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No.2269 くわー! スマホ紛失?

2012.12.07

 まいりました! 6日は三郷中央駅で2時間の駅ダチ後、幸手に戻って10時から3時半まで農村部巡業。その最中に、購入仕立てのスマホを紛失してしまったのです! 当初は、どこかにあるだろうとタカをくくっていたのですが、考え甘く、可能性の9割を断たれてしまいました。残り1割にかける思いは絶望感と期待の入り混じる複雑な心境です。かなり歩いた後、着ていた防寒ジャンパーを脱いだのが原因だと思います。まったく!
 それでも、それなりに汗をかいている間の出来事ゆえ仕方なしと割り切れる・・・・いやいや、とてもじゃありませんが、そんな簡単に諦めがつく状況ではありません。通信機能はストップしてありますが、なんともはや、トホホ。

 それにしても夜の集会はあふれる人、人・・・。満足感あり!

 はじめて訪れた三郷中央駅周辺はまだ未開発というイメージですが、駅の目の前にキャノンがあり、ボツボツと高層マンションなども立ち並ぶ様子で、街が生きづいている感があります。
 古い街並みも大切ですが、人口が増えてなんぼという街の未来構想からすると、新線開通、新駅開業というのは最もわかりやすい発展形式ということと確信した次第です。

No.2266 日増しに度を越す偏重報道

2012.11.30

 メディアの行き過ぎた報道は日増しに醜さを増している。
 党首討論をニコ動画で実現しても、タレントによる評価で、どっちが勝ったかはまだしも、MVPは誰?ともなると購読者に何を伝えたいかの意図が見え隠れする。小学館も講談社も集英社も、その週刊誌には子どもに見せたくない意地汚い言葉が並ぶ。
 テレビで政治評論するタレントやキャスターたちも中立ではない。局から語る方向性を示唆されているのだろうか。だいたいテレビそのものが特定のスポンサーに気配りしているのではないかと最近感じる。

 今日の朝日新聞の朝刊には考えさせられた。まさしく私の感覚だと特定の政党を支持しているとしか思えない。いや、まさしくあの多くのページに見られる内容は、金権政治屋復活を望んでいるかのような誘導報道と思えるのだ。
 不思議だ! なぜだ!

 まず一面トップで、「脱原発競争、自民は距離。TPP民主は推進姿勢」この内容で両党を批判。同じ面中段では、「衆院選ツィッターつぶやき原発関連が突出、TPPの3倍」・・・ときた。
 まさに原発を争点にしたいかのようだ。これは間違いなく朝日の社是なのだろう。
 そして天声人語を見ると、「いくつかの政党を卒原発で束ねた嘉田滋賀県知事がびわこ宣言」としてその宣言文を紹介している。その表現は微妙な言い回しをしている。「重い責任を感じることなく、経済性だけで原子力政策を推進することは、国家としての品格を失い、地球倫理上も許されない」
 どうだろうか? 束ねたという言葉で嘉田さんを持ち上げながら小沢さんの影を薄くし、文中の推進という言葉ひとつでそっくり民自批判の選挙戦略にすり替えている。
 実は、推進という表現で原発を捉えている政党は一つもないはずだ。よほどこの実質小沢新党のイメージ代表の宣言がお気に召したようだ。ここでも民自批判を意図しているのはあきらかだ。共産や社民のように即時廃止を唱える政党もあるにはあるが、この小沢新党でさえ、完全撤廃は10年後としているではないか。撤廃年次目標をいつにするかは違いがあるにしてもソフトランディングの志向に変わりはないのに・・・言葉を異常に歪ませる。

 つぎに2面では、「橋下 恐れた変節」とか「土壇場で公約追加」とかマイナスイメージをアピールし、白抜き文字で脱原発巻き返しという文字を目立たせている。
 さらに16面で、安倍、石原、橋下を再批判し、社会民主主義の進化と深化に期待するという投書の声や、集団的自衛権とは参戦権だとする若者の声も紹介している。驚くばかりだ!
 もっと驚くことに、17面でポピュリズムの正体と題した特集があり、そこではなんと「徹底したポピュリズムこそが民主主義を救う」とある。始めて聞く大学准教授の主張。36歳になるこの准教授曰く「物語によって異なる地平にいる人々をつなぎ、新しい次元を開き、外交でも国政でも拡大再生産にもっていく構築の政治を展開できるポピュリストが現れれば、自分の意思が政治に反映されていないと感じる人々に、政治の信頼と希望を取り戻してもらえるかもしれない」と結ぶ。その前段で安倍、石原、橋下をリーダー否定している。橋下さんに至っては、「批判の政治」とバッサリ。
 選挙争点を、社是とする反原発にフォーカスしたい朝日に対するポピュリズム姿勢批判を、こうまでして言い訳したい特集と推察する。

