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No.2755 しつけを虐待の言い訳語にしてはいけない!

2016.06.02

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 北海道の子供置き去り事件には驚いた。
 
 私は、「現代子育て考」がたとえ一部であったにしても、かくも親の自己満足という価値観が優先されていいのだろうかと思う。今回の事件には身震いするほど驚愕している。
 事もあろうに、これから暗くなるという時間に子供を人気のない山中に置き、車で去るという行為はしようと思ってもできるものではない。時を同じくして秋田県鹿角市で熊に遭遇した3人が命を落としているというニュースが続いていた頃だ。

 子どもが置き去りにされた場所も、北海道ならではの大自然が広がる園地。昼間は観光スポットにも入るような場所かもしれないが、夜ともなるとまったく姿を変えて野生が行き交う場所だというのは、ニュース画面からもわかる。
 大人でも恐怖感しか感じないそんな場所で、小学校2年生に肝だめしでもあるまいし・・・案の定というか、実父は躾のためにやったと説明した。
 
 親は責められない、という親擁護論があることに驚いた。しかし、比率は歪んだ親心に怒りを覚える声が圧倒的に多い感じだ。当然のことだろうと思う。
 
 この親のしたことは、断じて子育てでも躾でもない! 
 子どもが味わった恐怖を思うとまぎれもない新種の虐待である! 
 虐待は子どもや高齢者が対象となるが、高齢者の場合と異なり、子どもは親に対して物言えず、逆らうことなど出来ないのだ。こうした虐待に近い日常がある子どもの場合は、概ね親の顔をうかがう傾向にある。
 無事に発見されることを願うが、発見されたとしても田野岡大和くんは今まで以上に親に従順な子どもになるのではないかと危惧する。そこが、また不憫でもあるが、逆に元気で見つからということは、彼の生命力と根性の為せることだろうから、それはそれで彼の成長が楽しみにもなる。だからと言って、親のしたことが正当化されることがあってはならない。/span>

 親による対子供犯罪が、しつけと称する言葉で片付けられたら子はうかばれない。今後、同様の事件があった場合の悪しき先例としてしつけが虐待の言い訳語として定着しないことを願うばかりだ。 

  本来は、こうした親に対して社会がしつけをするような制度が構築されなくてはならない。しつけされるべきはこの親の方ではないか!
 それほどまでに虐待の実態は増加し、悲惨な子供の姿があるのだ。

No.2716 凍れる朝・・・子供たちと組体操

2016.02.24

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 今朝はシバレた! 風もないのに膝周辺や手足の先に感じる冷たさはここ数日はなかったような・・・。

 でも子供たちはどうかと言うと、私の近くで信号待ちしてる時、手袋を取る子どもがいて「せっかくしてるのにとったら寒いぞ」と言うと「そうでもないよ」と屈託ない。そこで少々ハッとなる。なぜなら、またおせっかいな心配性が口に出る自分に気がついてだ。
 基本的に公的ルールに反しない限り、子どもたちのやることには目を細めるくらいでいいし、なるべく好きなようにさせればいいというのが子どもの成長を期待する大人の在り方ではないかと思っている。なのに、ひとつひとつの子どもの仕草につい評論してしまう。いかんいかん!

 そこで思う。流山市で組体操禁止を小中学校校長会で決めたという。全国初の自治体だとメディアは言うが、これには賛否様々あることと思う。

 基本的に私は反対である。なぜなら、まず議論が足りないと感じるし、世論の動向も調査されているとは思えず、肝心の保護者や子どもたちの考えも聞いてみたのかどうか?
 校長や教頭といった学校運営のトップ層は、安心安全を尊ぶ傾向があって、とくに自らの立場の安心安全への配慮に赴きが置かれているのではないのかと、申し訳ないがそんな状況が目に浮かぶ。
 確かに、モンスターペアレントが根付いて久しい。テレビでも、子どもに何かあったら責任をどこに持っていっていいかわからないから組体操禁止は賛成という意見もある。
 

 ならば、危険度を回避するための方策は考えられたのだろうか?
 ピラミッドやタワーが危険だというのは理解できる。しかし、組体操はそれだけではない。このふたつにしても、安全なやり方は工夫できるはずだと思う。また、全国で8,500件、うち骨折が25%も発生しているということもマイナス思考に傾く原因だとは思うが、その原因はどこにあるのかと不思議でならない。たとえば・・・
◆食文化の変化で子どもたちの身体が骨折しやすくなっていることはないのか?
◆祭り事イベントになると、理性が希薄化し、基本的な規則順守意識が無くなる現代子ども事情があるとは言えないか?
◆ピラミッドの階層をより高くするなど、年々派手な演出を求める傾向はなかったか。

