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No.3088 現代社会のジキルとハイド

2019.02.12

 前々号でDV家庭、とくに外と家での異なる2面性を持つ父親がDVの主体の場合について書きました。
 人は外見で判断してはいけないと言うのは人物評価の基本ですが、外見の取り繕いが周囲を惑わすパターンも間違いなく存在します。それは、外見や物腰から好人物との評価で受け止められているものの、実際はまったくその逆というものです。そうした場合の虐待事件では、近隣による通報が遅れることも想定されます。子どもの命を護るには一刻を争う場合が少なくないし、そこがカギとも言えます。
 11日の新聞が伝える野田市の心愛ちゃん虐待事件は、父親の詳細が不明な状況で、小生が語ったジキルとハイドのたとえがぴたりと当てはまる特異な点を示していました。この父親は、職場や近所からは実直で温厚な人柄と思われていたというではありませんか。上司は「事件とはとても結び付かない人物像」と驚いているのです。学校の校長が語るには「腰が低く、物言いも丁寧な保護者」だと。これでは、近隣の方々が心愛ちゃん虐待を感じるどころか想像することさえ難しいことでしょう。
 さらに、夫婦のやりとりからも父親の異常性が感じられます。しつけと称した虐待に傷害容疑で逮捕された母親が「やめて」と懇願すると「俺が保護者だ」とすごむ。これ以上、止めに入れば冷酷な鉄拳が我が身に向けられると思えば願いもそこまで。まさにジキルとハイドそのものの人間性の父親。児相や役所に対しては理詰めで大声を上げることはなかったと新聞は伝えるが、聞くほどに、こういう親のDVが発覚することの難しさを考えさせられます。
 「ナニが保護者だ!」我が子を虐待しておいて保護者とは笑止千万。ひとつも理詰めという感じはしないが、夫婦間ではこの暴言で立場が決定的になっていたものと思われます。母親も保護者なのに・・・。
 この父親の逮捕容疑は傷害です。日本は刑法も少年法もそうですが、むなしいほどに刑法犯に対する罰則規定が軽いと思いますし、そう思う国民が多いのではないでしょうか。
 虐待も命を奪ってしまったら虐待にあらず! 虐殺ではありませんか!!
 

No.3086 悲しい虐待心理と女性の悲劇

2019.02.05

 当ブログが栗原心愛ちゃんの虐待事件を綴ったのは今月1日のことでした。その後、これまでにないほど毎日のようにメディア全体がこの事件を報道し、昨日は心愛ちゃんの母親が逮捕されました。いわゆる、夫の行為を見て見ぬふりをしていたことが傷害罪にあたるということですが、母親の供述に驚かされるものがありました。
 「心愛が暴力されているうちは、私は暴力されないと思った」
 過去の虐待事件でも、止めれば自分にふりかかるであろう母親が持つ心理的恐怖は容易に想像はつくことで、今回の事件をきっかけに、虐待暴力の実態の本質にはいろいろな意味で母親側の人間心理が渦巻いていることがわかります。
 今回の千葉県の例では、暴力亭主の職業等詳細が不明で、過去の事件と照らし合わせるには情報が不足していますが、夫婦の年齢差が10歳あり、心愛ちゃんの妹が1歳というのがなんとなく目をひきます。そうした中で実父が実の子を虐待したというのも多くある例と異なり特異な虐待事件と小生は受け止めています。


 母親が虐待の主になる事件もないではありませんが、仮に、継父を含む父親の非道なふるまいを前提に母親の交錯する心理を描写してみると、止めれば火に油をそそぐことになるとか、止めれば自分に火の粉がふりかかるという空気は感じて当然だろうと思われます。日常的な我が子への虐待に、離婚を考えたにしても、子どもをおいて分かれるわけにはいかないし、暴力的な亭主が許すはずもなく、家出すれば追いかけてる可能性もある、生活維持の面で現実的ではないなど、出口のない現状に苛まれる日々なのではないかと思います。
 DV家庭における女性の立場とはこれほどまでに弱く、追い込まれた状況にあるわけで、外では勤労者としてかしこまった夫のジキルとハイドの実態に苦しんでいる女性はまだまだ多く存在しているのではないでしょうか。ましてや、働かず亭主であればなおさらです。実際、こうした状況にいたたまれず親子心中した例も少なくないのではないかと思えるほどです。
 現代社会は、ことさらに女性の社会進出を叫び、尊ぶ声が強くなっていますが、女性が子供を産み育てる過程で人間らしい暮らしが出来ない実態があることに早急な社会施策を考慮すべきだと強く感じます。
 麻生副総理の発言は、産めないとか産みたくないといった理由には、その女性の人生にかかわる深い事情があることへの配慮が足りないと思いますが、少子化は現実の問題でもあるので、社会進出という意味も大切ですが、その前に女性の母親がゆえの社会的地位に配慮した世の中になってほしいと思います。そういう意味で、心愛ちゃんの母親は逮捕されてもやむを得ないとは感じるものの、被害者としての一面もあると思えて仕方ありません。各方面の報道から感じる話とご理解ください。

