安倍元総理が凶弾に倒れたのは先月8日のこと。ちょうど1ヶ月が経過した。事件の後に世間が騒々しい中身は、統一教会という教団に関する問題と、国葬反対を煽動するかのようなメディアの存在が際立つ。日本は非中立で異質なマスコミ報道に先導される国になったかのようだ。
安倍元総理のことも、事件に関わることも、書きたいことは山ほどあるのだが、あえてほどほどにとどめている。書けば書くほど虚しくなることが目に見えていたからである。実際に心の整理はまだつかない。真の民主主義とはという永遠の課題を考える機会になっているところに、ペロシ下院議長の台湾訪問により、中国の威嚇外交はかつてない軍事演習にまで及び、その内容は度を越えている。
安倍さんの見解はどうだっただろうかと聞いてみたいと、その存在を思い起こさせる外的環境の変化が、なおさら不安感に繋がり、かつ訳の分からない内閣改造をこの時期に行おうとしている岸田総理の思考も不明で、今こそ日本を護るという政府の姿勢が見えてこないこともある。
朝日新聞の倫理道徳的に好ましいとは思えない川柳掲載に憤怒したばかりで、今度は6日の原爆慰霊祭で写真のような左翼思想集団による心無い活動を見て、青少年がこんな主張に心を奪われないで欲しいと願う気持ちを強くしている。
*安倍の国葬反対!
*安倍の美化は許さない!
*安倍は殺されて当然だ!
*ウクライナ戦争を今すぐ止めろ!
*米日による中国侵略戦争を阻止しよう!
*G7サミット=戦争会議の広島開催反対!
*世界の労働者の団結で世界戦争を止めよう!
*岸田は帰れ!
*天皇制粉砕
以上は、広島で見た文字、聴いた言葉として紹介されている一部である。人としてどうなのか?である。
静かな祈りの場である鎮魂の慰霊祭にわざわざ全国からコストをかけて集まり、こうしたシュプレヒコールを叫ぶ原点にあるのはなんなのか。拡声器で安倍さんを罵倒し、広島市民の厳粛な式典を求める声に聴く耳を持たない。
これらも言論の自由だとは思いたくない。こうした左翼デモがどの国にもあるのかどうかまでは知らないが、はっきり言って恥ずかしい。常日頃、国会周辺で行われているデモや、現在の国葬反対のデモも同じようなものだ。思想信条を発するにしても、こんな手法は非近代的であり、左翼思想の宣伝行為であるなら随分と卑劣なものだ。
死人に口無し。もはや主張も反論も出来ない故人を弾劾する行為まで原爆慰霊祭に持ち込むのは暴動にも近く、純粋に国を想う日本国民を納得させられるはずも無い。もっとも、そんなことはかまわず主張を際立たせることが目的であり、平和を求めながら平和的言動が出来ない人たちなのだろう。
言論の自由が何を言ってもいいとするならば、それに対する問題指摘や不満を声高に主張するパターンの多くは左翼思想側からの場合が多い。いわゆる差別だ、人権問題だ、ヘイトだ、多様性や少数意見を尊重しろ、と説く人たちこそ、それに逆行する言動が多いのである。