 つまり、教育者側に来場者に魅せるための競技にという意識が強く、子どもたちのための教育プログラムという考え方が遠のいていた可能性もあるのではないか。
 とにかく、まだまだいろいろあるはずの原因分析がなされたとは、とても思えない。
 なにより、組体操は日本的運動会の歴史文化の中心にある伝統的競技であり、運動会の華ではないか。
 そして、こうした団結力や協調性を原点に達成感を得ることが出来るプログラムは、子どもたちの成長過程に欠かせない意味を持っていると思う。振り返れば、運動会の記憶の多くは、応援、徒競走、リレー、棒倒し、騎馬戦、そして組体操(失礼!男性中心かもしれません)そして母の作ってくれたお弁当というのが大方の共通項目ではないだろうか。

 しかし、リレーは全員参加の競技ではない。棒倒し、騎馬戦は勝ち負けを争う競技で体力も影響することから、危険性に歯止がかかりにくい競技である。そう考えると、組体操は勝負性もなく、全員で力を合わせる競技という意味で素晴らしい教育プログラムだと言えるのではないだろうか。 

 なんとか残せるように苦心惨憺するべきところが、あっさり廃止ではちょっとした危険性でなんでも禁止・廃止になりかねない。
 私は逆に、「教育者のおおらかさが欠如しつつある社会」にこそ危険性を感じる。

No.2713 感謝の交歓=子どもたちと

2016.02.18

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 朝7時、通過する車の屋根が氷結している。冷たい空気を感じつつも、すでにまぶしい陽射しは日中を暖かくしそうだ。登校する子どもたちの様子は、若干天候に左右される面があるが大人ほどではない。
 さて、今日はどうだろうかと毎日気になる。

 昨日、地元の小学校で「スクールガード感謝の集い」が行われた。短いけれど気持いっぱいの感謝の言葉を受け、花束に加え、ひとりひとりの手作り感謝状を10人分ほどづつブックにしたものを手渡しでいただいた。

ファイル 618-1.jpg  ファイル 618-2.jpg  ファイル 618-3.jpg  ファイル 618-4.jpg  ファイル 618-5.jpg  添付写真はその一部だが、微笑ましいことこの上ない。一生懸命考えながら書いてくれた様子が、消しゴムの使い方に表れている。

 「昨日はありがとう!」と、あらためて言い直す今朝のパトロール。しっかり挨拶しますと書いてくれた子どももいたので、今日はどうか?と子供達を待つ。相変わらずこちらが誘い水を示す必要はあるが、「おはようございます!」という声は、いつも以上に大きかった。

No.2701 インフルエンザに打ち勝とう!

2016.01.26

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 いま、朝のパトロールから戻ったが、登校する子どもが半減していた。先週にも増して、さらにインフルエンザが猛威をふるっているようだ。。学級閉鎖が解けて登校出来るようになった2年生の子は、仕方なくしているからか、マスクが口から顎だけで鼻にかかっていない。「マスクは口と鼻にちゃんとしなきゃな」と言うと、「わかったー」と素直に直すところが可愛い。先週、全休した1年生は、「お医者さんに行って注射してきたんだ」「注射は嫌いじゃないのかい?」「平気だよ!」 
 こうして子どもたちの元気な姿に触れるのはなによりだ。

 それにしても外に出た瞬間、冷えた外気に身震いするが、しばらく立っていても耳に感じる冷たさはまだまだイヤーマスク無しでも耐えうる。足の指先に感じるものも、4月時の選挙の朝立ちよりは辛くない。
 ところが、最近、寝ている間に右腕全体に感じる鈍痛で目が覚めるのが面倒だ。冷えからのものと思うのだが、今晩から少し考えて対策を図ろうと思う。

 琴奨菊の優勝で日本中が沸いたが、U23サッカーの五輪決定か? はたまた錦織選手がジョコビッチを破ってベスト4入りするか? スポーツから目が離せない状況が続く。
 インフルエンザなんぞに負けてられないぞ。
 ファイトーーー!

No.2700 琴奨菊優勝に酔いしれる!

