昨14日、市内中学校の卒業証書授与式が挙行されました。私は西中に出席して議会代表としての式辞を述べました。内容は自ら作りましたが、どのような式典でもお定まりの文句がありますが、過去に作ったそれらを参考にして自分で納得する内容に換えてみました。
その式で感動して思わず涙があふれてしまう場面がありました。卒業生代表がステージで校長先生に向って謝辞を述べているタイミングで200名がステージとステージ前の数段に集合して合唱が始まったのです。謝辞を述べている代表と、前方で指揮を執っている卒業生合わせて202名全員の力の結集でした。歌いながら泣きむせぶ生徒も男女双方に出始めました。歌い終わると、代表謝辞が仕上げのまとめを述べて。それが、なんとも言えぬ絶妙さで・・・渥美清さんを思い出して泣いてたまるかと耳も眼も逸らそうとするのですが、それを許そうとしない立派な姿を見せつけられては泣かずにたまるかになってしまいます。
横目で伺うと何人かがすでにハンカチを目に当てているではありませんか。そうこうするうちに私も・・・感動とはこんな場面がもたらしてくれるものなんだなあと思いながら、ハンカチまでいくものかと強気でいたのですが、メガネを通り越して一気に顎まで到達したところでハンカチのお世話になることに。
タイトルはうるるですが、実はボロボロだったのです。
終了後、校長の勧めで卒業生の教室5クラスを覗かせていただきました。すると最後の学活の場面でしたが、各クラスの黒板に担任が書いたらしき記念の絵、いや絵画に近いものもありましたが、ハクボクと数種の色ボクで見事な芸術が描かれていたのです。西中のホームページに掲載するとのことでしたからチェックしてみてください。あるクラスのものは黒板全面を使った驚くばかりのものでした。
また、あるクラスでは窓越しに見ていた私のところによってきて「枝久保さん!」と声をかけてくる子が。小学校6年間毎朝派出所前の交差点で見守って以来、中学に行ってからの3年間ほとんど会う機会が無かった子です。こんなに嬉しい再会はありません。ハグしたくなるような気持ちを抑えるのが精いっぱいでした。感動の種類も様々です。
蛍の光も仰げば尊しも無い式で、時代は変わったなあと感じはしましたが、それはそれなりに感動させられた卒業式でした。いや卒業証書授与式でした。
記事一覧
No.3805 うるるの卒業式
No.3710 スマホのリスク考えよう!
今月、広報さってと一緒に配布された議会だよりをご覧いただきましたか。
議員の一般質問のところで、私が3月議会で質問・提案したスマホが子どもに与える影響について、学校現場も何らかの対応が必要ではないかとしたものですが、その現象を戒める書籍が発刊されています。この種の本は珍しいというものでもないのですが、確かな社会現象として、このリスクは日に日に大きく取り上げられています。このリスクを軽くみているととんでもない家庭内現象まで発生するのではないかと思います。余計な危惧かもしれないと思いつつ、この予感は的を得ていると感じるのです。 私も早速購入して読みましたが、現代スマホ事情の社会に与える影響に身震いを覚えるほどです。いや、けっして大袈裟ではなく、身体特に脳を主体に学力だけでなく、人としての衰えをもたらすツールだということを確認した感じです。
子ども達がどれほどスマホに侵されているかのレベルによって、今後数年、数十年後の国際状況にも影響するかもしれません。国力を上げるも下げるも、スマホ次第とまでは言いませんが、スマホの楽しさ便利さに酔うほどに確実に国力は落ちると言えるかもしれません。
No.3662 デジタル教育の今後
昨年3月から論議されてきた中央教育審議会作業部会が、昨30日で終了し、最終報告案が示されました。このワーキンググループの目的はデジタル教科書や同教材の未来の在り方について検討を進める役割で始められた経緯があり、デジタル教科書については、2024年度から小学5年~中学3年の英語から本格的導入を目指すことが昨年の段階で示されていたものです。
今回、新たな指針として
「個々の子どもに合わせて教材の機能を充実させて、提供する」
「個々の成績や回答履歴といったデータを活用する」
「デジタル教科書と同教材を連携させる」
といった指摘を加えました。
しかし、はっきり言ってサンドイッチマンの漫才ではありませんが、何言ってるかわかりません。どこか抽象的で現実に合っているのだろうかと感じるのです。