No.3085 進まぬ虐待防止

2019.02.01

「ひみつはまもりますから、しょうじきにかいてください」 
 これは、千葉県野田市で発生した栗原心愛ちゃんが通っていた学校が行ったいじめに関するアンケートに記載されていた一文です。これを信じ、辛い毎日に明るい陽射しを見出そうと心愛ちゃんが書いたのは、学校内のいじめではなく、父親からの虐待を訴えるものでした。
「お父さんからぼう力をうけています。・・・。先生なんとかなりませんか」
 これを読むだけでも胸がつまってしまいます。この訴えがまさか父親の更なる逆鱗にふれることになるとは心愛ちゃんは知る由も無かったでしょう。
 この事件の経緯の詳細はメディアが伝えていますし、昨夜はNHKのクローズアップ現代でも取り上げていました。

 
 1ケ月間の一時保護をした児相が、その後の家庭訪問を一切しなかったことも問題ですし、アンケートを親に渡した教育委員会の安易な対応はさらに問われます。子どもにも個人情報に拘わる事案があるということを示すもので、特に、親に知らせてはならない子どもの個人情報という点が特異な事件と言えます。「ひみつはまもる」という認識は誰を対象にしたものなのか? いじめのアンケートに家庭内虐待のことが書かれるとは思っていなかったのでしょうが、いじめも虐待も現代社会に根付いてしまった広義のいじめであることは間違いないのです。教育者たるもの、その理解ができていないことがそもそもの問題です。
 教育委員会の苦しい答弁状況を見る限り、副市長も教育長も毅然とした感じではなく、詫びる言葉に文章を読んでいる教育長にはがっかりさせられました。文章を読むことでは心からの詫びとは言えません。まして教育者ですからなんともお粗末としか言いようがありません。
 また、指導課長の説明には憤りを感じますが、厳しい親との対応に苦慮した際の心情を吐露する姿に複雑な思いもした次第です。通常、教育委員会と現場教育者は人事異動がつきもので、おそらくこの課長は校長職を経験者している方だろうと思いますが、まじめさが垣間見える人柄ではあっても最終判断が恐怖感にもとづく方向に向かってしまったことが悔やまれます。人が恐怖に襲われた時にとる対応によってどんな影響が周囲に起こるか・・・恐怖の種類にもよりますが難しい問題です。

 29日に、いじめ防止ネットワーク会議という集会に出席しました。前号でブログを書いた後のことでしたが、今回の虐待事件も含めていくつかの質問を投げかけましたが、言葉を発してもどこかむなしさが残るのは、子どもを護る社会のシステムが遅々として進まないという忸怩たる思いが根底にあるからです。これまでは、とくに警察と児相の関係に焦点が当てられていましたが、教育現場と事務派までが子どもの命にかかわったことは、より虐待防止のネットを網羅する必要があることを示唆しています。
ファイル 994-2.jpg 平成24年県議会6月定例会における一般質問で、添付のような質問をしました。30分の中でいくつかの質問をする関係でだいたい1000文字前後でまとめざるを得ません。したがって、深堀した内容にはなっていないと自覚していますが、今でもこのまま質問しても通用する内容とも思います。その後、29年に第26号県条例として埼玉県虐待防止条例がようやく施行されました。しかしながら、なんら世の中の子ども虐待は好転していないのです。この時、事例にあげた春日部市の例も今回の心愛ちゃん虐待死に重なって感じられてなりません。

 今回のように、親が暴力団的資質とは異なる、理論理屈に長け、法を持ち出す言葉の脅しを駆使する人物ですと、児相も教育委員会も対応に苦慮することはわかります。しかし、個人の対応判断にまかせるのではなく、組織として一丸となって対応することで心愛ちゃんの命を護ることは出来なかったものか。行政は市民から訴訟を起こすと騒がれると弱い一面があります。
 シルバーデモクラシーと言えば聞こえはいいのですが、いわゆるクレイマー族は社会に広がりつつあります。他罰的自己顕示欲旺盛なおっさんが子ども対してまで幅をきかせるいびつな世の中は、今後ますます芽を吹いていくものと思います。子どもへの接し方が異常な親のチェック機能をたくましくすることが求められているとつくづく感じる事件です。
 心愛ちゃんの無念な死を無駄にすることなく、全国の自治体が虐待対応の在り方に進歩を見せてほしいものです。
 心愛ちゃんのわずか10年の短い命に対し心から哀悼の意を捧げます!

