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No.2861 石原慎太郎vs小池百合子

2017.03.03

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 今日の石原元都知事の記者会見は東京都のことではあるが、国民の多くが注目したことであろう。ラジオでは表情が見えないのでその分印象は間引きしないとならないが音声だけでの印象は、いつもの憤怒に走る対応は影を潜めていたように感じた。とくに石原氏の説明を罵るかのような過激な発言をした記者もいたが、それとなくやり過ごす石原さんに通常とは異なる雰囲気で臨んでいたことは理解できた。
 ただ、小池知事の話になると責任論まで発する厳しい対応に終始し、これから百条委員会が待ち受けている身をどのように受け止めているのだろうかと感じた次第。

 たしかに、築地と豊洲の問題はことが複雑過ぎて結末が見えない混沌状態になったことは否めない。諸々の事象に社会の過敏性が度を超しているように感じる時があるが、まさに土壌汚染の問題に移転問題が前に進まなくなったことは事実である。
 そして、今では築地現市場の汚染問題までが報じられるところとなった。数十年も経って今更な感がするが、マスコミ報道につられるかのように庶民感覚もナイーブさを増す傾向にある。
 考えてみれば、日本中どこの魚河岸でも古びたコンクリート敷の広場にセリに上がる魚が敷き詰められる。大型魚などでは直接置かれている光景は当たり前のことだ。それらを刺身などの生食で舌鼓みを打つのが最高かつ高額というのが世界に冠たる日本文化ではないか。水でもそれこそもったいないと感じるほどジャージャー流しまくるイメージがある。
 それでも、そこからの流通過程で事件が起きたということはあまり聞かない。市場が営業停止になったという話も耳にしない。食中毒というのは限りなく最終小売段階での管理不足が原因の場合が多いのだ。

 今、マスコミは小池知事に好意的だ。逆に石原さんには今日の記者会見でも記者の目は冷たく厳しい。小池さんは都議団自民党に真っ向から戦いを挑んでいるとの評価なのだろう。なにしろ自民党嫌いのマスコミが多いのは間違いないのだからやむを得ない。たしかに議会を我が物顔に考えているドンの引退も小池さんが引導を渡した形だから都民に受け入れられるのはわかる。
 しかしどうだろうか。今の小池さんは近未来の総理などともてはやされてしてやったりと思っているかどうかはわからないが、夏の都議選に向けて都民ファーストが過半数を獲得することに躍起となっている感がある。市場問題は移転延期補償費や豊洲施設の安売り話などで都財政に与える影響は小さくない。小池さんが最終決着をどう導こうとしているのかが見えてこない。
 今のままでは単なるマッチポンプでしかない。石原さんが豊洲移転は問題ないと発言していることを専門家に対して諮問することがあってもよいのではなだろうか。もっとも、それにはあまりにも過敏すぎる世の中と対峙することになり、小池さんの評価が下落する可能性もある。

 百条委員会でも同じようなことを言わざるを得ないと石原さんは言うが、定例議会をまたいで開かれる百条委は場合によっては10回以上の開催も考えられる。いつかどこかで石原さんの体調不良による入院が有り得るかもしれない。
 小池さんは、都議選で過半数を万が一獲得したとしてもそれですべて良しではない。なぜなら、都民ファーストとは言うものの自民、民進などの脱退組や政治素人による小池顔頼みのポピュリズム選挙戦の候補者たちは、結局のところ都民どころか自分ファーストなのだから。
 そうした形で得た過半数では、いずれ化けの皮が剥がれるのも時間の問題かもしれないのだ。小池さんの政治経歴がそうした予測をついつい思わせる点が多いのも符号が合う。

 石原さんの記者会見に対する小池さんの反応は「石原さんらしくないという印象です」というものだが、石原さんに責任論をふられたことへの皮肉たっぷりの感想とも受け取れる。この人、言葉ではかなり長けた方である。
 さて、それぞれどういう決着が待っているやら・・・と思ったところで、なにやら猪瀬さんや舛添さんが小さく見えてきた。