私が好きな言葉の一つですが「一体現実を把握しているのは誰だろうか!」というのがありますが、一体の後ろに「教育現場の」という言葉を挟んだらと思わずにはいられません。
なぜなら、教育現場が1年後、作業部会のまとめた方針通りに形作られるだろうかどうか・・・難しいのではないかと思えてならないのです。なにより、そういった体制下にあるとはとても思えません。
特に、小学校レベルでは先生の成り手が減少し、教員資格さえ取得すれば誰でもなれる状況が進んでいると聞きますし、現在の教師環境も上記の対応が可能なほどの余裕があるとは思えないからです。
東京一極集中の実態が変わっていないという実態も大きく報道されていますが、こうした教育議論の在り方自体が、児童生徒が多く、比較的学力の高く5Gのみならず広い観点でデジタル環境が進んでいる都市圏が対象になっているように感じます。
冒頭の24年度からの英語から始めるデジタル教科書は、25年度には算数・数学が対象となっています。
反面、デジタルと紙の教科書を当面併用するという指針も示されています。現時点での結論として、議論そのものはお疲れ様でしたということですが、取り纏めた指針が成果に結びつくかどうかはいささか疑問が残るところです。
ただ、スマホが子どもに与える問題は、社会的不安ともいえる状況になっていることから、SNSやゲームだけではない、学校教育という意味でその利用度が高まる、また高めざるを得ないといったデジタル環境を子どもたちに習慣化させるという点においては効果があるのかなレベルでの期待感はあります。
No.3657 スマホは狂気を生む
いきなりですが、暗い世相から抜け出す道はないのだろうかと思う。具体的には、人を刃物で傷つけ、果ては殺してしまう事件がなんと多いことか。
一人暮らしの高齢者を対象とした強盗目的が殺人という凶行にまで及んでしまう事件が各地で起きている。また、付き合っている相手女性を刺し殺す事件も相次いでいる。
人をあやめる行為は、だいたい異性関係と金のもつれが相場となっているが、つい先日、心の痛む事件が発生した。静岡県で起きた13歳の女子中学生による母親殺しには驚愕させられた。スマホが世に出回ってからまもなく、子どものスマホ依存症ということが話題となり、新語にもなった。私も議会では、起床前からスマホに夢中で、結局学校を休む事例があるといったこと等に関連して議会発言をしている。教育委員会答弁では中学3年になるとほとんどがスマホを所有している。記憶しているところでは、これが社会問題化して20年近く経っている。
静岡の例は、スマホを注意され続けた結果、かの中学生が選択したのが注意する当事者の母親を殺すことだった。今月16日未明、つまり深夜12時過ぎに就寝中の母親の首を複数回刺して命を奪った。まさに修羅場だったことだろう。
自分で買うことは出来ないスマホだったはずだが、親への感謝どころの話ではない。スマホ注意にうるさい親を狙って周到に行動したことがうかがえる。注意される自分をかえりみることなく、手にしたのは刃物だった。
14歳が事件を起こすと、捜査ではなく触法調査が警察によって行われ、犯罪ではないという判断から逮捕されることは無い。警察の職制としては児童相談所に通告することが定められていて、児童相談所は職権を発動することになる。この場合、重大事件と判断されれば、通告だけでなく送致という発令をし、正式に児童相談所が取り扱う事件とされる。
この場合、家庭裁判所の審判を受けることが妥当としても、いったんは児童相談所に送致して、保護と育成の観点から調査をすることになる。
はたして、児童虐待問題でも対応の遅れが取りざたされる昨今の児童相談所に、かかる静岡の事件をどこまで調査することができるだろうか。たとえ13歳であるにせよ、母親殺人という大罪を犯したことへの対応は生易しいものではないはずだ。保護観察、健全な育成、という段階から更生という流れになるものと推測するが、想像を絶する心の葛藤が当事者の人生を覆うことになるのではないだろうか。
異次元の少子化対策という言葉が躍っているが、コロナは言うに及ばずスマホが理由の実親殺しとは・・・これ自体が異次元の社会変化とは言えないだろうか。今や良くも悪くも異次元だらけの社会となり、昭和は遠くなりにけりどころか、もはや昭和は昔と化している。コミュニケーションツールとして画期的に社会を変えたスマホだが、それにより人の狂気を生み、凶器に繋がる現実がおぞましい。