 読み込んでみても、政治をあえて難しく哲学的な表現で口にしている(屁理屈)だけのように感じられ、それこそわけのわからない理論なのだ。朝日に請われた社会民主主義進化に向けた応援メッセージと理解するのが適切なのかもしれない。
 昨日の朝日ではつぎのような内容もあった。安倍さんの埼玉県内での演説を聴いた元経営者のインタビュー記事「日教組批判を繰り返す。こういうこだわりにセンスの古さを感じるね」という中身で、日教組批判がおかしいと巧みに指摘を入れる。政権与党の中枢幹部に居座るまでになった日教組ゆえ問題指摘しているのであって、それをこだわっているとする意見に怖さを感じる。 
 こうした声を意識して取り上げるところに朝日の主張があるのだろう。

 日本の教育が国益という観点から下がるところまで下がってしまったと感じている人は多いはずで、この行政課題に真剣に立ち向かおうとしている安倍さんには良識派の有識者が多数支援している。教育基本法を改正したまま、改革方針にまで進めなかった安倍さんだが、経済政策も含めて口にしていることは、日本を取り戻すという表現にふさわしいリーダー像だと思う。

 メディアに負けずに立ち向かう安倍さんに美しい政治が見える。有権者の眼力を信じたい!

No.2264 政治の道は、人の道にあらず!

2012.11.27

 昨26日、12月定例会に向けた議会運営委員会が開かれました。予算議案は1件、法律の一部改正に基づく条例改正が多くある中、目を惹くのは青少年育成に関する条例で、簡単に言いますと「いれずみを禁止する」条例案が提出されます。その他一般質問の会派別割り振りや、先日のあり方研究会でマスコミの申し入れを受ける形となった「音声録音」の承認などの説明が委員長からなされました。音声は画面と一致する正しい放送を前提にするという主旨に則って認めることとなったものです。いわゆる歪曲された編集が横行することを防ぐという観点からです。

 さて、この日三郷選出でしばらく前に自民党を離党した議員から議員辞職願いが出されたということです。数日前に日本維新の会の公認をうけた方です。
そして、もう一人草加選出の議員が自民党離党の届出を出したそうです。いくばくかの驚きを隠せない知らせでした。
 前出の議員は4期ほぼ14年、後出の議員は8期30年の長きにわたり自民党県議団の一員として活動されてきた政治家です。しかも後者は議長までやられた方です。そうしたところ、その元議長が今朝の朝刊で日本維新の会の第6次公認名簿の中に名があるではありませんか!

 さて・・・・
 政治家の規範とは、倫理とは・・・なりふりかまわず離合集散を繰り返す日本の政治現況は、今に始まったことではないにしてもいささかひどすぎるといった感は否めません。
 政治家には上昇志向があって当然とは思いますが、こうまで身勝手さをさらけ出すのはいかがなものか。もはや、政治家が世の中の規範タレ!とか見本たれ!など言えるすべもない。
 私の先輩議員にもなる方ですが、自民党にいたからこそ議長にもなれたと思いますし、地域のための予算もそれがゆえにより獲得できたはずです。政治とは、そして与党とはそういうものです。この議員の自民党県議団所属30年とはそれほど重い期間です。どんな理由を言い繕うが、人の道としては疑問符がつくのではないでしょうか。政治の道ではどうということはないのか?

