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No.2857 県議会と市議会が同時開会

2017.02.20

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 埼玉県議会と幸手市議会が今日20日同時に開会した。 

 県の方では、山岳救助ヘリの緊急出動について、遭難者またはその家族から料金を徴収するという条例案が自民党県議団によって上程される予定となっている。予定通りであれば過半数を占める自民党県議団のみでも可決されることになるであろう。県議団の一議員であれば党議拘束のあるなしにかかわらず賛成の立場を表明することになるが、この条例案の目的が山に入る際のマナー向上とかルール遵守を目的としていると聞いているので、そうであれば果たして料金を徴収することでその目的が達成されるだろうかと思えてならない。
 全国的に例がないということもあって、県内メディアに限らず大手メディアも取り上げているが、市井の反応は私と同様の考え方が少なくないようだ。

 人事案件では、副知事二人と教育長の重職3役が交代するという。
 個人的には岩崎副知事にはたいへんお世話になったし、まだまだお持ちの資質を県のために活かしていただけるはずなので残念でならないが4年の任期をしっかり頑張っていただいたことと確信している。今後の身の振り方に注目されるが、引く手あまたではないかと推測する。
 塩川副知事の印象については、老けて見えるのでかなり先輩かと思ったら、私と同年代ということで出会い当初は驚いた。とても気さくな人柄が記憶に鮮明だ。8年間の長きにわたり県政にご尽力いただいた。
 いや、お二人共奉職の人生を顧みれば、その多くを埼玉県発展のために尽くされた方である。本当にお疲れ様でした。
 関根教育長におかれても、なにかとイデオロギーが入り込みやすい教育行政にあって、教育倫理を重んじ中道的姿勢を貫かれたものと感じている。委員会との絡みもなく前島前教育長ほどの接触がなかったのが残念だが、安定感を発揮しご尽力いただいたことは間違いない。
 

 さて、幸手市議会である。平成27年度当初予算案の目玉的なものは以下の通りである。
◆吉田地区にある古川橋の橋台工事・・・・・1億9400万円
◆小中学校トイレ改修工事設計費・・・・・・3027万3千円
  さくら小、八代小、東中、西中の4校分・・・設計費とは高いものです
◆橋梁長寿命化計画調査設計委託費・・・・・3127万7千円
◆新総合振興計画策定事業費2ヵ年継続費・・1500万円
◆Led防犯灯事業費・・・・・・・・・・・・ 860万円
◆圏央道上高野周辺栃区画整理組合設立準備補助金・・5万円
✩一般会計として前年比1.7%減の166億6千万円
✩水道事業特別会計
  第二浄水場操作盤更新2ヵ年継続事業費・・5億5250万円

 などとなっている。
 №2851のブログで、規模的にほぼ同様の蓮田市の小中学校のエアコン設置事業と比べて倍以上の予算が組まれた件にふれたが、過去の議会で補正予算として提出されて可決しているようだ。エネルギーを電気式ではなくガス方式にするということからイニシャルコストは高いが、運転コストは低く抑えられるということになっているらしい。それにしてもその差があまりにも大きので素人目には驚く金額だが議会はすでに承認しているということである。
 数億円単位の大きな金額にかかわる事業費は、本来であれば年度当初に盛り込むのが議会側からみても自然の流れだ。善は急げすぐにでもという気持ちもわからないではないが、本来今議会で予算措置をし、議会に諮るのが筋道ではなかったかと感じるがどうであろうか。

 別の観点では、金額はわずか5万円なのだが、上高野地区の土地区画整理組合事業の補助金とはいかなるものなのか。文字通り、民間が組合形式で進める事業に対して、過去に2千数百万円の測量費を市が拠出したことを議会が問題視したように記憶している。それとこの地は農産地区としての維持の観点から商業地区として認可を県は降ろさないという話も耳にしている。その後変化があったのかもしれないが、金額の大小はさておき、イオンを招く予定で始まった土地区画整理事業の現状はいったいどうなっているのだろうか。そして、5万円の使途とは・・・・いったいいかなるものに使われるのだろうか。どれほど意義のある補助金なのだろうか?