No.2854 石原元知事に参考人招致

2017.02.07

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 東京都議会豊洲問題特別委員会は、いよいよ石原元知事を参考人として招致することとした。合わせて浜渦元副知事もだ。

 実は、今号のちょうど10号前になる№2844で小池知事はジャンヌダルクかというタイトルのブログを書いた。先月16日のことである。
 小池知事が築地市場を早朝訪問し、移転の前倒し計画をプレゼンした翌日、環境基準の79倍のベンゼンが検出され、移転どころか豊洲が使用不可能に陥ったと判断して書いたブログである。

 そこでは石原元知事への対応として参考人招致の可能性にふれたがその通りの展開になってきた。とうとう来るところまで来たという思いだが、都議会が百戦錬磨の石原氏に対してどこまで追求出来るかは不明だ。
 複雑な裏事情があったと思うが、それをどこまで紐解けるか。土地と金にまつわる何らかの不正があった可能性は考えられるし、その確率はかなり高いのではないかと推測している。東京ガスの経営陣には招致案内が今のところないようだが、いずれはそちらも対象になるやもしれぬ。

 議会が主体のことゆえ小池知事は第三者的立場で口を挟めるものではないが、彼女のあり方としてインタビューされれば、それなりの対応はすることだろう。
 まずは議会のドンを引退に追い込んだ小池さんだが、石原ドンにはどのように対応していくのだろうか。都議選を控えお手並み拝見といったところか。

No.2851 幸手市と蓮田市の違いは?

2017.02.01

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 先日、ある団体の新年会に出席したが、そこでは市長、教育長、体協会長、代議士秘書、県議といった流れで挨拶があった。

 市長はいつものことながら幸手市が変わりつつあるという話を、いくつも例を出して話していた。
 その中に小中学校にエアコンを設置するという内容があったが、金額的な部分を含め具体的な中身にはふれなかった。多くの自治体で検討の対象となっているこの教室空調設置事業は、先生にも保護者にも喜ばれると思われるので、市長の評価が上がることであろう。

 この事業についてだが、幸手市は入札の公告に予定価格を明示する数少ない自治体の一つで、この予定価格を7億93,572千円としている。そして、この公告は今日2月1日となっている。

 さて、昨年12月15日に蓮田市が発表した入札結果によると、市内12の小中学校空調設備設置事業で落札となった金額は3億68,400千円である。内容は電気式空調でリース方式である。幸手市の場合もリース方式だがエネルギーは電気なのかガス方式なのかの明示はない。その点はフリーにしてあるのかもしれないが、それにしても額が違い過ぎるのではないかと感じる。学校の数も生徒数もほとんど変わらない。ということは教室の数も大きな差はないはずである。にもかかわらず幸手市の金額は蓮田市の倍以上というのだからこれは精査の対象となって然るべきであろう。
 さらにこの事業、幸手市は指名参加方式を採用しているが、指名した多くの企業が蓮田市に入札した業者である。もしもさして変わらぬ条件で行われる事業だとしたら幸手市の事業を請け負う業者は笑いが止まらないはずである。

 どちらも公の専門新聞に掲載されているものゆえ数字上は間違いないと思うのだが、実態はここまでしかわからないので、決め付けるわけにはいかない。
 このあたりの真偽は是非とも次期3月議会で明確にしてもらいたいものである。蓮田市は3億でおさまったのに幸手はなぜ7億の出し値なのか?
 あくまでも掲載内容からの疑問であるから詳細の事情があるならそれはそれとして理解もしよう。万が一、ガス方式を考えての予定価格であるのなら、無理にガスにせず蓮田と同じ電気式でいいということになるだろうし、いずれにしても税金の使途問題については議会のチェックが求められる。二元制の議会制民主主義では、議員は一方の市長および執行部を褒めることはあっても、それが主体ではないということも忘れないでもらいたい。

No.2842 市長の品格

2017.01.15

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 寒い! 寒暖の差が激しい冬ですが総じて暖かいと思っていたらなんのその。
昨日の午前中、心地良い晴れ間が続いていたと思ったのも束の間、昼過ぎから一気に気温が低下。明日は零下も記録されそうな真冬日だとか。
 ただ、いいこともあるのです。こういう日は見事な夜空が映し出されるのです。しばし、うっとりと首が痛くなるほど見上げてごらん夜の星を!
 でも、風邪引きにはご注意あれ。
 