今回の選挙は、まさに「ばらばら日本」というタイトルの絵が描かれ、徐々に完成に近づいている気がします。政治家の利己主義がこれほど平然とさらけ出されていることに悲しみを覚えます。

 新党大地代表の鈴木宗男さんの長女が立候補し、同じく同党から金メダリストも立候補するという。
 小沢さんは相変わらず選挙になると女性を全面にした戦略にかけているようで、滋賀県知事に新党の党首でどうかと持ちかけています。選挙では女性を大切に?というか重宝に立てますが、私生活では真逆だった小沢さん。さほど長い期間絆を保てるとは思えません。ただただ単一施策の原発問題で合流するようですが、政治とはそれだけでいいものでしょうかね。
 一方、自民党の世襲を徹底して批判する野田首相ですが、現文部科学大臣の存在はどう考えているのでしょうか。民主党自体この方だけではありません。
 あまりにもていたらくな保身言動が多いので、逆に今回の選挙をしっかり見抜く根拠は難しくないという思いがしています。

No.2262 まっすぐに突き進めないのも政治 

2012.11.22

 日本維新の会の動きがこの二日間でせわしない。
 まず、次から次への公認発表。その内容はけっして維新の息吹、新鮮さ、そして期待感を与えてくれる布陣には感じられない。現時点では、読む限りマスコミも持ち上げる状況にはないようだ。
 東国原さんの立候補も決定的らしい。公認選挙区との関係があってどこから出るかはまだ未定。
 今日のニュースから・・・堺屋さんの勧めで30歳の元グラビアアイドルが立候補するという。別に職業を問題視するわけではないが、どれほどの経験と研鑽を踏んでいるかは見極める必要がある。これこそが私が何度も言う有権者の眼力だと思う。ただ単にルックスや話題性だけで国会議員になれるのなら3年前の民主党小沢戦略と変わりはない。小泉郵政選挙もそうだったが、前回はなにしろ数が大量すぎて政治を馬鹿にしていると感じたくらいだった。強烈なトップをいただいた政党は、その個人精神を崇拝する形でイエスマンを数多く必要とする。それこそが政治に絶対的な数の論理を意味する。

 次に、企業団体献金の廃止を高らかに唱え、既成政党のあり方に疑問を投げかける戦略を売りにしていたが、これをあっさり献金オーケーに変更した。この変更には、あえて注釈はいらないだろう。やはり信念、理念も状況変化に振り回される。結局は既成政党との違いをアピールした金看板は希薄になってしまった。選挙には金がかかるということが橋下さんがわかったということ。それまでの個人選挙では、自らの知名度でさほど金がかからなかったのだろうと推察する。

 立ちあがれ日本を主体とする太陽の党(立ち日と区別すると実質太陽とは石原さん一人を意味する)との再合流は、多くの政策矛盾を抱えることになってしまった。
 政治、とくにそれを生み出す原点とも言える選挙にあっては、政策や義理人情といったものなど、さして時間もかからず大きな矛盾が生まれ、それを有権者に隠すかのように選挙戦が展開するのは今に始まったことではない。しかし、この矛盾、今回の選挙はいかにも多過ぎると思うがいかが? 
 それは結局、自民党が割れて前回選挙がおこなわれ、民主党から多くの異分子が生まれて今回の選挙となった・・・結局はその異分子同士が権力掌握を目指して、「あんたはいいけどお前はいらない!」式の政策度外視、野合どこ吹く風のお見合い大作戦と相成ったことが原因でもあろう。これもしっかり有権者は読み解かなければならない。

 たとえば、橋下さんは外国人参政権付与に前向きであり、危険含みの人権法案成立を応援する方だ。その理由はわからないではない。私は、この二つ大反対だが、橋下さんが何故ここに理解を示すのかわからないではない。理由はあえて口にするつもりはない。
 とにかく、この二つは石原さん以上に平沼さんとの主義に隔たりが大きく、いずれは大きな摩擦になっていくはずである。平沼さんの平沼さんらしさがここにあるからだ。減税日本とは合わないとおっしゃるが、それどころの話ではないはずなのだ。
 あるいはまた、東京都知事選にいち早く立候補を表明した松村氏は維新立ち上がりの時からテレビ等で、維新の宣伝マンとして橋下さんを持ち上げていた方だ。なのに・・・維新は都知事選で猪瀬氏を応援するという。言わずもがな、石原さんが後継指名しているからだ。これも義理人情が状況次第で移ろう例だ。ハシゴをはずされた松村氏は何思う?
 ふと、面白いことに気がついた。橋下さんを取り巻く方々、この松村さん、前述の東国原さん、そして石原さん、さらには橋下さん自身も府から市への乗り換え早業を考えるならば、この四方は、皆さん府県民の期待をよそにお辞めになられた知事の面々なのだ。松村さんと石原さんは任期を満了さえしていない。