No.2852 日本保健医療大学新学部まもなく

2017.02.06

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ファイル 757-1.jpg ファイル 757-2.jpg  写真はファイル 757-3.jpg先月31日撮影の旧県立幸手高校4階からの風景。
 2005年を過ぎて、人口問題等々で県立高校の再編問題が浮上した。ところが、再編の結果、使用に供することのなくなった県立高校の後処理に県教育委員会や総務部管財課などは苦慮することが少なくなかった。
 地理的特性や校舎施設が幅広い流用性を持たないということが、思うに任せない原因と推測されたが、結局のところ需給のバランスというのも大きなファクターだったように思う。幸手高校がその対象になった時、すでに4校ほどが事後処理が進まない状況であった。

 2011年4月私が県議に当選してまもなく幸手高校廃校の話が決定したが、埼玉県教育委員会が「県立高校再編整備計画」を進めており、幸手市の2校がその後期計画に入ったのは2009年のことであった。今の幸手桜高校(旧幸手商)とどちらを残すかということも含めて、それぞれの学校評議員やPTAを巻き込む論争となったと聞いている。

 1941年に開校した幸手実業学校が幸手商業高校に改編したのが1948年。その幸手商業が、1980年に開校した幸手高校と再編整備されたのが前述の2013年3月31日。したがって、正式には幸手商業高校も幸手高校も同じこの日に閉校となったのが正しい理解となる。そして幸手桜高校が新たに2013年4月1日に開校したということになる。
 ちなみに、1941年12月8日は昨年末大きな話題となった真珠湾攻撃があった日。くすぶる世相の真っ只中で開校した学校と思うと感慨深いものがある。

 その旧幸手高校の跡地処理では圏央道インターの至近ということもあり、他よりは長期化しないと思っていたが、そんな簡単なものではなかった。私も長期化しなように努力すると、いろいろな機会に市民に訴えたものだ。そうした中、町田市政時に誘致し、東小跡地で新規に大学として開校していた日本保健医療大学が新たな学部の設置をしたいとのことで手をあげた。
 看護学部とは別に理学療法学部を設置するということだったが、この購入が2013年12月のことだったので埼玉県としては閉校後半年足らずで難問題と思われていた後処理が完了したことになる。

 その後は、文科省などとの折衝などを経て、さらには理学療法学部としての改築等々の期間を置いて、いよいよこの4月に開学することとなった。
 その直前に撮影した写真3点。赤城から日光連山、筑波山をパノラマで望み、幸手産業団地には大掛かりな建物の建設中の風景が目の前に広がっていた。南西側には富士山、そのさらに南にはスカイツリーも望めるが、強烈な逆光でカメラ素人にはシャッターチャンスを得にくい相手だった。
 こうしてまた、幸手市に年々若い人がふえることになる。明るい材料とそうでない材料が混在する幸手市。他力的ではない新たな未来への息吹を幸手市行政に示してほしいとつくづく思う今日この頃である。

No.2836 市内各所が整備されても・・・

2016.12.27

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 県道さいたま幸手線または御成街道と呼ばれる県道は、いわゆる幸手市の目抜き通りを貫いているが、その商店街通りの整備事業がようやく完成した。

 平成24年から始まったバリアフリー兼雨水浸透路面化工事は、水屋製麺さん前から幸手駅入口交差点の約900メートルの区間を100㍍から130㍍くらいの工事期間に分けて順次北から南下する形で進捗していった。年に2区間程度の進行なのでほぼ4年半経過しての完工となった。交通量の多いこともあって、一気に工事がしにくい環境にあったので通り沿いの商店さんはもちろん多くの市民にご不便をおかけしたことと思いますが、細かく区切っての工事は杉戸県土整備事務所としては予算的なものも含めて苦肉の計画だったのです。 