 さーて、福岡県飯塚市の市長がようやく辞意を表明した。ようやくというのは、この報を聴いた瞬間、辞めるしかないだろうと感じたからであります。年末20日に発覚した賭けマージャンは市民の信頼を裏切った点で首長として最悪の行為であることに疑いの余地がありません。
 にもかかわらず、この市長は「マージャンを賭けずにやる人がどれほどいるだろうか」といった開き直りそのものの言葉を発したのです。これは市民の怒りに輪をかけたことは間違いないでしょう。「任期までは務める」と責任感を発するつもりの発言も逆に居直り的に理解されて当然で、空気をよめない人物評価につながったようです。いわゆる火に油といったところで、年明け仕事始めから市民の怒りに遭遇して仕事始めにならなかったのも当然の成り行きだったと思います。
 おそらく、このまま図々しく居座ろうとしても「リコール」の声が日増しに増えていった可能性もありましたね。
 市長としての理性と品格が無さ過ぎたということに尽きます。

 この市長の行為には「賭博」とは別の観点から弁解の余地がない状況がいくつかありますね。
1.副市長が一緒だった・・誘われた側に抑制心があれば未然に済んだかもしれませんが、こうなると上役の責任がより重大。しかし街のトップ2というのはどうにも始末に悪い。
2.公務時間中だったこと・・・いくら市内にいるといってもこれはない!
3.市内の有料業者が賭け相手だった・・政治倫理に限りなく抵触する。

 以上を省みて、発覚時にいさぎよくとなればまだよかったのですが、自ら晩節を汚すことに・・・いや、政治の世界は通常の考えが時に通用しないことがままありまして、この市長が辞任後の出直し選挙に再出馬したとすると、案外に当選してしまう場合も考えられます。有権者の意図は図り知れないものが選挙に出ます。道徳的発想を豊かにして選挙や投票行為を伺っていると予測の逆が結果に出るというのは珍しいことではないのです。

No.2841 政務活動費ならぬ正無活動費

2017.01.12

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 県議、市議の政務活動費の不正使用が引きも切らない。まだまだ氷山の一角が表に出たに過ぎないというご意見に、議員経験のある私とて反論の術はない。
まったく困ったものだが、ニュースに取り上げられるたびに我が身を振り返ろうとしない無自覚議員がいるから次から次ということになるのであって、これでは政務活動費ならぬ正無活動費と文字を入れ替えられても仕方がない。
 
 ただ、あえて申し上げたいのは、47都道府県1740自治体に約3万人前後はいると思われる議員の中で、犯罪に等しい不正をしている議員は比率的に高くはないと信じている。ところが、マスコミも大なり小なり議員の動きにはチェック機能を高めに働かせる傾向にあり、それにもかかわらず資質を疑う議員の存在が無くならないことが輪廻の世界のように繰り返され、結果として、従来持たれていた議員先生と崇められたイメージが、もはや過去の遺物になりつつあるということを示している。
 議員など偉くもなんともないというのが自論だが、どうやら時論になってきたようだ。辛いのは、それにより政治不信が広がることだ。政治不信の長期化は国益に良いことはない。

 選挙は厳しいし、当選のために本人はあらん限りの努力をする(しているつもり?)なかには法を犯すヤカラまでいる。負ければすべて自分の不徳のいたすところとなる。しかし、考えるまでもなくここまでは自らの思いに忠実に挑戦しただけのことであって、当選したからといって人間性が高まるわけでもないし、急に人格が上がるわけでもない。またその逆もしかりである。そこに勘違いが生じる。
 偉くもなんともない議員を、有権者や役所の職員が先生先生と奉ってしまうから自分は偉いと勘違いする議員がなくならないということもあるだろう。

