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No.2571 短い冬休みに子供たちは

2014.12.24

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 いやー今朝もかなり凍れる朝でした。でも子どもたちは元気いっぱい?と言いたいところですが、毎朝一人か二人はうつむいて歩いて来る子がいます。「どうしたんだい、前向いて歩かないとー。お母さんに怒られたんか?」
「ううーん。なーんでも」 
 こんなぶつ切りの会話です。

 
「今日で終わりかい?」
「そう」
「いつから始まるんだ」
「8日かな」
「7日までしか休みないんだ。冬休みは短いなあ」
「うん、短かすぎるよ」


 私らの時代と変わらない冬休みの短さなんですが、なんとなく可哀想な気分になって
「でも、いいじゃないか。正月はお年玉たくさんもらえるんだから」と元気づけるのですが・・・
「あ、そっかー、でもそうでもないよ」と、表情とは異なるさめた返事。ここらあたりが、微妙な子どもらしさというか可愛いところなんだなあと感じながら、後ろ姿をしばし見つめる。
 どんな会話にしても、子どもたちとのやりとりで元気をもらっているのはこちらの方かもしれません。少し生意気なくらいの子どもからその日の活力をもらっている感覚は、なんとなく清々しい気持になって、ついつい外気で固くなった我が顔もほころんでくるといったところ。

 凍れるけれど、やめられない朝の子どもたちとのふれあい。
 しかし、これも少しの期間ですが、間引かなければならない新年が待っていると考えると、どこか寂しい感じは否めません。

No.2503 花時計花壇の手入れ

2014.05.29

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 昨日、県庁東門を入ったところにある花時計花壇の定期的な手入れのために、川越総合高等学校の生徒さん達が大勢で作業に集中している場面に遭遇。
「ご苦労様!」とだけ声かけたものの、どうやら届かなかった様子。それはそれでいいのだが、この作業には、県内のいろいろな高校が順番で県庁を訪れてくれるようで、とても素晴らしいことだといつも感じている。
ファイル 405-1.jpg 大げさに聞こえるかもしれないが、「一つの事を為す」というのは人の成長過程で大変有意義なことだと思う。「小さな社会貢献」の大切さを理解するという意味において、こうした社会活動を目的とした課外授業の趣きは、今後もカリキュラムに盛り込んでいくことは明るい教育の一環になると思う。
 昨日はかなり蒸していたので、作業服を着た高校生たちは汗だくになったことと思うが、みんなであれこれ植え付けのアイデアを出し合いながら、作業を協働で進める過程が素晴らしい経験になったことだろう。

 前号で「心無い事件」について書いたが、今朝の新聞に驚愕で背筋が寒くなる記事を見た。それは西川口で3月に起こった老夫婦殺人事件の顛末に関するものだ。この殺された夫婦の41歳になる次女の息子17歳が、母親(次女)に祖父母の殺害を提案し、実際に自らが実行した。次女は息子の犯行をいさめるどころかキャッシュカードや電話などを奪ったという事件。
 犯行の詳細等事実解明はこれからの問題ではあるが、殺された祖父母夫婦にとって人生の悲劇がこんな形で襲ってくるとは想像もしなかったであろう悲しすぎる事件。

 
 この容疑者親子も社会の被害者であり、ここまでのことをするのはそれなりの事情があったのだろうという声があるとしたら、それは違う!と私は思う。人間どんなに落ち込んでも金品目的の犯罪をする精神は責められてしかるべきで、それが親や祖父母に手をかけるなどは鬼畜以外の何物でもない。
 私はこれまで、こうした残虐な犯罪をブログの対象にすることはほとんどないのだが、17歳といえば高校の年齢だ。県庁の花壇で花の植え付け作業に汗を流す高校生とのギャップを感じずにはいられない。
 
 

