業でその名を頭に叩き込んできた県の特産品ですので、県民として嬉しく感じるニュースです。
 埼玉県では2013年の「秩父銘仙」以来6年ぶりのことで5件目の指定ということになります。235品ですから47都道府県の割合で換算するとちょうど5件平均ということになるので埼玉県もなかなか良い工芸品があるということになりますね。ただ、伝統工芸というくくりで考えますと、今後埼玉県でどういったものが候補に挙がるでしょうか。
 ちなみに、過去の4品とは「江戸木目込人形」「春日部桐箪笥」「岩槻人形」「秩父銘仙」ということになりますが、県内他地区でどういった伝統工芸が継承されているものやら? 「小川和紙」「羽生藍染」などもその雰囲気を有しているような気がしますが、伝統工芸となると難しいのでしょうか?

 この国の指定を受けるメリットには次のようなものがあります。
◆後継者育成や需要開拓事業などに、国の財政支援を受けることが出来る。
◆一般財団法人伝統的工芸品産業振興協会が実施する全国の物産展への出品。
◆伝産証紙ラベルを貼ることが出来、品質保証とブランド化が図られる。
 そこで、はたと考えて我が街幸手には何があるのだろうか?・・・・・残念ながら、それらしき工芸品が直ぐに浮かんでこないのが寂しい感じです。

No.3054 文芸幸手の終刊にあたり

2018.11.07

 毎年の幸手市文化祭に合わせて刊行してきた文芸幸手が第20号をもってその幕を閉じることとなった。文字通り、幸手の文芸文化を代表する文芸誌の終刊は寂しいという感覚より残念という思いの方が強い。物事に広く感じることだが、本来、20年というのは黎明期から成長期、発展期を経て、次なる照準を30年に伸延し、更なる発展を期す円熟期といった範疇にあるように思う。
 しかし、文芸幸手においては、運営委員かつ選定選評者の皆さんの高齢化が、終刊という結論を選択せざるを得なかったと、当事者の何人かから伺った。
 多数寄せられる投稿の全てを読み込み、選定選評するのには一晩程度の徹夜ではとても困難だという。それもそのはずで、毎回かなりの数の投稿が掲載されないというから、それこそ責任感を背負いながらつぶさに読むことへの疲労感は相当なものだと推測できる。投稿は基本一者一点だが、選評は一者多数と考えればその苦労のほどが偲ばれる。
 何年か前には、良かれと考えて数文字程度の文字替えをして掲載したところ、お怒りが半端ではなかった投稿者がいらしたという。一言確認すればよかった話かもしれないが、そんな必死の感覚で選定選評する状況が20年と考えると、運営委員の皆さんは円熟期を超え限界期に達していたと理解し、労をねぎらって差し上げたくなる。今は、刊行にご尽力された先生方にお疲れ様でしたという言葉しか見当たらない。

ファイル 963-1.jpg ところで、小生も第15号から最終20号までの6年にわたり随筆らしき?ものを掲載していただいた。

第15号「日本人の心根とは」・・・49行
第16号「平和への鎮魂」・・・・・72行
第17号「戦後70年に想う」・・・・79行
第18号「尊徳考」・・・・・・・・91行
第19号「読書のススメ」・・・・・90行
第20号「友ありて」・・・・・・・95行

 1行30文字、24行が2段で1頁だから、2頁で96行2880文字になる。最大で原稿用紙7枚分になる文字量に気力を集中するのは並大抵のものではない。ブログでは時折「えださんのブログは文字が多いね」とご指摘をいただくが、勝手気ままに書くブログと違い、写真や挿し絵は幸手の芸術文化の粋が寄せ合う幸手市唯一の市民総合文芸誌の高尚さについていくのがやっとと思いつつディスプレイとキーボードに向かったものだ。
 この機会を頂いたのは、文芸幸手の2代目会長の長須房次郎先生と3代目会長の石塚順子さんに「自分史の会」でお世話になり、投稿を進められたことがきっかけでした。「自分史の会」はしばらく前に解散したが、定期的に集まり、その都度自作を持ち寄ることへの負担感が強くなっていったと自分自身を振り返っている。もっとも遅く会の端っこに加えさせていただいた小生としては、幸手の文芸世界にかかわりを持たせていただいた最初のことだったので、ちょくちょくアドバイスをくれた物故メンバーの方をはじめ感謝の思いとともに懐かしさが今だに強く残っている。

 
 15から17号では戦争を基点にして日本人の心根にある優しさや勤勉性を記した。次の尊徳考は、茨城にある二宮尊徳記念館を訪ねて深まった思いを綴り、その記念館へのお誘いをいただいた大先輩からお借りした2つの大書に触れつつ、尊敬する渋澤栄一に関連しての感想が19号。そして、人生最大の友に拘わる友達考を最後に。
 実は、16号の平和への鎮魂はこの友が住む近くにある知覧特攻平和会館を案内してもらって感じたことを書いたもので、この施設が平和の尊さを涙を誘うほどに訴える施設であるのに、戦争を賛美するかのように評するうがった思考があることへの反発心が書かせた。
 毎回の出稿に際して、題材をアドバイスしてくれたり、現地訪問に同行していただいた市内の大先輩にはこの場を借りて感謝申し上げたいと思います。会うたびにいつも背中を押していただくこの御仁には、いつまでもお元気でと願うのがせめてもの小生の恩返しです。
 また、いつの日か「文芸幸手」の復活を願い、この号を閉めることといたします。ありがとうございました。