 総理や大臣、委員長は役職であるからその呼称で呼ぶのがふさわしいが、国会中継を見ていると質疑の当事者同士で先生と呼び合う光景が多い。これを見て私はいつも違和感を感じている。〇〇議員もしくは委員と呼べばいいではないか!と。
 まあ、良かれ悪しかれ長年培われてきた風土風潮を変えることは優しいことではないが、変えるべくは変えたほうがいいはずである。
 ところで、埼玉県の職員さんの県議に対する腰の低さは徹底している。もちろんそんな職員になめられてはならじと頭ごなしの対応をする県議もいる。筋が通らないことであっても頭ごなしは私には出来ないし、その必要もないと思っている。
 自分はやってないと信念をもって言えても、これだけ全国で同じ議員社会の仲間が税金の不正使用をしている現実に対して、全国の議員が襟を正す動きがどれほどあるだろうか。もうこの手のニュースにはうんざりである。
 

No.2809 見事なまでの開き直り発言

2016.10.08

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 民進党代表 蓮舫氏の二重国籍問題に関する無責任かつ白々しい発言を、今行われている国会での発言とリンクして考えると、その人間性に特有なものを感じざるを得ない。

 実は、性格は元々良くないとの評判も聞くが、瞬時の言葉のキレ、切り返しの能力が有権者の眼差しを惹きつけるのだろう。党にあってもそうしたディベート能力、演説力を認められてのことで、人間としての魅力が今につながっているとは思えない。
 口撃的に過ぎるため、過去の発言との間に矛盾を生じたり、相手を攻めている中で、いつのまにか自らへのブーメランにつながっていることが多い。
 口は禍の元の典型のようだ。

 過去と現在の発言の整合性を材料に相手を攻めるパターンは、自らのことにはおかまいなしの身勝手さを今の臨時国会で多々感じる。知力、弁力に長けているとの自信があってのことなのだろうが・・・。
 ところが、「見事なまでの変節ですね」「逃げないでください」といった言葉は、正に自分を戒めなければならない言葉だということに気がつかないようだ。
 

 つまり、国籍問題で二転三転の嘘の上塗りをし、パスポートその他で真実の盲点をつかれると記憶の曖昧さを持ち出す。さらにそれについて、維新の会に説明責任を問われると「極めて個人的な問題なので、これ以上の説明をするつもりはありませんと見事なまでの開きなおり反論。
 ならば、ここまで苦し紛れの説明を繰り返してきたのはなぜ? 最初から極めて個人的な問題として相手にしなければよかったではないか。
 

 これこそ「見事なまでの変節」であり「逃げさせていただきます」ではないか! 我田引水という四文字熟語そのものだ。
 国会、県会の議員は資産状況さえ公に示さなければならない立場にあり、極めて個人的という表現は、疑惑を突きつけられている現実に通用しない言葉である。あれだけの騒動があの一言で終止符を打つのであれば、なんのための騒動だったのか。
 こういうことを平気で実行してしまう人が、野党第一党の代表であり、総理になれる資格を有する人なのだ。
 こんなことがわからず国会発言をしているようでは、知力にも疑問を持たなくてならないし、国会議員としての資質に関わる問題だ。
 

 数号前に書いたが、富山県議会民進党の政党交付金不正受給が明るみになったときのインタビューで「政党交付金は国民の信頼の元に支給されている・・・」の発言があった。国民に配慮した物言いのつもりだったろうが、政党交付金しかり政治家の報酬についても(私もいただいていた立場ではあったが)国民の信任をはたして得ているのだろうか? 常にポピュリズム意識があるがゆえの言葉選びのミスで、オンブズマン関係者などからは眉をしかめられる発言である。
 どうもこのご仁は自信過剰ゆえか言葉に酔いすぎ、上滑りすることが多いという特徴がある。

 しかし、最後の見事なまでの開き直り発言に、マスコミはさしたる問題にはせず、自民党も追求しない様子はなぜなのか?
 国籍と議員資格の問題は、人道博愛、差別、ヘイトなどとは次元の異なる話なのだが、それに配慮したのか、それとも自民にも小野田議員が登場したことによるものなのかは不明だが、国益のための国会の在り方が、未来の日本にも関わるという観点からしっかり対処しておくべき事案であることは間違いない。
 

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