No.2494 杉戸農業高校のイベントに

2014.04.27

 昨日は4月後半らしい素晴らしい陽気。まったく意識になかったのですが、GWの初日が昨日だということでした。車中はエアコンなしでは暑かったですね。

 そんな中、お隣り杉戸町の県立杉戸農業高校では、地域とのふれ合いイベントが開催され、多くの人で賑わっていました。10時半頃到着したときには、車が長蛇の列で、このイベントが年々近隣地域住民の皆さんに期待されるものになっていることを実感しました。幸手市の方にもかなりお会いしました。
 野菜や果物、もちろん各種色とりどりの花の苗など、ビックリするほどの廉価で販売されており、大きな袋をいくつもぶらさげている人ばかりといった様子。それにしても女性は花が好きですねー。私も嫌いではありませんが、価格が価格だけにあれもこれも・・・いやはやきりがありません。
 また、例年人気があるのか、パンの販売も時間前から長い列ができていて、次の予定もあったので、これはあきらめるしかありませんでした。
ファイル 396-1.jpg 高校生たちが明るく元気にイベントを盛り上げている姿がとても爽やかで、羊、ヤギ、ミニ豚、牛などの家畜も出迎えてくれ、ほんのひと時家内ともども癒された時間を過ごしました。

 
 地域に根付く学校の在り方として同校は、県内でも数少ない農業高校という役割をしっかり示してくれていると感じました。地域の伝統校として、日本の農業を支えるくらいの気概で頑張って欲しいと思います。
 GWだからといって遠くに出掛ける旅行ばかり頭に描く傾向がありますが、身近なところに素晴らしい出会いがあると再認識した次第です。
 

No.2484 小学校教科書検定

2014.04.05

 文科省が2015年度から使用する小学校教科書の検定結果を発表。その内容および特徴は、とくに次の3点に絞られる。
◆長く続いた「ゆとり教育」への批判が社会的に盛り上がる中、約3割程度の割合でページ数が増えている。
◆歴史捏造問題はともかく(これももちろん大切なのだが)領土問題について、竹島、尖閣は日本固有の領土との記述がなされた。
◆東日本大震災に関する記述が詳細にわたっている。

 大震災に関係するものは、ここではおいておくこととして・・・。他の2点では、これを知るや、さっそく中韓が噛みついた。
「これ以上の挑発行為はすぐにやめるよう忠告する」
「歴史を歪曲する日本の主張に断固抗議する」
「もともと我が国(中国)の領土であったものを日本が侵略し、盗み取った尖閣諸島についての挑発は、危険な領域に入ったと認識する」

 といったようなものだが、これに対する日本の反応が少々おとなしい。
 菅官房長官曰く「当たり前のことを普通に言っているだけで、今後も丁寧に説明していくしかない」丁寧に説明していくというのは、断続的にしか情報が伝聞されず、正しい認識への理解が及びにくく、必ずしも日本びいきばかりとは言えない世界に向けて、安倍総理もよく口にする言葉。これはこれで国際世論に対して通用するものと思っているのだろう。がしかし、「挑発しているのはどちらだろうか」という程度のものは前文に加えて欲しいと感じないではない。
 実際に、勝手に実行支配し、大統領が上陸する暴挙を犯したのは? 頻繁に空から、海から領域侵入をしては海上自衛隊に追い払われているのは? 挑発自体が主客転倒しているのが実情ではないか!
 外交上の言葉は巧みさを必要とする。それはどちらの主張が「らしく」聞こえるかという点において、世界の判断を自国有利に導くためにそれなりの言い回しはあるはずだ。
 今回の内容を英語に翻訳されたらどのような言い回しになるのか、それは英語圏の人たちが聞くとどのような判断になりやすいか?
 ロビー活動という長期緻密戦略に長けた中韓との比較では、一歩も二歩も日本は劣っている。官房長官の政治家らしく感じない、ひょうひょうとした発言は悪くはないのだが、中韓はいずれこの領土は我が手中に入ると虎視眈々としている状況は間違いない。それに対する日本的手法はどうあるべきか。しっかり検討するべきだろうと感じている。

 中韓の日本に関する教科書記述に日本が抗議したと聞いたことがない。そのひどさについては、まさに歴史歪曲どころか現代事情さえも正しく伝えていない。こうした傾向は、とくにこの2国に見られるだけで、他の東南アジア諸国は押しなべて日本に友好的だ。なんとも歯がゆくてならない!