2016.01.25

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 既報の通り、宜野湾市長選は自公推薦の現職候補が再選をはたした。熾烈な選挙戦だったようだが、5千票以上の差がつく結果となった。これで現行の沖縄基地問題に方向性が見えてきた感はあるが、また6月には沖縄県議選が待っている。気の抜けない状況がまだまだ沖縄では続く。

 さて、生で見ることが出来なかったのが残念でならなかったが、ニュースからも琴奨菊の優勝は万感胸にくるものがあった。力士は、その姿風貌から実際の年齢より老けて見えるし、角界ではベテランの領域に入っている琴奨菊だが、両親に感謝の言葉を送る彼は、まだ31歳の若者だった。優勝の場に居合わせた両親ならびに婚約者に、なんと素晴らしいプレゼントを贈ったことか。
 10年という月日は、とてつもなく長かったというのが実感である。そういう意味では、この日、国技館で観戦していた方々も大変貴重な場にいたことになる。

 モンゴル人力士に席巻されて久しい国技相撲であるが、今ではモンゴル人ではない外国人同士の取り組みも少なくない。横綱目指して頑張れ!と言える日本人力士が少ない現状にあって、稀勢の里や琴奨菊の姿は歯がゆくて仕方がないと感じていたファンは多かったはずである。
 最近では、優勝への期待となると稀勢の里にその可能性を若干感じるくらいであったし、1998年の三代目若乃花以来の日本人横綱誕生となると、いつのことやらと考えていた方も多いと思う。なにしろ、2場所続けて好成績を残さなければならないのだから、モンゴル人横綱が3人いて、さらに照の富士が台頭してきた現状では容易なことではない。

 こうなったら、琴奨菊の来場所に期待を寄せようではありませんか。
 ガブレ!ガブレという観客の掛け声は、30年くらい前のことになるが、当時大関だった同部屋の大先輩である琴風以来ではないかと思う。来場所もこの声援をたくさん耳にすることが出来ますように!
 

No.2685 埼玉県教育委員会の見解

2015.12.17

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 前号で書いた「政治的中立を欠いた偏向教育」について、昨日の県議会文教常任委員会で取り上げられたことが埼玉新聞の記事になっている。 

 公明党委員から「来年夏の参議院選挙から選挙年齢が18歳にまで引き下げられることを踏まえ、教育の政治的中立性の確保が必要である」ことへ懸念する発言があり、県立高校や特別支援学校にも指導の必要性が求められた、とある。
 県議会であるから、県立と市立の範囲区分をわきまえた審議は理解はするし、タイムリーに県議会で取り上げたことについては敬意を表したいと思う。
 しかし、事は現実の問題として義務教育の場で起きているのである。
 まだ春日部市議会も開会中ではないかと思う。市議会が緊急課題として全協等で取り上げるかどうかは不明だが、そうすべきではないかという期待がないではない。 
 また、県議会からも何らかの行動をするような話が出ないものかと思う。例えば視察調査とか・・・。実態把握の機会としてこれほどのタイミングはないからだ。
 しかし、そうは言うもののなかなか難しいということもわかっているつもりである。ただ、出来うるなら立場とか組織の境界線を超えて議論をミックスしていくべき事象・・・それが教育と未来の関わりにとって必要なことではないかと思えてならないのだ。

 埼玉県の関根教育長はこう述べている。
「偏向した政治教育をすることは絶対に許されない。教職員に周知し、校長が日頃の授業やアンケートもしっかり見ることが必要。偏った政治教育が行われたのであれば、厳正に対処したい」
   

 なんとなく違和感を受ける部分がある。
「偏った政治教育が行われたのであれば」という部分である。
 これは、今回の出来事に対して発言していることなのか? それとも、県の関わりとして県立高校の今後のあり方に対して述べていることなのか?
最初は強い表現だが、最後は他人事のような感じがしないではない。

 議会答弁は、状況によって理解に苦しむ場合が多々あるのだが、県全体を司る教育のトップであるなら、より今回の対応にはっきりした姿勢を見せるべきであるのに、発生した事実を事実と認識していない実態が見えるのは、私の考えすぎだろうか?
 中学校のことは市の管轄であるという見解があるとするなら、こうした場合その見解は脇に置き、春日部教育委員会とともに実態調査をし、厳正な対処を共に検討し、さらには全県調査の指令を出すなどしてもらいたいと感ずるのである。
 さて・・・。

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