No.3053 第58回幸手市文化祭

2018.11.05

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 先月末から地区行事、行政イベント、そして今週末にはプライベートイベントと準備から実施に至るまで、楽しさを経てどっと疲れる日々の連続である。
 3、4日は、恒例の幸手市文化祭がアスカル幸手で、また、それに合わせて例年開催される社協主催の幸手市健康福祉まつりがウェルス幸手で同時開催された。
 昨年に比べ、天候は秋晴れとまではいかなかったが、過ごしやすい気温だったせいか多くの人でにぎわった。と言っても、毎年ウェルスの玄関脇で焼きそばを焼いている小生としては、早朝準備から商品完売まで釘付け状態の中で、焼きそばの販売ペースや人の行きかいを横目に見ながらの比較判断でしかない。
 お蔭様で昨年に比して50食多めに用意したが、昨年より早い12時40分頃には完売でその後にいらっしゃる皆さんには申し訳ないこととなった。

 肝心の文化祭だが、まず3日は17時頃さくらホールでなじみの演者を見学し、中学生の日本舞踊やダンスに感激した。気のせいかどうか、ステージのライティングに工夫が感じられた。4日は焼きそば完売後の1時半過ぎに展示会場へ。入ると同時に知人の声掛けでお茶をふるまっていただいたが、その動きをじっくり拝見していて、お茶の作法の奥深さにたいそう感心した次第。知らぬこととはいえ質問にも丁寧に対応していただき、お茶の味だけでない心の和む一瞬でした。
 展示品は、出品内容も出品者も様々で、どれも力作なのはいうまでもない。なかには、プロ級を感じさせるものも多数あり、幸手市の文化度の高さが並みのものではないことを示していた。
 ひとつ憂慮することがあって、それは出品点数が減少しているように感ずることなのだが、実際、床スペースが年々増加しているように思う。展示パネルも一列少なくなっている感じだ。こういった場面でも若い人の参加を期待したいところである。もっとも書の分野では小学生の作品も多く、この先が楽しみだが、バランス的には写真の少なさが際立っていたように感じた。
 2年続けて書を出品したが、今年は最後の最後まで書こうと思える字を思い描くことが出来ずに出品をあきらめた。来年はまた挑戦してみるか!
 次号では、20年の長きに渡り刊行してきた「文芸幸手」の終刊に関して書きたいと思っている。

No.3052 無軌道な羽目外しに喝!

2018.11.01

 日々、冬への気配を見せながらとうとう11月を迎えた。神楽月といった呼称もあってか各地の秋祭りもにぎやかだが、霜月らしく各地で初霜が降りたようで車窓も露で覆われていた。暦とは不思議なほどにそれらしさを伝えるものだ。今夏の異常な暑さと今日の最低気温では30度前後の差があるわけだから、寒さも感じ方が異なるしこれからが思いやられる。

 思いやられると言えば、あれあれ、ハロウィンが騒動イベントと化している。渋谷に集まる一部若者集団は何をやっても許される祭りと勘違いしているようだ。渋谷センター街振興組合の理事長は「変態仮装集団」という厳しい見方をし、行政と連携して何らかの規制を図らなければならないとしている。
 複数に及ぶ若者が逮捕されるという実態は、一部ではあろうが、前号でも記した人の道、人の徳が現代っ子に欠落しているとしか感じられない。
 道徳とは、小生なりの考え方では「他人に迷惑をかけない」ということに尽きる。もちろん、家族なら迷惑をかけていいということではない。教育勅語の徳目には家族愛についてしっかり記されている。
 人は大人になるにつれ、社会との融合の過程で多くの気脈・人脈を構築しながら成長していくのであって、覆面や厚化粧で顔を隠し、大衆にのみ込まれながら酒に浸るほどに、一夜を明かし、法を犯し、羽目を外すことを人生の一幕で済ませていいとは思わない。それほど現代の若者はストレスが溜まっているのかと思わないでもないが、単純に騒ぎたいという思考が「みんなでやれば怖くない」といった感覚で、窃盗、猥褻、公務執行妨害といった様相に変化してしまう。
 数日前の車を横転させたバカ騒ぎなどは諸外国でも批判の対象になっているという。昨夜の騒動もそうなる可能性は高い。日本の治安や民族的倫理観にリスペクトする他国からは信じられないといった感じなのだろう。
 テレビでは、仮装した数人の若者が夜明けの早朝にゴミ処理をしている姿が映った。どこかで見る風景と思った瞬間思い出した。ワールドカップサッカーの試合後に見せる日本のサポーターの行動ではないか。やはり、多くは純粋にハロウィンを楽しむ目的で渋谷に来ているのであって、こうした事件性のある騒動に発展するのは特殊な一部が原因と考えることにしておこう。そうでも考えないと身体によくない!
 

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