No.2480 あまりにも変わりすぎた子ども環境

2014.03.25

 悲惨な出来事としか言いようのないベビーシッター事件を考える第二弾。
 子育て論では私もそれなりのものを持っているつもりですが、何をおいても知らない人物に駅舎や路上で、かわいい我が子を預けるという事実が信じられないのです。ましてや、こうしたことがさして知られることもなく会員システムによる利用者が増えているという現実にも驚かされるのです。
 よく、血の通った教育とか言いますが、会員システムに登録することでいつでも電話かけると子供をあづけられるというのが良いかといえば、良いとは言えないと思うんですね。固定の専門施設すら持たないベビーシッターに物言わぬ子供が結局置き去りにされているのが現実ではないかと。血など通ってないですよ!

 残念ながら、戦後団塊の世代の私たちが育った昭和40年代前半までとそれ以降の日本の日本らしい部分の比較では、そのギャップはいかんともしがたいものがあります。まだまだ見捨てたもんじゃないという声と、今や崩壊寸前といった声が共存する部分もありますが、倫理、協調、謙譲、寛容、慈悲といった美徳の精神は、日本が世界に冠たる国民性ですし、世界もまた日本のそうした点を認めている・・・いや、認めていたと言ったほうが適切でしょうか。どうして人を、とくに子供を取り巻く環境がこうも変わってしまったのか。
 私は、女性が働くことにすべからく反対しているわけではありません。ただ、国や地域にとって、女性が働くことの重要性ばかりが語られるフシがあることに疑問を持つと同時に危惧しているのです。どういうわけか、女性が働きやすい環境作りを!といった標語が私たちの世界で騒がしい。それはそれとして大切だとは思うが、子どもがあづけられるという側面を忘れてはならないと思います。こうしたことこそ、深い議論を積み重ねることが求められるのではないでしょうか。どっちみち反対するのに、野党が深い議論を求める政治の世界と一緒にしてもらいたくない社会の重要テーマだと思う次第です。
 以上の問題を包含する少子化対策は今後の日本の最重要テーマだと思いますね。

 実は私以上に子育て問題に造詣が深く、確固たる理論を持っている県議会議員がいます。羽生市選出の諸井真英議員がその人。今年2月8日の最初の大雪の日に開催した私の県政報告会に緊急参加してくれた議員です。歳はいくつか私より下ですが、国会議員の秘書を務め、県議当選1期上の先輩です。考え方は信念に基づいた強いものがあるものの、穏やかな物腰と包容力の点で素晴らしい議員です。
 こうした議員の価値観に触れることはとても有意義だと感じます。
 ぜひ、この議員のサイトに足を踏み入れてみてください。

No.2478 起こってしまった!託児事件

2014.03.17

 今朝のニュースで個人的に強い憤りを感じる事件が発生してしまった。
 ネットが伝える事の発端は・・横浜磯子区で2歳と8カ月の我が子をベビーシッターに2日間預ける目的で、30歳の男性のベビーシッターに子どもを託したところ、その30歳は後輩の20代の男性ベビーシッターに子ども2人をさらに託し、手渡したという。
 その20代男性は子どもたちを埼玉県富士見市の自宅に連れて帰り、その後母親から連絡が取れないという連絡が警察に入ったことから行方を調べたところすでに2歳の子どもは死亡しており、8カ月の子どもの行方がわからないという。男性は黙秘を続けているという。
 真相が明らかではないので、あくまでも推測の域を出ないが、横浜の民間託児施設に埼玉県から通勤する人物を採用していたとしたら、そもそも、そこに当初の問題はなかったか。
 