 さて、同じく石原さんにハシゴをはずされた河村氏・・・つい今しがたのニュースで、亀井、山田組と合流をはたした様子。あっちが駄目ならこっちとばかりにお見合いを繰り返す小政党とは、いったい国民の目にどう映るのやら。これで16個目の政党となる。万が一、ここに小沢党やみどりの風が合流したら、まさに魑魅魍魎の世界ではないか。政治に魑魅魍魎などという表現がふさわしく感じられるようでは地に落ちるというものだ。

 自民党も過去からの流れはけっしてピュアだとは言わないが、3年間おきゅうを据えられて、出直し政党になったことは事実だ。私も自民党政治家の一員として、落ち込み激しい日本の立て直しは自民党にしかできないと思っている。
 前号でデフレスパイラルからの脱却、つまり経済政策が最優先と書いたが、安倍発言で株価は上昇、円は82円にまで到達した。景気回復には欠かせないバロメーターが如実に自民党復活への期待度を示しているということだ。この二つの上昇は資金調達の容易性を高め、設備投資に対する企業意欲が高まる。そうならないと中小企業も持ち上がってこないのだ。
 バブル最高時の株価が38,900円だったことを思えば、その価値は何割に落ち込んでしまったか。同じ時期、6大都市圏の不動産価値は今の約6倍以上あったのだ。これらが、銀行も含む大製造メーカーにもたらした影響は尋常ではなかった。もちろん、株や不動産に老後資金を託している多くの庶民は、とりあえずこの動向にささやかな安心を抱いているに違いない。
 まだまだ選挙戦中、この指数がどう変動するかは未知数だが、願わくは、マスコミによる揚げ足取りだけは御免こうむりたい。

No.2260 マスコミを監視しなければ

2012.11.19

 事実上、選挙戦はとっくにスタートしているが、マスコミのヒートアップも今後激しくなってくるのは間違いない。
 3年半前の選挙を私たちは忘れてはならない。テレビをつければ自民党批判、政権交代礼賛の渦だった。通勤電車の週刊誌中吊り広告は、自民降ろしで日本は変わるかのような見出しを、派手な大文字で書き立てていた。中身を読み砕く時間のない忙しいサラリーマンの皆さんは、その大文字に興味を掻き立てられた。結果、中には投票選択の参考にした人も多かったことだろう。

 新聞では、大新聞「朝日」が第一次安倍政権誕生前から安倍晋三ネガティブキャンペーンを張り続けた。これが今でも続いている。朝日はテレビはもちろんのこと、グループあげて同運動を続け、日本の道筋を歪曲させたいかのようにさえ感じられる。
 特に現在の論説主幹を迎えてからこの傾向に拍車がかかったが、個人の問題というより企業の主体性がそこに働いていると見るのが正しいと思っている。
 週間朝日が橋下氏の記事に関して、この世界では異例とも思えるお詫び出張をした。橋下氏の社長代理を見下ろす姿が、ふてぶてしく感じたのは私だけではないと思う。これには一瞬「やらせ!」かと感じたほどだ。社長を更迭して、代理をお詫びに出向かせ、ニュース番組で流す。一般的に批判や訴訟には受けて発つことが多いこの世界にあってどうしたことだろう?と思ったものである。
 そして、いろいろな画策を駆使して、どうしても安倍さんを貶めたい精神があるのだろうと思えてならない。その反動が橋下さんへの対応になっているし、それ自体が仕組まれたものかと・・・・。
 そもそも以前の大物政治家はマスコミに対決姿勢は示さなかった。相手にしないというのが大物の大物たる風情だった。橋下さんは舌鋒鋭く「寄らば切る!」といったところで、批判には対抗するタイプなのだろう。

 TBSもやるものだ。先日、NHKキャスターのわいせつ事件を伝えている時、なんと安倍さんの映像を流したのだ。少したって女性アナウンサーが「関係のない映像を流したことを・・・」と軽いお詫びをしていたが、それが国全体が選挙モードに入った中での安倍さんの映像であるというのは小さな過ちではないだろう。

 週刊誌もそれぞれ読み解いていくと、支援したい政党や政治家の姿が見えてくる。月刊誌は、傾向はあるものの質の高い論説もあるので、冷静に読むことはできる。
 マニフェストや公約は、どこまで信じていいものやらという不信感を、民主党が定着させてくれた。
 こうした情報の不真実さを知れば知るほど、だからこそ、有権者は自らを信じ、過去の大きな流れとこれからの日本を考察する眼力を備えなければならないと思う。