 私が県議時代に真っ先に要求した幸手市関連の県事業としては、この商店街通り、第2、第3権現堂公園の整備、高野台駅前から幸手市内を抜けて五霞町に続く幸手境線拡幅と新上船渡橋新設、幸手並塚線吉野地区の歩道延伸、圏央道下側道などなどかなりの数にのぼる。
 要望要求も予算枠、人間関係、その重要性といったファクターと相まって、言えば叶うというものではないが今そのほとんどが完成もしくは手が付き始めている。嬉しいのは幸手境線の土地買収にからみ難色を示していた地権者に直接了解を取り付け、杉戸事務所の所長と本庁の担当課長をともなって地権者のご自宅で契約書の調印に立ち会ったことである。これにより新上船渡橋の工事に見通しが立ち、今は下部工事といって橋脚を立ち上げる工事が川口の建設業者によって進められている。完成までにはまだかなりの時を要するが、ここに至るまでの長い期間を思えば感慨深いものがある。いや、実はこの話はとくに当時の五霞町の首長さんや議長さんからとくとくと聞かされた話なのだ。茨城県側としては埼玉県次第という事業なので願望とのギャップがありすぎてさぞや我慢に我慢を強いられる期間であったことだろう。

 いろいろな人々の思いが込められて道路、橋、公園などが変わりゆく姿は本来であれば街の活性化になるはずだが、人口減少に歯止めがかからない状況を考えると、未来への憂いは増えこそすれ減ることはない。
 

No.2834 地形と気候ともに特異な糸魚川

2016.12.24

 暖か過ぎる! この暖冬気配はいったいなんだ! 糸魚川市の大規模火災もこの気候変動が要因になっていると考えられる。なにしろ強烈な南風が吹き荒れていたところでの小さな元火があれほどの災害を引き起こすとは。大震災以外では記憶にないほどの火災ではないだろうか。

 フォッサマグナで知られる糸魚川市内自体は平坦な町並だが、断崖絶壁の景勝地として知られる親不知と海岸線でのヒスイが有名な街である。この断崖にへばりつくというかせり出しているかのように走る北陸道から眼下に広がる日本海には目を奪われる。
 走り見てわかることだがかなりの難工事だっただろうと感じるが、実際これは確かなことだったそうである。
 ドライブ好きが高じて幾度か国道8号も利用したが、大きなセメント工場が印象に残っている。つまり、産業的にも地形的にも異色な自治体といった感じなのだが地形だけでなく気候的にも特異な地域だということか。

 11月初旬のこと、妙高赤倉から上越市方面に出向いた時、まったく想定外の初雪に見舞われた。ラッセルカーが出たくらいだから豪雪地とはいえ驚いた。地元の人たちも面食らった様子で一面の雪景色をみつめていた。
 糸魚川は上越市から海沿いに約50㌔ほど西に位置する。つまり東京幸手間くらいのものだが、その11月の記憶がまだ焼きついているので、にわかには信じられないイメージで画面を見つめていた。南に下れば小谷村や白馬村などスキーのメッカも50㌔そこそこである。やはり山間地と海岸線の気候は距離とは無関係というかわずかな距離でもその違いははっきりしているということなのだろう。

 新しい年を10日後に控えたところでのことゆえ被災者の皆さんはさぞや辛く厳しい心持ちと察します。慎んでお見舞い申し上げます。
 新潟県知事は10月に当選したばかりの米山氏だが、どのような行政手腕を示してくれることか。突然の家屋全焼で着の身着の儘となった方たちの心の落ち着きと生活の拠り所に全力であたってくれることを願うばかりです。

 最後に、出火の原因は空焚きや油扱いのうっかりミスが多いようです。また、地方都市では糸魚川のように古くからの住宅が密集している街が少なくない。くれぐれも「火の用心!」を。

No.2829 撤退と進出 

2016.12.08

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 先月、石川県に出かけた際に「クスリのアオキ」というドラッグストアを多く見かけた。なんでも石川から福井、長野、群馬、愛知といった県下で300店舗ほどを展開する企業らしい。本社を石川県白山市に置く会社で業績も順調のようである。
 その店が旧県道加須幸手線の宮田ガスさんの前に出店準備を進めている。数か月前までコンビニのサンクスがあったところである。なにより、空いた店舗に次なる後釜が期間をおかずに入るというのは、街のイメージには良いことである。
 ただし、ドラッグストアとは言っても時とともにスーパー化しており、どの地においても過剰過当の熾烈な小売り戦争状態となっており、一つ増えれば一つ減りといった感は否めない。ことに人口現象が如実な街では商業規模が必然的に縮小していく運命にあるので店舗寿命への不安は尽きない。