No.3020 理由はどうあれ鬼畜行為

2018.08.15

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 県内草加市でまたむごい親による実子虐待事件が発生した。死には至らなかったものの生後8カ月の女子を寒い1月にトイレに放置した24歳の母親の心理とは・・・。今年の冬はここ数年なかったほどの記録にも記憶にも残る寒さだった。
 悲しいことだが「子育てがうまくいかず、可愛いと思えなかった」などという理由があっていいのだろうか! 我が腹を痛めた・・というか10カ月も間、分身がごとく成長させ、世に産み出でた我が子を可愛くないという理由が成立するのであれば、なぜ産んだのかという人間本能の原点に戻ってしまうではないか。2歳になる長男もいることからして親としてすべてに異常性を示しているとは思えない。表に出ないよほどの事情があるのかもしれない。
 しかしである。
 この女の子は寒さの結果、両足に全治3ヵ月から6ヵ月の凍傷を負い、左足の親指と中指が壊死し、切断せざるを得なかったという。むごいことこの上無いが、更に酷いのは全身に約20カ所の骨折があったという。まさに命あってのなんとやらを8カ月の乳児に背負わせた親。これこそが、日々虐待の手をかけていたという証しである。可愛くないとか子育てに疲れたという言い訳どころの話ではない。単なるネグレクト的子育て放棄だけであるなら情状酌量の余地があるやもしれぬが、それとて親の責任としては最低のものと評価せざるを得ない。
 「生活上の問題も含め、子育てに悩む母親の皆さんに申し上げたい。こうした際の相談窓口に出向けば、まずは子育てストレスから解放されるかもしれません。何が貴女の救いになるかは人それぞれかもしれませんが、自分ひとりで悩まないことが大切です。頼れるものは全てに頼り甘えることは恥ずかしいことではないんだと考えてみましょう。貴方に甘えることしか出来ない子どものために!」
 そう思って、草加市の児童虐待に関するホームページにアクセスしてみた。タイトルは「児童虐待をなくしましょう」その下に至極当然の文章が5行ほど付き、更に相談窓口として草加子育て支援センターと越谷児相草加支所の住所電話、開所日などが紹介されている。驚くことに、この更新が2012年1月23日となっている。つまり、6年半も内容構成を変えていないのだ。この間、ここに至るまで児童虐待でどれほど世間が騒々しい状況にあるかと思うと、アピールへのアイデアをまったく捻出しようともしていない行政とはいかなるものか。それが仕事というものではないか! 絵も写真も無い、フローチャートも無く、形式的な記述に過ぎないホームページ。タイトルキャッチの「児童虐待をなくしましょう」が他人事のように感じられて悲しくなるが皆さんはどう思われますか?
 これでは異動がつきものの行政にあって、よほどの先進改革職員が現れない限り、行政の努力は表面的なものに終わっている可能性が高いと考えられてもやむを得ないだろう。前向きに変化、変更、変革を意識して職務に邁進する行政職員は少ないのが現実なのだろうか。そう思いたくはないのだが、この草加の実態はこれを示す一つの例だと思えてならない。それでも、直接相談員に会えば、何らかの解消策があるかもしれないし、温かい心根を持つ職員もいると信じ、藁にもすがるという言葉を現実にして行動してもらいたい。少なくとも鬼畜の親などというレッテルが貼られることのないように。
 話は変わるが、山口の周防大島で2日間行方不明になっていた藤本理稀ちゃんが今朝7時近くになって発見されたという。命に別状はないという以外まだ詳細は不明だがとにかくほっと安心した。2歳の子が2日間どうしていたのかは興味深いところだが、この種のニュースにはいつも心がざわめいてならない。

No.3002 躾、体罰、折檻、虐待 (3)

2018.06.19

 薩摩の心友からメールがきた。ブログ3000に加え、アクセス40万到達に対する祝いのメールだった。とくに政治の世界を意識して15年もブログ行脚を続けてきたわけではないので、広くいろいろな人たちにアクセスをいただくことは数字以上に感慨深いものがある。40万アクセスは有名人などでは1日で100万件に届く例もあり、ことさらに驚く数字ではないが、一介の地方の人間が書き綴った継続性という観点では自らをほめてやることとしたい。
 この人生最大とも言うべき友とは毎日と言ってもよいほど会社帰りに都内各地で安酒をひっかけながら語り合ったものだ。そんなことを考えていたら、よく政治が話題にのぼったことを思い出した。しかし、二人だけでは論争、口論になった記憶がない。いやはや、人生懐古の感覚は年を取ったという証しなのだろう。