 ポイントをいくつかに絞るのもひとつの手段かもしれない。
 人物感で言えば、私は「傲慢さ」「自己利益性」「冷徹さ」といったものが強く感じられる人物は✖だ。
 政策については、とにかく今はデフレスパイラルを脱却する経済対策が必要だと判断している。そして、早急に教育制度の抜本的変革を形作るべきだと考えている。TPPでは「聖域なき関税撤廃」に反対しなければ日本の農業は守れないと思っている。参加はそれ次第だ。これも猶予がない。消費税では軽減税率はどうしても必要だ。
「今、何を成すべきか!」を立ち遅れた日本にあてはめて考察するなら、自ずと、その優先順位ははっきりしてくると思うが、この優先順位も人によって変わってくるのが問題でもあるのだが、致し方ないといったところか。とくに朝日が煽る原発問題は脱原発の目標期限を設定することは望みたいが、いま、即廃止に感情的になるべきではないと思う。それよりは、なぜ朝日が原発を最大の選挙争点にしたいのかを考察することに意義があるかもしれない。

 ともあれ、マスコミに誘導されることなく、監視するくらいの姿勢がこれからの国民に求められる。そうでないと本当に日本はおかしくなってしまいますよ。

 

No.2259 合掌・・・

2012.11.16

 森光子さん、三宅久之さんが相次いで亡くなられた。それぞれの世界で大物として存在感を発揮された方だが、それ以上に親しみのある人柄と温か味を感じさせてくれた方でもあった。

 森さんは、私が千葉の津田沼でアルバイト兼の下宿生時代を送った40数年前、「時間ですよ」を欠かさず見ていた記憶がある。私にとっての№1のメモリードラマである。
 堺正章、船越英二、樹木希林、天地真理といったキャストだったが、画面を見ていても森さんがこのドラマのリーダー役者という雰囲気が伝わってきた。実際の下宿先のおばさんも私の人生の恩人と今でも感謝しているが、そのおばさんが8年前に亡くなって、今度はアイドル的おばさんと勝手に思わせていただいた森さんが亡くなった。実際のおばさんとテレビのおかみさんがかぶさっていたのだ。
 時の流れとはいえとても悲しい。自分も歳をとったものだと思う。森さんが92歳だったとはとても思えないから・・・。

 三宅さんは、正論を果敢に発する評論家だと感じていたが、同時に論争の中にも品とか温かさを思わせる好々爺というイメージもあった。昔から政治のご意見番と言われた存在は数多いが、なぜかそのほとんどは上から目線の人柄が多かったと記憶している。言葉では時にそういった場面が三宅さんにも無くはなかったが、それがユーモア的にも理解される人柄だった。

 昨日の石原さんが、減税日本との合流の経緯というのはどういったことだったんですか?と記者質問されて、すぐさま感情的に「くだらない質問をするな!」と恫喝していたが、古い青嵐会的体質を感じさせる場面は、今の時代とかけ離れた政治感覚を感じさせるものだった。どこぞの新聞社のオーナーと同様だと前号で書いた通りの人間性を見せてくれた。そんな恫喝で質問を遮ることが有権者には理解が届かないということを理解できない人なのだろう。
 今日の橋本さんとの会談では必ずそのあたりの話が出るはずだが、やはり「くだらないこと聞かないでくれ!」とでも言うのだろうか。しっかり説明しなければ会談にならないと思うが、記者には恫喝ではすまされないだろう。記者が聞くことは国民の耳に届くのだから。
 今回の選挙こそ、しっかりとした説明責任を発揮することが必要なのは自明の理で、とくに政策を脇に置いた野合性を持つ合流であれば、わかりやすく世間に説明するべきなのだ。単に権力を握れるチャンスだと思ったのら、それはそれでいいではないか。石原さんから橋下さんに風を送る状況が多い最近、何を考えているのかが石原さんにはわからなくなってしまった。

 良い悪いは別にして(小沢さんも曰く)、2大政党制を目指していた日本の政界が、逆に政党乱立に向かった事実、そして前述の大野合の合流を三宅さんがどのように評論するか聞いて見たかった。最近の国政を憂い「日本を救えるのは安倍くんしかいない!」と公言してはばからなかった。安倍日本のリスタートに大きな期待を寄せていた三宅さんだった。

 森さん、三宅さん、どうぞ安らかに!

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