一人よがりかつ引きこもり感覚に近い状況を子ども心に発生させかなねいことを憂い、そこから派生する見ず知らずの人との急接近など、危険が渦巻くスマホ社会に警鐘は鳴らせることが出来ても、解決策が見いだせないことにいらただしさを覚える今日この頃だ。
No.3652 第三者委員会報告書
朝日、読売など、大手新聞に2019年1月にあった市内中学校の女子生徒自殺未遂事件に関する報道が昨日今日と見られました。その年の4月が市議選でしたが、9月議会でその件を質問した経緯があります。雰囲気として、その件には触れない方がいいといったものを感じたんですが・・・そういう点が解決を遅らせる一因じゃないのかと感じながら、一抹の不安を残したまま。
その時の教育長の答弁が第三者委員会に諮っているというものでしたので、詳細を確認するのをとどめましたが、今の今までその後どうなっているのだろうかという想いが頭の隅・・・以上に重く残ったままでした。
私が記事の中で感じる点は、「同級生らによるいじめがあり、これと自殺を図ったことは関連している。校内で泣いている姿を目撃していた教員が複数いながら、誰一人としていじめのSOSに気づくことはなかった」という委員会報告も重要だと理解していますが、この委員会報告が一昨年の11月にまとめられたにもかかわらず、教育委員会の対応が、公表方法などについて被害者側と調整していたとする点です。
1年以上にわたり委員会報告をそのままにしていたのは、質問している議会人としての立場から、その許容範囲を超えているようにも思うのです。こうして後手を踏むのがいじめ問題によくあることではないかと過去の前例が教えていると思うのですが、どうでしょうか。おそらく、当時の現場の教員の何割かは勤務場所が変わっていることでしょう。
教育の未来・・・地域はもちろん国を担い、創る未来構想の中で教育ほど大切なものは無いという自論は、議員活動の中で常にこの課題に向き合う発言をすることにつながっています。自分で言うのもなんですが、教育分野で一般質問する議員が少ないと言うのも、8年ぶりに戻った市議会で当初から感じていたことです。今回、報道対象となった件もこの3年半で質問したのは私だけです。そこから感じていたことは、議会は教育現場の問題点については触れてはならない暗黙のシグナルがあるのかとさえ感じるほどです。ロボトミーコーポレーションの世界とは異なるのかもしれませんが、この点はずっと異様に感じています。
こうした学校現場の問題については各種理由がありますが、そのほとんどが人間心理にもとづいて発生するものです。いじめ、不登校、学力低下、モンスターペアレンツ、パワハラ等々、教員間、教員と保護者、教員と児童生徒、児童間など人同士の接触の中でさまざな問題が生じるわけですが、問題は解決のための対処法です。ところが、この段階になると行政側の迅速かつ素直な対応が徐々に鈍くなるのが常です。川口市や旭川市の事象でも行政が当初とった対応が、その後の解決を難しくする原因になっています。事実を隠蔽しようとしたり、学校側には問題が無いという当初対応は、疑惑の根源となり、問題が複雑化し、長期化するのです。
No.3651 発想豊かな絵に感動
教育は未来を担う最大の行政課題!
これは正に揺らぐことの無い私の信条ですが、家庭や学校だけに課せられるものではなく、今や社会全般がこれを後押ししなければならない時代に突入しているという思考は、No.3647でも示した通りです。
そうした観点において、今回ご紹介するカレンダーは、作成意図の素晴らしさに感動します。なにより、児童生徒の絵を選りすぐってカレンダーにしている組織団体があることが素晴らしいことだと感じます。 この一般社団法人埼玉県建設産業団体連合会が44年間続けている「埼玉の建設産業」ポスター・絵画コンクールカレンダーの存在を知らなかったことが正直恥ずかしいと感じた次第です。
とにかく、手にして瞬時に12回めくってしまいました。県内広く幼稚園児から中学生まで、そのどれもが思わずうなるほど見事に描き上げられています。ここでは単純に郷土愛という点において、幸手市の中学生の絵が連合会会長賞として8月を飾っていることに尚更嬉しくなりましたのでご紹介しておきます。
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