ファイル 910-1.jpg さて、児童虐待3弾目である。これまで同一テーマを3回以上続けたことは、市議時代の合併問題以外に記憶がない。
 先に書いたように、上田知事がすべての虐待案件を警察が関与するシステムにすると明言したことに加え、安倍総理までもが早急な対策を講じるよう指示したことから、この虐待問題が国をあげての社会問題として前面に出てきた。それもこれも、折檻を超えた虐待を受けた結愛ちゃんの魂の叫び、心の底から発した有り得ない親への命乞いの手紙が日の目を見たことによって、涙にまみれた国民が多かったことが、今回のお上の声につながったものと思う。しかし、実際のところ対応は遅きに失したことは間違いない。問題指摘の声に対する真剣度がいつの時代でも反応が鈍いのは行政の最大の問題である。結局のところ、大きな声を上げたつもりが小さな声にもならないということだ。
ファイル 910-2.jpg県議会で虐待防止には児相と警察の連携を深めるべきだと一般質問したのは平成24年6月議会。その2ヶ月後に後藤啓二弁護士を招いて議員勉強会を行った。もちろん、誰だったかは記憶にないが執行部側でも何人かの職員はその場にいた。セミナーのタイトルは親学勉強会「子どもを虐待から救うために」というものだった。講師の後藤弁護士は、東大卒後警察庁に入庁され、内閣法制局参事官、大阪府警生活安全部長、愛知県警警務部長、内閣官房安全保障・危機管理といった要職を歴任されたいわゆるキャリア官僚の方である。平成17年に警察庁を退職され、同年弁護士登録をされ、20年に後藤コンプライアンス法律事務所を設立され、24年7月に子ども虐待・性犯罪をなくす会を設立された。

ファイル 910-3.jpg 著書も多数あり、写真の2011年10月発行の、その名も「子どもを虐待から守る本」の刊行に関わっていた友人が、小生の質問内容を知って紹介してくれたことがきっかけである。こうしたつながりは特に貴重なものとして記憶に残る。セミナー時に先生自らが本から抜粋されたレジメのうちの一部を添付したが、ここで警鐘されていることが虐待を理解するうえで最も重要なポイントを言い当てていたことがわかる。安倍総理も上田知事も、議員、行政マンのすべてが読むべき虐待防止ガイド本である。今からでも遅くはない。
 埼玉県ではこの後も前号に書いた事案も含めて多数の虐待が発生していたのだから、今回の上田知事の声は前述の理由から小生を心から喜ばせるものではないことが理解いただけると思う。自民党県議団が議員提案で昨年成立した児童虐待防止条例もどれほど実際の防止に身を結ぶものか注視すべきであろう。形式的に過ぎる条例がないとは言えない実態にあって、作ることが目的であってはならない代表的な条例になってほしいと願う。
 ともあれ、結愛ちゃんが祈る思いで丁寧に書いたひらがなの訴えがようやく実を結んだことになんとも複雑な思いである。

ファイル 910-4.jpg  ファイル 910-5.jpg

No.3001 躾、体罰、折檻、虐待(2)

2018.06.14

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 福祉部長「平成12年度制定の児童虐待防止法は、20年度には強制立ち入り権限が追加されるなど制度強化が進められてまいりました。県では法令に基づき、児童虐待に着実に対応するとともに、更なる改正が必要な場合には積極的に国に働き掛けてまいります。また、要保護児童対策地域協議会において市町村、児相、教育、医療、警察などの関係機関が参画し、情報共有や取り組みの確認などで連携を図ってまいりました。さらに、それぞれの関係機関が虐待ケースにしっかり対応するためには、職員の対応能力の向上を図ることが重要です。そこで、県ではOBも含めた児童相談所職員を市町村に派遣し、専門的な指導を行う一方で、市町村職員の実務研修などを行い、資質向上に努めてまいります。また、学校の教職員に児童虐待防止研修を行うとともに、教育局が行う研修に講師として派遣するなど、教育との連携においても子供の安全を最優先に対応してまいります」(以上抜粋要約)