 残念なことだが、私自身は虐待やいじめといった子どもに関わる社会問題とは異質の、されどなんとなく予測もしていた恐ろしいことが起こってしまったという気持でいる。
 少子高齢化の中で、埼玉県でもウーマノミクスという造語を3大プロジェクトのひとつに掲げ、そのためにはありとあらゆる形態の託児システムを増やそうとする傾向にある。国策でも女性の登用は社会の活性化につながるといった理論を前面に押し出し、待機児童解消に消費税増税分から予算を振り向けている。
 昨年夏、横浜市が待機児童ゼロを達成したということで、その出来たばかりの民間施設を視察に行ったが、なぜか子どもたちが可哀そうという思いになった。ビルの一角を借りた狭い事務所と託児部屋、小さなビニールプールの水浴び道具も狭い屋上に置かれていた。設備ではなく道具だ。これで認可が降りるのかという感じだった。

 私はもとより、ゼロ歳児から2歳児までは、なるべくお母さんの手で、お母さんの乳で育てて欲しいというのが自論である。それは、意識のない乳児の頃から親を理解する幼児期の、人として最初の変換期の子育てが大切だという思いによる。実際、そうした形で企業全般に育児休業システムが定着してきた感がある。
 私が今の世界に入る前のこと。総務人事の責任者として給与システムの在り方や、就労条件の規則緩和を模索していた立場で、真っ先に導入したのが、フレックスタイムであり、出産後1年間の育児休業システムだった。昭和60年前後のことだから、ある意味草分けに近いくらいだったはずだが、その後、3人ものお子を産み、それぞれで育児休業を取り、今も現役で勤務している女性社員が複数いるという。

 この事件の問題は根深い。男女共同参画の普及は、育児の責任は父親にもあるといい、男性社員にも育児休業が制度化されるようになった。男女平等とは言っても、それは家庭の長い生活設計を考えると、なかなか出来ないことだろうと思う。そのたびに男女平等の本質とはいったい何か?という難しい壁に考えさせられたものだ。
 女性社員の継続雇用でも元の職場がないとか、付与される仕事が軽い仕事になるとかといった問題は古くから指摘されていた。ならば、尚更男性が育児休業を取得することは難しいと考えるのも当然だ。ところが、世の中は男性の育児休業の取得率がなかなか伸びないなどといった統計調査を示したりする。良かれ悪しかれ、社会が微妙に変化していることは間違いない。
 法律、企業、勤め人、核家族化、経済自体、そして人の在り方、価値観、道徳倫理の変革・・・いろいろな要素がマトリックスに絡まって、こうした問題が発生していると言ってもいい。

 
 この子どもを預けた母親は何を思い、そして夫や家族はどのような気持でいるのだろうか。
 人を預かるということは難しい。昨年春日部市で発生した老人施設の事件でもこうした事業に不適切な人材を採用していたことが問題ではないかとされた。職にあぶれる若者がまだまだ多い中、職制に適合した採用制度を設けることが求められる。こうした問題が起こるたびに、政治が悪いとか、社会が変わってしまったという声が出る傾向にあるが、政治は万能ではない。社会の変革も止める手立てはない。もとより素晴らしい変革もあるのだ。

 人を預かり、その業務の対価として介護や国保などの保険が適用される。それも一部には問題を生む要因になっている。過剰、虚偽といった言葉がよく出てくるのもこの医療福祉の世界に最も多いと思われる。
 この世界に規制緩和はないほうがよいと私は思っている。見るからにひどいデイサービス施設などいくらでもあるのだ。施設が足りないからといって、待機児童ゼロ対策を急いで進めるとこうなるといった見本のような気がする。

 亡くなった2歳児のご冥福をお祈りいたします!

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