 幸手市では中央商店街にも、市役所近辺にも・・・つまり街の中核地域でさえ空き店舗が長らく埋まらずにいるところが少なくない。小売企業にとって店舗の出店も撤退も経営の根幹として決断力が関わるところだが、地域にとって撤退後の新規進出が思うように進まない状況は忸怩たるものがある。
 しかしながら、遠い石川県から深谷、行田に続いてもっとも遠い店舗になる幸手の地に同社の店舗開発担当の目が届いているということについては市民として心の励みを多少感じるところである。
 前述の通り、幸手もドラッグストアの激戦区で、進出と撤退が繰り返される土地柄ゆえ安定経営には若干の不安はぬぐえないが、クスリの本場北陸を地盤とする同店には、地域に根付いた息の長い営業を期待したい。

No.2819 秋の叙勲

2016.11.03

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 今朝、新聞を見て思わず膝を叩いて歓喜の声を!
 2期8年、実質は選挙時期の差で7年半にわたり政治行政の基本をご指導いただいた前幸手市長 町田英夫氏の名が載っていたからです。

 秋の叙勲で旭日双光章の栄に浴された報は、市政運営において苦労の連続だったことが正に報われたと感じるものでした。しかし、考えてみれば至極当然のことと思えるものでもあり、遅すぎた感もしないではありません。

 氏が市長に就任した当時は、バブル時のハコモノ行政等により、その崩壊とともに多くの自治体が厳しい運営を強いられており、合併特例債にめざとい合併ムードが全国的にあふれていました。幸手市もご多分に漏れず合併機運が高まっていましたが、残念ながら実現にはいたりませんでした。
 当時の幸手市は財政的に逼迫した状況で、第二の夕張になるとさえ言われていた状況下でした。町田氏就任時、前市政が進めたウェルス幸手建設計画が直近の議会案件で、その計画自体の中止や風呂の必要性への議論で議会が喧々諤々となりましたが、結局は行政の継続を強いる一部議員の声に町田氏は同意したのです。それは約30億円になんなんとする予算執行として重くのしかかることを重々承知した結論だったと思われます。

 当時の財政力指数は0.65程度で県内最下位に近いランクだったと記憶していますが、町田市政における2期8年で0.8台に引き上げられました。これこそ選択と集中の行政運営の賜物だったのです。
 前述の通り、就任時最大の目標であった合併は、複雑な政治及び地域事情によって成就は叶いませんでしたが、それを補うために汗した功績は多大なものがありました。

 それらは、たとえば幸手駅東口整備、日本保健医療大学の誘致、幸手総合病院移転後の東埼玉総合病院の誘致、圏央道IC産業団地としては異例の規模となる47ヘクタール開発の実現、平成23年3月には悲願の西口土地区画整理事業認可の取り付けと、街づくりの根幹に関わる事業の数々にあきらかです。こうした街づくり事業を無の状態から次々にに実現したことは、幸手市に光明をもたらす原動力として尽力された証でもあります。

 当時、議会は町田市政を支える議員が少数派で反対派の執拗な戦略対応に苦慮する場面が多かったのです。私自身がそれを経験し、氏とともに奮戦したという誇りを感じていますし、荒れた議会の一員かつ証人でもあります。
 町田市政での議会は、片方の車輪として街を前進させるというよりは、常に数の論理で抵抗する場面が多く、手を焼く日々の連続でした。
 思えば、現市長も反対多数派の一人で、前述の氏の功績に関する案件が議会上程されるたびに反対していた方でしたが、今の渡辺市政が町田氏の残した遺産に関連した行政運営を進めているのはなんとも皮肉なものです。

 議会で繰り返される反対質疑に、自らが積極的に答弁する真摯かつ責任感に満たされた姿は今だに脳裏に焼き付いています。
 平成23年の市長選で氏の3期目が実現していれば・・・その後のここまでの5年で全く違った状況が生まれていたと思われるのですが、時に市民の選択は異なるベクトルに向かわせるものだと痛感します。
 実績の積み重ねが何故評価につながらないのかという忸怩たる思いを強く感じた選挙でしたが、その後の選挙も含めて悔いても悔やみきれない念が今でも残って離れません。

 町田氏は74歳になられたということで、今後も奥様ともどもご健康に留意されて幸手市の行く末を見つめていただければと切望します。
  この度は、おめでとうございます‼️

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