 警察本部長「児童虐待は、心身への影響ばかりか生命の危険もあり、未然防止の観点から早期救出・保護など被害の拡大防止を警察の重要な責務と位置づけ対応に努めます。現在、県民からの通報や相談により虐待事案と認めた場合には、速やかに児相へ通告するとともに、児童の安全が疑われる場合には、警察官が直接状況を確認し、児相からの援助要請には積極的に対応いたしております。今後とも、児相や市町村などの関係機関と緊密に連絡しながら事案への介入を積極的に行うなど、児童の安全確保を最優先にした対応に努めてまいります」(以上抜粋要約)

 これは前号で示した私の質問に対する当時の福祉部長と警察本部長の答弁内容です。言葉が形式的に過ぎ、福祉部長は警察との関わりには弱含み、警察本部長は実態が把握し切れていない様子で、上っ面な感じが否めませんが、これは一般質問特有の有り様で、とくに縦割り見直しに関する内容の場合だいたい物足りないまま終わってしまうのが通例です。
 今回の結愛ちゃん虐待死事件の場合は、児相職員の対応不十分さが原点にあり、対応力の欠如か認識不足か、はたまた職務怠慢かは不明だが、警察への援助依頼が実行されなかった。ことに、関係機関の連携がいかに重要かは6年前の私の質問時でさえあきらかになっているわけで、全国的な取り組みが遅れている案件と言っても過言ではない。あれから何人の子供がひどいめに有っているか。
 埼玉県でいえば、
 2012年熊谷で1カ月の哲平ちゃん暴行により右足骨折、脳損傷で死亡
 2013年久喜で14歳と10歳の姉弟が母親に刺されて死亡、
 同年8月さいたま市で1歳凛愛ちゃん母親により炎天陽気に放置死
 2014年春日部5歳男児が全身打撲で重傷
 同年6月草加で3歳舞風ちゃん継母に押し倒され急性硬膜下出血で死亡
 同年12月さいたま市で7歳男児が父親の暴行により急性硬膜下出血で重体
 2015年狭山で羽月ちゃん3歳が全身やけどやあざだらけで死亡
 2016年岩槻で2ヵ月の男児が頭の骨を折り重傷

 躾と称した似非躾は枚挙にいとまがない。そして、躾が加害者側の言い訳になっているから始末が悪い。私たち世代は心の痛みも身体の痛みもともに理解できている世代と言えるが、20代、30代の若い親の感覚は理解に苦しむことが少なくない。一昨日は、臨月の若い母親が漫画喫茶で生み落とし、産声でばれるという理由で我が子を絞め殺し、コインロッカーに放置した事件があった。快楽は求めても避妊の知識がないのか怠るのか、安易な妊娠が多いように感じる昨今ではないだろうか。もちろん、立派な若者もいるのだが、世間というのは当たり前の存在や当たり前の思考は表面に出ることが少なく、少数意見や反主流思考が大きな声となって世にはびこるものである。
 バツイチという言葉が当たり前のように発せられる社会になり、とくに継父による虐待と夜泣きに耐えることの出来ない若親が増えてるように思えてならない。こうした事案は氷山の一角であり、全国規模で言えば今現在も虐待されている子供がいるかもしれないといった虐待過密列島状態なのである。
 前号のブログを発信した翌日の新聞で、上田知事が児相が把握した虐待と疑われる案件のすべてを県警と情報共有する方針を示したとの報道がなされた。理由は、今回の事件で児相と県警の連携強化の重要性が指摘されたことによるとしている。何を今更と言いたくもなるが、まあやらないよりはやるべきであると考え、遅れたことはこの際問わないこととしよう。もっとも「県警と調整している。本年度中にも出来ると思う」ですと・・・どこかのんびりしているようで。縦割り解消は現場サイドからするとなかなか難しいということなのだろう。長く続いてきた伝統慣習であっても、時代と社会の変化に合わせて柔軟な対応をするべきなのだが・・・・。
 まだ、この案件、書き足りない。後藤啓二弁護士のことも書きたいところで書いていない。
 米朝会談・・・あんな世紀のパフォーマンス・ショーなど評価の対象にもならない。アメリカン・ファーストのコストカッターマンとして世界の安全保障を後手にするところは、米大統領かつ世界政治のリーダーとしての資格が欠如しているように思える。とにかく困ったものだ。今回の会談実現は中間選挙プラスノーベル賞狙いなのだろうか。金正恩の背後にはしっかり中国がいるというのに騙されるにもほどがある。
 開会前日の監督交代。ハリルどころの話ではない。こうした点で人情は存在しない。契約社会をまざまざと知らしめたスペイン。日本人的には評価の分かれるところだが、けっしておかしなことだとは思わない。それと、個人的な思いで恐縮だが、本田より香川好みの小生としてはパラグアイ戦の結果はスカッとした。次回は再度虐待関連で・・・しつこくてすみません。

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